勇作殿の片割れは即断即決裏目ボーイ   作:あん仔

1 / 47
pixivからの再掲。
一通り確認はしましたがハーメルンは初めてですので、ルビなど修正忘れがあったら教えてください。



網走監獄まで
日露まで


 

 産まれ落ちたのは、明治の日本。

 東京の街を歩く人々の衣服は未だに和装が多くを占めている。

 そんな街の姿を見て、昔の日本だあと感想を抱く。

 

 どうも私には前世の記憶があった。

 平成に産まれて令和を生きた記憶である。

 

 

「英作さま、窓をお閉めください。お身体に障ります」

 

 

 窓から街を眺めているとタイミング悪く様子を見にきた女中のヨネさんに注意されてしまった。

 大人しく窓を閉めて寝床へ戻る。

 

 満足気に頷くとヨネさんは再び部屋を出て行った。

 

 風邪引きで小学校を休んでいるため、遊びに行くこともできず大いに暇だ。

 いつも遊び相手になってくれる双子の兄は元気に小学校へ登校していった。

 

 

『英作……ほんとに大丈夫? 苦しくなったらすぐにヨネさんを呼ぶんだよ? ああ、学校が休みだったら僕もおまえのそばにいられるのになあ』

 

 

 いや元気よくではなかったな。

 登校前の兄は普段はキリッと立派な太眉を不安そうに八の字にして私にすぐ人を呼べと言い聞かせてきていた。

 あれは心配だろう。

 でもズル休みをしないあたり兄の真面目な性分がよくわかる。

 私ならサボるね。

 

 ヨネさんの足音が聞こえなくなったのを確認して布団から飛び出した。

 暇すぎるから行けないんですよォ!

 この時代じゃゲームなんかもないしなァ!

 

 誰にも見つからないようにミッションインポッシブル並みのハラハラ感で階段を降りていく。

 

 

「ハア……何をこんだけ書くことがあるんだか……たかだが山猫風情が厚かましいんだからなあ……」

 

 

 両親の居室のある一階からさらに階段を降りて、地階へ向かったところ書生の櫃田が手紙を両手いっぱいに抱えながら歩いていくところだった。

 心底面倒だという風情でボヤく櫃田が去るまで階段裏の物陰で息を殺した。

 

 櫃田は書生部屋に戻るのを確認して、物陰から躍り出る。

 廊下に手紙が一通落ちているのに気がつく。

 櫃田の落とし物だろう、と拾い上げる。

 宛名には花沢幸次郎サマと記されている。

 

 父の名であった。

 おや父宛の手紙を何故櫃田が? と疑問から手紙を裏返す。

 茨城から始まる住所と尾形トメという差出人の名前が宛名と同じ筆跡で記されて、

 

 

 ………尾形?

 

 

 

 ふと起きたデジャビュに首を傾げる。

 初めて見るはずなのに、なんだか何かを知っているような気のする不思議な感覚。

 

 

 本当はいけないことだけど好奇心を抑えきれず手紙の封を切ろうと

 

 

「何をしている、英作」

「ウッ、あっ、父上!」

 

 

 低い声が上から降ってくる。階段の上から父が地階を覗き込んでいた。

 背筋をピンと伸ばす。

 

 

「お帰りでしたか、気づきませんでした!」

「何を持っている。学校はどうした」

「えっとそこで拾ったものです! あと体調を崩して学校は休んでいます、今は少し良くなっていますが」

「……手紙か?」

 

 

 手紙の持ち主の登場に心臓が飛び跳ねた。

 父がゆっくりと階段を降りてくる。

 背中に隠そうと動きかけたのを見咎められた。

 

 

「どうやら父上宛てのようです」

「……櫃田め、落としたか」

「父上? この方はお知り合いですか? 初めて聞く名ですが」

 

 

 何もわからないです、と勇作の真似をしながら首を傾げる。

 手から手紙を抜き取られた。父は黙って手紙を懐へ仕舞い込むと、私を見下ろす。

 

 

「昔の知り合いだ。ただの友人だから知らずとも良い。このことは誰にも言うな、分かったか英作」

「は、はい」

「部屋に戻って休んでいなさい」

「はい」

 

 

 厳しい口調で言いつけて、父は階段を登っていく。

 ふうん友人、ねえ?

 ただの友人なら口止めする必要もないと思うけど?

 

 

 言いつけに従ってせっかく抜け出した部屋に戻った。

 手紙に記されていた住所を頭の中で繰り返す。

 

 

 

 差出人は尾形トメ。

 茨城に住んでいる。

 

 

 どこかで見て知っているような知らないような、あと少しで思い出せそうなのに思い出せないのが気持ち悪い。

 

 

 なら確かめるしかないわけで……。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

「えっ、英作。また学校を休むのかい!?」

「声が大きいぞ、勇作。おまえだって気になるだろ? 父上宛の謎の手紙の差出人」

 

 

 夜もふけた頃、布団の中で勇作に今日の出来事を話して聞かせた。

 開け放した窓の向こうの空には月が浮かんでいる。

 

 

「それは、でも……、たしかに僕も気にはなるけれど、仮病はよくないことだよ」

「何もおまえもサボれなんて言わないさ。おまえは明日の学校で今日も病欠です、と先生に言ってくれればいいんだ」

「う、嘘は……よくない、それに茨城までってどれだけかかるかも分からないのに……」

「鉄道あるし、なんなら馬に乗ってくし!」

「馬が疲れちゃうよ……」

 

 

 眉を下げながらも頑として勇作は協力してくれそうにない。

 ムッと唇を尖らせて勇作を睨む。

 勇作なら手伝ってくれると思ったのに、とすると勇作がアッと声を上げた。

 

 

「……そうだ、英作。その差出人の名前で住所は分かっているんだろう? ならまず手紙を出してみたらどうかな。直接会いにいくのは難しいから、まずはそれで……ど、どうかな?」

「それだ! でかした、勇作! さすが私の片割れだ!」

 

 

 良い考えだと提案したのは良いものの後半につれ自信を無くしたのかモジモジとし始めた勇作の肩を叩く。

 なんとも良いアイデアで、自然と頰が綻ぶ。すると勇作の顔も明るく華やいでいく。

 

