勇作殿の片割れは即断即決裏目ボーイ   作:あん仔

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回想 02

 網走監獄を囲む山から監獄の中を監視する。

 

 

 教誨堂の前で、杉元とのっぺら坊が何かを話している。

 キロランケの合図はない。

 

 その目と鼻の先、向かい合うよく似た体格の男が二人。

 何かを話し、二人はきつく抱きしめ合うのだから、自然と口角が持ち上がった。

 

 

「ハハッ、泣かせるねえ。生き別れた兄弟の再会かい」

 

 

 勇作と英作だった。

 おおかた鶴見中尉の策謀だろう。

 花沢少尉たちがお互いを大事に思い合っているのは周知の事実だ。

 鶴見中尉は勇作にどこまで話したろうか。

 父である花沢中将を俺が殺したことまで話しただろうか。

 英作もまた、遅からず戦地から脱走したのは俺の脅迫のためであると明かすだろう。

 

 

 ──キロランケから合図があった。

 

 

 思考を切り替え、小銃の引き金を引いた。

 まずはのっぺら坊。つぎに邪魔な杉元を。そしてその次は……。

 

 

「……やはり、俺では駄目なんだな」

 

 

 放った銃弾は真っ直ぐに杉元とのっぺら坊へと駆け寄ろうとした英作の額を目掛けて飛んでいった。

 その額から間違いなく血飛沫が飛び散るのを見た。

 地面に倒れ込んだ英作を勇作が身体で覆いかぶさり庇いながら、物陰に引きずっていく。

 

 

「ははあ、本当に、どこまでもお綺麗な兄弟だな……反吐が出るぜ」

 

 

 吐き捨てる。

 手に入らないのならば、殺してしまえ。

 そんなものに価値など、ありはしないはずだと言い聞かせ、くだらない感情は切り捨てるのだ。

 

 

 とにもかくにも今は不死身の杉元を殺そう。

 今、確実に殺しておきたい。

 

 

 しかしそれも谷垣の邪魔にあい、風向きすら変わったことで困難となった。

 そしてアシㇼパとキロランケたちの元へと向かった。

 

 

「……勇作殿も殺しておくべきだったか?」

 

 

 ふと思ったが、最早どうでもいいと首を振った。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

「良い将校の素質とは何か分かるか」

「いいえ」

「まあそうであろうな。まず、第一に誠実であること。第二に勇敢であること。第三に冷静であること、それから第四──」

「まだあるのですか」

「ああ、まだある。大人しく聞いておきなさい、おまえにも無関係の話ではないのだから。第四に謙虚であること、だ」

 

 

 口髭の下でニンマリと鶴見中尉の口元が笑みの形を作っていることに気がつく。

 酷薄な光がその瞳に浮かんでいる。

 

 

「はて、その全てをおまえは有しているだろうか。なあ──尾形百之助よ」

 

 

 そんなもの全てを有する者の方が珍しかろう。

 鶴見中尉が見えなくなってから内心で毒づく。

 胸の内を焦燥が焼く。だから何だと言うのだ。

 

 人には言えない目的があって入営した。

 誠実ではないだろう。

 卑劣にも敵から最も遠い場所で引き金を引く。

 勇敢でもないだろう。

 自分の狙撃の腕に絶対の自信がある。

 謙虚であるはずがない。謙虚など糞喰らえだ。

 

 だが冷静であろうとは出来るはずだ。

 

 兵舎の廊下を歩きながら、なんて取り止めもなく考える。

 鶴見中尉に拾われたという自覚がある。

 あるいはそこに見たこともない父の姿を重ねている自覚すらもある。

 ……子は、きっと父からの言葉をひどく重く受け止めるはずだ。

 

 だからこうして父のようにも思う鶴見中尉の言葉に揺さぶられてしまうのは自然なことだ。

 何もおかしくはない。

 

 

 良い将校の素質を一つくらいは俺とて有しているはずである。

 俺の父上は、“立派な将校”であるのだ。

 

 

『兄さまは父上によく似ておられます。目元など本当にそっくりで、私はその瞳で見つめられると、どうしても緊張してしまいます。あっ、もちろん悪口などではないのです。……兄さまに見つめられると身が引き締まります』

