岸辺露伴は走らない   作:ボンゴレパスタ

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岸辺露伴は戻らない5

 

 

人生とは孤独であることだ。

誰も他の人を知らない。

みんなひとりぼっちだ。

自分ひとりで歩かねばならない。

 

ヘルマンヘッセ

 

 

 

アグネスタキオン。

誕生日・4月14日

身長159センチ

スリーサイズ・B83・W55・H81

靴のサイズ・22.5センチ

学年・高等部

所属寮・栗東寮

レース名家に生まれた異端児。

 

 

 

 

 

用途不明の……何に使うのかなんて知りたくもない、そんな蛍光色の液体が入れられたフラスコに、テーブルの上に乱雑に配置されている、実験に基づいたデータや資料の数々。

 

 

久方ぶりのタキオンの実験室は、記憶の奥底にこびりついた姿と大差はなかった。

 

 

「最後にここに来たのは、まだこの世界が2つに別れていた時…だったかな?」

 

 

「あぁ…最もあの時実験室は吹っ飛ばしてしまったがね。厳重注意の扱いは受けたが、こうしてまた実験室で気ままに実験に打ち込むことができているよ」

 

 

「つまり懲りずに不当に教室を占拠している、ということか」

 

 

「……フム。だが君は既に会長でもなんでもない、ただの一生徒だろう?文句を言われる筋合いはないねぇ」

 

 

「おい、やめないか」

 

 

シンボリルドルフとアグネスタキオン。この二人は先の件のこともあってか、あまり仲が良くない。口を開けば互いに皮肉の応酬を講じるばかりである。露伴は呆れたように目をぐるりと回して二人の応酬を止めると、言葉を続けた。

 

 

「タキオン。僕がはじめに君に最初に話を聞きにきたのは、僕は君が犯人じゃあないことを確信しているからだ。その可能性をゼロだということを先に確認して、君には早いところ原因を究明する手伝いをしてほしい」

 

 

タキオンとは既に、2度も騒動の解決のために力を合わせている。あくまで容疑者という位置づけにあることは変わりないが、それでも彼女の身の潔白を証明したい、というのが正直なところだった。

 

 

「おやおや。随分と情熱的な口説き文句だねぇ。これぞ私と露伴先生の付き合いだからこそ……って気持ちは嬉しいが、言葉に気を付けないと君の愛しのウマ娘の顔が般若のようになってしまっているようだ」

 

 

「あまり私を無礼るなよ」

 

 

露伴とのやりとりで、既にルドルフの嫉妬心と怒りは完全にピークに達していた。タキオンは激怒しているルドルフを我にも関せず、先程の爆発で横倒しになった、ボロボロの椅子を直して座る。露伴はその様子を見届けると、徐に口を開いた。

 

 

「……君のパーソナルな記述については見させてもらった。」

 

 

「……パーソナル?」

 

 

ルドルフは訝しげに、含みを持たせた物言いをした彼の顔を覗き込む。アグネスタキオンは狂気の科学者ウマ娘あることには変わりないと認識だった。その彼女の心の内にパーソナルな……それこそ今回のループの原因の一つとなりうるような、そんな弱さを持ち合わせているということなのか。

 

 

「あぁ、この脚のことか」

 

 

おくびも出さずに、彼女は自身の脚を細い指先でなぞりながら、自身の記述を告白する。ルドルフは動揺した様子で露伴に対して声を掛けた。

 

 

「それは……どういう……?」

 

 

「……いいのか?」

 

 

露伴はタキオンに対して目配せをする。これは彼女にとって、知られたくない精神の側面かもしれない。彼女が話したくないというならば、ルドルフを出払わせて2人だけで話を進める予定だった。もっともルドルフはそれを快く思わないだろうが。

 

 

「構わないとも。元会長殿にどうこうできる話じゃあないからね……ここにいてくれたって問題ないさ」

 

 

露伴の確認に込められた文意を汲み取ったタキオンはそう言う。露伴とルドルフが実験室に転がっている煤だらけの椅子を立て、座ったことを確認すると、タキオンは徐に口を開いた。

 

 

「私…アグネスタキオンはレースの世界じゃあそこそこ有名な家柄の出だ。その出自に沿って……また私自身の願いもあって、走ることが大好きだった」

 

 

「……でもね。私は脚が弱かった。それも格別に、ね。周囲の人間からは『ガラスの脚』と言われて……そんな大層なものじゃあないだろうに。家の者は脚のことを気にして……いや、レースで脚を壊して、結果を残せないような真似があっては家の名前に傷がつくと考えたんだろうねぇ。私を「走る」ことから遠ざけて、早々に優秀な「次世代」に繋げることができるように料理や茶道に、裁縫……様々なことを学ばされたよ。もっとも、いくら教わってもからっきしだったがね。」

 

 

自嘲気味にタキオンは小さく笑うが、彼女の精一杯のジョークは黒ずんだ部屋の中に霧散していった。タキオンは無音の部屋で一つため息をもらすと再び言葉を続ける……彼女の視線は、真剣そのものだった。

 

 

