「はい、ゴールドシチーさん!撮影終了です!お疲れ様でした!」
カメラマンの調子の良い言葉と共に、撮影は終わりを告げる。
自身の顔に向かって当たられていたライトが遠ざけられ、スタイリストがこちらへと歩み寄ってくる。シチーは出口に歩きながらスタイリストに肩にかけていた上着を預けると、傍にいたマネージャーに声をかけた。
「今日はこれで撮影終わり?」
「えぇ。もう学園にもどっても構わないわ。」
今日の撮影はとあるファッションブランドの広告用の写真撮影だ。この写真が雑誌や街の街宣広告に掲載される。シチーが入口につけられている車に乗り込もうとすると、後方から先程自分にカメラを向けていたカメラマンが声をかけた。
「本当にいい被写体でしたよ、シチーさん!まるでお人形さんみたいにお綺麗でした!」
その言葉にマネージャーが顔を青ざめさせて、その発言をしたカメラマンの方へと振り向く。その表情からは彼に対する非難がありありと刻み付けられていた。
なんて余計なことをしてくれたんだ。モデルやらタレントというのは包括的にみると…いや、特にことシチーの場合においては、かなり彼女は気分屋だ。周囲の者たちは気付くことはないだろうが、彼女の機微が撮影に対する細かなクオリティに現れることは長年彼女の傍で支えてきたからこそ、わかるものがある。
彼にとって悪気はないだろうが、私は今日彼女の機嫌を損ねることがないように細心の注意を払ってきたというのに。それもすべて最後の最後の台無しにされてしまった。
彼女は類まれな美しい容姿をしている。トップモデルとして、今まさに注目のモデルとしてこの業界の最前線で活躍している。そんな彼女だが、少々困ったジンクスがある。つまりその業界で活躍する1番の武器であるはずの「美貌」を手放しで褒められることを極端に嫌っていることだ。
一体彼女がどんな反応を示すのか、はらはらしながら彼女のことを見つめていたが、シチーの反応はマネージャーにとっては意外なものだった。
「ありがとうございます」
まさにモデルとして、かくあるべき対応。笑顔をカメラマンに向けながら会釈をすると、車に乗り込んだ。
シチーはぼんやりと車窓の景色を見つめている。自分が一体何者で、何がしたいのか。たまらなく不安になることが多々あった。心と身体が無意識に乖離して、どこかに消えてしまいそうな……そんな感覚だ。
レースでありのままの選手のウマ娘として活躍したいと思っているのに、その一方では観客は自分のモデルとしての肩書しか見ていないというジレンマ。それが何よりも自分にとっては耐え難い屈辱であり、それは自分にとっては致し方ない、甘んじて受け入れざるを得ない事であることもわかっていた。
学園の前に車が着き、そこにシチーは降りる。彼女の虫の居所については、いまだ完全に収まったわけではなかったが、彼女の意識はすでに別のところへと移行されていた。
「……この画面」
自身の目のまえに表示される、奇妙な画面。まるでゲームの表示コマンドのように目のまえに掲げられる画面は、トレセン学園のウマ娘たちの前に唐突に現れ、彼女たちのトレーニングを指示するその存在。はじめはその存在が一体なんなのか噂がまことしやかにささやかれていたが、やがてその奇妙な存在も日常の一部として溶け込んでいった。
……アタシの
アタシの目のまえにもほかのウマ娘たちの例にもれず、画面がある。その画面の向こうにいる男……トレーナーはアタシのトレーニングの指示を出して、買い物に付き合ってくれて、それで、それで……
「やぁ、息災かな。ゴールドシチー」
「アンタは……」
彼女の目の前に突然現れた人物に、シチーは思わず動揺しながら立ち止まる。普段特に関わりを持つことがない彼女が、一体アタシに何の用だろうか?不審に思いながらシチーは声をかけた人物に向き直ると、声をかけた。
「……一体生徒会長さんが何の用?」
「なぁに、別に取って食おうというわけじゃあないさ。君に一つお願いをしたくてね」
「お願い?アタシなんかにするお願いって、一体全体何のお願い?」
「君にも悪い話じゃあないはずだ……すなわち君にはテスターになってほしいんだよ」
「テスター?」
首を傾けるシチーをよそに、ルドルフはその顔に笑みを張り付かせたまま言葉を続けた。
「君の目のまえに表示される、その画面の向こう側にいる人物…すなわち君のトレーナーに会えると言ったらどうする?」
それはあまりにも魅力的な、アダムとイヴが禁忌を破ってでも口にしてしまい、楽園を追われてしまった要因である果実のような、そんな提案だった。
命短し恋せよ乙女
そんな慣用句がこの世には存在するが、今この時以上にそれを体現したケースは他にないだろう。あまりにも自身の衝動に忠実で、あまりにもその身を情念で焦がす姿は、基樹の目には恐怖以外の何物にも映らなかった。
