南極でゴジラを見張ってたらテロリストが来た件 作:よよよーよ・だーだだ
いつからわたしたちは、こんな時代に生きるようになったのでしょう?
神に向かって一歩、歩み出した日からそれは始まったのかもしれません。
思い出してください、もう一度……
――『ゴジラVSビオランテ』より
わたしと助手はジャングルを駆けていた。
サイボーグ怪獣ガイガンによるビオランテ討伐、その作戦準備を着々と進め始める傭兵たち。出来るかぎりの説得と時間稼ぎを試みたものの相手はプロの戦闘集団、わたしたちごとき素人にどうこうできる問題ではなかった。
説得も時間稼ぎも叶わない、であれば早く知らせなくては、この危機を。傭兵たちの隙を縫ってキャンプを脱出したわたしたちは、暴行を受けたビオランテを連れてビオランテの女王:エリカの住まう湖へと向かった。
湖に到着すると、そこにエリカの姿はなかった。見る者を圧倒したあの身長80メートルの威容、しかしそれは今や影も形も無かった。森のあちこちで見られたビオランテの子どもたちもどこにも見られない。
助手が額の汗を拭いながら口を開いた。
「エリカとビオランテたち、どこに行ってしまったんでしょう?」
「まだそんなに遠くには行っていないはずだ」
初めて謁見したとき、エリカはわたしたちの来訪も先んじて察知していた様子があったことを思い出す。あるいは、わたしたちが知らせるよりも先に危機を察知して逃げてしまったのかもしれない。それだったらいいのだが。
周囲を探していたとき、わたしたちの脳内にテレパスの旋律が響いた。
“よく来てくれた、友よ”
ヴィオロンに似た雰囲気、女王エリカからのテレパス通信だ。エリカは言った。
“事情は把握している。子どもたちは隠した。これで暫く時間も稼げよう”
ならよかった。ビオランテたちの安全が確保されていることを知らされて安堵する。次いでわたしは、どこにいるともわからぬエリカに叫んだ。
「エリカ、あなたも早く逃げた方が良い」
「そうですよ、早く逃げてください! もっと奥へ……」
傭兵たちはまだこの湖のことを知らない。だが連中もプロだ、いずれ到達するだろう。時間がない。
今から逃げたとしてどこまで行けるかはわからないが、このままガイガンと鉢合わせして切り刻まれるよりはマシだ。そのまま逃げて、逃げ続けて、人間なんかには到底手が届かないような秘境にまで逃げてくれたらいい。そして、そこで幸せに暮らしてくれたらいい。
脱出を促すわたしと助手に、エリカはこう呟いた。
“……
なにを言っているんだ、いいから早く逃げるんだ。わたしの警告を聞いているのかいないのか、エリカはぽつぽつと思いの丈を吐き出していた。
“人知れぬこの森の奥で、我が子たちと共に平穏に暮らすことだけが望みだった”
儚げで、遠くを見ているようなエリカのつぶやきは、平和への祈りにも似ていた。
“だが、そうとばかりもいかぬようだ。もっとも、かのゴジラの
……エリカは、自分の出自を知っていたのか。エリカはわたしたちに告げた。
“忠告感謝する、友よ。だが、わたしは運命を受け容れる。キミたちこそ逃げたまえ。せっかく得た友人を争いに巻き込みたくはない”
……まさか。エリカの言葉、その含意と滲み出る覚悟を悟ったわたしは「馬鹿なことを考えるんじゃない!」と声を張り上げた。
「相手は本物の対怪獣兵器だ、戦って勝てる相手じゃない、殺されるぞ!」
懸命に説得を試みるわたしに、エリカは、いつかのように品よくフフと笑いかけながら“わたしを誰だと思っている“と言った。
“我が名はエリカ、この森の権能を統べる女王。そして何よりかのキングオブモンスターの類縁だぞ。むざむざと殺されてやるものか”
隠れていたまえ。そう告げたのを最後に、エリカからのテレパス通信は途絶えた。エリカ、エリカ! わたしたちが呼びかけてもエリカはもう応えなかった。
代わりに、強烈な縦揺れの地響きが、わたしたちの足元を揺らし始めた。
「先生、あれ!」
助手が指差した先、湖の中心部が、まるで沸き立った熱湯のように激しく泡立っている。これから何が始まるというのだろう。固唾を吞んで見守るわたしたちの眼前、湖の沸き立つ中から“彼女”は姿を現した。
獰猛なワニを思わせる顔つき、口内で密集するかのように無数の毒牙を生やした大顎。
全高は目測だが80メートル以上、絡み合うツタの塊で形作られた胴体と、その最奥で赤く脈打つ心臓部分。その周囲では、大蛇のように長い触手が牙を打ち鳴らしながら、本体を守るために防御陣形を組んで、のたうっている。
そして何より背中から頭頂部に掛けて生え揃った、三列の背鰭。これらの特徴から、わたしはかつて見た記録映像のゴジラの姿を思い出していた。まるで植物の部品を切り張りして作ったゴジラのコラージュ、まさに植物のゴジラだ。植物で出来た獣、“植獣形態”とでも言うべきだろうか。
同時に、わたしは直感した。
これこそ女王エリカの真の姿なのだ、と。
ガイガンと戦うための戦闘形態、可憐な花の姿からゴジラそっくりの異形へ変態を遂げたビオランテの女王、エリカ。
ゴジラそっくりの印象は、恐らくビオランテという怪獣の本質を突いているのだろう。そう、ビオランテはゴジラ由来のバイオ怪獣だ。バイオテクノロジーで築き上げられたバベルの塔。ゴジラ細胞という究極の溶媒で融け合わされた、ヒトと植物のパッチワーク。妖精のような可憐な姿とは似ても似つかない、この恐ろしい異形こそが彼女の本質。傭兵隊長の言葉どおり、ビオランテの実態はまさに正真正銘のゴジラなのだ。
