岸辺露伴は走らない   作:ボンゴレパスタ

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岸辺露伴は調べない14 Fin

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懸命に足を繰り出していく。

1分1秒でも、ほんの少しでも、想いを繋ぎとめるために。

 

 

 

肺が焼き付きそうだ。苦しさで口から血が噴き出しそうになる。アグネスタキオンは廊下を、文字通り死力を尽くして失踪する。その後方からは、夥しい数のウマ娘たちが迫っていた。

 

 

「あぁぁぁぁぁ!!」

 

 

萎みそうな自身の決心を奮い起こすために、雄たけびを上げて走り続ける。学園内を縦横無尽に駆け巡っていたタキオンだったが、角を一つ曲がるたびに追手がネズミ算式に集まってくる。

 

 

 

やがて足に乳酸がたまり、限界が近づいてくるのを感じる。自身に降り積もった疲労のため思考力を逸していたタキオンが、その瞬間曲がり角を左に曲がる。瞬時に思考力を取り戻したタキオンだったが、その時には既に手遅れだった。

 

 

 

「……クッ。行き止まりか」

 

 

一瞬の気の抜けが命取りになってしまった。目の前には最早逃走経路など存在しない。あるのは自身の追いかけっこが無情にも終了したことを告げる障壁のみだった。

 

 

 

絶望したタキオンは、空へと視線をやると、そこには禍々しい暗い歪みが発生して、その空を一面覆いつくしていた。どうやら向こうも最終局面のようだ。

 

 

認めたくはないが、私とあの会長殿とは本質的には似通っている。どちらも本能というものに殉じ、そのためにだったらすべてを投げ出しても構わないという覚悟と醜悪性を秘めていた。

 

 

だからこそ、私は彼女を止めたかったんだ。

 

 

徐々に追手のウマ娘たちが、ネズミの首にかみつく猫のようにその目を蘭々と輝かせて近づいてく。これでも十分に時間を稼いだ方だと入れるのではないだろうか。

 

 

「……あとは任せたよ」

 

 

タキオンは彼らに…この世界にやってきた奇妙な漂流者たちに想いを託すと、静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺が元々、ルポライターだったのは知ってるな?」

 

 

その言葉にゴールドシチーが静かに頷き返す。元博はそれから、杜王町で自身がルポライターとして活躍し、そして仕事を失い自らその生の幕を引こうとするまでの経緯を端的に彼女に伝えた。

 

 

どうしても、彼女には知ってほしかった。これからの覚悟のためにも。そしてこれからのオレ自身のためにも。

 

 

 

「俺はこの世界の人間じゃあない。つまり身体に入ってしまった黴菌のようなものだ。いずれはここから出ていかなければと思っていた。」

 

 

 

「でも……アンタがいなくなったら、アタシ……!」

 

 

 

「シチー……でも」

 

 

 

「いなくならないで!アタシの前から!いい女になるから!束縛もしない!アンタのしてほしいことならなんだってする!だから……だから!」

 

 

 

「いなくならないで……」

 

 

 

目のまえの少女は、恥も外聞もなく涙でその顔をぐしゃぐしゃにしながらその場に蹲った。その様子を静かに見つめていた元博は、彼女の傍に近寄ると頭に静かに手を置いた。

 

 

 

「せっかくの美人が台無しだぞ……シチー」

 

 

 

さて、彼女は今本心をさらけ出した。それこそが、今言ったことこそが彼女の本心。とどのつまり解消のしようがない「不安」が心の内を支配し、その抜け出し方さえも分からない、少女の沈痛な叫びだった。

 

 

 

「怖かった。アンタがここからいなくなったとわかった時。いや、本当はアンタを部屋に閉じ込めてたあの時から。きっとアタシはアンタに愛されていないってわかってた。それでも……」

 

 

 

 

「失いたくなかったのか?」

 

 

 

その言葉に、シチーはその身体を震わせながら静かにうなずく。彼女はずっと戦っていた。そして悩み抜いた。それならば、俺にできることは……できることは。先程みたいな詭弁じゃあない。彼女が踏み出したのだ。話し合わなければ、恐れずに彼女に歩み寄らなければ。