 

「即断即決は英作の長所の一つだけれど、嘘を吐かずに済む他の手があるならその方がきっといい」

「そうだな、私も茨城まで行くのどうしようかと正直悩んでいたしな」

「うん、じゃあまずはどんな文面にするか決めようか」

「うんうん、そうしよう。勇作、今夜は寝かさんぞ」

「どこで覚えてくるんだい、そういう言葉遣いは……英作ったら全く」

 

 

 くだらない冗談に二人してウフフアハハと笑い合う。

 穏やかな夜は、そうして更けていく。

 

 

 

 ★

 

 

 

 手紙を書くとして、そもそもなんて書くかという第一の問題。

 書いて送ったとして、返信が尾形トメからのものなら櫃田に回収されてしまうだろうという、第二の問題。

 

 第三の問題がそもそも父の友人だというなら、手紙を送った段階で父に連絡が入ってしまうのでは? というものである。

 新たに浮上した三つの問題から尾形トメへの手紙は結局送ることが出来ていない。

 

 

「やっぱり会いにいった方が早いんじゃ? それならちょろっと確認だけして帰ってこれるだろ」

「僕らには移動手段がないからね、徒歩で日帰りできるほど茨城は近くもない。それに無断外泊などしようものなら母上が心底心配なさるだろうし、父上はお冠だ」

「うむ、それは困る。父上はともかく母上に悲しまれるのは私も心が痛む」

「そうだろう? 仕方がないよ、まだ僕らは子供だから」

 

 

 勇作はすっかり諦めムードだ。

 これはよろしくないぞ。とても面白くない。

 

 

「……櫃田なら知っているんじゃないか?」

「書生の? ああ、たしかに元はといえば尾形某の手紙は櫃田さんが落としたのだったっけ。けど、いくら櫃田さんといえ、直接聞いてそう簡単に口を割るとは思えないよ」

「私に考えがある」

 

 

 ニイ、と口の端を吊り上げる。

 勇作はきょとんと瞬きを繰り返していた。

 

 

 

「ほんええ、おがひゃについひぇききたいんれすかぁあ?」

「教えて、櫃田」

「えへへぇ、おいひいおしゃけももらいまひたし、だんなしゃまにはぁ、ひみちゅですよぉ、ぼっちゃんがたぁ」

「い、いいのかなあ……」

 

 

 勇作のものと合わせてお小遣いをかき集めて、度数の高い酒を買い、しこたま櫃田に飲ませてやった。

 櫃田の生活する地階にある書生部屋には空の酒瓶がゴロゴロと転がっている。

 ※櫃田は特殊な訓練を受けています。良い子は真似をしないでください。

 

 

 ちなみに父が家を空けるタイミングを待って実行したので邪魔は入らない。

 

 

 ベロベロに酔った櫃田は、怪しい呂律で尾形トメについて話してくれた。

 

 

 云はく、尾形トメは父の囲っていた芸者である。

 母が私と勇作を産むと、父は芸者の元に通うことをやめた。

 つまり捨てた。

 けれど捨てられた側は諦めがつかずに今でも時々、芸者から思いの丈が綴られた手紙が届く──。

 

 

 そして芸者には父との間に男児がいる。

 

 

 開いた口が塞がらないと文字通りの状態になったのは前世を含めても生まれて初めてだった。

 私と勇作が生まれたから、妾を捨てて?

 その間の子に教育費も生活費も送らず存在ごと無視?

 

 我が父ながら、甲斐性なしにも程がある。

 妾を囲っていたことは、まあよかろう。

 妾を捨てたことも、まあかなりドン引きはするけど、二人の問題だ。

 

 でも蒔いた種の始末をつけないってどういうことよ?

 自分の蒔いた種でしょ?

 最後まで責任持って?

 

 

 などと私が父へ嫌悪を募らせている横で、勇作が勢いよく手を打った。

 

 

「……つまり、僕と英作には、腹違いの兄がいるんだね!」

 

 

 キラキラキラキラ。

 勇作が一切の負の感情を感じさせないような眩しい笑顔を浮かべていた。

 そんな眩しすぎる笑顔のまま勇作が私の手を取る。

 

 

「英作! 僕らの(あに)さまだって! うれしいね!」

「……ゆ、勇作?」

「やっぱり会いに行けないものだろうか。難しいかな、手紙を書いてみようか、兄さまは返事をくれるだろうか、どう思う?」

 

 

 その案は実行が難しいから櫃田に聞いているんだろう。

 などと返す間もなく、私の手を取った勇作はその場でクルクルと回り出した。

 上機嫌に、とても素晴らしいことを聞いたという顔をしていて、私はなんとも言えない気持ちにさせられた。

 そんな気持ちを燻らせながら、櫃田へ問いかける。

 

 

「その男児の名は?」

「ええぇと、たしかぁ、聞いた噂ではひゃくのすけぇ、でしたかねえ」

 

 

 

 そのとき私の脳天に雷が落ちたかのような衝撃が走った。

 

 尾形、百之助!!!!!!

 

 脳裏をよぎるのは超絶怒涛のセクシー上等兵(CV津田健次郎)である。

 

 

 

「……ゴールデンカムイなんかい!!!!!!」

 

 

 

 私の全力のツッコミが花沢邸に響き渡った。

 そして女中と母に、しこたま酒を飲ませてアホほど櫃田を酔わせたこともバレ、勇作とともに大目玉を食らったのである。

 幸いにも櫃田が酔っている間の記憶を飛ばすタイプの酒乱であったため何を話したのかを母たちに報告されることはなかった。

 

 そして一通りのお叱りが終わり、再びの夜。

 また布団に潜りながら隣へ寝ている片割れの名前を呼んだ。

 

 

「……勇作、」

「ん? どうしたんだい、英作。真面目な顔をして」

「……絶対に軍人にはなるなよ、絶対に、絶対にだぞ」

「あはは、何をいうのかと思ったら……軍人としてお国のために戦うのは花沢家に産まれた男児の務めだよ? 突然どうしたんだい、英作」

「……なんでもない」

 

 

 ここがゴールデンカムイの世界だと気がついて、同時に双子の片割れの行く末まで知ってしまった。

 

 

