岸辺露伴は走らない   作:ボンゴレパスタ

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岸辺露伴は歩まない10

 

 

 

ツー。ツー。

 

 

「おい……1番隊!状況はどうなっている!」

 

 

何度も乱暴にボタンを叩くように押すが、つい先ほどから全くインカムからは応答が返ってくることはなかった。

 

 

事態は一体どうなっているのか。苛立ちながら彼は自身のトレーナー室をうろついていた。インカムで状況を確認しようにも、どうやらその周波数を妨害するような装置が張り巡らされているようで、追跡隊と連絡を取ることができなくなってしまった。

 

 

「……くそッ!」

 

 

焦りと怒りにまかせてインカムを部屋の壁に向かって投げつけると、インカムは大きな音を立てて壊れてしまった。

 

 

追跡隊は既に機能しなくなってしまっていると考えた方がいいだろう。このまましらみつぶしに平行世界の彼の居場所を捜索されでもしたら、最早彼の発見は時間の問題と考えた方がいい。そうなってしまっては、事態は収拾のつかないものになってしまう。

 

 

連中の侵入に加えて、人質を取り逃がし、自身の担当ウマ娘の行方も分からないとなっては、自身もこの惨状の責任を取らされるに違いない。

 

 

「……くそ!」

 

 

指導室に送られて矯正を受けた方がマシな恐れもあるほどの処罰が下る場合も十分にある。トレセン学園始まって以来の大失態と考えていいだろう。既にその未来は自身の首元にまで迫っていた。

 

 

……それは俺だけじゃあない……せめて……

 

 

こうなったら連中より先に人質の元に向かってその身柄を確保し、連中との交渉で優位に立つほかない。恭也は頭を搔きむしりながら結論を出すと、居ても立っても居られない様子で部屋を出ようと試みた。

 

 

ガチャ……。

 

 

部屋を開けた先にいた人物に、恭也は思わず立ちどまった。

 

 

「……スカイ」

 

 

待ち望んだ彼女の姿がそこにあった。驚く恭也をよそに、スカイはきっと彼の目を見据えながら口を開いた。

 

 

「トレーナーさんと話をしに来ました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い校舎の中を、少女は一人歩いていく。外からは敷地内で不測の事態が発生したことを告げるサイレンとなにやら叫び声がうっすらと聞こえていた。

 

 

「……急がなくちゃ」

 

 

こめかみの奥から湧きあがる鋭い痛みが、身体の異常事態を告げている。自分にとってこの世界は、まさに毒ガスの満たされた部屋といっていいだろう。自分は既にこの世界にいる自身と会い、「観測」が始まってしまっている。この世界にいればいるほど、自分の身体が消失を進めていくことに他ならないのだ。

 

 

……それでも。例えこの行為が自殺行為以外の何物でもないとしても、彼女は動かずにはいられなかった。内なる衝動と、使命が彼女のことをひたすらに駆り立てていた。

 

 

助けなければ。

 

 

その想いだけに突き動かされ、彼女は脚を繰り出していく。まるで足首に鉛の枷を付けられたかのようなその重い脚を一歩ずつ踏みしめて、彼女は前へと進む。この学園の中で、何処に自身のトレーナーが囚われているのさえ分からない。それに学園の中には追手もうろついているはずだ。

 

 

……?

 

 

その時だった。聴覚に優れたウマ娘だからこそ拾うことができた、その僅かな音に彼女は振り返った。

 

 

ウゥ…………。

 

 

やはり誰かいる。それもうめき声だ。彼女は急いでその音の方向へと向かっていくと、そこはとある部屋が発生源のようだった。

 

 

「……」

 

 

もしここにいるのが、トレーナーさんじゃあなかったら?そんな疑念が心の中に渦巻いていく。それでもここで躊躇い、迷う時間もないことは理解していた。やがて彼女は意を決すると、そっとその扉を開こうとした。

 

 

ガキッ!

