謎のサイキッカーとの接触から、1週間が経った。
窓の外は、長く雨が続いている。
週末には台風が関東にも接近するらしい。本格的な雨は週明けからだということだから、時間帯によっては道路状況が悪くなるかもしれない。
混雑した場所や、狭苦しいのは苦手だ。
『バス混むよな…。』
最寄り駅までの道のりが憂鬱な想像で満たした。
天候とは裏腹に、生活は長く続いた雨の終わりを予感させていた。
康夫の死を、殆ど疎遠だった親戚に報告すると叔母が直ぐにやって来て役所関係の書類を集めてくれたり、色々と手続きを一緒に進めてくれた。
一切合切を終わらせると、それまで良くしてくれた態度は豹変し、鋭い顔付きで叔母は話を切り出した。
「こんな事情だから手伝ったけれど。……その。分かるわよね?
正直に言うと、血縁関係も無いあんた達の面倒は金輪際、見ませんから。私だって…、自分たちの事で精一杯なのよ……。
幸い、嵐君はもう高校も卒業するんだし千架ちゃんだって大きいんだから2人で上手くやって行けるわよね?」
厄介祓いが出来て、叔母は安堵しているようだ。
「はい。色々と教えて頂いてありがとうございました。
ーー後は、何とかやっていけます。」
挨拶もそこそこに、叔母が玄関へ向かって移動する。見送るために後に続いた。
「……あんな死に方しておかしいわよ。どうせだったら…。
…っ!じゃあ、私はこれで失礼するわ…。」
叔母が最後に口の中で小さく呟いた言葉を、聞きたくもないのに、聞き取ってしまった。
『ーーどうせだったら、お前が…。
そうやって思ったんだろうな…。』
閉まった扉の向こうの叔母が言いかけた言葉の続きを想像した。東雲の人間に、あまりいい印象が無いのは、康夫と母の結婚に関して東雲の人間がよく思ってなかったから。
「子供連れの未亡人が康夫を誑かしている。」というのが東雲の言い分で、
実際は康夫が、父が突然病気で他界し、傷心していた母を哀れと思ったのか…。これ幸いと、言い寄ったのか…。
ーーどうあれ、康夫の方が近づいてきたのが事実だ。
結婚して間もなく、親子としての関係を築くよりも先に。母が交通事故でこの世を去り、残された他人同士が偽りの「家族」の顔を被る事になった。
最初こそ、努力し互いに歩み寄ろうとした。
ーーだが、畳み掛けるように康夫はリストラに遭い、毎日を酒に溺れるようになって次第に狂っていった。
……青天の霹靂とはこの事を言うんだと身をもって体現した。
ーー長かった。地獄の様な毎日を歯を食いしばって生きてきた。
やっと……。まともな生活を送れる。
厳しいだろうが、希望が持てる。
もう、死の狭間に恐怖する生活も、度し難い暴力に絶望する生活も送る事は無いんだ。
ダンボール箱に必要な家財道具を一通り詰め終え、その場で立ち上がり背伸びをした。
明日にも業者に新しいアパートへ運んでもらう手筈となっている、ほんの少しの生活用品……。
この先の生活に期待で胸が高鳴った。
「兄さーーん。荷物纏まった?」
「ああ。私物は分かるようにダンボール箱に名前書いておけよ?」
「分かってるよぉ!……あれ?共用品ばっか。兄さんの荷物は?」
「ホラ。あれだ。」
「少なっっ!ミニマリスト過ぎん?」
「文具のストックや辞書、アルバムはお前の分も一緒だから共用品としてしまったからだろ。」
チカが言う程に荷物は少なかった。
衣類、寝具、少しばかりの本、参考書の類。
それ以外の物は、置いて行くことにした。
小学生の頃に貰った賞状、夏の終わりに母にはやし立てられながら作った工作品等の物は処分するつもりで荷物に入れずに部屋の片隅に一纏めにした。
ついでに着ない物や、使わない小物。必要の無くなった書籍も処分品として纏めてある。
何とも有難いことは、バイト先の酒屋の店主や、新聞社でお世話になった先輩配達員が使わなくなった電子機器を新居にと頂けることだ。
更に有難いことに、引越し業者に荷物の運び出しをお願いするつもりだったが、酒屋の店主が軽トラ付きで手伝ってくれると言うのだ。
「臨時休業にして手伝ってやるよ!ランちゃんに何時も頑張ってくれてるから、こっちは有難いんだ。……そうだ!どうせ七海も暇してんだろ。あいつも手伝いに寄こそう!」
真面目にやってきた分がここで実ってきた。
