雨の邂逅   作:山背としや

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十滴目:東雲嵐

必死でつなぎ止め自分に言い聞かせてきた「正しい能力の使い道」を違え、「摂理」や「常識」は、あの日犬居の耳介を削ぎ落としたのと同時に自分の良心と共に殺してしまったのだろうか。

 

チカが高校に上がってすぐに原付二輪免許を取得して週末にはナオやヒナに会いに行っていた。妹が普通に青春を謳歌出来ていることが何よりもの救いだった。

 

俺は相も変わらずで、医師への想いは胸中に閉じ込め、高校卒業後地元の中小企業へ就職して黙々と仕事に専念した。…だが福祉の道を諦め切れず、就業後に定時制の大学で看護の道を学ぶ日々を送っていた。

 

チカと貧しくも、自由な「普通」の時間を噛み締めるように過ごした。自分達にとって、やっと手に入れた日常は3年という短い時間で突然に終幕となった。

 

…またも奪ったのは雨だった。

雨で見通しの悪い交差点でチカは乗用車と事故に遭い、相手方はそのまま逃走、行方が分からなくなっている。

チカは病院のベットの中。全く目覚め無い。『このまま目覚めないかもしれない。』そう静かに告られた時には、俺の中に絶望が満たされた。

 

何故なんだ。

どうしても不公平感を抱かずにいられなかった。

もう充分過ぎるほど俺達は苦難も不遇も受けて来た。この期に及んで、俺に残った唯一の救いも奪われんとされて、我慢も限界だ。

 

境遇を呪っても、現実は好転するはずも無く、入院期間が長引けば少しずつ母の遺産も底を尽き始め、自身の給与なんてたかが知れた物で到底賄いきれず、擦るように床に頭を付けて担当医に懇願した。

医師も多少は理解を示しはしたが、それでも「費用は費用でありどうにも仕様がない。支払いは可能な限り早くお願いしたい。」と困った目をして静かに告げられた。

 

底なし沼へ沈められた思いがした。

どうにもならない現実に叩きのめされ、豪雨の中を宛もなく歩く。

 

「……奇遇ですね。ラン君。さ、その後如何ですか?あなた達の世界は何か変わりましたか?」

「……お前は……。犬居……。」

「どうしたんです?そんなに憔悴しきって。さては、上手くいっていないんじゃないですか?君の世界は、良くなる所か更に悪化の一途を辿っているのでは?

前にも言いましたが、この世界は既に狂ってるでしょう?

そして分かっているはずだ。状況を変えられるかもしれない一手を。」

「状況を変えられる…一手……。」

 

考えなかった訳では無い。使わなかったのは、それは……。

 

「君の能力で、金庫の中身を抜き取るなんて造作もない事でしょう?」

「…それは、犯罪に……、能力を使えって事か……?…そんな事……。」

「手段を選んでる余裕がお前にあるのかよ?背に腹が変えられる状況か?お前が金を用意出来なきゃ、妹は死ぬだけだぞ?」

 

胸倉を捕まれ声のトーンを限りなく落として睨め付ける相手に抵抗も反論の余地も無かった。

自分が置かれている現状を見透かされた様な気がした。

 

「大丈夫だ。下準備からお膳立てまで全て俺がやってやる。お前はただ、指示通りに能力を使って中身を引っこ抜けば良い。

狙いは反社会的勢力の金庫だ。中身が無くなっても連中は下手に騒ぎ立てるような事が出来ない。

これなら、偽善的なお前のちっぽけな良心も多少は痛まないだろう?」

 

思い描いたのは、兄妹二人だけでも質素な生活でもいい……恐怖に怯えて生きることの無い『普通』の生活だった。

理想は、目の前で音を立てて崩れ去る。雨が心から願った夢の断片を攫って闇へ流していった。

 

『俺がどうなっても……。チカさえ生きていてくれれば……。』

 

「俺はお前にお願いしてるんじゃ無い。分かるよな?お前が今、どうしなきゃならないか。」

「………っくそ…。」

 

