岸辺露伴は走らない   作:ボンゴレパスタ

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岸辺露伴は歩まない1

 

 

人は生まれてから、どれほど苦しいという想いを抱くのだろうか。

 

 

人は生まれてから、どれほど夜が明けてほしくないと願うのだろうか。

 

 

人は生まれてから、どれほどこのまま眠ったまま目覚めなければいいのにと願うのだろうか。

 

その一つ一つの苦しみが。その痛みが私の毎日を織りなしているのだとしたら、私は一体どこに力をいれて立ち上がれば良いというのだろうが。

 

 

 

 

「まだまだだ!もう一本!」

 

 

突如自身を貫いた、その怒声によって彼女の意識は現実へと引き戻された。どれほどの痛みに顔をしかめようが、関係ない。私はここにいることを選択したのだ。即ち痛みに耐える他ないというその選択を、自らの手でしたのだから。

 

 

アスリートという職業は、並大抵の努力では続けることはできないものだ。ましてやここは天下のトレセン学園。入学し、トレーナーが見つかりトレーニングを重ねて重賞で勝利を収めることができるウマ娘などほんの一握り。そんな夢と絶望が渦巻いているのがこの場所であり、そこで私は…私たちは戦うことを選択したのだ。

 

 

…ッ!

 

 

この1か月、ほとんど休まなかったせいだろうか。ターフを駆ける自身の右足に違和感を抱く。嫌な予感がした。自身の身体の、そして体力の限界を感じた私が立ち止まるとターフの向こうでストップウォッチを握っていたトレーナーがこちらに走り寄ってきた。

 

 

「……トレーナーさん」

 

 

「おい…!どうした!」

 

 

「足が……足が」

 

 

彼女の声にならない声を片手で制すると、トレーナーは彼女の前で跪き触診でその脚の具合を確認する。

  

 

 

最早自身の脚はどうにもならない。競技者としてターフの上に立つのは、もう…

 

 

それは極めて残酷な、しかし自身に横たわるどうしようもない事実だった。そんな張り詰めた絶望とは裏腹に、悲鳴を上げた足を見て安心している自分もいることに驚いた。

 

 

………これでようやく自由になれる。

 

 

途方もない苦痛からの解放。もうこれ以上、苦しむ必要なんてどこにもない。ようやく安心した気持ちで、明日を怖がることなく夜を迎え、そして朝を迎えることができる。その事実は絶望に打ちひしがれた彼女にとっては、心に僅かな安堵を植え付ける出来事に他ならなかった。

 

 

しかしトレーナーが次に発した言葉によって、その想いは容易く打ち砕かれることになった。

 

 

「よし。大したことないから、これを飲めば大丈夫だ」

 

 

そう言うと、トレーナーは彼女になにやら栄養ドリンクのような代物を手渡す。そのラベルに目を通すと、そこには「ナンデモナオール」と表記されていた。

 

 

「……これは、一体……?」

 

 

「良いから良いから。とりあえず飲んでくれ」

 

 

そう言われるがまま、そのドリンクのキャップをひねりその中身を喉に流し込む。途端に咥内に人工的な酸味と苦み。そしてそれを塗りつぶすために加えたであろう甘味料がミックスされた不快な味が広がるが、それを何とか吐き出すまいと飲み込むと、彼女の身体に変化が訪れた。

 

 

「足が……」

 

 

自身の右足に籠っていた熱が途端に引いていく。やがてその僅かな痛みが完全に引いたことを確認すると、トレーナーは大きな声を上げて言葉を発した。

 

 

「さぁ!今のでトレーニングのスケジュールに遅れが出た!仕方がないが、練習時間を引き延ばして練習しなくちゃあなぁ!」

 

 

一体どうしてケガが治ったのだろうか。このドリンクが一役買っていることには変わりないだろうが、一体何の効能をもってしてその痛みが引いたのかは理解できない。

 

 

「ト、トレーナーさん。もうここ1か月、ほとんどお休みを頂けていません。もうこれ以上は、体力が……」

 

 

その懇願に、トレーナーはぴたりと動きを止めてしばらく考えるような素振りを見せる……やがてトレーナーは顔に笑みを浮かべると、言葉を彼女に向けて発した。

 

 

「よし!それじゃあこのジュースを飲むんだ!なぁに、ちょっと見た目と味は悪いけど、これを飲んだ後にカップケーキを食べれば問題ないだろう!」

 

 

 

そう言ってトレーナーがずいずいと彼女の手に押し付けたのは、先程の奇妙な栄養ドリンクよりもさらに食欲を削がれる蛍光の緑色を有した粘り気のある液体と、見るだけで胃もたれを起こしてしまいそうなカップケーキだった。

