学園で起きた事件の調査は、まず校内の人物たちに聞き込みに回ることから始まった。 この方法が、効率が良かったとは決して言えない。それでも犯人の顔はおろか、その影にさえ触れることができていない。そうとなれば一人ずつ、地道に話を聞きこんで犯人の手がかりを掴む他その方法は残されていなかった。
自身が求めていた情報を有していなかったウマ娘は、そのことを申し訳なさそうに頭を下げると、その気まずさから逃れるように足早にその場から立ち去っていく。ウオッカはその背中を見つめながら小さくため息をつくと、同じくそばで聞き込みをしていたスカーレットと顔を見合わせた。
「……全然。ダメだな」
聞き込みを始めて早数時間。自身の拙い努力はまるで結実しない。瓦礫の山から、たった一つの探し物を追い求めるような作業に辛さと、若干の惰性が生じていたウオッカは同じくその作業に講じていたスカーレットを見ると、どうやら彼女も自身と同じ感情に襲われていたようだ。
「……犯人。何考えてるのかしら。露伴先生は注目されることが目的だって言ってたけど」
露伴がプロファイリングした、その目的。彼は高名な漫画家で、取材の一環で犯罪者がその犯行を犯す際に、どのような心理の基に行動を起こしているのかという犯罪心理学にも深く精通しているのだという。
ただそこには当然疑問は残る。「注目を集めたい」という目的で犯人が犯行を起こしているというのであれば、なぜわざわざ顔を欠いている人形やポスターを使用しているというのだろうか。犯人がウマ娘であると仮定して、自身が注目されたいと思っているというんであれば、わざわざそんな回りくどい行動を起こすには疑念を感じざるを得ないし、第一自身が注目されたいというのであれば犯罪を犯すというのは最早悪手としか言いようがない。
それに2つの現場に残されていた、二つの足跡。それぞれの現場には、犯人のもの、もしくは犯行に何か関係している者の足跡が発見されている。そしてその足跡は同一人物ではなく、それは別人であることが判明している。つまりこの事件には、少なくとも2人の人物が関係しているということになる。
謎が謎を呼び、犯人への足取りはますます遠のいていく。お世辞にも自分が賢い部類ではないことは自覚していた。そんな自身の頭をいくらこねくり回しても、その霧を払うことは叶わないことは分かっていた。それでもこのまま手をこまねいて、犯人の犯行を許すことなんて到底できない。ウオッカと、そしてスカーレットは何か自分たちにもできないかとこうして地道に、その脚を使って聞き込みに講じていた。
「クソッ……」
それにしても、こうもなにも情報を得ることができないとは。自身の無力さに打ちひしがれながら、ウオッカは傍にあったベンチに腰を下ろす。スカーレットはウオッカの晴れない顔をしばらく無言で見つめていたが、やがてその場をさっと立ち去ってしまった。
「……」
ウオッカにとって、日常を送っているはずのその学園の景色が、どこかしこりがあるような、しかし明確にある歪みとなって視界に広がる。この学園で、何かが起こっている。冬空は彼女を取り巻く冷笑として、そして過行く時間と比例せず、成果を得ることができなかった自身に突きつけられた明確な事実として彼女に重くのしかかっていた。
ダメだ。動いていなければ、現実に心を押しつぶされてしまう。
それはどうしようもない無力感だった。ウオッカは目から溢れそうになる涙をこらえるためにきつく歯を食いしばると、その脚に力を込めて立ち上がろうとしたが、それは叶わない。ただただ、その無力な自分に打ちひしがれながらその苦痛に耐えることしかできなかった。
彼女の我慢が、遂に最高潮に達する。その目からその綻びが生じる、その直前だった。
「アッツ……!!」
首元に突然、冬の寒さとは全く反対に位置する熱さが襲い掛かる。その熱さに思わず声を上げて飛びのいたウオッカが、その正体は何かと視線を向けた。
「ス、スカーレット⁉お前何して……」
そこにいたのは先程姿を消したはずのダイワスカーレットだった。先程自身の首筋を襲った熱さは、彼女があてがったホットコーヒー(勿論微糖)だったことを確認したウオッカが抗議の声をあげると、彼女はその目を細めながら口を開いた。
「アンタねぇ。なんて顔してるのよ。」
友人のその一言に、ウオッカは返事に窮する。いつも突っかかる彼女の顔が、いくらか柔らかいようにウオッカには映った。
「アンタがそんな辛気臭い顔してたら、こっちまで暗い気分になるわ。いつものアンタらしく、もっとシャキッとしなさいよ!」
きっと彼女は今、自身を励まそうとしているのだろう。彼女らしからぬ振る舞いに、思わず彼女の頬は緩んだが、急いで顔に袖をあてがって、「冬の寒さで鼻水が出てしまった」と急いで誤魔化すと、彼女に向けて声を掛けた。
