一体どれほど、俺はここに閉じ込められているのだろうか。
手首に縛られた粗雑な紐は、それでも確かに解けぬようにきつく縛られたその紐は、部屋の一角の柱に繋がれていて、それは否が応でもここから抜け出すことはできない、あきらめろと宣告されているような感覚に陥った。
俺は元々、フリーのルポライターをしていた。最もこの場合、元の世界でやっていたというべきだろうか。
俺が住んでいた町、杜王町は数年前までその喧騒とはかけ離れた、静かな様相とは裏腹に奇妙な事件が立て続けに起こっていた。他の地域と比較しても跳ね上がった行方不明者の人数。地方の一都市とは思えないほど残虐で奇妙な、殺人事件や未解決事件。東京で無名のルポライターとして燻っていた自分は、そこで一旗揚げるためにボストンバッグを片手に杜王町へと飛び出していった。
そこから俺は、自分の商売道具を片手に杜王町を駆け巡り、数々のスクープ写真を挙げて、事件を新聞やテレビといったメディアに流していた。それなりの収入はあったし、その金で何とか飯も食えていたというものだ。
だがそんな日々というものも、突然終わるというものだ。
あれは確か、1999年の夏だったか。杜王町の一角で亀友デパートに勤務する男が救急車に轢かれたあの事件…確かあのころを皮切りに、杜王町から事件が途端に減少した。
一時はその男が一連の事件の首謀者なのではないかと疑念を抱き、その男の近辺を調べてみたりもしてみたが、その結果は白。1か月ほどその男は行方不明だったそうだが、前科もなし、妻帯者もいない。勾当台のはずれの一軒家に一人暮らしで、会社の人間や近所の人間にその男のことを尋ねても、特に怪しいようなそぶりは見せなかったそうだ。
とどのつまり、彼も一連の行方不明事件の被害者だったということだろうか。それともこの町、杜王町という存在自体が何かそのような怪異の類を引き寄せている、というところだろうか。
……いや、ただ俺は、自分の仕事の旗色が悪くなったことに、何かしらの因果関係を見出したかっただけなのだろう。
杜王町から事件という事件がなくなり、他の町と同じように退屈な、穏やかな町と化した結果、俺のルポライターとしての仕事は激減した。
手元のベルトの冷たい革の質感が、両手に伝わっていく。
やりたいことはすべてやった。東京にいる両親より先にこの世界から消え失せてしまうことは残念だが、この世界に留まることはそんなことをはるかに上回る絶望感が胸にひしめいていた。
「……ありがとう」
足元にあるイスを蹴ろうとしたその瞬間、ポケットに入れていた携帯がバイブレーション機能を発する。
一体何事だろうか。
携帯を取り出し画面を確認すると、そこにはゲームのアプリのコマンドの表示があった。特に何の気があったわけではない。死ぬ前の行動のすべてに意味を求めるというのも、あまりセンスのあることでもないだろう。
「ウマ娘プリティーダービー!」
可愛らしい声と共に、アプリの起動する音が聞こえる。そのままホーム画面が表示されると、そこには美しいプラチナブロンドの髪色を有したウマ娘がそこにいた。
……シチー。
「最後に話す相手がアプリのお前とはな……俺の人生って一体何だったんだろうな」
まさか人生最期に話す相手が、ゲームのキャラクターとは……三文芝居の脚本にも見劣りするようなその滑稽な人生。自嘲気味に声が唇から漏れ出す。その瞬間、画面にいるはずのシチーの腕がこちらにのびてきて、携帯を握る自身の腕を力強くつかみ取った。
「……それならアンタの人生、アタシにちょうだい」
それから俺は、この世界にずっととめ置かれている。一体何が正しかったのか、俺が死のうとしたことが間違いだったというのか。それともこんなゲームをやろうとしなければよかったというのだろうか。
「……」
シチーが俺を愛してくれているっていうのは分かる。しがないルポライター……いや、バイトでやっとその日を暮すルポライターくずれの俺が、あんなに美しい彼女に一途に好意を向けてもらうことは決して悪い気分はしない。
……それでもこの方法は。こんな扱いは……
仮に元の世界に戻ったとして、俺は果たして変わることができるというのだろうか。また元の生活の如く、その日暮らしに逆戻りしてしまうのではないだろうか?
その瞬間、自身の部屋の扉が勢いをつけて開かれる。
……一体誰だというのだろうか?
