翌日露伴から呼び出された基樹は、指示を受けた待ち合わせ場所…現在はほとんど使われていないという倉庫へと足を向けた。
本校舎から離れたとある敷地の一角に、まるで忘れ去られてしまい、時がそこで止まってしまったかのように手つかずの状態でそれはそこにあった。壁は塗装が剥がれて錆が浮き出、屋根はところどころ穴が開き、雨が降ってしまえば室内に容易く降り注いでしまうだろう。恐る恐る扉を手にかけると、鈍い音がするだけでその扉はびくともしない。壁に足をかけることで支点にし、体重を後ろにかけて引っ張ることでようやくその扉は軋んだ音を鳴らしながら反応を見せるのだった。
「やぁ基樹君……彼も来たことだし、それじゃあ話し合いを始めようじゃあないか」
倉庫の中にいた露伴はそうつぶやくと、室内の奥の方へと視線を向ける。そこには二人のウマ娘……一人は鹿毛のセミショートヘアで、澱んだ緋色の瞳を有したウマ娘で、もう一人はエキセントリックな見た目をした、耳や眉の上にピアスを開けているウマ娘、その二人が倉庫の奥で今しがた室内に足を踏み入れた基樹に対して視線を送っていた。
「……露伴先生!?」
どうしてここにウマ娘が?驚愕の表情を浮かべる基樹を、露伴はその手を上に上げることで制する。あらかじめ彼にこのことを伝えていなかったので動揺するのは無理ないが、今欲しいのは基樹の見解、意見であって、感情をぶつけることではない。涼しい表情を浮かべる露伴だったが、その一方で視線は抜け目なく彼女たちのほうへと注がれていた。
「……やはり信頼はされていないようだねぇ」
二人いるうちの一人のウマ娘は仰々しく芝居ががった動作で残念そうに首を振ると、無造作に置かれていたイスに無造作に身を預ける。
「当たり前だ。お前らはウマ娘。協力してやると急に言われたとしても信用なんてできるはずがないじゃあないか。ここに基樹君を呼んだのはほかでもない、君にもこいつらが信頼に値するのか否か、見極めてほしいからだ」
……協力だって?
ウマ娘である彼女たちが、協力するって?意表をつかれた彼女と露伴の言動にぽかんと口を開いていると、そのウマ娘はニヤニヤと、まるで基樹の反応を面白がるように視線を送りながら口を開いた。
「確かに君の言う通りだ……っとその前に、そこの君……安藤基樹君に自己紹介をさせてもらおう。私の名前はアグネスタキオン。そして私の隣でパソコンをひたすらいじる彼女はエアシャカールだ」
エアシャカールと紹介されたウマ娘は、まるで猛禽類のような獰猛で冷ややかな視線を向けながら露伴に対して荒々しく言葉を言い放った。
「別にてめーらに協力する覚えはないが、仕方なく手を貸してやろうって話だ。思い上がるンじゃあねーよ」
どうやら見た目通り、かなり好戦的な人物のようだ。露伴が彼女に負けじと視線を送り返すと、タキオンは静かにシャカールの前に手を差し出して制止を図った。
「シャカール君、今必要なのは協力者だ……お互いにとって利害のあることだし、そう目くじらを立てる必要はないんじゃあないかい?」
その言葉に、エアシャカールは乗り出した自身の身体を椅子に預け、小さく舌打ちを一つすると再びパソコンへと視線を落とした。露伴と基樹は互いに顔を見合わせると、露伴は徐に口を開いた。
「君たちは、一体どうして僕たちと協力しようなんて言いだすんだい?その理由とやらを教えてもらおうじゃあないか」
「……いいだろう。時に君たちは、並行世界という代物についてどう思う?」
タキオンから発せられた、その一言。唐突に投げかられたその意図を掴みかねるタキオンの質問に基樹は思わず首を傾げたが、露伴は顔に硬い表情を浮かべたまま言葉を口にした。
「よくSF映画や小説、漫画なんかで取り上げられるあれのことかい?確かに僕も漫画でそのネタで一本描いたことはあるが」
タキオンはその言葉に口角を引き上げると、衝撃的な一言を口にした。
「この世界は……ゲームなんかじゃあない。あくまで並行世界の一つなんだ」
「……は?」
この目のまえのウマ娘は一体何を言っているんだ?あまりにも自身の想像を上回る衝撃的な発言に、思わず素っ頓狂な声を上げて口をぽかんと開けた。