 

 

開こうとした扉は、大きな音を立てるが開こうとしない。どうやらこの部屋には鍵がかかっているようだ。部屋の中にいる人物がその扉の音に気が付いたのか、一層大きなうめき声をあげた。

 

 

「ンー――!ンー―――!」

 

 

扉に視線を送ると、そこには如何にも誰かが扉を開けることがないように大きな南京錠が取り付けられていた。その扉に付けられている南京錠を引っ張ってみたが、ウマ娘の力を使ってもこれを破ることはできなさそうだ。

 

 

「……」

 

 

しばらく考えていた彼女だったが、やがて意を決すると数歩後ろに下がってその扉を蹴り飛ばした。木製の扉はその縁に南京錠を残して室内の方へと吹っ飛んでいった。

 

 

やはり物事は、時にはシンプルに対処した方が好転する場合もある。

 

 

彼女は室内へと恐る恐る足を踏み入れていく。室内に明かりは灯されておらず、その中を隈なく視認することはできなさそうだ。やがて彼女は部屋の奥に椅子に縛られた人物がいることに気が付いた。

 

 

彼女はその人物が何者であるのか確認するため、部屋の入口の横の壁に付けられているスイッチに手を伸ばした。カチッという音が鳴り響くと、そこには一人の女性が椅子に縛り付けられていた。

 

 

縛り上げられた手や足首は縄に擦れて赤く腫れあがっていて、髪は解け肩まで垂れ下がっている。目の下には隈が浮かび上がり、額からは乾いた血がこびりつき、その顔色は悪くなっていたが、彼女はその人物に見覚えがあった。

 

 

「……貴方は」

 

 

緑色の制服に、椅子の下に転がっている緑の帽子。この学園の理事長の右腕として、献身的にウマ娘たちを支え続けていた人物。

 

 

「……たづなさん」

 

 

駿川たづな。トレセン学園理事長秘書の変わり果てた姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対面になって座る二人の間には、本来のウマ娘とトレーナーとの関係のような、穏やかな空気は何もない。そこにあるのは殺伐とした、そしてふとしたきっかけで全てが壊れてしまうような、そんな歪な空気だった。

 

 

「……」

 

 

ここには喜びを想起させるような思い出は何もない。あるのは苦しみと悲しみだけ。陰惨たるその痛みが積み重なって、この部屋に匂いとなってこびり付いていた。

 

 

「……私もう、走るのは嫌なんです。」

 

 

長い静寂の後、自身の口から吐き出されてしまった言葉。もう後には引くことはできない。心の内から既に膿んだ傷が涙となって零れ落ちているというのに、彼女はそんな想いが表層化しないように懸命にこらえながら話を続けた。

 

 

「……2年前にトレーナーさんに担当についてもらって……レースも辛かったんですけど……何より期待が怖かったんです。勝ち続けなければならない、零れ落ちてはいけない、そんな視線が、ずっと怖かった。休まらない日々が怖かったんです」

 

 

ずっと伝えることができなかったその想い。もっと早く、彼に痛みを伝えていれば、もっと早く、自分の声に耳を傾けていれば。

 

 

そんな後悔が口から紡ぐ言葉が零れ落ちていく。全部全部、遅いことなどもう分かっていたんだ。それでも、今からでもやり直せるのではないかという淡い期待を抱かずにいられなかった。

 

 

………この作戦の一番の要。それはトレーナーさんと話をすること。彼と話して分かり合いたかった。きっと彼なら、彼ならわかってくれるはず。

 

 

その胸の内を明かしても尚、彼の元から離れる気には、やはりなれなかった。ずっと考えていた。彼のもとから遠く離れて、一目のつかない場所へと一人で生きることも、はたまた祖父の家で匿ってもらうことも、やろうと思えばできたことだ。

 

 

……それはできない。

 

 

どんなことがあっても、トレーナーさんは私のトレーナーさんだ。あの日、私をスカウトしてくれた彼が、目のまえの彼だ。それはゆるぎない事実。彼と共に歩いていくことを、既に私は決断したんだ。

名前のように人生の全てが全て、晴天とはいかないかもしれない。それでもトレーナーさんがいてくれれば……

 

 

「だから、一緒に逃げましょ……トレーナーさん?」

 

 

恭也に向かって、歪みながらも精一杯の笑顔を向け、そう語りかける。ここで彼が手を取ってくれれば、全ては滞りなく進むはずだ。

 

 

長い沈黙の末、トレーナーが彼女の提案に返答するために、口を開いた。

 