「それにしても兄さまかぁ、どんな人だろうなあ」

 

 

 勇作、おまえはその異母兄に殺されるんだよ。

 

 

 

 勇作の布団に潜り込んで、手を握る。

 まだ始めたばかりの剣だこもない柔い手のひら。同じ大きさなのに大きな気がする。あと暖かい。

 

 

「本当にどうしたんだい、英作。まるで赤子みたいだよ」

「うるさい、いいの」

「ふふ、いいのかい?」

「いいんだよ、兄弟なんだから」

「そうだね、僕らは兄弟だ」

 

 

 勇作の手が私の手を握り返してくる。

 

 勇作、お願いだから軍人にならないで。

 死なないで、殺されないで、私が代わりになるから、だからお願い。

 

 その日は寝るまで手を握っていた。

 

 

 

 ★

 

 

 

 士官学校の採用試験に落ちた。

 言い訳すると、当日になって急に体調が崩れたのである。

 体調管理も実力のうちです、ハイ。

 

 

「え〜〜、なんでなんで? 当日まで体調だって気を遣ってたし、つーかちゃんと試験さえ受けられたら絶対に受かってたのに〜〜〜〜!!!?」

「大丈夫、英作なら次はきっと受かるさ」

「てめ、この一人だけストレートで受かりやがって、おめでとう!」

「ありがとう」

 

 

 真新しい制服に袖を通した勇作は体格がいいこともあり、パッと目を惹き華がある。

 祝いの言葉を述べればパアと勇作の顔いっぱいに笑みが広がって、また眩しい。

 

 

「落ち込むことはありません、おまえまでいなくならずにすんで母は嬉しいですよ」

「母上……」

「旦那さまには言えませんが、腹を痛めて産んだ愛しい息子を誰が死地へ送りたいなぞと思うのです」

 

 

 一足先に巣立つ勇作の後ろ姿を見送りながら、母の言葉に何も返せなかった。

 

 これじゃあいずれ勇作が務めることになる聯隊旗手も、万が一のとき尾形を止めることも出来ない。

 だって私はその場にいないわけだし。士官学校一期生遅れでも日露戦争に間に合うだろうか?

 

 歴史には詳しくない。日露戦争は何年から始まったっけ。

 どうだろう、割とシビアな気がする。

 そしたら私も志願兵として、って、花沢家男児が士官候補生としてでなく一兵卒になるのは父が許さないだろう。

 かといって不正入学とかも父は絶対に許さないので詰みである。

 

 

 もうどうしようもない、おしまいだ。

 けど死ぬな勇作。

 私がなんとかして見せる。

 絶対に抗うぞい。

 

 

 旅順には行けない。

 なら、東京にいる間に尾形と勇作の仲を取り持てば良いのではなかろうか。

 

 

 お互いに話し合って、こうなんとか上手いこと……いかなかったから原作の勇作は死ぬのか。

 でもおはなしがハッピーをうむってタコピーも言ってたから……。

 

 

 機関車と馬車を乗り継ぎ、茨城へ向かった。

 未来を変えるため、異母兄に会うことにした。

 

 本当は手紙を拾ってすぐの頃に動き出せたらよかったんだよな。

 いや、ここがゴールデンカムイの世界と知ってから、どうせ父は尾形トメと連絡を取らないとふんで例の手紙を送る作戦は実行してはみたのだ。

 

 父のしたことの謝罪と少しばかりの気持ちと、返信は名前を変えてくださいと付け加えた手紙を尾形トメ宛に送った。

 返事はなかった。

 自分が捨てられるきっかけとなった憎い本妻の息子からの手紙だ。

 当然といえば当然の結果だった。

 それでも何通か送り続けて、息子さんに会いたいとかも書いてみたりしたものだ。

 もちろん返事はない。

 

 

 会いたいわけない。気持ちは理解できる。

 ならば無理にとは言えないし、言いたくない。

 無理強いは誰だって嫌なものだ。

 

 とはいえ今回に至っては勇作の死という差し迫った問題がある。

 そしてトメさんでなく、息子の尾形百之助が目的だ。

 

 

 勇作尾形なかよし作戦はっじめるよ〜〜〜!!

 

 

 あの頃と違って成長したから、乗り物を乗り継いでなんとか茨城までやって来れた。

 大人になったということだな。うむ。

 

 

 記憶の中の住所を誦じながら、茨城の長閑な田園を歩く。

 標識とかも地図もないため多分こっちだろう、とほぼ勘で道を進んだ。

 畑ばかりが続いて人がいない。人がいれば道を聞けるのだけどな。

 

 

 と、畑の端で着物の青年が立っていた。

 ぼうっと空を飛ぶ鳥を見上げている。

 ようやく第一村人と遭遇した。しかも暇そう。道を聞くにはちょうど良い。

 

 

 

「すみません」

「……あぁ? なんだアンタ」

「尾形トメさんの家を知りませんか、そこに行きたいのですが」

「…………、昔の客、って年じゃあねえな。尾形トメとどういう関係だ」

 

 

 

 警戒心丸出しで目を細められる。

 なるほど、田舎だから東京よりも付き合いが密なのかもしれない。

 けど説明しようにも、なんて言ったらいいだろう。

 尾形トメを捨てた男の本妻の息子ですとか?

 

 

「あ〜、私は花沢からの使いのもの…、なのですが、私個人はトメさんご本人と関係は全くないといいますか」

「……花沢だと?」

 

 

 頰を掻きながらしどろもどろに説明を試みる。

 すると青年の目が僅かに見開かれた。

 花沢に聞き覚えがあるなら話は一気に進んでくれる。

 

 

「……花沢の人間が何を今更……尾形トメに会うには一足遅かったな、」

「それはどういう……」

「尾形トメはもう死んでる。おまえのご主人様に報告しろよ。お前が捨てた女は狂ったまま死んで逝った、と」

「……お悔やみ申し上げます。ではトメさんの墓参りだけでもさせて頂けませんか、私などに参られても不愉快ではありましょうが、せめてもの礼を尽くしたいのです。どうかお願いします」

「……こっちだ。ついて来な」

「ありがどうございます」

 

 

 ギョロギョロとやたらと黒目がちな青年の瞳に何度も睨まれている。

 小さく舌打ちまでされた。

 いやまあ捨てた男の家人ともなれば敵意も多少は受け止めよう。

 

 歩き始めた青年の後を追い、田園を進む。

 やがて小さな寺につき、その裏手に墓地があった。

 尾形家と刻まれた墓石の前で手を合わせる。花がないのが口惜しい。

 もしも勇作を連れて来るときがあるなら、そのときは花束も持参しよう。

 

 

 つーか尾形トメさんが死んでるってことは、原作通りあんこう鍋に殺鼠剤を盛られたでファイナルアンサー!?