「君たちの世界にもあるであろう学説だが、宇宙物理学の理論の中に「超弦理論」というものが存在している」
「……素粒子は点ではなく、ひも状であるというあの?」
「その通り。その学説によって、量子力学の多世界解釈や宇宙論におけるベビーユニバースによってその可能性が模索されていた並行世界の理論づけが行われた。だが、通常君たちのような並行世界の住人が私たちの世界に現れることはもちろんのこと、干渉することや認識することは万に一つない、というのが理だった」
そこで言葉を止めると、タキオンはわずかに視線を落とす。基樹の目には、それがまるで彼女がこれから先のことを話すことについて覚悟しているかのように映った。
「……だが、神のいたずらか。それとも三女神の思し召しというやつか。その万に一つない出来事が引き起ってしまったというわけだ。あるアプリ……君たちの世界で流行しているというそのアプリが、こちらの世界と君たちの世界を繋げる橋渡しのような役目をになうことになってしまったわけだ」
「それがウマ娘プリティーダービー……」
天文学的な、万に一つありえなかった可能性。ただのゲームのアプリだと思われていたそれは、実は並行世界を覗き込む役割を果たしていたというのだ。いかにもフィクション作品にありそうな設定ではあるが、自身の身に起こっていることが紛れもない証左であった。タキオンは衝撃を受けている二人の様子を見据えながら言葉を続けた。
「実を言うと、君たちの存在……並行世界に存在するトレーナーを認識しているのは、この世界の私たちだけで、他の並行世界の中の私たちが、君たちのことを認識しているかと言われれば、それは否であると言えるだろう……ある特筆すべき特徴を有した、ある一定の地域においてアプリをしているものに対してのみその存在を認識しているということが私とシャカールの調査によって分かった。」
「……それはつまり、どういう……?」
彼女の口にしたことを半分も理解することができなかった基樹は、咀嚼して話を聞かせてもらおうと言葉を口にするが、その言葉に横やりをいれたのは、意外にも露伴だった。
「……サーバーだよ、基樹君。ゲームというものにはそれぞれ地域によってサーバーというものが存在することがある。全国、いや世界のやつらが一斉に同じサーバーにアクセスしたんじゃあとんでもないことになるからな。つまり、僕らがやっていたアプリのサーバー…そしてこと杜王町でそのアプリをやっているものに対してのみ彼女らがその存在を認識しているってわけだよ、わかったか?」
その先程のタキオンの説明よりも幾分かわかりやすいその説明に基樹が頷いたことを確認すると、露伴はタキオンに視線を戻した。一体どうしてこの世界に自分たちが紛れ込んでしまったのか、という疑問は払拭されたわけだが、いまだに解明されていない疑問が存在することもまた事実だ。
「お前の説明で言いたいことは分かった……だが手を貸すかどうかまた別の問題だ。一体どうしてお前たちは僕たちに手を貸すんだい?」
「良い質問だ」
タキオンは目を細め、こちらに向き直り、シャカールはパソコンを閉じ、イスからすくっと立ち上がる。一体どうしたのかと勘繰る露伴だったが、その静寂は言葉を発したシャカールによって打ち破られることになった。
「お前たちをこの世界に引きずりこんだ……その手法を考え出したきっかけになったのがオレたちだからだ」
「……なんだと?それは一体どういうことだ?」
「…おまえたちの世界を認識できるようになった矢先、私たちは依頼されたンだよ。オレたちにトレーニングの下知を飛ばす、眼前に浮かび上がるスクリーンは一体何なのか。そしてその向こう側にいる奴らは一体何者なのか……オレとタキオンにはまだ担当がついていないし、授業にも真面目に出席するタチじゃあねーから、これくらいの務めは果たせということだったンだろうがな」