……かの怪獣王ゴジラの類縁には似つかわしくない理知的な性格で、森の奥で平穏に暮らすことだけが望みだと語っていたエリカ。その彼女が、可憐な花の姿を失って、植物のゴジラに成り果ててでも、それでも戦おうとしている。彼女自身が“我が子”と呼び慈しんで止まない同族たち、ビオランテを守るために。
植物のゴジラと成り果てたビオランテの女王:エリカが咆哮を挙げる。その声はかつてのゴジラのように獰猛であり、同時に悲痛でもあるようにわたしには思えた。
エリカの変貌を眺めていたわたしたちの背後で、金属音に似た咆哮が轟いた。金属とギアのこすれ合う耳障りな騒音、甲高い雄叫び。振り返れば、“ヤツ”の姿が見えた。
両腕のチェーンソーと胴体の振動カッターから照り返される冷徹な金属光沢と、赤いサングラス状のゴーグルが放つ血に飢えた赤い眼光。
残忍な殺し屋サイボーグ怪獣:ガイガン=ミレース改が、傭兵たちの乗ったヘリを引き連れて、ジャングルの木々を蹴り倒しながらわたしたちのいる湖へと向かってくるのが見えた。
ガイガンを視認した女王エリカ、バイオテクノロジーの大怪獣ビオランテが吠える。再び大地が揺れ始めた。ビオランテの周囲、足元の地盤が隆起して根こそぎ掘り返されて、湖の底から強靭な根が姿を現す。イカやタコのような頭足類の触手さながら、ビオランテはその根を足代わりに“立ち上がった”。
森全体に地響きを轟かせながら、ビオランテは猛烈な突進を開始する。まるで山ひとつが立ち上がって進撃するかのごとき大迫力、傍で見ていたわたしたちが思わず圧倒されてしまうほどであった。
ガイガンの方もビオランテを認識し、自身へ迫り来るビオランテに対して迎撃の構えを見せた。両腕のチェーンソーと胴体の振動カッターが唸りを上げて火花を散らす。ガイガンもまたビオランテへと突撃する。
ビオランテとガイガン。片やバイオテクノロジー、方やサイボーグ。人の手で改造され、生み出された二大怪獣が組み打つ。その衝撃は一帯へと轟き渡り、バル・ベルデのジャングルの大気を大きく揺るがした。
……このままではエリカが死んでしまう。救わなければ。わたしと助手は、走った。
一旦キャンプへ戻ったわたしたちが必要な機材をいくつか回収して、再び戦闘現場へ戻った頃には、ビオランテとガイガンの戦闘は佳境に入っていた。
戦いは、ガイガンの方が優勢のように思えた。かつてデューテリオスを切り刻んだ強酸のウォーターカッターは、ガイガンの装甲には通用しない。無尽にくねる触手たちも、ガイガンのチェーンソーと振動カッターでバッタバッタと切り倒されてしまう。
触手を切り飛ばされて無防備になったビオランテ。そのとき、頭上で滞空しているヘリコプターから、傭兵隊長の号令が聞こえた。
「やっちまえガイガン、ギガリューム・クラスターだ!」
その号令を受けると同時、ガイガンのサングラスが一際強くフラッシュしたかと思うと、ビオランテの周囲で爆発が起こった。拡散光線ギガリューム・クラスター、その破壊力は高層ビルを一本軽々と粉砕するほどだという。
ゴジラほど頑強な肉体を持たないビオランテはひとたまりもない。爆発は火炎へと変わり、ビオランテの全身を焼き始める。ビオランテは燃え移った炎を消そうと触手をくねらせるが、ガイガンは容赦なくギガリューム・クラスターを幾重も撃ち込んでゆく。
ビオランテの全身が猛火に包まれ、ビオランテの痛々しい悲鳴がジャングル全体に響き渡る。
植物のゴジラ、バイオテクノロジーの大怪獣ビオランテ。敢え無く最期を迎えるかのように思えた。
だが、このまま死なせるわたしたちではない。
「先生!」と助手が促し、わたしは頷いて
鋭いハウリングが響き、強烈な高音がボルテージを上げて、遂には人間の可聴域をも超えて、人間の耳には聞き取れないものとなる。
効果は即座に現れた。影響が出たのはガイガンだ。ぶるぶるがくがくとその場で痙攣したかと思うと、苦悶の唸り声を挙げながら体をくねらせ、先ほどの攻勢から一転、ビオランテから後ずさってのたうち回り始めた。
その様子を見ていた助手が声を弾ませて言った。
「やりましたね、先生!」
「ああ」
わたしが使ったのは〈オルカ=システム〉だった。
ガイガンの生体音をベースに即席で作った強烈な不快音を、ガイガンめがけて爆音で流す。先にガバラを追い払うために利用したオルカ=システム、こいつにはこんな使い方もあるのだ。
そして人間と怪獣では音の可聴域が異なる。わたしたち人間にはちょっと耳を突く程度でしかなくとも、怪獣ガイガンにとってはこの上なく耳障りな音であるはずだ。それも冷静な戦闘を続けていられないほどに。
「どうしたガイガン!? ビオランテを殺せ!!」
頭上の指揮ヘリから傭兵隊長がガイガンに向かって怒鳴っているが、ガイガンの耳には入っていないようだった。
先ほどまでの冷酷無慈悲な殺し屋っぷりはどこへやら、ガイガンはもはやビオランテとの戦闘どころではなくなっているようだ。混乱とパニックそのままに、めくら滅法に両腕のチェーンソーを振り回し、木々を蹴り倒して、その場に躓いたガイガンは頭から引っ繰り返ってしまった。
そんな好機を、ビオランテの女王エリカは見逃さなかった。全身を焼かれ、膾に裂かれながら、それでも残った力を振り絞って触手を束ね、尖らせて即席の槍にすると、渾身の力でガイガンへ突き立てる。
ガイガンは、ようやく姿勢を整えて立ち上がったところだったが、その顔面を、ビオランテ手製の鋭い槍で刺し貫かれることとなった。響き渡る鋭い金属音。ゴジラの皮膚さえも貫きそうな強烈な刺突が、ガイガンの赤いサングラス状の義眼を砕きながら頭蓋を貫通、そのままガイガンの頭を内側から引き裂く。
いくらサイボーグ怪獣ガイガンといえども、頭を潰されてしまえば流石にどうにもならない。凶悪なチェーンソーの腕をだらりと垂らし、身悶えしながらその場で膝をついて崩れ落ちてゆく。
