ちょいと語られるアヤベさんの家庭事情や、アヤベさんのお母さんの設定は全て個人の妄想ですので悪しからず。一応名前はリアルに合わせましたが、もしかしたら公式設定と食い違ってるやも……。
僕はトレセン学園のトレーナーだ。担当しているトレーナーはアドマイヤベガこと、アヤベさん。
今回は割愛するが、彼女と一緒にお昼ご飯を食べたりメイド姿を見たり特別移籍を検討したりチョコをもらったりバイウールーの世話をしたりで、かれこれ二年となる。
そんな僕は現在───
「……トレーナー、そこ左」
「ん、左ね」
「それから、あの信号を右」
「右……あ、この信号をね。了解」
「……違う。あの奥の方の信号。ここの信号は真っ直ぐよ」
「えっここは真っ直ぐ? あぶなっウィンカー出しちゃうとこだった」
助手席に座るアヤベさんの指示に慌ててハンドルを握り直す。
そう。僕は現在、彼女を乗せて自前の車を運転していた。
行き先は一つ。アヤベさんの実家である。
事の始まりは三日ほど前に遡る。
『……トレーナー。今度の土日、私の家に来てくれない?』
『は?』
突然の提案だった。突然すぎてトツになった。困惑◎である。
『……家って、アヤベさん、の?』
『……そう。私の実家』
『うーんと……なんで?』
混乱する頭で真っ先に捻り出せたのがその言葉だった。
いやそりゃだって……実家……ハウスて。
確かに二年間共に過ごしはしたし絆も深めた(当社比)けど、さすがにそれはまだ早いというか……もう少し段階を踏んでからが良いんじゃないだろうか。なんの段階かは知らないけど。
だがアヤベさんは『そんなのは私もわかってる』と言いたげな表情で、
『……お母さんが前からうるさいのよ。「あなたと久しぶりに会いたいし、この二年間あなたを育てたトレーナーさんに改めて挨拶をしたい」って。……連絡自体は結構前から来てて、忙しいから適度にいなしてたんだけど』
……一年目にアヤベさんと信頼関係を築き、二年目辺りで妹さんの幻影を振り払っていたと考えると、本当に『忙しい』てレベルじゃないほどのイベントがあったなと思った。
それからの彼女の説明を要約すると、その母さんからの誘いは『もうすぐレースがあるから』などでお茶を濁していたものの、昨日に『あなた直近のレースはほとんど終わったんでしょ?さぁ帰ってきなさい!』みたいな感じに押しきられてしまったようだ。
……まぁ、アヤベさんは呆れた顔してたけど……親としては、期待を込めて送り出した我が子がたくさんのレースを勝ち抜いて立派になれば、そりゃ久しぶりに顔を会わせたくもなるだろう。
トレセンにいると、学生の頃から早々に年末年始ぐらいしか実家に帰らない生活になるわけだし。
……ちなみにだが、アヤベさんの父親は所謂『出張族』らしく中々家には帰ってこないらしい(今はインドにいるんだとか)。本当は父とも顔を合わせたかったのだが、これ以上予定がカッチリ合うタイミングを待っているといつになるかわからないので、父には写真で我慢してもらうことになったそうだ。
『それで、土日に帰ってこないかって……確かトレーナーも、土日は予定なかったと記憶してるけど』
『そう……だね、うん。よし、じゃあ今週の土日に行こっか』
そこから車は僕が出すよ、などとトントン拍子に話がまとまっていき、そうして来たる土曜日、僕はこうして車を走らせているわけだ。
「……にしても、まさかこんな形でアヤベさんの実家に行く事になるとは」
運転しながらボソリと呟く。アヤベさんの実家はトレセンから割と離れたところにあり、かれこれ結構な時間車を運転している。
「……あら。あなた、どんな形で私の実家に行くことを想像してたの?」
カーナビ役として、僕と同じぐらいの時間を助手席に座っているアヤベさんが独り言に耳聡く反応する。……僕としてはあまり拾われたくなかった言葉だ。
「いっ、いやどんな形っていうか、その……ま、まさかこんな日常の延長みたいなノリで実家に行く事になるなんてなー、みたいな?」
「……別に、私の実家なんて行こうと思えばいつでも行けるわよ」
「そ、そうなんだけどねっ」
「……まぁ、確かに私も、こんな形でお母さんにあなたを紹介することになるとは思わなかったけど」
なんだか意味深に聞こえるような言葉だった。
