勇作殿の片割れは即断即決裏目ボーイ   作:あん仔

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樺太編
樺太へ発つ


 目を開ける。視界いっぱいに白い額当てをつけた男の顔があった。

 ぎょろりと男の黒目が動き、視線がかち合う。

 

 

「お久しぶりです、鶴見中尉殿」

「ああ、久しぶりだな。花沢英作少尉」

 

 

 白い歯が口髭の下からわずかに覗く。

 視界が狭い。右目に違和感。触れて確認しようと右腕を動かしかけた。

 肩に激痛が走る。

 

 

「……」

「……ふふっ、駄目だぞう、安静にしなくては。英作少尉、両肩が脱臼しているそうだ。月島、鏡を」

「はい」

 

 

 だっきゅう。

 枕のそばで頬杖をつきながらクスクスと笑う鶴見中尉に頰を突かれる。

 

 着物の襟元から肩を覆う包帯が見えた。

 どうやら通風口を通ったとき、イケたと思ったけどイケてなかったらしい。

 妖怪にならずに済んだことを喜ぶべきなのか。

 自分ではやれていたと思っていただけに、ちょっと恥ずかしい。

 

 

 月島が鶴見中尉に手鏡を渡す。鶴見中尉がそれを私へ向けた。

 鏡に映り込んだ私は、やたらと厳重に右目に包帯を巻かれている。

 視界が狭いと思ったのはコレらしい。

 

 

「瞼と眼球の裂傷だ。縫合した医者の話では視力がわずかに低下する可能性があるそうだ、しかし眼球が破裂して摘出になる可能性もあった、もちろん狙撃ならば脳天を撃ち抜かれて死ぬ可能性もあったであろうな。英作少尉よ」

 

 

 ツンツンと頰をつつかれ続ける。

 鶴見中尉が聞きたいことは、それではないはずである。

 両肩はどちらとも動かそうとすれば激痛が走り、抵抗もできない。

 銃を向けられても、剣を喉に突きつけられても抵抗のしようがない。

 私の人生はこれにておしまいというわけだ。

 

 

「……それで私は何をお答えすれば良いですか? 用事があるならば手早く済ませていただきたい──今はとても、疲れているのです」

「尾形上等兵に裏切られたからか? 何故おまえは死んだふりなどした?」

「旅順であなたの……造反の話を聞かされました。ですのでそれは放っておけぬと奉天で死んだふりをして身を隠し、あなたの企みを阻止するための機を窺っていました」

「ふむ」

 

 

 鶴見中尉の問いに力無く答えた。

 嘘ではない。

 杉元たちや土方一派にはそのように話してあるので、その中の誰が捕まっていても辻褄は合うはずだ。

 

 どうせ殺されるだろうと諦めから正直に答えている風を装う。

 鶴見中尉の元に勇作がいるなら、少なくとも公に殺されることはない。

 勇作を手中に収めたなら、利用価値があるということなのだから、その反感を買う真似は避けるはずだ。

 

 

「一年以上もどこで潜伏を?」

「樺太です、樺太より北海道に渡り、それからは各地のアイヌの村に世話になっていました」

「ほう、ほう。一年以上もご苦労なことだ」

「ハハ……、私は己の正しいと信ずることを行おうとしただけであります、結果このザマですが」

「何故、私が反乱を企てたかについては聞いたか?」

「大した理由はないと聞かされていたので。勝手に利潤のためかと」

「戦友のためだ」

 

 

 鶴見中尉の普段ハイライトのない目がキラキラと煌めく。

 声のトーンを落としつつ、しかしはっきり聞き取りやすい声音だった。

 わかりやすくいうと演説のアレ。

 

 

 ──私が反乱を決意したのは、日露戦争での中央の無能な指揮、それから今もあの土地に眠る戦友たちを我らの手で弔うためである。

 

 

 んんああぁ〜〜……。口説かれてる〜〜〜ぅ。

 

