南極でゴジラを見張ってたらテロリストが来た件   作:よよよーよ・だーだだ

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ハルオ「俺の戦争」前編

 西暦2046年8月15日、午後2時47分。東京の空は血のように赤く染まっていた。

 

 いや、それは比喩ではない。本当に血の色だった。炎と煙と、飛び散った無数の命の色。空気は焼けた鉄と硝煙の匂いで満ち、遠くから聞こえる悲鳴が風に乗って運ばれてくる。

 

「…………っ」

 

 地球防衛軍の対ゴジラ地下要塞GX-7の作戦室で、サカキ=ハルオ大尉は震える手で通信機を握っていた。

 22歳の若い軍人の手は、もはや血と泥にまみれていた。爪の間には瓦礫の粉が食い込み、制服は破れ、左の肩章は熱線の余波で溶けて変形している。

 

「第三防衛線、突破された! 繰り返す、第三防衛線突破! ゴジラは新宿方面に――ギャアアアア!」

 

 通信が途切れた。最後に聞こえたのは通信相手の断末魔。

 また一つ、声が消えた。今日何人目だろう。もう数えるのをやめて久しい。数えることに意味などない。死は数ではなく、一つ一つが大切な人間の命だというのに。

 

 作戦室の大型スクリーンには、リアルタイムで更新される戦況が映し出されている。赤い点が次々と消えていく。それは部隊を示すマーカーだった。一つの点が消えるたびに、数十人から数百人の命が失われる。

 ハルオの胸が締め付けられる。

 

「大尉」

 

 振り返ると、タニ=ユウコ曹長が血まみれの顔で立っていた。

 まだ19歳の少女に過ぎない彼女の頬には、深い傷が走り、軍帽は失われ、美しかった黒髪は埃と血で汚れている。しかし、その瞳だけは死んでいない。まだ希望を失っていない。

 

 ハルオにとって彼女は戦友以上の存在だった。

 恋人ではない。そんな関係を築く時間も余裕もなかった。もっと深い絆で結ばれた、魂の片割れ。

 ユウコがいるから、ハルオは最後まで戦える。彼女の笑顔を守るために、どんな絶望的な戦いにも立ち向かえる。そんな気がしていた。

 

「民間人の避難は?」

 

 ハルオの声は枯れていた。三日間、まともに水も飲んでいない。喉が砂のように乾いている。

 

「第8区域に子供たち300人が……母親たちが離れたがらなくて」

 

 ユウコの声は震えていた。少女が背負うには重すぎる責任。戦場では年齢など関係ない。19歳だろうと、子供だろうと、生きるために戦わなければならない。

 ユウコは一週間前、自分の妹を目の前で失っていた。16歳の少女が、ゴジラの熱線で一瞬のうちに蒸発したのだ。残ったのは、妹が大切にしていた手作りのぬいぐるみだけ。焼け焦げて、原形をとどめていない。

 ユウコはそれを胸に抱いて、一晩中泣いていた。今はもう涙を見せていない。涙は三日前に枯れ果てていた。

 

「時間は?」

「15分……いえ、10分が限界かと」

 

 窓の外で、また爆発音。オレンジ色の炎が夜空を染める。建物が崩れる音、ガラスの割れる音、そして人々の悲鳴。東京が死んでいく音だった。ハルオは窓際に立ち、その惨状を見つめる。

 かつて美しかった東京の街並みは、今やクレーターだらけの廃墟と化している。摩天楼は折れ、道路は陥没し、至る所で火の手が上がっている。空には黒煙が立ち上り、太陽を覆い隠している。これが人類の文明の末路なのか。

 

「アダムは?」

「ここにいます、サカキ大尉」

 

 ハルオの言葉に応じて、金髪の青年が現れた。アダム=ビンデバルト少尉、21歳。ドイツ系アメリカ人で、国際協力協定によって日本に派遣された士官。彼の軍服は泥と血で汚れ、左腕には包帯が巻かれている。昨夜の戦闘で破片を受けた傷だ。それでも、アダムは任務を続けている。

 つい昨日まで「この戦争が終わったら故郷で恋人と結婚するんだ」と笑っていた青年。ポケットには、恋人から送られた写真が大切に保管されている。

 今、その青い目には絶望しかない。

 