 

 

……基樹君、そういうことだったのか

 

 

最早すべきことはきまった。意を決した元博は、静かにシチーに言葉を掛けた。

 

 

「きっと俺たちは二人とも不安だったんだ。不安っていうのはな……「知らない」ってことから生まれるって俺は思う。お互いにお互いを知って、歩み寄る。そうすればきっと、分かり合えるものもあるし、シチーのその不安も取り除くことができるはずだ」

 

 

一度捨てた命だ。これからの人生、誰かのために捧げたとしてもいいじゃあないか。

 

 

その言葉に、シチーは静かに顔を上げて元博の方を見つめる。そのアイラインは既に涙によって少し崩れていたが、間近で見つめる彼女の顔は、今迄のどの表情よりも美しかった。

 

 

 

「許して……くれるの?」

 

 

「あぁ……俺は君を許すよ。シチー。だから俺のことも許してくれないか?」

 

 

 

不器用な2人でも、少しずつ、一歩ずつなら共に寄り添いあって歩くこともできるはず。

 

 

 

 

お互いがお互いを思いやれば、きっと見えてくる景色がある。二人の間に流れていた確かな掛け違いは消失し、二人の心は確かに一つになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

荒々しく風が屋上を駆け巡り、ブラックホールのような渦は徐々にこちらへと近づいてくる。露伴は頭上の渦に視線を送ると、懸命にキーボードをたたくシャカールに声を掛けた。

 

 

 

「まだなのか!」

 

 

 

「だめだ……!こいつ、やはり想像以上に賢くなってやがる…!もしかしたらもう…!」

 

 

 

その瞬間、ドアがけたたましい音を上げると、それがまるで紙切れのように折れ曲がり、吹っ飛んでいく。一体何事かとその方角に視線を向けた露伴は驚愕と絶望が綯交ぜとなった表情を浮かべ、静かに通用口を見つめた。

 

 

…どうやらタイムオーバーのようだ。

 

 

白煙を上げる通用口から姿を現したのは、わかり切っていたがシンボリルドルフと、そしてその後方には数人のウマ娘たちが控えていた。

 

 

「さぁ、くだらない追いかけっこはもう終わりだ。じきに並行世界へのアクセスも可能になる」

 

 

まるで愚図る子供をあやす母親のような口調で、しかしその語気には決して有無を言わさぬ怒気も同時に含んでいた。両手を広げてこちらに一歩ずつ近づく彼女から距離を取ろうと逃げようとしたが、あっという間にウマ娘たちに取り囲まれてしまった。

 

 

「しっかりと押さえておくんだ…さて、私は君に最後に話しておきたい。」

 

 

ルドルフは露伴が取り押さえられたことを確認すると、シャカールの方へと向き合った。

 

 

 

「実際のところ、君には感謝しているんだ。君やタキオンがAIソフトを開発しなければ、私は彼に会うことすらできなかった」

 

 

 

「くだらねぇ」

 

 

 

「……くだらない?」

 

 

 

「結局のところ、てめーは「全てのウマ娘の幸せ」なンてハナから考えてねーンだよ。あるのは醜悪な欲望だけだ。こンな結末になるンだったら、はじめからあンなもの作らなかった」

 

 

「そうかい。だが子供の責任は親がとるものだろう?君の子供がはしゃいだ結果、ここまでの景色を作り出したんだ。みたまえ、まるで空がこの世界が終わるのではないかと錯覚するほど荒れている…これから起こるのは終わりではなく、始まりだ。この学園の生徒たちは自身の幸せを胸に秘めて向こうの世界に旅立っていく」

 

 

ルドルフはそう言うと、シャカールに歩み寄り手元のPCを取り上げた。どうせ並行世界へのアクセスを止めることなどできないだろうが、これ以上火遊びをされたとしても虫の居所が悪い。シャカールは彼女の方を睨みつけると、忌々し気に言葉を続けた。

 

 

「……本当に哀れだな。エアグルーヴも言っていたが、てめーは最早唯の怪物だ。皆のあこがれの生徒会長様は最早いないってところだな」

 

