Muv-luv BreakThrow 技術チートで変える未来 作:あるすとろめりあ改
1986年8月7日
京都帝国大学 邦畿計画事業室
常陸の研究員達は、こちらが提示した設計図や資料を穴のあくほどジックリと吟味し検していたが、遂にその正体まで突き止めるまでには至らなかった様だ。
『須和さん……一体、これは?』
「これはSuperconducting Magnetic Energy Storage……日本語で言えば
SMESとは、超伝導コイルに電流を流して磁気エネルギーの形で電気を貯蔵する装置のことである。
基本的に、電気を貯蔵する際には
また、瞬時応答性にも優れ、駆動部が無いので信頼性や耐久性に優れ、大出力の電気エネルギーの出し入れも容易という多くの長所を持ち合わせている。
「つまり、大雑把に言うと超伝導コイルで造ったキャパシタ(コンデンサ)みたいなものです」
『はぁ、なるほど……しかし何故その様な物を開発しようと?』
「それは戦車にレールガンを搭載する上で絶対に必要になるからです」
レールガンというのは、非常に大喰らいな兵器だ。
例えば、現在アメリカで運用されている主力戦車のM1 エイブラムスなどが使用するAPFSDS弾のM829系統は、装薬を除いてもその弾体の重量はおよそ10kgにも及ぶが……この10kgを2.5km/sで飛ばすとすれば30〜40MWの電力を消費することとなる。
これは巡洋艦の主機出力のレベルであり、鳳翔に搭載したMHDジェネレーター1基分に相当する訳だから、如何にこの大電力を供給するかが鍵となる訳だ。
では、鳳翔にも搭載したMHDジェネレーターをそのまま戦車にも搭載する……なんて単純な話であれば楽だったのだが。
そもそも戦車に搭載できるスペースには限りがあるので、小型のマイクロMHDジェネレーターを搭載するとなれば、その出力は3MWが限界。
つまり、これを10秒ほどチャージした上でなければレールガンを発射するのは不可能ということ。
『バッテリーでは駄目なんですか?戦術機にも使われているっていうマグネシウムバッテリーとかは?』
「バッテリー、二次電池というのはその特性上エネルギー密度が高く電圧も一定に保てるので長時間の運用には向いていますが、出力密度は低くて瞬時応答性にも乏くて不向きなんです」
つまり、SMESやキャパシタは短距離のリレー選手でバッテリーは長距離のフルマラソン選手といったところか。
特にレールガンはその速度を出す為に電圧(V)よりも電流(A)が重要であり、10mの砲身で10kgの重量を2.5km/sの速さで発射するには凡そ2
これはレールを長くしたり磁束を強くすればもう少し緩和できるが……戦車というのはその運用上の都合から最大長は10mを下回るのが望ましく、装弾装置などの配置の関係からも10m以下の砲身を採用する他にない。
そういう訳で、出力密度がキャパシタよりも高い水準のSMESを採用してレールガンへの給電を賄う。
「まずは小型化の為にコイルの構造そのものを見直さなければなりません。理論上、直径30cmの長方形の1ユニットで10kWh程度の電力を蓄えられる様になる筈です」
『えっ、それって……』
『体積密度がおよそ400Wh/lになるから……リチウムイオン電池と殆ど変わらないぞ……?!』
さっきの短距離と長距離の話は何だったんだと言われそうだが、これは性能を維持したまま小型化するとサイズ比で性能が上がった様に錯覚する、言わば意図せぬ副産物みたいなものだ。
さて、SMESの構造としては半導体のウェハの上にコイルを螺旋状に配置してそこに薄膜をコーティングするのだが、ただ螺旋状にコイルを乗せても電流を流すと電磁応力という外側に引っ張られる力が作用して薄膜を剥離してしまい超伝導状態を破壊してしまうという性質がある。
なので、このウェハに溝を掘ってその溝に沿ってコイルを形成すれば、ウェハが壁になって電磁応力が働いても薄膜には影響を与えなくなり、超伝導状態を維持できる様になる。
ちなみに、この電磁応力はコイルにおいてはフープ力と言うが、もしも仮に一周だけのコイルを用意してどこか一片だけを切り取ると、その切り取った部分だけが力に耐えきれずに外側に飛び出してしまう。