 完全に聞こえの良さを重視し、私の正義感をくすぐることを目的とした台詞だった。

 どうとでも言える、と鶴見中尉を見つめ返した。

 効果が薄いと気づいたらしく、鶴見中尉は聞こえのいい言葉の羅列を止める。

 ふと、布団から出ていた手に鶴見中尉の手が重ねられた。

 鶴見中尉が私の耳元に唇を近づけて、さらに囁く。

 

 

「ところでお父上の死の真実を知っているか?」

 

 

 目を見開く。

 鶴見中尉の目がほんのわずかに細められ、髭で隠れてはいるが口の端も持ち上がったのを見てとる。

 今更それ? という驚きだったのだけど、このタイミングでその話題を出すのなら何らかの企みがあるのだろうと察した。

 いいぜ、その劇場に乗ってやる。

 目を見開き、開きかけた唇を小さく震わせる。

 すぐに本心を隠すように眉間へ皺を寄らせて鶴見中尉を睨みつけた。

 

 

「しん、じつ……?」

「ああ、そうだ」

「真実とは、どういうことですか。父は日露戦争で出した犠牲の多さへの自責の念から自刃した、と谷垣から聞かされました、が」

「実は違うのだ」

 

 

 愉しげに鶴見中尉がうっそりと微笑んだ。

 

 

「我々もまさかとは思った、だが花沢閣下が自刃に用いた小刀についていたのだ」

「なにがです」

「尾形上等兵の指紋だよ。このように腹の方へ握り込む形ではっきりと奴の指紋が残っていたのだ。こう、父を抱き込みあたかも自刃に見せかけて、腹を割いたかのように」

 

 

 両手を大仰に動かして、小刀を握り込むような動きをするとそれを自らの腹へと突き立てる仕草をしてみせた。

 生の鶴見劇場に感動してしまう。

 

 いや、うん。尾形が父を殺したことは知ってるんだけど、それはあれじゃん。

 おまえの策謀じゃん?

 それを尾形のせいにしちゃうわけ?

 普通にやばない?

 

 

「そ、んなこと……何故、」

「何故とは。理由など分かりきっているだろう、母を捨て、自分を捨てた父を恨んでいたとして不思議じゃない」

「あぁ……」

 

 

 ため息が漏れる。

 それはあるかも、というため息だ。

 軍人の息子たちを亡くしたとき、残る息子を、妾の息子でも父が愛するのか確かめたいと尾形自身は言っていた。

 だが心の奥底で、恨む気持ちが全くなかったとも言い切れない。

 

 そしてそうなると、と考えて目を閉じた。

 

 

「ならば尾形上等兵は私のことも恨んでいたのでしょうね」

「んんん、あるいはそうかもしれんなあ。英作少尉に私の考えを教え脱走兵の汚名を着せて、ここぞというときにあなたを撃ち殺そうと企んだ」

「……いっときは兄と慕おうとしたことも、あるのです。勇作と同じように、ですが、……母のことを思うとどうしても兄とは呼べませんでした」

「うむ、うむ、いいのだ。もちろん誰もが勇作殿のように寛容であれるわけではない。おまえもまた何一つ、間違ってはいなかった」

 

 

 手の甲を撫でられる。

 ゆっくりと鶴見中尉の上体が離れていくのが分かり、目を開ければまた目が合った。

 全てを受け入れるかのような微笑みだった。あたかも慈愛に満ちた父のような、そんな笑い方だ。

 

 

「子が親を思うのと同じように弟が兄を思うのは当然のこと。おまえは何も間違ってなどいなかったとも」

「………尾形はどこへ?」

「アシㇼパを連れて樺太へと向かったようだ」

「……俺に奴を追わせてください。死ぬ前に、仇を討ちたい……全てを終えたそのあとには煮るなり焼くなりお好きになさって結構ですので」

 

 