今日はこの後、大型の家具類を処分するのに廃棄業者が来る事になっているし、そろそろ昼食を済ましておくべきか…。
作業を止めて、チカの方へ視線をやると、片付けに飽きたのか、作業の途中で手を止めていたのか、漫画のページを捲っている。いまいち進んでいないようにも見えた。
「チカ。業者が入る前に、昼飯早めに済ましてしまおうか。」
「りょうかーい。作業員さんに飲み物も買ってきたいし、買い物に行ってくるよ。」
「俺が出る。お前の荷物まだ手付かずな所が多いだろ。漫画は後にしておけよ?」
「くぅ……。はぁい。」
チカは本棚に向き直り、漫画の整理を再開し始めた。
あの様子では、帰ってくる頃にも手は進んでいないだろう。帰って少し手伝ってやるとするか……。
靴棚から長靴を取り上げ、足を突っ込む。
外は多少風も出てきた様で、雨は横な振りに霧吹いていた。
スーパーまでの道のりは普段であれば歩いて数十分といった所で、帰り道だけバスを利用することもあるが、基本的には徒歩で向かうことが多い。細かな雨を嫌い、今日はバスで行き来する事にした。
『簡単に済ませば良いから、弁当でも買ってしまおうか……。』
バスの中で思いを巡らせつつ、目的地で降車し、主婦の買い出しの波に流れつつ、店内に入っていった。
明日に備えて保存が効かないものは控えるとすると、使い切ってしまえる無難なもので見繕う。
根菜に1/4カットされたキャベツをかごに入れ、野菜炒めで簡単に済ませてしまおう。
飲料コーナーへ移動して、作業員達への差し入れ品に見合う物を考える。
無難に缶コーヒーかお茶にしておくか、スポーツドリンクの様な水分補給が出来るものが良いか、いざ買うとなると、決めかねてしまった。
考えた結果、スポーツドリンクの1リットルペットボトルと、缶コーヒーを1ダース、レジャー用品売り場でプラコップをカゴへ詰め、レジへ向かった。
会計を済ませ、店を出る頃には想定していた帰る時刻ギリギリだった。そろそろバスが来てしまう頃合いだろうと、急いでバス停へ向かう。
バス停にはもう既にバスが到着していて、高齢の乗客が乗り込むのに手間取っているようだ。搭乗客の最後尾に間に合った。
列がゆっくりと動き出し、程なくバスは乗客を乗せて動き出す。
扉が閉まる直前に、小さな違和感を感じ不意に出入口の方面に視線を向ける。誰もいないその場に、揺らぎを感じた気がした。
ーー視界には、何もなかった。
それでも、感じた違和感は胸に渦巻くままで、居心地が悪い。
気のせいだったのだと、気を取り直して視線を窓の外に向けた時に、違和感の正体に気づいた。
窓ガラスの反射で映る車内には、はっきりと出入口に女の姿が映り込んでいるのだ。
髪は、ショートカットでアシンメトリーに左右の襟足の長さが変化していて、右側の方が肩に毛先が乗る程度には伸び、外側にハネて、前髪の毛束の一つが赤く染まっている。髪色は全体的に黒いが、左側も短い毛束が外側に向かってハネ上がり、毛先が赤みの強い紫に染められていた。
切れ長の瞳に、キツめのアイラインが彼女の目の印象を一層冷徹にさせている。カラーコンタクトの類いなのか、瞳の色も左右が別であった。
右側はトパーズの様な赤みのある黄色がかった茶色で、左側の瞳はスカーレッドを思わせる赤だった。
ガラスの中の女と視線が合う。瞬間、微弱に
『アンタ。私が視えるんだ?サイキッカー野郎。』
唐突なトランスが車内に響く。ガラスの向こうの女はこちらから視線を外さずにじっと凝視している。
これを聞き取れているのは、俺だけの様だし、視線を動かさない事から、「サイキッカー野郎」は俺で間違いは無いようだ。
『……。だから、何だ?無賃乗車のイカレ女。別にお前の事をどうこうしようと思ってない。俺に関わるな。』
日常的に、非社会的行動を取るようなサイキッカーがろくな人間じゃない事は、火を見るよりも明らかだ。燃え移る前に出来うる限りの接触を控えるのが、奴らから遠ざかる最良の手段だと、経験則から学んでいる。
『夢路ハルヒコがアンタの事を相当気に入ってる見たいだから、どんな奴か見てやろうと思っただけだ。』
『…お前、ハルヒコを知ってるんだな?アイツ、最近顔を見せないと思ったら、裏側に居るんだな?