「そしてその過程で画面の向こうに表示されるのが、「並行世界」のものだってわかったンだ。このとんでもねぇ事実をどうするべきか考えたが、オレたちはその膨大な情報量を処理するためにAIソフトを作成してその調査にあたらせたわけだ。そしたらそいつが見つけちまったんだよ……この世界と並行世界とを僅かではあるが干渉できる方法を…つまり手を伸ばしてお前らの身体を引っ張り込むくらいの僅かな方法を」
なんということだろうか。自身の窮状を作り出した元凶ともいえる人物が目のまえにいる。立て続けに発せられるあまりにも衝撃的な事実に言葉を失っている二人だったが、タキオンは徐に口を開いた。
「そしてそのことを私たちは依頼主に報告した……そしたらどうなったと思う?翌日私の研究室やシャカール君の部屋に奴らが来て、その事項に関するすべての事物を押収してしまったんだよ。「君たちは日頃危険な活動をしているから、その調査をさせてもらう」と言ってね。その時にAIをインストールしたPCも、AIによって見つけられた並行世界への干渉を可能にする術も、すべて持ち去られてしまったわけだ」
「ま、まさか……君たちに依頼して、そのすべてを横取りしたのって……」
「君の想像通りだよ」
タキオンはうつむきながら同意の意を示すと、徐に口を開いた。
「……君たちの担当ウマ娘。すなわち、生徒会の連中さ」
シンボリルドルフをはじめとした生徒会の面々。この世界ともう一つ別の世界が存在して、自分たちのトレーナーがその世界の住人だったと知った彼女たちは、恐らくタキオンとシャカールに調査を依頼した時点で、並行世界への行き来を可能にする手段が見つかった時点でそれを押収する算段だったのだろう。
「……あのAIは利口なやつだ。オレ達の手から離れた今も奴は並行世界のことを探求し続ける。いずれAIは完全に並行世界に行き来できる方法を探り当てる。それまでにAIをとめなければ、とんでもないことになっちまうだろう」
ルドルフが言っていた余裕はこれに由来している、といったところだろう。既に開発者であるタキオンたちの手を離れたはずのAIは、自律的に学習、発展しその術を今この時も探し続けている。
「も、もし元の世界への行き来が可能になったら、一体どうなるって言うんですか……?」
「……わからねぇのかよ?ウマ娘たちは本来、思いが強い生き物だ。そんなやつらが生身のトレーナーに会える方法があると知ったらどうなると思う?」
恐らく杜王町は……そしてアプリをやっている人々の安全を保障することはできないだろう。恐るべき事実に言葉を失ってしまっていた露伴たちだったが、やがて露伴は彼女たちを見据えると、言葉を口にした。
「……それで?君たちはどうしてそれを止めたいっていうんだい?まさか罪悪感でも覚えたクチか?原子爆弾を作ったオッペンハイマー博士のように」
「……これは私たちの思い描いた…「ウマ娘が走りたい衝動そのままに、その身を焦がす」という世界から逸脱してしまっているからだよ。私やシャカール君は、いわばその思いを胸に日夜研究なり分析を行っている……それを狂愛なんてもののために、貴重な実験材料であるウマ娘たちがそのことから目を背け、自身の欲望をぶつけるなんて、私たちには耐えられないんだよ」
それは、ウマ娘としての切なる願いだった。自身の愛に身を任せ、ウマ娘たちが並行世界へと足を繰り出せば、ウマ娘としての「走る」という、ある種生存意義そのものが薄まってしまう。それをタキオンたちには耐えられないということだろうか。
「……いいだろう。気に入った。協力してやるよ」
常人である基樹には聊か理解しがたい理由だったが、こと岸辺露伴にとっては、それは首を縦に振るには十分たる理由だった。同じく探求者として、彼女たちに対して理解ができる、または敬意を払ったということだろうか。露伴は両腕を組むと、言葉を続けた。
「それで?その完成はいつなんだ?」
「……数日後の駿大祭。その日にAIは並行世界へ行き来する術を完全に発見するはずだ。AIの入った機器に接触できるのは、後にも先にもその時だけだ。そこでAIを完全に破壊して、奴らの陰謀を阻止してやる」
「……いいだろう。乗ってやる。それじゃあ作戦を練ろうじゃあないか」