 今はとにかく尾形を追いたい。

 何故、私を撃ったのかを問いただしたい。

 目を伏せ、歯を食い縛る。

 尾形は一体何を考えていたのだろうか。何も気づけなかったことが悔しくて情けない。

 だってあんなにそばにいたのに……尾形の考えていることが分からないのはいつものことだけども。

 

 

「もちろんだ。しかし、私におまえを殺す気などはないのだよ。殺して活きる得よりも、生かして得られる利益の方が遥かに大きい。全てを終えたら、生きて私の元へ()()()きなさい。私の大願にはおまえが必要なのだ、英作少尉よ」

 

 

 ゴクリと思わず生唾を飲み込んだ。

 ゾクゾクと背中に鳥肌が立つ。もしも私が何も知らない兵士であれば容易く手のひらで踊り出してしまいそうな演技だ。

 鶴見中尉としては演技のつもりはないのかもしれない。

 私も軍人として振る舞うとき、ただの英作であるときと演技をしているつもりはない。

 ただ、切り替えているだけなのだ。相反する、どちらもが本性で紛れもない素顔なのである。

 

 鶴見中尉ほどの人間を相手にするとき、下手な嘘は容易く見抜かれる。

 だから私も素顔を見せる。

 

 

 鶴見中尉の手を握り返して、目線を逸らしたまま唇を噛む。

 ああ、腹が立つ。なんてムカつく。

 どうして、欲しい言葉をくれるのが父上ではないんだろう。

 ねえ父上、私はただ、父上に生きて帰ってこいと言って欲しかったんですよ。

 本当にただそれだけだったのになあ。

 

 

「……この借りは、いつか必ずお返しいたします。鶴見中尉殿……」

「……ふ、ああ。いつでも構わない。おまえが帰ってきてくれるのならな、()()

 

 

 ギリ、と歯が軋んだ。

 身の内に眠っていた父への怒りと思慕が暴れ狂う。

 失望や喪失の悲しみも入り混じり、もはや元の色もわからなくなった。

 

 

 今はとにかく身体を治して、尾形を追う。

 樺太へと向かうのだ。

 そのためなら、このいっとき死神の手の上で踊ってやる。

 

 

 

 ★

 

 

 

「……ばらしい、なんて、美しい肉体……回復力も速度も、……」

 

 

 そんな囁き声。

 恍惚と頰を染めた家永がメスを片手にうっとりと私の腕を撫でていた。

 ナースコール!

 と思ったけど、この時代にそんなものはない。万事休すであるな。

 

 

「土方の元にいるときから、本当はずっと目をつけていたんです、なのに中々隙をお見せにならないで、……英作さんったらひどいお方ですわ。ああ、すばらしい……欲しいいぃ……ッ」

 

 

 ぐわっと家永の目と口が開かれる。歯を剥き出しに今にも私の腕へ食いつこうと動いた。

 

 

「おやめください。家永殿」

「……あらあ、これまでのようですねぇ……」

 

 

 ごり、と音がした。

 家永の背後に勇作が立ち、その後頭部に拳銃を突きつけている。

 正直家永が来たときよりもびっくりした。

 

 勇作は影の濃い、怖い顔をしている。

 そんな顔もできたのか……。初めて勇作の怒ったような顔を見た気がする。

 

 家永が指を咥えながら、病室を出ていった。それを見送り、勇作に支えられながら身体を起こした。

 

 

「英作、包帯を変えよう、あと身体を拭いて……」

「……鶴見中尉に私の話を聞いたか」

「ああ、……英作がそうしたいのなら、わたしは止めないよ」

「私が兄さまを殺しても?」

 

 

 静かな表情で勇作が答えるもので、少し意地悪をしたくなった。

 すると勇作は無言で、私の手を握り目線を合わせるようにしゃがみ込む。

 

 

「僕はおまえを信じるよ」

 

 

 微笑む勇作と視線がじっと交差して、思わず破顔してしまう。

 本当は尾形を殺す気なんてほんの少しもないことも、鶴見中尉に降る気もないことも、どうやらこの片割れ殿にはとっくにお見通しであるらしい。

 

 盗聴を警戒して、飲み込まれた言葉にはいったいどんなものが隠されていたろう。

 あるいは私が尾形を必ず連れ戻す、と?