 

 

 ……俺は父上に似ているらしいので。ならばどこか中身も似ていておかしくない。

 なにもおかしくない。

 

 

 扉を開けると煙草の煙の匂いが鼻腔をくすぐる。

 窓辺にいつものように花沢英作が佇んでいた。

 失敗した。

 舌打ちを飲み込む。

 どうにも無意識に人を避けて、いまでは花沢英作の喫煙室となった小部屋に足を運んでしまっていたらしい。

 

 

 突然入室し、敬礼もしない上等兵に花沢英作は視線すらも向けることをしない。

 とくに気にしたそぶりもなく、煙を吐き出しては虚空を見つめている。

 

 

 ふと思う。

 ならば、軍神の再来だとか持て囃されるコイツには良い将校の素質がすべて持っているのだろうか。

 

 

 花沢英作の横顔をじっと見つめる。

 

 

 誠実さ、はあるのだろう。

 父の捨てた女に何通も手紙を送るマメさはあった。

 勇敢でもある。

 自分よりもはるかに体格の優れた兵士と組み手を取り、見事に投げ飛ばすサマを見たことがある。

 冷静か?

 ……突然入室した兵卒の存在を無視し続ける程度には冷静沈着であるかもしれない。

 

 ……だが間違っても謙虚ではないな!

 

 

「やけに楽しそうだな、尾形上等兵」

「ハッ、思い出し笑いであります。花沢少尉殿!」

「……英作で構わん。同じ階級にもう一人、花沢がいると混乱するだろう」

「……ですが、規律が……」

「もちろん俺とて呼び捨てにしろと言っているのではないぞ、アニサマ」

「……承知しました、英作少尉殿」

 

 

 やはり謙虚ではない。

 これが謙虚であるという奴がいるなら、それは余程の阿呆だ。

 間違いない。

 

 満足げに口の端を緩めると花沢英作はいつものごとく一本だけ減った煙草の箱を俺へと押し付け出ていこうと──。

 

 

「何故、毎度私に残りを渡すのです」

「口止め料だ。ここのことは誰にも言うなよ」

「…………」

 

 

 片目を閉じて、唇に人差し指を当てると花沢英作はそのまま部屋を出て行った。

 後に残されたのは俺と一本だけ減った煙草の箱と匂いだけだった。

 訳もなく手に力がこもり煙草の箱はぐしゃりと潰れた。

 ただそれだけの出来事だ。

 

 

 すぐに日露戦争が始まって、第1師団に続いて第7師団もまた大陸に渡った。

 203高地攻撃の最中に花沢英作少尉が、少尉でありながら戦死した中尉の代わりに小隊長に任ぜられたとも風の噂で耳にした。

 軍神の再来という名に相応しい戦功を挙げていると聞き、ああ、やはり……という諦観。

 

 前線にて、旗を持ちながら駆けていく勇作の背中を見ながら同じような感情が胸を支配する。

 俺とは違うのか。

 両親から祝福されて愛された子供たちは、そうでない俺と違うのか。

 

 

「では殺さない方向で……中将閣下の息子はもうお一方おられますが、そちらはどうされます」

「うむ花沢英作少尉か。あれは駄目だ」

 

 

 鶴見中尉の言葉にほんの少し心が揺れた。

 

 

「……駄目とは?」

「あの方は良くない。勘が鋭すぎる上に引き込めば逆にこちらの手勢を飲み込む可能性がある。さらに彼がこちらの手の上で踊り続けてくれる保証もないのだ、おまえには辛い仕事をさせてしまうことになる……尾形上等兵、隙を見て花沢英作少尉を殺せ」

「……わかりました」

 

 

 鶴見中尉の命令は簡潔だった。

 勇作は殺さず利用する。

 英作は殺して安全を取る。

 

 簡単だ。鶴見中尉直々の仕事はこれまで何度も行なってきた。

 今回もそれと同じだ。

 

 

 運のいいことに、花沢英作が負傷して野戦病院に運ばれたことを知る。

 腹部への外傷。

 懸命な治療の甲斐なく死んでしまう。よくある話だ。

 