やった、勝った! わたしと助手はその場でガッツポーズを決めた。
その油断が良くなかった。
死に間際にガイガンは胸部装甲を開き、丸鋸状の回転カッターを発射した。最後の悪足搔き、いわゆる最後っ屁という奴だったのだろう。高速で飛び回る回転カッター:ブラデッドスライサーはエリカの喉笛を深々と切り裂き、さらに勢いそのまま、わたしたちのいる方へと飛んできた。
「危ないッ!」
わたしは咄嗟に助手を突き飛ばした。自分も身を躱そうとしたが、間に合わなかった。
……一瞬だったろうか、それとも数分だったろうか。強烈な衝撃と共にその身を宙へ投げ出され、わたしは意識を失った。
「――――先生、先生!」
気が付くと、わたしは助手に抱きかかえられていた。
見上げた助手の顔、その両目には大粒の涙が浮かんでおり、わたしへ呼びかける表情はまるで死に物狂いで悲痛だ。
視線を横にずらしてみると、頭を潰されて完全に機能停止したガイガンと、全身を紅蓮の猛火に包まれているビオランテの女王エリカの姿が見えた。
女王エリカはいよいよ最後を迎えていた。鮮やかな緑色の植獣形態の威容は今や焼き尽くされてすっかり炭化し、遂には生命の息吹をかき消されたように力なく崩壊してゆく。
今際の際に、女王エリカはこんな言葉を遺していた。
“我が子たちのことを、どうか……”
それを最後に女王エリカは、金色の塵となって崩れて消えてしまった。
……バイオテクノロジーで創り上げられたバベルの塔、ビオランテの崩御。バベルの塔の神話において、バベルの塔は神の怒りに触れて破壊されたが、そのときの人々もあるいはこんな光景を目にしていたのだろうか。わたしはぼんやりとそんな風に思った。
「先生、先生!」
「ん、ぐ、ごほ……が……!」
周囲の状況を理解したあと、わたしの腹部を桁違いの苦痛が襲ってきた。腹部が灼けるように熱く、苦しく、そして痛い。体内から温かいものがどくどくと流れ出る一方で、全身が奥底から冷たくなってゆく感覚があった。
助手が涙声で叫んだ。
「先生、しっかりしてください、先生!!」
……すまん。そう伝えたかったが、声が出なかった。
そのとき、周りの森の繫みからガサガサと音がした。ぼやけてゆく視界で捉えたのは、ビオランテたちだった。
案内係として研究所まで連れて行ってくれたビオランテ、給仕係として美味しいフルーツをふるまってくれたビオランテ、その他大勢、森の各地から集まってきたビオランテたちが草むらから次々と姿を現した。エリカの迅速な判断とわたしたちの機転が功を奏したのか、ビオランテたちはガイガンの猛威から命からがら逃げ延びてくれていたようだ。
……良かった、そう思った。生まれたばかりの新人類:ビオランテの行く末を見届けられないのは正直研究者として残念ではあったが、まあそれは助手が引き継いでくれるだろうし、少なくともこの場を守り抜くことができただけでも御の字だろう。
現れたビオランテたちのうち一人――最初に出会って女王エリカと引き合わせてくれたビオランテが、わたしたちに訊ねた。
「……せんせい、しんじゃうの?」
助手もわたしも答えられなかった。それを答えたら本当に死んでしまう、そう思っているかのように助手は口をぎゅっと固く結んで答えなかった。わたしはというと返事くらいはしてやりたかったが、唇が微かに動かせるだけで言葉にならなかった。
そう、わたしはもう助からない。きっとこのまま死ぬのだろう。ビオランテに言われて、わたしは改めて自覚した。
……いやだ、死にたくない。そう思った。
つい先刻『この場を守り抜くことができただけでも御の字』だなんて殊勝なことも思ったが、やはりそれは嘘だ。助手のことも心配だし、ビオランテたちの行く末だって見届けたい。
何よりわたしは、この世界のことをまだ何も知らない。この世界には、ビオランテのような神秘がまだ残っているかもしれないじゃないか。それも知らないまま死ねるわけがない。ふざけるな。思考がまとまらない中、わたしは生きたい、と願った。
その様子を見つめていたビオランテは、仲間同士で目配せを飛ばし合い、何らかの合意をとったかと思うと、意を決した様子でこう言った。
「せんせい、たすける」
それと同時に、わたしは意識を手放した。
わたしがふたたび目を覚ましたとき、無数の花々に埋もれていた。
いや、花々ではない。そう見えたのはビオランテたちだ。茣蓙の上に寝かされたわたしを取り囲みながら、皆一応にわたしの様子を見守っている。
身を起こしたわたしへ、ビオランテの他にも即座に反応した者がいた。
「先生ッ!」
助手だった。半身だけ身を起こしたわたしに覆い被さり、わたしの生存を確かめている。
「先生、わたしがわかりますか!?」
「あ、ああ……」
助手のあまりの勢いに思わずたじろいでしまい、中途半端な生返事をしてしまった。そんなわたしを助手が思いきり抱き締めた。
「よかった……っ!」
……ちょっと待て。助手はこんなに大柄だったろうか。
平均的な成人男性であるわたしと、妙齢の女性としてはあまりに小柄に過ぎた助手。その体格差を思い返してみれば、わたしが助手の両腕にすっぽりと抱き締められているこの状況は明らかに不自然だ。
それに、起き上がった目線がやけに低い気がするし、手足を動かした調子や、頭の中の思考も、普段より段違いに軽やかな気がする。全身が羽根になった溌溂とした解放感、まるで若返ったかのようだ。
そもそもわたしは、ガイガンが放った今際の一撃、回転カッターの直撃を受けて死んだはずではなかったのか。助かったのか、あの深手から一体どうやって?
