「URAファイナルズ1着は○○!」
一語一句違わぬ、スピーカーから音割れしながら吐き出される実況のこのセリフをきいたのは、果たして何度目だろうか?場内を埋め尽くす、夥しいほどの観衆が、自身に向かって歓声をなげかけるのは、果たして何度目だろうか?一体いつから、頬を風が撫でつけていくあの瞬間が怖くなったのだろうか?一体何時から、走ることを楽しいと感じることがなくなってしまったのだろうか?一口食べればほっぺが落ちてしまうほど、高級な料理も毎日食べていれば飽きてしまうように、ウマ娘の頂点に君臨したとして認められたこの瞬間も幾度となく迎えれば、そして時が此処から進むことなく引き戻されることが分かっているというならば、その心持も当然の帰結であった。
額から頬を伝うこの汗の感触も、鼓膜を震わせるこの歓声も。ぜんぶぜんぶが質の悪い冗談…神様が仕組んだ、ペテンなのだとしたら。私は一体何に情熱を抱けばいいというのか?…15回目を超えたあたりから、私はこのループの回数を数えることすら諦めていた。この歓声も今の私には、無限という終わりの見えない地獄に閉じ込められた私をあざ笑う嘲笑にしか聞こえない。
本当はそんなはずはないことなど分かってはいるのだが、その理性を繋ぎとめる余裕さえも、彼女は既に持ち合わせていなかった。そのすり減った僅かに残る自身の心を守るために、そしてその歓声から逃れるようにターフの上から立ち去ろうとするが、競技場から一歩外に出た瞬間、彼女の身に再び異変が起こるのだった。
「……」
異変が訪れても尚、彼女の顔色が変わることはなかった。目の前には、いつも通りの景色。私が入学した時と全く同じ様相のトレセン学園。桜が咲き、セミが鳴き、木枯らしが吹き、雪が降る。そんな季節の移ろいと共に、私は何度目かの3年間をここで過ごしていくことになる。私は与えられた役割を、淡々とこなしていくだけだ。
彼女は前方を見据えると、粛々と絶望を受け入れ、その目には光りを僅かばかりさえも映しこむことなく、これからまた始まる、そして永遠に終わりのない3年間を過ごすために、重い足取りで歩いていくのだった。
――――トレセン学園の、とある一室。
室内で一人待たされた露伴は机に肘をつきながら、時折壁やカレンダー、壁に立てかけられた時計に目を向けたり、机の上に来客用にと置かれているトレセン学園に関するパンフレットを手に取り、パラパラとページを開いたりしながら、キタサンブラックが連れてくるであろう「彼女」のことを待っているのだった。
――――コンコン。
慣れない様子で、少々不規則なテンポで刻まれるノック音。露伴は視線を扉に移し、入室の許可を促すと、扉を開いたのは紛れもなくキタサンブラックその人であった。彼女は快活な笑顔をむけながら室内へと一歩踏み出すと、開いた扉を片手で押さえながら、おそらく扉の側に控えているであろう彼女が連れてきた人物に、早くこちらに来るように手招きすることで入室を促すのだった。
「露伴先生!連れてきました!」
キタサンによって入室を促され、一人のウマ娘がおずおずと入ってくる。初めて彼女を見た時に抱いた印象は、「とてもじゃあないが、年相応の少女には見えない」というものであった。その目には、今まで出会ってきたどの人物よりも深い絶望が刻み付けられており、その瞳がこちらに向けられた時、露伴は思わず身ぶるいしてしまうのだった。
「…えーと、君の名前は?」
何とか平静を装いながら、露伴はキタサンの隣にいるそのウマ娘…白の、冗談かと思えるほどのボリュームを有した葦毛のロングヘアーに、赤い縁の眼鏡をかけたそのウマ娘は、こちらをじっと見つめたまま徐に口を開くのだった。
「…ビワハヤヒデだ」
ビワハヤヒデと名乗ったそのウマ娘はつかつかとこちらへと歩み寄ってくると、先ほどキタサンが座っていた席の隣に腰かけるのだった。キタサンはこれから相談を聞いてくれると言っている露伴に対するあまりに不躾なハヤヒデの態度に驚き、あわあわと露伴に謝罪の意を込めて頭を下げると先ほど座っていた席へと腰かけるのであった。