 

 勇作の手を握り返す。

 

 

「樺太より帰還したのち俺は第7師団に戻る手筈となっている。日露での俺の部下たちを集めてくれるか、勇作」

 

 

 勇作の目が丸くなり、瞬きをする。

 

 

「それは、出来る、が……一体何をするつもりなんだい」

「一度逃げ出した臆病者が、古巣に戻るならば当然、つけなきゃならんケジメがある。こればかりは決して止めてはならんぞ、勇作」

 

 

 

 ★

 

 

 

 かつて私付きの軍曹だった橋場に手伝われ、久方ぶりに軍服に袖を通した。

 脱臼していた両肩も、激しい運動はまだ無理だが日常生活程度なら動かしても痛みを感じない程度に回復してきた。

 右目の銃創についても未だ眼帯こそ取れていないものの大した問題はないだろう。

 

 

「何も貴様が従卒のような真似をせんでも……」

「いえ、今のあなたを他の兵卒の前に出したらタダでは済みませんので」

「迷惑をかけた」

 

 

 久しぶりに顔を合わせた60余名の部下たちへ「俺に制裁をしろ」と下した命令は他ならぬ部下たちの大混乱の末に却下された。

 しかしそれではケジメにならないので、代表として橋場軍曹に殴られた。

 ジンジンと痛み、腫れてはいるが正直骨の1本2本、あるいは死ぬ覚悟もしての宣言であっただけに拍子抜けだった。

 

 

「日露戦争より我々は他の誰でもない()()()と地獄まで落ちる心積りであります、()は我らも供をします。樺太でも武運長久をお祈り申し上げます」

「……そうか。俺は良い部下に恵まれたな。橋場、あとは頼む」

「はい」

 

 

 その言外に込められた真意を察し、橋場の肩を叩いて病室を出た。

 

 私が戦場で置いてきてしまったものは、本当に……。

 今更ながらに湧く後悔だが、もはや後の祭りなんだな。

 死んで責任をとるなど片腹痛い。犯した罪は行動によって雪ぐのみだ。

 

 

「あ、やっと来た。英作さん」

「おう、すまん遅れた。健勝そうで何よりだ、杉元」

「あらあ……軍人モード全開じゃあん……」

 

 

 軍艦の停まった港に着くと第二の脳みそ欠け太郎こと杉元と谷垣らが待機していた。

 樺太先遣隊として選抜された月島、鯉登もいる。

 

 

「なんだぁ? 英作どん、その顔は!」

「ケジメだ。どうだ男前が増したろうが」

「そろそろ出発いたします、お二人も乗ってください」

 

 

 何やら眉を吊り上げる鯉登に、ぱんぱんと、拍子を打ち月島が注目を集めて中断してくれた。

 気が削がれたらしい鯉登がぶつくさを文句を言いながら、軍艦に乗っていく。

 私を振り返った月島の目はどこまでも澱んでいる。

 恐らくは鶴見中尉に怪しい動きがあれば殺せと命じられているはずである。

 その程度はお互いに気づいている。信用し切らないのは、どこまでもお互い様なんだな。

 

 

「楽しい旅路になりそうだ」

「そうかぁ?」

 

 

 呟きが聞こえたらしい杉元はただ顔をしかめた。

 軍艦に乗り込み、しばらくして声をかけられた。

 

 

 

「英作どん」

「……これは鯉登少将殿、お久しぶりです」

「生きちょったか。鶴見どんから、聞かされたときはまさかち思うたが」

「ええ、見ての通りこのように生き恥を晒しております」

 

 

 戦死したはずの息子が実際のところ死体工作をしてまで戦場から逃げたのだと知れば父は許さないだろう。

 そして父の親友である鯉登少将もまた、父の名誉の方を重んじるはずだ。

 

