ウオッカとスカーレットは、屋上でポスターを散布している犯人を取り押さえるために、急いで校舎へと足を踏み入れる。それは昨夜犯人の確保に役立つことができなかった贖罪の走りそのものだった。
次こそは、絶対に捕まえてみせる。
隣を見ずとも、最早自身の右隣を走るウオッカもきっと同じ感情を抱いている、それは分かっていた。校舎の玄関口でローファーを脱ぐ時間さえ惜しい二人は、土足のまま校舎に上がると、突如校舎になだれ込み困惑している学友たちを尻目に、急いで階段を駆け上がっていった。
「…………!!」
太ももに大幅な負荷がかかってくる。これも良いトレーニングになるな、と思いつつ二人は数階分の階段をまるで飛び跳ねるように駆け上がると、あっという間に屋上に続く階段までたどり着いた。
「……行くわよ!」
「あぁ!」
自身の掛け声に、ウオッカは頼もしい言葉で答える。互いに顔を見合わると、ウオッカとスカーレットは屋上に続く扉を力強く引き開けた。
……ギギッ!!
軋むような音を立てて、扉が開き、転がり込むように屋上へと二人はその身を晒す。冬の朝に突き刺すような風の寒さが二人の肌をすり抜けていくが、そんなことが露とも気にならないほど、二人の胸の内には意思の炎が強く燃え滾っていた…即ち、「この犯人を必ずや捕まえてみせる」という強い意志と覚悟だった。
二人の10メートルほど先にある縁に、フードを目深に被った人物がいる。その人物は校舎の前にばら撒いた大量のポスターを仕舞っていたであろう、すっかり凹んだ大きなリュックサックを背負うと、正に悠々と犯行現場から切り上げるところだった。
この犯人。思っている以上に頭の良い人物のようだ。昨夜の内にもう一人の方の犯人が捕まり、警備が手薄になっている今を狙い行動を起こした。そして登校の時間はたづなも校門で挨拶をするために出払い、そして職員や警備員の多くも学園にはまだ訪れていない。自身を止めるものがおらず、また数多くのウマ娘たちの目に触れることができる。つまり今日の朝は犯人にとって、これ以上にないほどの好条件だったようだ。
「アンタ……!」
「このまま……逃げられると思ってんのかよ?」
絶対にこの扉を通らせるわけにはいかない。それが二人の総意であり、覆ることのない決定事項だった。二人は縁から犯人が動かないように、まるで網を用いて魚を一箇所に集める追い込み漁のように、要領よく、そして油断なく二人は犯人を囲い込んでいった。
犯人を囲む2人の包囲網は徐々に、徐々に狭まっていく。やがて犯人まで2,3メートルほどにまで近づくと、2人はその脚をぴたりと止めた。
2人は顔を見合わせると、犯人に飛び掛かる瞬間を示し合わせる。日頃犬猿の仲だと思えぬほどぴったりと息を合わせると、2人は一斉に犯人に飛び掛かったのだった。
ここまでくれば、ウオッカとスカーレットの仕事の8割は終わっていると目された。見る限り、相手はウマ娘ではない。つまり種族として人間より遥かに俊敏で筋力に勝るウマ娘が……ましてやそんなウマ娘が2人いる状況であれば、たとえ犯人が抵抗しても簡単に取り押さえることができるはず、そう踏んでいた。
…結果としては、彼女たちの目論見は失敗に終わった。
瞬間、犯人は助走もつけずに前に向かってジャンプすると、飛び掛かってきたウオッカとスカーレットの2人を、まるで高跳びのようにその頭上を軽々と飛び越え、出口に向かって走っていった。
「ナッ!」
2人の間には衝撃が走る。ウマ娘でさえ難しいであろう、人間である犯人が自分たちの頭上を助走もつけずに軽々と飛び越えてみせた。
「…………追うわよ!」
「おう!」
驚きは一瞬の内に通り過ぎ、二人は一瞬の内にまた決意を胸に戻すと、先程扉に向かった犯人を追う為に走り出していった。
校舎内を、フードを被った犯人が走り、それをウマ娘2人が追うという珍妙な光景を、トレセン学園の住人たちは図らず目撃することになった。多くの者はそのあまりの突拍子のない光景に、只々口をあんぐりと開けてそれを見ることしかできなかったが、当事者であるウオッカとスカーレットは、いつまで経っても縮まることのない犯人の背中に疑念を抱き始めていた。
……人間である犯人に、私たちが追いつかない?
