ファン感謝祭当日。
もうすぐ時刻は十四時半となる。感謝祭も折り返し地点に入ったというところだ。
「コチラの席へどうぞ。……ご主人サマ」
その中の出し物の一つであるメイド喫茶にて、僕はメイド服を着たアヤベさんに席へと案内されていた。
席は普段ウマ娘たちが教室で使っている机を四つ繋げて作られていた。よく見ると、表面に落書きがされたまの机もあった。落書きの内容から察するに、授業中のセイウンスカイが書いたモノだろうか?
「……こちら、メニュー表になります……ご主人サマ。注文が決まりましたら、呼んでください」
机を観察してる僕を余所に、アヤベさんが───ひどい仏頂面をしたアヤベさんが一枚のメニュー表を手渡してくる。
表には、手書きでのメニュー説明と小さな写真が貼り付けられていた。
「ん、ありがとうアヤベさん」
「……別に」
「あのー、アヤベさん……さっきから表情が『無』なんだけど」
「……そんなことないわよ。……ごゆっくり気楽にどうぞ、ご主人サマ」
「僕には『早く帰れ』て言ってるように見えるんだけど?」
「……うるさいわね」
……さっきからアヤベさんはいつもの五割増しで素っ気なく無表情だった。
台詞も棒読みだし。口調もいつの間にか敬語じゃなくなってるし……。
「アヤベさん、笑顔笑顔。接客の基本だよ?」
すると見かねたのか、横から料理の運搬を終えたらしいオペラオーが、両手で頬を持ち上げながら言う。
その仕草に、アヤベさんはいつにも増して鬱陶しそうな顔で答えた。
「……そんなことわかってるわよ」
「さっきまで営業スマイル感満載でも普通にできていたじゃないか。それとも、トレーナー君相手だと急にできなくなるのかい?」
「そういうわけじゃ……」
「せっかくアヤベさんは素材が良くて、今はメイド服という平時と違う装いをしているというのに、そんな仏頂面じゃもったいないよ。ねぇトレーナー君?」
「えっ、その流れで僕に振らないでよ……ノーコメント権を行使するから」
『そもそもアヤベさんは存在そのものが美しいから』───なんて言えたらいいのだが、そんなこと言った日には目の前のアヤベさんにドライアイスより冷たい目で見られるのが容易に想像できる。ここは自重した方が良いだろう。
「…………」
だが、僕の自重した態度に対して、なぜかアヤベさんは探るような視線を向けてきた。
えっなにその目は。……まさか、心を読まれている??
「あっ、あのアヤベさん。注文が決まったんだけど、いいかな?」
心の中でのあのキモい発言を読まれた日には毒薬を一気飲みするしかないので、僕はすぐさま彼女に声をかけて妨害することにした。
「……あら、トレーナーにしては早いわね」
狙い通りというか、アヤベさんは思考を中断したように言いながら、メイド服のポケットから紙とペンを取り出す。
とはいえメニュー表なんてまだちゃんと見れていない。とにかく真っ先に目についたものを頼もうかと、僕はメニューをざっと見渡す。
不意に、先ほどオペラオーがオムライスを運んでいたのが思い出された。
「じゃあえっと、オムライスは……これか。この……『ウマ娘ちゃんたちが織り成すFU☆WA☆FU☆WA☆オムライス』を一つで」
色々とテンションがおかしい気がするメニュー名をアヤベさんに告げる。……ちなみにどうでもいいが、僕の中でオムライスというのは『時々無性に食べたくなる食べ物ランキング』で堂々の一位を獲得している食べ物だ。
僕の注文を聞いたアヤベさんは、なぜか一瞬だけ体を固まらせた。
「……どうしたの?」
「よりによってそれを頼むのね……何を描いてほしいの?」
「描く?」
首をかしげる僕に、アヤベさんはメニュー表の一点をトントンと叩いた。
「……サービスで、好きな文字を描かせることができるから」
言われてメニュー表を見ると、確かにメニュー名の下に小さくそんなサービス内容が描かれていた。
