name:Ars Almadel=Grave Raven
Araya:Deadman's Dramaturgy
Affiliation/Country:Knights of Redbranch
CCvalue:452
「うーん、疲れてるというか、ストレスが原因だと思うなぁ。そもそもあんな重体になったのにたった二週間で退院するとか、人間としてあり得ないことだからね? そんなことが体に起きてるんだからそりゃ、そういう精神面での後遺症はあってしかるべきだよ。」
「は、はぁ……。」
後日、ユウマが近所のかかりつけ医に『あの日』の出来事を相談したところ、そんな風にすげなく流されてしまった。ユウマ自身、『あの日』の経験が現実であったなどと、心の底から信じているわけではない。けれど、あの時踏んだ苔の柔らかさは、木の根の堅さは、瓦礫の鋭さは、どれも夢であると断じるにはいささかリアルすぎたのだ。
「そう……なんですかね。」
「まぁ医者として、詳しく診ずに断定するのも良くないと思うからさ。またそういうことがあるようなら、ちゃんと大学病院とかに掛かりなよ?」
「はい、ありがとうございます。」
だが、それはあくまでユウマの主観。他者にどれだけ説明したとしても、納得できるものではない。だからこそ、ユウマもその経験を、『錯覚』と思うことにしたのだった。
「なあ、トウカ。」
「なに?」
――けれど、他者じゃなければ。その日の晩、姉のトウカが手作りした夕食を口に運びながら、ユウマはトウカに尋ねた。
「異世界ってあると思うか?」
「はぁ?」
トウカは、少しばかり口が悪い。だからこんな反応を取られることぐらいは、双子の弟たるユウマにはお見通しだった。それでも、トウカは絶対に自分を否定したりしない。その絶対の自信と信頼があるからこそ、その馬鹿げた問いかけを放ったのだ。
「……見えないから無い、っていうのは、あんまり言いたくないわね。何よユウマ、異世界にでも行ってきたの?」
「それがさ……。」
口元に安堵の微笑みを浮かべながら、ユウマはトウカに語って聞かせた。謎の世界に迷い込んだこと。『バンシー』と呼ばれた怪物のこと。アルス・アルマデルとの出会い。『また会う』と言われたこと。その全てが、夢であると――医者に断定されたこと。
トウカは、最後まで嗤わなかった。嘲らなかった。愛する弟が誰にも言えなかった、ふざけた話を、ふざけた話と思わずにきちんと耳を傾けた。そのうえで、トウカはそれを笑った。
「あら、いい話じゃない。」
「なんでだよ、死ぬかと思ったんだぞ?」
「アタシも行ってみたいな、そんな世界。ユウマと二人でさ。聞いてる限り、綺麗な世界だったんでしょ? その世界で……二人の人生を作ってみたいな。」
「お前は逃げたいだけじゃねぇか。」
「そうよ、逃げたい。――アタシのためにユウマの人生を使い潰すようなこと……アタシしたくないもの。」
「……その話はしないって――!」
「ユウマ。」
まっすぐに、トウカはユウマの瞳を見つめた。
「自分のしたいこと、ちゃんとしてよ。アタシのためって言い訳、そうやって何度も何度もアタシと……ユウマ自身を騙して嘘ついて、ホントにしたいこと押し込んで……アタシ、そんな人生をユウマに押し付けるくらいなら……!」
「トウカっ!」
「……。」
ぱちんと、ユウマは茶碗の上に箸を置いて、両膝に乗せた両手に強く力を込めながら、トウカを睨む。
「……ごめんなさい。」
「わかってるよ、トウカ。俺だって……俺だって逃げたい。正直な話……。」
「俺だって、ずっとあの世界にいたいって、思っちまったからな。」
その日は、月に一度の出社日だった。普段からリモートワークを中心に業務を行っているユウマだったが、ツキイチの出社日だけは、文京区に存在しているオフィスビルに出向かなければいけない決まりになっていた。
「本当に大丈夫なのかい? 有給使ってもいいからね?」
「はい、お気遣いありがとうございます。でも、見ての通り既に健康体ですので。仕事に支障も出しませんよ。」
「そうかい? ダメそうならすぐに言いなよ、早退させてあげるから。」
「ありがとうございます。」
直属の上司に頭を下げ、ユウマはスーツのジャケットをキャスター付きチェアの背に掛け、自身のデスクに腰を下ろした。
「よう圷、お前大変だったらしいな!」
「大変ってことも無いですよ、見ての通りピンピンしてるでしょ?」
「トラックに轢かれたって聞きましたよ! 圷さん、大丈夫なんですか!?」