 

「……」

 

 

「二度とそこの漫画家先生はてめーを愛さない。それなのに必死こいて、詭弁で人を操ったのに、全て投げうったっていうのに、自分はそのザマなンて、滑稽以外の何物でもねーぜ」

 

 

顔を歪めたルドルフは、腕を伸ばすとシャカールの首を掴む。彼女はその掴む腕を強めると、淡々と言葉を放った。

 

 

「これ以上口を開かれても苛立たしい。もう話すな」

 

 

「…グッ……カッ」

 

 

加虐的に笑みを浮かべるルドルフだったが、やがてその違和感に気が付いた。何かが可笑しい。どうして彼女は絶望していないんだ?もう彼女に切れるカードはないはずだ。あとはこの世界と並行世界が行き来できるようになるのを手放しで見ることしかできないと言うのに、彼女の瞳から希望の光が潰えてはいなかった。

 

 

「……どうして君は笑っているんだ?」

 

 

苛立たし気に、既に生殺与奪をこちらが握っているというのに余裕を見せる彼女にそう尋ねると、シャカールは苦し気に言葉を口にした。

 

 

「ど……どうやら、間に合ったみてぇだな…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どういう意味だ?シャカールの言葉の真意を図りかねていると、突然後方から大きな物音が立て続けにした。一体何が起こったのか、ルドルフがその方向へ振り向くと、そこには驚きの光景が広がっていた。

 

 

露伴を拘束していたはずのウマ娘たちが漏れなく全員気を失っていた。

 

 

…一体どういうことだ?

 

 

理解をはるかに超えた目の前にルドルフが絶句していると、息も絶え絶えになりながらシャカールが口を開いた。

 

 

「オレはな……この世界と並行世界を行き来するという使命を持ったAIの本懐を阻止することはできなかった。だがな……」

 

 

エアシャカールはルドルフから露伴の方へと視線を移すと、言葉を続けた。

 

 

「だから途中から…こいつにかけられたセイフティーロックを解除することだけに注視していた。どうやら…ぎりぎり間に合ったみてぇだな」

 

 

倒れたウマ娘たちの中心に、岸辺露伴が立っている。その傍には…もっともこれはその場にいたウマ娘たちには見えないわけだが、白いタキシードのような出で立ちをした少年のようなヴィジョンが露伴の傍に控えていた。

 

 

「ヘブンズドアー。命令を書き込むことができる」

 

 

してやられた。どうやら、完全にトレーナー君に形勢逆転されてしまったようだ。トレーナー君の超能力は画面越しに見たことがある。瞬く間に対象を無力化し、相手に近づいてなにかすると、相手はトレーナー君が命令した通りのことをすることしかできなくなってしまう…そんなズルともいえるような能力が彼のもとに戻ってしまったとあれば、もはや自分に勝ち目はない。

 

 

力なくへたり込むルドルフに鋭い視線を向けると、露伴は淡々と告げた。

 

 

「観念しろ、死にはしない…だが君には「二度と岸辺露伴のことを愛することができない」、それか「岸辺露伴を認識することはできない」とでも書き込ませてもらおうか」

 

 

その瞳に確固たる意思を宿し、傍にヘブンズドアーを携えるとこれまでの奇妙な運命の連鎖に楔を打つためにルドルフのもとへと一歩ずつ歩み寄っていく。ルドルフは露伴に視線を見やると、徐に口を開いた。

 

 

「もしも……君の能力によってこの気持ちが否定されるなら…すべて失った私に唯一残った君への慕情さえも奪われてしまうというのなら……」

 

 

ルドルフはフラフラと屋上の淵へと足を掛けると、大空を静かに見せる。これから起こることを想像すると、恐怖でこの身が縛られそうになる。それでも私はこの一連の責任を果たさなければならない。自分の運命に、そして覚悟に殉じなければならない。

 

 

後悔がないかと言われれば嘘になる。私が間違っていた……心の中ではわかっていたんだ。エアグルーヴが正しいと。ウマ娘の本懐から目を背けて、醜悪な願望に全てを委ねてしまった。

