岸辺露伴は走らない   作:ボンゴレパスタ

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岸辺露伴は調べない7

 

 

 

 

 

 

タキオンたちから衝撃的な話を聞かされた次の日。

 

 

 

 

 

 

基樹の学園へと向かう足取りはひどく重く、まるで足枷をつけられたかのようにその一歩一歩がひどく億劫に感じられた。

 

 

 

 

 

――ここはゲームの世界じゃあなく、並行世界の一つ。

そうだとしたらエアグルーヴの言う通り、彼女たちはまさしく「生きている」ということにほかならず、彼女たちは自分たちの意思に基づいて自分たちをこの世界に連れ込んだということに他ならない。

 

 

 

 

 

頭の中ではわかっているつもりだった。それでも何処かでこの世界は何処かフィクションか夢か……そんな世界で、いつかひと眠りしたら元の世界に戻っているような、そんな淡い期待を抱いてしまっている僕がいた。

 

 

 

 

 

「……貴様一体どうした?」

 

 

 

 

 

 

「なんでもないよ…ちょっと疲れているだけだよ」

 

 

隣からこちらの顔を覗き込むエアグルーヴに悟られないように、基樹は努めて笑顔を保つ。この脱出計画は、他言無用の秘密事項だ。あの場にいた僕と露伴先生、協力者のアグネスタキオンとエアシャカール以外に計画のことが漏れるわけにはいかない。

 

 

 

 

「そうか……今日は坂路トレーニングを見てほしい。構わないな?」

 

 

 

 

完全には基樹の言ったことに納得しているわけではないようだが、この場で問い詰めたとしても埒が明かないと判断したのだろう、エアグルーヴはいつものようにその日の予定を共有し、その仔細を基樹に伝えていく。

 

 

 

 

 

 

 

「……そしてトレーニングを終えたあとだが、いつものようにガーデニングを手伝ってほしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの出来事から、エアグルーヴのガーデニング作業を手伝うようになった。彼女は学園の敷地内の花壇に植えられている花の管理を率先して一手に担っており、その人手が足りないこともしばしばある。そのためか、それから彼女の手伝いをするようになったという経緯がある。基樹が同意の意を示すために首を縦に振ると、エアグルーヴはその頬をわずかに緩め、言葉を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そ、そうか…それじゃあ準備はこちらでするから、動きやすい服装で来い。場所はA棟付近だ」

 

 

 

 

 

 

少々険しい口調であることは間違いないのだが、彼女の顔を見れば僕のことを気遣ってくれていることは紛れもない事実である。それもこれも、彼女が自分で口にしたように「僕を愛しているから」、という理由に尽きるのだろう。

 

 

 

 

 

 

……こうしてみると、僕とエアグルーヴは普通のありふれたトレーナーとウマ娘の日常の一幕にしか見えないだろう。彼女との日常が、決して退屈だというわけではない。元の世界の、生きるために働いているというのに、何処か少しずつ歯車が狂っていくような…少しずつ命が削られていくあの心地はここでは感じない。「自分らしく」生きているのはどちらか、と問われれば、僕はその答えに窮してしまうことは間違いないと思う。

 

 

 

 

 

 

……それでも。

 

 

 

 

 

このままここに居続けていいのか、と問われれば。

それは否であると答えざるを得ない。僕の存在は、この世界の中では違和感そのものだ。目の前のことから逃げて、この世界に逃避し続けるわけにはいかない。

 

 

 

 

 

僕のことを待ってくれる家族がいる。僕の帰りを心配し、露伴先生にそのことを伝えてくれた大切な弟が待っているんだ。

 

 

 

 

なんとしてもこの世界から脱出して、家族の元へと帰る。決意の意思を宿らせた基樹の瞳は、力強く道の先へと注がれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂路でのトレーニングを終え、その日のタイムやフォームといった主観的要素、客観的要素を問わずデータをPCに打ち込み、その分析を行ったのち、基樹は動きやすい服装で、とのことだったのでジャージに着替えると、エアグルーヴから指示を受けた場所へと足を運んだ。