これは電流を増やしてそれに伴い磁束が強くなると外へ向かう力も強くなり、より遠くへと飛ばされるが……この一片だけを切り取ったコイルというのを螺旋や円では無く縦に長くしてレールにしたものこそ、レールガンなのである。
円ならフープ、レールならローレンツ(ローレンツは人名だが)という訳だ。
そして、このディスク状になったコイルをウェハ結合させて積層していく。
600枚積層したものを4つ纏めて1つのユニットとし、このユニット1つで先ほどの10kWhの容量になる。
あとは一度に充放電できる容積を増やしたければ、ユニットを多数搭載するか、積載数を増やして専用のユニットを作るか……
「なにはともあれ、作ってみなければ問題点もわかりませんし……よろしくお願いします」
レールガンのエネルギーに関しては、恐らくこれでどうにかなる筈だ。
とは言っても、これからレールの材質だとか砲塔の構造などを詰めなければいけないので、SMESが完成すればすぐにレールガンが作れる訳ではないが。
それでも、今年中には試射が行えるのでは無いかな、と見積もりながら常陸との通信を切って、次の仕事に頭を切り替えた。
○
1986年8月11日
京都 久賀邸
『中東の油田はBETAの侵攻により破棄を余儀なくされ、それに伴い世界はエネルギー枯渇の危機という問題に直面しており──』
「そう言えば、最近は電気代もどんどん値上がりしちゃってるなあ」
「そうだね、日本は火力発電の割合が高いから……」
ニュースでは時折、思い出したかの様に石油や石炭などの資源が不足する事に対してコメンテーター達がああでもないこうでもないと身にならない議論を続けていた。
中東の原油埋蔵量は1986年現在では世界の6割にも及ぶと思われており……後の時代に3〜5割程度と見直されるが……その大量の資源が喪われるとなると、世界の勢力図もおのずと書き換わる事は明白である。
中東に次いで原油の埋蔵量が多い陸地は南米、特にベネズエラであり、実は世界一の埋蔵量を誇っていると思われたサウジアラビアよりも10%以上多く眠っているが、これはまだ世界に知られておらず、確か発覚するのは掘削と調査技術が発展した2010年頃。
とは言え、現状においてもカナダ、北米、南米を合わせて世界の3割以上の原油を排出しているのだから、増々アメリカ大陸の力は増長していくだろう。
石油が足りないとなればその代替、天然ガスやメタンハイドレートは使えないのかという話になってくる。
確か日本の周辺には大量のメタンハイドレートが眠っている筈だろうと、しかし話はそう単純ではない。
メタンハイドレートというのは、低温かつ高圧の環境下において天然ガスの主成分でもあるメタンガスを水が包み込んだ
しかし、穴を掘って貫通させれば地底から吹き出てくる原油や天然ガスと異なり、メタンハイドレートは海底深くに埋没する固体なのでその回収は困難を極め、はいそれと採ってくる訳にもいかないのだ。
一応、これを溶かしてメタンを抽出したり減圧したりと採集する方法はあるのだが……これを原油の代替となるレベルまで大量に回収するとなるとコストパフォーマンスは劇的に悪く、原油の10〜100倍まで膨れ上がる。
しかも採掘量が多ければ多いほどコストが嵩むという悪循環だ。
しかし、だからと言ってそれを手放せる程にBETAという存在が優しいわけもなく……戦術機にしても推進剤を廃することが出来てもその推進剤の代わりとなるエネルギーを供給する為にはMHDジェネレーターが必要であり、その為の熱源の為にはやはり原油やLNGといった燃料を廃することができない。
だから人類がBETAと戦い続ける為にはコストが云々と言っている暇は無く、それを技術でなんとかする必要性が求められている。
だがこればかりは……掘削できる様にするだけでなく、メタンハイドレートを気化して天然ガスとして運用できるようにする環境や設備の構築も必要になるので、5年や10年単位の時間を要するだろう。
既に調査と研究目的の掘削自体は始まっているが……まともに扱える様になるのは2000年代になるだろうか?