彼女は……シチーは今奉納祭の準備をしているはずだ。長い間暗闇に包まれていたせいでドアから差し込む光に目をすぼめながら、彼はそこへ視線を送った。
「私たちがやれることは一つ完了したねぇ」
シャカールが生徒会室にあるPCを回収し、それまでの時間を自分たちが囮となって稼ぐ。そしてその他に自分たちに課せられていた使命、それはできる限り学園内にいるウマ娘を校舎内に誘導し、中に閉じ込めて追跡されないようにするというものだった。
「概ねうまくいったというところだな……概ね」
「やや険のある言い方だが、確かに君の言う通りだよ露伴君」
後方で未だ煙を巻き上げる校舎の方を見つめながら、露伴は徐に口を開いた。校舎の中に多くのウマ娘たちを閉じ込めることに成功はしたが、校舎外にも未だ自分たちのことを探しにウマ娘たちが多く徘徊しているし、何より閉じ込めたウマ娘たちもいつ校舎から脱出するかもわかったものではない。
「はやいところまた囮役をやろう。シャカールがAIソフトを止めるまでの時間稼ぎだ。」
「クソッ……なんだこいつ……ッ!!」
わが子の成長は嬉しいものだというのが親の常だとは言うが、事この場合…自身が作り出したAIソフトが自分の手から離れ、自身が組んだ式から最早別物と化して成長を遂げ、そして未だその目的に従って成長を続けている。この場合はもはや嬉しいものであるとは言い難い感情が心を占めていた。
最早自分が作っていたあのソフトとは別物。どれだけその構成を分解しようと試みても、瞬く間にブロックを敷かれ、その道はふさがれてしまう。
「こんな……ところで!」
諦めてなるものか。タキオンたちが文字通り命懸けで稼いでいる時間。一分一秒たりとて無駄にするわけにはいかない。
シャカールは再びスクリーンに向き直ると、超人的な速度でキーボードに数列を打ち込み始めた。
カチャッ
「ここから出られない……っ!」
荒々しく玄関をふさいだ瓦礫の山を蹴り上げるが、それはピクリとも動こうとしない。それは明確に、自分たちがここから閉じ込められ、出るすべがないことを示していた。
「裏口もダメです……!」
「勝手口もだめだった……全部塞がれてる」
様子を見に行っていたシチーとカフェがそれぞれ戻ってくる。報告によれば、この正面玄関はもちろんのこと、校舎のいたるところにある出入口はすべてあの爆発によってその出入りを封じられているようだ。
あのタキオンのことだ……予想はしていたことだが、やはり私たちをこの校舎からみすみす取り逃がすような真似はしないだろう。
「……」
「ねぇブライアン!どうするんだよぉ!ここから出ないと、タキオンたちが逃げちゃうよ!」
苛立たし気に声を荒げるテイオーをよそに、ブライアンの思考は至って冷静そのものであった。
……なんでたってあいつらは、こんな真似をしでかしたんだろうか?
岸辺露伴や安藤基樹たちの狙いはわかる。この世界から脱出し、元の世界に戻ることだろう。それならば一体どうして彼らはまっすぐこの学園から立ち去ろうとせず、この学園をあちこち駆けずり回っているというのだろうか。
それにどうしてタキオンと彼らは組んでいたというのだろうか?
タキオンは当初、この世界と並行世界であるトレーナーたちのいる世界への調査を一任されていたチームの一員だったが、そのチームの一人であるエアシャカールが開発したAIソフトを開発したその時点で、私生徒会がかなり横柄な理由を用いてその研究にかかわる一切を押収した。
………………
……まさか
その瞬間、ブライアンは弾かれたように急いでとある場所……生徒会室に向かっていく。彼らとタキオンの利益は合致している。それならば、やつらの本当の狙いは……
生徒会室の扉を開け、室内を見渡したブライアンだったが、そこにはあるべきはずのもの…AIソフトがインストールされているはずのシャカールのPCはすでになかった。
……してやられた。
すべてはあのねじの外れたマッドサイエンティストの手のひらで踊らされていたというわけか。あの仰々しい爆発ショーも、大胆不敵に学園中のウマ娘たちの眼前にその姿をさらしたことも、全部タキオンの布石に過ぎなかった。全てのあの行動も、その狙いは生徒会室にあったあのPC。逃亡犯である露伴がこの部屋に来た時点で、その狙いに気が付くべきだった。
……ということは、間違いなく最後の共犯者はエアシャカールだろう。
タキオンたちが時間を稼ぎ、その間にシャカールがPCを回収し、AIソフトを無力化して並行世界への行き来ができないようにする。
至ってシンプルなそれだが、事実というものは案外こういう代物なのかもしれない。
自分たちはまんまと彼女たちの策に溺れ、こうして巨大な監獄と化したこの学園にとめ置かれている。怒りのあまりにブライアンは拳を壁に叩きつけると、その場にへたり込んだ。
……その時、自身のポケットから振動を感じる。恐る恐るポケットから携帯を取り出し、その宛先を確認すると、ブライアンは耳にその携帯を静かにあてた。
「……私だ」
タキオンと基樹、露伴は学園内にそれぞれ散会し、時間を稼ごうとする…しかしその瞬間、3人の携帯が着信によってバイブレーションを発したのだった。
…?