戸惑うことしかできないわたしに、ビオランテの一人がずいと進み出た。
「とてもよく おにあい ですよ」
そう言われて差し出されたのは、一枚の鏡。そこに映ったものを見たわたしは、雷に打たれたような感覚を覚えた。すぐさまビオランテの手から鏡をひったくり、改めて確認する。
「な、な……!?」
鏡に写っていたのは、毎朝無精髭を剃るときに見慣れた三十路男の姿ではなく、幼女を思わせる容姿の小柄なビオランテだった。ツンと尖った長い耳、シミ一つない滑らかで透き通りそうなもちもちの肌、磨かれた宝石よりも澄み切った色鮮やかで円らな瞳。そして何より、この世ならざる幻想的なその可愛らしい美貌。
身長は110センチ程度、年齢はおおよそ4~5歳。幼さ全開の童顔、つるりとした胴体に真ん丸の尻、ふっくらとした短い手足、起伏に乏しい洋梨のような体つきだが、各所はぷにぷにと肉感的で、どこもかしこも温かくて柔らかそうである。
額に咲いているのは八重咲に咲いた端整な薔薇の花。まさに美少女、可愛らしい女児の姿をしたビオランテが、あんぐりと口を開けた愕然の表情で、わたしの方を見つめ返している。
わたしが自分の顔を手で触れてみれば、鏡の中のビオランテも自分のほっぺをふにふにと揉んで確かめていた。それと同時にわたしの指先に、つい先日までの無精髭のざらついたオッサンの顔ではなく、
見間違いでも幻覚でもない。鏡に映っているビオランテは、まごうことなくわたし自身なのだ。
その事実を理解した瞬間、わたしは絶叫した。
「な、なんじゃこりゃああああああああ!?」
つまり、わたしはビオランテになってしまったのである。
それから一年が経過した。
かくして、ちっちゃなビオランテになってしまったわたしは、人間の世界へと帰るわけにはいかなくなってしまった。この姿で帰ったところで人間の世界では化け物扱い、運が悪ければ実験台として生体解剖で切り刻まれるのが関の山だ。
元の姿へ戻る方法についてビオランテたちにも訊ねてみたが、彼女たちは「どうして もどらなきゃいけないの?」と首を傾げるばかりで話にならなかった。あとはもう頭脳労働者の端くれとしての知見をフル活用し、独力で元の姿に戻る方法を探求するしかないのだが、ゴジラ細胞がもたらす影響力の凄まじさを鑑みればそれが叶う望みはさぞや薄いことだろう。
とはいえ、ビオランテたちを守るために取った行動に関しては微塵も後悔していない、むしろ正しいことをしたのだとわたしは信じている。
ビオランテになってしまったのもビオランテたちは単にわたしを助けようとしてくれただけで悪意があってのことではないし、そもそもビオランテたちは、ただ彼女らに与えられた生命の権利を全うしようと懸命に生きているだけ、何の罪もない。それを勝手な都合で焼き尽くそうなどという暴挙を許しておけるはずがない。
人間の文明世界に何の未練もないといえば、それはたしかにウソにはなる。だが、かといって無理に戻る必要性もさほど感じなかった。
研究者としての立場から正直に言ってしまうのだが、この森はやはり理想的な環境だった。怪獣研究のために支給される研究費は年々削減される一方であり、研究室の経営は崖っぷちだった。認めてもらえない研究に精を出し、年々厳しくなる研究費と研究室の経営に汲々するよりも、フィールドワークの最前線でもあるこの森の生態系を間近に観察し続ける方が、研究者としてどれだけ気楽で幸福だろう。
それに、研究者としてでなくても、ビオランテとしての暮らしは案外快適かもしれない、とも思えた。たとえば傭兵隊長のことである。
「タイチョーちゃん、タイチョーちゃん」
「……うる
「ほらほら そんなこと いわないで。だっこしてあげる」
「なっ、やめ
目の前で年長のビオランテに抱き上げられてばたばたと藻掻いている、一際幼い赤ん坊のビオランテ。それがかつての傭兵隊長の成れの果てであった。
オルカ=システムによって引き起こされたガイガンのパニック状態、傭兵隊長の乗ったヘリはそれに巻き込まれて墜落し、さらに傭兵隊長ふくめ傭兵たち自身も、ガイガンが斬り倒した大木に押し潰されて重傷を負った。彼らも命だけは助けられたが、わたしと同様の治療を施されたためにわたしと同じく、いやもっと幼い姿をしたビオランテに変えられてしまった。
兵士として鍛えられた屈強な肉体も武器も、人間としてのアイデンティティさえも喪われて、どこもかしこも柔らかい、可愛らしいビオランテの赤ん坊にされてしまった傭兵隊長たちは、完全に心を折られてしまったようだった。当初は報復を恐れ怯えることしかできなかった傭兵たちだが、そんな彼らをビオランテたちは赦し、新たな妹分として温かく迎え入れていた。
