Muv-luv BreakThrow 技術チートで変える未来 作:あるすとろめりあ改
1987年9月27日
東京府 港区 赤坂
「それでは私達は控えておりますので」
「すみません、お願いします」
礼をしながら下がる仲居を見送ってから軽く1杯、おちょこを呷る。
今の仲居も、これからここに運ばれてくる料理を調理する板前も、そして周囲の個室を陣取る者達も総て情報省の諜報員だった。
つまり恐縮な事に、古鍛冶サラと会合する俺の為に彼等は態々変装してまで警護を担ってくれている訳だ。
警護と言えば民間の警備員か、公的なものであればSPと呼ばれる警視庁警備部警備課の警察官や警察庁及び各道府県警に設置されている警備課や警備部といった物がある。
しかし、SPというのは基本的に内閣総理大臣や国会議員、最高裁判所裁判官、もしくは外国からの要人などがその警護の対象となり、また警察庁の方は施設や行事の警備という意味合いが強く、個人の警護を行わない訳ではないがSPの援護や道府県知事等を対象とした警護任務が主だ。
須和恭太郎という人間は、あくまでも民間人であり、国益に大きく関わる立場として公安的な警護対象であると認定されたとしても、先日の記者会見の様な場であればいざ知らず、日常的な諸用まで警護の手が及ぶ程ではない。
そこで、情報省が出張る事になるのだ。
情報省は日中戦争下にあった1938年に戦時における諜報および防諜の為の組織として帝国陸軍内で設立された陸軍防諜研究所、また1940年にその養成機関である陸軍中野学校の流れを汲む諜報機関であり、現在はその名の通り軍部からは切り離されている。
日本国内におけるスパイやテロリストへの対策の様な公安任務を、また日本国外においては政治・経済に関する情報収集および情報工作を任務としており、イギリスで言えばMI5とMI6を、アメリカで言えばFBIとCIAを束ねた様な組織という認識で概ね相違ない。
また先程にも挙がった警察庁警備局公安課、いわゆる公安警察も日本には存在するが、これは情報省とその祖を同じくする血を分けた兄弟の様な存在であり、その組織的な連携は良好で、逮捕権を有さない情報省の穴を埋める様な役割を担う。
更にこの公安任務の一環として、安全保障上および日本への国益的な観点から監視や護衛が必要であると定められた者への警護任務も行われており、つまり俺はその対象になっているという訳だ。
古鍛冶サラは少なくともフェアチャイルド家の令嬢であり、更にクロックフォード家とも親族関係にあるということは、MI6やCIAといった各国の諜報機関との関係性も疑われる立場にあるので、無防備に接近する事は己の身だけでなく日本という国を危険に晒す可能性がある。
故に、周囲にいる者達は公安任務を担う公安課と外国への諜報活動を行う外務課の両方の部署から配されていた。
「失礼致します、お連れ様がお見えになりました」
「ああ、ではそのまま通してください」
「かしこまりました」
そうこうしている内に、古鍛冶サラが店に到着した様だ。
腕時計を覗くと、時刻は約束の10分ほど前。
これは、こちらの感覚に合わせて貰えたと解釈して良いのだろうか。
西欧の人間は時間に対してルーズなきらいがあるが、それでもイギリス人やドイツ人は 比較的時間感覚は真摯で、日本人の几帳面というか神経質な時間感覚に合わせようと思えば合わせられる対応力がある。
まあ、そもそもビジネスであれば5分前や定刻に辿り着く様にすると聞くし、会食やパーティーに遅れる様にして行くのはそれはそれで向こうでのマナーだとのことだが。
「お待たせしてしまいましたでしょうか?」
「いえ、今来たところです」
一礼してから、古鍛冶サラは対面の席に座る。
もしも料亭と聞いて、いわゆる座敷の様なものを期待していたのだとしたら申し訳ないが、今回はテーブル席とさせて貰った。
彼女が正座に慣れているとは思えなかったし、また警護の関係上この料亭の間取りではここが最適だったというのもある。
「これが懐石料理ですか……コースディッシュともまた違った物なのですね」
「そう言えば、日本には長いんですか?」
「いいえ、母に連れられて何度か訪れた事はありましたが、実際に住む様になったのは一昨年からですね」
「なるほど」
であれば、あまり和食に馴染みが深い訳でも無いのだろう。
先日の電話の時も生魚へ忌避感がある様子だったし、今日出されているのは料亭らしく懐石料理なのだが、事前にお造りではなく刺身代わりとして酢物を出してもらう様にお願いしていたが、どうやら正解だった様だ。
ヨーロッパでもマリネやカルパッチョという形で魚を酢漬けされた物が食されてきた歴史があるので、恐らくこれであれば刺身をそのまま出すよりはマシであろう。
「以前、お寿司をご馳走になった事があるのですが……その、食感と言いますか、臭いが苦手で……」
案の定、一見して刺身と似たような外観をしている酢の物に怪訝な視線が注がれていた。