「リーランドに連絡しろ。作戦を変更する」

 

 ハルオは地図を見つめた。赤いマークで示されたゴジラの位置。民間人避難区域との距離。計算すると、絶望的な数字しか出てこない。

 

「俺たちが時間を稼ぐ。民間人の避難が完了するまで、あいつを足止めする」

 

 三人は理解していた。これが自殺行為だということを。しかし他に道はない。300人の子供たち、そしてその家族たち。彼らを見捨てることなど、軍人としてできるはずがない。

 

「サカキ大尉」

 

 ユウコが前に出た。少女の顔に、死を恐れない軍人の意志が宿っていた。汚れた顔に浮かぶ決意の表情は、美しくもあり、痛々しくもあった。

 

「それは自殺行為です。わたしたちの装備では」

「わかっている」

 

 わかっている。わかっているからこそ、胸が引き裂かれそうだった。

 この二人を死なせたくない。特に、まだ若すぎるユウコを、そして婚約者が待っているというアダムを。二人にはまだ見せてやりたい世界がある。平和な世界、花が咲き、子供たちが笑う世界を。

 でも、300人の子供たちを見捨てることもできない。ハルオは二人の顔を見回した。そこには恐怖もあったが、同時に強い決意もあった。彼らは覚悟を決めている。

 

「でも、やるしかない。これが俺たちの戦争だ」

 

 アダムが苦笑いを浮かべた。その笑顔には、絶望の中にも希望の欠片があった。

 

「『俺たちの戦争』……いい響きですね、大尉。最後にふさわしい」

「最後なんて言わないで」

 

 ユウコが叫んだ。少女の声に、鋼鉄のような意志が宿っていた。彼女の拳は固く握られ、爪が手のひらに食い込んでいる。

 

「まだ終わってない! わたしたちが守る人たちがいる限り、戦争は終わらない!」

 

 そのとき突然、世界が揺れた。

 激震が要塞を襲い、天井から土砂が雨のように降ってくる。照明が点滅し、赤い警報灯だけが不気味に明滅する。コンクリートの壁にひびが走り、配電盤から火花が散る。

 

「ゴジラです! 真上にいます!」

 

 通信兵の絶叫。モニターには巨大な影が映っている。

 死神が、ついに彼らの真上に立った。地下要塞の厚いコンクリートも、あの化け物の前では紙切れ同然だ。

 ハルオは天井を見上げる。そこには、人類の英知を結集した最強の要塞がある。しかし、今はその要塞が彼らの墓場になろうとしている。

 

「熱線、来ます!」

 

 青白い光が地上を薙ぎ払った。要塞全体が震動し、電気系統の大半が停止する。非常灯の赤い光だけが、まるで血のように壁を染めている。空気が熱く、乾燥し、硝煙の匂いが濃くなる。

 ハルオの耳がキーンと鳴る。衝撃と爆音で鼓膜が損傷したのだ。視界も霞んでいる。しかし、意識ははっきりしている。まだ戦える。まだ守るべき人たちがいる。

 

「出口は?」

「崩落!メインルートは完全に封鎖されました!」

 

 絶望的な報告。しかし、ハルオは諦めない。諦めれば、すべてが終わる。300人の子供たちが死ぬ。

 

「非常用シェルターは?」

「第7区画の医療ベイが……しかし電力が」

「構わない。全員、そこに向かえ」

 

 廊下を走る。ユウコが前を、アダムが後ろを。ハルオは真ん中で、二人を守るように。足音が響く。荒い息遣い。心臓の鼓動。生きている証拠。

 

 後ろからゴジラの咆哮が響く。この世の終わりのような、絶望的な雄叫び。それは怒りの声なのか、悲しみの声なのか。ハルオには判断がつかない。ただ、その声を聞くたびに、背筋が凍る想いがした。

 

 

 医療ベイは地下深くにあった。

 負傷兵の緊急処置を行う施設。自動医療システムが稼働し、青白い光が機械的に点滅している。清潔な白い壁、整然と並んだベッド、最新の医療機器。戦争の喧騒とは対照的な、静寂な空間だった。

 