…変な事を吹き込んだりして無いだろうな?アイツはアホだが、悪い奴じゃない。あまり、良くない事に巻き込まないでやってくれ。』
女は、口角の端を少し持ち上げた。だが、見つめる瞳の色は、先程よりも温度が低く冷ややかな視線が突き刺さる。
『やっぱり、一目見た時からつまらない男だと思ったが、本当に欠伸がでるな。アンタは、夢路ハルヒコの保護者かよ?
…まぁ、いいや。夢路ハルヒコの話は。
アンタ一度、犬居って狂人と会ってるだろう?
奴がお呼びだよ。アンタと話がしたいって。』
『悪いが、俺は犬居なんて奴知らないね。呼ばれていようが、話があろうが、関係無い。』
『犬居』と言う名前には本当に心当たりが無かった。狂人?
気付くと最寄りのバス停は次の停留所だった。ボタンを押し、女とのトランスを終了する。
『つまらない男。』
降車する間際に背後から静かに聞こえてきた肉声は、嵐の中の雷鳴の様に混ざり気の無い声だった。
自宅に戻ると、チカが飛び退いていそいそとダンボール箱に物を詰め込み始めた。出かけた時とあまり変わらない本棚の中身を見て、予想した通り漫画に没頭していたのだろう。
「チカ。後で俺も手伝うぞ。……先に昼にしよう。」
「はぁい。」
買物袋から商品を取り出していくと、エプロンを手際良く付けてキッチンの作業台前にチカが立った。
手際良く野菜を水洗いして、下ごしらえを開始している。
「俺も手伝うが?」
「いいよいいよ。料理は私が居る時は私がやるって言ってるじゃん!兄さんがやると、食べられるとこも捨てちゃうし、皮なんて向いたら実が半分無くなっちゃう。」
酷い言われようだが、実際にそうだから言い返す言葉も無い。
諦めて、チカに言われた通りに片付けや食器の用意を手伝う。
チラリと作業する妹の様子を伺う。一瞬だけ母の姿が重なったが…、乱暴にフライパンに切った野菜を投入する様子に、妹は妹だなと変な笑いが起きた。
「……何?兄さんキモチワルイ。」
「……いや、チカはチカだなって。ちょっと横顔とかは母さんに似てきたけどな。」
「え、何それ?私は私って?…え?バカにしてる?今。私をバカにしてる?」
「違う。違う。細かくやってるのに、最後の最後で手を抜く所がお前らしいなって。」
「何よ!バカにしてるんじゃん!