しかし、生憎この時の僕は緊張でそれどころではなかった。
「あー……上手くやれるかなぁ、アヤベさんのお母さんと」
「……まぁ、あなたは第一印象はそこまで悪い人でもないから大丈夫だとは思うわよ。いつも通りにやってれば」
そこでアヤベさんは、不意に目線を窓の外にやった。
「……もし向こうが拒否しても、私が無理やり認めさせるから」
「えっ? アヤベさん今なんて───」
カーブの最中だったのでよく聞こえなかった。自分的には大事なことを言ってそうだったので、慌てて聞き直そうとしたのだが、
「それじゃあ始めるよ! 第四回目のしりとり大会ー!!」
「いぇーい!」
「い、いえ~い!」
後部座席から聞こえたテイエムオペラオーの音頭、そしてナリタトップロードとメイショウドトウの声によって掻き消されてしまった。
物憂げな顔をしていたアヤベさんの眉間に一瞬でシワが寄った。
「じゃあ始めるよ! 最初はナリタトップロードの『ド』からだ! はいまずはトップロードさん!」
「ちょっと」
「はい!えーと『ド』からですね……ド!? 一発目から『ド』ですか!?」
「『ド』って、しりとりでも後半戦に来るような文字の気が~……しりとりの後半戦って何なのか知りませんけど……」
「ちょっと!」
窓の外を見ていたアヤベさんが、助手席の背に肘をつけて後部座席を見やる。その動作によってアヤベさんの顔の位置がさっきより運転席と近くなり、僕がドギマギするという副次反応が生じていたのだが誰も気づかなかった。
「何平然と後部座席に乗ってるのよ。なんであなたたちまで私の実家に案内しなきゃいけないのよ」
「まったく、アヤベさんは薄情だなぁ! こんなイベントをボクたち抜きでやろうだなんて、水臭いじゃないか!」
「ド……うーんと……ド……」
「その、私はオペラオーさんから誘われて~……迷惑かもしれませんけど、アヤベさんのお母さんには会ってみたいですし、私もアヤベさんにお世話になってるから挨拶したいですし……」
口々に言う三人に、アヤベさんはため息を吐いて元の体勢へと戻った。
「トレーナー、もうこの際ドトウとトップロードさんは乗せてていいわ。オペラオーだけは下ろして」
「ちょ、アヤベさん!? 待ってくれたまえ、この二年間共に牙を研ぎ合ってきた
「あっほら、ちょうど押しボタン式の信号に止まったから。オペラオー、あのボタンを押してきて」
「押しにいった瞬間に置いてくつもりだろう!? ボク絶対着いてくからね!? せっかくボクのCDやブロマイドも持参したのに!」
「窓から捨てなさいよ早く」
なぜ僕ら二人だけでなく、いつもの覇王たちまでついてきているのか。その事の始まりは二日ほど前に遡る(らしい)。
といっても、僕らが土曜日にアヤベさんの実家に行くことを、オペラオーがどこからか聞き付けたらしいのだ。そこから、オペラオー → ドトウ → トップロードみたいな感じで話が広まり───今に至るらしい。
まぁ、大所帯なのは良いことだろう、たぶん。一応アヤベさんのお母さんには『五人くらいで行く事になりそうです』と事前に連絡しておいたし(なぜか速攻で『どうぞ来てください』と返信が来た)。
「あっ思い付きました! それじゃあ、『道場破り』で!」
「じゃあ次はボクだね! り……では、『リゴレット』だ!」
「と……え、えっと~、それでは『東海道中膝栗毛』で……」
「よし、『げ』だよアヤベさん!」
「……『下駄箱』」
「えー、なんだいアヤベさんそれは。もっと真面目にしりとりしないと意味がないじゃないか!」
「真面目なしりとりって何よ……」
想像の三倍ぐらいうるさくなって、車は走っていった。
「……ここよ」
「ん、ここ?」
六回くらいしりとりをした後、アヤベさんの指示に従いブレーキをかける。超安全運転をしていたのもあり(なにせスターウマ娘四人を乗せているのだ)、タイヤは地面との摩擦音を小さく響かせゆるやかに止まった。
エンジンを切ってシートベルトを外し、車の窓からアヤベさんの家を見上げてみる。
ようやく着いた彼女の家はなんというか……全然普通の家だった。メジロ家のような豪邸でもなく、白色の壁に青っぽい屋根というどこにでもありそうな一軒家である。
緊張していた分拍子抜けしそうになった。それは後部座席に座るオペラオーたちも同様のようで、