 やっぱり、そうなる前に何がなんでも会いに行くべきだったのかなあ……。

 

 

 手を合わせながら多少の悔い。

 

 

「案内感謝します。今更ですが、あなたの名前を聞いてもよろしいですか。ぜひ礼を……」

「いらねえ、それより……なんで今更、尾形トメのところに使いを出したんだ。花沢閣下は何を考えてる……、妾の息子のことを突然思い出しでもしたのか」

 

 

 突然饒舌になり、矢継ぎ早に質問を浴びせられる。

 改めて見た青年の目はどんよりと濁って、目の下にはうっすらと隈があった。

 

 青年を見つめ返しながら、何と答えるべきか考える。

 今回の茨城訪問は私の独断だ。父は関係ない。でもそうか、花沢からの使いと言われたら普通は父からだと考えるものか。

 

 

 

「私が今回、訪れたのは息子の勇作さんの頼みです。残念ですが、閣下は訪問したことすら知りません」

「……勇作、?」

「……勇作さんは腹違いの兄の存在を喜ばしく思っておるのです、出来ればお会いしたいとも、私がここにいるのはその縁を繋ぐことを手伝えたらと思ったからです。……ご期待に添えず申し訳ありません」

 

 

 スンッと青年の表情が抜け落ちる。

 選択肢を間違えたらしいことは察した。これでは最大の目的である尾形に会いたいと言って案内してくれそうにもない。

 勇作と尾形のなかよし作戦も失敗か……。

 

 

 

「えいさく、」

「え?」

「花沢閣下の息子の名前は花沢英作じゃねえのか」

「英作は勇作さんの双子のご兄弟ですよ、知っておられるのですか」

「……ふたご、……」

 

 

 青年は抜け落ちた表情のまま呟くと、フラリと足を動かす。

 その足取りのおぼつかなさにギョッとして、思わず腕を回した体を支えた。

 至近距離で濁った黒目と目が合った。あれ、そういやこの人、結局誰なんだ。

 

 

「あの、尾形トメさんの御子息にお会いしたいのですが、あとあなたのお名前は」

「……誰が名乗るか、花沢の人間に教えるものかよ。失せろ、さっさと東京に帰んな、坊ちゃん」

「なっ……!!」

「ハ」

 

 

 絶句すると鼻で笑われて、腕を振り払われた。

 フラフラと青年は墓地から去っていってしまう。

 その背を追うかどうか悩み、結局追うことはやめた。

 

 

 尾形トメは原作通り亡くなっていて、尾形にも会えずじまい、さらに私は士官学校を落ちた。

 事態はいよいよ詰みである。

 

 

 

 

 青年と別れた直後に大雨が降り、やむのを待つをうちに気がつけば列車の最終便を逃した。

 街灯がほとんどなくて、田園は薄暗闇に包まれた。

 遠くに民家のものらしき灯りだけが見えている。

 突然、家に泊めて欲しいとやって来る怪しい奴になってもいいだろうか。

 せめて昼間のうちに挨拶でもしとけば難易度は下がるのだけど、と逡巡してしまう。

 

 

 そんなふうにどうしようかと悩んでいたところ、遠目に先程の青年を見つけた。

 何かを肩に抱えて一人きりで歩いている。

 何はともあれラッキー!!!!!

 

 

「こんばんは!!!!」

「ッ!?」

 

 

 一気に距離を縮めて、青年の肩を掴む。

 青年は体を大きくビクつかせると目を点にして私を振り返った。

 その肩には古い猟銃に、手には獲ったばかりらしい鴨が握られている。

 

 

「なんでまだいる!」

 

 

 困惑を隠せない様子の青年に事情を説明した。

 青年は顎を上げると心底から馬鹿にした目で私を見下してきた。

 身長は大して変わらないんだけどな〜!

 不思議〜!!

 

 

「……東京者ってのは馬鹿なのか?」

「いやあ、ここまで本数が違うとは……いいところで会えましたなあ。青年、よければ一晩泊めてはくださいませんか?」

「………ハァ……、ついて来い、余所見はするなよ……」

 

 

 ギロリと睨まれ釘を刺すもののどうやら泊めてはくれるらしい。

 さっさと背中を向けると青年は歩き出す。

 その後を追った。

 

 

「生憎客用の布団なんてないんでな、そこら辺で雑魚寝するんだな」

 

 

 青年の家は古めかしくも広めの日本家屋だった。結構いい家だな。

 調度品なども高価な物がチラホラとある。

 けれど青年の他に室内に気配がない。

 

 

「他にご家族は?」

「じいさんとばあさんがいる。今は旅行で留守にしてるがな」

「気ままな一人暮らしというわけですか、良いですね」

「メシの準備も自分でしなきゃならねえんだ、良いわけあるか」

 

 

 鴨の羽毛をむしりながら、青年が毒づく。

 鳥を捌くところを見れる機会だ。青年の手元を後ろから覗き込む。

 

 気配で気がついたらしい青年が眉間に皺を作り鬱陶しそうに振り向いた。

 

 

「おい……大人しく座ってろ。さもないと追い出す」

「ハイ」

 

 

 そっと離れて、元の位置に戻った。

 追い出されるのは困る。野宿とかしたことないし、この時期だと身一つで野宿は色々と心許ない。

 

 

 

「出来た」

「おー、……?」

 

 

 茶碗は一つ。

 青年は口の端を吊り上げ、私を見下す。

 

 

「泊めるとは言ったが、飯の支度までしてやるとは言ってねえんでな」

「それはそうですね、勝手に期待をしてしまいました、お恥ずかしい。まあ、細身のあなたにその量が一人で食べ切れるとも思えませんが」

 

 

 バチバチと火花が散っているような気がした。

 貼り付けた笑顔の青年とニッコリと微笑み合う。

 

 

「……チッ……、そこに茶碗と箸がある。米は勝手によそって食え」

「ありがとう、頂きます」

 

 

 先に折れたのは青年だった。

 せっかくの鴨鍋を残すよりは、ということだろう。

 つーか米まで炊けて鴨を捌けるなら料理なんていくらでも出来るじゃん?