ビオランテたちを憎み、殺そうとしたはずの傭兵たちですらこの待遇なのだ。元人間のわたしと言えども、ここでの暮らしはそう悪いものではないだろう。
同時に、最初の調査時に消息が判然としなかったDr.シラガミと仲間の研究員たちの行方もこれではっきりした。傭兵隊長やわたしと同じく、シラガミたちもまたビオランテになってしまったに違いない。森に棲むビオランテたち、そのうちの誰かがかつてのシラガミたちなのかもしれない。
だがしかし、実際のシラガミの消息は杳として掴めなかった。どのビオランテに尋ねてみても「しらがみ? なあにそれ、しらなーい」と首を捻るだけでさっぱり要領を得ない。しかもどのビオランテも個性や記憶が曖昧になっているらしく、今となってはどのビオランテがシラガミの成れの果てなのか、確認しようが無かった。
喪った愛娘を怪獣として蘇らせたマッドサイエンティスト、ゲンイチロウ=シラガミ。自分で造り出した怪獣ビオランテに自分自身が成り果ててしまうとは、自業自得とも言えるが、わたしにはなんとも哀れな末路にも思えた。
しかしどうしてやることもできない。わたしがシラガミに対して出来ることがあるとすれば祈ってやることだけだ。どうかかつての狂気を忘れて、このジャングルでビオランテとして楽しく幸せに暮らしていてほしい、という具合に。
「おろせ、おろせったら、この、この、えーと、そう、かいじゅうめ!」
「でもタイチョーちゃんもわたしたちとおなじビオランテだよ? いっしょにあそぼうよ。ぎゅーっとしてあげるね」
「うっ、やめ
「わあ、タイチョーちゃん、ほっぺた あかくしてる。かわいい!」
「くっ、ころ
記憶と人格の消失に関しては、同じ兆候が元傭兵隊長のビオランテにも現れた。最初の頃は怪獣を心底憎み、ビオランテとなった自分自身のことさえ嫌悪していた傭兵隊長だったが、一年ほどビオランテとして暮らしてゆくうちにその記憶も人格も穏やかな方向へと変容しつつある。今はまだかつての人格が残っているので葛藤もあるようだが、時折まるで恨みや憎しみから解き放たれたかのように、他のビオランテたちと仲良く遊んでいる様子さえ見られるときもある。他の傭兵たちも同じだ、彼らが完全なビオランテとなるのも時間の問題だろう。
……かつて怪獣に故郷を蹂躙され、親兄弟も喪い、不幸な子供時代を送ったと語っていた傭兵隊長。そんな彼自身が怪獣ビオランテになってしまったのも皮肉な話だが、皮肉ついでにここで幸福な子供時代を取り戻してほしいと願わずにいられないのは、わたしのエゴだろうか。
傭兵たちやシラガミ、ビオランテ化した人間たちがアイデンティティを上書きされていった一方で、どういうわけかわたしはかつての自身を保っていられていた。体こそ可愛らしいビオランテに変わってしまったが、記憶も知性も精神も、内面については元のしがない怪獣研究の専門家であった頃とそう変わっていない。
どうしてわたしだけ変化が無いのか、その理由はわからない。あるいは「新しい女王として、ビオランテたちを導いて欲しい」という先代女王エリカの遺志だったのかもしれない。
そう、ビオランテの女王、エリカはもうこの世にいない。その死の遠因となったわたしには、エリカの跡を継いでビオランテたちを守ってゆかねばならない責任がある。仮にわたしが人間の世界に帰ることが出来たとしても、きっとわたしは何らかの形でビオランテたちを保護する活動に尽力していたに違いない。
『ビオランテたちのことを知りたい、理解したい』という心境に至ったことを先に述べたが、それならばいっそ自分自身もビオランテになってしまった方が、在り様としては潔いのかもしれない。
ここまでの状況を分析し、事情を並べてはみた。いずれもビオランテになってしまったわたしの境遇を受け容れるのに相応の理由として、自分でも納得のできるものばかりだ。これからの運命を受け容れる覚悟は出来ているし、出来ていなかったところで今さら取り返しもつかないのだから受け容れるしかないと諦めもついている。
ただ、一つだけ気掛かりなことがあった。
「だからって、キミまでビオランテになることはないだろうに」
気掛かりというのは、わたしの『助手』のことである。