 

 

手から零れ落ちた砂を必死に取りこぼさないように闇雲に、ただその情念のみを胸に秘めて行動を起こした結果、全て失ってしまった。

 

 

「………許してくれ」

 

 

両手を広げると、荒れ狂う嵐のような空とは裏腹に、その吹き込む風は何とも心地よいものだった。これはきっと哀れなウマ娘に三女神がせめてもと手向けたレクイエムといったところだろう。

 

 

さよならだ。

 

 

もう露伴に能力が戻った時点で、自身のもとに彼が戻ってくることはない。最も、はじめから彼の心は私のもとにはなかったわけだが。そんな私が、あまつさえ彼に許しを乞うてしまった。あまりにも惨めで、滑稽な身の振りに思わず苦笑がこぼれてしまいそうになるが、罪人の私がそれをすることさえ、許されてはいないというのに。できることは、この身にわずかに残留した信念と誇りを抱いて、その罰を甘んじて受け入れることだ。

 

 

ルドルフはまるで大空を舞う鳥のように両手を広げたまま、露伴の方を向くとそのまま仰向けに屋上から足場のない空中へとその身を倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

室内には異様な緊張感が流れている。

全てはここが終着点。室内の物静かな空気と裏腹に、室外からはそこに押し入らんと扉を荒々しく叩く音がひっきりなしに響き渡っていた。

 

 

 

……よし。

 

 

 

 

基樹は腹を決めると、自身の横で気まずそうに閉口するエアグルーヴに対して声を掛けた。

 

 

 

「エアグルーヴ。ちょっといいかな?」

 

 

 

「……?」

 

 

 

エアグルーヴはおそるおそる視線をこちらに向ける。その弱弱しい、いつもとは打って変わったその瞳を静かに見つめ返すと、基樹は徐に話題を切り出した。

 

 

 

「この世界に来る前、それこそうだつが上がらない人生で…正直なんのために生きているのか、わからないような人生だった。」

 

 

 

「……」

 

 

「僕はこの世界で、君に出会った。君と実際に会って、トレーニングをして……一緒に君とガーデニングもしたね。君のそばで、君のことを見てて。確かに君は少し強引なこともしてたけど……」

 

 

 

「……」

 

 

 

「でも……気づいたんだ。初めて君を見たあの時から。君の気持ちを受けてから……でもそれに向き合うのに怖かったんだ。直視できなかったんだ……でも、言うよ」

 

 

「エアグルーヴ、君のことが好きだ」

 

 

全ては流れゆく過去。とどめ置くことのできない時間の流れ。

今さらこんなことを口にしたところで、僕たちはもう手遅れであることには変わりない。

 

 

 

それでも僕は、この想いを胸にとどめ置くことなんてできなかった。虫のいい話だと分かっている。それでも、この想いを何か形にしたかったんだ。

 

 

 

「……たわけ。今さら遅いんだ」

 

 

エアグルーヴの瞳からは、溢れんばかりの涙が零れ落ちていく。ずっと聞きたかった言葉。罪を犯してしまい、その贖罪のために打ち捨てた、元来の願い。それがこのタイミングで叶うとは露にも思わなかった。

 

 

「ご……ごめんねぇ。僕が……僕が情けないばっがりに……」

 

 

 

言葉が声にならない。気が付くと、どうやら僕も知らず知らずのうちに泣いてしまっていたようだ。

 

 

 

情けないなぁ。

良い大人が、しっかりしているとはいえ、高校生の女の子の前でべそをかくなんて。これじゃあ告白もくそもないじゃあないか。

 

 

それでも、基樹は涙をこぼさずにはいられなかった。例えこの世界から脱出できたとしても、そうでなくても。お互いの心が通い合っているとわかったとしても、彼女のそばに居続けることはもはや叶わないんだ。

 

 

あるのは僅かな歓喜と、大きな後悔だけ。

もっとこうしていれば。もっと早く、あの時決心できていれば。

 

 

 

それはきっと、彼女も同じ気持ちだったんだろう。

 

 