 私なんて炊飯器でしか米も炊けんよ?

 捌きたての鴨鍋は美味しかった。

 

 

「ご馳走様です。とても美味でした」

「そうかい」

「せめてものお礼に皿は洗いましょう」

「当たり前だ、アンタがやれ」

「ははぁ」

 

 

 言い方〜〜。と思わず笑ってしまった。

 やるって言ってるからいいんだけど、もう少し柔らかく言えないの?

 友達少なそう。

 絶対いないよ。

 

 

 

「……花沢閣下はどういうお人なんだ」

「厳しい方ですよ。ご子息が幼い頃、剣道を教える際に指導に熱が入りすぎて勇作さんの腕を折りかけたことがあるそうです」

 

 

 すぐに私が父の足を折りかえしてやったけどな。そのあと療養と称して父が仕事に出かけなくなったし、私への剣道やらの稽古が激化したから後悔したものだ。

 父は基本的に熱心な教育パパだった。

 よほど息子たちを立派な将校に育てたかったんだろうと思う。

 幼い頃から父との思い出は教育に関するものしかない。

 勇作はそれでも父に理解を示して慕っているようだけど。

 まあ妾を囲おうとして捨てるような甲斐性なしであることも間違いない。

 

 

「……へえ、そうかい」

 

 

 自分で聞いてきたくせに青年は興味なさそうに短く返してくる。

 それから口を開くことはなく、沈黙が続く。

 

 

 青年はおもむろに立ち上がると、「寝る」とだけ残して去っていった。

 自分の部屋に行ったんだろう。

 私も寝よう。腕を枕にして横になる。

 無断外泊は母が心配してしまうので、あまり良くない。

 始発で東京に戻れたらいい、と考えながら目を閉じた。

 

 

 朝早くに目を覚まして、青年が起きて来るのを待つ。

 書き置きでもしてさっさと帰っても良かったけど、一晩とはいえ世話になったので挨拶はきちんとしたい。

 

 

 

「おはようございます」

「……まだいたのか」

「挨拶はきちんとしたいので、一晩ですが世話になりました」

「あぁ……」

 

 

 正座しながら待っていると、まだ眠たげな青年がやって来た。

 私がまだいることに驚いたのか、ほんの微かに目を見開く。

 

 そうして礼を済まして青年の家を出発した。

 振り返ることなく歩いて、列車に乗りそのまま東京に帰った。

 

 

 結局尾形にも会えなかったし、収穫はほぼなしだ。

 さて、これからどうするか。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 結局何も出来ないまま勇作より一期遅れて士官学校に入学した。

 正直軍人になんてなりたくはないけど、そうするのが勇作を助けられる一番の方法だったからだ。

 本当は同期が良かったんだけどな〜!

 日露戦争に間に合うといいね〜!!

 

 

「精進しろ、これは祝いだ」

 

 

 父から封筒を渡された。一言断ってから中を見る。

 百円札が十枚……。

 この時代の千円は平成でいうと数千万ほどの価値があってだな……。

 士官学校に合格しただけで受け取っていい額ではないのは確かである。

 

 

「そんな、受け取れませんよ」

「構わん。好きに使え」

 

 

 スンとした父の言い方は渡したあとは家に返すでも好きなもの買うでも好きにしろという意味が込められていそうだった。

 試してるのか?

 クソが……豪遊してやろうか。

 

 

 

「英作! 合格おめでとう!」

「ありがとう、勇作。ところで腹は減ってないか?」

「えっ?」

 

 

 勇作と共にカレーを食べた。

 数千万も一気に使ったら家庭が傾くじゃん??

 そしたら母上が大変でしょ!?

 

 あと勇作の意見を聞きながら、お高めの双眼鏡を買って残りは母に渡した。

 

 

「まあ……返さずとも好きなものを買って良かったんですよ、英作」

「いえもう勇作とカレーを食べましたし、双眼鏡も買いましたので。あとは家にお返しします」

「……どうしても軍人になるのですね」

 

 

 目を伏せて、母に問われる。

 母が内心で息子たちに軍人になってほしくないと思っていることは勇作も薄々気が付いているだろう。

 ただでさえ華奢な母の体がより小さく見えて痛ましい。

 けれど、そうするべきだと私自身が信じている。

 

 

「はい」

「……花沢の男児の務め、ですものね」

「そうですね、それもありますが……顔をあげてください、母上。軍属の者として不届きな考えかもしれません。それでも私が軍を志すのは勇作を家に連れて帰って来るためです」

 

 

 わずかに目を瞠り、母が顔をあげた。

 母へ安心して欲しいと笑いかける。

 

 

「勇作を連れ帰るために私も死ねません。必ず生きて戻ります」

「ッ……英作、あなたという子は……!」

「ハハア、父上に知られたら今度こそ叱られてしまいますね」

 

 

 冗談めかして言えば、袖で顔を隠して母が肩を揺らした。

 気休めにはなっただろうか。

 少しでも明るい気持ちになれたならいい。見送るときは笑って見送ってほしいものだから。

 

 

 

 士官学校で陸士候補生をしている間、勇作に見合いの話がでたらしい。

 

 

「勇作が見合いブフォッ」

「笑い事じゃないよ、英作……父上は私に聯隊旗手となることを望んでいるのに、結婚をしたらその、童貞ではいられないだろう?」

 

 

 煙草を咥えながら、困ったと肩を落とす勇作。

 聯隊旗手の暗黙の条件の一つに童貞であることというのがある。

 父は勇作を聯隊旗手に望み、母は死亡率の高い聯隊旗手になどさせるくらいなら見合いでもして童貞を奪ってしまおうと画策しているわけだ。

 将校となる息子たちを見送るのと、より死ぬ確率が高い役職に就かせるのでは話が変わってくるよね〜。

 