 

「逃げる、か……確かにトレセン学園がここまで滅茶苦茶になったとなれば、俺はもう終わりだ。URAの刺客がトレセン学園の連絡を受けてここまで向かっている。事態の鎮静化を図るためだ。もうあと15分も掛からずに、奴らはここまで向かってくるはずだ」

 

 

「だ、だったら……!」

 

 

スカイが口を開こうとするのを、恭也はその手で静止した。

 

 

「もう逃げられない。奴らの捜索能力は警察の非じゃあない。無理だ、逃げられない……この世界の何処へ逃げたって……同じ目に遭った奴を何度も見てきたからな……」

 

 

「……だからスカイ。一緒に死のう。もう無理だ……こんなことになる前に、お前をここに連れ戻せていたら……」

 

 

今まで厳しく私を指導していた理由も、そこにあった。もしも良い成績を残すことができなかったとしたら……そしてそれを苦に学園を逃げ出しでもしたら……

 

 

 

 

そうやって、忽然と消えてしまった友人たちや、そして職員たちを大勢見てきた。彼らの行方がどうなってしまったのか、全ての辻褄が合ってしまった今は考えたくもない。

 

 

……彼は彼なりに、私のことを守ってくれていたのだ。

 

 

それは決して正解ではないことは明白だった。愛であって、決して愛ではない。歪な関係がそこにはあった。純粋な色の愛ではなく、その愛は酷くくすんだ、濁り切った色をしていた。彼が私を手放すはずはない。

 

 

それに私もトレーナーさんと離れるつもりはなかった。

 

 

突然トレーナーは胸を掻きむしり、もだえ苦しみ始める。突然の出来事に困惑しながらもスカイが机の方へと視線を向けると、そこにトレーナーの異変の答えがあった。

 

 

「……これは」

 

 

 

それは、蓋が開いた状態で転がっている錠剤と、その瓶だった。瓶に書かれているラベルに仰々しい文字で書かれた薬品の名前に、スカイは見覚えがあった。

 

 

人間用の筋力増加剤。暴れたウマ娘に人間が対抗、拘束するために開発された薬品で、1錠でおよそ1分間、ウマ娘を凌駕する脚力と腕力等を得る効果が得られると言われているが、その副作用として身体にはダメージが残るとされている。瓶から転がる薬剤から察するに、恐らく服用した量はそれでは収まらないだろう。

 

 

 

 

……トレーナーさん、本当に。

 

 

 

彼は全てに絶望し、そして決断してしまった。私とその結末を迎えるという願いをかなえるために、彼はその苦しみを背負ってしまった。

 

 

なんだかんだ言っても、私にはトレーナーさんしかいない。トレーナーさんのことは、正直怖かったが、それでもその根底には確かな信頼があった。確かな想いがあった。トレーナーさんとならきっと乗り越えられる。そんな思いが濁り切った沼の底に希望となって眠っていたからだ。

 

 

……これじゃあ、どうやっても。

 

 

スカイはずっと堪えていた、ずっとずっと我慢してきた涙がその場に落ちる。最早手から零れ落ちる想いは留まることを知らない。

 

 

全て決した。

 

 

スカイは震える手でそのインカムを手に取ると、耳元に近づけて目当ての相手に連絡を取った。

 

 

「……こちらエアシャカール」

 

 

 

愛想のない彼女だが、その声はいつもより更にトーンダウンしていた。恐らく何となく、連絡の内容を察してしまったのだろう。

 

 

「……プランBで、お願いします」

 

 

「……本当にそれで、いいのかよ」

 

 

「……いいんです。全てもう、遅かったみたいです。それに……私も、トレーナーさんも疲れちゃいました」

 

 

 

「……分かった。他の奴らにはオレの方から伝えておく……こんなことになって、本当に残念だ」

 

 

 

インカムが切れた音を確認すると、スカイは丁寧にそれを仕舞う。そして既に心の中に秘めた本能と願いだけを基に行動する存在となった、目のまえの恭也に視線を向けると、涙ながらの笑顔を向けた。

 

 

 

「……さぁ。トレーナーさん。最後のレースです。これでもセイちゃん、結構早いんですよ?」

 

 

 

 

 

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