「えっ、ここがアヤベさんの実家なのかい?」
「……そうだけど、なにか文句ある?」
「文句はないけど……アヤベさんのことだから、てっきりもっとカラフルな家に住んでたり、家の隣に専用のプラネタリウム施設でも増築してたりしてるかと……」
「私の家をなんだと思ってるのよ……」
的なことを話していると、車のエンジン音を聞き付けていたのか、家の扉が独りでに開いた。
中から出てきたのは、一人のウマ娘だった。
アヤベさんよりやや背が高く、歳上に見えるウマ娘は、僕の車を捉えるとパタパタと駆け寄ってきた。
慌てて僕たちも車から降りる。
やがて僕たちの前へとやって来ると、そのウマ娘は深々とお辞儀をした。
「ようこそいらっしゃいました。私はアドマイヤベガの母親……『ベガ』とでも呼んでください。ウチのアヤベがいつもお世話になっております」
『ベガ』と名乗ったウマ娘は、柔和な笑みを作った。
……アヤベさんがいる以上、歳は最低でも三十には差し掛かってるはずなのだが、それをちっとも感じさせない容姿だった。
「あっ、ご丁寧にどうも……こ、こちらこそアヤベさんのトレーナーやらせてもらってます。おたくの大事な娘さんを預けてもらって……」
「あ、アヤベさんは本当に良い人で~……私はむしろお世話してもらってるというかぁ……」
「競争相手としても申し分ないですし、い、委員長の仕事もよく助けてもらってます!」
そんな人があまりに丁寧にお辞儀をするので、思わず僕らの方がかしこまり背筋が伸びてしまった。
「お初にお目にかかります。いつもアヤベさんのライバルであり共演相手であり学友をやっている、テイエムオペラオーです。こちらはつまらないものですが、お近づきの印に」
この場で自分のテンションを維持していたのはオペラオーだけだ。お近づきの印にとか言いながら懐から取り出したのは……車内でも言っていたあのCDやブロマイドである。
マジで持ってきていたのか……。
「ああ、ご丁寧にどうも……」
それを律儀に受け取るアヤベさん母。
「ちょっとお母さん、そんなの一々受け取らなくていいから……!」
「何言ってるのよ。せっかくあなたの大事な……お友達が持ってきてくれたものなんだから」
そう言いながらアヤベさんの母親は僕ら一人一人に視線を移していった。それからやたらと感慨深そうに頷く。
そんな母にアヤベさんは額を押さえると、
「……とりあえず、ここにい続けるのもなんだから、早く家に入って」
僕たちを案内し始めた。
案内される直前、トップロードが耳元に寄ってきた。
「あのアヤベさんの母親のベガさん、アヤベさんにすごく似てますね」
「確かに……」
厳密には逆で、アヤベさんが母親に似たのだが。
「なんというか、アヤベさんが正常に歳を取っていったらあんな顔になりそう……」
「私は今のアヤベさんに『母性』と『大人の余裕』を五割ずつ足していったらあんな感じになるんじゃと思いました……」
なるほど、とトプロの評価に頷く。
今のアヤベさんも充分大人びているが、冷たさすら感じるアヤベさんのソレとは違い、ベガさんのソレはちゃんと温かさ───それこそ母性とでも言おうか───を感じられるモノだった。
まぁなんにせよ、ちゃんと『ああこの人の元で育ったんだろうな』と思えるのは良いことである。それは良い家族であることの一つの証だからだ。
「……じゃあ、好きに座っといて」
外装が普通のモノなら、内装も普通のモノだった。
アヤベさんと母親の二人で暮らすには広いと思える(一人だともっと広いだろう)家を、アヤベさんに案内されてリビングまで来る。
部屋の持ち主の意向か、物はよく整頓されており埃も全く落ちていなかった。新築の家に来たような錯覚を覚える。
……っとそうだ、忘れる前に。
「あのーベガさん、コレつまらないものですが……」
ちょっとお高めの菓子折りを彼女に渡す。道中にアヤベさんの『いやそんなの気にしなくていいから。ホントに』という制止の声を押しきってサービスエリアで購入したものだ。
「あら、ご丁寧にありがとうございます……後で皆さんでいただきましょうか」
受け取る際、何やらベガさんは僕の体を鑑定でもするように見つめた……ような気がした。うう……前日に美容室とか行ったが、まだヤバい部分があっただろうか……?