 だからこそ鯉登少将へと笑いかけた。

 

 

「んーにゃ、幸次郎どんも喜ぶはずじゃ。わいが生きちょってよかったて」

「死者の思いなど想像するだけ無駄です。どこまでも想像に過ぎません」

「……幸次郎どんなわいんこっをおいに宛てた手紙に書いちょった、『愚かな父の面目を保ってくれた』て。じゃっどん、きっと死を惜しんきもっもあったち思う」

「そうであれば嬉しいですね」

 

 

 鯉登少将が深くため息を吐いた。

 何を言っても無駄だと理解してくれたのだろう。父以外のいう父の気持ちに意味を感じない。

 どんな言葉も父本人が言ってくれないのなら意味がない。

 そして父本人はすでに死んでいるのだ。

 

 

「息子がけしんで喜ぶ父親なんておいもはん」

「もういいのです。父の考えなど、今更理解のしようもない。……ですので、仇をとって私は次に進みたい。父のために言葉を尽くそうとしてくださって感謝いたします、父は良き友に恵まれた」

 

 

 鯉登少将の手を握り、心からの礼を伝えた。

 ジッと鯉登少将が私を見上げてきた。

 よくよく、その目を見てみればキラキラと光が散っており、こちらも負けじとジッと見つめ返すとだんだん吸い込まれそうになってくる。

 ぐ、と自然と身をかがめ、鯉登少将に顔を近づける。

 

 

「英作どん!」

「ハッ」

 

 

 音之進に名前を呼ばれて我に返った。

 私……昔から鯉登の父上がめちゃくちゃ好きで……息子を思う理想の父親である。

 私の父親は男の趣味がいい……クソ……。

 

 

「それでは失礼いたします」

「うむ」

 

 

 敬礼をしてから離れた。

 

 

「父と何を話していた」

「俺の父のことだ」

「フン……死を偽装してまで脱走したんだ。草葉の陰で花沢閣下もさぞ、嘆いておられることだろう」

「……だといいが」

「?」

 

 

 ニヤニヤと煽ってくる鯉登だが、ちっとも響かないのである。

 少将のいうように、生存を喜ばれたらどんな顔をすればいいかわからなくなってしまう。

 なら、情けない親不孝者だと謗られる方が遥かにマシだし、想像も容易い。

 それも父を悪者にして、恨んでいる方が楽だというだけの話だ。

 

 

 それもこれも何とも情けのない話だなあ。

 

 

 北海道の最北端から約40キロ。樺太の玄関口である大泊に上陸した。

 鯉登の多すぎる荷物の中にチカパシとリュウが隠れているというトラブルはあったもののそれ以外はとくに大きな問題はなかった。

 

 手分けして大泊でアシㇼパの目撃情報を探す。ついでに尾形も。

 まあ一緒に行動しているだろうし、どっちを軸に探しても同じ場所に行き着くだろうな。

 

 

「写真の男を見ていないか?」

「いや…悪いけど知らないねえ」

 

 

 しかし、こんな早くに写真館で撮った写真が役に立つとはなあ。

 こんな目的で撮ったものではなかったんだけどさ。

 

 

「おい、月島。音之進はどうした」

「さっきまでそちらに……いないッ!」

 

 

 ふと鯉登が消えた。月島に聞くも、月島も鯉登の不在に目を見開く。

 集団から離れるときは声をかけろって言われなかったのかな。鯉登君……。

 

 

「おい旦那、変な眉毛の男前を見なかったか?」

「ああ、それならさっきそっちの店に入っていったよ」

 

 

 そっと通りすがった男に聞けば、すぐに目撃情報が手に入った。

 フレップ本舗という店の中らしい。

 鯉登の不在に気づいていないらしい谷垣と杉元を確認して月島へ向き直る。

 

 

「俺が鯉登を迎えにいくから、貴様らは今夜の宿を探しておけ。そろそろ日が沈む。一気に冷え込むぞ」

「……はい」

 