犬居は腕に込めた力を抜き、自分の体はまるで糸の切れたからくり人形のように濡れたアスファルトにクズ折れた。

 

翌週。

驚愕に目を見開いた晴彦の前に佇んで、犬居の計画を耳に入れる。

 

「今度の計画に必要不可欠と言っても過言じゃないのが、ハルヒコ。君とランの能力だ。

暴力団の貸金庫を狙う。事務所の設計図はもう手に入れてきた。

まずハルヒコとランは一緒に周辺の調査。その間俺は金庫の在処を正確に調べる。

在処が精密に知れたら、計画実行だ。

第一にハルヒコは建物の配電装置を電磁'nでショートさせろ。暗闇に乗じた他の組の武力行使に見せつけるんだ。

俺はハルヒコと合流し、ヤクザ共と戦闘になった場合に備える。無いに越したことは無いけどな…。

ランはアジトに戻って指示を待っていろ。

第二にランが俺の仕入れた情報通りの座標にトリックルームを発動させて、中身を引っこ抜く。

……これで完璧に金を奪い取れる。」

「ちょっと、どうしてランが関係すんだよ!?何でお前もこっち来てんだ!?」

「……訳は後で説明する……。」

「意味わかんねーーよ!!」

 

犬居の計画を事細かに聞き、そこで解散する事となった。計画実行は来週。

もう、後には戻れない。

 

「……ラン。これはどういう事なんだよ!?説明しろよ。どうしてお前まで犬居に関係してくるんだよ?…え?」

「…………。お前に来てもらいたい場所がある。黙って着いてこい……。」

 

静かにハルヒコは頷いた。

重い足取りでチカが入院する市内の総合病院までを進む。ハルヒコは何も聞かず、黙って俺に着いて来た。本当に何も聞かずに。

病院に入り、ハルヒコを入口で待たせて面会手続きを取ってくる。もう随分と慣れてしまった手順に溜め息が漏れた。

 

そのまま手馴れた具合で順路を無言で進んだ。

ハルヒコは、次第に視線が下に下がっている。コイツはコイツなりに何かを察した様子だった。

病室に辿り着く。そこの患者氏名の部分にハルヒコはゆっくりと視線を注いだ。

 

「……なぁ。なんでそこにある名前がチカちゃんなんだよ?」

「交通事故だ…。チカは、随分前から目を覚まさずあのままだ……。お前も知っての通り、俺達兄妹にずっと入院させ続けられる程の金は無い……。

このままだと、後2、3ヶ月。どう頑張ったって、それ以上はどうしようも無い。行政にって考える所だったが……。」

「……犬居のヤロー。何だって?」

「違う……。」

 

俺の心が弱いんだ。

目が眩んじまったんだ。

 

「……ハルヒコ、俺はチカが目が覚めればそれで良い……。治療の手立てが見つかるんだったら、それに掛けてみようと思う。その為に犬居の話に乗る。俺が協力するのはチカの治療が終わるまでだ。…手を引くのに犬居が邪魔になるなら……。手段は選ばない。

……俺は、その路しか選べなかった……。俺が弱いだけだ。」

 

そっと病室へ入った。ベットに横たわるチカはまた一回り細くなった様に感じる。

ハルヒコも後から病室へ入り、チカの傍らへ進み屈んで顔を覗き込んだ。

 

「じゃあさ、オレも…チカちゃんの為に犬居の計画に乗る。

オレは、金も欲しい。まぁ、その沿線でオレが信じた正義が守れるならどんな手段でもオレは構わない。ランが守りたいもんは、オレの守りたいもんでもあるし、オレはこんな不公平を許せない。」

 

ハルヒコの目の奥に、強烈な怒りに似た感情の噴出と鋭い光を感じた。

 

犯罪回数を重ねる毎に罪悪感は薄れていった。一つ金庫を襲う度に少しずつ麻痺していく自分の感情。

 

 

 