……どうしよう。正直決めかねる。注文自体、急ぎで決定したものだしなぁ……。
「保留って、できる?」
「……まぁ、できるけど」
「じゃあ、一先ず保留で」
「……ん」
アヤベさんは小さくそう答えると、紙とペンを持ち直した。
「……それで、他に注文は?」
「うーん、とりあえずはそれでいいかなぁ」
「……飲み物はいいの? ここはコーヒーも出せるけど」
「え、ホント? ……あ、ホントだ」
メニュー表を探してみると端っこの方にコーヒーがあるのを見つけた。
「じゃあ、コーヒーも。砂糖は───」
「三つよね」
「うん。あ、あと───」
「あまり熱くなく、よね」
「そうそう。……うん、じゃあこれで」
「わかりました。……では、少々お待ちくださいませ。ご主人サマ」
紙とペンをポケットに仕舞い込むと、アヤベさんは一礼してから調理場へと戻っていった。オペラオーも「ごゆっくり」と言ってから追従していく。
……なんだかんだ、『仲良く』はないけど一緒に行動してるよなぁ、あの二人。あの関係性にはどんな言葉を当て嵌めればいいのだろう……。
さて。料理が来るまでの間しばし暇となる。スマホをいじるのも憚られたので、僕は先に出されたコーヒーを飲みながら、店内を色々観察してみることにした。
ドトウのビラ配りが実を結びだしたのか、店内の客はそれなりに増えてきていた。それに伴って、メイド服を着たホール担当のウマ娘たちも忙しそうに動き回る。
「お待たせいたしました。こちら『ウマ娘ちゃんたちが織り成すFU☆WA☆FU☆WA☆オムライス』でございます」
「あっ、あ、ありがとうございます! お、オペラオーさん、やっぱりキレイ……!」
「さて。それではご主人様、私めは何の文字を描けばよろしいでしょうか?」
「あっ、えっ! えーと、それじゃあ『王』でお願いしますっ!」
「ふふん、お安い御用! ボクにかかれば、ケチャップだってフォークダンスを踊ってみせるのさ!」
ケチャップを新体操のバトンのように軽く回すパフォーマンスをしてから、オペラオーは文字を描き始める。
……ホント、こういうのをやらせると上手いなぁオペラオーは。
「───ご注文は以上でございますね」
また別のところに目を向けてみると、別の席で注文を受けているアヤベさんの姿が目に入った。
「それでは、少々お待ちください。ご主人様」
ペコリと礼をして、彼女はオーダー内容を調理場へと持っていく。
うーん……やっぱり他のお客さん相手には(営業スマイルと一目でわかるものとはいえ)普通に笑顔を浮かべられてるんだよなアヤベさん。なんで僕のときだけあんな葬式の時みたいな表情されるんだろう……。
やっぱり僕って結構嫌われてるのかな……。
目に浮かびかけた涙をコーヒーを飲むことで無理やり引っ込める。気分は仕事終わりに居酒屋へ寄るサラリーマンだ。
酒を飲むようにコーヒーを飲んでいると、先ほどアヤベさんに注文をした二人組の客が話し込んでいる声が聞こえてきた。
「あぁ~いいなぁ~。メイド服のアドマイヤベガ。レースでの装いとはまた印象も変わって新鮮だよな~」
「メイド服か……確かに素晴らしいな。あの完成されたデザインは、古今東西津々浦々、今も昔も多くの男共を魅了して止まない服だろう。あの魅力の前では俺たちなど街灯に集まる虫同然だ」
「どうした急に」
「増してや今彼女らが着ているメイド服はクラシカルタイプ……。昨今に増え出したやっすいやっすいメイド喫茶のモノと違って、安易に肌を露出させていないタイプだ。生地も厚めだから、こけた拍子に水をこぼしたりして『きゃっ☆濡れて服が透けちゃった☆』というやっすいラノベ展開も起こり得ない」
「つまり、俺らのような女性のチラリズムに慣れていない童貞にも優しい服ってことだな!」
「だが……だが! この服にはただの一つ欠点がある……いや正確には、アドマイヤベガというウマ娘が着る場合にのみ限り、一点だけ欠点があるのだ……!」
