岸辺露伴は走らない   作:ボンゴレパスタ

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岸辺露伴は戻らない9

 

岸が見えなくなる勇気を受け入れる覚悟がなければ、海を渡ることは決してできない

クリストファー・コロンブス

 

 

 

 

 

 

幸せとは、一体何なのだろうか。

 

 

全ての人に、それぞれの答えがきっとある。それを金と答える者もいれば、愛と答える者もいる。他の人にとってはくだらないと思うようなものでも、その人にとっては何にも代えがたい、そんなものも確かに存在している。

 

 

そしてアグネスデジタルの場合。

 

 

全てのウマ娘を愛し、愛しそして愛し尽くしているウマ娘。彼女にとってウマ娘は「萌え」であり、魂の洗浄。一筋の希望であり、求道者である彼女にとって、生きる理由そのもの。

 

 

彼女にとっては、学園こそがオアシスであり、楽園でウマ娘を間近に拝み、生活していることこそが幸せそのものである。それは疑いのない事実であった。

 

 

それは、疑いないはずなのだ。そのはず……なのだ。

 

 

尊みの絶頂を迎え、失った意識が戻ってくる。すると仰向けに倒れこんでいる自身を覗き込む2人の顔が見えてきた。

 

 

「タキオンさんと……あ、貴方は……」

 

 

寮で同室として生活を送るウマ娘、アグネスタキオンが自身の顔をにやにやと覗き込んでいる。毎日顔を合わせ、見慣れているはずのタキオンだが、デジタルにとっては日常の一つ一つが「尊み」の発見の連続だった。現に下から彼女の顔を見上げるという、新たな角度からのタキオンの尊顔を拝んだデジタルは、再び心のキャパオーバーを迎えようとしていた。

 

 

タキオンの隣にいる、ヘアバンドを身に着けた男。彼の顔に、デジタルは見覚えがあった。

 

 

「この間会ったな。漫画家の岸辺露伴だ」

 

 

「も、もちろん知ってます!ピンクダークの少年、読んでます!」

 

 

倒れこんだ姿勢を戻しながら、デジタルは露伴のことをその目を輝かせながら口を開く。デジタルはその溢れんばかりのウマ娘への愛を伝導するために、稚拙ではあるものの同人誌を描いて、それをコミックマーケットに出展するといった同人活動にも勤しんでいた。

 

 

そういった経緯から、漫画に対しては人一倍のリスペクトを払っており、デジタルにとってピンクダークの少年シリーズは創作物、芸術作品として最大限の敬意を払うべき作品のひとつだった。

 

 

「……フン。それはなんとも、うれしい限りだ」

 

 

こほん。

 

 

今したいのは決して漫画談義などではない。タキオンは話を区切るために一つ空咳をすると言葉を続けた。

 

 

「そろそろ本題に入ろうじゃあないか…デジタル君。ここに露伴先生が来た、ということは要件は何かわかっているね?」

 

 

「はい……タイムループの解決。あたしの自身に眠る問題……その話を聞きたいんですよね」

 

 

トレーナーから既に、タイムリープを解決するために一人ずつ話を聞いて回っているという話は聞いていた。寮でタキオンが話を聞かれたということを話していたため、そろそろ自分のところに話が来るのではないかと、薄々勘づいていた。

 

 

「わかっていたのか……ここじゃあ話し辛いこともあるだろう。場所を変えようじゃあないか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トラックのはずれ、ベンチに腰掛けた露伴は隣に座るデジタルを見つめる。下を俯く彼女の表情をうかがい知ることはできなかった。しばらく静寂がその場を支配していたが、やがてその空気を打ち破るために、タキオンは言葉を発した。

 

 

「さて……デジタル君の記載には、何か問題はあったのかい?」

 

 

既にヘブンズ・ドアーは、チーム5人全員の記載を暴き、彼女たちの原因となりそうな心の悩みについて、露伴は把握していた。タキオンが露伴にその記載の中で、デジタルが抱えていそうな問題について、何か書いてあったのかを尋ねると、デジタルはわなわなと震えながら口を開いた。