人間の走る速度は、どんなに早く走れたとしても時速20キロ程度、それも数十秒の間が限界だろう。それに比べてウマ娘は、時速70キロ以上の速さで数分は走ることができる。校内だからといって手を抜いているわけじゃあない。間違いなく全速力で犯人に向かって走り出していた。それなのに犯人との距離は全く縮まることを知らない。
先程から、犯人は人間という生物を凌駕した力を示し続けている。
どうしてと考えても、それに対して何か行動を起こす余裕は、今の二人にはない。できることは少しでも犯人との距離が遠ざかることがないように、懸命に足を繰り出すことしかできなかった。
犯人は渡り廊下を疾走していくが、このまま闇雲に犯人を追っているだけでは埒が明かないだろうことを、二人は理解していた。前方数メートルを走る犯人の背中の様子を見るからに、犯人は微塵もつかれている様子はない。あれでは相手のスタミナが尽きるまで追いかける作戦もうまくいかない可能性は高いだろう。これでは数分後に、自分たちのスタミナが尽きて相手に逃げ切られてしまうだろう。
犯人は3階から階段にたどり着き、2階へと降っていく。当然ではあるが、犯人は闇雲に走っているわけではなく、逃走を図る傍らで着実に出口に近づいて行っている。警備が手薄な今、校舎外に犯人に出た場合、取り押さえることはいよいよ難しくなるだろう。
やがて校舎の突き当りにある二手に分かれる分岐に差し掛かる。犯人は迷わず玄関に続く階段がある左の道へと舵を切った。スカーレットは当然犯人を追おうと、左に進もうと足を進めた。
その時だった。
「……おい!スカーレット!お前はそのまま奴を追ってくれ!」
「え?え?」
スカーレットが返事をする間もなく、ウオッカは分かれ道を犯人の行った方とは逆の道に進んでいく。
……しょうがないわね!
あのバカが何を考えているのかは知らないが、言われなくてもそうするつもりだ。スカーレットは苛立ちを端的に表すうなり声を上げると、犯人を追尾するべく左へと足を向けた。
分岐を抜けた犯人は急いで階段を降り、遂に1階にたどり着く。既に階段を降りると、玄関口までは一直線だ。スカーレットは一向に縮まらない犯人の背中に向かって、懸命に声を掛けた。
「コラ………!アンタ……止まりなさいよ!」
分かってはいるが、そんな言葉を掛けたところで犯人が止まるはずなどない。スカーレット自身も既に校舎内で犯人を追い回したせいか、息が上がり始めていた。犯人の身体が日の光を浴びて、逆光となり黒くなっていく。やがて犯人はそのまま、玄関口に足を掛けた。
その時だった。
ドサッ!
犯人の目のまえに、何かが上から降ってくる。スカーレットは逆光で見えないその降ってきたものを、目を凝らして見つめたが、やがてそれはゆっくりと立ち上がると口を開いた。
「やっとよ………追いつけたぜ~~~。お前の面、拝むためによ……2階から飛び降りてやったぜ」
「ウオッカ………アンタ」
それは先程分かれたはずのウオッカの姿だった。どうやら彼女はこのままでは犯人に追いつくことはできないと踏んで、分岐で自身と犯人と分かれた後、玄関口の上まで回り込み、タイミングを見計らって2階から飛び降りて挟み撃ちに講じたようだ。
そしてその作戦は、見事に上手くいったようだ。悔しいが、ウオッカの英断によって犯人と今迄以上の接触に成功し、挟み撃ちに講じることができた。
そして何よりスカーレットが驚いたことは、ウオッカがそのような機転が利く行動を起こすことができ、そしてウマ娘としてもっとも大事である「脚」を痛めるのではないかという不安よりも、この学園を守り抜いてみせるという、確固たる「意思」と「根性」だった。
犯人は立ち止まり、また校舎へと逃げようと試みたが、そこには先程から追われているスカーレットの姿がある。2人の小娘の術中に嵌ったことを悟った犯人は小さく舌打ちをすると、その拳を胸元に構えた。
「こいつ……」