 

「まあ、俺も今回ばかりは母上に賛成するけどな」

「ええ!?」

「聯隊旗手なんてならんでいい。さっさと身を固めて脱童貞しとけ。戦争になったらいつ死ぬか分からないんだからよ」

「童貞であることは未練にはならないでしょ……それに身を固めるって話をするなら英作もだろ?」

「俺はいいんです〜、結婚しないから」

「なんだい、それ」

 

 

 勇作はそういうと納得いかないという顔でぷっくりと唇を尖らせた。

 童貞だけというなら、勇作を脱童貞させてしまえばいい。

 私も本気で勇作に聯隊旗手にはなって欲しくない。

 

 

「そういや相手の方はどんななんだ?」

「それが見合いの話が上がっているというのを聞いただけで続報はないんだよね。相手の方に他に良い方がいたのかな?」

「ふ〜ん?」

 

 

 なんだかきな臭いなあ。

 

 

「帝国ホテルで御令嬢と会う約束? 勇作が?」

「ええ、そうなんですよぉ。お見合いをなさるって話でしてねえ、連絡は菊田軍曹に取り次ぐようにように言われてしましてね、変だなぁと」

「ああ……なるほど。ありがとうございます、鈴木さん。よければコレ、お礼に。あと一つ、勇作にも遠回しに同じ話をして頂けますか」

「えぇ! 構いませんよぉ!」

 

 

 資生堂の化粧水を事務の鈴木さん渡して、帝国ホテルへと向かった。

 つまり父側の工作ということだろう。

 直接注意しないあたり、父は母の心を慮る気はあるらしい。

 まあ、花沢家の醜聞を広げたくないという思惑もありそうだけど。

 

 

 お見合いのお嬢さんがマジで勇作の童貞を奪ってくれたらな〜〜。

 そしたら勇作は聯隊旗手になんぞならずに済むのになあ。

 

 

「ああ、いた。英作」

「勇作、鈴木さんから話は聞いたか」

「うん、どうやら色々と混み合った事情がありそうだね。ところで菊田軍曹殿は……」

 

 

 帝国ホテルの廊下を進んでいると、勇作が合流した。

 鈴木さんはうまいこと話をしてくれたらしい。

 

 

「ブフォッ!!」

 

 

 廊下の先から振袖姿の令嬢と軍帽を被った全裸の男が手を繋いで走ってきた。

 絵のインパクトに思わず吹き出す。

 

 

「な。なんでフリチン……!!」

「花沢勇作……!!」

「きみはこの前の、…どうして裸なんだい?」

 

 

 困惑しながらも、問いかける勇作の横を何も語らず御令嬢とともに通り抜ける全裸。

 

 

「な、なんだったんだろう……あ、菊田軍曹殿?」

「違いマース」

「せっかく来たのに結局よく分からなかったなあ」

「本当だね、菊田軍曹殿もいないようだし……」

「多分、今回の仕掛け人は母上なんだけど。……母上の気持ちも汲んでやってくれよ、勇作」

「それは……」

 

 

 廊下の先から軍人が歩いてきているのが見えた。

 話を止めて道を空けると、敬礼をする。

 

 

「……僕は戦争の最前線で国を守れることを誇りに思うよ。もしも聯隊旗手に選ばれたならそれほど名誉なことはないし、それが正しいことだと僕も信じている」

「……そっかぁ」

 

 

 どんなに引き留めても勇作は揺らがない。

 聯隊旗手の条件を誰よりも十全に満たす勇作は、父の希望通り聯隊旗手に選ばれるだろう。

 

 

 軍人にあるまじき考えだと罵られようとも、それでも私は勇作に生きて欲しい。

 きっと父上はこんな孝行息子が死んだとしても、眉一つ動かさないのだろう。

 

 それがなんとも腹立たしい。

 

 

 ★

 

 

 日露戦争が始まった。

 ギリギリで卒業が間に合い、私も少尉として出征することになった。

 

 

「英作!」

 

 

 兵舎で勇作に呼び止められた。

 勇作がはにかみながら、手を振っている。その後ろに勇作と比べると背の低い軍人が一人。

 

 

「どうしたんだ、勇作。そちらは?」

「この方は尾形百之助上等兵殿で、わたしたちの兄さまだよ」

「アニサマ」

「……お初にお目にかかります、花沢英作少尉殿。勇作殿がどうしても、とおっしゃるもので、こうして顔を見せに参りました」

 

 

 ニッコリと明らかに作ったものだと分かる貼り付けた笑みで尾形が挨拶をしてきた。

 勇作を殺すメンヘ……。

 その顔をマジマジと見つめて、あ、と思った。

 以前、茨城で尾形トメに会いに行ったとき、墓まで案内してくれた上に家に泊めさせて貰った青年だった。

 

 尾形も気がついたのか、私を見てほんの僅かに目を丸くしている。

 

 

「初めまして尾形上等兵殿。そこな勇作の双子の片割れをしております、花沢英作と申します」

 

 

 勇作に気取られぬようニッコリと勇作スマイルで微笑んでおく。

 軍帽の下で尾形の目が更に大きく見開かれる。

 しかしすぐに立ち消えて、私を推し測ろうとでもするように濁った黒色の目は細められた。

 

 

「ところで俺もアニサマとお呼びしたほうが良いですか?」

「……ご遠慮ください。勇作殿にも規律が乱れると何度も頼んではいるのですがね」

「あはは、けれど人がいないときは構わないでしょう? 兄さま。わたしたちは兄弟なのですから、ぜひそうお呼びしたいのです」

「……そうですかぁ」

 

 

 勇作のキラキラを真正面から浴びて尾形が遠い目になってしまっている。

 分かる。

 勇作のキラキラは陰の者に致命傷を与える代物なのだ。

 

 

 そうして尾形と今度こそ知り合いになったわけである。

 いやお前、尾形本人なら自己紹介しとけよ。お前に会いに茨城まで行ってたんだぞ。

 なんで茨城では正体を隠した?