じゃあ、言わせてもらいますけれど!兄さんは変な所にこだわったり、変に細かい所に目がいったり、女か!ってくらい女々しいじゃん。」
「……め、女々しいか……?俺。」
「女々しい。うんと女々しい。」
「…はぁ。」
チカと言い合いになると敵わない。いや、誰と口論しようが俺は敵わないのだろうけれど、対女性、子供には特に弱いと自覚はしている。
「……ふふふ。これからは、普通に言い合いも気兼ねなく出来ちゃうんだね。父さんの目を気にする事も無いんだ。」
噛み締めるように、チカがつぶやく。
こうやって普通に会話する事すら、この部屋では不可能に近かった事を思い知る。
ーーそう言えば、何時ぶりだろう。気兼ねなく笑い合うのは。
昼食を簡単に済ませて、チカの本棚の整理に取り掛かった。チカが要らないと判別した物をビニール紐で一纏めにしていく。作業を止めようとすれば、横目に促して、作業させた為に直ぐに片付いた。
一通り目処が立ち始めた所で、廃棄業の作業員が到着し、簡単な作業確認を終わらせた所で、大型家具の移動を開始してくれる。
チカは、タイミングを見計らって作業員達に飲み物を勧めて作業員に挨拶して回っていた。
終わる頃には、外は暗くなり、雨粒は日中よりも大きくなって、降りしきっていた。
「……ふぅ。この家ともとうとう今日まで……だね。」
「そうだな……。」
「母さんの荷物……、全部破棄で良かったの?」
「……うん。」
自分は結局、最後まであの部屋を見る事が出来なかった。
チカが何かを言いたそうに、口をとがらせる。
「兄さんさ……。全部破棄……なんて寂しいじゃん。私はさ、覚えている事って言ったら、夢で見た角がいっぱい生えた羊がしゃべってた事を怖がって夜にわんわん泣いて、母さん困らせた事とか、動物園で大きな象の玉乗りショーを見て、象の上に小さな子が乗ってるって言って不思議がられたりとか……。そんなことしかないけれどさ。覚えていられるのも何時までか分からないじゃん。少しぐらい、遺していても良いんじゃない?」
どこから持ってきたのか、チカの手にはアルバムと、一冊のノートが握られていた。
「家族の思い出って大事だもん。」
「……うん。」
――翌日。
早朝から、酒屋の店主が先輩店員と共に荷物の運び出しを手伝いに軽トラで駆けつけてくれていた。男手で手際よく運び出して昼前には全てを運び出し、店主の奥様が用意してくれたお重を囲って昼食となった。
「ランちゃん。今だから言うけれどな。ランちゃん達家族の事をよく知ってる。昔っから実のお父ちゃんがよく贔屓にしてくれてたんだよ……。ランちゃんも、こんな小さい時に連れてきてくれてなぁ……。だから…。康夫さんがあんな風になっちまって…どうにかできねぇかって…。だが、他人ってのは何時でも家族の間にはどう突っ込んでいいもんか…。こんなになるまで何にも出来ないで……。悪かったなぁ……。悪かったなぁ……。」
「…親父さん…。呑みすぎですよ…。もういいですから。ほら、お水飲んでください。……もう、大丈夫ですから。」
「すまんかった……。すまんかったなぁ……。」
「…おやっさん!ほら、昔話はもういいってよ!辛気臭くなるからやめれって!……ダァめだな。コリャ。
俺がおやっさん運んで帰るから、後は任しといてくれ。」
「七海さん。すいません。」
「いいよいいよ。おやっさんからちょっと聞かされてたから……。俺も、ラン君達の新生活が嬉しいんだ。娘は丁度ラン君と同じ位だからなぁ…。」
「七海さん…。娘さんいらしたんですか?」
「高校上がる直前に出てっちまったんだ。今思えば、奈緒香をもっとよく理解してやれれば良かったんだ……。音楽をやりたいって、そんなもんで飯が食えるかって言い合いになってそれっきりだ……。どうしてこう、親子関係って難しいんだろうなぁ。」