「あー、恭太郎さんまた何か考え事してますね?」
「ん……ごめんごめん、ちょっとニュースが気になっちゃってね」
「駄目ですよぉ?今日は恭太郎さんもお休みなんですから私の話し相手になって貰うって約束なんですから」
「うん、もちろんだよ」
「そうだ、それならいっそ気分転換に何処か遊びに──」
しかし、玫依ちゃんの言葉を断ち切る様に座卓の上から弾む様な電子音が鳴り響き、その声を途絶えさせてしまう。
おやおやとその音の主に目を向けると、外務省の政務次官を務める国会議員の名前が表示されていた。
外務省、という文字に何となく嫌な予感がして触れるのに躊躇してしまう。
「これが、前に言ってた携帯電話ですか?」
「うん、これはまだ試作品で、発売は今年の秋頃になると思うけど」
「なんて言うか今までの電話と違いますよね……私、今まで手鏡か何かが置いてあるのかと思ってましたよ」
「あー、画面が大きいからね……使い慣れない人もいるだろうから従来の電話子機みたいなデザインのも同時に出してそれは対応するつもりだよ」
「あの、出なくて良いんですか?」
「そうだった」
流石に無視することも出来ないので、画面の受話アイコンを押して、従来の電話と同様にスピーカーを耳に当てる。
「はい、もしもし?」
『ああ繋がった……須和恭太郎さんのお電話でお間違い無いでしょうか?』
「大丈夫ですよ。どうされましたか?」
『ええ、実はその……少し困った事になりまして……個人的に相談したいのでお会いしたいのですが、ご都合は如何でしょうか?』
「はぁ……そう、ですね。明日の昼以降でしたら何とか」
『是非お願いします!』
「構いませんが……電話では駄目なのですか?」
『何分、政務に関わる事ですので電話口で話す訳にも……』
外務省の人間が政務と言うのだから、十中八九外交問題であろうな。
何でそんなものをコッチに持ち込んでくるかなという煩わしさがあったが、しかし外務省には外交上の交渉や手続きなどで尽力して貰ったので無碍にすることも出来ない。
その話に了承して電話を切った。
「はぁ……」
「仕事の電話ですか?」
「うん……残念ながら明日からまた東京に行かなきゃいけないみたいだ」
「えーっ?!」
「でも今日は休みのままだから……さっき言いかけてたけど、今からどこかドライブにでも行こうか」
「あ……はい!行きましょう!行きましょう!」
本当であれば、自分の匙加減一つで何時でも出勤にも休日にも出来る筈なのだが……特に最近は連休を取れたためしがない。
何時になったら僕はゆっくりできるのでしょうかねぇ?