 

 

 

 そうして少しずつ少しずつ、勇作の死が近づいてくる。

 嫌だな、嫌だ。どうにかしたい。どうにも出来ない。

 

 父と尾形トメとの確執を乗り越えることもできなかった。

 士官学校には落ちたし。

 勇作が聯隊旗手になることを防ぐのも失敗した。

 そして勇作とは違う部隊にいる。

 

 

 勇作が後頭部を撃ち抜かれようと、そのとき遠い場所にいるだろう私は庇うことすらもできない。

 

 

 

 私には何もできない。

 

 戦友と進軍しながら何も変えられない己を責める。そんな風にうわの空であったから、足元に忍び寄るソレに気がつかなかった。

 

 目の前で光が弾けた。

 

 

「小隊長!!」

 

 

 近くの部下に勢いよく押し倒された。

 一拍遅れて、腹部に溶かした鉄でも流し込まれたのかというような灼熱が襲った。

 

 

「英作殿!!」

「花沢少尉が巻き込まれたぞ!!」

「小隊長! ご無事ですか!!」

 

 

 次々に戦友が叫び顔を覗き込む。部下は?

 

 運び込まれる直前に地に伏して、半身を無くした部下を見た。

 即死だろう、と一目でわかる姿に言葉を失い、私はそのまま野戦病院に運ばれていった。

 

 

 自分はどこまでも無能なのだなあととても嫌な気持ちになった。

 熱が出てきて、腹はまだズクズクと痛む。熱のせいか頭がぼんやりとする。

 

 微睡みながら、夢を見ていた。

 列車の上に義眼をはめた血みどろの軍人の男がいた。狙撃銃を構えて、惑っている。

 その傍らに勇作が立っていて、男に寄り添うように狙撃銃を支えると左目を──。

 何が間違いだったんだろう。

 初めからだとでもいうのか。クソ野郎。

 

 

「……英作」

 

 

 微睡んでいると名前を呼ばれて意識が浮上する。

 軍帽を被った人影が顔を覗き込んでいた。

 視界がぼやけて顔の判別ができない。けど私を呼び捨てで呼ぶのは勇作だけだ。

 

 

「勇作」

 

 

 私が死にかけている今、説得したら勇作は母の元に帰ってくれるだろうか。

 手を伸ばすと、しばらくの逡巡のあとそっと握り返された。

 

 

「おい、すぐに握り返せよ」

「す、すまん……」

「なあ、勇作死ぬなよ」

 

 

 長引く戦争のせいか、勇作の手は乾燥でざらついている。

 いつもはテュルテュルの赤ちゃん肌なのになあ?

 

 

「もしも私が死んだら母上のこと、頼むからな。お前も死んだら殺す。私が死ななかったら、いま言ったことは忘れろ」

「……」

「勇作、返事ぃ!!!」

「わかった……」

 

 

 よし。

 返事を確認して、手を離した。満足して目を閉じる。

 

 

「……異母兄のことを英作はどう思う?」

「はあ? 何、急にあんだけ兄さま兄さま言ってるくせに」

「いや……実際はどう思うかと思ってな」

「……尾形家については完全なる父上の落ち度だよ。最後まで囲えないなら妾なんて持つべきじゃない」

「……それで?」

 

 

 ソイツは勇作を殺して父を殺して、数年も経ってようやく自覚した罪悪感に押しつぶされて自死を選ぶ。

 前世の私はそのシーンを読んで、心底から尾形百之助に幸せになって欲しいと願った。

 

 

「……幸せになってほしいな。どんな人生を歩むかに生まれは関係ないよ、本妻の息子が言えることじゃないけど」

 

 

 眠気が襲ってくる。

 意識が暗闇に引きずり込まれていく感覚。

 

 

「……おやすみ、勇作」

「あぁ……おやすみ」

 

 

 最後に目を開けて、見えたのは勇作のものと違う真っ黒に濁った目だとか。まさかそんな。

 お前!!!

 騙したな!!!!?

 

 それでも睡魔に抗えず、意識は途切れる。

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 うわ〜〜会うの気まずいな〜〜。

 

 

「英作!! 目覚めたんだね!!」

「あ〜〜、勇作と、尾形上等兵殿。珍しい組み合わせですね」

「英作の見舞いに行くからと、わたしが兄さまをお誘いしたんだ」

「へえ、相変わらずのべったりなようで。いつもこうでは尾形上等兵もさぞやお疲れでしょう?」

「いえ……お互いに立場もありますので、とても正直には言えませんな」

「あ、兄さまぁ!」

 

 

 尾形の冗談混じりのおそらく本音に、冗談と信じ込んで勇作はプンスコと頬を膨らませている。

 勇作はどうして殺されてんだっけなあ……。

 本妻の息子を妾の息子が殺しそうな動機ならいくらでも想像できるけど、確か尾形の動機は少し違っていたような気がする。

 

 

 医師の話では驚異的な回復速度で傷が塞がっているらしく、どうにも助かりそうという話だった。

 は、はえ〜〜。

 遺言を残したのが勇作でなくて、たぶん話す相手もいないだろう尾形で良かったと思うべきなのか。

 

 尾形にも友達いなくてよかった。

 

 

 勇作は暇を見つけては野戦病院に見舞いにやって来た。

 戦場が近いこともあるんだろう。

 

 

 何も出来ない焦燥といつ"こと"が起こるかと不安で胃がキリキリとしてくる。

 相も変わらず風穴が空いたばかりの腹も痛んでいるというのにだ。

 

 

 勇作を死なせないために、私に出来ること……。即断即決は私の長所であると、勇作も言ってくれた。

 薄暗い野戦病院の一室で身を起こせば、薄く硬い寝台が軋んで音をたてた。

 

 

 

 

 三十年式歩兵銃。

 表尺の目盛は最大二千メートル。有効射程は狙撃手の腕にもよるが五百メートルほどに過ぎない。

 

 

 ポンチョを被り、軍帽を目深に被れば側から見て誰も私を花沢英作とは思わない。

 そもそも制服には群れとしてのつながりを強めるために傍目から個をなくす効果だってある。

 銃を構えるとズクズクと腹が痛みだす。。

 私は怪我で野戦病院に運ばれている(いることになっている)

 少々雑にだが、工作もしてきた。

 

 照準を合わせる。

 脳幹を避ければ、即死はしない……多分。

 結局私にできることといえば、殺す前に殺す。

 撃たれる前に撃つことくらいしかない。

 