七海さんが、親父さんを抱えて軽トラまで移動するのを脇を支えながら見送りに出た。七海さんの横顔は、少しだけ悲しげに映る。
程なくして、軽トラは通りから見えなくなった。今日一日で、知らない間に周りから助けられていたと知り、心の奥底の言葉に出来ない感情が少しだけ和らいだ気がした。
『何であんたが此処に居るんだよ?』
ーー突然のトランス。
迎い側の路地に見えた人影は、昨日のバスの車内に居た無賃乗車の女だった。
「それは、コッチの台詞だろう?お前は一体……?」
「友達の手伝いだ。今日、晴れて融通が利く部屋に引っ越したから、少し話を聞きたいって。
…手ぶらは何だから、荷物の整理くらい手伝うって言ったんだ。」
相変わらずの鋭い眼光に、気圧され気味に何とか相手の目的を聞く。
状況を判断するに、後ろの新居となるアパートを指し示しながら話す相手の様子からして、チカと知り合いである事が間違いなかった。
アパートの共用廊下を小走りに駆け寄ってくるチカが、女の姿を確認すると目を輝かせて手を振って応えた。
「っあ!ナオさん!早かったですね!こっちです!もう兄さんともお話ししました?ちゃんと紹介しますね!頼りな気に見えますが、見た目通りに女々しくて気弱な兄です!」
「……チカ!?」
『……フン。チカちゃんの兄貴とは思わなかった。チカちゃんは姓を「東雲」とは名乗らなかったからな。』
「ウソウソ!……優しすぎるくらいの自慢の兄です!それで、こちらはナオさん!駅前でいつもストリートライブをしてるのよ!ギターがすっごく上手なの!私ね、高校入ったら軽音楽部に入るのよ!」
こんな所で、非社会的なサイキッカーとの関りが出来てしまうなんて……。
微妙な反応を示した俺の言いたい事を知ってか知らずか、チカがピシャリと言い放つ。
「うん?度が過ぎたりはしない程度に思春期したっていいよね?お年頃ですからね?」
『……残念ながら、「チカから離れろ」なんてのは言えねぇみたいだな。まぁ、お互い気に入らない所は目をつぶって仲良くしようや?お兄さん?』
『チカの前で妙な事をするなよ?もし、チカが巻き込まれる様な事があれば、俺は容赦しない……。』
『っは。アンタ、兄貴って言うより保護者だな?』
ナオが、トランスを終了しチカの下に移動し始めた。チカは楽し気にナオを案内し先導して部屋へと入っていく。ドアから顔を出して、早くと俺を急かした。
夕刻頃までには粗方の家具の配置も終えて、細かな小物の収納位が取り残された。
チカはナオと共に新しく自身だけの部屋を設けられた為に部屋で何やら騒がしく話している。
自室に引きこもっているが何となく落ち着かず、最近会っていないハルヒコの顔が浮かんできた。あいつ、そういえばどうしているかな?
連絡先は知らないな、家も聞いたことないな……。と、改めて夢路ハルヒコという人間の事を何も知らない事に驚き、他人に関心のない自分に苛立った。
部屋から出て、外に出る事にした。チカに一声かけようとしたが、扉をノックしようとして止めた。代わりに、リビングテーブルに書置きをしてそっと外へ出る。
夢路ハルヒコが出歩きそうな場所……。
ーー全く想像できない。
探し回るのは面倒くさいから、手っ取り早く済まそうか……。
気は乗らないが、相手の所在を知らないんだから、しょうがない。トランスに頼ることにした。
『ハルヒコ。暇か?これから10分後、駅前のハンバーガー屋で待ってる。通信終わり。』
来るかも分からないが、とりあえずの催促はした。
駅前へ向けてバス停へ向かう。夕暮れ時の町を家に帰る人の波に逆らって歩く。バス停に停車したバスからバラバラと人が降り、ポツンと乗り込んで最寄り駅へと向かった。