 

 そう言い残して、フレップ本舗へと向かった。

 店内で鯉登は優雅にワインを口にしていた。殴ってやろうかな。

 

 

「鯉登、勝手な行動は控えろ」

「フン」

 

 

 グラスを口につけた鯉登は私に気がつくと、眉を寄せてそっぽを向く。何だコイツ。殴ってやろうかな。

 

 

「あらぁ、また男前な軍人さんねえ。フレップワインはいかが?」

「フレップワイン?」

「知らないの? コケモモよ、こっちでは夏の沼地にたくさん実がなるの。フレップワインは樺太の特産品よ」

「へえ、前に来たときは気づかなかったな」

「……甘酸っぱうてなかなか美味かど。わいも飲んでみぃ」

 

 

 グアンと鯉登が早口で叫んだ。おお、耳が痛い。

 と、そこで月島が杉元と谷垣を連れて店内へやってくる。

 あれぇ? 私は宿を探せって言ったんだけどぉ?

 

 脱走兵の命令なんて聞けないって……コト!?

 

 

「鯉登少尉殿、ひとりでうろちょろしないで下さい。ご迷惑をおかけしました、花沢少尉殿」

「俺は構わん」

「甘酸っぱくてなかなか美味いぞ、飲んでみろ月島軍曹」

 

 

 仏頂面からキリっとした表情に変わり、月島へと同じ言葉をかける鯉登である。

 何だコイツ。私のときとはえらい態度が違うじゃん。殴ってやろうかな。

 

 

「観光じゃねえんだぞ、ボンボンが。てめえの楽しみを優先すんなよ」

 

 

 鯉登のマイペースに対して杉元が不機嫌を隠さずに呟く。

 

 

「服に垂らさないようにね。フレップの赤いのは洗っても落ちないから」

「あ、そうなの」

 

 

 フレップ姉さんの注意に軽く鯉登が答える。躊躇なくグラスに残っていたフレップワインを杉元へとぶっかけた。

 鯉登……。

 もしかして相性が悪すぎるのかなあ……頭痛が痛い。思わず額を抑えた。

 

 

「落ち着け、杉元」

 

 

 谷垣が言う。

 

 

「おねえさん、俺にもついでくれる?」

 

 

 低い声の杉元の言葉に、フレップ姉さんは動じることなくフレップワインを注いだグラスを差し出す。

 杉元はそれを一気飲みすると、空いたグラスを鯉登へとぶん投げた。

 

 

「あッ」

 

 

 鯉登の額に当たり、喧嘩である。鯉登と杉元の取っ組み合いを谷垣と月島が割って入る。

 その様子を眺めながらため息を飲み込み、私も一杯だけ注いでもらった。

 フレップワイン、美味しい。

 

 

「ソレ美味しいの? おれも飲みたい」

「酒だから、駄目だ。おまえにはまだ早い。代わりにジュースか何かを買ってやる」

「ほんと?」

 

 

 チカパシがグラスを覗き込みながら目を輝かせる。

 

 

「あら、ぼうやも初めて見るアイヌの子だねえ。どこから来たの? 今日は2人目だわ」

「それ詳しく教えて!」

 

 

 フレップ姉さんの言葉に杉元が取っ組み合いを中断した。

 アシㇼパの写真を見せて確認すれば、間違いないと答えるのでアイヌの村へ向かうことに決まった。

 

 

「やっぱり来てたッアシㇼパさんは……! この樺太に来てたんだ!!」

 

 

 勢いよく杉元が駆け出した。

 森の途中で出会った現地ロシア人に道を聞き、アイヌの女の子がいたという情報からさらに先を急ぐ。

 月島の聞いた話ではヒグマよりも凶暴な動物がいるらしい。

 

 

 しかし森のさきにいたのはアシㇼパではなく、樺太アイヌの女の子だった。

 和人に樺太アイヌと北海道アイヌの違いはどっちも同じアイヌにしても、コレはひどい。

 髪の長さも違うじゃないか。

 

 

「写真を見たときに違うと分かるだろうに、もしや店内で暴れる阿呆を外に追い出したかったのでは?」

「なんじゃと! おいが阿呆じゃちゆとな!」

「言っとらん」

「ゆちょった!」

 

 

 またも早口である。なんなの鯉登〜!