 

 

「……その~、やっぱり全部みちゃったんですよね?あたしの……その……」

 

 

「…?あぁ、君がやったことや感じたこと。すべてヘブンズ・ドアーは僕のもとにさらけ出す。それが僕の能力だからな」

 

 

「じゃ、じゃああたしのウマ娘ちゃんたちへの観察や、その時感じたことも全部……!」

 

 

なるほど、そういうことか。

 

 

露伴に顔を向けるデジタルの顔は羞恥心によって真っ赤に染め上げられていた。ヘブンズ・ドアーは、その人がどのようなことを思い、どのような体験をしてきたのか。そのすべてを白日の下に晒すものだ。

 

 

デジタルが懸念している記述がどのようなものか。それはおおよそ見当がつく。すなわち彼女が抱いているウマ娘への想いや、その欲求を満たすためにしてきた様々な「観察」活動のことを言っているのだろう。犯罪紛いのことをしていたわけじゃあなかったが(あくまで露伴の尺度での判断であり、他の者から見れば犯罪とみなされる恐れは十分にある)、その仔細について知られるということは、年頃の女子にとっては恥ずかしいことこの上ない体験だろう。

 

 

だが今肝心なことは、デジタルのこっぱずかしい体験のことについて、根掘り葉掘り聞くことなんかじゃあない。露伴は議論を進めるために、柄にもなく慰めるために口を開いた。

 

 

「いや……まぁ僕も漫画家だ。リアリティの追求のために、物事にはこだわる性分……君の突き詰めるために出た行動、わからないわけじゃあない」

 

 

方便として吐いた言葉ではあったものの、露伴にとってその想いは全くわからないわけじゃあなかった。実際この岸辺露伴という男は、漫画家という性のせいで何度か痛い目を見ている。

 

 

最近でも、わざわざ六壁坂の妖怪の正体を知ろうとして、妖怪が住むという山をまとめて買って高速道路の開通の計画を阻止した結果、破産しかけて、家も売りに出すところだった……ルドルフがいなかったら、恐らく自身はしばらく友人の康一君の家で居候しなければならなかったに違いない。(僕としては、それはそれで悪くない話だったが)

 

 

デジタルはまたさっきのように顔を下に向けて、しばしの沈黙がその場を支配する。やがてデジタルはぽつりと、言葉を紡いでいった。

 

 

「わからないんです……これでいいのか」

 

 

「うん……?」

 

 

タキオンは、デジタルの発言の意を掴みかね、首をかしげる。アグネスデジタルの口からでた、迷いの言葉。それは一体何に対して発せられたものなのか?タキオンがそれを尋ねるよりも先に、デジタルは再び言葉を続けた。

 

 

「あたし……ウマ娘ちゃんたちが大好きでこの学園に入学したんです。あたしはただの平凡なウマ娘。この学園にいる時も、見えない空気のフィルターが一枚隔てている……それがあたしにとっての学園生活なんです。」

 

 

「……それはつまり、どういうことなんだい?」

 

 

「……同じ空間にいたとしても、同じ空気を吸うなんておそれ多い推しだらけのトレセン学園。それがあたしにとっての学園生活なんです」

 

 

……知られていることだが、厳しい入学試練を勝ち抜き、更にそこからレースを勝利し結果を残すことができるのはほんの一握り。それがこのトレセン学園という華々しくも、残酷な世界なのだ。

 

 

そんなトレセン学園に、端から見れば不純と非難されてもおかしくないような動機…つまり「ウマ娘をより近くで見たい」という想い一つでこの門を叩いたのがアグネスデジタルというウマ娘なのだ。

 

 

そしてその学園で送る生活の中で、彼女はあくまで「ファン」として学友達と接している。それはつまり、普通の日常生活を送る友人、同位の存在として触れ合うというわけではないということだ。あくまで自身は低位の存在として、彼女は敬いと崇拝の気持ちをもってウマ娘に接している。

 

 

 