自分の行いを正当化し心も痛まなくなった頃に雹堂影虎とエルモアの子供達との邂逅が訪れた――

ヤクザや、汚い大人相手だったら、変わらなかった。

己の信念に堅い男と、互いに切磋琢磨し相手を思いやれるあの子達だったから俺もハルヒコもどうしようも無い坩堝から戻って来れたんだろう。

紛れも無く、俺達は雹堂影虎という男に救われた。

 

 

――チカが目覚めて数日後。

天気予報によると、昼過ぎから崩れるとされていた伊豆地方の空模様は、しっかりと予報を覆し朝から強い雨足で、差した傘のビニール地に不規則なリズムを刻んでいる。

門戸から更に奥に佇む天樹院の豪邸を前に生唾を飲み込んだ。今頃になって何故、天樹院エルモアから呼び出されるのか…全く理解が追い付いていない。

予測がつくのは賠償金の類い……。

だが、以前謝罪に訪れた時に門前払いをされている。「済んだこと」と取り付く島さえ無かった。

取り敢えず、気持ちではあるが謝罪の為に菓子折りを横手に提げてインターホンを前にそのボタンを押すことを躊躇して数分が経過していた。

 

「何やってんだ?」

「ーーーーッ!?」

 

急に後ろから声を掛けられた事に驚き、息が詰まる。声色には覚えがあるし、予想は着いた。

振り返ると、予想通りの人影が目に入り、胸中で安堵する。大きく溜め息を漏らしながら、晴彦に文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、口を開きかけた所で、門戸が開いた。奥の屋敷から、天樹院エルモアが姿を現す。

 

「お前達、二人揃って何をしとるんじゃ?ボーッとしとらんで、早く来んしゃい。」

 

そのまま屋敷へエルモアは戻って行った。慌てて晴彦と共に後へ続く。晴彦はと言うと、いつもの調子で臆びれる事も無くどんどんと進んでいた。

エルモアと一緒に歩くヴァンの視線に居心地が悪い思いを堪えつつ、屋敷の奥へ進んでいく。視線の行き場に戸惑いながら、ようやく足元に視線が落ち着いた。

対照的に晴彦は、大あくびしながら腕を頭の後ろで組み身体を左右に振りながら、キョロキョロ辺りを見回しながら歩く。

 

「よくもそんな態度で歩けるわね」

 

心中で呟くことに留めておいた言葉は、後ろから女児の声色でそっくりそのまま晴彦に投げ掛けられた。振り返るとフレデリカとマリーの姿があった。

 

「アン?別に構わねぇだろ。ババァに呼び出されて来たんだからよ」

「オイ、俺達は一度敵対した身の上で、しかも助けられたんだ。……更に言うとお咎めもなしに普通に生活出来てるのは、明らかにエルモアのお陰だ。もっと態度を慎んだらどうだ?」

「ラン。オメー、生真面目なんだよ。その事は、済んだ事ってババァが言ってたろ。貸しも借りもねェんだから堂々としてたって問題ねェだろ」

「〜〜ッ!!……お前、そういうトコだぞ!」

「ホント。そういう所が低劣な人間の思考よね」

 

目的の部屋に辿り着くまでの間は、晴彦とフレデリカの言い合いが続いていた。断っておくと、女児と同じレベルに合わせて言い合っているのでは無く、晴彦はフレデリカと同等のレベルで言い合っている。どちらが子供なのか分からない。

 

奥の両開きの扉の前でエルモアは立ち止まり、ヴァンが扉を引き中に入っていく。

フレデリカ、マリーもエルモアの後に続いて行き、フレデリカが部屋に入り際にチラッと横目に入室を促した。

晴彦が先ずは後に続いて、その背を追うように部屋へ入る。一つ大きく深呼吸した。

 

「さて。……よぅ来た」

「何の用だよ?こんな所まで呼び出してよぉ?」

「……ハルヒコッ!」

「……お前達。世界が明日崩壊するとしたら、どうするね?」

「……はぁ?」

「そ、そんな急に……有り得るのか……?」

「……で、どうする?」

「……どうも出来ねぇだろ。取り敢えず、ちょっとでも生きようとするだろうなぁ」

「……チカ……。家族は守る……。余裕があれば、手の届く範囲で協力し合う……。俺は、そうする」

 