「そ、それは一体……!?」
「……ロングスカートじゃあのぶっとい脚が見えねぇでしょうがぁ!!」
「わかるマン!!」
「これは由々しき問題だ。由々しすぎて由々になっちまうぜ」
「ウマ娘はえっちすけっちわんたっちであってはならない……そういう意味では、あの露出の少ないタイプのメイド服をチョイスしたことは英断……!」
「しかし、そのせいでアヤベさんの最大の利点であるぶっとい太股が潰されるとは……。これぞ正にジレンマ……ゆゆしくままならない事態……!」
「世知辛いなぁ」
僕は振り上げた拳でヤツらにゲンコツを決めにいくか握手をしにいくか決めかねていた。話によっては、彼らとは良き戦友になれそうな気がするのだが……。
熟考の末に何もしないことにして、僕はまた店内を見渡してみる。そこで気づいたのだが、先の二人組だけでなく、他の男性客の間でもアヤベさんのことはよく話されているようだった。
彼らの視線は皆アヤベさんか、オペラオーに向けられている。
どうやらこの喫茶内では、オペラオーとアヤベさんとで二大勢力を形成しているようだった。
壁に貼られた『メイドへの写真撮影はご遠慮くれたまえ! ボクとの約束だ!』という注意書きが無ければ、今頃メイド喫茶はカメラのフラッシュまみれになっていただろう。
「…………」
ウマ娘との力関係の都合上、アヤベさんに言い寄ったりナンパしようとするバカはいないだろうが……少し心配になってしまう。
まぁ幸いというか、今この場にはマナーの悪い客はいないようだし、オペラオーTもいるから問題が起きる確率は低いか。
そう結論付けて僕がコーヒーを飲もうとしたとき。
「あ、あのっ!」
突然背中の方から声が聞こえた。聞き慣れないものだった。
街中で芸能人を偶然見かけた時みたいな興奮したような声だったので、僕の体が少し跳ねる。
視界の隅で、調理場にいたアヤベさんも首を動かしたような気がした。
ともかく、体を声の方に向けてみると、そこには僕と同じように席に座るウマ娘がいた。
「ここのトレーナーさん……ですよね!? ちょっといいですか?」
声質に覚えがなければ、顔にも見覚えのない娘であった。
ウマミミと尻尾をピコピコブンブンと動かし、飼い主を見つけたペットのような瞳で、ウマ娘は一直線に僕を射貫いている。
「えーっと……僕に話しかけてる?」
「そうです! あ、あのっアナタって、以前の日本ダービーを取ったアドマイヤベガさんのトレーナーの、○○さんですよね!?」
別に面白い名でもないから伏せておくけど、○○というのは僕の本名だ。何気に呼ばれることは少ないので、なんとなく背中がムズムズする。
「そ、そうだけど」
「やっぱり! うわーすごい、本物だぁ~!」
手を合わせながらそう言ったウマ娘は、キラキラした瞳をコチラに向けてきた。テーブルの下にあっても、尻尾がちぎれそうなぐらい動かされているのがわかる。
対する僕はというと、初対面のはずなのにそこまで好感度MAXの行動をされて戸惑うばかりである。するとそれを察知したのか、ウマ娘はコホン、と咳払いしてから頭を下げた。
「突然すいません。私、今年トレセンに入学した生徒なんですけどっ、ホワイトスノウ、て言います!以後、お見知りいただけると嬉しいです!」
「あー……ホワイトスノウさんね。うん、よろしく」
「気軽にスノウって呼んでくださいね!」
「は、はい……」
名は体を表すというか、ホワイトスノウと名乗ったウマ娘は、名前の通り白い少女だった。
パソコンのカラーパレットで塗り潰したような真っ白な髪に、同じく白い眉とまつ毛。新品状態のシワ一つない制服も相まって、その姿は磨き上げられた彫刻のように思えた。
「私っ、走るのがとっても好きでっ! トレセン学園に来るのもずっと夢だったんですよ!!」
「ちょっ……スノウさん、顔が近い……」