エアグルーヴは、今度はその目じりから感情の発露を流しながらも、確かな決意をそれに込めると、基樹に向き直った。

 

 

[

 

 

 

 

 

 

 

 

背中が重力によって引き寄せられ、その身体が落下しているのを感じる。ようやく終わるんだ。この苦しみから。ルドルフは自身の身体を襲う衝撃と痛みに備えて静かに目を閉じた。

 

 

緩やかに。そして確かな敢然たる事実が自身のもとに近づいてくる。彼との日々が、そして私がしでかしてしまった罪が思考となって放出され、走馬灯という代物となって脳内を駆け巡っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時だった。

 

 

「いいねぇ!君のその根性ッ!そして信念……まさに劇画みたいな代物を持っている奴にグッとくるんだ!」

 

 

「……え?」

 

 

目を開けたルドルフの前には信じられない光景が広がっていた。露伴が自身と同じように屋上から身を投げ、こちらによって来ていた。彼はそのままこちらに近づくと、衝撃から自身を守るように自身を抱きかかえた。

 

 

「と、トレーナー君……」

 

 

 

ルドルフはその瞬間、露伴の瞳に誇り高き黄金の意思と、純粋に自身が見つけた意思ややりたいことは何が何でもやり遂げるという狂気を内包していることに気が付いた。

 

 

 

……やはり初めから、彼には敵わなかったのだ。彼はその信念も、そして執念もこのシンボリルドルフを上回っていた。いつものように余裕をもっている状況ならいざ知らず、恋にうつつを抜かし周りが見えていない状態の今の私では、初めから勝負は見えていた。

 

 

 

今はそんなことを考えている暇はない。ルドルフは露伴に向かって必死の形相で声をかけた。

 

 

 

「トレーナー君!どうして…君も死ぬんだぞ…!」

 

 

 

「言ったろう?君のその精神にグッと来たんだ。そういえば君のことを初めて見た時、君のトレーナーになろうと思ったのも……まぁそれはいい。」

 

 

 

 

 

「一体何を言っているんだ!なんて、なんてバカなことを!?」

 

 

その瞬間、地面に落下していく二人のスピードが徐々に緩やかになっていくと、地面に叩きつけられるその寸前で、重力を度外視してその身体は空中で停止した。突然の出来事に、あまりにも常識から逸した目のまえの光景に困惑しているルドルフをよそに、露伴は徐に口を開いた。

 

 

「AIっていうものには知能がある……つまり知能があるということはヘブンズドアーの命令を書き込むことができるってわけだ」

 

 

屋上の上のPCに亀裂が入る……するとその亀裂から紙のような物体があふれ出していくと、そこから本のようにページが出現した。

 

 

「AIを止めることもできた。その動きを完全に停止し、開発された元の状態へと戻るとね。だがそれは止めた」

 

 

「……それはどういう?」

 

 

 

「基樹君とエアグルーヴ君の姿を見て、思いとどまったんだ。人には人の、ウマ娘にはウマ娘の気高さがあり、賛歌があり、美しさがある。それを分断することは果たして正解なのかと……彼女たちが歩み寄ることも、僕たちが歩み寄ることもできるんじゃあないかと……それを信じてもいいんじゃあないかってね」

 

 

 

「だからこう書きこんだんだ……「その処理速度を100倍にして、世界の探求、調査を続行させる」とね。並行世界へのアクセスを見つけるくらいの代物だ。そいつがそんなことを命令されたらどうなるか……恐らく人智を遥かに超えた、そんな代物へと変貌する。こいつが一体この世界と、向こうの世界をどうするのか。それは誰にもわからない。だが、僕はこれに賭けたんだ。これが僕にできる最大限の「歩み寄り」だ」

 

 

「……トレーナー君」

 

 

「全く自分でもこんなバカげたことを言うなんて驚きだ…」

 

 

「……」

 

 

「……だから君も歩み寄ってくれ。この世界がもしも無事で済んだのであれば、君を選んだ理由でも話して聞かせよう。こんなことを言うことは以前の僕であれば考えられないが、普通の友達から始めよう。話はそこからだ」