○
1986年8月12日
東京府 外務省 庁舎
最早、そろそろ庁舎や政務施設に足を踏み入れる事自体には緊張感が薄れて慣れが生じつつある今日この頃。
東京駅の丸の内側に降り立つと、既に迎えの車が待機しており、
そしてスムーズに、この会議室まで通されると既に呼び出した政務次官が待っていた。
「それで、私に話というのは?」
「その……これは、まだオフレコなのですが……」
「はい」
「実は、アメリカが日本に対して原油の輸出規制を……いえ、もう殆ど実質的な輸出制限を掛けてくる予定です」
「わあ……っ?」
寝耳に水とはこのことだった。
そう、それは昨日のニュースでも語られている程で、今のアメリカは石油などの多数の資源を抱え、更に世界における外交的ウエイトを占める割合は高くなっている。
そのアメリカの鶴の一声で「石油を売りません!」と唱えれば、今の世界において一つの国を干上がらせるには十分過ぎるのだ。
「アメリカの言い分としては、世界情勢を踏まえて経済的にも逼迫しているユーラシア大陸諸国や、難民を広く受け入れている国に優先して資源を回すべきであると」
「日本としてそれが許せるかは兎も角として、言っていること自体の筋は通っているので、日本としても抗議や反論は難しいでしょうね」
「そうなんですよ……」
しかし、アメリカ大陸に眠る資源を世界中で消費したとして、どんなに少なく見積もっても100年は枯渇する事は無いだろう。
要するに、これはユーラシア大陸云々は飽くまでも建前であり、その本質は日本への嫌がらせに他ならない。
彩雲の一件からアメリカは日本が経済的にも軍事的にも少なくない影響を与えると判断して、まずは制裁の前段階として警告として牽制してきた、というところか。
「具体的には、どの様なことを?」
「まずは冬の前に輸出額をほぼ倍に底上げ、そしていずれは輸出量そのものに制限を設ける計画の様です」
「待ってください、やけに詳細までご存知なんですね?」
「ええ……実は、情報省から齎された情報でして」
「なるほど……」
情報省とは日本における諜報機関の名で、言わば和製CIAといった具合だ。
アメリカ政府なのか、その関連機関なのかまでは定かではないが、そこにスパイを潜ませていて得た情報を外務省にリークしたというところか。
まあ、ここでは明かさない様な詳細も情報省は得ているのだろうが……
「ん、んー……それで?何故、その話を私に?」
「輸出額が2倍になれば、当然ガソリンや灯油の値段にも影響を与えます。北海道などの雪国では、それこそ多数の凍死者が出かねません」
「はい、そうですね」
「ですから、何とか安定して原油を確保する手段や伝手をお持ちでないかと思いまして……」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ?!そういう交渉をするのがそもそも外務省の仕事でしょ?なんで部外者の私に頼むんですか!」
「須和さんなら何か我々も知らない海外とのパイプとか、それこそ日本の周辺に秘められた原油を掘削する機械とか作れるんじゃないかと」
「冗談じゃない!人を漫画に出てくる未来の世界の猫型ロボットか何かとか勘違いしちゃいませんか!?」
そんな都合の良い道具が思いついてたら、ただでさえ資源の乏しい日本という事情を踏まえたらこんな状態になる前に提案しているよ。
まったくもって冗談ではない。
「あー、うん、まあ……一応、考えてはみますが、あまり期待はしないでくださいよ……」
「はい、ありがとうございます」
しかし、本当にアテがない。
彩雲で出来た縁を辿ったとしても、国土が無事な国と言えばイギリス、インド、オーストラリア……
イギリスはそこそこの原油輸出量を誇っていたが、果たして今の情勢で日本に石油を売る余裕があるだろうか?
オーストラリアに至っては、天然ガスの埋蔵量と輸出量はアメリカにも勝るとも劣らぬレベルであるが…………80年代のオーストラリアは全然天然ガスを輸出しておらず、むしろウランと石炭が殆どなのだよな……
それならば、市井への石油使用を制限して備蓄に努め、石炭や天然ガスを輸入してそれで火力発電を…………したらしたで、その弱みにつけこまれて何かちょっかいを出してきかねないのだよな、アメリカという国は。
「どうしたものか……」
庁舎を後にして、東京駅へ送り返してくれる車内で頭を抱えながら考えていると、スーツのポケットにしまっていた携帯電話に着信があった。
誰からだろうと画面を見るが、しかしそこに記されているのは見知らぬ番号。
はて、一体誰だろうかと疑問に思いながらも電話に出ることにした。
「はい、もしもし?」
『お久しぶりですね須和さん、古鍛冶です』
「こ、かじ……!?」
そのねっとりとした声と名前に、思わず目が細くなるのを自覚してしまう。
しかし、彼女はこの携帯電話の番号を知らない筈だ。
それなのに、どうやってここに掛けてきた……?