 

 

「あの……これを……」

 

 

「早く食べるんだ!」

 

 

最早拒絶する気力さえも残されていない。その二つを喉に流し込むと、瞬く間に体力が回復し、悲しいことに何だか体の内側からやる気があふれてくるのを実感する。

 

 

「さぁ!これで大丈夫だ!練習に戻るぞ!」

 

 

……トレーナーさんは私を見ているようで、私を見ていてくれない。

 

 

認知と常識が根本的にすれ違っている。その違和感に気が付いているのは、きっと私だけなのだろう。張り裂けそうな気持ちを押し殺したまま、彼女はトレーナーの呼びかけに無理に顔に笑顔を作り、再びターフを駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

杜王町の昼下がり。とあるウマ娘と男が一つのテーブルを囲んで談笑に講じている。やがてウエイターがティーカップを二つそのテーブルに置くと、ウマ娘はそのカップを手に取り、その中の紅茶を啜りながら男が今しがたキャンバスに描いた生物をまじまじと見つめていた。

 

 

 

「……認識のずれというものは時に驚きを与えるものだ、トレーナー君。つまりこの4本足の生き物が私たちの本来の姿だったというわけかい?この『馬』という生き物が?」

 

 

「その通りだ。古くからこの生き物は人間たちの生活とは切っては切り離せない関係として私たちの生活を支え続けたんだ。農耕や狩猟、食糧や戦争……その様々な場面でこの生物は僕たち人間を支えた……っておい。僕はもう君のトレーナーじゃあないぞ。」

 

 

「フフッ……これはすまない。やはり呼び慣れている呼び方から急に変わるのは違和感を抱くものでね。しかしこの馬なる生物、やはりデジャヴというか、なんというか……これが元々の私たちだと言われても、受け入れてしまう。運命とはやはり奇妙なものだ。この世界は驚きに満ち満ちているね、露伴先生」

 

 

「……僕としては、君と週に1度こうして話していることの方がよっぽど奇妙な体験だと思っているけどね。」

 

 

そのテーブルに着くのは大人気の漫画家・岸辺露伴とトレセン学園の生徒会長としてウマ娘たちの中では英雄ともてはやされるウマ娘・シンボリルドルフ。そんな一通りの応酬を終えた後、二人は互いに肩をすくめるとテーブルに置かれた紅茶に再び口を付けた。

 

 

「……さて。時にルドルフ。今日は一つ君に相談があるんだ。」

 

 

「……なんだい?まさかエアグルーヴたち、結婚でもするのかい?」

 

 

「……そんなわけ……いや、もうあそこは秒読みか。二人がやっている花屋の前を通るたびに花の他にも彼らの愛情の匂いで咽せそうに……ってそんな話はどうでもいいんだ。言いたいことはそういうことじゃあない。」

 

 

「……?それじゃあなんだっていうんだい?」

 

 

「簡単な話さ。トレセン学園に赴いて、取材をする許可が欲しいんだ。「ウマ娘」のことについて、その存在を途中から知った者として新鮮な視線で描くことができそうだしね」

 

 

「そんなことならお安い御用だ。直ぐに学園に許可を取れるように掛け合っておくよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、この世界でも学園の姿は変わっていないのか」

 

 

 

 

 

一週間後、露伴は懐かしきトレセン学園に赴いていた。あの決死の逃亡劇を繰り広げたのが、遠い昔の出来事のようだ。露伴が理事長の秘書であり、取材にやってきた露伴の案内である駿川たづなと合流すると、応接室まで彼を案内した。

 

 

「……ところで、今日取材を受けてくれるウマ娘とトレーナーはどんなウマ娘なんですか?」

 

 

「それについては、これ以上にないほどぴったりな人物を選ばせていただきました。先の菊花賞を制した、非常に優秀なウマ娘です!」

 

 

 

「なるほどね、それを聞いて安心したよ。そのウマ娘から訊ける話、楽しみにしているよ」

 

 

 

やがて二人は応接室の前にたどり着く。たづなが部屋をノックして扉を開けると、そこには葦毛のウマ娘…ショートカットにタンポポの髪飾りを付けたウマ娘に、その隣には細縁の眼鏡をかけた男の姿があった。露伴の姿を目に止めた男はすくっと立ち上がると、目のまえの露伴に対して言葉を掛けた。

 

 

 

「今日はお話を聞いていただくということで、本当にありがとうございます…私は戸瀬恭也と申します。そして隣にいるのは担当の…ってほら!スカイ!立って立って!」

 

 

恭也の声掛けにフラフラと隣のウマ娘は立ち上がると、背伸びをしながら言葉を続けた。

 

 