「大丈夫じゃなかったらここに座ってませんから!」
同期や先輩社員たちから一斉に群がられ、ユウマは苦笑いを浮かべながらひとりひとりの好奇の質問に答えていく。それは、始業時間ギリギリになるまで続き――。
「よく、交通事故とか、自分が意図してないトラブルに巻き込まれた時って、嫌に奇妙な明晰夢を見るって言いますよね。圷さんはどうだったんですか?」
「え。」
しかし、結局は最後に聞こえてきたその質問にだけ答えられず、そのまま始業時刻になってしまった。
昼休み時間中、オフィスの中に設けられたラウンジエリアで、窓の外に見える後楽園ホールを眺めながら、ユウマは自分で作った弁当をもそもそと食していた。
『嫌に奇妙な――。』
最後の質問。なんだか、『わからなくて聞いている』というより、『わかっているからこそ再確認している』かのような質問だったな、とユウマはぼんやり思い耽っていた。そこへ。
「圷さん。」
「わ!」
心の中で噂をすればなんとやらと、ユウマの隣にひとりの女性が着席した。薄い金髪をポニーテールにしたその女性は、日本在住のフィンランド人社員だった。
「えーっと、マルチカイネンさん、でしたっけ。」
「はい、マルチカイネンでもマルティカイネンでも。キルスティ・マルティカイネンです。こうして二人だけでお話しするのは初めてでしたね、圷さん。」
とても流暢な日本語をすらすらと口にするキルスティというフィンランド人は、時期的にはユウマと同じ頃に会社に転属してきたシステムエンジニアだという。
「人気者ですね、朝から。」
「野次馬根性って言うんですよ、ああいうの。――あ、皆さんには言わないでくださいよ?」
「ふふっ、見かけによらずチャーミングな方のようですね、圷さん?」
「やめてくださいよ、誰が仏頂面ですか。」
「……私も野次馬のひとりだった、と言ってしまえばそれまでなんですけどね。いい機会でしたし、一度圷さんともちゃんとお話ししておかないと、今後同じプロジェクトチームに配属された際に不利かなぁ、と思いまして。」
「ははは、理系脳ってやつですか?」
「そうでもないですよ。私、大学はアジア史専攻でしたし。」
社交辞令と雑談の中間点のような会話をしばらく続けながら昼食を減らしていると、キルスティがそっと呟くように、あの質問を再び口にした。
「ねえ、圷さん。」
その瞳は、ユウマの内面の奥深く、心の奥、記憶の奥、――存在の奥へと、冷たい吐息を吹きかけているかのように。
「あなたは何を見たんですか?」
「マルチカイネンさん……?」
笑顔の裏に在る『それ』に触れた瞬間、ユウマはあの日の、あの時の感覚を再び覚えた。脳髄に鋭く奔る灼熱の激痛。
「あなたは何を聞いたんですか? 何を感じたんですか? 潜性世界の中で、あなたは何を知ったんですか? あれが未来の地球だと言われて、信じられますか? あり得た世界だと言われて、信じられますか? この世界だって、一歩間違えれば『ああ』なっていたと、信じられますか? あなたが見たものは、真実ですか? あなたが触れたものは、真実ですか? 圷ユウマ、目を醒まして。ようこそ、ようこそ。潜性世界はあなたを歓迎します。我ら『天授連盟』、あなたを歓迎する準備はできています。今なら間に合います。決断を。あなたの世界に別れを。あなたの運命に別れを。さぁ、さぁ圷ユウマ。決断を!」
地平線まで、『白』に染まった世界だった。シミひとつなく、汚れの一つもなく、見る限りに『白』が広がる世界だった。天も地も『白』。そこに――しきりに、パイプイスが降り注いでいた。ゆっくりと、ゆっくりと。簡単に回避が可能な頻度と速度で、パイプイスが降りしきっていた。
「――は。」
「ねえ、圷さん。」
ユウマが気が付いた時、背後にはキルスティが静かに立っていた。
「は――。」
「中国戦国時代の思想家、荘周が言うに、『この世界が現実であると証明できる手段は何もない』――これを胡蝶の夢と例えて訓示したそうですね。圷さん? あなたは、この世界と向こうの世界、どっちが『正しい』と思います?」
キルスティは静かに微笑み、微動だにしないままユウマへ問いかけた。
「あなたがこの世界の事を夢だというのなら、夢の中にいる私と、向こうにいる私――。どちらが本当の『キルスティ・マルティカイネン』だと思います?」
「――なにを。」
