Muv-luv BreakThrow 技術チートで変える未来 作:あるすとろめりあ改
1982年11月11日
東京府八王子市 駅前
清流の如く澄んだ蒼い空のキャンパスに血を燃やした様な紅い夕焼けとそこから立ち込める煙の様な雲がノッペリと炭の如く彩っている。
美しさと同時にどこか不気味さを覚えながら、恭太郎は校舎を出て街へと繰り出していた。
時折こうして、娯楽品などを求めに寮へと真っ直ぐに帰らず寄り道をすると、コーヒー豆と茶菓子なんかを買ってきて部屋で嗜むのだ。
それを知るとやれ少女趣味かと
今日は珍しくグァテマラの豆を見かけたのでちょっと奮発してそれと、たまには少し洒落てカステラにでもしようか……なんて考えながら歩いていた時である。
「失礼、須和恭太郎さんでしょうか?」
「はい?」
名を呼ばれ、振り返るとそこには仕立ての良いスーツを着た初老の男性が人当たりの良さそうな笑顔でこちらを認める様に見ていた。
はて、と。恭太郎はその男に心当たりが無かった。
しかしきっかりと恭太郎の名前を違わずに呼んだのだから、向こう方は恭太郎を存じているのだろう。
記憶を巡らせてみるが、とんと検討がつかない。
少し訝しげにしていただろうか、観察するように男の全身を眺めていて、胸に花弁の様な社章を見つけたのとそれはほぼ同時だった。
「突然お声をお掛けしてすみません、私こういうものでして」
サッ、と男は名刺を手渡してくる。
厚紙で触り心地も滑らかで拘りを感じるそれには、光菱商事の屋号とその社章が1番最初に目についた。
なるほど、光菱かと思いながら視線を男に戻す。
「光菱商事の方が、自分に何か御用でしょうか?」
「ええ、はい。ですが立ち話もなんですから何処かに入りませんか?」
そう促してくるので頷き、最寄りの純喫茶に2人で入る。
店内は橙色の灯りに照らされ、少し薄暗さを感じつつもどこか仄かに暖かい雰囲気に包まれていた。
椅子がファブリックなのも個人的には好感で、木だと些か硬いし革の触感はどこか落ち着かないが、布は気張らなくて良い。
そして男は奢りだとことわった上で注文を聞いてくるのでコーヒーを頼んだ。
「さて、私は光菱商事で軍需部門の買い付けなどをやらせて貰っている田所という者です」
「はぁ……」
「実は先日須和さんが市ヶ谷で発表された例の、フレーム、に関してですが、光菱グループ全体でも高く評価されていましてね」
“フレーム”の辺りで声が小さく、濁した様な言い回しになったのは、それが軍機に抵触するからだろうか。
何となく、この田所という男は慎重な性格なのだろうか、という印象を受けた。
「つきましては、その件について須和さんとお話をしたいと思いまして」
「なるほど。それで、具体的には?」
「ええ、幾つかお願いしたい事がございます」
田所は鞄から1枚の書類を取り出し、対面する机の上に置きながら滑らせる様に渡してくる。
どうやら、それは契約書の様だった。
流す様に読んでみると、大まかには金銭の授受に関する内容の様で、その条件について記載されている。
まず、指定の書類を提出すること。
書類とは、自律稼働フレームに関する特許等の権利書の一切、設計図、その他技術的な諸元やメモなどの類である、と?ん?
これらの書類の原本を提出し、かつその所有権と権利を総て放棄しろと。は?
光菱からのライセンスに関しては別途の契約になる為、この権利には当たらない故に生産は可能とする……。
「なん、ですか……これは?」
「書いてある通りですよ」
思わず、声が震えてしまう。
田所は悪びれる様子もなく、相変わらずの笑顔であった。
いや……それは、安全圏から人を見下し蔑む嘲笑の表情だ。
その薄く開く眼からは、人を愚弄する冷たい感情が隠しきれずに漏れている。
こちらはもちろん睨み返すが、まったく意に返す素振りを見せない。
「金額は、そうですね……2000万程で如何でしょうか?」
「アンタ、俺にスパイの真似事をしろって……?!」
「おやおや、スパイとは人聞きの悪い……ただ、お遣いをお願いしているだけですよ」
そうして、話はそこで一度停滞する。
田所はいつの間にかきていたコーヒーを口に含みながら暫くはその様子だった。
しかし、それにしびれを切らしたのか、また思いついた様に口火を切り淡々と語り出す。
「確か……君のお父さんは元帝国航空宇宙軍の軍人で、退役後は制度を使って民間企業に再就職していたね?」
「あ──?」
「世間というのは案外狭いものでね、君のお父さんの会社とも、その会社と取引がある会社も光菱とは何かしらの繋がりがあってね」
コイツを問答無用で殴り飛ばさなかった自分を褒めてやりたかった。
無意識のうちに拳を握っており、手の平には爪が食いこんで血が滲み出ている。
つまり、なんだ?