 

 

「……うん。うん……」

 

 

その翡翠の瞳からは大粒のダイヤのような涙があふれ出る。そのダイヤが周囲の煌々たる光を反射すると、その光はすべてを飲み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辺りには神々しい光が、まるで審判を下すようにこの世界を瞬く間に包み込んでいく。どうやらあまり時間はないようだ。エアグルーヴは感情が高ぶり震えている基樹をなだめるように、彼の身体をゆっくりと摩ると、徐に口を開いた。

 

 

「いいか、たわけ。一度だけだ……最もこれが最初で最後だろうが」

 

 

ゆっくりと彼の身体をこちらへと引き寄せていく。基樹はこれから起こることを予期すると、静かに瞳を閉じた。

 

 

……あぁ、幸せだ。

 

 

二つの影が、一つに重なる。その瞬間、光がそこに到達すると、たった今一つになった彼らを影ごと飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ウマ娘プリティーダービー、か」

 

 

 

「あれ、露伴先生。そのアプリやってるんですか?」

 

 

訝し気にこちらのスマホの覗き込む数少ない友人…広瀬康一がそう呟くと、露伴は何気なく康一の方へと顔を向けた。

 

 

「………失踪者の唯一の共通点がこのアプリをやっていたということくらいしか現状わかっていないんだ。このアプリをやれば何かわかることもあるんじゃあないかと思ってね」

 

 

「……それにしては随分やりこんでみたいですね。このウマ娘なんてS+じゃあないですか」

 

 

康一の指摘にバツが悪そうに顔をそむけた露伴だったが、やがてまたスマホの方へと視線を戻すのだった。

 

 

「一番育成してるのはこの子……シンボリルドルフですか」

 

 

「まぁな。僕はあんまり子供っぽい奴が好きじゃあなくてね……」

 

 

 

(それは露伴先生も……)

 

 

 

内心でツッコミを入れる康一をよそに、露伴は言葉を続けた。

 

 

「あと彼女には大きな夢がある。『全てのウマ娘の幸福のために』まるで夢想家のような発言のそれだが、彼女にはそれを実行する黄金の意思がある。そして生命力と強さを兼ねそろえている。その大志の裏には、確かな努力が裏付けされているってわけさ。」

 

 

「そうなんですか……」

 

 

「もしも彼女と話せるというのなら、ぜひ彼女の物語を聞きたいものだね。いい漫画のネタになりそうだ。」

 

 

「漫画のネタになる」端からみればそれは失礼な言動であるともとれるが、康一はその言葉は、骨の髄まで漫画家としての血が流れる露伴にとってそれはこれ以上にないほど賛辞の言葉であることを知っていた。何より他の趣味ができたこともいい傾向と捉えていいのではないだろうか。いつもよりも幾分か柔らかい表情を浮かべて育成に勤しむ露伴を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピピッ

 

 

目覚ましの音が眠っている頭の中を縦横無尽に駆け巡り、自身を急激に現実へと引き戻していく。ベッドから起き上がり凝り固まった背中を引き延ばすと、窓の外の景色に目をやった。

 

 

……朝の杜王町。

 

 

サラリーマンや学生、主婦といった様々な人々が往来する丁度出勤時間。自分がこの世界に戻ってから早1週間が経過しようとしている。何一つ変わらない景色。多くの人はきっとそう思っているだろう。

 

 

ピンポーン。

 

 

玄関からチャイムの音が鳴り響く。寝起きの格好からひとまず人前に出ることができる格好へ取り急ぎ着替えると、玄関の扉を引き開けた。

 

 

「栗東宅急でーす!」

 

 

入口に立っていたのは宅急の配達員だった。彼女はその特徴的な耳と尻尾をはためかしながら自身に荷物を手渡すと、朗らかな笑みを浮かべてそこを後にした。

 

 

 

「……誰だったんだ?基樹」

 

 

自身が眠っていたベッドから声がかかってくる。基樹はベッドの傍まで寄ると、彼女の顔にかかった黒髪をそっと揃えながら言葉を掛けた

 

 