肺が軋むような音を立てて、足はもつれないように細心の注意を払いながら回転させていくが、背中から感じる圧や足音は等加速度的に近づいてくる。
振りかえってはいけない。
心の中でアラートがそう力強く鳴り響く。振り返ることで少しでもフォームが乱れ、その速度が落ちようものなら、それはすなわち死を意味していた。
元の世界にいた時にタレントがミッションをこなしながら鬼から逃亡を図るというテレビ番組を見たことがあったが、内容は似ているこそすれ、その難易度は格段に跳ね上がっている。
基樹は階段を見つけると、少しでも身体に残るスタミナを温存しようと手すりに手を掴んで遠心力で向きを変えると、階段を駆け上がり、あてもなく上階を目指して駆け上がっていく。廊下を直進していては、ウマ娘であるシチーから逃げ切ることは絶対にできない。少しでも身体的に圧倒的な優位に立つウマ娘からの追跡の手を逃れるために階段を駆け上がる基樹だったが、踊り場に足を踏み込んださいにそこに立てかけられている姿鏡が目に留まった。
「ヒッ……」
鏡に映った自身の背中越しに見えるシチーの顔は、まさに冷血な処刑人のようにその表情筋を微塵も動かすことなくこちらに迫ってきていた。
2階から3階にあがり、4階の踊り場へとその身を進めようとしたその瞬間、彼の身体は床へと押し倒されることになった。受け身もまともにとる事ができず、また走っていた勢いも相まって床に倒れた拍子に強かに腹部をうちつけた基樹は、その苦しさと痛みのあまりはげしくせき込みながら背後を振り返った。
「追いかけっこはもうおしまい。アンタのことは会長のところに連れていくから」
無情にも絶望的な追いかけっこの終止符を打つ宣言が、廊下に静かにこだました。
先程の立ち回りは、我ながらかなり不確定要素の多い脱出策であったことは認めざるをえない。本当はひとまず危機を乗り越え一休みしたい気持ちはあったが、今の自分にはそれは許されない。作戦のためには、少しでも多くの時間校舎内を駆けずりまわる必要がある。
教室の一角に身をひそめていたタキオンは、再び地獄と見紛う追いかけっこに興じるため、肺に空気を取り込み廊下へと一歩足を踏み出した。
ピンポンパンポーン。
その瞬間、校舎の各所に取り付けられたスピーカーからノイズまじりのチャイムが聞こえ、マイクで誰が話す際のスイッチの音を拾った。
「生徒会長のシンボリルドルフだ。先程学園内の一角で爆発事故が発生した。幸い負傷者はいなかったが、件の事件の関係者と思われるアグネスタキオン、エアグルーヴの担当トレーナーの安藤基樹、そして……」
「私の担当トレーナー、岸辺露伴を見つけ次第とらえ、私の前に連れてくるように。名前を挙げたものたちは、今すぐ私のもとへ出頭するというならばその処遇について善処しよう。それでは」
「……これは非常にまずいことになったねぇ」
この段階でそこまで事件の共犯者を特定するとは、やはりシンボリルドルフは一筋縄でいくような相手ではない。エアシャカールの名前がまだ挙がっていないことは不幸中の幸いではあるが、こちらの仲間の3人が割れてしまっている以上、こちらの動きはそれなりに制限されることになる。
善処するという言葉ほど信用できないものはない。どうせ我々が全員ひっ捕らえられたとして、せいぜい露伴君と基樹君はそれぞれの担当ウマ娘たちに手籠めにされ、私とシャカール君は学校を放逐されるのが関の山だろう。
いずれにしても、会長が差し向けた追手に追われる私の予定にはいずれ変わりない。タキオンは廊下を進み、突き当りの曲がり角を曲がったところ10メートルほど先に一人のウマ娘の姿があった。
「おやおや……君は」
そこにいたのは黒鹿毛のウマ娘。ストレートのロングヘアーに、もの静かな雰囲気をまとわせながらこちらを見つめる彼女を目に止め、タキオンは徐に口を開いた。
「カフェじゃあないか!よかったよかった!まさか君に会えるとは!」
彼女の名前はマンハッタンカフェ。コーヒーをこよなく愛するウマ娘で、いわゆるこの世ならざる者が見えたり、その声が聞こえたりと周囲からは不思議な印象を抱かれる彼女は、意外にもタキオンとは旧知の仲だった。
友人である彼女と会えたことにホッとしつつ、また緊張が多少解けたことによって饒舌な口調でタキオンはカフェに対して言葉をかけた。
「いやぁ君に会えたのは幸運だ。先程から様々な者から追われていてね」
笑みを浮かべて徐々に近づいて行ったタキオンだったが、その時はじめて彼女はカフェに取り巻く違和感に気が付き、その足を止めた。いつもの彼女の様子とは何処か違う。そう察知したタキオンは、恐る恐るカフェへと声をかけた。
「カフェ……?大丈夫かい?」
普段の彼女とはどこか、しかし確実に異なる違和感。疑念をいだくタキオンをよそに、カフェは無表情でこちらを見つめながら言葉を発した。
「タキオンさん……私は幼いころから「見えてはいけない」ものが見えます。それで周囲から奇異の目にさらされたり、遠ざけられたりしたことはご存じですね?」