 

 

 

 

「お待たせ、エアグルーヴ」

 

 

 

 

既に彼女は目的地に着いていて、こちらの掛け声に顔を向ける。頭にはいつもの様相からかけ離れた麦わら帽子をつけていたが、それがいつもとギャップを生じさせ、基樹の心臓を不規則に打ち付けた。エアグルーヴはこちらに顔を向けたまま言葉を口にするのだった。

 

 

 

 

「いや、私も今来たところだ。それじゃあ始めよう」

 

 

 

 

 

花壇の脇に立てかけられた麻袋からスコップと軍手を2組取り出すと、それを1組彼女に手渡す。エアグルーヴもそれを受けとり軍手を両手にはめ込むと、特に何か言うこともなく作業を開始した。それを見届けた基樹は花を踏まないように注意を払いながら花壇に足を踏み入れると、それに倣って作業を開始したのだった。

 

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生徒会室で、岸辺露伴は自身の命が皿の上に配膳されたステーキのごとく、他者にその与奪を握られていることを実感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

…全く災難ばかりじゃあないか

 

 

 

 

 

 

 

 

露伴は目のまえの自身を食らわんとよだれをたらしそうなほど欲望を孕んだ瞳を向ける人物へと視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く……君はいつになったら愛想よくなってくれるというんだい?」

 

 

 

 

 

 

檻の中で、牙を研ぐ猛獣は既に飢餓寸前だった。目の前には思い焦がれ、待ち続けた馳走。それなのにその馳走は一向にこちらを見ようとすらしない。彼女の忍耐は、既にねじれきれる寸前だった。理性も絶え絶えになりながら、まるで地底でマグマが蠢くように激情を孕んだその一言に、辺りは瞬く間に静まり返ることになった。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

目のまえでその目を爛々と光らせ、必死に大口を開けようとするのを、僅かに残留した理性で押しとどめる猛獣もとい自身の担当ウマ娘、シンボリルドルフに目をやりながら、自身の身に置かれた状況について考えを巡らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやら臨界点が近づいているようだ。

そもそもこいつは、研究者だったタキオンたちからAIやそれに関する仔細を全て無理やり取り上げ、元の世界から自分たちを引っ張り込んでくるほどの衝動を持っている。そんなやつがご馳走にありつくこともできず、目のまえでずっと「お預け」を食らってしまっているわけだ。大人しくずっと我慢なんてできるはずもない。

 

 

 

 

 

「……心づもりが必要だったんだ」

 

 

 

 

 

これで彼女が退くか、それは大きな賭けだった。肉を切らせて、骨を断つ。最もこの場合、相手の骨を断たせるわけではなく、相手の食指が少しでも動きを止めてくれることを期待しての発言だった。

 

 

 

 

 

もう外に出てしまった発言は取り消せない。覚悟を決めた露伴は前方を見据えると、臆することなく言葉を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

「君の愛を受け入れる、その心づもりが必要だったんだ。だが、それも大丈夫……あと数日で君の愛は必ず受け止めてみせる。そうだな、駿大祭の時に必ず」

 

 

 

 

 

 

その言葉に、ルドルフのにじり寄っていた足はぴたりと動きを停止させた。目の前の愛する馳走が放ったその香りをまるで咀嚼するように堪能すると、ルドルフは徐に口を開いた。

 

 

 

 

 

「……それは本当かい?」

 

 

 

 

 

 

「……この岸辺露伴に二言はない」

 

 

 

 

 

 

 

 

それはルドルフにとって、歓喜の瞬間だった。私の、私だけの愛する人がこちらに目を向けてくれるという。私の顔は今、はしたなく狂愛に歪んでしまっているだろう。だが、それももう構うまい。彼は私を受け入れるとその口で言った。これぐらいの粗相は大目に見てほしいというものだ。

 

 

 

 

 