ただそんな歪みだらけの状態でも、彼女は結果を残している。そして更に普通のウマ娘にはできない……つまり芝やダートという適正を問わずレースに出場するという突拍子のないことをやってのけている。芝とダートの練習方法は全く異なるものであり、わざわざ2倍の苦労を強いられる。それはすなわち、ウマ娘への狂愛が成せる技なのだろう。

 

 

「この間、初めて重賞のレースがあったんです。ウマ娘ちゃんたちは本当に全力で走り抜けて…………本当に真剣そのもので……」

 

「……」

 

 

「……あたしは唯々、ウマ娘ちゃんたちを近くで拝みたい。そんな安易な気持ちでこの門を叩いてしまったんです」

 

 

それはきっと、才能あったからこその悩み。きっと才覚がなければ、この学園に入学する前に実力の差に、そしてその覚悟の甘さに気が付かされていただろう。

 

 

しかし彼女には競技者として才能があった。否、なまじ才能があったせいで、今になってこの障壁に直面する羽目になってしまったのだろう。レースには勝者がいるのであれば当然の如く「敗者」が存在する。そこに想いの差や運なんてものは介在しない。あるのは神が降った賽の目が示す、敢然たる結果だけ。

 

 

その残酷たる世界、それがレース。割り切ってレースに臨むこともできるが、ウマ娘が好きな故、それができない……それがアグネスデジタルというウマ娘が背負った業であり、彼女だからこその悩み、といっていいだろう。

 

 

正直なところ、彼女の悩みとやらに大きな関心が露伴にあったわけではない。残りの2人のウマ娘の悩みに比べると、タイムリープの原因である可能性は極めて低く、さっさと話を聞いて次のウマ娘たちに話を聞きたいと考えていた。

 

 

しかし。

 

 

何故かそうはしたくない。露伴の心の内に突如して沸き上がった感情。なぜそんな感情が自分に起こったのか、それはわからなかった。長くウマ娘たちと接していく中でほだされてしまったのか……露伴はためいきを短くつくと、言葉を発するために口を開いた。

 

 

「……正直なところ、君の気持ちなんて僕の及び知ることじゃあない。だがな、一つ尋ねたいことがある」

 

 

「……?」

 

 

「君がウマ娘に惹かれる理由はなんだ?」

 

 

唐突に露伴から発せられた質問に、デジタルは首を傾げる。それはデジタルにとって、ある種愚の骨頂ともいえる質問だった。ウマ娘に惹かれる理由?そんなの……そんなの……

 

 

「……それは……その」

 

 

その質問に対する回答を、デジタルは持ち合わせていなかった。既にデジタルのウマ娘に対する愛情は「当たり前のもの」として彼女の感情に定着してしまっている。即ち彼女がどうしてウマ娘を好きになったのか……その確かに胸の内の原動力となっていたはずの原点は、既に自身の記憶の中に埋没し、デジタル自身でも把握することができなくなっていた。

 

 

答えることができなくなってしまったデジタルを無言で見つめる露伴は、やがて目のまえの一点を指さすと徐に口を開いた。

 

 

「それじゃあ質問の仕方を変えよう……君はあそこにいるウマ娘の名前は分かるか?」

 

 

「……?」

 

 

露伴の指さす方向へ顔を向けると、そこには一人のウマ娘……黒鹿毛で前髪に白髪のひし形があるウマ娘の姿がそこにあった。そのウマ娘が一体何者であるのか……それはデジタルによっては至極簡単な問題だった。

 

 

「スペシャルウィークさんです」

 

 

肝心なことは、別に彼女がスペシャルウィークであるかどうかじゃあない。露伴はデジタルをみやると、言葉を続けた。

 

 

「……そうか。じゃあ君はスペシャルウィーク君のどこに惹かれているんだ?」

 

 

「……彼女は北海道の出身で、幼い頃にお母さんが亡くなるという境遇。それでも持ち前の明るさでレースに出場して、天国の母と育ての母の2人に活躍を見てほしい。そんなガッツで夢に向かってひた走る姿に惹かれたんです」

 

その答えに満足したように頷くと、露伴は質問を続けた。

 