「でもね、私は「それを」諦めることができなかった……「走る(生きる)」ことを。それが私にとっての全てだったから。そのためにはなんでもやった。どんなペース配分で、どんな脚の運び方だったら……どんなケアをしてどんなローテーションを組めば一番脚に負担をかけないか。一番私の脚の寿命を長持ちさせることができるのか。それで頭が一杯だった。私が実験に傾倒するになったのは、偏にこのためだ。身体的な能力を向上させ、限りなく怪我のリスクを最小化することができる、そんな薬を作り出すことができれば。ずっとそんな想いだったんだ。」

 

 

「それは……亮人君には言ったのかい?」

 

 

露伴は出来る限り心配を気取られないように質問をかける。トレーナーとは即ち、心身共に担当ウマ娘をサポートする存在だ。彼女のこの問題も、きっと彼のことならば親身になって寄り添い、まるで自分事のように支えてくれるに違いない。

 

 

だがタキオンはその言葉を受けると、まるでまるで他人ごとのような表情を浮かべながら、言葉を続けた。

 

 

「これは私の…このアグネスタキオン自身の問題だ。彼はあくまで私が学園に在籍し続けるための手段の一つに過ぎない……わざわざ彼に話す必要なんて、何処にもない」

 

 

「そんな言い方は……」

 

 

口を開こうとしたルドルフを、露伴が言葉を制する。露伴はつまり、理解していた。彼女の……恐らくアグネスタキオン自身も気づいていない、その深層心理を。

 

 

つまり彼女は無意識に、防御しているのだ。彼女はこれからデビューし、そして競技の世界に身を投じようとしている。それは正に修羅の道……いつガラスの脚がひび割れ、崩壊するかもわからない、そんな荒唐無稽な道をこれから走ろうとしているのだ。

 

 

そんな危険な旅をするのは、恐怖と不安を背負うのは私だけでいい。彼女は無意識に分かっているのだ……誰よりも荒唐無稽で、狂気的なウマ娘と認識される彼女だが、その実はなんだかんだでお節介焼きで優しいウマ娘であることは、過去の騒動を解決に導いてきた体験から露伴は分かっていた。

 

 

だからこそ、彼女には理解をして欲しい。その危険な旅に、一人で突き進むのはあまりに危険で無謀だということを。そしてあの男、大森亮人は間違いなく信頼のおけるトレーナーで、彼女に不安と危険を背負うにふさわしい男だということを。

 

 

露伴は説明を終えたタキオンを見据えると、徐に口を開いた。

 

 

「はじめに謝っておきたい。今からすることは、君が今しがた言ったことに反する行為だ。だが間違いなく、この問題を解決するのに必要なことだ…少々荒療治ではあるがね」

 

 

露伴はそう言って立ち上がり、実験室の扉を引き開けるとそこには一人の人物が立っていた。

 

 

「……露伴先生。これは中々に……随分とズルい真似してくれるじゃあないか」

 

 

「タキオン……君が今言ったことって」

 

 

そこにいたのは、アグネスタキオンのトレーナー・大森亮人だった。露伴にメールで呼び出された亮人は、意図せずにタキオンの独白を耳に聞き届けることになってしまった…彼は驚愕と哀しみが綯交ぜとなった表情を浮かべていた。

 

 

「……聞かれてしまったか。これは少々…恥ずかしいねぇ」

 

 

タキオンは自嘲気味な笑みを浮かべると、言葉を続けた。亮人はすぐに顔を引き締めると、つかつかと彼女の方へと歩み寄っていった。

 

 

「……⁉君、何をして……!」

 

 

亮人は机の上に置かれていた薬品の入ったフラスコを手に持つと、その中を覗き込む。フラスコ内の液体は、蛍光色を放ち危険性を示していた。亮人は覚悟を決めて、容器の中の液体を一気に胃の中に流し込んだ。

 

 

「……おい!」

 

 

タキオンは彼の意図に気づき、行動を止めようと手を伸ばしたが、既に手遅れだった。亮人の体は、瞬く間に光を放ち始める。その様子にタキオンは狼狽しながら、質問を亮人に投げかけた。

 

 

「……どうしてだ、トレーナー君?」

 

 

「僕が……僕が君のトレーナーだからだよ。アグネスタキオン」

 

 

痛みや不安も、自分事のように支える…そんな存在。それがトレーナーという存在だというのならば。

 

 

なるほど。この感覚だったのか。

 

 

ずっと一人だと思っていた。味方なんていない…信じられない。ずっとそう思っていたはずなのに。

 

 

目の前の会長をはじめとしたウマ娘たちが、トレーナーたちに執着していたあの世界で、私は彼女たちの感覚を理解できずにいた。でも、今なら少しだけ…ほんの少しだけわかる。自分の痛みを背負ってくれる、トレーナーの存在がいてくれるというならば。

 

 

「……フフッ!今日から私は君のことをトレーナー君…否!モルモット君と呼ぼうじゃあないか!」

 

 

「……え?」

 

 

「……安心しろ。多分君が信頼に足る人物だってことが分かった、ということだろうからな」

 

 

タキオンの意図をくみ取った露伴がそう言うと、亮人は戸惑いながらも安心した表情を浮かべる。何はともあれ、タキオンの信頼を得て、彼女のパーソナルな問題を解決することに成功した。

 

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