「……それで君は、何を困っているんだ?」
面倒な手順を踏むことが嫌いな露伴は早速本題をきりだしたが、ハヤヒデはピクリとも表情を変化させることもなく、淡々とこちらが投げかけた問いに対して答えるのだった。
「困っていることなど何もない…岸辺露伴先生。私が困っているといったのは、彼女が…キタサン君が私をそう勝手に言ったにすぎず、無理に此処に連れてきたからだ」
「ハヤヒデさん…」
そう毅然と言い放ったハヤヒデであったが、その瞳が僅かに揺れ動いたのを露伴は見逃さなかった。まるで心の中の不安を押し殺し、それを悟られることがないように毅然と振舞うようなその態度に、露伴は彼女の中には何か深い闇が巣食っており、その闇によってもたらされる絶望は、最早彼女が人にその苦しみを打ち明けることさえも困難にさせている、そんなところだろうかと勘繰るのだった。それならば、彼女の口からその話題を聞き出すよりも、直接覗いてしまえば手っ取り早いだろう。露伴は立ち上がると、机を回り込みながら言葉を口にするのだった。
「…そうかい。じゃあ、君の口からきくことは諦めよう。見てしまった方が手っ取り早い。」
「…見る?」
その言葉の真意を尋ねる前に、ハヤヒデは突然眠ってしまったかのように机に突っ伏してしまう。露伴はその様子を確認すると、机にうつぶせになったハヤヒデの身体を肩を掴んで起こすと、背もたれに身体を預けさせるのだった。ハヤヒデの顔は、まるでノートを取り付けたかのようにページが出現し、その一枚一枚に、彼女が今まで生きてきた記録がこと細かに記載されているのだった。
「露伴先生…!」
心配そうに口を開くキタサンを、片手を彼女の顔の前にかざすことで制すると露伴は再び彼女に据え付けられたページに視線を戻すのだった。
人間の今まで生きてきた人生そのものが「本」となり、「資料」となり、それを読むことができる。果たしてそれが、漫画家としてどれほど興味が掻き立てられるか、果たして他の人物に伝わるだろうか。まぁ、その感動は私が資料として漫画に落とし込むことによって間接的に伝わっているわけだが。
彼女が…ビワハヤヒデがキタサンの言う通り、何か悩みを抱えていることは明白であろう。ひょっとして恋バナなんてつまらないものだっていう落ちもありえなくはないが、彼女のあの様子からしてその線は薄いだろう。とりあえず彼女がどんな悩みを抱いているのか分からない間は、解決しようにもどうにもできないため、露伴は慣れた手つきで彼女の顔に書き込まれた情報をめくり始めた。
「えーと、ビワハヤヒデ。誕生日は3月10日、身長は171㎝で、バナナが大好物…ほう、頭が大きいことを気にしているようだな。こいつ、自分の担当トレーナーに気があるらしいぞ。スリーサイズは上から…」
「ちょ、ちょっと露伴先生!それ以上乙女の秘密に踏み込まないでください!」
露伴が淡々とハヤヒデの情報を読み上げていたのを、キタサンは顔を真っ赤に染め上げながら止めにはいる。そういえば、過去に康一君にも似たようなことで止められたことがあったか。彼女の制止に応じ渋々該当ページを飛ばすと、露伴は本命の彼女の悩みについての記載箇所を探し始めるのだった。
「ヘブンズ・ドアー」の能力は、僕の漫画家としての知的好奇心を具現化した能力だ。その人物がどんな人生を送り、どんな出来事に直面し、どんな罪を犯し、そんな時にどんな気持ちになったのか。ヘブンズドアーはそれら全てを等しく暴き出し、僕はその情報を漏れなくのぞき見ることができる。
――――あった。
その文字は…探し求めていたハヤヒデの悩みは、ページの中央に書き殴るように記されていた…まるで彼女の荒んだ心の中で、彼女自身を縛り付けるかのように。露伴は信じられないといった表情でその文章を口にするのだった。
「私は、時を繰り返している…?」