 しかし、その静寂は長くは続かなかった。

 

 その時、天井が崩れ始めた。ゴジラの重量に耐えきれなくなった構造体が、ついに限界を超えた。巨大なコンクリートの塊が、まるでスローモーションのように落下してくる。

 

「危ない!」

 

 ユウコがハルオを突き飛ばした。

 時間が止まったように感じられる。ユウコの手が自分の胸を押す感触。彼女の目に浮かぶ決意。そして、恐怖。アダムが振り返る表情。彼らが瓦礫の下に消えていく光景。

 ユウコとアダムは、瓦礫の下敷きになった。

 

「ユウコ! アダム!」

 

 ハルオは必死に瓦礫を掘った。血まみれの手で、爪が剥がれるまで掘り続けた。指先が切れ、骨が見えるまで掘った。しかし、コンクリートの塊は重く、一人では動かせない。

 その時、大きな破片がハルオの頭部を直撃した。

 視界が真っ白になり、意識が遠のく。血が額から流れ、目に入って滲む。立っていることができず、膝をつく。

 

「ハルオ……せんぱい……」

 

 かすかな声。ユウコだった。少女の声が、だんだん小さくなっていく。

 

「生きて……必ず……約束して」

「ユウコ、しっかりしろ!」

 

 ハルオは叫んだ。声が枯れている。喉が裂けそうだ。しかし、叫ばずにはいられない。

 

「わたしたちの分も……生きて……私、ハルオ先輩のこと……」

 

 その先の言葉は、永遠に聞くことができなかった。ユウコの声は静寂の中に消えていった。

 アダムの手が見えた。血まみれの手が、何かを握っている。

 恋人の写真だった。ドイツの小さな町で撮られた、幸せそうな二人の写真。

 

「大尉……僕の婚約者に……伝えてください……愛していたと」

「アダム!」

 

 しかし、返事はない。二人の戦友は、ハルオの目の前で命を落とした。19歳と21歳。まだ人生これからの二人が。まだ見たことのない世界があった二人が。

 ハルオの意識が薄れていく。致命的な頭部外傷。大量の血液が失われている。このままでは死ぬ。ユウコとアダムの後を追うことになる。

 その時、医療ベイの緊急システムが作動した。

 

〈重篤患者検出。緊急低温療法を開始します〉

 

 機械的な音声が響く。感情のない、冷たい声。

 自動医療システムが、ハルオの生命維持のために緊急低温保存を開始したのだ。2046年現在、未だなお実験的治療法だったが、致命傷の患者を一時的に保存し、将来の医療技術による治療を待つシステムだった。

 ドローンがハルオの身体を運び、保存装置がハルオを包み込む。冷たい霧が立ち上り、体温が急速に下がっていく。意識が朦朧とする中で、ハルオは最後の力を振り絞って誓った。

 

「ユウコ、アダム……待ってろ。必ず……必ず……」

 

 意識が遠のいていく。しかし、心の奥底では炎が燃え続けている。復讐の炎。正義の炎。

 

(これは俺たちの戦争だ。俺が、必ず終わらせる)

 

 医療ベイの保存装置がハルオを包み込む。彼の生命は、未来の技術による救済を待つことになった。

 そして、暗闇。長い眠りが始まった。

 

 

 6月7日、午後9時43分。

 ハルオの瞼が開いた瞬間、彼を迎えたのは青白く光る天井と、聞いたことのない美しい音楽だった。

 

 それは音楽というより、宇宙の調和のような響きだった。風の音、水の流れ、鳥のさえずり、どれも人工的に合成されたもののようで、完璧すぎる美しさがかえって不気味だった。

 ……体が氷のように冷たい。

 しかし、不思議なことに筋肉に痛みはない。それどころか、まるで何かが体を修復してくれたかのような感覚。細胞の一つ一つが新生したような、清々しい感覚があった。

 意識ははっきりしていた。長い眠りから覚めたとは思えないほど、頭脳は明晰だった。そして、最初に頭に浮かんだのは――

 

「ユウコ……アダム……」

 

 かすれた声で名前を呼ぶ。喉は乾燥しているが、痛みはない。唇も割れていない。一体、どのような治療を受けたのだろうか。

 すると、光る白衣を着た人物が現れた。その人物の周囲には、虹色の光が踊っている。ホログラムなのか、それとも何か別の技術なのか。

 