「宅急便だったよ。エアグルーヴ、今の生活には慣れた?」

 

 

「あぁ。もうすっかり慣れたよ。さぁ朝食を作るぞ、早く身支度をしておけ」

 

 

エアグルーヴは目覚めの悪さなど微塵も感じないほどパッと起き上がると、テキパキと朝食の準備を始めた。基樹は彼女のそんな様子を見守りながら、彼女とこの世界に戻ってきた時のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの包まれた光。あの閃光から意識を取り戻した時には、自分は杜王町にいた。いつも通りの日常に戻ったことは嬉しいことだったが、エアグルーヴと離れ離れになってしまったことは非常に心苦しいものだった。

 

 

「基樹……?」

 

 

自身の隣にはこの世界では違和感でしかない存在……いるはずがないエアグルーヴの姿があった。どうして彼女がここに?そんな些末な疑念はもう2度と会うことができないと思っていた彼女と再会することができたという喜びで瞬時に塗り替えられてしまった。

 

 

「よかった……本当によかった……」

 

 

基樹は涙を流しながらエアグルーヴに抱き着く。最初は戸惑っていた彼女だったが、やがて彼と同じように基樹の身体を強く、しかし優しく抱きしめた。

 

 

「私はここにいる……どこにもいかないさ」

 

 

感情がひとしきり発散し、周囲を見渡すほどの余裕を取り戻した二人は、自身の目のまえに広がる光景がいくらか違和感を有していることに気が付いた。

 

 

「……ここは基樹の住んでいた町、杜王町なんだな?」

 

 

「うん……」

 

 

「それなのにどうして…どうしてウマ娘がいるんだ?」

 

 

 

目のまえに広がる町は、確かに自身が生まれ育ったはずの町、杜王町だった。しかしその町を行く往来の中には、先程までいた世界のように特徴的なウマ耳を有したウマ娘たちの姿があった。

 

 

……一体何があったというのか。

 

 

 

そして人たちもその存在に特に疑念を抱いている、という様子はない。まるで初めからその存在が当たり前に存在していたかのように、生活を送っていた。

 

 

「……どうして?」

 

 

「それは恐らく、僕の能力を受けたAIのせいだろうな」

 

 

その言葉が発せられた方向を振り向くと、そこには岸辺露伴の姿があった。驚く二人をよそに、露伴は言葉を続けた。

 

 

「AIソフトが限界値までその解析速度を引き上げて、開発を続けていた。つまりあのAIは世界の往来の発見はおろか、元の世界と僕たちが先程までいた、ウマ娘たちがいる世界の統合を行う方法までも見つけてしまったみたいだな」

 

 

なるほど。既にこの世界は元の世界と極めて似た、しかし決定的にそれとは異なる世界へと変貌したということか。あまりにも衝撃的な事実に驚きの表情を浮かべる基樹とエアグルーヴをよそに、露伴は言葉を続けた。

 

 

「その光景を目に焼き付けていた僕たちはどうやら記憶は失っていないようだが、この世界のほとんどの連中は、初めからこの世界にはウマ娘が共存している世界として認識しているようだな。全く……この生活に慣れるのも苦労しそうだな」

 

 

露伴は頭をポリポリと数度掻くと、その場を後にする…そして去り際に基樹に対して声を掛けた。それは数奇な世界を共に戦い抜いた同志に対する手向けの言葉だった。

 

 

「……依頼は完了だ。あとは君自身が弟君にでも無事を報告してやるんだな。」

 

 

 

露伴はそうつぶやくと、前方へと視線を戻し、その足を繰り出していく。やがてその身体は雑踏に紛れると、完全に見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これからどうするんだ、基樹」

 

 

この世界に戻ってきた基樹はエアグルーヴの勧めもあり、家族に無事に戻ったことを報告すると、勤めていたブラック企業を退職した。自由になれたのはいいが、いずれにしても次の働き口を探さなければならないこともまた事実である。

 

 

基樹は少し考え込むように俯くと、徐に口を開いた。

 

 

「やりたいことがあるんだ…君とガーデニングをした時、凄く楽しかった。花の気持ちを考えて、花の香りや色を楽しむ。だから、僕はそれを仕事として君とやりたいって思ってる」

