Muv-luv BreakThrow 技術チートで変える未来 作:あるすとろめりあ改
1989年7月9日
京都 上京区 久賀邸
「おかえりなさい、恭太郎さん」
「…………うん、ただいま」
今日中に片付けておかなければならない仕事を終えて、結局家に辿り着いた頃には既に日付は変わってしまっていた。
にも関わらず、戸を開けてみると玄関にはカラカラと弾む様な笑顔を浮かべた玫依ちゃんの姿が。
つまり、こんな遅くまで起きて待っていたということなのだろう。
薄情なことに細かなスケジュールまで把握していないが、仮に明日が休みだとしても疲れているだろうに……
玫依ちゃんは今年度から澪月さんと同様に衛士訓練学校に入学した。
しかし澪月さんの頃とはカリキュラム等に変更が入り、2年過程にまで短縮された上に初年度は自宅からの通学となっていた。
初年度は座学が中心とは言え、身体作りの為に1日に何十kmと走らされるというから、疲労は相当なものの筈だ。
そう考えると申し訳ないというか、いたたまれない気持ちになるが……気にするなと言わんばかりに玫依ちゃんは手を引いて家の中へと招いてくる。
「軽く、何かお夜食を作りましょうか……」
「そうだね、うん……お願いしてもいいかな?」
背広やシャツを脱いで、浴衣に袖を通す。
すっかり和装にも慣れてきたなぁ、等と思いながら居間に向かうと手早く玫依ちゃんがお茶漬けを作って待っていてくれた。
これがいわゆる“ぶぶ漬け”か、と…………よく京都人の性格の象徴として代表されたりする。
いやまあ、こんな時間に追い出されても行くところなんて無いのだが。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。いただきます」
茶碗を取って躊躇う様に啜ってみると、熱すぎず温くもない適温の出汁が喉から身体を優しく潤す。
冷や飯もお茶と出汁を吸って良い塩梅に柔らかく、薄味の中に添えられた辛めの焼鮭が口の中で解れると味を補完してくれて、食欲が刺激される。
さらさらと軽い口当たりで食べられてしまい、残った汁も余すことなく飲み干すことができた。
「ふぅ、ごちそうさまでした……」
「はいお粗末様でした。お茶を飲んで待っていてくださいね」
タイミングを見計らっていたのだろうか、こちらが食べ終わると同時に湯気の立つお茶を急須から湯呑に注いで差し出してくれる。
なんだかこういうの良いな、という言語化できない感触を覚えながら好意に甘えて緑茶を頂く。
連日の仕事で積み重なった疲労が、それだけで幾分か和らいだ様な気さえする。
台所から水流の音がして、漸くせめて茶碗ぐらい自分で片付けるべきだったな……と後悔するが、それでも立ち上がる気力のなさに苛立ちさえ覚えてしまった。
「…………恭太郎さん」
「ん……?」
緑茶を半分ほどまで飲んだ頃、背後から玫依ちゃんが声を掛けながら屈んで寄ってくる音が聞こえる。
そのまま様子を伺って顔だけ振り返ってみると、抱きしめる様に手を首の辺りに回し、膝立ちのまま上半身を背中に寄せる様にしてしなだれかかってきた。
突然の行動だったが、驚きや動揺という感情では無く、はてなという疑問符が頭の中に浮かぶ。
「んー……恭太郎さんの匂いだぁ」
「いや、汗臭いだけだと思うんだけど……?」
「そんな事無いですよぉ、とても落ち着きます」
本当に鼻を鳴らしながら首元やうなじに鼻を擦り付けて吸われる感触に、もどかしさと
流れる様に預けられた体重が背中に尚一層と深くなっていき、その重みと同時に人肌の温さと柔らかさが伸し掛かって来た。
だから、澪月さんよりも胸が大きいかもしれないな、などと不埒な事を考えてしまうのは不可抗力なのであると、やはり心中で秘めながら言い訳させて貰う。
「どうしたの、玫依ちゃん?」
「えー、ダメですか?」
「駄目、とかじゃなくて……」
「じゃあ良いじゃないですか。ほら、こっち向いてください」
そう言いながら、滑り込む様に回り込んでこようとするので、観念してこちらも身体を玫依ちゃんの方に向けてやる。
こう、言ってはなんだが……甘え方が猫みたいだ。
自分のペースを優先して、構って貰いたい時に構って貰えないと自分から撫でられにいったり身体を擦りつけてくる感じで。