「……お目覚めになりましたね。私は主治医のミヤガワです」

 

 40代ほどに見える顔だが、どこか人工的な美しさがある。

 肌は完璧で、皺一つない。目は深い青色で、瞳孔の奥で小さな光が明滅している。明らかに人間ではない。

 ホログラムの補助画面が周囲に浮遊している。数値や図表、三次元の人体モデルが空中に表示され、ハルオの生体データをリアルタイムで監視している。

 

「ここは……どこだ」

 

 ハルオは身体を起こそうとした。驚いたことに、体は軽々と動く。筋力の衰えを感じない。それどころか、目覚める前の22歳の時よりも体調がいい。

 

「新東京大学統合医療センターです。ご安心を。あなたは完全に健康です」

 

 新東京? 統合医療センター? 聞いたことのない名前だった。

 ハルオは周囲を見回した。そこは病室というより、宇宙船の内部のような空間だった。壁は白く光り、触れると暖かい。床は透明で、その下を光の粒子が流れている。天井は存在せず、上空には星空が広がっている。しかし、それが本物の空なのか、映像なのかは判断がつかない。

 ……そうだ! すぐさまハルオは叫んだ。

 

「作戦は! 作戦は成功したか!? ゴジラは!?」

 

 声が部屋中に響く。反響はない。壁が音を吸収しているようだった。

 医師が困惑した表情を浮かべる。背後のホログラム画面に、ハルオの心拍数や脳波データが表示される。興奮状態を示す赤い数値が点滅している。

 

「落ち着いてください。あなたは非常に長い間眠っていたのです」

「どのくらいだ」

「それは……」

 

 逡巡しつつも、医師はハルオに告げた。

 

「54年です」

 

 咄嗟に言葉の意味が理解できなかった。54年? 半世紀以上?

 ハルオは立ち上がり、窓に向かった。その窓は、触れると透明度が変化し、外の景色を鮮明に映し出した。

 

 そして、窓の外を見て、ハルオは世界が完全に変わったことを知った。

 

 空中に浮遊する都市群。それは巨大な結晶のような構造物で、虹色に輝いている。透明なチューブの中を光の粒子が流れ、人々が空中を移動している。しかし、その人々の姿は、ハルオの知る人間とは異なっていた。

 建物は生きているかのように形を変え、呼吸をしているようにゆっくりと脈動している。屋根からは緑の蔦が垂れ下がり、壁には花が咲いている。都市全体が一つの巨大な生命体のようだった。

 空には人工太陽が輝いている。複数あり、色とりどりの光を放っている。真昼なのに星も見え、その星座は見たことのない配置をしていた。

 地上には巨大な森林があり、その中に美しい建造物が点在している。森と都市が完全に融合し、境界線が存在しない。自然と人工物が調和した、まるで楽園のような光景だった。

 そして……

 

「あれは……」

 

 森の中に、ゴジラがいた。一体ではない。数十体の大小様々なゴジラが、人間たちと共に都市を建設している。

 ゴジラが建物を持ち上げ、人間がそれを誘導している。小さなゴジラの子供が、人間の子供と一緒に遊んでいる。大人のゴジラが、人間に何かを教えているようにも見える。

 

「嘘だ……これは夢だ……」

 

 ハルオの膝が震えた。この光景は、あまりにも現実離れしている。ゴジラと人間が共存している? あの化け物が、人間と一緒に暮らしている?

 

「……サカキ大尉、これが西暦2100年の新しい地球です」

 

 医師の声が遠くから聞こえる。新しい地球? 地球が変わったのか?