光菱は自律稼働フレームに関する工業所有権、もとい産業財産権を総て残さず寄越せと?
こいつは随分と……随分じゃあないか?
「…………脅迫、するんですか?」
「脅迫とは穏やかじゃないですね……私はただ、世間話をしているだけですよ」
口の中で錆の味が広がる。
田所はあくまでも澄ました顔で、されど視線を外すことはしない。
こちらも歯痒さに身が悶える気分だったが、俯くことはしたくなかった。
どれほどの時間をそうしていただろうか、既に田所はコーヒーを飲み干しており、やれやれと言わんばかりに髪の毛を弄っている。
「何か勘違いしているのかもしれませんが──別に貴方がこの提案を蹴っても、互いに幾らが損をするだけなのですよ」
「何の話ですか……?」
「さぁて、ね……まあ、出来るだけ早いお返事をお待ちしてますよ」
そう言って、田所は名刺に記載されている電話番号をチョイチョイと指でつついたかと思えば、万札を机の上にそっと置いて立ち去っていく。
俺は呼び止める言葉も手段も思い浮かばず、ただただ歯を食いしばりながら怒りを背中に視線でぶつけることしか出来なかった。
手持ち無沙汰になった右手でコーヒーカップに手を伸ばし、一口呷る。
「…………」
コーヒーは、血の味しかしない。
〇
1982年11月16日
東京府八王子市 東京高等専門学校
それからというもの、焦燥感というか憤懣と拭い切れない吐き気が常に胸の中に漂い続けていたが、辛うじて日常生活は送れていた。
鬱屈とし、ストレスは蓄積はしていたがそれを物や人にぶつける様な浅慮さは恭太郎にはなく、今は黙て只管耐えている。
それも、ひとえに恭太郎が父親から受けていた教育の賜物であった。
須和家は元来武家に連なる家系だった。
既に恭太郎から見て曽祖父の代には武家としての地位を返上してしまっていたが、それでも武家としての心得は幾らか伝わっている。
その根本的な思想としては、他の模範となれる様に己を律し、また礼や義を尽くせという類の儒教に由来するものだ。
よって恭太郎は己は道理を弁えているつもりだったし、理不尽に対する怒りを抱いてはいたがそれを吐き散らすことは無い。
しかし、だからこそ濁濁したものを己の内に溜め込んでしまっているとも言えるのだが……
「はい、やめ!」
その声に恭太郎は顔をあげた。
埋めた解答用紙を教員に渡し、試験の終了が告げられる。
定期考査、は先月に終えているのでこれは違う。
突然教員に授業返上でこの試験を受ける様に言われ、半ば強制的に2日掛けてやらされたという格好だ。
しかも試験内容は明らかに現状のカリキュラムにそぐわない……大学入試試験のソレだった。
「先生、この試験って何なんですか……?」
「ん?なんだ、須和は知らないで受けていたのか?これは、編入試験だよ」
「は──編入?何の?」
「何って、大学だよ」
「はあっ?!」
寝耳に水だった。
「どういうことですか?だってそれ、そもそも5年次にやるやつですよね?」
「俺もわかんねぇんだよ。なんか文部省から直接お達しが来たとかで……」
この試験監督を務めた教員は本当に事情を知らない様子だった。
心当たりがあるとすれば、先日の自律稼働フレームに関する説明会の件である。
あの場には国防省の政府関係者や閣僚もいたので、その者達が何かしらの働きかけをしたというのは可能性としてはあり得たが…………それにしたって、性急が過ぎる。
そういった類の話は予め本人に進学の意志等を確かめるものではないのだろうか?