致命傷からの奇跡の生還、その結果わたしがビオランテになってしまったことを知った助手は、彼女もまたわたしと同じビオランテになることを決意した。無論わたしは止めたのだけれど、助手はわたしの制止を振り切り、ビオランテの施術を受けてビオランテたちの一員になってしまったのだ。
いくら助手とはいえ、彼女にわたしと運命を共にする義理はまったくない。ビオランテの王国を破壊しようとした傭兵たちや自業自得で破滅したシラガミたち、止むを得ない事情があったわたしならいざ知らず、ただわたしの助手として同行してきただけの彼女にはまだ人間としての未来があったはずだ。それを『わたしに付き合って、人間を辞めて怪獣化する』だなんて、嫁入り前の女性にわたしはなんということを決断させてしまったのだろう。
慙愧に堪えないわたしに、助手は「いいんですよ、先生」と笑った。
「わたしは、先生の行くところなら何処へでもついてゆくと決めたんです。助手ですから」
「しかし……」
「それに、
それ、根に持ってたのか。ただの冗談だったのに。
わたしのぼやきに、助手はふっふーん、と得意気に胸を張った。自信満々に突き出たバストはたわわに実っており、助手が身動きする度にたゆんたゆんと波打ち揺れている。両掌では到底収まらないほどのボリューム、当人がためしに測ってみたところでは胸囲は100センチを超えていたという。立派な爆乳だ。
立派になったのはバストだけではない。助手の手足も胴体もバランスよくスラリと伸び、ウエストは腹直筋が縦に割れて固くしっかりとくびれ、ヒップは重力に逆らうようにツンと持ち上がっている。全身着くべきところに肉が豊満に着き、それでいて締まるべきところは鍛え上げられたかのようにしなやかだ。
今の助手は、かつての子供体型からは程遠い、平均的な成人女性どころかセクシー女優顔負けのグラマラスな恵体へと変貌していた。扇情的で、情熱的で、男女問わず見た者を魅了してやまないであろう生命力に溢れた究極のプロポーション。この手の事柄には疎いわたしですら、助手の身体に起こった
ビオランテたちによると『変化には個人差がある』らしく、助手の華麗なる大変身も『ゴジラ細胞の因子が上手い具合に作用した結果』らしい。
だが、助手は
小さな身体でくずおれているわたしを見下ろしながら、助手はにんまりと笑った。
「一人前のレディを子ども扱いすると、ばちが当たるんですよ」
そう言って、助手は長くなった手足で、小柄なわたしを抱き上げた。
「でもまあおかげで、こうして先生を抱っこできるんですけどね」
「や、やめたまえ!」
「やめませーん」
わたしは抵抗を試みたが、助手は悪戯っぽく笑いながら触手をしゅるしゅると根深く絡ませ、ますます力強く抱き締めてくる。ビオランテ化した助手の腕力は、同じビオランテのはずなのに幼女となってしまったわたしのそれより遥かに上回っており、わたしがいくら力を籠めようとも到底抜け出せそうになかった。背丈といい腕力といい、わたしと助手の力関係は完全に逆転してしまった。なんと無力な存在になってしまったのだろう、わたしは。
それでも抜け出そうと、わたしが短くなってしまったぷにぷにの腕をばたつかせ、ぽかぽかと助手を叩いて抵抗していると、助手は「えい」という掛け声と共に、わたしの頭よりも大きな乳房をわたしの顔へと押し付けて、力一杯に抱き締めた。むにゅん、とマシュマロよりも柔軟で、ゴムボールよりも密度たっぷりで張りがある双丘の谷間へ、わたしの顔面が沈み込んでゆく。
いわゆる『ぱふぱふ』という奴である。
「むぐっ!?」
「ほらほら、あなたが散々バカにしてきた子供っぽい女性のおっぱいですよー? 男の人ってこういうのが好きなんですよねー?」
「う、ぷ、んむむ、むー! んんっ……!」
わたしの目・鼻・口が塞がり、思わず息が詰まりそうになるが、ビオランテ化した体質による皮膚呼吸のおかげで窒息することはなかった。
代わりにビオランテと化した助手の体の魅力を、わたしは全身全霊で堪能することとなった。視覚は闇に閉ざされ、感じられるのは嗅覚と触覚。女臭と果物の花香が絶妙に配分された甘美で
「んんっ、んっ……♥」
「ふふふ、なんだかんだ言ってもやっぱり先生も男なんですね。ほらほら、気持ちいいでしょう、心地いいでしょう?」
ふ、ふにゅうぅぅ……♥
どこか懐かしい、とても和む香り。母胎の中に還ったような、温かさに包み込まれる安穏さ。手足が脱力してふにゃふにゃになり、頭がぼんやりと単純な思考へと堕ちてゆく。身体のみならず精神まで幼児になったかのような気分、なんと心地いいのだろう……
……って、いかん! このままだとヤバい!