それでいて、振る舞いはまるで子犬のようで、初対面だというのを感じさせない気安さだ。……正直、僕のようなタイプにとっては接しにくい。
だがそんなの知ったこっちゃないと言わんばかりに、ホワイトスノウは僕の手をギュっと握り込んできた。
女の子の手の柔らかさが肌に伝わってきて、思わず口から「ひゅっ」と変な声が出てくる。アヤベさんにもこんなことされたことないのに。
「私、アナタとアドマイヤベガさんのレースたくさん見てたんですよ! アドマイヤベガさんは孤高な感じがしてカッコいいけど、それを指導してる○○さんもカッコいいなーって! ずっと憧れてまして!」
「あ、あはは、ありがとう……距離感エグいね君」
DTである僕の心臓は爆発寸前だが、一応大人としての面子もあるので、表面上は「まったく困った娘だな」程度の顔で応える。
「アドマイヤベガさんのレースを見てるときの○○さんの目がとっても優しい感じがしてですねっ! こんな人のもとでトレーニングできたらいいなーってずっと思ってたんですよ!」
「そ、そう思ってもらえると……なんだろう、光栄?だけど……」
パーソナルスペースの概念と僕らのレースへの若干の認識の誤解があるが、まぁこういう風に言われて悪い気はしない。
一先ず僕はそのまま言葉を受け取って笑っておくことにした。
『…………』グシャッ
『ちょっ、アドマイヤベガさん!? なんでメニュー表をそんなに力強く握り締めてんの!? すごい量のシワいってるから! クシャクシャになっちゃってるからやめてー!!』
何やら調理場あたりが騒がしくなっているような気がする。オペラオーがコンロをファイヤーでもしたのだろうか?
僕の意識が一瞬調理場へと行きかけるが、その前にホワイトスノウに手を握られて意識を引き戻された。
「あっ、そうだ! ○○さん一緒に写真撮ってくれませんか?友達に自慢しますので!」
「自慢……えっ自慢!?」
予想外の単語が飛び出し、大事なことでもないのに二回言ってしまった。
「あ、あのねスノウさん。こう言っちゃなんだけど、僕って写真写りも顔も良くないし、あんまり自慢にはならないと思うけど……」
「なりますよぉ! だってあなたって『ダービートレーナー』なんですもん!」
「だ、ダービートレーナー?」
「そうです!あの『一国の宰相になるより難しい』って噂のですよ!そんな人とのツーショット写真なんて、ウマッターに上げたら充分自慢になります!」
嬉々としてスマホの準備をしているホワイトスノウを尻目に、僕は小さく息をはいた。
「ダービートレーナー、ねぇ……」
ホワイトスノウの言葉をゆっくりと反芻する。
ダービートレーナー。
それは、『トレーナー』となった者は皆憧れる夢の称号であり、得ることができた者は迷いなく誇って良い称号である……らしい。
らしいというのは、僕自身取った実感がないからだ。
なにせこの頃のダービーと言えば……まだアヤベさんと打ち解けておらず、本当の意味で彼女の『トレーナー』になれていなかった頃の話だ。
その時のアヤベさんは一人で勝つということにとても拘っていて、僕の指導に従おうとせず独学のトレーニングばかりしていた。
オーバーワークもしょっちゅうだったし、イタズラに体に負荷をかけてるだけのトレーニングもやってたから、見てる側としては気が気でなかった。しかしいくら忠告してもアヤベさんは聞き入れてくれなかったので、仕方なく僕は一先ず彼女との適切な距離感を測るところから始めていたのだ。
そんな状態でのダービーだったから……正直まったく『ダービートレーナーになった』という自覚は無い。あの時の僕がやったことなんて、本当になにもなかったから。
掃除をしていたら偶然棚からぼた餅が落ちてきて、そのぼた餅が実は世界に数個しかない貴重なモノだった、というような感じに過ぎないのだ。
なので、ダービートレーナーという称号に憧れて僕に近づかれても困るのだけれど……。
……アレ?