「ちょっと失礼……うん……これは、鯛という白身魚にお酢を染み込ませた昆布という海藻で包んで味を馴染ませた物ですね。鯛は生でも比較的クセの少ない魚ですし、隣にあるポン酢という柑橘のソースに浸してから食べると、より臭みは少なくなると思います」
「ん………あっ、本当に」
生魚独特の生臭さは昆布締めとポン酢の影響で殆ど感じられなくなっている。
まあ、彼女にとって食事は主題ではないのだろうが……それでも、折角食すからには美味しく召しあがって貰いたいと思うのが心情だった。
そして互いに食事を終えると、古鍛冶サラは茶を恐る恐るといった手前で啜りながら話を切り出す。
「さて……それでは軌道エレベーター建設に関する東南アジア情勢についてお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「要はあなたが知りたいのはインドの戦略方針と政策についてですよね?」
「ええ」
「…………まあ、差支えのない範囲であれば」
現在、インド戦線の情勢としては西方ではBETAの攻勢の膨らみからパキスタン側の侵攻を許し、ジャンムーに防衛線を構築して何とか踏みとどまっている状態であり、東方ではブータンが陥落した為に連鎖的にアッサム等の地域はBETAの手に墜ちた。
そこでネパール、バングラディシュ、ビルマ(ミャンマー)、そしてインドの各国軍とで連携し、現在は戦線を押し戻す為に奮戦しているが……如何せん、山岳地帯であるが故に部隊展開が思う様に行えていないのが現実である。
「インド政府およびインド国軍は既に陥落した中東とヨーロッパの状況を踏まえて、現状から換算して長くても5年程度でインド本土全域がBETAに支配されるという予測を立てています」
「…………」
「そこで、彼等は非常に大胆な戦略を立てました。つまり、インドそのものを捨て石にしてしまう作戦です」
インド国軍はこれまでのBETA戦禍の分析から、BETAは山脈地帯と水深の深い河川や海等の水系ではその侵攻スピードが大きく落ち込むことに注目。
東方に関しては、ヒマラヤ山脈を水源とし水深が16〜40mにも及ぶガンジス川がビルマ以東を分断する様に拡がっており、16mといえば突撃級の全長がすっぽりと収まる程であり、更に40mとなれば要塞級の巨大な体躯の実に7割に相当する為、BETAの侵攻を遅らせるには充分である。
西方からは、ヒマラヤ山脈を突破された首都ニューデリーを始めとする北インドに関しては広大な砂漠と平原で侵攻を妨げる様な地理ではないが、中央から南にかけてはサトプラ山脈と東西ガーツ山脈で逆三角形に囲まれる様にデカン高原があり、平均して標高1000m程度の低い山脈地帯であるが故にヒマラヤ山脈程の鉄壁では決して無いが、それでも何もない平原と比較すれば充分にBETAの歩みを阻害できる。
これらのインドの地形を利用した天然の要塞とし、効率的な防衛戦術を構築した上で時間稼ぎを行い、ユーラシア大陸全土への反攻作戦に備える腹積もりなのだ。
また、インド軍は撤退しつつその本機能を徐々にスリランカとビルマに移管させ、また国民はインドネシアのスマトラに避難。
その上で、インドネシア・インド・日本で交わされた同盟および条約に則りスマトラをインドに割譲することで首都機能と国民を含めた、インド国そのものの大移動を敢行する事に。
「インドネシアはまた……随分と太っ腹ですわね?」
「まあ、もちろんタダではありませんよ……」
インドネシアとしても、インド洋を越えてマレー諸島までBETAが到達するのは避けたいところ。
それ故にインドが己の国の本土を捨て石にしてまで食い止めてくれるというのであればそれに報いたい、とは実際にインドネシア外相の口から出てきた言葉らしい。
しかし、勿論そういった温情的な側面だけでなく、外交面や経済的なメリットからインドネシア側も受け入れを認めた訳であるが。
まず、この民族大移動とも言うべき最中に、インドはその本土にある資源を総て掘り尽くす勢いで開発し、これをインドネシアに輸送していく。
インドの地下には鉄鉱床を始めとしてボーキサイト、チタン、石炭、グラファイト、ダイヤモンド、その他様々なレアアースが眠っているが……これらの資源もBETAの侵攻を許し、あまつさえハイヴを建造されてしまった日には回収は絶望的になる。
更に言えば、その埋蔵量は世界でもトップ5の規模であり、これが死蔵されてしまうのは世界的にも大きな損失だ。
であるからできる限りこれを回収して、戦術機を始めとした各種兵器、および軌道エレベーターやそれを支える人工島の原料とする。
これは“インド”となった“インドネシア”で生産されていく事になるが、しかしそれでも結果的にインドネシアは大きな工業力を持つことに繋がり、更にインドネシアとして企業の土着が進めば将来的に大きな力になる。
それは軌道エレベーター周りでも同じこと。