「ふふ……楽しみにしているよ。承ったよトレーナー君。待とうじゃあないか。欲しいものは苦労した分だけ手に入れる甲斐があるというものだ。」

 

 

 

 

 

 

私は常日頃、すべてのウマ娘の幸せを切に願っている。駿大祭で、すべてのウマ娘が愛する者のそばで、自分の想いをもとに願いの丈をぶつけることができる。そしてなにより。

 

 

 

 

……私も幸せになってしかるべきだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕陽もおよそ沈みかけた時、ようやくその日の作業を終えた二人は、今日の作業の証である眼前に広がる花壇を見渡した。

 

 

 

 

 

 

色とりどりに彩られた花々が、その美しさを存分に発揮することができるように巧みに配列されている。これも偏に花に対するエアグルーヴの思いやりの賜物であろう。その花々を一瞥したあと、基樹は彼女へと顔を向けながら口を開いた。

 

 

 

「……お疲れ様、エアグルーヴ」

 

 

 

「あぁ……貴様もな」

 

 

 

そう口にすると、その場には再び静寂が流れ込んでいく。一日の終わりを示唆する夕陽を受けて、ものいえぬ達成感と寂寥感に浸っている二人だったが、その静寂を打ち破るかのようにエアグルーヴは口を開いた。

 

 

 

 

「貴様は……この世界に来てどうだ?やはり、やはりいたくないと感じるか?」

 

 

 

 

 

彼女も不安を抱いていたんだ。この生活に、僕をこの世界に留めおくことに罪悪感と疑念を抱き始めている。

 

 

 

 

 

「……確かに前の世界に比べたら、僕は僕らしく生きているって言えるのかもわからないよ、エアグルーヴ。もうあんな会社に勤める必要もないしね」

 

 

 

 

「だ、だったら……!」

 

 

 

 

「でもね」

 

 

 

 

その言葉を制止する。これは、僕の意思だ。彼女には、僕の思いを知って欲しい。

 

 

 

 

「今の状態は、やっぱりいいとは思えない。僕にも家族がいる。帰りを心配してくれる弟がいるんだ……それになにより」

 

 

 

 

「僕の知っているエアグルーヴは……僕が隣で見てきた女帝は、目標のために気高くターフを駆けるエアグルーヴなんだ」

 

 

 

 

目を覚ましてほしい。

僕が見てきたのは、僕が支えてきたのは決して、決して私利私欲のために他者を犠牲にして、ウマ娘としての誇りをないがしろにするような暴君じゃあない。

 

 

 

 

僕が支えられたのは、自分にも周りにも厳しくて、でもそれは自分が女帝であるためで……そんな誇り高く生きている女帝・エアグルーヴなんだ。

 

 

 

 

僕が、僕が……

 

 

 

 

「……どうか踏みとどまってほしい。だって君は僕の大切な……大切な愛バだから」

 

 

 

 

土がこびりついた軍手を取ると、用具の入った袋の中に静かにしまう。基樹はズボンの膝についた土埃を払いながら花壇を下りると、その場を立ち去る前に自身の担当ウマ娘の顔を一瞥する。

 

 

 

 

 

 

彼女の表情は、うつむき夕陽が彼女の顔に影を落としたせいで窺い知ることはできなかった。今彼女の顔を覗き込むことは、いささか野暮というものだろう。基樹は背中を向けて帰り支度を始めた。

 

 

 

 

……彼女の心次第だ。

 

 

 

 

 

脱出が成功するにせよ、しないにせよ。これだけは伝えておきたかった。駿大祭がひとたび始まり脱出のための作戦が始まってしまえば、彼女と落ち着いて話す機会など最早ないに等しいだろう。あるとすれば、作戦が失敗して僕が罪人として彼女の眼前に晒し上げられるその時だけだ。

 

 

 

 

 

言いたいことは…彼女の心に伝えたいことは全て伝えることができた。本懐を遂げた基樹は静かにその場を立ち去る。後には彼女だけが残り、僅かに冬の色を宿した悲風が吹くだけだった。

 

 

 

 

 

 

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