 

 簡易寝台で眠る花沢英作を見下ろす。手には銃剣。腹の包帯にはまだ血が濃く滲んでいる。

 傷に沿うように銃剣の切先を刺せばいい。

 内臓に穴を開ければ、それだけで済む。

 

 

「……英作」

 

 

 気がつけば、なぜか名前を呼んでいた。

 俺の呼びかけに答えるように花沢英作の瞼が持ち上がり心臓が飛び跳ねる。

 

 ぼんやりとした目つきのまま花沢英作の頰が綻ぶ。

 柔らかな、これまでの花沢英作とはあまりにも印象の異なる微笑みで、さらに思考が困惑の渦のなかへと突き落とされた。

 そんな笑い方も出来たのか。

 

 

「勇作」

 

 

 笑みを作る乾いた唇が、片割れの名前を呼ぶ。

 そこでようやく合点がいった。

 ああ、俺と勇作を間違えているのだ。然もありなん。当然だろう。

 

 

 力なく手が伸びてくる。

 どうしろと、その手を前に逡巡すれば、微笑みがすぐに険しいものへと変化する。

 

 

「おい、すぐに握り返せよ」

「す、すまん……」

 

 

 思わず謝っていた。

 けど俺は悪くない。

 

 

「なあ、勇作死ぬなよ。もしも私が死んだら母上のこと、頼むからな。お前も死んだら殺す。私が死ななかったら、いま言ったことは忘れろ」

「……」

「勇作、返事ぃ!!!」

「わかった……」

 

 

 早口で告げられる片割れへと向けた花沢英作の本心に瞠目した。

 あの涼しげな顔の下で、勇作の心配をずっとしていたのかと。

 そして、今ならばとも思った。

 今ならば花沢英作が俺をどう思っているのか聞けるのではないだろうか。

 銃剣を背中に隠して、問いかけることにした。

 殺すのは聞いた後でもいいだろう。

 

 

「……異母兄のことを英作はどう思う?」

「はあ? 何、急にあんだけ兄さま兄さま言ってるくせに」

「いや……実際はどう思うかと思ってな」

「……尾形家については完全なる父上の落ち度だよ。最後まで囲えないなら妾なんて持つべきじゃない」

 

 

 ここまでは予想できた。

 母宛の手紙にも何度か記されていた。そう思っていなければ、ああも何度も父の捨てた妾宛に手紙など遅れまい。

 

 

「……それで?」

 

 

 握られたままの手のひらにわずかに汗が滲む。指先が冷たい。

 英作の返答を待ちながら、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

 

「……幸せになってほしいな。どんな人生を歩むかに生まれは関係ないよ、本妻の息子が言えることじゃないけど」

 

 

 先ほどまでとは違う、遠いどこかを見つめるように英作は笑ってみせる。

 それはきっと、俺へと向けられたものだった。

 

 なんだそれは。

 一体、なんなんだ。

 どうしてそんなことを。どうして、どうしておまえたち( ・・・・・)は……!!!

 湧いて出てきた激情を飲み込むように奥歯を噛む。

 ああ、これが。これこそが祝福された子供なのだろう。

 背中に隠した銃剣を握る手に力を込めた。

 

 

 殺そう。

 そうだ、最初から殺すつもりだった。こんな人間がいていいはずがない。

 英作の瞼が瞬きを繰り返す。

 むにゃむにゃと何かを不明瞭に言ってから、また笑みの形を作る。

 

 

「……おやすみ、勇作」

「あぁ……おやすみ」

 

 

 ほんの一瞬、英作の焦点が俺に合った気がする。

 気のせいだろうか。

 気のせいだろう。

 呑気な様子に殺す気まで簡単に削がれてしまった。

 

 ……どうせ、コイツは前線に立つのだ。俺が手を出さなくてもすぐに死ぬだろう。

 今でなくてもいい。

 機会はいくらでもあるのだから。

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「勇作殿! 勇作殿!!」

 

 