駅前に到着するころには、駅周辺も人が少なくなってきていた。帰路に急ぐサラリーマンたちとは逆に交差点を渡り、角のハンバーガーショップへと入店する。店内は、部活帰りの運動部だろうか?学生たちで賑わっていた。
飲み物を注文して、適当なボックス席に落ち着く。
家から持参してきた医学書を広げた。中の問題に目を通していく。
「んおぉぉい!人を呼んでおいて無視は無ェだろぉ?さっきから呼んでんだ。返事ぐらいしろっての!」
「っ!……スマン。没頭してた……。」
「あん?何だよその分厚い本は?オマエ、医者にでもなんのかよ?」
「……そ、そうだが……?」
「は?マジで?」
「医者志望だ……。これでもな……。」
「マジかよ……。信じらんねぇ。」
話しかけられていても気づかぬ程に、集中していたようだが、ハルヒコはトランスを聞いてやって来た様だった。ハンバーガーとポテトにLサイズの飲み物がトレーに並んでいる。
ハンバーガーの包みを開き、口に頬張りながら医学書の事を聞いてくるハルヒコに、自分の志望をぽつぽつと答えて言った。
自分も医学書をしまって、食べ物を注文するつもりで席を立つと、ハルヒコが追加でシェイクが欲しいと催促してきた。しぶしぶ注文を聞き、自分用にハンバーガーとサラダ、ナゲットを注文した。
食事の最中は、互いに会話もなく黙々と口を動かす。
会った時から、食べている時はやたらハルヒコは静かだ。テーブルマナーを習うほどの親子関係でもない事を前に話していたところを見ると、コイツの元々の性格なんだろう。
ポテトをつまめるだけつまんで一気に口に含んでいる様子を見て、思わず吹き出してしまった。
ーーまるでげっ歯類の様に口を膨らませている。
「食ってる時に、何人の顔見て笑ってたんだよ?」
「いや、リスみてぇによく伸びる頬だなって……っぷ、くくく。」
「リスだと?オレ様がそんなカワイイ動物と同類だなんて思ってんじゃねぇぞ!」
食事が済んでから、普段の騒がしい口ぶりが戻ってくる。
ひとしきり、抗議の弁を捲くし立てて満足したのか、一息ついてから表情も引き締めて問いかけられた。
「そんで?何か用でもあんのかよ?お呼び出しなら、女の子が良かったってぇの。」
「ん。いや、どうしてるかな?って思っただけだ。別に深い意味はねぇけど。……あ、そうだ。呼び出すのにトランスばっかり使うんじゃこっちも持たねぇから、連絡先教えろよ。」
「はぁ?何そのめんどくせぇ女みたいな反応。男がやると超気色わりぃんですけど。」
「おんっ!? ……女みたいって…。」
「普通に飯食いに誘ったんだと思ったわ。……何?男シュミ?オレ様、そんなシュミ無いからお断りだけど?」
「そんなシュミはオレにも無ぇわっっ!!」
「ふふん。ランはオレ様大好きなんだなぁ?」
「違うわっ!」
何か、非常に心外な勘違いをされているのだが、どうにも弁明を聞き入れてもらえず、説明も諦めた。
店を出て、帰路の途中にハルヒコと連絡先を交換する当初の目的を忘れる所だったのを思い出し、携帯電話を差し出した。ニヤニヤと変な笑みを口元に浮かべながら、一応は応じてくるハルヒコに少々腹を立たせながら、手元に戻ってきた携帯電話から相手の連絡先を確認する。
何故か名前の最後尾にハートマークを入力していたので、ハートマークを消してついでに名前も「バカ彦」とした。
「そういえば……。ナオって女、知り合いか?」
「あれ?なに?連絡先の次は、身辺調査?マジで男シュミ?」
「……いい加減に、そのイジリ止めろよ!ナオって女が、犬居ってやつが俺に話があるって言うんだ。お前の名前が出てきたもんだから、お前の知り合いなんだろう?