それから三秒ほど母親の眼差しに耐えていると、不意に彼女は顎に手を当てて「ふむ」と小さく頷いた。
そして僕から視線を外すと、
「それでは、少し早いですがお昼の用意をしましょうか。トレセンからはそれなりに距離がありますし、お腹も空いたでしょう」
そう来客たちに呼び掛けた。
……今の間はなんだったのだろうか? 僕の知らないところで不味い展開になってなければいいが……。
「あ、あの、私も手伝いますぅ~」
「わ、私も!」
ともかく、料理になるなら手伝いをしようとドトウやトプロが名乗り出る。
しかし、それは横からアヤベさんが「あなたたちはお客様でしょ」と遮った。
「私が手伝うわ」
「あら、手伝ってくれるのアヤベ? ありがとう」
「……別に」
親子、似た背中を見せてキッチンへと向かう。久しぶりの共同作業だからか、二人の尻尾が同じように揺れているのを見ると、思わず僕の顔にも笑みがもれた。
予め用意していた分もあったようで、料理の準備はさほど時間がかからずに終わったようだった。
「はい、できましたよ」
呼び掛けと共に、ベガさんwithアヤベさんとで作られたお昼ご飯がテーブルへ運ばれてきた。僕らは他の部屋からも椅子をもってきながらテーブルの前へ座る。
準備中に、
『育ち盛りのウマ娘が四人もいるんだから、これぐらいたくさん食べるわよね?』
『……たぶん』
という二人の会話が聞こえてきていたのだが、その通りテーブルには大量の料理が運ばれてきていた。
並のニンゲンだったら十人家族でも賄えそうな量である。あまりの量に一瞬「あれ? ここってバイキングだっけ?」と思ってしまったぐらいだ。
「うわぁ~!」
「うぉぉ……」
ドトウたちは嬉しさが勝っているようだが、僕は食費大丈夫かな云々の心配が勝っていた。
しかし、ベガさんはあくまでも
「さぁ。遠慮なく食べてくださいね」
なんて朗らかな笑顔で言うのだった。
「で、では……!」
大人の気遣いには存分に甘えるのがこの年頃である。
『いただきまーす!』という挨拶と共に、オペラオー、ドトウ、トップロードはどんどん料理を口に運んでいった。食べた瞬間、皆一様に頬を緩ませる。
「うわっ美味しい! これっ、その、すごく……えっと、すごく美味しいです!」
「っ、この唐揚げ美味しい! さすがはアヤベさんのお母さんだ!」
「ふふふ。まだまだおかわりもありますよ」
嬉々としておかわりをねだる三人に、これまた嬉々として料理を追加していくベガさん。まだ会って間もないというのに、もう打ち解けあっているようだった。二人のこの能力には舌を巻く。
「これぐらい食べてくれるとこっちも作りがいがあるわ。もうウチのアヤベはねぇ……ウマ娘の割には食が細いし、一人でサンドイッチばっかり作って、勝手に食べてるんだから」
「ちょ、お母さん……!」
珍しくアヤベさんが明確に顔を赤くして止めに入る。だがそれを物ともせず、ベガさんは「そうそうあの時だって……」みたいに話し続ける。
いくら大人びてるアヤベさんと言えども、さすがに自分の母親には弱いらしい。
ちなみにそんな中僕はと言うと、情けないことに大量の料理に圧倒されて、既に胃もたれを起こしそうになっていた。
「トレーナーさんも、ウマ娘ではありませんが男の人なんですから。もっと遠慮せずに食べてください」
「ウ、ウッス……」
遠慮してんじゃなくて食べれないんです、という言葉はベガさんを前にすると言いにくかった。
出されたものはちゃんと食べるのが礼儀だし、何より彼女は100%の善意で言ってそうだったので、それを無下にするのはどうかと思えたのだ。
し、しかし、この量は……。
「……お母さん、トレーナーはもうお腹一杯みたいだから、そのあたりにしてあげて」
「あら、そうなの?」
「トレーナー、私と一緒の部類で男の人にしては食が細いのよ」
その時、アヤベさんが横から助け船を出してくれた。……言いにくいとは言ったが、助け船に乗らない手はない。
僕は首をかしげて見てくるベガさんにコクコクと頷いた。
するとベガさんの代わりにアヤベさんが「やっぱり」と呟く。
「無理して食べなくてもいいから。向こうで休んでなさい」
「も、申し訳ありません……」
「あっ、い、いえいえこちらこそ……。にしてもアヤベ、よく気づいたわね?」
「……そりゃ、仮にも二年間過ごしてたもの。……トレーナーとウマ娘として」
二人の会話を小耳に入れながら僕は飯の席を早めにリタイアした。
……なんか最近、油物が胃にクルようになってきた……ような気がする。気のせいだよね?
