浮世離れした、不思議な奴。
初めて彼女に出会った時、それが彼女に対してオレが抱いた最初の印象だった。学園の性質上、学園に来るウマ娘たちには個性的なキャラクターを持つ者が多い。ところかまわず占いを披露するマチカネフクキタル先輩や、奇行を繰り返し度々生徒会のお世話になるゴールドシップ先輩が良い例だ。
トレセン学園に入学して数日後。オレは朝方いつもよりも早い時間に目が覚めてしまい、寝付くこともできないため、学園の場所の仔細を把握しがてら、朝のランニングに赴いていた。
冬はすっかりと顔を潜め、春の朗らかな風が心地よく頬を撫でつけていく。 これからオレはこのトレセン学園で、勝負の世界に身を投じるのだ。ぼんやりと心のうちに生まれていた覚悟と不安が、次第に確固たる感情として心に据え付けられていた。
ハッ、ハッ、ハッ……
早朝のトレセン学園には誰にもいないのか。自身の息遣いだけが辺りには響き渡り、彼女は物見遊山でもしようかと視線をあちこちに移しながら足を繰り出していったが、やがてとある箇所に目を留めた彼女は、スピードをゆっくりと落とし、やがてその場に立ち止まった。
……あれは。
桜の木の下に佇む、一人の少女。制服を身に着けている辺り、当たり前ではあるがこの学園の生徒のようだ。彼女はまるで惹きつけられるように、引っ掛かった違和感を拭い去るかのようにふらふらと少女のもとへと歩み寄ると、そっと声を掛けた。
「……おい」
なんて声を掛けていいのか。そんな事を思った故か、あまりにも要領を得ない声かけを少女にしてしまう。少女はゆっくりと顔をこちらに向けると、自身に向けてじっとその目を向けてきた。
きれいな目だ。
まるで宝石のような瞳がこちらに2つ、じっと見つめてくる。同性ながら
ドギマギしてしまうのを何とか抑えつつ、彼女は言葉をつづけた。
「……ウオッカ。オレの名前はウオッカ、中等部1年だ…お前は?」
「……○○です。」
まるで鈴の音が鳴るような、そんな声だった。頭の上に王冠を載せた彼女は首を傾けて、相も変わらず顔をじっとこちらに顔を向けているものの、その表情の色に名前を付けるには聊か感情を読み取れない、そんな顔をしていた。名前を告げた彼女は、こちらから目を反らすことなくポケットから何かを取り出すと、ずいと何かを自身に手渡してきた。
「……え?」
それは一枚の紙。中央にはデカデカと、先程彼女が名乗った名前が印刷されていて、横には小さく「日本ウマ娘トレーニングセンター学園・中等部1年」と書かれていた。
「え…これ…名刺か…?」
困惑。その一言に尽きる状況だった。今しがた知り合ったウマ娘に、名刺を手渡される。いや、たしかに名刺は挨拶としてすぐに手渡すものだが、一生徒が名刺?
この実に奇妙な状況に、ウオッカはポカンと口を開けることしかできなかったが、当の本人はそれを意にも介さず、言葉をつづけた。
「そうです…あなたに覚えてほしくて。○○のことを」
ますます混乱を呼び込むその一言。覚えてほしい?自身のことを?様々な疑念が頭のうちに噴出することになったが、ウオッカはそれ以上このことに突っ込むことは、ますます自身の脳内に混乱を呼び込むことになりそうだと考え、それ以上このことについて彼女に問いかけることはしなかった。
「ま、まぁ…よろしくな」
何はともあれ。彼女もこれからの学園生活を送る上での大切な友人の一人であることには変わりない。ウオッカが差し出したその手を、彼女はそっと握り返す。
浮世離れした不思議な奴。彼女抱いた第一印象はそれだったが、もう一つ。彼女に抱いた印象があったことは、今考えてみれば予兆のようなものだったのかもしれない。
いずれにしても、それについて今思い返したとしても、既に物事は時と共に流れ、消して巻き戻すことはできない。その後悔と記憶の残滓だけが、自身を強く捕らえて離さなかった。
すなわち「目を離せばどこかに消えてしまう」と
2度あることは3度ある。常軌を逸してしまった校内のウマ娘たちが、大挙して障害である自分たちを排除しようとその足を繰り出してくる。ウマ娘たちを相手にして、逃走を図る機会は今までに何度かあったが、今回の逃亡は今まで以上に窮迫性を孕んだものだった。
口の奥から鉄の味が滲む広がり、肺を乱雑に押し広げる。
露伴たちは先程走ってきた廊下を再び走り始める。やがて最初にいたたづなの執務室に駆け込むと、急いで室内にあった椅子や机、棚をドアに置き即席のバリケードを構築した。肩で息をしながらその場に座り込むと、一同はドアの外から荒々しく響くノック音を聞きながら、互いに顔を見合わせた。
これから、どうするべきか。
