南極でゴジラを見張ってたらテロリストが来た件   作:よよよーよ・だーだだ

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ゴジラから見つめられる1分間の話

 潮風の塩気が開いた傷口に染みる。

 深海から一気に引き上げられたかのような、意識の底から浮上する感覚。死の境界からの帰還。

 

「うう……」

 

 俺は目を開いた。太陽が、鉄板のような熱をじかに顔へ叩きつけてくる。

 雲ひとつない青空は、この状況を嘲笑うかのように美しい。嵐の夜から一転した晴天。なんだか、神が見下ろす舞台みたいだ。

 

()っ……」

 

 続いて、背中を押し潰す(あら)い砂と礫が現実に引き戻す。

 右膝下が鈍く痛むので見てみると、裂傷から滲む血が砂を黒く染めていた。おそらく船から投げ出された時に岩にでもぶつけたのだろう。水を絞ったような軍用シャツは裂け、ところどころが破けている。

 振り返ると、砂浜に刻まれた歪な溝が見える。無意識のうちに這ってきた証拠だ。生き延びようとする本能は、意外に強いものだな。生きたい――裏切りの罪を背負った自分には値しない感情かもしれないが。

 

「ここは……」

 

 断崖絶壁に囲まれた入り江。遠くに見える船の残骸。漂流物が波に揺られている。生存者は俺だけのようだった。

 ……あのときは海に飛び込むしかなかった。冷たい海水が全身を包み込み、波に持って行かれる感覚。意識が薄れていく中、何かに掴まろうとした記憶があるが、それきりだ。

 気がつけば、この島の砂浜だった。

 

 俺は顔を上げ、周囲を見渡した。熱帯樹林が生い茂り、岸辺から見上げれば緑の壁のようにも見えた。奇妙な形の岩場が入り江を取り囲んでいる。不自然なほどの静寂。鳥の鳴き声も虫の音も聞こえない。島全体が息を潜めているかのようだった。

 残骸や漂流物を探せば、何か使えるものがあるかもしれない。水、食糧、通信機器……生き延びるためには必要だ。最初にすべきことを考えていた。

 

 立ち上がろうとした瞬間、異変を感じた。海が引いていく。引潮の時間ではないはずなのに。続いて地面がわずかに震えた。規則的な振動。足の裏から伝わる鼓動のような揺れ。何かが近づいている。

 

 そのとき、島の奥から轟音が響いた。森の木々が揺れ、鳥の群れが一斉に飛び立つ。振動はますます強くなる。

 直感で悟った――これは足音だ。だが、ここまで大きな足音を立てるものがこの世に存在するだろうか。

 視線を感じて凍り付いた。

 

「…………っ!」

 

 岩場の上に、『それ』がいた。

 最初、岩の一部だと思った。同じ色合い、同じ質感。

 しかし、違った。ゆっくりと動いていた。50メートルは超えているであろう巨大な体躯。太陽光を撥ね返す背びれが、不気味に鋸のような光条を撒いている。

 二足歩行の恐竜にも似た姿だが、それをはるかに超える圧倒的な存在感。長い尻尾が岩を打ち、砂塵を巻き上げる。

 古代から続く原始の力を秘めた目が俺をじっと捉え、一瞬たりとも逸らさない。

 

 

 俺は今、〈怪獣王ゴジラ〉に見下ろされていた。

 

 

 俺の思考が停止するのを感じた。

 ……俺はGフォースのエリートとして十年間、あらゆる映像と数値でこの怪物を追跡してきた。何百もの資料を読み、何千もの報告書を書き、何度となく対処シミュレーションを行ってきた。

 だが目の前の現実は、それらの知識や経験を一瞬で紙屑に変えた。かつて上官が言った言葉が蘇る。

 

『会議室の中のゴジラと、目の前に現れたゴジラは違う』

 

 ……まさにその通りだった。データや映像では決して伝わらない圧倒的な存在感。それは畏怖、恐怖を超えた何かだった。

 

「あ……あぁ……」

 

 震えが骨の髄まで支配し、身体は砂に根を張ったように動かない。こんな状況のためのマニュアルなどなかった。逃げるにしても、服従するにしても、どう行動すべきか判断できない。

 ゴジラは瞬きもせず、ただこちらを見据えている。学者の説に拠れば、ゴジラは視力が良いとされる。だが、こんな小さな人間一人を、これほど明確に認識しているとは、人間だけを見分ける特別な感覚でもあるのか。

 

 その時、頭上から機械音が響いた。

 

 振り返れば、小型のドローンが海岸線に沿って飛来していた。白と赤のボディに「海上保安庁」の文字。生存者捜索の一環だろう。

 ……助かる! 生還できるかもしれない――その一瞬の希望に、指がわずかに動いた。

 その瞬間だった。

 

 

 ドローンが白い閃光を咲かせ、赤熱した破片が雨のように降った。

 

 

 ゴジラ必殺の放射熱線、ドローンを撃ち抜いたその青白い残光が目に焼き付く。爆風の余韻が断崖で反響する中、ゴジラは再び俺へ視線を戻した。「見たか」と言わんばかりに、ゴジラは俺を見つめた。