犬居ってのは何者だ?」
「ランには関係ねぇよ。……それと、ナオって女にも関わんじゃねぇよ?サイキッカーだ。」
「知ってるよ。あまり良くない事に力を使ってる……。お前も……、あんまり奴らと関わるな。お前は……。……いや。「関係ない」んだもんな……。」
ーーハルヒコは、大事な仲間。
力の使い方は、所有者の倫理観に委ねられる。
「ダメだ……。ハルヒコ。間違った使い方は……。お前を貶める。お前は、そんな人間じゃない……。」
「……。オレは。世界ってのに腹立ってんだ。オレみたいな能力がある個性を潰す世界をさ。オレは、オレなりに世界に歯向かいたいんだよ。オレにも使い道があるんだって示したいんだ。オレがやってんのは、反社会勢力に対する反抗……。普通に生きてる奴らには危害は加えたりしてねーよ。」
「でも、いつか狂う。その論理はいつか破滅する!見境なくなっちまうんだ!何人も見てきた!論理感が破滅しては、ただの犯罪者だ!ハルヒコ!間違ってる!」
「狂ってて良いんですよ。この世界は、既に狂ってるでしょう?」
「!!!?」
全く気付かぬ内に背後を取られていた。
反射的に身を後退させて、相手から距離を取る。
顔全体を覆うように包帯を巻いた黒い洋服の男は、闇夜に溶け込んで顔だけが白く浮き出ているように見える。
姿を見たときに、血の気が引く思いがした。
『知っている……!!俺は、コイツを知っている……!!』
学校帰りに、数人の人間に囲まれ路地へ連れ込まれたことがあった。相手はサイキッカーで、各々、自身の能力を使い金を要求してきた。
普段から、チンピラ風のサイキッカーに絡まれやすかった。その度、ストレングスでダメージ量を減らして、頃合いを見てトリックルームで逃げるのが習慣化していたので、その時も頃合いを見て逃げようとしていた。
突如黒い影が現れた。数人の能力を取り込んだ後、各々にそのまま能力を打ち返し、うずくまる男たちの中に、一人の男がゆっくり近づいてさらに叩きのめしていく。倒れこんでいる男にとどめ打ちを粗方済ました後、もう攻撃など必要ない程失意の相手に、その男は更なる追撃を繰り返した。頭が潰れた者、おかしな方向に首が曲がった者…。一瞬にして視界が血の海に染まった。
躊躇なく、人を殺す目の前の人の形をした者に恐怖し、固まった。声も出せなかった。
「大丈夫?ケガはないかい?」
男の声を聞いて、電撃が走るように我に返った。何も考えず、ただ本能的にその場からトリックルームで逃げていた。
ーーあの時の、あの男だ。
見間違うはずがない。そして、確信した。犬居とは、この男だと。
はっきり自覚できる程に、自分が動揺している事を悟る。呼吸も荒い、過去の記憶が恐怖を呼び起こさせている。
「誰が、あなた達を助けました?
理不尽な暴力から。無慈悲な社会から。誰が、あなた達に救いの手を差し伸べた?
だが、あるサイキッカーが諸悪の根源を取り除いてからどうだい?
実に、ずっと見ていただの、これから頑張ればいいだの、上手い事を言って社会は全部うやむやにしようとする。
おかしいだろう?くやしいだろう?これのどこが正しい世界だい?正常な社会と言えるかい?
この社会全体は、狂おしい程に狂って、理不尽が横行してるんだよ。
そんな社会を、正す為に私はあなた方と一緒に反旗を翻そうとしているんだ。東雲ラン君。どうだい?力を貸してはくれないかい?」
「ち……秩序に…。お前のやり方は……、倫理観から……ズレてる……。」
本能的に、トリックルームが働いた。自身を箱に入れ、目的の地点へ移動をと考えていると、黒い影がトリックルームへ触れる。
ーー能力が解除された。自身のバーストの力よりもはるかに強いバーストで箱の壁を崩された。
「君は無意識に、戦闘から逃げたり、攻撃を避けようとする。その為に能力を使う。それなりの強固な壁だと確信しているからだ。だが、私の″アングリーゴーリー″は君のバーストよりもはるかに強い……!さあ、逃げられないよ?……どうする?どうする?東雲ラン君?」
退路を断たれたと察した。
ライズで詰め寄られている。打撃が入る瞬間にストレングスで衝撃を打ち消し、ライズで退いた。引いた先にアングリーゴーリーが立ちはだかる。