なんかそれで思い出したけど、最近のアヤベさんは、割りと僕とコミュニケーションを取ってくれるようになったな? トレーニングメニュー作成も、いつの間にか僕に一任してくれるようになってたし……あれ?
アヤベさんがそうなったのは、なにかキッカケがあったハズなんだけど。
……なんだったっけ?
「もう、いいから撮りますよー?はいチーズっ!」
「え?あっ、ちょっと───」
隣に来られてスマホの内カメラを向けられると、反射的にピースを作ってしまった。
次の瞬間にパシャリと音がして、その様を四角いガラスに収められる。
「じゃあえっと、ハッシュダグに『トレセン学園新入生』をつけて……『入学早々にダービートレーナーさんと会えちゃった♪ マジテンション上がるー!!』と。これで投稿していいですよね?」
「いやダメだけど!? 僕ってそんな大物でも大物足り得る器でもないから! あっそうだ、入り口にオペラオーTがいたでしょ? あの人と撮ってきなよ。あの人も有名人だからさ」
「えー確かにそうですけど……あの人はなんか目付きが厭らしいし……」
「そこは同意だけど、あの人もトレーナーとしての手腕は確かなものだからさ……」
「でしたら、○○さんも『ダービートレーナー』じゃないですか!」
「いやぁ……それはそうなんだけどそうじゃないんだよ……」
いつの間にやら、初対面にも拘わらず僕らは結構長く会話をしていた。
話している内容はともかく、端から見たその時の僕らは『アハハハウフフフ』という擬音が出ているような関係に見えたらしい(オペラオーT談)
『…………』ドポドポドポドポ
『ちょっ、アヤベさんそのコーヒー明らかに沸騰してるよね!? そんな熱々のコーヒー誰も飲めないし頼んでないよ!! 砂糖も入れすぎだし!! 飲んだ人絶対に火傷と糖尿病併発するよ!?』
『大丈夫よ。飲ませる相手はもう決まってるから』
『狙い撃ちするつもりなの!? 余計ダメだって!』
『アヤベさーん。アヤベTさんのオムライス出来たから持っていってくれない?』
『……わかったわ』
『ちょっ!? 今アドマイヤベガさんをあの場に持っていったら不味くなるって!!』
『? オムライスは美味しいよ?』
『そういう意味じゃなくて! さっきまでのアヤベさん見てなかったの!? 確実に赤いのが飛ぶことになるよ!?』
『そりゃケチャップ持ってるんだから当然でしょ?』
『あーもうこの天然!!』
また調理場が騒がしくなってきたな……。
僕がぼんやりと思っている間に、ホワイトスノウは先ほど撮った写真の確認をしているようだった。
「わかりましたよぉ……じゃあ投稿はせずにスマホの壁紙にしときますね」
「えぇ……余計やめてほしいんだけど……」
大袈裟に耳を垂らしてしょんぼりするホワイトスノウ。
本当になんでこんなに懐かれてるんだろう……。記憶が正しければ、この娘とは本当に今が初対面のはずだ。実は過去に出会っていただとか、そんな展開はない。なのにどうして……?
するとその時。
「あのっ、○○さ───」
「お待たせいたしました、ご主人サマ」
僕の思考を絶ち切るようにホワイトスノウの声がして───更にその声を切り裂くかのように別の声が割り込んできた。
ホワイトスノウが座っている位置と反対方向に目を向けてみると、そこにはオムライスを持った一人のメイドウマ娘がいた。
「あ、アヤベさん」
「…………」
どうやら、話している内に料理ができていたらしい。
スノウと話すのも精神的限界が近づき始めていたので、僕は逃げ道を見つけたようにアヤベさんの方向へと体を向ける。
……と、そこで気がついたのだが、アヤベさんの様子がどこかおかしい……ような気がする。
なんか、目が据わっているというか……覚悟完了してるみたいになってるんだけど……?