男として、いやヒトとしての危機を本能で感じ取ったわたしは、腑抜けた手足に力を籠め直して、助手の爆乳からなんとか顔だけでも脱出した。
「ぷはっ! ぜーはー、ぜーはー……」
「先生、とっても可愛いです♥」
助手に抱かれながら見上げてみると、助手はたおやかな手つきでわたしの額を撫で回しながら、愛おしげな表情でわたしを見下ろしている。
……やめたまえ、そんな妖艶な眼付きは。助手が恩師に向けて良い目じゃあないだろう。それから頭をなでなでするのも止しなさい、わたしは本当は男、実年齢だってキミから見ればかなりオッサンなんだぞ。
わたしは懸命に抗議するのだけれど、舌足らずでカミカミの口調と、美少女アニメのキャラクターのような甘ったるいロリボイスに変化してしまった声では、いくら迫力を利かせようと唸ってみてもまったく威厳が出ず、むしろ助手は「本当は気持ちいいくせに意地張っちゃって、先生ったら可愛いですねぇ」とますます頬を摺り寄せ、抱きすくめてくる始末である。
「そもそもキミ、前はもっと身持ちが固かったはずだろう! こんなことして恥ずかしくないのか!?」
「今さらですよ、先生。それに、この体になってからわたし、すっごく気分がいいんです。今まで一生懸命、真面目にガマンしてたのがバカみたい」
そう語る助手の表情はビオランテ化した傭兵隊長と同様、複雑なしがらみから解放されたかのように晴れ晴れとしていて、心底楽しそうだった。
……真面目で勤勉な堅物の女学生、悪く言えば垢抜けない印象しかなかったわたしの助手、その本性がこんなとんでもない快楽主義者だったとは夢にも思わなかった。
傭兵隊長のこともそうだが、あるいは人間がビオランテ化すると、自制心における箍がどこか外れて、本能的な快楽へと身を委ねやすくなってしまうのかもしれない。
「おかげでちょっと素直になれましたしね」
「素直? 何のことだね?」
「え……あっ、いえっ、そのっ、そう、なんでもありませんっ! ホラそんなことより、それ、むぎゅー! おっぱいに溺れてしまえー!」
「よ、よせ、やめ、んぐっ、むぐぐぐっ……♥」
……こうなったら『望みは薄い』だなんて悠長なことは言っていられない、一刻も早く元の姿に戻る方法を見つけなくては。さもないとビオランテと化した助手の繰り出す倒錯した快楽に絆されて、とんでもないことになってしまう。『もう手遅れだ』って? うるさいだまれ。
助手は、もがいているわたしをもみくちゃにして楽しげに弄んでいたが、ふと、わたしの下腹部に手を伸ばした。
「……大きくなりましたね、
そう言いながら、繊細な手つきでわたしの下腹部を撫でる助手。
ビオランテへの転生直後は、清純で無垢なロリの姿だったはずのわたし。しかし今や、そのお腹は丸く大きく膨らんでいる。
わたしは、はち切れんばかりに育った自身のお腹を、両掌でさすりながら答えた。
「……ああ、
助手がビオランテになったあと、わたしと助手は一組のカップルとして結ばれた。
『ビオランテになると自制心の箍が外れる』と前述した。まるで他人事のような言いぶりをしてしまったけれど、実はかくいうわたし自身がそうだったのだ。
女性としてはこれ以上ないほど魅力的な美貌を駆使し、あの手この手で迫ってくる助手。わたしも、男としての尊厳を断固として守り抜かねばならぬと、理性と意志の戦いを繰り広げたのだが、いくら理性派を気取ろうが結局わたしは弱い人間でしかなく、助手からの一途で懸命なアプローチを前に、わたしは陥落した。
結ばれたわたしと助手、妊娠したのはなんとわたしの方だった。先述のとおりビオランテは単為生殖、つまり両者ともビオランテであるわたしと助手のカップルであればどちらが妊娠してもおかしくはない。おかしくはないのだが、しかし本来は男性であるはずのわたしの方が、元々女性だった助手より先に妊娠出産を体験することになろうとは、これまたなんとも皮肉な話である。
「今月で
「……そうだな」
助手が楽しげに夢を語り、わたしが頷く。未だ見ぬ子供とその未来に想いを馳せるわたしたちと、そんな二人の夫婦を楽しげに見守っているビオランテたち。
子供を授かってから、ビオランテたちはますますわたしのことを丁重に扱ってくれるようになった。助手もそうだ、時には心配性すぎるくらいにわたしのことを気遣ってくれる。
当のわたし自身はというと、正直に白状してしまうと、実はそれなりに幸せだったりする。
本来は男だったわたしが子供を身籠ってしまったことについて当初こそ忸怩たる感情があったのだけれど、日に日にお腹が大きくなり、周囲に温かく見守られながら数ヵ月を過ごすうちにわたしの中の葛藤は氷解し、やがて我が子に思い入れのようなものを抱くようになった。
最初は不慣れなことばかりだった身重の体。しかし届いてくる胎動の一拍一拍、伝わってくる力強い温もり、日を重ねるごとに重さを増してゆくお腹と、その奥で健やかに育まれつつある新しい命、今となってはそれらすべてが愛おしくてたまらない。これが母親の気持ち、“母性愛”という奴なのだろうか。
助手が言ったとおり、わたしが妊娠してから今月で
……良いのだろうか、これで。
そんな気持ちも、少しばかり無くもない。
新種の怪獣と出会い、傾倒した挙句の果てに人間を辞める羽目になり、巻き添えにしてしまったパートナーと共に倒錯した快楽へと溺れてゆくばかりの爛れた日々。そんな自分の在り様を振り返ってみて、一人の男として、いやヒトとしてどうなのだろう。そう思い悩むことは多い。
しかも自分自身のことだけじゃない、これからわたしは新たな女王として、この生まれたばかりの新人類であるビオランテたちを率いてゆかねばならない。育児だって母親業だってきっと慣れないことばかりで大変だろうし、一体全体わたしはこれからどうしてゆけばいいのだろう。そんなアンニュイな想いに折れてしまいそうな時もある。
しかし一方で、わたしはついこんなことも考えてしまうのだ。
神話によれば、罪を犯して楽園を追放された人間は、男は労働、女は出産の苦しみを課せられたという。だが、この楽園で暮らすビオランテはどちらとも無縁だ。ビオランテになったわたしにとって他のビオランテたちの為に働くことはとてつもない喜びだ。初めての妊娠、初めてのお産には流石に不安もあるけれど、信頼すべき助手もいるし、なによりビオランテたちが暖かく支えてくれるだろうからきっと大丈夫、そんな風にも思える。