およそ、稚拙なフィクションで盛り込まれそうなその珍妙な現象。しかし、ヘブンズドアーによってあぶりだされた事実は噓偽りなく、全てが真実であることは、能力者である露伴が誰よりも知っていた。露伴がその記載を目にしたその瞬間、ハヤヒデの胸元に亀裂が入り、そこから高等部の少女にしてはあまりにも膨大過ぎるほどの情報量があふれ出していくのだった。
「こ、これは…!!」
そのあふれ出すほどの情報が記載されたページは、瞬く間に室内に津波のように露伴やキタサンの身体を押し出していく。露伴はページの波にのまれながら、その内の1枚を掴みとり、目を通す。そこには彼女の深い絶望がありありと記載されていた。繰り返される、全く同じ日常。どんな風に過ごしたとしても、必ず3年間を過ごせば元の日常に引き戻されるということ、そしてそれを誰一人理解されず、打ち明けることができないという事実は、何の罪のない彼女が受けるいわれはないはずだ。およそ正義感というものを持ち合わせているわけではない露伴ではあったが、彼女の胸の内に占めている悩みを及び知った以上、何もしないで手放しで彼女のことを見捨てることは、露伴にはできなかった。
「ここは…」
一体どうして自分は意識を失ってしまったのか。ハヤヒデは重い頭を押さえながら机から顔を上げると、そこにはキタサンと露伴がこちらをじっと見つめているのだった。露伴はハヤヒデが意識を取り戻したことを確認すると、徐に口を開くのだった。
「君の悩み…「時を繰り返している」というその悩み。この岸辺露伴が請け負った。解決のために何とかやってみようじゃあないか」
彼女は、何故目の前の男…岸辺露伴が自身の悩みを知っているのか、全く理解できなかった。ハヤヒデは動揺で眼鏡の縁を押さえながら、震えながら言葉を口にするのだった。
「き、君は私のその悩みを、信じるのか…?」
どうやってそのことを知ったのか。それよりもまず、この悩みを果たして信じてくれるのかを尋ねずにはいられなかった。露伴はじっとこちらを見据えていたが、さも当然かのようにこう言い放ったのだった。
「当たり前だ」
その瞬間、ハヤヒデの瞳から大粒の涙が…感情の発露があふれ出していく。もうとっくに涙など枯れてしまったと思っていた。とっくに、希望などないものだと思っていた。この悩みを荒唐無稽な与太話だと切り捨てず、信じてくれる者がいるとは…実際のところ、露伴からしてみれば能力で覗き見た記載である以上、疑いようがないためそう答えたに過ぎなかったわけだが、ハヤヒデにとってその言葉はなによりも代えがたい支えになるのだった。ハヤヒデはそのあふれ出る涙をぬぐうことすら忘れ、しばらく室内で赤子のように泣きじゃくるのだった。
「す、すまない…少々取り乱してしまった……」
しばらくして感情の波が落ち着き、冷静さをいくらか取り戻したハヤヒデと、露伴とキタサンは彼女の陥っている現状について話し合いを始めるのだった。
「君がその状態…つまり、時を繰り返すようになったのはいつからだ?」
その問いにハヤヒデは力なく首を横に振り、答えるのだった。
「もう15回目を過ぎた時点で数えるのは止めてしまった…」
15回、その数にキタサンの目は大きく見開かれた。3年間というスパンを繰り返し生きているというのならば、彼女は既に半世紀以上もの間を、代り映えすることのない、そして終わらないことが分かり切った世界にとらわれ続けている、ということになる。そして15回を超えた時点でその回数を数えることを諦めたということは、実際の数はそれよりも遥かに多く、長い期間を彼女はループしているということになるだろう。
「……それを誰かに相談したりしたことは?」
その言葉に、ハヤヒデは再び目に涙を溜め、耳を前に倒しながら言葉を返した。
「2回目のループの時点で、トレーナー君や理事長…友人たちに相談したこともあったが、私の気が触れたんじゃあないかってまるで取り合ってもらえなかったよ…理事長に相談した時は、危うく私は精神科に連れて行かれそうになった。」