 俺は動けなかった。俺がほんの僅かでも身動ぎすれば、それに釣られるようにゴジラも小首をかしげて視線を動かしたからだ。その目線は間違いなく、この俺の一挙手一投足を追っている。

 

「動くな、ということか……」

 

 ……SF映画、あれは恐竜が出てくる動物園の映画だったか。ともかく何かの受け売りだ――「捕食者は動体を追う」。馬鹿げている。

 しかし、目の前の現実はどんなSF映画よりも奇怪だった。炎天下の浜辺で、時間だけが緩慢に流れていく。

 頭上からは容赦なく太陽が照りつけ、砂は灼熱に包まれていた。俺のシャツは湿った潮風と汗で背中に張り付き、喉は乾ききっている。喉の渇きを訴えるように唾を飲み込もうとしたが、口の中は既に乾いていた。

 

 裂傷の痛み、渇き。ゴジラと俺、見つめ合う両者。

 太陽は少しずつ天頂から傾き始めている。何秒経ったのか、あるいは何時間経ったのか。もはや時間の感覚も麻痺していた。

 時は蜜のように粘り、流れない。あと何分で脱水症状が始まるだろうか。俺はこのまま干乾びて死ぬのか。それともこのバケモノにあっさり踏み潰されて死ぬのか。

 逃げ場のない静止の中で、俺の意識は強制的に過去へ遡り始めた。なぜ自分がここにいるのか。そもそも、なぜ『あの船』に乗っていたのか。

 

 

 

 

 十年前、俺は国防の栄光を信じ、対怪獣特殊戦闘軍:Gフォースに志願した。

 

 若い頃は「怪獣から国民を守る」という崇高な使命感に燃えていた。子供の頃に見た東京破壊の映像が、原体験として刻まれていた。厳しい選抜を経て怪獣追跡のスペシャリストとなり、同期の中でも頭角を現した。

 最初の数年は理想通りだった。現場での実績を積み重ね、仲間たちからは信頼され、時には危険な任務も回ってきたが、それが誇りだった。殊に「怪獣の行動パターン予測」の分野では、組織内で右に出る者はいないと自負していた。

 

 しかし、組織の内情は想像と違った。

 政治的駆け引き、不必要な官僚主義、上層部の保身。有能な現場兵士よりも、話の上手い事務方が出世する姿を目の当たりにした。昇進の梯子は途中で外れ、同期の管理職の背中を尻目に、俺は現場に留まり続けた。

 

「タムラ、君は現場(フィールド)に向いている」

 

 その言葉は、『もう出世させない』という意味だと悟った時、何かが折れた。現場主義を貫いた自分が間違っていたのか。家族を持たず、私生活を犠牲にしてまで組織に尽くしてきたのに。

 

 そんなとき、民間軍事コングロマリットとして知られる「エイペックス社」のエージェントが接触してきた。

 最初は警戒したが、奴らの提案は魅力的だった。「機密情報を渡せば破格の報酬」。昂ぶるプライドと焦燥が、国家機密をキャッシュへと変換させた。

 初めての取引は、銀座の高級クラブの個室だった。窓の外は夜景。テーブルの上には高級ウイスキー。エイペックス社のエージェントを名乗る男は洗練された紺のスーツを着ていた。

 

「タムラさん、あなたのような人材が報われないのは、社会の損失です」

 

 奴はそう言って、G細胞の保管方法についての資料と引き換えに、小さな封筒を差し出した。手に取るとずっしりとした重み。開けると束になった札束。生まれて初めて見る大金だった。

 

「これは前払いです。もっと重要な情報には、もっと相応の対価をお支払いします」

 

 最初の大金を手にした時の興奮は今でも覚えている。

 銀座のペントハウスを借り、高級車を乗り回し、名の知れたレストランで豪遊した。長年の不満や怒りを贅沢で埋め尽くした。クラブの女性たちにモテた。かつては見向きもされなかった種類の女が、財布の中身を見せた途端に色目を使ってきた。

 ある日、高級時計店で無造作に百万円の時計を買った。そのとき店員が見せた尊敬のまなざしに、胸が熱くなった。「誰かに認められたい」という欲求が、ようやく満たされた気がした。それまでの人生で味わったことのない優越感だった。

 地下格納庫のG細胞サンプルの保管方法から、怪獣出現時の防衛システムの起動序列まで、あらゆる情報が金になった。次々と機密を売り渡した。

 しかし、豪奢な生活は麻薬のように短く、すぐに慣れてしまう。

 満足できなくなると、もっと価値のある情報を、もっと高額な金をと、坂を転げ落ちるように堕ちていった。

 

 そして、ある日突然、全てが崩れた。

 

 Gフォース監査部の内偵が始まり、情報漏洩が発覚。エイペックス社との接触も浮上。俺は一夜にしてお尋ね者となった。連絡を取ったエイペックス社のエージェントは冷たく切り捨てた。

 