 戦友たちの声がする。しかし俺は、勇作へ駆け寄ることもせず、銃弾の放たれただろう方角を振り向いた。

 個性を捨てて、同じ軍服に袖を通した兵隊蟻共が目に入る。

 違う、違う。

 その中でそそくさと離れようとする一等卒を見つけた。

 アイツだと、よくよく目を凝らして見てみれば、見間違えるはずもない。

 

 ああ、あれは。

 あの銃弾を放ち、勇作を撃ったのは間違いなく英作であるのだ。

 

 確信して思わず緩んだ頰を手で隠した。

 あの放たれた銃弾に殺意はなどというモノはほんの一欠片も込められていなかった。

 ただ一人へ向けてだけ、脇目も振らずに一心に放たれた銃弾(それ)

 

 では、殺意でないのなら、あの銃弾に込められていたものは一体なんだというのか。

 何も分からず、けれど俺はそれ(何か)が欲しいと強く思った。

 

 古い記憶が蘇る。

 

 ──母の足元に花沢英作からの手紙が山のように重ねられていた。

 ──手紙の上でブラブラと真白い足が揺れている。

 

 

 あれが欲しいと思った。

 どうすれば手に入るだろう。

 ああ、そうだ。

 手に入れるまでは、英作に死んでもらっては困るのだ。

 アイツを逃そう。

 鶴見中尉から逃してやろう。

 

 

 日露戦争が終わり、しばらくして英作の葬式が開かれた。

 病院を退院したばかりの勇作に誘われるまま参列した。

 棺は空である。

 そのことを頭で理解しているはずなのに勇作は何度も英作の名前を呼んで棺に縋りつく。

 十分に英作は愛されていた。

 そして英作も愛していた。

 

 

「兄さま。恥ずかしいところをお見せしました」

「何を恥ずかしがるのです。兄弟を亡くせば、誰でも悲しいものです、きっと……」

「兄さまもそうなのですね、英作も喜びます」

 

 

 やたらと満足げに勇作は頷く。

 その真っ直ぐな目を見つめ返すことができなかった。

 本当は生きている。……俺が脱走させたと言うつもりもないのに、到底明かせない気分にさせられた。

 どうせ俺の元に帰ってくることはないだろうが、それもいいだろう。

 そのときは全てが済んでから地の果てまで探し歩いて、俺が殺そう。

 手に入らないのならば殺してしまえばいい。

 

 

 もちろん決して、勇作には知られることのないように。

 

 

 

 

 そう思っていたのだが、英作は戻ってきた。

 何を考えているのか、ちっとも悟らせない常通りの平然とした顔で俺に力を貸すと抱きしめてくる。

 

 

 背筋が粟立つ。鳥肌が全身に広がる。

 違う。俺が欲しいものはそれじゃない。

 

 

 茨戸で、夕張で、月形で──金塊を巡る旅の道中で見せられた英作の一面はどれもこれも驚くものばかりだった。

 けれどそれは、入営前に茨城で見た姿と重なり不思議と違和感はなかった。

 それこそが英作なのだろうと、自然と受け入れられた。

 

 

 予行練習だと指揮を執り、身を挺して庇われ、英作が女たちを助けるさまを見た。

 

 誠実で勇敢で、冷静でその上に謙虚で、英作はきっと人の上に立つために生まれてきたのだろう。

 ああ、軍神の再来と謳われただけある。

 あの鶴見中尉をして、殺すしかないと思わせただけはある。

 

 知るごとに英作から、兵営での勇作と同じものを感じる。

 それが何かを知っている。

 だが、欲しいのはそれじゃない。

 

 

 どうすればいい。

 何をすれば、英作は俺にあれをくれるのだ。

 そうするうちに、ついには網走監獄まで来てしまった。

 将校になりたいのも、幸せになりたいとおもったのも決して嘘ではない。

 嘘ではないが、何を賭しても欲しいものではない。

 

 

 俺はあの勇作を撃った(母を殺した)銃弾(手紙)が欲しい。

 

 英作を撃った。銃弾は額に当たったが、どうしてかまだ生きていると感じる。

 殺意はなかった。

 おそらくきっと生きている。

 英作にも出来たのだから俺にも出来よう。

 

 

 だから、追ってこい。

 どこまでも追って俺を殺しに来い、花沢英作。

 

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