なんとかソファーに座りお腹を宥めること数十分。その間にウマ娘の皆さんはあの料理を全て平らげたようだ。
そして今度はオペラオーが
「よし! せっかくアヤベさんの家まで来たからには、やることは一つ! アヤベさんの部屋を捜索するぞ!」
とか言い出してドトウとトプロを巻き込んで二階に行ってしまった。「ちょっと待ちなさいよ!」とマジなトーンで追いかけたアヤベさんもだが……食後によくあんなに動けるな……。
ベガさんは微笑しながら皿洗いをしていてまだ話せる雰囲気でもなく……なんとなく居心地が悪くなってしまう。
それからとりあえずのお茶濁しとして、僕はトイレに行くことにした。色々迷いながらなんとかたどり着く。……なんで人の家のトイレってあんな見つけにくいんだろう。
そうして用を足した帰りのこと。
「……ん?」
リビングに戻ろうとしたのだが、その手前あたりのとある部屋が目に入った。その部屋には大量の本棚と大量の本があり……どうやら書斎のようである。
なんとなく好奇心でその部屋に入ってしまう。すると、備え付けの机に一冊の本があるのが見えた。
視線を動かしてみると、本棚の一部に隙間が空いているのが見える。おそらく、本来はあの位置にあったものなのだろう。
(戻した方が……いいよね?)
そう思って本へ向けて手を伸ばした。だが……なんと言いますか、ほら。
ボールペンを持ったらとりあえずカチカチするように、手頃な石ころがあったらとりあえず蹴るように、目の前に本があったらとりあえず開きたくなるものだった。
そして、開いてわかった。
「これ……本じゃなくてアルバムじゃん」
我ながらトンチンカンな間違いをしてしまっていたようだ。机の前に座り分厚めなソレを開くと、まず目に飛び込んできたのは、一組の男女だった。
今の僕よりやや歳上と見える男性ととあるウマ娘が並んでいる。そのウマ娘の手には一人の赤子の姿があった。
「あっこれ……アヤベさんか」
そう直感する。よく見れば赤ん坊にも小さくウマ耳が生えているし間違いなさそうだ。とすると、隣にいる男性は件の出張中の父親だろうか?
アヤベさんとは対照的に明るそうな父親だな、と思いながら別のページを見てみると、今度は七五三の着物を着たアヤベさんが写っていた。
背丈や顔立ちから察するに、たぶん三歳の頃だろう。着物を着て嬉しそうに笑っていた。
その姿に無意識に笑みをこぼしながらふと思う。
(確かアヤベさんが妹さんのことを知ったのって……レースをするぐらいの歳になってからだったよね?)
