「よく来たね」
トレセン学園の一角にあるとある部屋に、数人の人物が会している。その内の一人、岸辺露伴が彼女たちに足労してもらったことを労うと、そこにいたウマ娘の内の一人、シンボリルドルフは頭を振りながらその言葉に応えた。
「気にしないでくれ。今回の事態は私にとっても軽視できる問題じゃあない……そうだろう?アグネスタキオン、エアシャカール?」
エアシャカールと呼ばれたウマ娘は、その表情にありありと拒絶の表情を示しながらルドルフのことを一瞥したが、その非難そうな目を露伴へと向けた。
「……ったく。もうテメーらとは会わねーもンだと思ってたのによぉ。話を聞くところじゃあ、また厄介事じゃあねーか」
彼女の言う通り、既に彼女たちが元々住んでいた世界と自身が住んでいた世界の融合が図られてから既に1年が経過しようとしており、それまでシャカールやタキオンとは一度も連絡を取っていなかった。各々の人生を、不用意に干渉することなくあるべき形として歩んでいたわけだ。つまり彼女たちに連絡を取ったその時点で、シャカールたちからしてみれば厄介な事態に巻き込まれることになることを示すこと以外の何物でもない。
それでもなんだかんだ顔を出してくれる辺り、彼女たちも可愛げのある部分があるといったところではないだろうか。額に青筋を立て、まるで空腹な肉食獣のように不快感をあらわにするシャカールをよそに、その横に座っているマッドサイエンティストのウマ娘…アグネスタキオンはいつものようにニヒルな表情を浮かべながら露伴に言葉を掛けた。
「やめたまえ、シャカール。今回の露伴君の相談内容は中々興味深い。それに元々世界を異にしていた私たちにとって、今回の現象は聊か無関係と片付けるわけにいくまい…露伴君もそう思ったからこそ、私たちに力を借りたいと思ったわけだろう?」
タキオンの言葉に露伴が同意の意を示すと、タキオンは満足そうに微笑みながら言葉を続けた。
「まず第一だが、露伴君はその少女について何かわかったことはあるかい?」
「……あぁ。名前はセイウンスカイ。こっちのスカイ君と同じトレセン学園中等部3年で、身長155センチ。スリーサイズは上から……」
コホン。
一つの咳払いが部屋に響き、露伴は自身の発言を中断するとその咳の主に視線を向けると、かつての自身の担当ウマ娘、シンボリルドルフが耳を後ろに倒し、明らかに不機嫌な様子でこちらを睨みつけていた。
しまった。康一君にも人のことを覗き見るとき……ましてや女性のことを詮索する時にはデリカシーについて気を払えと言われていたというのに。
後悔の念を内心滲ませつつ、露伴は気を取り戻すと再び言葉を続けた。
「……そんなことはどうでもいい。肝心なものはここにいるスカイ君と彼女は同一人物だということだ。ヘブンズドアーで見る記述は決して嘘をつかない。人が生きてきて見聞きしたそのすべてを、人がたとえ忘れても深層では記述として須らく残されている。つまり彼女は正真正銘、セイウンスカイそのものということだ」
「……ふむ。つまり彼女は一体何者なんだ?」
「簡単だよ会長殿。つまり彼女はセイウンスカイ……正確に言えば、彼女は平行世界からやってきたセイウンスカイ君ということさ」
「……というと?」
ルドルフの問いに、タキオンは彼女の方へと向き直ると、ニヤニヤと口角を引き上げ、恭しい態度をとりながら説明を始めた。
「前にも説明したが……って会長殿には話していなかったか。あの時君は正気を逸しておられたからねぇ。ともかくこの世界の他にも平行世界という、この世界によく似てはいるが、全く別物。そんな世界が多く存在している。」
「……平行世界の住人であるスカイはどうやってこの世界に?」
「さあねぇ。皆目見当もつかない。本来この分野は私やシャカール君は門外漢なんだよ。それこそ何処かの誰かに仕事を押し付けられでもしなければ興味もなかった分野だ。」
「……さっきからやけに棘のある物言いだな。」
「シャカール君はともかく、私は君の指図を受けに来たわけじゃあない。あの狂った世界で共に戦った露伴君が助けを求めているというからここにいるだけだということを忘れないでほしいねぇ」
「……ッ」