 

「戦争は……50年前に終わったのです」

「終わった? 勝ったのか? ゴジラを倒したのか?」

 

 ハルオの言葉に、医師は答えられなかった。医師の背後で、ホログラム画面が明滅している。複雑なデータが表示されているが、ハルオには理解できない。

 問いに答える代わりに、医師はこう答えた。

 

「それは……明日、詳しく説明します。今は休んでください」

「今すぐ説明しろ! 俺の部下は? ユウコとアダムは!?」

 

 ハルオは医師の肩を掴んだ。しかし、その手は相手をすり抜けた。ホログラムだったのだ。

 

「申し訳ありません。あなた以外の生存者は……確認されていません」

 

 ハルオは壁に拳を叩きつけた。壁は衝撃を吸収し、暖かい光で反応する。痛みはない。

 

「俺だけか……俺だけが残ったのか……ユウコやアダムが死んで、俺だけが54年も生きているのか……」

 

 その夜、ハルオは一人で窓際に立った。

 外では新地球の夜景が幻想的に光っている。人間とゴジラが共に暮らす、想像を絶する世界。街の灯りは星のように瞬き、空中都市は雲のように浮遊している。

 音楽が聞こえる。遠くから流れてくる、美しいメロディー。人間の声とゴジラの声が混じった、不思議なハーモニー。それは平和の歌なのか、愛の歌なのか。

 

 しかし、ハルオの目には2046年の燃える東京が重なって見えた。瓦礫の下敷きになったユウコとアダム。血まみれの手。最後の言葉。すべてが昨日のことのように鮮明だった。

 ユウコとアダムの言葉が耳に蘇る。

 

『『俺たちの戦争』……いい響きですね、大尉。最後にふさわしい』

『まだ終わってない! わたしたちが守る人たちがいる限り、戦争は終わらない!』

 

 ……そうだ、まだ終わっていない。

 続けて浮かぶ、少女の途切れた想い。

 

『わたしたちの分も生きて』

 

 その言葉に、ハルオは独り言ちた。

 

「54年も生きてしまったよ、ユウコ……でも、これは俺たちが守ろうとした世界なのか?」

 

 そしてハルオは拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込み、血がにじむ。

 けれどその傷もすぐに癒えていく。この未来の技術によって。

 

 

 6月8日午前10時。政府施設の会議室で、ハルオは54年という時間が作り出した現実と向き合うことになった。

 

 その会議室は、2046年を生きていたハルオの知るどの建物とも異なっていた。床は透明で、その下には宇宙空間が広がっている。

 いや、それは映像なのかもしれない。星々が静かに回転し、銀河が渦巻いている。壁は存在せず、代わりに光のカーテンが空間を仕切っている。

 

 椅子も机も、触れた瞬間に最適な形に変化する。まるで生きているかのように、ハルオの体型に合わせて調整される。その感触は暖かく、包み込まれるような安心感があった。

 

「私は統合政府のヤグチ=ランドウです」

 

 30代後半の日本人男性が深々と頭を下げる。整った顔立ちで、政治家らしい落ち着いた雰囲気を漂わせている。

 しかし、よく見ると肌が微かに光っており、血管が青く透けて見える。明らかに遺伝子治療を受けている。目は通常の黒だが、時折金色に光る瞬間がある。

 

「まず、この54年間の経緯を説明させていただきます」

 

 ヤグチの言葉に合わせて、空中に立体ホログラムが表示された。それは年表だったが、文字ではなく映像で構成されている。まるで映画を見ているような、リアルな再現映像だった。

 映像にはこうある。

 

2046年8月15日:最後のゴジラ戦闘

2047年3月20日:人類・ゴジラ停戦協定締結

2050年:ゴジラ細胞医療技術開発開始

2055年:ゴジラ・人類共生プロジェクト開始

2065年:ゴジラ細胞による人類の生命進化開始

2070年:ゴジラ・人類統合文明樹立

2085年:新地球統合政府設立

2100年現在:ゴジラ=ヒューマン複合種族社会

 

「統合文明?」

 

 ハルオの声は震えていた。手のひらに汗がにじむ。心臓の鼓動が早くなる。

 

「複合種族? 何の……冗談だ」

「冗談ではありません。映像をご覧ください」

 

 画面に2047年3月20日の映像が流れる。東京湾から現れるゴジラ。しかし、54年前の凶暴なゴジラとは違っていた。動きがゆっくりで、穏やかだった。攻撃してこない。巨大な手に何かを持っている。

 その映像は高解像度で、細部まで鮮明に映っている。ゴジラの目に涙が浮かんでいるのが見える。その表情は、悲しみに満ちていた。

 