「すべてはあなたの問題です」

 

 偽名と潜伏の日々が始まった。

 高級ホテルから安宿へ。贅沢料理から缶詰へ。友人も、恋人も、全てを失った。唯一残ったのは罪悪感と、毎晩訪れる悪夢だけ。逃亡中、何度か怪獣出現のニュースを見た。かつての同僚たちが必死に戦っている姿に、言いようのない後悔が押し寄せた。

 そして資金が底を突いたとき、自首を決意した。塀の中でも、このままよりはマシだ。南洋の隠れ家から本土行きの小型貨物船に乗り込んだ。

 ――その途中、嵐、遭難、そして今に至る。

 

 

 

 

 これは天罰か、単なる不条理か。声に出してみた。

 

「これは報いなのか」

 

 ゴジラの瞳に映る自分は、小さく、哀れで、罪深かった。かつて尊敬していたベテラン隊員が言っていたことを思い出す。「怪獣と対峙した時、人間は自分の小ささを知る。それが恐怖の本質だ」と。

 砂浜に横たわる自分の影。その小ささ。国家も、組織も、金も、プライドも、こいつの前では無意味だ。神話の登場人物になったかのような非現実感がある。

 記憶の断片が押し寄せる。

 上官の冷たい笑顔。「タムラ、君はフィールドに向いている」

 その言葉の裏に隠された「もう出世はない」という意味を察した瞬間の虚無感。

 エイペックス社のエージェントがバーで囁いた「情報と引き換えに、新しい人生を」という甘い誘惑。

 最初の大金を手にした時の背徳的な快感と、次第に深みにはまっていく自分。

 そして、ある朝のニュース。「G細胞関連の機密情報漏洩事件が発覚」……。

 

 ……思えば、全ては自分のプライドから始まった。評価されない怒り、単なる歯車ではない証明。結局、「自分は特別だ」と示したかっただけなのかもしれない。

 

「はは……」

 

 乾いた笑いが零れる。

 そんな俺の愚かしさが、この島に、この偉大なるキングオブモンスターの前に俺を連れてきたのか。神は存在するのか。それとも、これは単なる理不尽な偶然なのか。

 他方、ゴジラは微動だにしない。その巨大な胸が上下するのが見え、息遣いが聞こえる。生きているのだ。本物なのだ。

 

「これは報いか……?」

 

 そう呟いた刹那、ゴジラがふと空を仰いだ。俺も反射的に青空へ視線を逸らす。雲と、遠くに一羽のアジサシが飛んでいた。いつの間にか鳥が戻ってきていたのか。

 ……しまった、思わず視線を外してしまった。慌てて再びゴジラを見た時だった。

 

 

 ゴジラはもういなかった。

 

 

 ゴジラは姿を消していた。霧のように、夢のように、爪痕も足跡も残さず。さっきまであれだけの巨体が、どこにも見当たらない。ゴジラごと時間が飛んだかのようだ。

 

「……は?」

 

 睨み合いは不条理に始まり、同じように不条理に終わった。

 俺の心の中に虚無感と解放感、そして困惑が入り混じる。ぎゃあぎゃあ、と島の奥から生き物の鳴き声が聞こえ始めた。生命の音が戻ってきた。ようやく時間が再び動き出したようだった。

 誰にともなく、俺は訊ねた。

 

「……なんで? どうして?」

 

 答えはない。

 波の音だけが残された浜辺で、俺は傷ついた足を庇いながら立ち上がった。傷口から砂を払い、裂けたシャツの裾で簡易的に包帯を作る。膝の傷が痛む。

 しかし、それは俺がまだ生きているという証だった。

 その場に立ち尽くしながら、ゴジラが再び現れないか確かめようと振り返ってみた。しかし、そこにはただ静かな潮騒の音だけが聞こえるばかりだ。

 

「……あれは一体何だったんだ」

 

 ……それはたった1分間、60秒ほどの出来事でしかなかった。ショック症状による神秘的な体験か、それとも頭を打ったことによる幻覚だったのか。

 いや、幻ではない。証拠とばかりに、先ほどゴジラが撃墜したドローンの残骸が砂浜に散らばっている。そうだ、あれは現実だ。

 ならばゴジラはなぜ俺を見つめていたんだ? ゴジラは俺を裁こうとしていたのか。それとも、単に存在していただけなのか。そもそも単なる気まぐれで、最初から俺にそこまでの興味なんて無かったのか。

 わからない、何もわかりはしなかった。

 

 

 やがて島の向こうから、救助隊のヘリコプターの音が近づいてきた。




ゴジラ・The・アート展に行ってきたので書きました。巷でよく「人間が蟻を踏み潰すとき蟻のことなんて気にしていないように、ゴジラが人間を踏み潰すときも人間のことなんて気にしていないだろう」と言う人がいます。でもそれは「人間がもし身長50メートルにスケールアップしたら?」という人間の尺度での話でしかないですよね。ゴジラがもし本当に人間を超越しているのなら、むしろ人間の一人一人を認識しながら踏み潰していてほしい。

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