 

「それじゃあ質問を続けよう。今度はあそこにいるウマ娘……彼女の名前は?」

 

 

「……彼女はキングヘイローさんです」

 

 

「この流れであれば何を聞かれるか分かっているかもしれないが、そうしたら君はキングヘイロー君のどこに惹かれたんだい?」

 

 

先程から岸辺露伴がどういった意図で質問をしているのか。その意図を図りかねながらも、デジタルは言葉を続けた。

 

 

「キングヘイローさん。彼女の母はかつてG1タイトルを多く獲得したウマ娘でした。彼女はそんなプレッシャーをものともせず、キングヘイローとして、一流のウマ娘になるためにどんなにレースで負けても決してあきらめず、自分の道を模索しながらレースに打ち込んでいる。それが……私が彼女に惹かれた理由です」

 

 

「なるほどね……ということは出たじゃあないか、答え」

 

 

「……え?」

 

 

露伴の口から出た、突拍子のない言葉。驚愕の表情を浮かべるデジタルをよそに、露伴は言葉を続けた。

 

 

「スペシャルウィークとキングヘイロー…今あげた二人の惹かれた理由には共通点があった。」

 

 

「……それは?」

 

 

「すなわち『夢に向かって、誇り高く走る』姿に惹かれた。これが全ての始まりってことさ」

 

 

…………!!

 

 

露伴の言葉に、デジタルの目は大きく見開かれる。どうして忘れてしまったんだろう。あたしが幼い頃から惹かれ続けた姿……本当に欲しいもののために、なりたいもののために。時に衝突し、勝利を奪い合うこともある。悔しさに涙する姿も、勝利で打ち震える姿も全部が……ウマ娘ちゃんたちの魅力なのだ。

 

 

「みんな、みんな本気なんです、よね……あたしも覚悟を決めなくちゃあだめ……ってことですよね?」

 

 

勝負の舞台に立つならば、そこに遠慮や引け目といった、余計な感情は無用。全力のウマ娘ちゃんたちに恥じないためには、あたしも一人のウマ娘として覚悟を決めなければならない。そういうことだろう。今までのあたしにはウマ娘ちゃんを推す資格すらない……あまりにも卑小な心持ちだった。

 

 

全てを呑みこみ、そして胸を張って。覚悟を背負ってゲートから飛び出す。それが答え……アグネスデジタルの胸の内に、もう迷いなどどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

02/14 23:30

 

 

デジタルの心の内にある悩みを解決した露伴、ルドルフ、タキオンと亮人たちは情報を整理するためにとある室内の一角に介していた。

 

 

しかしデジタルの問題を解決したというのに、一同の顔は暗い表情が浮かんでいた。

 

 

「今日が期限ですね。露伴先生」

 

 

タイムリープの期限である2月14日。次のループに備えるために唯一記憶の持ち越しをすることができる亮人にこのループでどんな情報を入手したのか、詳細を伝えた結果思いのほか時間がかかってしまった。

 

 

「……それでデジタル君は原因なのかい、露伴先生?」

 

 

「……可能性としてはありえない話じゃあないだろうが、それよりも本命の問題があまりにも大きいというか、重いというべきか。デジタルの問題を解決した今、2月15日を迎えることができなければ、残りの2人が原因である可能性が濃厚になるだろうな」

 

 

ルドルフの質問に対して、露伴は率直な感想を述べる。その場にいた亮人も、チームの残り二人……すなわちナイスネイチャとナリタタイシンの二人の心の内にある問題が、残りのメンバーよりもはるかに問題として根深いことは認識していた。

 

 

「さて、亮人君。そろそろ24時を回るころだ……もしも2月7日に戻ったら、次のループでやるべきことは覚えたな?」

 

 

「……はい。」

 

 

正直なところ、何がループの引き金となっているのか。その原因は皆目見当がつかなかった……やがて時計の長針と短針が頂点で重なり合う。その瞬間、全ての事象が世界の中でたった一人を除いて知覚されることなく、1週間前へと巻き戻っていった。

 

 

 

 

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