「ああ、そうそう。それと関係しているのかは知らんが、試験が終わったら須和に会いたいってお客さんが来てたぞ」
「はあ、どなたですか?」
「俺も詳しいことは。なんか大学の教授とか言っていたけれど……」
何故そんな人が、とは思わないでなかったが、待たせてしまうのも宜しくないのでその足で職員室へと向かうことにした。
○
「やあ須和恭太郎くん、会えて嬉しいよ」
「はあ、どうも……」
職員室からそのまま応接室に通されると、既に禿頭──いや失礼、少し残っているが──眼鏡を掛けた初老の男が椅子に座っていた。
身なりも良く、大学教授が何とか言っていたが、確かに言われてみればどことなくインテリジェンスを感じる佇まいだ。
男は「まあまあ、座って座って」と着席を促すので素直に従い、対面に着座した。
「はじめまして、私は東京帝国大学で工学部の教授を務めさせてもらっている野々垣と申します」
こうして名刺を貰うのも馴染みの光景になってきたなあ、などと思いながら受け取る。
工学部の機械工学科、その設計学の教授にあたるのがこの野々垣氏だという。
「それで、ご要件とは?」
「ああ、君が発表した例のフレームの件で話をしたくてね」
「…………」
ここまで聞いて、急激に警戒度を増してしまう。
無理もないだろう。ほんの数日前にあのような事があったのだから、むしろ警戒して然るべきだ。
もちろん、それはおくびにも出さないが。
「実はその件で君に提案があってね。是非とも私の研究室で共同研究をしないかい?」
「はあ…………」
この野々垣という教授の研究テーマは知らないが、設計学だと言うのだから戦術機の設計にも関わるのだろう。
しかし、撃震や瑞鶴の設計者として連なる面々の中に野々垣という名を見た事が無いので、要は戦術機の分野においてはまだ大きな成果を挙げられていないのだろう。
故に、自律稼働フレームで箔をつけたいとか、そういうことか?
「もちろん君にもメリットはある。研究室に入れば学会での覚えも良くなるしその行く先の保証もできる」
「…………」
正直、今更研究がどうのと言われても、既に河崎重工の方で形となり成果はあるので態々大学で何を研究するのか……?というのが正直な感想だった。
ある程度は訝しげな表情を見せ、否定的な意志をそれとなく伝えているつもりだったが、どうやらそれを向こうは全く察している様子が無い。
野々垣は馴れ馴れしくこちらの手を取ると、無理やり握手の様な形にされる。
「悪くない話だろ?どうだい?」
「はあ、ですが僕はまだ高専生ですし……大学生になってからその辺りは考えさせて頂きたいな、と思いまして」
「いやいやいや、君のアイデアは今すぐにでも世に出すべき物だよ!何年も塩漬けにするのは世界の損失だ!なんなら、君はアイデアを出してくれるだけでも良いんだ!」
本音が、出てしまってはいないだろうか。
いや、しかし何となく分かってきた。
どうやら彼は大学への編入試験が今日行われていた事も知らない様だし、文部省や大学の理事とは関わりなく、独断専行で来たのだろう。
「ええっと……折角の提案ですが、いきなりの事なので……他とも比較して精査してから考えたいと思います」
「うーん……君は、もう少し常識や会話の中の機微を察する能力を養った方が良いと思うよ?」
「はあ?そうですか……」
「私がその気になれば、君が幾ら成績が良かろうとも東帝大の門は潜れないと思いたまえ?」
それまで笑みを浮かべ、懐柔しようという体で話していた野々垣の態度が急変する。
諭すように、というよりも蔑む様な話し方だった。
「それだけじゃない、私は学会や企業にも顔が利くからね。君の態度次第では、この分野に携わることは不可能だよ」
「…………」
つまり、結局は、そういう事なのだな。
「ああ、そうそう……君のお兄さんは東帝大の医学部生だったね?」
「兄に……何の関係が?」
「察しが悪いねぇ、私は医学部の教授とも知己だからね……進級できず、その上に籍を剥奪されてしまうかもしれないよねぇ?」
その時に至っては、頭が真っ白になってしまい、そこから一周して思考は冷静になっていた。
随分と、須和恭太郎という人間は安く見られているらしい。