「わぁ、本物のアドマイヤベガさんだ! こんな近くで見れるなんて! 写真撮らせて……はダメでしたね、握手してもらってもいいですか!?」
アヤベさんに対しても目を輝かせ耳をピコピコとさせるホワイトスノウ。
あぁなんだ、彼女は『憧れの対象』には皆あんな感じの接し方なのか。良かった。何が良いのかはわからないけど。
「…………」
ホワイトスノウの方へ、アヤベさんはちらりと視線だけを向ける。
そのまましばらく黙ったかと思うと、彼女はスカートを揺らしながらゆっくりと歩きだし───なぜか僕とホワイトスノウの間に割り込むように場所を移動した。
「えっ!? あ、あのっアドマイヤベガさん、握手は……?」
困惑したように尋ねるホワイトスノウだが、アヤベさんは答えようとしない。ウマ娘の聴力は人間より遥かに高いので、聞こえていないわけではないだろう。
そこでアヤベさんのウマミミを注意深く見てみると、片方の耳が僅かにそっぽを向いているのがわかった。
あぁ……これはアレだ。無視しようとして無視しているときのサインだ。たぶんホワイトスノウの反応を見るに、アヤベさんもこの白いウマ娘とは初対面なのだろう。
ちょっと話しただけだけど、彼女はどこかオペラオーと似通ったような雰囲気の所はあったし、たぶんアヤベさんも苦手なタイプなんだろうなぁ……。
その推測は当たっていたのか、アヤベさんはホワイトスノウの言葉には答えないままケチャップを手に取った。……ちなみにホワイトスノウは無視されたのが寂しかったのか、捨てられた子犬みたいにしょんぼりとしていた。
「……じゃ、文字を描くけど。何を描いてほしい?」
アヤベさんの言葉を受けて、僕の思考は思わず詰まった。
……しまった。どんな文字を描いてもらうか考えるのを忘れていた。というか、文字のことすら忘れかけていた。
本来はオムライスが来るまでに決めておくつもりだったのだが、会話が長く続いたことでその暇がなかったのだ。
「えーと……」
「……先に言っておくと、あんまり画数多くて複雑なのは無理だから」
釘を刺すようにいうアヤベさん。
さっき別の客にオムライスを持っていっていたオペラオーは、リクエストで『覇』と描いてたような気がするが、あれは単にオペラオーが変態だっただけだろう。むしろここでアヤベさんがすんなりと描ける方がびっくりしてしまう。
僕はしばし考えた末に、
「……じゃあ、『ホシ』を描いてよ」
「……話聞いてた? 『星』って、それなりに画数多いし複雑じゃない……。もう……」
「え? あ、違う違う漢字じゃなくて! マークマーク! 星形を描いてってこと!」
ブツブツ言いながらも描こうと試みているアヤベさんを慌てて止める。
描いてほしいのは『星』じゃなくて『☆』である。……日本語って難しい。
「……わかったわ。星は一筆書きのタイプでいい?」
「うん。……いいよ」
『アヤベさんが描いたのならなんでも』と付け加えようとしてなんとか堪えた。そんなこと言った日には、オムライスに赤い星形がつく前に僕の頬に赤い手形がついてしまう。ウマ娘の力でビンタなんかされたら、歯か首のどちらかが間違いなく飛ぶ。
ともかく、注文を承ったアヤベさんは「じゃあ……」と体をテーブルの高さと合わせると、ケチャップを構えてゆっくりと星形を描き始めた。
事前の謙遜ぶりとは裏腹に、アヤベさんは淀みない手付きでケチャップを動かしていった。
……途中で、また横からオペラオーが小声(本人的にはそのつもり)で
「アヤベさん、魔法魔法!ケチャップかけるときの魔法の言葉を忘れてるよ!」
とか言っていたが、アヤベさんは完全にスルーしていた。
……もしかしたら、まだ何かしら行程があったのかもしれない。