 

 

「花屋ということか?」

 

 

基樹は静かにうなずく。自分にもやりたいことができた。それは紛れもなく、彼女のおかげだ。あの世界に連れていかれて、彼女に出会わなければ決して見つからなかった僕の道。

 

 

エアグルーヴは静かに微笑むと、一言ぽつりとつぶやいた。

 

 

「それは……それはとても楽しそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待ち合わせというものは、その人の人となりを現すものだ。露伴は本来の待ち合わせよりも30分近くも早くついてしまった自分自身に疑念を抱きながら、カフェの一角にあるイスで先程暇つぶしにと駅前で買った雑誌に目を通していた。

 

 

「ロジカルウマ娘:菊花賞を制覇」

 

 

「天才ウマ娘、名誉賞を受賞」

 

 

「新進気鋭のスーパーウマ娘モデル・ゴールドシチー特集:撮影穂積元博」

 

 

 

どうやら彼女たちも、自分自身の答えと居場所を見つけられたようだ。短い付き合いだったが、その前途ぐらいは祈ってやるとするか。露伴がその雑誌に目を通していると、頭上から声がかけられた。

 

 

 

「随分と早く来たんだね、トレーナー君……いや、露伴先生」

 

 

 

 

 

「……君も人のこと言えないんじゃあないか?」

 

 

 

そこには自身の担当ウマ娘だったシンボリルドルフの姿があった。そこにはかつてのような狂気、毒気は微塵も感じられない。有体の、そのままの彼女の姿があった。ルドルフは露伴の真正面へと腰を下ろすと、近くを通りかかったウエイトレスにオーダーすると、微笑みながら露伴へ声を掛けた。

 

 

 

「今日はカフェでデートかい?それもまた嬉しいよ」

 

 

 

 

「カフェ・ド・マゴのコーヒーは格別さ。……そういや君の手にあるその花は何だ?」

 

 

ルドルフの手には美しい色とりどりの花のブーケが握られていた。ルドルフは嬉しそうに口角を上げながら口を開いた。

 

 

「私たちの友人が花屋を始めたと聞いてね……顔を見がてら買いに行ったんだよ」

 

 

「そうかいそうかい……まぁ、今度僕も顔を出しに行くとするかな」

 

 

そう言いながら露伴が自身のスケッチブックに漫画のネタとしてのデッサンを描き始める。およそこのようなケースの場合においては彼の行動はナンセンスと言えるだろうが、ことルドルフにとってはその光景さえも微笑ましいものとして映っていた。しかしルドルフはいじらしそうに身体を背もたれに預けると、声を掛けた。

 

 

「…もう少し私を見てくれたっていいんじゃあないか?」

 

 

 

「……週に2回は会ってるんだぞ?頻度でいえば康一君以上だ……文句を言うもんじゃあないぜ」

 

 

露伴はそうつぶやくと、スケッチブックにコーヒーを嗜むルドルフの横顔を描くとそれを冊子から引きはがすとルドルフに手渡した。ルドルフはその紙を後生大事そうに見つめながら顔をほころばせた。

 

 

「さて……今日はどんな話をしようか?」

 

 

「そうだね……じゃあ君がどうして私を選んだのか、それを聞かせておくれよ。話すって言っていただろう?」

 

 

 

千里の道も一歩から。友人たちは今日も町の一角で、その心の距離を縮めるようにともに時間を過ごしていく。

 

 

 

テラスで話す二人の席を、暖かく日の光が包み込んでいた。

 

 

 

 

「岸辺露伴は調べない」完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









どうもボンゴレです!
これにて「岸辺露伴は調べない」は完結となります!元々「岸辺露伴は走らない」の短編集の一巻で書いたつもりが、気付けばここまで風呂敷を広げてしまいました!ちなみに調べないという一つのシリーズが終わっただけで、「岸辺露伴は走らない」はまたネタが浮かんだら書きます!







何はともあれ、お付き合い頂きありがとうございました!引き続きよろしくお願いします!

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