相談しても取り合ってすらもらえない。この事実は、彼女がこの状況に絶望しか見出すほかなくなるには十分すぎる出来事だっただろう。露伴はつぶさにハヤヒデの証言をメモしながら、質問を投げかけるのだった。
「今まで…ループの間に何か普段と違う行動を取ったことはあるか?」
「あぁ…何度か走る自体を辞めて引退しようとしたり、レースで手を抜いて入着にも届かないほどの成績を取ったりしたこともあるが、その時は瞬時に入学時の時間に引き戻されてしまった」
その言葉にフムと顎を指で撫でながらメモを取っていたペンを机の上に置くと、露伴は徐に口を開くのだった。
「それは重要な手がかりかもしれないぞ。」
「……重要な手がかり?」
キタサンが訝し気に露伴の言葉を反芻すると、露伴はその言葉に頷きながら言葉を続けるのだった。
「つまりこのループには目的と法則性があるってことさ。恐らく目的は、ハヤヒデ君をトゥインクルシリーズで3年間走らせ続けること…君がトレセン学園で走りつづけることそのものに意味があるってことさ。そしてその目的にそぐわない行為…つまりレースで大ヘマしたり、そもそも走ることを諦めるなんてことをしたりすれば、その法則に従って強制的に時間を巻き戻すってわけだ」
「……それってつまり」
「あぁ」
ハヤヒデの震える声で放たれた問いに、露伴はその表情を崩すことなく、淡々と答えるのだった。
「つまりこの現象には、何かしら人為的なものが関わっている、と考えるのが妥当だろうな。」
バキッ!!!
その瞬間、露伴の目の前に置かれていた机は瞬時に真っ二つになり、ただの木片と化してしまうのだった。露伴は自身の振り下ろした拳で机を真っ二つにへし折った目の前の少女…ビワハヤヒデに視線をむけながら、言葉を投げかけた。
「興奮したって何も始まらない…座り給え」
このへし折れた机、一体どうしたものか。ここにあのくそったれの仗助がいたならば、直すこともできただろうが、あいつに頼み事をするのは癪なので、ここはハヤヒデ君に自分で責任を取ってもらうとするか。
とどのつまり自身の不条理なこの状況に、それを仕組んだ何かが存在する。そしてそれが判明した以上、自身がこのループから抜け出ることができる可能性があるということだろう。憤怒、希望に焦燥…様々な感情が津波のように押し寄せてきている今、彼女は冷静でいることなど、土台無理な話であろう。
「まぁとにかく落ち着けよ…僕に考えがある。」
その日は既に日が傾いていたため、露伴を送るためにハヤヒデとキタサン、露伴は校門に向かって歩みを進めていた。永遠とも思えるほど長い廊下を3人で歩んでいると、反対側から一人のウマ娘…およそ他のウマ娘と比較するとその体躯は随分と小柄であり、そのウマ娘は校内にいる見覚えのない男性がいることを不審に思ったのか、一瞬視線をこちらにむけてきたが、それ以上特に追求をすることなくそのまま通りすぎていくのだった。
「タイシン…」
ハヤヒデはその瞳に幾分か無念さを宿しながら、今しがた通り過ぎたウマ娘の名前を小さく口にするのだった。
「あれ、ハヤヒデ先輩って、タイシン先輩と仲が良かったんですか?」
キタサンがそう尋ねると、ハヤヒデはその念を瞳に宿し続けたまま視線を僅かに下に落とすのだった。
「本来であれば、私は彼女とは親友になるはずだった。だが、それもこのループでいずれ元に戻ってしまうとかんがえたら、何だか空しくなってしまってね。今じゃあ、誰かと親しく過ごしたり、友人となることも怖くてね…」
どんなに深く友好関係を築けたとしても、それら全ては等しく引き戻され、塵と化してしまう。それならばいっそ、初めから何も起こらないように振舞っていた方が遥かに楽であろう。これはループされる時の中で生きる他ないハヤヒデが編み出した、彼女なりの精一杯の処世術であると言えるだろう。ハヤヒデがそう呟いているのを尻目に、露伴はその表情を崩すことなく歩いていくのだった。
「さぁ、やってまいりました!URAファイナルズ決勝戦、1番人気はビワハヤヒデです!」