少し言って聞かせればはいはいと従う御しやすい若造だと思われていたか、なるほどなるほど。
クソ喰らえ、だ。
「私は君が少しは賢い人間であると願っているが……今この場で返事を聞いておこうか」
「────だ」
「ん?」
「誰が貴様の様な
〇
『なるほど、それで相談をしてきたと』
「…………はい」
結局、その場を後にしたまま真っ直ぐと電話に向かい土肥さんに連絡をとる事にした。
他に頼れる大人が思いつかなかったのだ。
両親には心配をあまり掛けたくなかったし、何よりそれを対処する能力があるのか正直、測れない。
少なくとも土肥さんは経験豊富な人で様々な界隈に顔が利く存在なので、何かしらの知恵を借りられれば、という藁にもすがる思いだったのだが……
『いや、だけどすまなかったね。恭太郎くんを表舞台に立たせれば直接危害を加えてくる連中が出てくる事をきちんと考慮するべきだった』
「いえ……」
『ふむ、しかし……恭太郎くんの能力と立場から言って、単純にウチで保護すれば済むという問題では無いな。実際、現に家族を人質にする様な脅迫の仕方をしてきているからね』
確かに、河崎という所属先がハッキリしていたとしても“須和恭太郎”という人間を手中に収めたいとなれば経済的、政治的、時には暴力的にでもありとあらゆる手段を用いてこれを実行してくるだろう。
随分と自惚れている様だが、これが困った事に自律稼働フレームやその後に続くものを鑑みた場合にこれが決して過大評価ではないのが始末に負えない。
『しかも、国防省と光菱とで何かしらのやり取りがあったみたいでな』
「と、言いますと?」
『実はね、自律稼働フレームに関してなんだが、河崎と光菱とで年明け後にコンペティションを行う事になったんだ』
「コンペティション……?光菱側は、自律稼働フレームをどうやって用意するんですか?」
『それに関しては、公平性を保つ為に技術提供をする様にというお達しが国防省からきている』
国防省の言い分としては、新技術の生産性の評価や企業間における性能差、また将来性や発展性を考慮した場合に単独の企業が専有すべきものでは無く、また規格を統一する上でどちらの企業のものが優れているか試験する必要がある、とのことだが……
いや、そもそも共同研究をするとかならまだしも、何故わざわざ勝者を決する様なコンペティションという形式を行う必要があるのだ?
「まさか……八百長?」
『コンペティションがあくまでも形式的なものである可能性は大いにある』
「そんな事をして何の意味があるって言うんですか……」
思わず頭を抱えてしまう。
本当に時間の無駄だ。突っぱねるならさっさと捨てて欲しいし、採用する気があるのなら、自分の中ではまだ自律稼働フレームは未完成な代物なのだからこのまま進めさせて欲しい。
第2、第3世代相当の設計のテストを行いたいし、それに合わせた跳躍ユニットの新造、素材の研究、必要な企業との交渉や仲介などやりたい事は沢山あるのだが……
何でこうも、国の内で足の引っ張りあいをして更にそれに巻き込まれねばならんのだ?
『…………恭太郎くん』
「なんですか、土肥さん?」
『君を自由にする手立てが、1つだけあるかもしれない……もしも君が私を信じてくれるのなら、乗ってきて欲しい』
「いったい、何をするって言うんですか?」
『向こうがその気なら、我々も政治をするしかあるまい』
光菱(主に商事)→外貨を稼ぐ為にもフレームの権利関係を掌握して自社の管轄として管理したい。
恭太郎自身にその能力があるのかは未知数かつ疑問なので確実な成果物が欲しい
東京帝国大学(の一部教授など)→恭太郎をあくまでも立案者とし、自分を主要研究者とすることでフレームの研究者として名を残したい。
また、恭太郎自身も学内の自分の管理下に収めることで自分の地位を磐石にした上で学閥の力も強めたい(一応の恭太郎の身柄の保護にはなる)
国防省、政府→フレームも恭太郎も大事にしたいが、政治的にも利権的にも縛りがある。
恭太郎についてはそこそこの箔を付ける必要があるので、超法規的措置を用いてでも東京帝国大学にぶち込み、そのまま博士号取得までいってほしい
フレームに関しては工業力と経済力と政府との関係性から光菱に任せたい