 

 バレれば軍法会議だろう。花沢家の名誉は地の底に落ちる。

 それでもいい。

 頭を撃たれても死ななかった事例をいくつか知っている。

 どうか、死んでくれるな。

 狙うのは後頭部、ではなく右頭頂葉。

 うまくいけば半身不随で済む。

 都合よく奇跡が起こることを祈りながら、引き金を引いた。

 

 

 最前線で旗を持っていた勇作の体が大きく崩れていく。

 

 

「勇作殿!!!」

 

 

 誰かが勇作の名前を呼ぶ。頼む、どうか。どうか、と祈りながらその場を離れた。

 

 

 

 野戦病院に戻り、開いた傷の包帯を自ら変えた。血の滲んだ軍服と包帯は他の重傷者の荷物に紛れ込ませる。

 

 

 寝台に戻り、誰にも気づかれていないと一息ついたところでドッと汗が噴き出た。

 呼吸が乱れて、動悸が止まらない。知らないうちに手がブルブルと震えている。

 別に人を撃つのは初めてでもないくせに……大きく深呼吸を繰り返す。

 

 ぎゅっとシーツを握りしめた。

 

 しばらくして、院内は慌ただしくなり勇作が運び込まれてきたことを知らされた。

 

 額から血を流す勇作を見て、ゾッと背筋が凍りつく。

 

 死ぬな、死ぬな死ぬな。頼むから死なないでくれ、勇作。

 自分の所業を目の当たりにしたことで、呼吸が浅くなっていくのが分かる。

 しんこきゅ、うをしなければ頭に酸素が回らなくなる。

 

 

「英作少尉! あなたは安静にしていてください!」

「心配なのは理解できますが、ひどい顔色です」

 

 

 勇作が治療を受けるさまをじっと見つめていれば軍服を着た某に肩を押されて、寝台に戻される。

 もしも、勇作が死んでしまったらと思えば気が気ではない。

 寝台の上で知らせを待つ。

 その後、部下により勇作はひとまずの応急処置だけして、本土に送られると知らされた。

 

 見送ることも出来ないまま、時間だけが過ぎていく。

 聯隊旗手である勇作を失ったことで逆に二七聯隊の士気は高まり203高地の山頂に鶴見中尉が国旗を突き立てたそうである。

 

 

「英作殿」

 

 

 私の元に現れたのは尾形だった。

 気がつけばあたりは暗く、夜が来ていた。

 爆発の音も怒号もやんでいる。

 ポンチョを被った尾形は薄ら寒く口の端を吊り上げている。

 

 

「なぜあなたがここに? 尾形上等兵」

「先ほどは随分と慌てていらしたご様子で」

 

 

 先ほど……勇作が運び込まれて来たときのことだ。

 双子の片割れが頭を撃たれたら慌てて当然だろうに。

 

 

「忘れ物を届けに参りましたよ」

 

 

 私の足の上に血と泥で汚れた双眼鏡を置かれる。

 尾形のいう“先ほど”が勇作を撃ったときだと察した。

 いや、見られてない。

 誰にも気づかれていないはずだ。

 そもそも双眼鏡……。

 

 

「俺のものではないな」

「おや、そうでしたか?」

「どこに落ちていたものです? 兄さま 」

「……」

 

 

 にっこりと微笑んで勇作の真似をすれば、す、と尾形の目が細められた。

 

 

「しっかし驚きましたなあ、まさか実の兄君を狙撃なさるとは」

「ははぁ、兄さま。いったい何の話でしょう」

「勇作殿が聯隊旗手となられることを最後まで反対されていたとも聞いております。仲のいい兄弟かと思えば、もしや、自分よりも父に目をかけられている勇作殿を腹の底では疎ましく思っておられたので?」

「……」

 

 

 ニヤニヤと嫌な笑い方をしながら、尾形は饒舌である。

 濁り方は変わらずともごく僅かにハイライトの入った尾形の目は嬉々としていて、鬼の首を獲ったかのようだ。

 

 

「兄さまが何をおっしゃっているのか英作にはちっとも理解ができません」

「ハハッわかりませんか、本当に?」

 

 

 尾形の口ぶりはやけに確信があった。

 もしかして本当に前線で私を見でもしたのか?

 あの混戦で狙撃手一人一人に気を配る余裕はないはずだが。

 それともブラフ……ただのカマ掛けだろうか。

 私としては後者であって欲しいけど。

 

 

 尾形が寝台の横にしゃがみ込む。

 下から私の顔を覗き込むと、そっと左手を重ねてきた。

 

 

「俺が撃ったことにしてもいいんだぜ、英作殿」

「……ハ?」

 

 

 ニヤニヤ笑いから一転し、尾形は実に慈愛のような穏やかな微笑みを浮かべていた。

 そして右手で自らの右頭頂部を指さして見せる。

 

 

「あの乱戦で、一人の頭に精密に弾を撃ち込める腕を持つのは俺とアンタくらいなものだ。アンタはわざと脳幹からズラしたんだろう? 狙いは分かるぜ、俺も狙撃手だ。殺すつもりはなかったんだろうとな」

 

 

 微笑む尾形へ目を細める。

 何を言い出すつもりかと、言葉の続きを待った。

 

 

「だがもしも勇作殿が目覚めたとして、自分を襲った凶弾が“片割れ”からのものと知れば……どう思うだろうな?」

 

 

 言葉の意味を理解して、途端に頭に血が昇る。

 こいつ、こいつ……!!

 そうだろうな、それならばいくら私が否認したとてしても疑惑は残り続けるだろう。

 

 ひくりと口の端が痙攣する。

 重ねられた手を振り払おうと力を入れれば、さらにそれを上回る力で手を握り締められた。

 

 

 尾形は立ち上がると寝台に乗りだすようにして右手を私の肩に置いた。

 

 

「俺に協力しろよ、花沢英作」

 

 

 すぐ耳元で尾形が囁く。

 とんでもねえ事態になってきたなあ、と遠く切り離した自我で思う。

 尾形を睨みつければ、尾形はなんとも満足そうにまた頰を緩めるのである。

 

 

 はわわぁ……回復したら逃げよ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。