一筆書きということもあり、ケチャップを使った描画はすぐに終わった。終わりの合図のようにケチャップの蓋を閉じると、
「……はい。これで完成です」
愛想の『あ』の字もない声音で言いながら、アヤベさんは皿を僕の前に持ってきた。
型崩れもないオムライスの中心には、先ほどアヤベさんが描いた『☆』が魔方陣のようにふんぞり返っていた。
……中々悪くない。アヤベさんの後ろから顔を覗かせるホワイトスノウも「おおーっ」とか声を上げている。
写真を撮ればウマスタ映えだって狙えそうだ。そうでなくても、個人的にも一枚ぐらい写真を撮っておきたかったのだが……アヤベさんの目がある限り難しいかもしれない。ちぇっ。
ともかく、そんな飯を見ると否が応でもお腹が空いてくる。
「……では僭越ながら、いただきます」
手を合わせて、僕はさっそくスプーンを手に取ってオムライスを食べようとした。
「───待って」
が、そのスプーンを唐突に隣からひったくられた。形あるスプーンの代わりにエアスプーンが虚しくオムライスを撫でる。
「ちょっ、アヤベさん何すんの」
スプーンが消えた方向へと目を向ける。
考えるまでもなかったが犯人はメイド服のアヤベさんだった。一体どういうつもりなんだろう?
「…………」
アヤベさんはしばらく、新しいデータをインストールされてる最中のロボットみたいに微動だにしていなかった。だが、やがて何かを決意したように口を少し結び、それから一瞬だけ、僕と同じくポカンとした様子のホワイトスノウを見た後、
「実はここでは、もう一つだけサービスがあって」
そう言いながら器用にスプーンを動かし、『☆』の一辺をセメントを塗るように軽く崩す。そしてそこを一切れ丁寧に掬い取ると、ゆっくりと僕の顔へ持ってきた。
「……はい、あーん」
「えっ」
空気が固まったような錯覚がきた。
……僕の目玉が突発的に異常を起こしたのでもなければ……アヤベさんは料理が乗ったスプーンを僕の方へ付き出して───所謂『あーん』の体勢をとっていた。彼女の後ろにいるホワイトスノウも「わわっ」とか言いながら両手を口元に当てている。
「いやっ、ちょっ、ちょっと待ってよアヤベさん」
ほぼ反射的に口とスプーンの間に手で壁を作る。
なんだかデジャブを感じる光景だった。……いや、既視感はあるけど前のとは圧倒的に状況が違う。
ダメでしょ。ダメでしょここでやるのは。
「……なによ。食べないの?」
「いや、食べるけどさアヤベさん。そんなことしなくても普通に食べるから……」
「……私だってそうしてくれたらいいけど、サービスなんだから仕方ないでしょ」
「えっ他のメイドさんたちそんなサービスやってた? 初耳なんだけどこんなサービス」
「……トレーナーが知らないだけで、あったわよ」
「えっ本当?」
「本当」
「本当?」
「本当」
「ウソでしょ?」
「本当だって言ってるでしょ」
ダメだこのベガ全然引く様子がねぇ。ほらもうホワイトスノウなんか真っ白な顔を真っ赤にしてるし。ドラマのラブシーン見てるときの表情じゃん、あれ。
なんとか他のウマ娘に助けてもらおうと僕はあたりを見回したが、
「あ、あれ?あんなサービス無かったような……」
「おっと大丈夫だよ。特に問題はない光景さ。ボクたちは先に戻って他のオーダーを取りに行かないとね」
「あ、はい……」
他のメイドをつれてオペラオーはさっさと調理場へ戻ってしまったので、助けは望めそうになかった。
そうして切羽詰まった様子の僕を、アヤベさんは呆れたように見る。
「……前もこんなことがあったんだから、どうってことないでしょ」
「あのときと今じゃ状況が違うでしょ!?それに、前の時はトレーナー室だったからまだ良かったけど、ここって公共の場じゃん!」