ポケットの携帯を取り出し、宛先を確認するとそこには自分たちの同胞であるエアシャカールだった。
「解除完了」
「……やけに早くないかい?」
露伴はいぶかし気に二人の顔を見つめるが、タキオンはさも当然であるかのように口を開いた。
「それくらいシャカール君が優秀だってことだろう。何はともあれ、ミッションは終了だ。早いところ君たちはこの世界から出ないと、もう帰れなくなってしまうぞ?」
その言葉に慌てた様子で露伴と基樹はうなずくと、急いでこの世界と、自分たちが本来いた元の世界をとどめ置いていた出入口である正面玄関へと向かっていった。
「……さみしくなるな、タキオン」
「……本当にありがとう。君がいなかったら、僕たちは」
「そういう辛気臭いのはナシにしておくれよ。私たちは私たちで、自分たちに必要なことだからやったことさ。それに露伴君……君にお礼を言われるのは、何だかむず痒い」
正面玄関がその姿を現す。これでようやく、元の世界に帰ることができる。終わることがないと思っていた長い悪夢から、ようやく目を覚ますことができるのだ。
自然と入口に向かう3人の足取りは早くなっていく。
入口まであと数メートル。
「帰ろう、元の世界に」
エアグルーヴに最後に別れを言うことができなかったのが心残りだ。基樹は名残惜しそうに学園の方へと視線を送ったが、やがて正面に視線を戻すと再び駆け出して行った。
もう少しで、もう少しで元の世界に…
「そんなに急いでどこへ行こうというんだい?」
その言葉に、恐る恐る露伴たち3人は声の下方向へと視線を送る。そこには意気揚々と両手を組み、得意げな笑みを浮かべたシンボリルドルフの姿があった。
「どうして…」
「どうして私がここにいるのか、そう聞きたいのかい?私が君たちの狙いに気が付かないとでも?君は連れ戻されるとわかっていてむやみに暴れ出すような真似はしないだろう。なにかしらの希望的観測を抱いて今回の計画に乗ったはずだろう」
そう言うと、ルドルフはその手に一つの物体を持ち、露伴たちの眼前にさらす。それは露伴たちが今回の計画の要として奪取していたはずのシャカールのPCだった。
「シャカール君の作ったAIソフトは未だ独自の進化を遂げ続けている。こんな短時間で解除できるはずがないだろう?彼女の携帯を拝借して、ここに来てもらったわけさ」
「……シャカールはどうしたんだい?」
その問いにルドルフは後方へと視線を送る…するとそこから縄で捕縛されたシャカールと、その隣に縄を持ったブライアンの姿があった。そしてさらにブライアンの後ろから続々と校舎の中へと閉じ込めたはずの、テイオーやシチー、カフェをはじめとしたウマが姿を現した。
……彼女たちは校舎の中へと閉じ込めたはずだ。出入口はすべて封じたというのに、一体どうして?
その問いに答えるかのように、ルドルフはその口元に笑みを浮かべると徐に口を開いた。
「確かに出入口はすべて爆破されていた。だが、私は生徒会室の棚に一つ。避難訓練で用いる非常用の脱出用のシューターを隠しておいた。君たちの目に触れないようにね…電話でブライアンにその存在と保管場所を伝えて、それを使って校舎から出てもらったわけさ」
まるで100点をもらった優等生のように歓喜に満ちた表情でその答え合わせを行うルドルフを悔し気に見ながら、露伴は徐に口を開いた。
「そこまでわかっていたなら…はじめから僕たちの計画は分かっていたはずだ。それなのにどうしてわざわざこんな煩わしい真似を……」
「言っただろう…?ご馳走は寝かせるほど芳醇な香りを放つ。君が希望に縋りついて、そこから絶望に叩き落とされる表情を見たかったのさ」
とどのつまり、僕たちは初めから目のまえの猛獣…シンボリルドルフの手の上で踊らされていただけということだったというわけか。
だとすれば今までの脱出という希望を頼りに進めてきたこの計画も、そして払ってきた努力もすべて、初めから徒労と化すことが決していたということになる。目の前を覆った絶望に、露伴は地面に膝をつく。その様子をしげしげと見つめていたルドルフはその俯いた顔を覗き込むと、恍惚とした表情を浮かべた。
「…君のその表情。なかなか刺激が強いスパイスだな。今すぐ君を閉じ込めて、その表情さえも独り占めしたいところだよ」