「あくまで大人しく捕まるつもりはないってことね……」
それは自分たちへの明確な敵意を示すファイティングポーズだった。産まれてこの方、空手や柔道、ボクシングの類の一切したことのなかったことを後悔しつつ、ウオッカとスカーレットは犯人を取り押さえることができるようにとりあえず見よう見まねで身構えた。
こんなことなら、カレンチャンでもいてくれれば良かった。
その時は突然として訪れた。犯人は一歩踏み出すと、拳を振りかざしてウオッカに殴りかかる。彼女はウマ娘としての筋力を信じてその拳を受け止めようと試みたが、その拳を手でつかみ取った瞬間、犯人の力強さに驚くことになった。
「ナッ…!」
ウマ娘である自分が、人間である犯人の力に押し負けている。驚くウオッカを余所に、犯人は掴まれた片方の拳はそのままに、空いている方の手で相手の裾を掴み取ると、ケンカ四つの形になった。
「アンタ……!」
ウオッカから犯人を引きはがすため、スカーレットはそのまま犯人に飛び掛かる。それは偏に、犯人の力比べにウマ娘が押し負けそうになる、という異常事態を勘案してのことだった。
「…………」
犯人はスカーレットの方をちらっと見つめると、ウオッカを背中で担ぎ、背負い投げの形を取る。突然の出来事に困惑するウオッカは、それに抵抗し踏ん張ることさえできなかった。ウオッカは犯人に投げ飛ばされると、スカーレットを巻き込んで彼方へ吹っ飛ばされていった。
2人の身体は縺れあい、玄関口の扉に衝突する。ガラス製の扉は二人が勢いよくぶつかったことで音を立てて割れ、二人はそこに倒れ込んでしまった。
呻きながら立ち上がろうとするが、その脚には力が全く入らない。受け身も取ることさえままならず、どうやら衝撃をもろに受けてしまったようだ。そんな2人の様子を静かに見つめると、少し外れたフードをまた目深に被り直し、そのまま障壁のなくなった玄関口から堂々と逃走を始めようとした。
「クソッ………」
ウオッカの口から、悔しさを表す声が漏れ出る。犯人を追いたくても、今の状態では立ち上がる事すらままならない。自分たちの無力さに再び打ちひしがれながら、二人はその背中を見送ることしかできなかった。
「よくやったな、ウオッカ君。スカーレット君」
そこには先程まで校門にいたはずの岸辺露伴の姿があった。彼は昨夜の戦闘で痛む傷に顔を顰めつつ、玄関口に立つ犯人をじっと逃すまいと見つめていた。
「ろ、露伴先生!?」
「ど、どうして?」
先程まで彼は校門にいたはず。その疑念を露伴に投げかけると、彼はじっと二人を見つめ、言葉を口にした。
「……本当はたづなさんと少し話すためだけに来たんだが、昨晩の戦闘でどうやら現場にスマホを落としてしまってね。現場にまだ落ちてはいないか確認に来たんだが、偶然その時騒動に出くわしたわけさ」
「そ、そうだったのかよ!」
「あぁ、ともかく。騒動の元である犯人を捕まえようとしたんだが、既に到着したのは紙がばら撒かれた後…誰かがこいつを止めなければこのまま取り逃がすところだった。本当に助かったよ……君たちがこいつを足止めしていなければどうなっていたことか」
その言葉に、ウオッカとスカーレットは顔に明るさを取り戻す。無力だと思っていた自分たちだが、ようやく犯人の確保に向けて助力できたようだ。露伴の言葉に顔をほころばせる2人だったが、犯人はそんな彼らを尻目に立ち去ろうとした。
「…………!」
しかし、犯人は露伴の傍をすれ違い、逃げようとした瞬間にまるで気絶するかのように倒れ込んでしまった。
「………何はともあれ、油断しなければこいつだってわけない。これで犯人を無事確保できたってわけだな」
「…………え?」
「すっげ~~………」
人智を超えた目のまえの光景に、ウオッカとスカーレットは只々驚くことしかできなかった。ヘブンズ・ドアーによって一仕事終えた露伴は、倒れた犯人をじっと見下ろすとウオッカとスカーレットを助け起こしに掛かったのだった。