対して澪月さんはどちらかと言えば犬寄り、声を掛けられるまでは様子を伺っているが一度呼んで許すと中々離してくれないというか……
……姉妹の相違を獣の生態に喩えるのもどうかとは思うが。
「何かあった、訳でもなさそうだけど」
「ええ、何もありませんよ……何もなかったら、甘えちゃいけませんか?」
胸に押し付けていた顔を舐めとる様に擦りながら上げて、上目遣いでこちらの瞳を捉えてくる。
柔らかな微笑みの中には魅惑的な眼差しがあり、彼女の瞳には艶麗さが漂い、その雰囲気はどこか黒猫のような危険で魅惑的な魔性を感じさせた。
だから、だろうか。
思わず惹き込まれるように、その頭を包むように撫でてしまう。
それで、眼を細めながら「もっと撫でろ」と言わんばかりに頭を寄せてくるものだから、尚のこと猫みたいに見えてくる。
「ねえ、恭太朗さん」
「…………うん」
「私、自分で思っていたよりも悪い子だったんですよ」
くいっと、丸まっていた身体を伸ばす様に更に寄せてきて、思わず身じろぐ様に片手で後ろを着いて背を倒してしまう。
忌避感は無いよと伝えたかったのだろうか、無意識に残った手は彼女の頭を撫でたままだった。
「狡猾で、意地汚くて、負けず嫌いで……お姉様がいない合間に、恭太郎さんを
そう言いながら、更に押し倒す様にして肩のあたりで手を押してきて、そのまま顔が近づいてくる。
何か反応を返す前に、いや、反論は許すまじと言わんばかりに口を塞ぐ様にして唇を重ねてきた。
柔らかく、熱を帯びて生温く湿った接吻。
何かを染み込ませるかの如く、深く、ねっとりと、執拗に。
「私、言いましたよね?私も恭太郎さんのことが好きだって」
「…………うん、そうだね」
「恭太郎さんはお姉様のものだって、分かっているけど……やっぱり諦めきれないんです」
再び、唇が押し付けられた。
今度は舌が這って無理やり抉じ開けるみたいに侵入してきて。
舌そのものが意志を持った生き物みたいに、ぬるりと蠢いて、口の中を犯していく。
そこには無い筈の心だとか、感情や意志の塊みたいなものが吸い取られてしまう様な気さえする。
少し離れて、その瞳はより妖美に見えた。
「それに恭太郎さんも悪いんですよ……恭太郎さん、自分のことを優しいとか、そんな風に思ってませんか?」
「っ…………」
唐突に言われたそれは、理解が追いつかなくて。
だけれども、核心を突かれた様な、後ろめたさや気まずさみたいな何かが胸のあたりでズキリと裂かれた気がした。
「本当に優しいなら、誠実なら……お姉様の為に私を拒絶しなければ、ダメでしょう?」
「…………」
「それなのに私を受け容れようとしちゃってて……」
「それは──」
「全部、私のせいにしたいんでしょう?私が誑かしてきたのが悪いって……」
それは、事実としてそうであろうという指摘をしたい想いが無いではなかったが。
彼女が意図しているところが別にあろうという事は、如何に鈍感であろうと理解することができた。
自問すれば、それは優しさではなく只の心の弱さであった。
決断する勇気も無ければ、受容する心構えも無い。
思い返せば、とんと己のことには無関心で視線を向けることを避けて生きてきたものだ。
そうでなければいけないという思い込みもあったし、それを口実に逃げてきた節もある。
これが他人事であれば無責任にこうすべきであると即決出来ように。
「ごめんなさい、少し意地悪でしたね。私は別にそれでも──」
「いいや」
押しつぶされていた空気を抜く様にして、腕で支えながら足を掛けてくるりと回す。
転じて、今度は僕が玫依ちゃんを上から見下ろす構図になった。
「…………良いんですか?バレたらお姉さまに叱られますよ?」
「何を今更」
言い訳めいたその口を、今度はこちら側から塞いでやる。
さきほどとは打って変わって、戸惑いを感じさせる動きが舌をなぞった。
少しばかり、少しずつ、己のやりたい事や欲求に向き合うぐらいの方が健全だろう。
○
「…………」
目を覚ましてから、彷徨うように視線を動かして時計を探し、時刻が9時過ぎを回っている針を捉えた。
今日は日曜ではあるから急ぐ必要は無いが……