「あなた、どうやってこの番号を知ったんですか……?!」
『え……?邦畿計画の事務所にお尋ねしたら、こちらに繋いで頂いたのですが……?』
「あ……」
転送電話だ。
確かに、京都帝国大学を経由すれば、この携帯電話の番号を知らずとも通話する事が可能だった。
しかしナンバーディスプレイには転送電話であるという表示がされないから……これは不便だな、商品化する前に改良しておこう。
「ああ、失礼しました。それで、ご要件は?」
『須和さん、今東京にいらっしゃいますよね?それでしたらお会いしませんか?』
「なんでそれを……ああ、外務省……」
この人、どうにも外務省とコネがある様子なんだよな……
つまり、あの政務次官が須和恭太郎を呼び寄せたという情報を外務省の誰かが古鍛冶サラに流したのだ。
なんということだ、個人情報保護もコンプライアンスもプライバシーもあったもんじゃない。
後で厳重に抗議をさせていただこう。
『多分、須和さんも興味のあるお話をできると思いますわ……石油輸出規制、とかね?』
「…………っ!」
ひどい。
これが、イギリスのMI6由来の情報であるならばまだ良いが、もしもこれも外務省から漏れた情報なら、本当にヤバい。
そんな外交機密情報を外部に漏らしてたら、本当に日本はアメリカに骨抜きにされてしまうぞ?
頼むからボンドから聞いたとか言ってくれ。
いや、怖いから聞かないでおこう。
「…………今日は無理です、会うなら明日に」
『そうですか、でしたら明日の15時にRPジャパンでお待ちしておりますね』
「はい、それでは…………運転手さん、申し訳ないですがUターンしてください。予定が変わりました」
本当であればこのまま京都へとんぼ返りするつもりだったのだが、予定変更だ。
とりあえずは情報省に向かって準備を行うとして、今日の宿はどうするか……日帰りのつもりだったからホテルを取っていない。
仕方ない、迷惑かもしれないが今日は実家に泊まらせてもらうとするか。
「もしもし鎧衣さんですか?はい、須和です。実は以前にお願いしていた資料と、少し相談が……そうですそうです、はい、外務二課?わかりました、お願いします」
情報省の官僚……つまり、この国のスパイの一人に連絡を取る。
敵地……まあ、相手の懐の中へ乗り込むのに、まさか何も手札を持たずに無防備を曝す訳にもいかないからな。
相手がまともに交渉をするつもりがあるのなら、なんとかなる筈だ。
しかし玫依ちゃんと澪月さんには悪いことをしたな。
本当なら明日からのお盆には澪月さんが正月振りに帰ってくるというのに……
ああ、そうか……気が引けるが二人にも詫びの電話を入れなければならないのか。
これも全部、情報を漏らした外務省のやつの仕業だ、鎧衣さんに見つけてもらって相応の報復を受けて貰おう。
○
1986年8月13日
東京府 港区 RPジャパン本社
RP、ロイヤル・ペトロリアムはイギリスに本社を置く石油関連企業であり、1940年代〜70年代までの世界の石油の生産事業のほぼ総てを牛耳っていたセブン・シスターズの一角であった企業だ。
そして、その日本支社の社長を務めている人物こそが古鍛治サラ……だが、それは本名とは些か異なる。
偽名という訳でも無いのだが、古鍛治というのはミドルネームであり、イギリスの戸籍的に正しい名はサラ・古鍛治・フェアチャイルド。
19世紀においては世界最大の私有財産を有し、20世紀の現代においても世界各地にその影響力を与え続けている一族──それが、フェアチャイルド家*1だ。
未だにアメリカのクロックフォード家*2と共に世界有数の資産家として知られ、事実か虚実かも定かではないが様々な陰謀に関わり世界を裏から操っている……などと黒い噂も絶えない。
そんなフェアチャイルド家の、ロンドンに根差した一族の末裔の1人こそが彼女、古鍛治サラというわけだ。
古鍛治という名は彼女の母親、日本人女性の旧姓をミドルネームとして名付けられ、そして日本人には通りやすい様に古鍛治サラと名乗っているのだとか。
「須和恭太郎さんですね、こちらへどうぞ」
「…………」