前とは、あのお昼にアヤベさんが僕の部屋へ弁当を食べに来たときのことである。あのときも、ひょんなことからアヤベさんに『あーん』をさせられた。
あの一種のプライベート空間であるトレーナー室でやったときでさえ恥ずかしかったのに、今この場でやるとか死ねるってレベルじゃない。存在ごと消え去りたい。
だが、そんな風にまごついている僕に業を煮やしたか、アヤベさんはもう一歩前へ踏み出すと、
「あーもうっ。はい」
「んもごっ!?」
スプーンをそのまま僕の口に押し込んできた。その瞬間、周りの客たちから声にならない声が上がったような気がした。
唇の間を黄色と銀色の物体が通り、ケチャップが唇に染みる。
僕が咀嚼するのを待ってからアヤベさんは訊いてくる。
「……どうでしょうか、ご主人サマ?」
「……おいひいです。はい」
美味しい、以外の感想を言ったら蹴り飛ばされそうな雰囲気があったので、僕は止むなく頷いた。……なんでだろう、オムライスが舌によく染みやがる。
なんでわさわざこんな真似を。こんな、まるで見せつけるような───
「……それなら、よかった」
僕の答えに満足したのか、アヤベさんは軽く息をはいてから───さりげなく後ろに視線をやった。
ホワイトスノウが座る方向へと。
「あ……」
「…………」
その時のアヤベさんがどんな表情をしていたのかは誰も知らない。知っているのはホワイトスノウ本人だけだろう。
言葉は無かったが、双方の間では何かしらの意志疎通ができたらしい。アヤベさんは先程までの押しが嘘のように静かに立ち上がると、心なしか少し足を早めて調理場へと戻っていった。
それと同時に、固まっていた周りの空気がようやくほぐれたような気がした。
「……何だったんだ今のは」
口内に僅かに残っていた卵をコーヒーで流し込む。
……なんか、ドッと疲れた。さっきの時間だけで五十年ぐらい時間が過ぎたような気がする。
「あの、○○さ……いえ、アヤベTさん」
「うん?」
ようやくアヤベさんというバリゲードが外れた所からホワイトスノウの声が聞こえてくる。
なんでそんな遠慮がちな声なんだろう?呼び方もなんか、急にヨソヨソしくなったし……。
「あの……色々と、すいませんでした」
「えっ? いや、僕は特に迷惑被った覚えはないけど……?」
「いえあの、ホントに、すいません……。ちょっと今日は、出直すことにします……」
「えっ、えっ、え?」
あまりの態度の変化に困惑するばかりである。
なんだ、その、井の中の蛙が蛇に睨まれたかのような口ぶりは。
僕の疑問に答えることなく、ホワイトスノウはそのまま席を立ってお金を払って帰ろうとする。
……と、思いきや
「あっ、でもっ!」
「うん?」
「あなたの元で教えてもらおうかという話は……まだちょっと考えてますのでっ! 逆スカウトの話はまた後ほどっ!」
「……えっ!? 逆スカウトってなに!? あれそういう話だったの!?」
まともに疑問をぶつける前に、彼女はお金を置いてさっさと教室を出ていってしまった。
なんだったんだ……。嵐のようなウマ娘だった、と思わずドタバタヒーローモノのラストの台詞を言いたくなる。
「あのー、アヤベさん……」
言う代わりに、僕は調理場へいるであろうアヤベさんへ視線を投げ掛けてみるが───
「…………」
目をそらされてしまった。
ダメだ。今日は厄日……とまではいかないが、厄日一歩手前の波乱だったように思う。
この後、ギャラリーにどう言い訳しようかと肩を落としてながら僕はオムライスを食べる羽目になった。
……オムライスを一口食べる度に、周りから変な空気が流れることになった。
ちなみに、その後アヤベさんは一度も目を合わせてくれなかった。