「うし!そんじゃあ聞き込み再開するか…!お前がいなくなってた分、遅れを取り戻さないとな!」
「えぇ、そうね……って、なんでそうなるのよ!」
二人はそう言いあいながら、再び聞き込みに講じるが、その日のうちに彼女たちが犯人に関する情報を掴むことは、遂に叶わなかった。
数日後の夜。
闇夜に包まれた学園は、昼間のようにウマ娘たちがその青春を送る日常とは切り離された、どこか近寄りがたい雰囲気が醸し出されていた。それはいつものことのようにも思えるが、きっと学園を襲う事件もその事情に一役買っていることだろう。寮の消灯時刻間際まで漏れ聞こえる彼女たちの声も一切ないことが、彼女たちの心情を端的に表していた。
それでも。トレセン学園の平穏を脅かす不届き者がこの学園に姿を再び現すというのであれば。理事長の命によって、24時間体制で学園中は厳戒態勢が敷かれており、いつもよりはるかに多くの人員が、彼女たちの日常を守るため。そしてその日常を脅かす犯人を見つけるために、校内を巡回していた。
「……寒いなぁ」
一人残る警備室で、男は小さく声を漏らした。1月の夜は初老を既に超えた自身の老体には少々堪える。トレセン学園に警備員として5年以上従事している佐々木清吾は制帽の傾きを、そのツバを親指で押し上げると、窓から覗く真っ暗な、洞穴のような空を見つめた。
「……」
喉の奥にへばりついた痰を咳で吐き出し、室内に設置されているストーブに手を当てる。60歳まで真面目に一般企業に勤めあげた清吾は、定年後にこのトレセン学園の警備員として勤めることになった。
老体である彼にとって、今日のような深夜になっても働き続けることは少々身体に堪える。それでも彼がこのトレセン学園の警備員の仕事を5年もの間離れることがなかったのは、偏にこの学園にいる彼女たちのためだった。
この健やかで、そして残酷な勝負の世界であるトレセン学園。それでも彼女たちはその重荷に押しつぶされることなく、健気にこの学園で日常を送っている。そんな彼女たちに間接的にでも支えることができるこの仕事は、定年を過ぎた自身には新たな生きる目標となった。
……そんな彼女たちが生活を送るこの学園で、その日常を脅かすような事件が起きている。この燃え尽きかけた自身の心を再び使命の炎に燃え上がらせるには十分だった。
焦燥と苛立ちが綯交ぜとなり、その思考の坩堝から逃れるために男は胸ポケットに入れているタバコに手を伸ばす。しかし数年前から警備員の室内では禁煙になったことを思い起こすと、腰を庇いながら清吾は椅子から立ち上がった。
「よいしょっと…」
年々、時間というものは自身から冷酷に、そして確実に。自身からできることを奪っていく。自身も今年で65歳。再雇用といってもこれ以上警備員としてこの場所で働き続けることはできまい。
そんな残り少ない将来のことを思い浮かべながら、清吾は警備員室の扉を開けて外へと足を繰り出す。1月の縛れる寒さが身体を刺すように襲い掛かり、彼は制服の上に羽織った外套のファスナーを首元まで引き上げると、喫煙所まで急いだ。
今日の夜は、やけにしばれるな。
いつもと変わらぬこの景色、絶対に守り抜いてみせよう。このウマ娘たちが日常を送る校舎を、このターフを。
そう思うと、視界に入る学園の全てのものに何かと感傷的な気分が沸き上がってくる。このフェンスにも、校庭に入る一本の木でさえも、玄関の前に置かれた無数の写真にも。
「……?」
その場を通りすぎようとした清吾は、自身の視界を捉えたその違和感を感じとるのに一瞬で遅れた。数歩先に歩んだ彼はその違和感に襲われ、首をゆっくりと先程の方向へと向けると、そこには校舎の玄関の戸に無数に張り付けられている写真の数々だった。
一仕事を終えたその人物は、ゆっくりとその場を立ち去ろうとする。既に目的は達成した。そしたら次に、次に…
その時だった。
「…おい。そこのお前」
恐らく…否自身を呼び止めるその声に、その人物はその歩みを止める。肩越しに声を掛けたその人物をみやると、そこには一人の男の姿があった。
「……!」
「……やれやれ。今夜あたりにでも犯行をするんじゃあないかと踏んで張り込んでいたが、まさか大当たりを引くとはな。さっさと解決するものだとばかり思っていたが、まさか日を跨いだ捜査になるとは」
「…」
「とにもかくにも、僕ほどの漫画家の時間を割いた代償は高くつくぜ」
夜風に運ばれ、男の耳につけられたペン先の形をしたイヤリングがはためく。その男、岸辺露伴はもったいぶった様子で壁に手をつくと目のまえの人物…トレセン学園に混乱と恐怖をもたらしたその人物を睨みつけた。