室内に施した対策は、あくまでこの場を凌ぐ応急処置にしかならないということを、室内にいる一同は全員理解していた。こうして室内で敵の侵入を食い止めている間にも、敵は着々とその目的…「より多くの人に注目される」こと。その本懐を果たしていっている。敵の能力によって、感染者は鼠算式に続々と増えていき、そしてその感染者たちが残した代物を、より多くの人々が目撃し、そして記録していき、またその数を増やしていく。
「これ…マズイな」
ウオッカは苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべ、スマホを露伴の方へと向ける。すでにSNS上では一連の事件が大々的に取り上げられていて、マスメディアにもニュースとして一般の人々に向けてセンセーショナルに報道されている。タイムライン上にはその事件の写真が掲載されていて、まさしく黒幕の思うつぼ、という状況が作り上げられてしまったわけだ。
「……これからどうするんだい?露伴先生」
自身がその案を思いつくことができず、歯がゆさを覚えながらルドルフは露伴に対して質問を掛ける。この状況を解決に導くためには、やはり事件の裏に潜む黒幕の尻尾をつかむ他ないだろう。だが、未だ自分たちはその影すら見つけることができていない。
何か、何か事件を解決するためにできることはないのか。今までの事件の中で、何か黒幕に近づくための手がかりがあるはずだ。
「何か…何かないのか」
4件の事件の内容。感染者たちの特徴。記録することによって感染するという特殊な条件。何か…何か…
「…………あ」
突如、露伴の声が口から洩れる。彼はまっすぐと顔を上げると、次にその顔をルドルフの方へとゆっくりと向けた。
「…………あるかもしれない」
「……それは本当か⁉」
「あぁ。一連の事件…今までの4件の事件がどう起きたのか。その内訳…1,2件目は看護師の淀川。3,4件目は警備員の羽賀と佐々木。警備員はそれぞれ、業務の内容に従って犯人である淀川真美が残した形跡を記録した結果感染したことは分かっている。」
「…………それがどうかしたんですか?」
「…警備員たちが感染した経緯は業務の内容から然るべきということさ。言い換えれば、1件目の淀川真美はその経緯が不明…つまり彼女はマザーとなる黒幕と接触した結果、第1感染者になった可能性が高いというわけさ」
その言葉を聞いたルドルフの目は大きく見開かれた。
「つまり、淀川真美の頭をヘブンズ・ドアーで見ることができれば!黒幕に近づくことができるということだな⁉」
露伴はその言葉にゆっくりとうなずく。黒幕と接触したのは、恐らく感染する以前の話だ。それならば彼女自身にもその記憶の残滓が記載されているに違いない。黒幕に近づくために見出した活路。しかしながらその活路については、一同の前には大きな障壁が存在していた。
「ですが…感染者の淀川真美は…」
たづなの脳内に思い浮かんだ懸念事項。それについては、露伴自身も認識、そして同じく懸念していたことだった。
「あぁ、彼女は今、留置所の中だ。つまり彼女の話を聞くためには、留置所の中に行って彼女の顔を拝む必要があるというわけだな」
感染者の淀川真美は現在、付近の警察署の留置所にその身を拘束されているはずだ。SPW財団のコネクションを用いて、彼女から話を聞くという手段もないわけではないのだが、それではあまりにも時間がかかってしまう。一刻の猶予も残されていない現状では、そんな悠長に事を構えている暇などどこにもあるまい。
つまり、つまり一般市民である自分たちが留置所の中にいる彼女から話を聞き出すには。
「…………留置所の中に忍び込む必要がある」
それはあまりにも大きなリスクだった。しかしながら、それをしなければ状況はどんどん悪化していく。校内で感染者が蔓延しているということは、既にいつ校外へも出てしまっても可笑しくない。この世界が混沌と恐怖に包まれるのに、多くの時は要しないだろう。
「……それでもやらくちゃあならないだろう」
ルドルフの口から漏れ出た一言。それは学園を導き、守り抜いてきた者の、誇り高き決意の一言だった。露伴はその言葉にゆっくりとうなずくと、座り込んでいた床からすくっと立ち上がった。
ここで立ち止まっていても埒が明かない。黒幕を見つけ、学園を救う。そう決めた以上はすぐに行動を起こさなければならない。
「よし、それじゃあまずはこの学園から出ることが最初だ。」
露伴はそういうや否や部屋の窓を開け、片足を窓枠に掛ける。そして外へと出る直前、室内にいる一同の方へと顔を向けると、声をかけた。
「…………さて、それじゃあ付いてくるやつは?」