普段であれば言い返したくなるような、そんなたわけた言動にも今の露伴はとてもではないが言い返す気など露とも起きなかった。
今さら彼女に言い返したところで、未来は変わらない。せいぜい自身が待ちわびた食材として食卓に並んださいに、多少乱暴に食らいつかれるか否かくらいの違いだろう。
その様子に満足したルドルフは、もはやショーは終わりだというように片手を振ると、取り囲んでいたウマ娘たちを退かし、彼の手を取ってその場を立ち去ろうとするが、露伴はへたり込んだまま、いつまでたってもその重い腰を上げようとはしなかった。全て勝敗は決し、抜け殻のようになってしまった露伴をしばらく見つめていたルドルフだったが、
「さぁ、これ以上私の手を煩わせないでくれ。今ここで大人しく、そして君がこれから私のもとから離れないと約束をしてくれるというのなら、今回の事件で粗相をおかしたタキオンやシャカールについてだが、卒業までの奉仕活動という形の減刑を考えてやってもいい。それに君の同胞、基樹君についても丁重に扱うようにエアグルーヴに掛け合おう」
その言葉に、露伴は顔を上げる。
「それは……それは本当か?」
獲物を身体で締め付け、もはやその首にかみつくだけと言わんばかりにその口角を引き上げながら、ルドルフは言葉を続けた。
「あぁ本当だ。元より私の願いは君一人だ。君が大人しく私のものになってくれるというのなら、それ以外のことなんて些末なことだ。私や学園に弓を引いたことは腹立たしいが、もしも要求を呑んでくれるというのならば彼女たちに対して温情をかけてやる」
「ふざけンな!そんな要求呑むンじゃあねーぞ!」
「私たちのことなど気にするな!彼女の言葉に耳を傾けるな!」
既に捕縛され、身動きを取ることができなくなったタキオンとシャカールの必死の嘆願に、ルドルフはまるで道端に投げ捨てられたゴミを見るような顔つきで彼女たちを一瞥すると、徐に口を開いた。
「……既に君たちはチェックメイトにハマっている。もはや君たちの処遇はトレーナー君の考え一つだということをゆめゆめ忘れるな……それでトレーナー君、返事はどうだい?」
「……本当に助けてくれるのかい?彼女たちを……そして基樹君を。」
その言葉に、ルドルフはさらにその口角を上へと引き上げる。もはやその質問は、これから発せられる答えへの明確な伏線そのものだった。彼が自らの脚で、私のもとへとやってくる。その事実に歓喜で打ち震えながら言葉を発した。
「……もちろんだとも。私は約束を守るよ。さぁ、返事は?」
「だが断る」
「……は?」
彼は今なんと言った?断ると言ったのか、私の提案に?彼が発した言葉に混乱を露わにするルドルフをよそに、いつものようなふてぶてしい態度を元に戻した露伴は、言葉を続けた。
「この岸辺露伴の最も好きなことの一つは、自分が優位に立ったり、強いと思っていたりする連中にNoを突き付けてやることさ。悪いなタキオン、シャカール。そして基樹君。みんな仲良く地獄へ行こうじゃあないか」
「プッ……アハハ!君はなかなか愉快な性格をしているな、露伴君!」
「ざまぁねーな、皇帝さンよぉー-!フラれてやがる!」
タキオンとシャカールの笑い声が響き渡り、取り囲んでいたウマ娘の間には動揺が広がっていく。混乱のあまりその目をしばたたかせたルドルフだったが、やがてその表情には「暴君」というべき、憤怒の色が塗りつけられた表情へと様変わりしていく。
「……交渉は決裂だな」
フラフラと、しかし確実に。その足に怒りの意思を従えて露伴へと歩み寄っていく。それはただ一つの敢然たる事実だけが横たわっていた。
「……少し躾が必要みたいだね」
ルドルフの腕が、空に向かって引き上げられ、露伴に向かって真っすぐと引き下ろされる。露伴は覚悟を決めると、目をゆっくりと瞑るのだった。
いつまでたっても、その拳は振り下ろされない。
状況を図りかねた露伴が、恐る恐るその閉じられていた目を開けると、そこには驚くべき光景が露伴の視界に映った。
「一体……一体君は何をしている」
「エアグルーヴ」
エアグルーヴがルドルフの腕をつかみ、その怒りの発露の攻撃を寸前のところでとどめ置いていた。エアグルーヴは静かに暴君と化した自身の同志を見つめると、悲し気な表情を浮かべながら口を開いた。
「なすべきことが見つかっただけです。ウマ娘としての、なすべきことです」