「簡単な話です、圷さん。この世に『夢』なんてない。『非現実』なんて存在しない。すべては人類の不確定性集合無意識が産んだ無限に続く『現実』の連鎖。人類がそうあれと願い、夢想した時点で、一種の『現実』は確かに生れ落ちているのです。」
呆然と立ち尽くすユウマの前で、徐々にキルスティの姿が変異していく。身に纏っていたスーツが深緑に燃え上がり、鎮火すると同時にそのいでたちが東洋風の甲冑姿に変わっていた。目元からも同様に深緑の炎が噴き上がり、そこには鬼の意匠を象った仮面が出現した。
「この不確定性集合無意識の相対的パラドクスに気付けた人間こそが、次の時代の人類を導く救世主となり得るのです。そして圷さん、あなたもそのひとり。あなたにはこの世界に自由に出入りできる素質がある。どうですか? この世界の正体……そしてこの世界の活用法、知りたくありませんか?」
次々に意味不明かつ難解な言葉を並べ立てるキルスティは、足音も無くユウマへと歩み寄り、その手を握った。ユウマは何をすることもできず、困惑と混乱のままに、一歩、二歩とキルスティから距離を置こうとするが。
「無駄ですよ。今この世界にはあなたと私しかいないんですから。どこまで逃げても同じ景色。どこまで逃げても結末は同じ。良いですよ? いくらでも私から逃げてみてください。結局、あなたは私の誘いを受けることになる。さぁ圷ユウマ、共に新時代の朝日を見に行きましょう?」
それを追うように、キルスティもまた一歩二歩、ユウマへと近付いていく。キルスティの吐息が鼻頭に触れるほど、両者が接近した時。
「ハァイ、甘ァ~い密会中にお邪魔するわヨ!」
瞬間、ぐらっとユウマの姿勢が大きく揺れた。と思った直後には、ユウマの身体は屈強な筋肉を有した大柄な男性に小脇に抱え上げられ、キルスティから距離を置かれていた。
「んもぅ、だめヨぉGMチャン。謎の美人てのはどこ行っても宗教勧誘か悪徳商法のセールスかマフィアの手先って相場が決まってるんだから!」
「へっ……えっ、な、え!?」
「チッ、相変わらず特定が早すぎますね。覗き見しか趣味のない陰湿集団はこれだから。」
先ほどから吃驚しかしていないユウマを置き去りに、筋肉系の男性とキルスティの会話は続く。
「あら、ご挨拶ね! しかめっ面と夜更かしは美肌の天敵ヨ? せっかくのグッドルッキングが台無しになっちゃうワ!」
「……あなた達は本当に……ふざけた連中だ!!」
「最ッ高の褒め言葉を――ありがとねェ!」
裂帛の怒号を放ったキルスティの影から、彼女が纏う鎧兜と同じ深緑色の焔が噴火する。その焔牙が足元に迫る瞬間、筋肉質の男性は黄金の電撃を放出しながら、ユウマを抱えたまま凄まじいスピードでその場から退避した。
「オエッ……!」
その加速に内臓を揺らされたユウマは、直感的に理解した。――これは、夢じゃない。
「ごめんなさいネGMチャン! もうちょっとだけ、亜音速のランデブーに付き合ってもらうワ!」
「逃がすか! 息吹け『
キルスティが目の前へ手を伸ばすと、掌の中央へ深緑の焔が収束していき、無の空間から柳葉刀と呼ばれる刀剣が装飾華美な姿で出現した。彼女がそれを握ると、柄の先端からまるで薙刀を象るように細く長く、深緑の炎が噴き出す。
「その少年は我々の救導者となるべき人間だ! おまえ達のような低俗な騎士団気取りが崇めて良い御仁では無い!」
「それにしては扱いが少し乱暴すぎやしないかしら!? 紳士がレディを丁重に扱わなきゃいけないのと同じように、淑女だってジェントルマンを優しく手籠めにしなきゃいけなのヨ!」
そんな衝撃映像を前にしても、男は少しも動じることなく、軽口を叩きながら顔を真っ青にするユウマをお姫様抱っこしながら超高速で移動し続ける。そんな男を確実に殺そうと、キルスティが振るう柳葉刀から、炎の斬撃が三日月を描きながら次々に襲い掛かる。
「もう! ――早く来なさいヨ、ルーダエちゃん!」
降り止まないパイプイスの雨を溶断しながら空中を滑っていく炎撃からユウマを庇いながらステップを踏み、全力で走り抜ける男の元へ、やがてその声は届いた。
「――あんたが疾すぎるンだよ!」
バチンと、男のすぐ真横で、銀色の雷撃が爆ぜる。それは深緑を吞み込んで瞬き、白無垢の世界に第三の色彩をもたらす。その白銀と共にキルスティの目の前に降り立ったのは、鳶色の羽毛に全身を覆われた、見るからにユウマの知る世界の人類ではない姿をした女性だった。
「来てやったよクイーンズ、あんたの相棒――アキュラエ族の族長シルバの子・ルーダエがさァ!!」