「これは……」

「戦死した兵士たちの認識票と遺品です。ゴジラが海底から回収し、一つ一つ丁寧に政府に返還したのです」

 

 映像が切り替わる。認識票の山。一つ一つがきれいに洗われ、丁寧に並べられている。その中に、見覚えのあるものがあった。

 

「ユウコの……」

 

 タニ=ユウコの認識票。血で汚れていたはずなのに、きれいに磨かれている。54年の時を経ても保存されていた。彼女の最後の証。

 

「アダムの分も……」

 

 アダム=ビンデバルトの認識票と、恋人の写真。写真も大切に保護されている。彼が最後に握りしめていたもの。

 ハルオの目に涙が浮かぶ。54年ぶりの涙だった。

 

「……ゴジラは、戦争を終わらせたがっていたのです。そして、人類との真の共存を望んでいました」

 

 続いて流れる映像。署名式の光景。それは単なる協定書ではなかった。人類とゴジラが、種族の壁を越えた統合を誓う儀式。

 ゴジラが巨大な爪で、丁寧に自分の名前を刻んでいる。その動作は慎重で、一画一画に心を込めているようだった。人間の代表者たちも、緊張した面持ちで見守っている。

 

「種族統合? あいつが種族統合?」

 

 ハルオは立ち上がった。椅子がその動きに合わせて形を変える。

 

「嘘だ! あいつは化け物だ! 大勢の人を殺した怪獣だぞ!?」

「大尉、お気持ちはわかりますが」

「わかるわけがない! お前たちには何もわかっちゃいない!」

 

 ハルオの声が会議室中に響く。音は不思議なことに美しく響いた。この部屋の音響システムが、どんな音でも美しく調整するようだった。

 

「俺は見たんだ! ユウコが死ぬところを! 婚約者が待ってるはずのアダムが血を流すところを! 50万人が焼かれるところを!」

 

 ……それなのに。ハルオは叫んだ。

 

「統合? 種族融合だと!? 冗談じゃない!!」

 

 ハルオの目の前に、新たな映像が表示される。現在の新地球統合都市。人間とゴジラが完全に融合した社会。

 ゴジラが人間の子供たちに高等数学を教えている。黒板に巨大な爪で方程式を書き、子供たちが熱心にノートを取っている。ゴジラの声は優しく、子供たちは恐怖を感じていない。

 人間がゴジラの幼体に芸術を教えている場面。小さなゴジラが絵筆を持ち、キャンバスに絵を描いている。その絵は抽象的だが、美しい色彩で満ちている。

 そしてその中に、一際異様な子供が混じっていた。一見すると人間に見えるが、背鰭や尾のようなものが見える、そしてその背鰭は……

 

「ゴジラの背鰭……!?」

 

 ハルオの声は絞り出すようだった。

 愕然とするハルオに、ヤグチが気まずそうに口を開く。

 

「……はい。現在、地球生命体の60%がゴジラ=ヒューマン複合種族です。我々は新たな進化段階に到達しました」

 

 そう言ってヤグチは空中に新たな映像を表示した。

 

「これはゴジラ細胞医療技術の開発過程です。2050年、停戦後にゴジラから提供された細胞を研究した結果、驚異的な発見がありました」

 

 映像には研究室の様子が映る。科学者たちがゴジラの細胞を分析している。

 

「ゴジラ細胞は単なる生物細胞ではありませんでした。それはアーキタイプ因子、生命エネルギーそのものを操作する、高次元の存在だったのです」

 

 アーキタイプ因子、という言葉にハルオは聞き覚えがあった。

 たしかゴジラ細胞を筆頭に、怪獣の細胞から共通して発見された高次元分子のことだ。2046年時点では謎に包まれていたが、54年の歳月はそれを解析していたようだった。

 ヤグチは説明を続けた。

 

「最初は病気の治療に使われました。癌、老化、遺伝病……すべてがゴジラ細胞によって治癒可能になりました。しかし、副作用として……」

 

 映像が切り替わる。治療を受けた人間の変化過程。肌が微かに光り、身体能力が向上し、寿命が飛躍的に延びている。

 

「人間の生命そのものが変化を遂げたのです。ゴジラ細胞と融合した人類は、病気に罹らず、老化が止まり、超人的な能力を得ました。そして数世代を経て……」

 