「
アングリーゴーリーを犬居と自分の間に転送する。打撃はアングリーゴーリーに打ち込まれ、ダメージは犬居に入った様に犬居は後ろによろめいた。
種は何となく分かった。自分の能力は、アングリーゴーリー相手には多少対応が出来そうだが、そう簡単に犬居が俺に対応させる訳が無い。
「
自分と犬居の地点を転送する。アングリーゴーリーの打撃が犬居に入った。
「フフフ。なるほどね。そうやって逃げるんだね君は。自分の手は汚さないように。清いままでサイキッカーが生きていけると思うのかい?」
「普通に……。生きたいだけだ……!」
ライズで後ろに回り込む。すかさず犬居が体を畳んで、防御の形を取るが、トリックルームでアングリーゴーリーの前に自分を転送してそのまま黒い巨体に打撃を入れる。
「カフッ!?……はぁあ。昔見ただけで、きちんと対応してくるじゃないか……。じゃあ、こういうのはどうだ?」
「……っあ!?」
前方を母親の手を引いて歩く子供の姿を視認すると、アングリーゴーリーはそれをめがけて攻撃姿勢をとる。とっさに攻撃地点に飛んだ。ストレングスでダメージ量を減らすが、一撃が思っている以上に重い。たまらずその場にうずくまった。
「んぐ……。ヴゥ……。」
「そうだよなぁ。お前は、他人に危害が加わる事が度し難いんだよなぁ。特に、女、子供に弱いんだっけなぁ。……あ、妹。
そういえば、お前には妹が居たなぁ。……いいんだぜ?お前の妹がどうなったって。俺の言う事聞かないで、どうなるかは俺の知ったことじゃない。」
「!?チカは関係ない……!止めろ……。チカだけは……。チカにだけは手を出すな……。」
「おい、チカちゃんは関係ねぇ!第一、ランには関わるなって言ったよなぁ?そんな話だったら、オレも抜けさせてもらうからな。」
「……ふぅ。やれやれ。ハルヒコ。お前バカだなぁ。相手の弱みを握らなきゃ脅しにならねぇだろぉ?お前はどうなんだ?今すぐここで東雲ランを殺してやってもいいんだぜ?大事なトモダチなんだろ?」
懐から拳銃を一丁取り出し、銃口がぴたりと額に当たる。
「っ!?テメェ!?話が違うじゃねえかよ!」
「だから、俺に殺しをさせるなよ?なぁ?ハルヒコ。」
「……っくそ!!チクショウ!」
拳を握りしめ俯くハルヒコの目が怒りに燃えていた。
「で?どうだよ?お前は?
ーーチカ。お前の目の前で犯してやろうか?」
「……ふざけんなよ。チカには、手ぇ出すな。″トリックルーム″……!!」
「?」
″トリックルーム″は、俺の任意の地点にある箱の中の人物、物質を任意の場所に作った箱に転送させる能力。それは人体の一部も例外じゃない。
能力は、使用する人物の倫理観に使い方が委ねられる。良く利用する事も悪用する事も、能力者の思い次第で変わる。
ーー悪用はしないつもりだった。倫理に外れる事をするのは、唯一自分に残された人間性を捨てると同意語だ。
それでも、自分の一番大事な物を守る為なら、人間性を捨てる事など厭わない……。
手始めに、箱の中にある奴の頭から両耳介を適当に転送させてやった。
目の前に耳介がぽとりと地面に落ちる。
「痛っ……!?」
「……次は……。飛ばすぞ頭……。俺の言う事が分かるよな?これ以上……、俺達に関わるな……。ハルヒコからも手を引いてもらう。」
「くくく。はぁぁあ……やれやれ。参った参った。能力化では太刀打ち出来ないな。今回は、諦める事にするよ。
……だが、いずれ手を組まざる負えなくなる……。 」
耳介をそっと拾い上げて闇に溶け込むように消えていった。
「……ラン。……すまん。……オレ、オレのせいで……。」
「……たく。とんだ奴と関わりやがったなぁ……。とりあえず、貸しにしといてやる。」
「……。オレ。見返してやりたかったんだ……。その気持ちは変わらねぇ……。でも、やり方は考える。胸糞わりぃ仕舞いにしねぇように。」
「そんなもん、自分の周りだけにしておけ。掌に収まるぐらいの世界で、認められりゃそれでいい。世界の事なんてお前みたいなバカが変えられっこねぇだろ。」
「……んなぁ。バカにしてる?」
「ああ。バカにしてる。お前は、本当に……バカだよ。」