ルドルフの顔にはまるます皺が刻まれ、目からは怒りから発せられるドーパミンがあふれ出ている。これはマズイと露伴は険悪な空気を変えるために言葉を口にした。
「と、とにかく。タキオン。彼女がこの世界に何らかの不具合があってやってきてしまったとして、彼女が帰る方法はないのか?」
「……うーん。さっきも言ったが、行きの方法について手がかりがないと帰りの方法の糸口を掴むのは難しいのだよ。もしかしたら露伴君が引っ張り込まれた時のように何処かに世界を繋ぐ穴のようなものがあるのかもしれないが……いずれにしても調べてみないとどうしようもない」
どうやら彼女には…平行世界からやってきたスカイにはしばらくこっちの世界に留まってもらう他ないようだ。露伴は気になっていたこと……つまりスカイの記述に目を通した時に気になった憂慮すべき点を口にした。
「もしかしたら、彼女は元の世界には帰りたがらないかもしれない」
「……それはどういうことだい、露伴先生?」
「彼女の記述を見た時に書いてあったんだ…彼女は元々の世界について少々……いやかなりトラウマを抱いている。正直に白状すれば、あれはマトモな状態じゃあない。」
「なるほどねぇ。それは確かに憂慮すべきことだ。それで原因は分かったのかい?」
露伴はその問いに口を開きかけるが、すぐに口を噤んでしまう。その様子を見たルドルフをはじめとした面々はいぶかし気に彼に視線を送った。この言葉を口にするのは…そしてウマ娘である彼女らにこれを話すには少々覚悟を要した。それでも、自分自身が彼女らの助けが要ると判断し、呼びつけたのだ。これで沈黙を貫くというのは聊かフェアではない。
「………それは彼女を担当していたトレーナー。引いては彼女がいた世界のURAの仕組みそのものに問題があると言う他ないんだ」
そう言うと、露伴は1枚のカレンダー……ここ夏が終わった後から数か月の予定を振り返ることができる白紙のそれを取り出すと、瞬く間にびっしりとその一日一日の予定を埋め尽くしていく。そのあまりにも膨大な情報量と、それが一体何なのか気が付いたルドルフは驚きのあまり絶句していた。
「これは……?」
「……これは平行スカイが行っていたトレーニングと、出走していたレースの日程の詳細だ。彼女の記録を見させてもらった時に、見たものだが……」
「こンなの、ありえねぇだろ……明らかにやりすぎだ。10月~11月にかけてなんて、2週間に1回はG1に出走してるぞ、こいつ」
デビューを果たし、トゥインクルシリーズを駆け抜けることを本分とするウマ娘の彼女たちだが、当然のことながら休息も必要である。ましてや練習とは比較にならないほどの精神的なストレス、そして肉体的負荷がかかるレースに、ましてやその中でも最高峰のG1に連続で出走することなど、ウマ娘のことを考えれば決してしてはならない采配だと言えるだろう。
それにトレセン学園にいるウマ娘は一般的に3年のキャリアの間に研鑽を積み、3年目であるシニア期に競技者としての仕上がりをピークに持っていくことができるようにトレーナーの指導を受けるものであるとされている。無論トレーナーが付くことなくそもそもデビューすることが叶わない者や才能が開くことなく年内にオープン戦で勝利することができず、強制的にそのキャリアの道を断たれるものがいることも事実だが、そういった厳しい競争を乗り越えたウマ娘たちは、そういったセオリーに沿って日々精進することで高みを目指すことになる。
つまり練習時間をウマ娘たちが身体を壊さず、その体調やコンディションが崩れることがないように綿密に組み、その計画をもとにトレーニングを行い、レースに出走しようとすれば、必然的にデビュー、クラシック期のウマ娘たちはまだ競技者としては準備段階、その成長の途中ということになる。2年目の秋であるこの段階でシニア期を迎えたウマ娘たちと互角以上のレースを展開するためには、よほどの才能が眠っていない限りはウマ娘のそういった事情を度外視してトレーニングに臨まなければならないということになる。
さらに露伴は、その場にいたウマ娘たちを更に絶句させる事実を続けて口にした。
「……更にこれが、彼女のレース成績だ」
セイウンスカイ
デビュー 戦1着
朝日杯フューチュリティステークス1着
ホープフルステークス1着