 最新の映像。人間とゴジラの特徴を併せ持つ子供たちが生まれている様子。

 

「完全な融合種族が誕生したのです。彼らは人間の知性とゴジラの力、そして両方の想いを受け継いでいます」

 

 画面には統計が表示される。54年間での科学技術の飛躍的発展、死の根絶、意識の永続化、宇宙への進出、平行次元への到達。数値やグラフが次々と表示され、人類の進歩を示している。

 

「……進化? 進化だと? 化け物に成り果てて、これが進化か!?」

 

 ハルオは画面を殴ろうとした。拳は空を切る。ホログラムだった。

 

「ゴジラ細胞で人間を改造しただけじゃないかっ! それが進化だと? ふざけるな!」

「改造ではありません。治療から始まった自然な進化です」

 

 ハルオは膝をついた。あまりの衝撃に、立っていることができない。ゴジラ細胞で変化した人類。それはもう人間と呼べるのか。

 ハルオは振り返った。その目には、狂気にも似た光があった。

 

「俺の戦友たちは何のために死んだ? ユウコやアダムは何のために命を捨てた? 54年という時間は何だったんだ? 答えろ!」

「大尉……」

 

 ヤグチは深くため息をついた。その息には、54年分の重みがあった。

 

「……時代は変わったのです。54年という時間は、世界そのものを変えました。私自身も15年前にゴジラ細胞治療を受け、政治家として国民に尽くすためより長い寿命と健康を得ました」

 

 ヤグチは自分の手を見つめた。その手は若々しく、血管が青く光っている。

 

「これは改造ではありません。人類の自然な進化の過程です。ゴジラとの戦争から始まり、和解を経て、ついに統合に至った。歴史の必然だったのです」

「変わった?」

 

 ハルオが笑った。冷たく、絶望的な笑い。

 

「……俺は変わっていない。54年前と同じだ」

 

 その日の午後、ハルオは精神科の診察を受けることになった。

 

 

 ハルオを診察した精神科医、ヤマネ=サトミ医師は外見上35歳の女性だった。

 その瞳には54年分の知識と経験が宿っており、明らかに人工的に延命されている。肌は陶器のように滑らかで、髪は絹のように美しい。しかし、どこか人間らしさが欠けているようにも感じられた。

 

 診察室は、森の中にあるような空間だった。床には本物の草が生え、壁には蔦が這っている。天井からは木漏れ日が差し込み、鳥のさえずりが聞こえる。それらすべてが人工的に作られたものだった。

 椅子は大きな木の根でできており、座ると体に合わせて形が変化する。机は透明で、その中に魚のCGが泳いでいる。しかしリアルすぎて、本物と見分けがつかない。

 

「大尉、私の祖父をご存知ですか? ヤマネ・キョウヘイ博士です」

「ヤマネ博士……」

 

 ハルオの表情が和らぐ。懐かしい名前だった。

 

「ゴジラ研究の第一人者ですね。尊敬していました」

 

 ハルオの言葉に、ヤマネ医師は頷いた。

 

「ええ。祖父は54年前、こう予言していました。『ゴジラは敵ではない。我々と共に進化する運命の存在だ』と」

「進化の運命?」

 

 ハルオは首を振った。髪が風に揺れる。この部屋には、人工的な風が吹いているのだ。

 

「違います。あいつは破壊そのものです。俺は戦いました。ユウコとアダムを失った」

 

 ヤマネ医師は空中に資料を表示した。ホログラムの年表が立体的に展開される。それは美しく、まるで芸術作品のようだった。

 

「これをご覧ください。この54年間のゴジラ族の行動記録です」

 

 記録には信じがたい内容が記されていた。アーキタイプ因子を解析したことによる人類の病気の治療、老化の停止、意識の永続化技術の共同開発、宇宙探査、平行次元の発見、死者の意識復活実験……

 映像が次々と流れる。ゴジラが病気の子供を治療している場面。巨大な手で優しく子供を包み、何らかのエネルギーを送っている。子供の顔が健康的な色に戻る。

 ゴジラと人間が宇宙船を建設している場面。宇宙空間で作業をするゴジラの姿。人間とゴジラが力を合わせて、巨大な構造物を組み立てている。

 