軌道エレベーターそのものは日本で建設し管理する訳だが、土地というか海域はインドネシアが提供するので必然的にその使用料が発生し、更に物資の中継や軌道エレベータを利用する者の宿泊、滞在などで落とされる経済効果を鑑みると、インドネシアに対して大きな利潤をもたらすことに。
「この為に必要な輸送コストや手段、戦術機や軌道エレベーターを製造する上での技術は日本が提供……もとい、インドに対して貸し付けます」
「ふむ……」
「これは日本側にとっても利はあります。そもそも日本は国土面積の実に75%程度が山間部なので地理的に大工業地帯を作るのに向いていません。そこでスマトラに戦術機を始めとした兵器工廠を並べた工業団地を作ることで日本を含めたアジア諸国に充分な装備や兵站を供給するラインを構築できます」
「オーストラリアに日本企業の兵器の製造機能を移管するという計画はどうなるのですか?」
「よくご存知で……ええ、それに関しては数年前からオーストラリアに限らずニュージーランドやインドネシアを含むオセアニア諸国と個別に調整しています。オーストラリアはカグツチ鋼を製造するのに欠かせないボーキサイトとチタンの生産量が世界一であり、更に製造過程で必要不可欠な水素を製造する上でも豊富な褐炭がありますので……インドネシアはOFRPが中心だったところ、規模が拡大する形になりますね」
古鍛治サラはこちらの話に「ふむふむ」と相槌を打ちながらも食後のデザートにと新たに配された茶菓子を頬張って、随分と堪能している様子だった。
しかし、どうにも腑に落ちない。
この程度の情報は調べれば容易に出てくるし、投資の対象として判断するにしても、素人でも儲かると踏み込める様な案件だ。
かと言って話題に踏み込んだり掘り下げてくる様子もなく、その目的とするところが測れない。
「…………あの、良いですか?」
「はい?」
「インドの話を聞きたいと言っていた割にはあまり乗り気では無さそうといいますか……実際の用向きは何なんですか?まさか、食事そのものが目的という訳ではないでしょう?」
「いえ、そのまさかですけれども?」
「…………はい?」
「だから言ったではないですか、須和さんの為に尽力した労いとして食事に連れて行って欲しい、と」
「いや、ん……確かにそうでしたけど……ですが、インドの事をお訊ねしたいとも」
「ああ、それは飽くまでも話題と言いますか。ただ食事をするだけというのも須和さんに負担でしょうし、何よりあの会話を切り上げるのに適当な返しも浮かびませんでしたから……」
「…………」
こちらが気負い過ぎただけ、だとでも言うのか?
いやしかし、彼女が事ある事に語る様に、実際に今回の軌道エレベーター周りの根回しはそれなりの労力と資金を要した筈だ。
それなのに、それで要求するのが食事を共にする事だけだと……?
「ぅん、もう少し、ご自身のことを客観的に考えてみては如何でしょうか?」
「はい……客観的?と言いますと?」
「そもそも、須和さんとこうやって会食を行える機会を得られること自体が非常に貴重なのですよ?何せ、今の須和さんはその気になれば日本どころか世界を左右する程の発言力と技術力を有している訳ですからね」
「う、うん」
「それに私は以前の事が事ですからね。他の方よりもこの場に立つ為のハードルが高いですから、それ以上を望んで気分を損ねるようなリスクは犯せません」
「ああ……そこはちゃんと考えていたんですね」
「それは、まあ……あの時は私も事情がありまして手段を選べなかったと申しますか……」
その事情とやらは知りようが無いが、少なくともあのハニートラップ紛いの件については罪悪感自体はあるようだ。
だとしても、割とこちらは身内に被害が出ているのでそう簡単に赦してやるつもりはないが。
「まあいいでしょう……欧州や国連への交渉の伝手を持たない以上、またいずれ貴女の力を頼らざるを得ない時も来るでしょうから、コチラとしても良好な関係を築いていきたいですしね」
「そう言って頂けると、こちらもありがたいです」
実際、軌道エレベーター建造の為の工作は外務省や情報省の力を借りても年内に達成することは不可能だっただろうし、国連に大きな影響力を持つキーマンと関係を構築できるというのは、中々に得がたい縁であった。
また……これは、出来る限り手を出さないに越したことはないのだが、やはり技術者としてはG元素によるブレイクスルーは魅力的だ。
勿論、可能な限り地球上の物質で整えたいが、特殊な重力場や室温常圧の超伝導体などはG元素でも無ければ実現は不可能。
既存物質による再現を行うにしても検証をする為にはやはりオリジナルのG元素を確保したいところ。
それに付随して、いずれ日本そのものがオルタネイティヴ計画に携わって行く事を鑑みれば……それとは別ルートからの国連とのパイプは確保しておきたい。
オルタネイティヴ第4計画およびその根幹たる00ユニットの内容如何によっては……香月夕呼を出し抜く必要までありえるのだから。
問題は……古鍛治サラの真意が計り知れないことか。