皐月賞1着
NHKマイルカップ1着
日本ダービー1着
安田記念1着
菊花賞1着
エリザベス女王杯1着
ジャパンカップ1着
「……は?」
まだ何も知らないウマ娘が取って付けた目標のような、そんなレースと成績……しかしながら現に彼女はこの全てのレースに出走し、勝利を手にしてきた。シニア期を未だ控えている状態でG1を既に9勝しているというその冗談のような事実は、正しく青天の霹靂のとなって彼女たちの間を駆け巡っていた。
「これは……その……本当なのかい?」
「ヘブンズドアーは決して嘘をつかない。全てが真実だ。そしてこんなローテーションを組み、過酷なトレーニングを延々とさせたのが彼女のトレーナーというわけだ…道理で彼女がこの世界のトレーナー…恭也君を見た時に取り乱していたわけだ。彼女にとって、彼は…最もこの世界にいる彼のことではないが、トラウマそのものと言っても過言じゃあないだろう」
「……」
「幸い、直ぐにヘブンズドアーで彼女にセイフティーロックを掛けた…最初の時のように恭也君を見ても取り乱すことはもうないだろうが、彼女の底にあるトラウマや拒絶が消え去ったわけじゃあない。あくまで応急手当といったところだ。今そんな状態で彼女を元の世界に戻してしまったとしても、根本的な解決にはつながらない」
「……まさか君がそんなことを言うなんてねぇ。一体どういう風の吹き回しだい?」
「……自分でも驚いているさ。だがなぁ…漫画家としての建前を言うなら「こんなオイシイネタを今放っておくのは気が引ける」という表現。それにとどめておこう」
タキオンとシャカールに彼女が元の世界に戻る方法を模索してもらうように依頼し、その日は一旦解散の運びとなった。二人きりになった部屋で、ルドルフは露伴に気になっていたことを問いかけた。
「その………露伴先生。タキオンも聞いていたことだが、建前があるということは本音もあるということだろう?それは一体何なんだい?」
「………一回だけしか言わないぞ。「全てのウマ娘の幸福を」そう考えたら、動かずにはいられなかった。それだけだ」
…それって
ルドルフはその感情の行き場所を求めて視線を下へと下げた。そんなルドルフを一瞥すると、露伴はいつもの様子に戻り言葉を続けた。
「さてルドルフ…君に一つ頼みがある。恐らく君にしか頼めないことだ」
「………?」
首を傾げたルドルフを余所に、露伴はいつになく真剣な面持ちで言葉を口にした。
「久しぶりにトレーニングをしようじゃあないか。トレーナーとウマ娘らしく」
ターフの上に立つ彼女。
ひょんなことから行われた模擬レースだったが、その結果は平行世界からやってきたスカイの圧勝という結果になってしまった。
…あまりにも強い。
それは恭也にとって、また一緒に走ったスカイにとっても想像を遥かにうわ回る、そんな走りだった。彼女がゴールしてしばらく後に到着した自身の担当ウマ娘の顔には、いつものようなひょうひょうとした様子はなく、ありありと悔しさが刻み付けられていた。
だが、こんな時のメンタルケアもトレーナーとしての役目の内だ。努めて明るい表情を作りながら、恭也は二人の元へ駆け寄っていった。
「お疲れ様!二人とも…」
しかし敗北を喫したスカイは、恭也の方を一瞥すると走り去ってしまう。恭也は彼女に立ち止まってもらうために彼女に走り寄りながら口に手を充てた。
「スカ…「来ないで!」
彼女がこちらを振り向き、激情を露わにする。その表情を見た恭也は、それ以上言葉を掛けることも、そして彼女を追いかけることさえもできなかった。
「……それじゃあ、私も失礼します」
背後にいたスカイはそうつぶやくと、さっさと帰り支度を始めてしまう。彼女の顔には、レースに勝利した満足感は微塵も感じられない。あるのは、少しの悲哀と諦念だけだった。
「……彼女を救ってあげてやってほしい」
露伴の言っていた言葉が思い出される。ここで彼女が去るのを見送ってしまったら、ここで何もしなかったら、僕はきっと後悔する。どんなスカイだって、僕の担当ウマ娘だ。
恭也は走って去り始めていたスカイの前に回り込むと、彼女をできる限り怖がらせないように膝をつき、そして彼女に優しく言葉を掛けた。
「……お出かけでもしないかい?」