「あ、あぁ……」
しばしの沈黙が場を支配する。一体どうしたというのか?困惑するタキオンをよそに、カフェは徐に口を開いた。
「初めてだったんです。それを受け入れたこと…そして私のコーヒーを淹れる姿を静かに、嬉しそうに見つめて、話に付き合ってくれたこと……」
「……」
「……私は彼に会いたい。トレーナーさんに会いたいんです。」
なるほど話が読めた。どうやら今のカフェの前に不用意に姿を現すは少々、いやだいぶ不用心だったと言わざるを得ないようだ。
「なるほど、なるほどね……その意思を貫きたまえよ。私はこれで失礼するよ」
そう言ってその場を立ち去ろうとしたが、その瞬間天井に据え付けらていたはずの蛍光灯が落下し目のまえの床にたたきつけられた。
「……逃がしませんよタキオンさん。今回は「お友達」も協力してくれるとのことです。彼女もトレーナーさんのこと、気に入ってますからね」
息ができない。
シチーに床にたたきつけられた基樹は何とかシチーの拘束から逃れようと四苦八苦もがいたが、その抑えられた身体はびくとも動かなかった。シチーは自身の身体の下で芋虫のようにもがいている基樹を無表情で見下ろしながら、口を開いた。
「アンタの鬼ごっこはこれでおしまい。まぁ、帰ってエアグルーヴに可愛がってもらいなよ」
「……それは君たちの勝手だろ」
「……」
その言葉に、シチーの身体はぴくっと動きを硬直させる。一体なにを言っているのか?と言わんばかりの怒りと困惑がない交ぜとなった表情を基樹に投げかけるが、それに構わず基樹は言葉を続けた。
「一度でも君は、君のトレーナーの言葉に耳を傾けたことはあるかいって聞いているんだ!君の願望のままにその人を扱うなんて、まるでおもちゃと同じじゃあないか!」
「……は?」
底冷えするような声が鼓膜を震わせるが、ぐっとこらえて基樹は彼女へ言葉を続けて投げかけた。
「君が君のトレーナーを拘束するところを見たよ!逃げようっていうことは、元の世界に帰りたいってことなんだ!それを相手の意思も尊重しないで、自分の都合だけで監禁まがいのことをするなんて、それを恋だの愛だなんて都合の良い言葉で片付けるな!」
「……うるさい」
「君のやってることは愛なんかじゃあない!恐怖で人を縛り付けようとして、力で言うことをきかせているにすぎないんだ!」
「うるさいうるさいうるさいうるさい!アンタに何がわか……」
怒りに我を忘れたその瞬間、拘束がわずかに緩んだその瞬間を狙ってむなポケットにしまっていた催涙スプレーに手を伸ばし、彼女の顔に吹きかける。目にたまねぎをすりつけられたような刺激が彼女を襲い、悶絶している隙をねらってその拘束から逃れると、急いで基樹は彼女から距離を取るために走り出した。
どうやらアイツはもういなくなったようだ。
……アイツが言っていたこと
私の部屋にいるトレーナーは、今幸せなのだろうか…?今や疲れて助けを呼ぶ気力すらも削がれ、こちらの動向を怯えながら窺うあの姿は、果たして幸せだと…愛だと言えるのだろうか?
……うっさ
そんなことは考えるだけ無駄だ。アタシにはアイツしか…トレーナーしかいない。アタシの隣で「美しい」と言っても不愉快に感じない、居場所を感じるのはもうアイツしかいないんだ。
アタシから、アイツを奪わないで
シチーは確固たる意志をその目に宿らせると、逃亡者をとらえるために廊下を再び走り出した。
視界がぼやけ、頭はまるで鉛をとりつけられたかのように重い。
まるで長い眠りから目覚めたようにその意識を懸命に引き戻し、身体を起き上がらせる。自身が眠りから目覚めた時、わかったことはただ一つだけだった。
…タキオンに出し抜かれちゃった。
「……許さない」
タキオンは自身の敬愛する会長をバカにした。そのことだけは必ず彼女に償わせなければならない。確かな怒りと意思を従えて、彼女は校舎内へと足を踏み入れた。
「……時間だ」
さっきの放送を聞くにあまり計画は良い展開であるとは言えないようだが、自身に疑いの目が降りかかっていないことは不幸中の幸いとみていいだろう。時間となった以上自分も動き出さなければならないようだ。
作戦の自身の役目は要。まさに自分がその成否を握っていた。
AIがインストールされているPCは、恐らく敵の中枢、生徒会室にあるとみていいだろう。会長たちからその目をそらすために、タキオンたちが懸命にその囮を買って出ている。作業のために用いるPCや器具をバッグに詰め込むと、シャカールは足を繰り出した。
必ずこの悲劇の連鎖をたちきらなければならない。
別に正義を振りかざすわけではないが、今の状況はウマ娘にとっては不健全なものであると評せざるを得ない。「走りたい」という意思をないがしろにして、欲望にその身をゆだねて誰かを傷つけるなんて、あってはならないはずだ。