場内のボルテージはすでに最高潮に達しており、ターフの上に姿を現したウマ娘たちもその興奮に後押しされ、そして自身の目標を叶えるために入念にストレッチに講じているのだった。その中でハヤヒデは無表情で足首の筋肉をほぐしながら、露伴に言われた作戦なるものを思い返すのだった。
…バカバカしい。
結局彼から進言された策というのは、「いつも通りURAファイナルズで勝利する」というものであった。
初めて彼から其の策をもたらされた時は怒りを抱かずにはいられなかったが、既に本番まで残り数日である以上、何か手の込んだ策を弄することも、それに向かって準備することは現実的に難しいことは明らかであり、結局は彼の策に乗る他なかった。
結局彼を信じた私が愚かだった、ということか。
それでも、彼が言った作戦という、頼りないその蜘蛛の糸という、わずかな希望に縋るしか方法が残されてはいなかった。ゲートに其の身体を入れながら、ハヤヒデはモノクロと化した周囲の光景を無表情で見つめていく。やがてゲートが開いた瞬間にウマ娘たちは1コンマのずれもなく飛び出していき、ハヤヒデもそれに倣って前方へと飛び出していくのだった。
何十回、何百回と体験してきたレース展開、競争相手、馬場。最早目をつぶっていたとしても走り切る自信があったが、露伴から伝えられた作戦がある手前、手を抜くことはできない。自身が得意とする脚質である先行策で前方集団に位置づけると、最終カーブで一気に先頭へと躍り出るのだった。
―――そのまま先頭でゴールへと向かっていくハヤヒデ。実況も既に位置取りが安定した最終直線残り200メートルにて、その先頭を走り抜ける彼女を称える祝福のアナウンスを彼女にとっては一語一句記憶しているその口上を述べようと口を開くのだった。
その時、ハヤヒデの視界の左端から何かが飛び出していく。ぶつかるといけないと急速に減速を図ったハヤヒデだったが、先頭でゴールに達したその瞬間、いくらか減速はしたものの激突してしまうのだった。
ハヤヒデは自身にぶつかったものに視線をむけ、それを目にとめると驚愕のあまり声を張り上げるのだった。
「ろ、露伴先生!!」
二人はもつれあうようにターフの上を転がっていくが、露伴は極力ハヤヒデにケガが及ばぬように彼女の身体を抱きかかえ、追突の衝撃からかその顔には苦悶の表情が浮かび、口元から鮮血があふれ出している。場内は突然起こった出来事を理解することができず、ざわざわと動揺が波及的に広がっていくのだった。
「露伴先生!」
自身の目の前でぐったりとしている露伴に再び声を投げかけると、露伴は心配はいらないと片手を震えながら彼女の顔の前で制しながら言葉を口にするのだった。
「これで……これで作戦は成功だ…」
「……さ、作戦……?」
ハヤヒデの問いに、露伴は震えながら首を縦にふる。彼女はレースで1着を取る必要がある。そしてそぐわない事象が起こればそれは取り除かれる。そしてもしもその現象が同時に、二つ起きたら一体どうなるのか?これが露伴が導き出した彼女をこの永久という牢獄から助け出すための作戦だった。
レースを1着で収めた彼女はある意味そのループの意味を果たした。…しかし同時に岸辺露伴の乱入という、非常に望ましくない要素が注入された。
目的の達成はしているが、同時に排除せねばならない、好ましくない要素が引き起こされてしまったこの状況…つまりそれを仕組んだ者にとっては、岸辺露伴によって非常に都合の悪い「バグ」を引き起こされたことに他ならない。
「さぁ、そろそろそれが来るだろう」
露伴がハヤヒデの身体を掴んでいると、瞬く間に競技場の風景にノイズが走り始め、その風景がまるでパブロ・ピカソが描いた「ゲルニカ」にみられる「キュビズム」の特徴のように、視覚的に珍妙なものへと様変わりしていく。
…バグが起きたのであれば、それを直しにくるものもいるはずだ。
辺りはまるで明かり一つない暗闇に放り込まれたように黒で塗りつぶされ、やがて「それ」は彼女らの前に唐突に現れるのだった。
ギャー――ス!!!!