フィクションのSF小説の執筆の協力かと思う程、突拍子の無い質問は、その後も続いた。

あまりに現実とかけ離れた世界観の質問に、想像が及ばないが考えうる自分の行動は伝えたと思う。

 

「日本は近い将来、サイキッカーの手で崩壊する。……わしらは、そうさせない為に戦う。その準備をお主らにも手伝って貰うぞ。

崩壊後の世界では地上では住めなくなってしまう。その為、地下に大規模な要塞シェルターを建設中だ。

ハルヒコ。お前の能力はシェルター稼働の根源……。崩壊後の世界で発電能力は重宝されるに決まっておる。お前は、来る将来に向けて、カイルやシャオと能力の強化をしていくのじゃ。」

「オイ、まだイエスとは言ってねぇぞ!?」

「一方的に侵略されて、お前は良しと思うんかえ?」

「……ッ!……いや。よくねぇな。乗るぜその話」

 

非現実的で曖昧な未来の話と片付けてしまう事だって出来たはずだった。

サイキッカーと関わらない選択も昔の俺なら十分に視野に入れて事を進めたろう。

 

「ラン。お前はここまでの話をまだ非現実的と感じておるかもしれんが、サイキッカーが何処までも悪に染まれる事を良く知っておるじゃろう?お前の能力。シェルターと外を繋ぐ唯一の手段として利用したい」

 

「俺が、シェルターへの入り口の鍵って訳か……。俺で良いのか?また裏切るかもしれないのに?」

「あんたにそんな度胸無いでしょ?」

 

何時から居たのか、シャオが背後から声をかけてきた。

毛頭、俺にはこの期に及んでエルモアを裏切る事は無いが、シャオに言われた通り裏切る度胸も無いのは分かっている。

 

「シャオ君。そんな言い方…」

「……ごめんマリー。

……お前。能力を悪事に使う事にずっと後悔して葛藤してるのが犬居の屋敷での戦闘でも窺い知れた。俺と同じであんたは能力の恐ろしさを理解してる。環境が悪かっただけで、もう踏み外す理由なんて無いだろ?」

「シャオの言う通り、度胸なんて無いよ。……俺に出来る事なら協力する。これから先に備えて俺は何をすればいい?」

「ラン。お主、医学生志望だった様じゃな?色々あって頓挫してるようじゃが、試験は通っておるんじゃろ?わしが話を通しておくから、お主は此処で住み込み、天樹の樹で働いてもらう。必要な家財道具やチカへの使いも出した。時機に到着するじゃろ」

「……いや、試験は通って…」

「じゃあ、死ぬ気で実地勉強せぇ。医学生として話を通す」

 

「おぉ、ランめちゃくちゃ大変だなぁ~。ガンバレよ!」

「ハルヒコ。お前さん何か勘違いしてるようじゃが、お前さんもフラフラせん様に此処に住め。お前さんはランの様には働かせられぬから、わしの使いとして働いてもらうぞ」

「はぁ~っ!?なんでオレも働かなきゃならねぇんだ!」

「当たり前だろ?」

「働けよ」

「バカじゃないの?働かないで食べる気?」

 

子供たちから一斉に非難を浴びているが、何処となく晴彦自身も楽しそうに言い返している。無茶苦茶だが、これまでの陰気な生活と違う鮮烈な光が差した気がした。

 

窓の外に意識を向けると、外はごうごうと雨が窓ガラスを強く打ち付けている。

これまで雨は、自分の全てを奪い去っていった。

だが、雨の邂逅の中で出会った人々が掴み戻して自分の心を洗ってくれた。

 

諦めて捨てた小さな自分の希望たち。

 

そっと戻ってきた、日常を小さく噛み締めた。

 

 

(終)

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