ユーリア・ワイルドスミスの開発日誌 作:かませ犬
あなたのご近所に魔法使いの家庭があるなら、挨拶ついでに暖炉まわりを見てみるといい。
暖炉の上に箱、陶器の花瓶、もしくは家族の誰も使わなくなったカップがあるはずだ。
そこから一つかみを”煙突飛行取締局”の認可が下りた暖炉に投げ入れ、緑色の炎に包まれて目的地を叫ぼう。
一秒たらずでエジンバラからロンドンにだって移動できる魔法の粉、
『1カップ2シックルで快適な煙突飛行の旅を!』
「快適?」
在庫の
ユーリアは昔から、この宣伝ポスターが気に食わなかった。
煙突飛行に快適なんてあったもんじゃないし、『1カップ2シックル』の文字が赤や緑に光って目に痛い。
中央に描かれた魔女は、満面の笑みのまま暖炉に入り、炎の中に消え、入り、消え、入り、消え──それを永遠に繰り返していた。
この”
そんなことを考えながら、ユーリアはくすねた
抜き足差し足で自室に戻る。居間にいる母親に気づかれないように。
足の踏み場もない自室は、寝室というより作業場に近かった。
本来ベッドがあるべき場所には巨大な作業机があり、調合用の道具やフラスコ、大鍋、廃材置き場から拾ってきた様々なマグル製品が置かれていた。
机の下には数十ガリオン相当の
部屋には粉っぽい、乾燥した空気が充満している。
母親は部屋を訪れるたびに換気をしろと言うが、窓を開けるとストックの粉が湿気てしまうため、ユーリアはここ丸二年窓を開けていなかった。
小遣いのすべてを費やしてストックした材料棚には、ドクシーの手足や多種多様な魔法植物の葉、バイコーンの角など──ホグワーツの魔法薬学教授の薬棚ほどではないが──貴重な材料が所せしと並んでいた。
棚そのものには、爆発に巻き込まれても煤ひとつつかないよう強力な保護魔法がかけられている。
どれも子供の部屋に置くには相応しくないものばかり。
「うん。いい気分」
ユーリアは自分のコレクションを一通り見回すと、満足して笑った。
幼い頃から実験が好きだったユーリアは、
すべては
何なら煙突じゃなくたっていい。
寝食も忘れて実験に取り組む日も少なくない。おかげで11歳ながら身長は同世代の子よりずっと小さく、腕は枯れ枝のように細かった。
それでも両親がユーリアを咎めないのは、ワイルドスミス家に代々受け継がれる発明根性が理由だった。
「おばあちゃん、今日も見守っていてね」
ユーリアは窓際に立てかけられた蛙チョコレートのおまけカードに話しかけた。カードの老魔女がにっこり笑う。
『イグナティア・ワイルドスミス
魔法族の子供がマーリンやダンブルドアのカードを熱心に集めるように、ユーリアは自分のご先祖様のカードを何枚も何枚も手元に置いていた。
自分の先祖が蛙チョコレートのカードになっていることが、そして彼女の開発した
「ええと、今日は7月6日……」
ユーリアは自身の発明日記に日付を書きこんだ。
彼女は毎日必ず何かしらの実験をする義務を自分に課していた。実験の記録とアイデアの蓄積は山となり、部屋の一角を占領している。
「ユーリア! ユーリア!」
階下からの叫び声がユーリアの思考を遮った。
「待って! 今行く!」
古いオイルライターを取り出した。しかしライターにオイルは入っていない。
ユーリアがボタンを押すと、ライターの中の発火石にハンマーが打ち付けられた。
そのとき飛び散った火花が中の
紫色の炎のくすぐったい感触に身をよじっている間に、ユーリアは一階の居間に移動していた。
これは半年前に発明した”移動ライター”だ。中に仕込んだ
移動範囲は十五メートル以内と狭いが、もっと距離を伸ばせれば煙突飛行の代替になるかもしれない。
難点は
ライターをしまうと、呆れ顔をした母親がこちらを見つめていることに気がついた。
「ユーリア。そのライター、ホグワーツでは使わないようにしなさいね」
「ホグワーツ? ママ、今ホグワーツって言った?」
喜色のにじんだ声でユーリアは尋ねた。
母は小さくうなずくと、Hの紋章の封蝋が押された手紙を差し出した。
ユーリアは興奮して封を開け、中の手紙を何度も呼んだ。
ホグワーツ……入学許可……9月1日……一つ一つの単語がじわじわとユーリアの心に染みわたる。
歓喜が血管に流れこんでくるのを感じた。
「パパに知らせなきゃ! ねえ、早く杖を買って! ローブも着たい! 今からダイアゴン横丁に行こうよ!」
「ふふっ」
「どこの寮だと思う? やっぱりパパとママと同じ、レイブンクローかな!」
「ユーリア。そうね」
愛おしくてたまらないといった表情で母は笑った。
そして、夏は過ぎ、あっという間に9月1日になった。
ホグワーツ特急が出発する日。ユーリアがホグワーツ魔法魔術学校の新入生になる日。
支度を終えたユーリアは暖炉の前で母と向かい合っていた。大事な話があると母は言っていた。
「ユーリア」
すると、母はひざまずいて彼女の両頬を手で包みこんだ。
やけに神妙な雰囲気に、ユーリアの興奮がすっと覚めていく。こういうとき母が何を言うか、ユーリアは何となく知っていた。
「ユーリア。約束は覚えてる?」
「
「そうよ」
母は杖をユーリアの掌に当てた。困惑して、ユーリアは体を硬直させた。母に杖を向けられたのは初めてだった。
「
杖の先から、淡い緑色の糸のようなものが這い出してくる。糸はユーリアの手腕に巻きつき、二の腕、肩、そして喉に絡み付いた。
上半身の半分を糸に巻かれたユーリアは、自分が何かに干渉されるような奇妙な感覚を覚えた。
「友達にも先生にも、あなたが信頼する誰が相手でも
「分かった」
ユーリアはこの魔法が何かを知っていた。
魔法契約だ。
最も重い魔法契約は「破れぬ誓い」──命をかけて誓いを立てる魔法だ。しかし今自分がかけられている魔法は本に載っていた「破れぬ誓い」とは違っていた。
破ったらどんな代償を払わなければならないのだろう。
ユーリアは不安になってすぐ近くにいる父の目を見た。父は小さくうなずいただけだった。
「でもママ、どうして魔法までかけて秘密にするの?」
出発の時間になり、ユーリアは
わざわざ魔法契約で縛らなくても、ユーリアは秘密にしろと言われれば秘密にできる。何だか自分が信用されていないような気がして嫌だった。
母は悲しんでいるような怒っているような、奇妙な顔をして答えた。
「あなたにもいずれ分かるわ」
在庫切れを起こしたこともなければ、誰が作っているのも知られていない魔法の道具。唯一、とある会社が製造特許をとっていることだけが知られている。
イギリスではダイアゴン横丁に本部が置かれているが、窓口対応を一切行わず、社員が何人いて、工場がどこにあるのかさえ分からない。
なぜここまで秘匿されているのか、魔法使いは気にも留めない。
1カップ2シックルの粉にそれ以上の価値があるとは、誰も思わないのだ。