「それ」の容姿を言語化するとしたら、それはちょうど我々が連絡の際に用いるツール…スマートフォンから禍々しい腕が生えている、といった容姿をしていた。「それ」はハヤヒデの方へと一直線に向かっていくと、彼女に生じてしまった「バグ」を修正するために彼女に襲い掛かっていくのだった。
「ヘブンズ・ドアー!」
露伴は真っすぐと向かってきた「それ」にスタンド攻撃を行うと、「それ」は身体に亀裂を生じさせながらページを出現させるのだった。
「こうなった以上、お前にこれ以上彼女を好き勝手させるいわれはないな」
露伴は「ビワハヤヒデを認識することは、二度とできない」とそれに書き込むと、辺りは急激に光に包まれ始めた。その光は辺りを全て包み込み、やがてその場に居た二人も飲み込んでしまうのだった。
「……ここは」
まるで長い悪夢を見ていたかのように錯覚するほど、長いときを過ごした。ハヤヒデが目を覚ますと、そこはまたいつものループのように、桜が咲き誇るトレセン学園だった。
…もしかして、また私は…
最悪の可能性が頭をよぎり顔が青ざめた彼女であったが、その直後に隣にいた人物が声をかけるのだった。
「その心配はない」
ハヤヒデが声のした方へと振り向くと、そこには一人の人物…植樹された桜の下に据え付けられたベンチに腰掛けたその人物は、顔が青ざめていたハヤヒデのことを興味深そうに見つめながら言葉を続けるのだった。
「既に君をループさせた要因は、僕が取り除いた。このループは「それ」が消滅する際に放った最後っ屁みたいなものだろう…もう心配いらない。君はこの3年間を過ごしたら、日常をそのまま過ごすことができるはずだ。現に「バグ」であるはずの僕もその巻き添えを食らっていること自体が、ループの影響から脱した証左に他ならない」
ハヤヒデはその言葉に、ぽろぽろと涙を流しながらお礼の意を込めてその人物…岸辺露伴へと頭を下げる。そしてしばらくたって頭を上げると、徐に口を開くのだった。
「……本当にありがとう。露伴先生。貴方は私の恩人だ…そしてすまない。貴方をこのループに巻き込んでしまった」
露伴はその言葉にひらひらと手を振りながら、全く気にしていないと言った様子で言葉を返すのだった。
「気にするな。この3年間で、前回よりももっと面白い漫画のネタを仕上げてやるよ。やり直しがきくっていうのも、1回なら案外悪くないものさ」
露伴はそう返すと、ベンチからスクッと立ち上がり、校門に向かって歩みを進めていくのだった。そして校門から外へ出る直前に立ち止まると、ハヤヒデの方を振り向きながら別れの言葉を手向けるのだった。
.
「…だから君も、友達付き合いとかそういう面倒なものも、ちゃんとやっておくことを勧めるよ。普通だったら、青春は1度しかないし、もうやり直しは利かないんだからな。」
露伴はそう告げると、通りがかったタクシーを止めて、あっという間にその場から立ち去っていくのだった。ハヤヒデは小さくなっていくタクシーをその姿が見えなくなるまで見送ると、反対方向…トレセン学園の方へと歩みを進めていくのだった。
桜の花びらが風と共に頬をすり抜けていく。ハヤヒデはその風に心地よさを感じながら、アスファルトを踏みしめる一歩に対してさえも、感謝と希望を抱かずにはいられなかった。
一歩一歩、これからのたった一度きりの日々を噛みしめるように。