情報省から得た古鍛治サラに関する資料の内容を車内で反芻していたら、いつの間にか目的地に到着していたようだ。
社屋の駐車場には既に社員と思しき者達が3人ほど待ち構えており、停車するやいなやドアを開けて案内してくる。
事前に時間の取り決めもあったので、こうやってスムーズに物事が進むのは良い事だ。
そしてエレベーターで最上階へ。
こういった社長室や会長室というのは何度か訪れた事があるが、ここはさほど奇をてらっていない、シンプルなオフィス兼応接室といった風の部屋で、過度な調度品や家具も無く、ただマホガニーの机と本革の椅子はメーカーこそ存じないが、まあお高くて、良い椅子なのだろうなということは無知なりに理解が及んだ。
当然、その部屋で待ち構えていたのはサラ・古鍛冶・フェアチャイルド……もとい、古鍛冶サラその人であった。
「お待ちしておりましたわ、須和さん」
「ええ、それはどうも」
正直、乗り気でここに来たわけではないので返答の言葉は日本語としてもTPOとしても不適切なものであった事はわかっていたが、一度出してしまった言葉は飲み込めないし、こちらの意思表示ということにしておく。
それを察してか肩をすくめながら先に着席し、手を差し伸べる様にして対面の椅子を差しながら促してくるので、それに従ってこちらも着席する。
さて……その口からはどの様な言葉が飛び出すのだろうか?
「早速本題に入りましょうか」
「ええ、そうして頂けると幸いです」
「私としては、須和さんとゆっくり世間話もしたかったのですが、ね」
「…………」
「まあ良いでしょう。昨日もお伝えした通り、アメリカの日本に対する原油の輸出規制についてですわ」
「何故その話を貴方が知っているのかは敢えて聞きません。というか、聞くのが怖い」
「それは賢明ですわね」
「それで……?」
「イギリス本国のRPが所有する油田の採掘権、その半分を購入なさいませんか?」
「……つまり、その油田の生産量の半分を日本が好きにして良いと?」
「ええ、そういうことですわ」
「ちなみに、その油田の詳細は?」
「北海にある油田で、生産日量は合計50万バレル、半分ですから25万バレルですわね」
「ん、いや、それは……しかし、それほどの油田を売るとして、幾らの値札を付けるつもりなんですか?」
日本の一日の原油消費量は約400万バレル、つまりその1/16の量ではあるが、これを自由に扱えるというのは非常に強みになる。
これはつまり、1日に約15億円分(2022年現在の貨幣価値に換算すると20〜40億)の収入を得られるのと同義なのだから。
火力発電ではなく、より効率の良い大規模なMHD発電所を幾つも建設すれば……他所からの輸入と石炭や天然ガス等の他の資源との合算で、エネルギーを賄える可能性がある。
しかし、逆にそれだけの収入が期待出来る油田なのだから、その採掘権を購入するとなればかなりの金額となるのは明らかだ。
何十兆、何百兆という値札を付けられても不思議ではないが……そこまで行くと日本の年間国家予算を越えてしまう。
故にこの話が締結したとしても一括ではなく分割払いということになるが……果たして何十年という単位で日本に大きな負担が伸し掛かるのか、計り知れない。
さあ、どう出てくる────?!
「代金は、あなたですわ」
「…………は?」
「ですから、油田と須和恭太郎を等価交換するという事ですわ。私、少なく見積もっても貴方一人に1兆ドル以上の価値があると見込んでますの」
何を言っているんだ、こいつは?
1兆ドルの男、須和恭太郎!(ただし、時価とする)
ちなみに、現実ベースで考えると1986年当時の地球の総ての国のGDPの総和が約15兆ドルなので、地球の1/15の価値があると見積もられています(1986年アメリカのGDPは約4.6兆ドル、日本が2.1兆ドル)
ああ、つまり1986年日本の半分は須和恭太郎に支えられていると言っても……過言ではないのが怖いな
★参考資料
・SMESについて
https://shingi.jst.go.jp/pdf/2018/2018_aist-nagoya-u_6.pdf