ということはこう言ってはアレだが、まだこの頃は素直に笑えていたのだということなのだろうか。
そう思いながらまた別のページへ行こうとしたとき。
「◯◯さん」
不意に後ろから名前を呼ばれ、心臓が口から出そうになった。咄嗟にアルバムを庇いながら振り返る。
だが、そこに立っていたのはベガさんだった。どうやら洗い物を終えて僕を探していたらしい。
「あ……驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ大丈夫です。僕が勝手に驚いただけなんで……」
この人なら別に隠さなくても大丈夫だろう、とアルバムを庇う手を退ける。
勝手に見たことを少し咎められるかと思ったが、ベガさんは僕の肩越しにアルバムを見つけると何も言わずゆっくりと僕の隣に座った。
「その、先ほどは申し訳ありませんでした」
「先ほど?」
「あなたが料理の量に困っていたのに、私気づけなくて……」
「ああ、別に良いですよあんなの」
手を振る。あんなの何も気にしていない。ただ単にベガさんが張り切りすぎただけで、悪意が無いのもわかっているし。
その旨を伝えたのだが、ベガさんは顔に影を落とした。
「私、昔っからこうなんですよ。イマイチ他人の気持ちを推し量りきれないというか。……あの娘に対しても、そうだった」
「あの娘……アヤベさんのことですか?」
ベガさんは深く頷いた。
「妹を亡くしてたと知ったあの娘に、寄り添いきれてやれなかった。夫が出張族だったとか、私も忙しかったなんていうのは、言い訳にもなりません」
そこで言葉を区切ると、ベガさんは「それ、いいですか?」とアルバムを指した。元々ベガさんの物なので、僕は慌ててアルバムを彼女の手元へ移動させた。
「ありがとうございます。……ほら、見てください」
アルバムのページをおもむろに開くベガさん。『見てください』とページを指定して開いた割には、何も意識していないような手付きだった。
自然に覚えてしまうほど何回も開いたのか……それとも『どこを開いても同じ』だというのか……。
「これ……」
正解は───後者だった。
そのページにいたのは、いずれも幼いアヤベさんだった。
公園で遊んだり、運動会で赤のハチマキを着けてたり、ペットショップで目を輝かせたり、外でレジャーシートを広げてる姿などが写真に納められていた。
あの七五三の写真の時よりも時間が経っているようで、少し大きくなっているがいずれもあどけなさを感じられ可愛らしかった。今への面影も感じられる。
しかし……その他にもこの写真たちには共通する事柄があった。
「ずっと、一人でしょう?」
僕が思い当たると同時に、ベガさんが言った。
「あの娘が自分から一人になろうとしてること……私は気づいてあげられなかった。孤独を癒す手伝いも、してやれなかった。……母親失格ですよね、これでは」
「そんなことは……」
言いかけて止める。
僕は人の親になんてなったことはない。今のこの気持ちはきっと、母親にしかわからないのだろう。
だったら、僕なんかの慰めが、一体何の役に立つというのか。
「……アヤベさんは、たぶんあなたのことを恨んではいないと思いますよ」
だから、僕の立場でもわかることを伝えておく。これなら僕でも言う権利はあるはずだ。
その言葉を聞いたベガさんは僕の方へ顔を向けると、小さく笑った。
「そう言っていただけると、少しは救われます。……結局、あなたにはお世話になってばかりですね」
「いえいえそんな……愛バの世話をするのはトレーナーとして当たり前のことですし」
「トレーナーとしてだけではなく、ですよ」
え、と僕が聞き返した瞬間、二階から声が響いた。
『うわー! まさかアヤベさんが自分の部屋にこんなものを置いていたなんて!』
『ちょっ……! 返しなさいよそれ早く!』
『は、はわ~まさかアヤベさんがそんな物を~……』
『トレーナーさんが知ったらどんな顔するでしょうか……』
『返してって!』
「…………」
他人の実家にまできて彼女らは何をしているのだろう。
僕は頭を抱えてどうベガさんに詫びようかと思ったが、なぜかベガさんはその声を聞いて優しく微笑むだけだった。
「……ベガさん?」
「情けない話かもですが……あの娘のあんな声、初めて聞きましたよ」
そこで彼女は僕の目を正面から見据えた。
「友達にしろライバルにしろ、あの娘にあんな風に接せられる相手を作ってくれた。その一点で、私はもう◯◯さんには感謝しきれません。本当に、ありがとうございました」
言いながら、ベガさんは深々と頭を下げたのだった。