「はーい、どもども~初めまして、セイウンスカイで~す」

 

 

「こ、こらっ…!スカイ……!」

 

 

彼女の口調は、妙に間延びしており何処となく引っかかるものがあった。しかし、大の大人がそれを年端も行かぬ少女に、ましてや初対面の相手に対して指摘することは、聊か大人気ないと言えるだろう。それこそルドルフがここにいたらきっと同じ考えを……

 

 

ってなぜ今ルドルフのことを考えたのだろうか。とにかく、隣で青ざめた表情を浮かべている彼の顔を見れば、その注意は取材が終わった後に彼がきっとしてくれるだろう。心の中で解決を一人で図った露伴は彼らに向き直ると、バッグの中からメモに使っている用紙とデッサン、そして鉛筆を取り出した。

 

 

「それじゃあ早速で悪いが、取材を始めようじゃあないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぁ、はぁ、はぁ……

 

 

 

いくら何でもこれ以上のトレーニングやレースの出走は心身ともに限界を迎えてしまう。そうトレーナーさんに伝えたのは、果たして何度目のことだろうか。

 

 

 

こうしてトレーニングの最中にドリンクが無くなったとトレーナーに言って、そのついでに休んだとしても、これもきっと焼石に水程度の措置にしかならないだろう。

 

 

 

学園の一角にある切り株……レースで負けたウマ娘が、次こそは負けないと意思をそこで叫ぶというその大きな空洞が空いた切り株の背中を預けながら、セイウンスカイはつかの間の休息をとっていた。

 

 

 

……走ることを心の底から楽しめなくなったのは、一体いつからだろう。

 

 

 

……トレーナーさんに会うたびに、震えが止まらなくなってしまったのはいつからだろう。

 

 

 

今も休息をとっているはずなのに、心の中は様々な感情が渦巻いていて、全く休まる様子はない。身体を無理にでも動かしていなければ、暗い思考にどんどん囚われて行ってしまうのを実感していた。

 

 

 

「早く……早く戻らなくちゃあ……」

 

 

スカイはトレーナーの元に戻るため、フラフラと立ち上がる。しかし立ち上がった時、蓄積されていた疲労のせいか、血流が頭に上り、視界が一瞬暗闇が立ち込めた。

 

 

……あっ。立ち眩み

 

 

 

足元のバランスが崩れ、後ろに数歩下がる。すると背後にあった切り株につまずき、後ろにそのまま倒れ込んでしまった。

 

 

 

……しまっー-!

 

 

気付いた時には、仰け反った身体はそのまま切り株に空いた穴に向かっていた。その態勢を整えることができないまま、スカイの身体はそのまま穴の中に吸い込まれていき、あたりは再び静寂が支配した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……とりあえず話の方はこれくらいで」

 

 

 

 

 

一通り話を聞くことができた露伴は、恭也とスカイを連れ立って実際のトレーニング風景を観察するためにターフに向かっていた。

 

 

 

聞きたいことは聞くことができた。第一印象ではいい加減なウマ娘という印象だった彼女だが、その実は巧みにレース展開を練り、また相手の作戦や癖を見抜いて巧妙に勝利をもぎ取る非常に優秀な戦略家のようだ。最もただ何も考えずに走っていたというならばきっと皐月賞や菊花賞を征することは叶わなかっただろう。

 

 

 

 

そしてそのモチベーションを維持し、またその戦略を練る上でのブレインとして、恭也はスカイによってこの上なく相性の良いコンビのようだ…少なくとも今の2人の姿は露伴の目にはそう映った。

 

 

 

 

なかなか良いコンビじゃあないか…ってどうしてもトレーナー目線で物を考えてしまうな。

 

 

そんなことを内心思いつつ、3人はターフへと足を運ぶ……しかしその途中で看過することができない光景が目に留まった。

 

 

「……あれ。だれか倒れているんじゃあないか?」

 

 

「ほ、本当だ……大変だ!」

 

 

校舎の近くにある切り株。そこの近くに一人の少女がぐったりと倒れていた。急いで3人が駆け寄りその少女の様子を確認する…その少女はうつ伏せに倒れていて、髪が顔に掛かっておりその顔を窺うことはできなかった。恭也が倒れている少女の肩を掴み、仰向けにしようとその身体を捻る……そして彼女の身体が仰向けになった時、その髪がハラリと落ちてその顔が露わになった。

 

 

「なっ……」

 

 

「こ、この子は……」

 

 

「……!」

 

 

葦毛のショートヘアにタンポポの髪留め。いくらかやつれているものの、その顔には3人は見覚えがあった……その少女は、今そこにいる3人の内の1人、セイウンスカイにそっくり。いや瓜二つの顔をしていた。

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