「これも演技だというのですか? 54年間も?」

「演技に決まっています! あいつは狡猾だ!」

「では、なぜ? 何のために? 54年も演技を続ける理由は?」

「それは……」

 

 ハルオは答えられなかった。確かに理屈に合わない。54年も演技を続ける意味がない。しかし、心が事実を受け入れることを拒んでいる。

 ヤマネ医師は穏やかに語り掛ける。

 

「……大尉、憎しみを手放すことはできませんか?」

「これは憎しみじゃない」

 

 ハルオは立ち上がった。木の根でできた椅子が、彼の動きに合わせて形を変える。

 

「これは正義だ。死んだ仲間たち、ユウコやアダムのための正義だ」

「正義……では、今のゴジラ族と融合している数十億の人々は間違っているのでしょうか?」

「間違っている! みんな洗脳されている!」

「では、あなただけが正しいと? 54年前の価値観だけが正しいと?」

「そうだ! 俺だけが真実を知っている! 俺だけがユウコを覚えている!」

 

 荒ぶるハルオの言葉に、ヤマネ医師は静かに答えた。その声は、森の中の風のように優しかった。

 

「それは……とても重い責任を一人で背負っておられるのですね。54年という時間を一人で」

 

 一人。その言葉がハルオの胸に深く刺さった。

 確かに、54年前のあの日からずっと一人だった。

 

 

 その夜、病室でハルオはニュースを見ていた。

 それはもはやニュースではなく、意識の共有体験だった。映像を見るのではなく、その場にいるような感覚で情報を受け取る。そういうシステムだ。

 

『明日はゴジラ戦争追悼記念日です。今年は特に、54年前から蘇生されたサカキ=ハルオ大尉を偲んで……』

 

 画面には巨大な記念館が映る。それは美しい建物で、ゴジラと人間が一緒に設計したものだった。そこに、自分の名前が光の文字で刻まれていた。

 

「戦争世代最後の英雄として語り継がれていたサカキ大尉ですが……」

 

 俺は語り継がれていたのか。54年間、伝説として。けれどその伝説は真実とは異なっている。

 続いて流れるのは意識共有インタビュー。人々の思考が直接伝わってくる。

 

『戦争世代の英雄が蘇生されたなんて、歴史の奇跡ですね』

『でも、現代の統合文明に適応できるでしょうか?』

『ゴジラ族は今や人類の一部ですからね』

『54年前の分離意識では理解困難かも』

 

 英雄。戦争世代。54年前の分離意識。

 さらに衝撃的な映像が続く。

 

『ゴジラ=ヒューマン統合記念祭の準備が進んでいます』

 

ゴジラ細胞治療によって進化した新世代の子供たちが、平和の歌を歌っている。彼らは人間の知能とゴジラの生命力を併せ持ち、病気に罹らず、超人的な能力を持つ。人間の美しさとゴジラの神秘性が調和した、新しい生命体。

 

「パパもママもゴジラ細胞治療を受けてるよ!」

「でも僕たちはみんな地球族!」

「戦争なんて昔の話だよね?」

 

 地球族。昔の話。

 子供たちの無邪気な笑顔が、ハルオの心を打つ。彼らに罪はない。彼らは平和な世界に生まれ、愛に満ちた家庭で育っている。

 けれど同時に憤りも感じる。この平和は、ユウコとアダムの犠牲の上に築かれたものだ。それを忘れてはならない。

 ハルオは意識共有装置の電源を切った。もう見ていられなかった。

 

 

 ……枕元の写真立てには、第三対ゴジラ特殊部隊の集合写真があった。

 54年前の古い写真。19歳のユウコと21歳のアダムも笑っている。若い顔、希望に満ちた表情。

 

「みんな忘れてしまったのか? お前たちの犠牲を……54年という時間の重さに押し潰されて……」

 

 ハルオは写真を胸に抱いた。冷たいガラスの感触。しかし、その中に封じ込められた思い出は、まだ暖かかった。

 そして、一つの決意が芽生えた。

 

(俺が思い出させてやる。俺が真実を示してやる)

 

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