それでも流石に身体を起こそうとよじって見ると、左の上腕あたりに滲む様な痛みが走る。
今度はそちらを見ると、穏やかな寝息を立てながら眠っている姿が。
しかも服を着ておらず、胸の半ばまで晒されていたので慌てて布団を上まで掛け直す。
……この姿を見られていたら、果たしてどうなるのだろうか。
「っ……?!」
しかも間の悪いことに、こんなタイミングでスマートフォンに着信があった。
優しく頭を支えながら左腕を玫依ちゃんから外して、潜むようにしながら電話を取ってスピーカーに耳を当てる。
「はい、須和ですが……もしもし?」
『もしもし、古鍛冶です』
「ああ……はい、今日はどの様なご要件で?」
電話の主は古鍛冶サラであった。
正直、まともに電話の応対ができる気分でもなかったが、相手が相手だけにその気持は抑える。
恐らくは以前にそれとなく頼んでいた依頼の返事であろう。
『国連……いいえ、アメリカで少し動きがありまして』
「動き、と言いますと?」
『須和さんはオルタネイティヴ計画というものをご存知ですか?』
「…………ええ、概要ぐらいであれば」
オルタネイティヴ計画。
1966年に始まったそれは、元々はその名の示す通り従来の武力的な排除ではなくBETAと対話することで和平的解決を目指す代替案だった。
その為に世界中の言語学者や生物学者、数学者などが召集されてBETAの言語の解読やコミュニケーション手段を確立する為に研究が行われたが、そもそもBETAに言語という概念があるのかも分からず結果は不発に終わる。
そしてBETAを捕獲し解剖することで生物学的にその生態や機能を可能な限りの分析を試みるオルタネイティヴ第2計画に移行……
しかし、その結果は異常なまでの環境適応能力を有しており、更に消化器官や生殖器官の類が存在しない炭素生命体であるという事が判明したのみ。
1973年には、BETAの地球襲来を期に第3計画へと移行。
これが現在においても実施中の計画であり、ソ連が主導となって人工ESP発現体を利用してBETAの思考をリーディングすることを目的としたものだ。
『現時点において第3計画は目に見えた成果を挙げることが出来ておらず、しびれを切らした国連上層部は次なる一手を模索し始めました』
「さしずめオルタネイティヴ4といったところですか」
『ええ。アメリカは自国で研究中にあるBETA由来の物質を用いた特殊爆弾……通称G弾をハイヴへ大量投入すると同時に選ばれた極少人数を宇宙船に詰め込んで外宇宙への脱出を目的とした計画を提唱しました』
「それはそれは……」
『しかし、フランスなど国連上層部の一部は未だに第3計画に希望を抱いている上に、ユーラシア大陸に与える影響や被害も未知数であるという理由から不採択となりました』
「ふむ……まあ、地球からの脱出といってもアメリカのさじ加減次第でその切符が手に入るのかも決まりそうですしね」
『この第4計画を推し進めようとしていた一派は今回の決定から国連に失望して独自路線に舵取り、あからさまなロビー活動を始めております』
つまり、これが後に人類を後戻りできない終焉へと導いてしまうオルタネイティヴ第5計画の前身、という訳だ。
幸いなことに承認はされなかった様子だが……恐らく、この世界でも第5計画として復活してしまうだろう。
「それで?」
『現在、アメリカでは先程のG弾を用いることを前提としたタカ派と従来の戦術機ドクトリンを継続した正攻法をよしとするハト派とで真っ二つに分裂していて……その後者から、須和さんとの会合が要望されています』
「うーん……他国の政治的対立に巻き込まれたくはないので、それは……」
『その見返りが、須和さんの求めていたG元素だとしたら?』
「む…………」
『詳細を聞くぐらいの価値はあると思いますが……如何でしょうか?』
「それは……うん……しかし、会合……僕に会って何を話したいと?」
『さあ、そこまでは……』
オルタネイティヴ計画、それも第5計画周りの厄介事に巻き込まれるのは御免被りたい。
しかし、G元素……ひとまず手に入れば、選択肢は多くなる。
このチャンスを逃せば次は何年後かはわからなくなるが……果たして、乗るべきだろうか?