人生においてそこまでの感謝をされたことがなく、僕は戸惑ってしまう。
「あ、えと、その……ぼ、僕は、ただガムシャラに走ってただけで……」
「……こんな私が言えた義理ではありませんが」
そこでベガさんは顔を再び上げた。
「これからもあの娘のこと、どうかよろしくお願いしますね」
戸惑ったが、その問いには男として力強く答えないわけにはいかなかった。
「はい! ……これからも、アヤベさんのことはちゃんと見ておきます。泣かせたりも……えっと、なるべくは、させないようにします」
「謙虚ですね」
……結局最後の方でいつもの弱気が出てしまった僕に、ベガさんは微苦笑した。
僕の方も照れくさくなってしまい、そのまま二人で少しの間笑い合った。
そうしていると、突然二階からドスドスという音と共に足音が降りてきた。
なんだなんだと思っていると、音の主であるテイエムオペラオーがこちらの部屋へとやって来た。
「ああそこにいたのかいトレーナー君! 見てくれ! アヤベさんの部屋からWiiiと『ボンバーバ』のゲームソフトが見つかったんだ!埃は被ってるが問題なく動くようだし、皆でやろうという話になってるんだが……」
「え、『ボンバーバ』? また懐かしいソフトだな……」
少し色がくすんだパッケージを見つめる。軽く十年ぐらいは前に発売されたゲームだったような……。
と、そこでベガさんが反応する。
「……あ。それは確か、私が福引きか何かで当てたゲームです。アヤベが楽しむかなと思って与えたんですが……」
ベガさんは苦笑いを挟んだ。
「……私がゲームができないせいで、あの娘CPUと延々戦っていて……部屋にしまってたってことは、やっぱり楽しくなかったのでしょうかね……」
「ふぅん、要するに対人戦をしたことがないんだね? なら僕らにも分がある! よし、トレーナー君も参戦するといいさ! 罰ゲームも決めておこう!」
一方的に言うだけ言って、嵐のようにオペラオーはリビングへと戻っていった。そのあたりで、やいのやいのと言いながらドトウやトプロたちの足音が二階からやって来る。
それに続く形で、僕は腰を上げた。
「じゃ、じゃあ僕も行ってきます。誘われたんで」
「はい。今までの分も、遊んでやってください」
どこか重荷が抜けたようなベガさんの声を背に、僕はリビングへと向かった。
「……あ。ちょっと待ってください」
───はずだったのだが。
不意にベガさんが上げた声に僕は立ち止まった。まだ何かあるのだろうか?
僕が目線でそう訴えると、ベガさんはゆっくりと僕に歩み寄ると、頬のあたりまで顔を近づけてから小さくこう言った。
「私としては、あなたはもう文句無しの合格点なので。あなた方双方が望むのであれば、いつでもアヤベは貰っていいですからね?」
「へぇっ!?」
思わず完全に素による、変な声が出た。
そしてそこでタイミング良くか悪くか、
「……トレーナー? どうしたの?」
三人から遅れていたらしいアヤベさんがこちらへとやって来た。
その顔を見た瞬間、顔が紅潮してしまう。ベガさんの言葉もあって余計に意識してしまう。
「い、いやっ、その……」
「……?もしかして、お母さんが何か───」
「な、なんでもないよっ! ほ、ほら早く行こう! ボンバーバしよう早く!!」
急いでアヤベさんを押し、部屋から脱出した。
そんな僕らの様をお義母さ───じゃないベガさんは口許に手を当てながら笑って見守っているのだった。
───その後。
「ちょっ、アヤベさん!? みそバンになってからボクのウマを執拗に狙うのはやめてくれないか!?」
「うるさいわね。私のウマをボムで倒しておいて」
「あああーーーっ!! ボムを置き間違えて自爆しちゃいました~……!」
「大丈夫ですよドトウちゃん、そのミスはボンバーバをプレイした人の九割が一度はしたミスで……ってあぁっアヤベさんのトレーナーさん!! アイテム燃やさないでくださいよー!!」
「ふふふ、相手のパワーアップを封じるのも戦略だよ。そして、僕は更にここからドクロも取りに行ってやるぜ!」
その日、ボンバーバにCPUが入り込む隙間はなく、この家は笑い声で溢れていたのだった。
これでpixivのストックが尽きてしまったので、たぶん更新は長らく止まるかなと思います。
一応、文字数が多すぎるとかの都合でハーメルンの方には投稿していない作品も二作品ほどありますので、良ければpixivの方にも同名のタイトルで出しているので、覗いていただけるとありがたいです(宣伝)。
ここまでお付き合いしてくださった方、ありがとうございました!