憎しみも、哀しみも、外界の薄汚い欲望や世知辛さとも無縁の、享楽的で愛に溢れた幸福な暮らし。それを助手、いや妻と子供とビオランテ、愛すべき家族たちと共に。
……まあ、いいか、これはこれで。
それから時間は巻き戻って、バル・ベルデのジャングルでガイガンが倒されてから数日後。傭兵たちの中で一人生き残り、ジャングルから逃げ帰った男がいた。
……なんて恐ろしい悪夢だろう。人間を怪獣に変えてしまう怪獣だなんて。
男は、即座にバル・ベルデを出国。クライアントであるエイペックス社担当者の許へと直行し、ジャングルで見たもの聞いたものすべてを洗いざらいに報告した。
件のジャングルはシラガミ博士が創り出したバイオ怪獣の巣窟になっていたこと。蔓延っていた怪獣:ビオランテは植物性の怪獣で、獰猛で危険だが充分な装備があれば制圧可能だと思われること。あと一歩で殲滅できたのに、ガイドとして雇った怪獣研究の専門家が裏切ったために叶わなかったこと。もしもまた行くことがあれば、次は用心棒怪獣のガイガンだけじゃなくてナパームやメーサー戦車やらありったけの対怪獣兵装を用意していった方が良い。そんな所見を添えて。
クライアントへの報告を済ませてアジトを出た男は、ふと、自身の衣服に異物が着いていることに気が付いた。
「……なんだこれ?」
ズボンの裾にいつの間にか付着していたらしい“それ”を、男は指先で摘まみ取ってみた。
大きさは1センチに満たない。黒っぽい塊に、マジックテープやベルクロのフック部分に似た、繊毛状の細かい爪がびっしりと生えている。どうやらこの爪でズボンの繊維にくっついていたらしい。
“それ”を見た時、男は田舎の山で遊んだ幼少期の記憶を思い出した。子供の頃、こんな感じの奴を“ひっつきむし”とか呼んでいた。草むらを歩いているといつの間にか
とはいえここは街中で、草むらでもなければ田舎の山でもない。こんなものがくっつく心当たりがあるとすれば、先日命からがら逃げ帰ってきた“あの森”しかない。ということはこの“ひっつきむし”は、あの化け物だらけのジャングルから遥々ここまで運ばれてきたということだろうか。
……まあ、いいか、どうでも。
厳密に言えば、防疫など諸々すべき処置があるのかもしれない。だが男からすれば、これを報告したところでまた面倒な手続きが増えるだけ、貰える報酬が上がるわけでもない。金を貰っただけのことはするが、それ以上はする気にならなかった。
これくらいどうともなるまい。
男はその“ひっつきむし”を指先で弄んだあと、ピンと指で弾いて道端へ放り捨てた。男の指で弾き飛ばされた“ひっつきむし”は、宙を高々と舞い、風に流されて雑踏の中へと消えてゆく。
その行く末を見送ることもなく、男は家路を急いだ。明日は久々の休日、録り貯めたテレビドラマの録画でも消化するか、なんてことを考えながら。
それから数ヵ月後、人間の世界は変化を迎えた。
最初に始まった変化は新生児、すなわち赤ん坊からだった。ある特定の年代を境に、これまでほぼ均等だった新生児の男女比、そのバランスが急速に崩れ、女の子ばかり生まれるようになった。
生まれた女の子には、成長とともに普通の子どもとは明らかに違う特徴が表れた。年齢を重ねるにつれて肌の色が緑色に変わり、葉っぱやツルのようなものが生え、さらに頭には花のようなものまで咲き誇るようになった。
『怪獣黙示録』の時代、その次はミュータントの時代か。大人たちは当初動揺し物議を醸したけれど、かといって生まれてきた子供たちもまごうことなく我が子であり、自分たちと違うからと殺してしまうわけにもいかなかった。
それに、生まれてきた植物の女の子:ビオランテたちは旧人類よりも優れた素質を示し始めた。どの子も平和をこよなく愛する温厚な性格で、利発で運動神経も抜群、何より御伽噺の妖精のように可愛らしく美しく成長した。
ビオランテたちは、女の子同士だったにもかかわらず、単為生殖が可能だった。
ビオランテではない男と交わることもできたが、その場合でも生まれてくるのは母親と同じビオランテだった。さらに女性同士で体を重ねた場合は高確率で双方とも子供を授かったので、ビオランテたちは旧人類の倍以上のペースで殖えた。
またビオランテと交わった旧人類たちも、やはりビオランテに変わってしまった。男は可愛らしいロリのビオランテに、女はセクシーなビオランテへと肉体が変化した。この事実が判明した途端、旧人類たちは慌てて元に戻ろうと知恵を絞ったが、結局徒労に終わった。
そうして新人類;ビオランテはどんどん数を殖やし、遂には旧人類の人口をアッという間に凌駕してしまった。少数派に追いやられた旧人類たちはビオランテたちによる迫害を恐れたが、ビオランテたちは温厚で優しかったので、旧人類たちに危害を加えず、それどころか進んで自分たちの仲間に迎え入れようと手を尽くした。
……それは、バイオテクノロジーで禁断の領域を犯して生命を弄んだ報いなのか、平和だったビオランテの王国を土足で蹂躙しようとした人間の愚かしさへの天罰だったのか、あるいはその両方なのか。
ビオランテの誕生から始まった『変化』、その実態が旧人類から新人類への世代交代――すなわち『旧人類の滅亡』を意味するものであることに気づいたころにはもう手遅れ。後戻りすることも、引き留めることもできないまま、世界は新人類:ビオランテに征服されてしまった。
新生代第四紀メガラヤン期に続く第五紀、ビオランテたちが築き上げる新しい時代。
おしまい。元々はTSF杯に出品作で、少し手を入れたものです。感想ください。
怪獣紹介
・ビオランテ
身長:80メートル
体重:3万トン
異名:樹獣、森の精霊
主な技:アシッドカッター、触手攻撃
平成シリーズで通底するテーマとなるアンチ・ゴジラ怪獣の先駆けと言える怪獣。
『ゴジラVSビオランテ』は一番好きなゴジラ映画の一つで、ビオランテも個人的に思い入れのある怪獣なので、いつか彼女を主役にした話を書いてみたかったんですよね。
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