 すごく絡んでくるじゃん。もしかして私のこと好きなの?

 

 ただそれを指摘するとまた面倒なことになるし、今の私は軍人としてあるので口を閉ざした。

 軍人は軽口を言わない。

 

 

「……」

 

 

 するとまた鯉登の眉毛が吊り上がったので、考えていることを察せられてしまったかもしれない。

 私もまだまだだなあ。

 樺太アイヌのエノノカから北海道アイヌの女の子と出会ったとの情報が得られた。

 

 

「ガウガウガウ!!」

 

 

 そのとき突如現れた熊にリュウが吠えたて始める。

 

 

「チカパシ、エノノカを後ろへやれ」

 

 

 左側に銃を構えて、熊に狙いをつける。

 

 

「ブエエッギャウッ」

「様子がおかしいぞ」

 

 

 ブンブンと襲いかかることなく暴れる熊の背中側から血が確認できた。

 

 

「血が出てる、怪我をしてるのか」

 

 

 熊の背中から小さな生き物が落とされた。

 クズリである。

 英語名をウルヴァリン。某超能力ヒーロー系映画のスピンオフで有名な動物名だ。

 そしてとても凶暴。飼育下においては北極熊すら殺してみせるとか、そんな話ばかり聞いたことがある。

 

 

「ブ、ブ」

 

 

 熊は逃げ去り、クズリが鳴く。

 

 

「おい刺激しないようにゆっくり下がれ」

「鯉登少尉殿、離れてください」

「……。コレがさっき言っていたヒグマより凶暴なやつなのか? なんか弱そうだがな」

 

 

 一番近い鯉登へと声をかける。振り向いた鯉登は私へと反抗的な目を向けた。

 それからクズリへ視線を移す。

 

 

「目もつぶらで可愛いではないか」

「……リュウは分かるみたいだぜ」

 

 

 いつのまにか熊に吠えていたリュウが遠くから様子を窺っていた。

 リュウより危機管理が低い!

 おまえ、そんなアホの子じゃなかったじゃん!

 昔はそりゃクソガキだったけど!

 

 

「ゴルルルルッ!!」

 

 

 満を持して、綺麗に立てたフラグを回収しにクズリが鯉登へ襲いかかった。

 

 

「脊椎を守れ! 噛み砕かれるぞ!」

「ッ!?」

 

 

 クズリにコートを突き破り背中を噛まれる鯉登の手が頸を覆い、後頭部を庇う。

 再び左目で狙いをつける。利き目とは違う方であるし当然、左撃ちの訓練などしたこともない。

 

 普段であればクズリだけを撃てるのだが、今の私だと鯉登まで撃ちかねない。

 

 

「月島ァ!」

 

 

 鯉登の悲鳴に答えるように月島がクズリを蹴り上げる。

 

 空中に投げ出されたクズリへ狙いをつけて、引き金を引く。

 

 

 銃弾は幹に当たり、クズリは素早く木を登っていく。

 エノノカの上に飛び出したクズリを再び狙い撃つ。

 

 見えてはいる。見えてはいるのだが、銃弾はまた…いや今度は大きくクズリを外れた。

 思い通りにいかなくてキレそう。

 

 

「ああッ!」

 

 

 エノノカにチカパシが覆い被さり捨て身でクズリから庇ってみせた。

 チカパシたちから杉元が力づくでクズリを引き離す。

 その間に谷垣が子供らを庇い、距離をとった。

 

 投げられたクズリにもう何発か撃ち込む。

 ん〜〜〜、左撃ちの練習の的にするのに速さは申し分ないが些か凶暴すぎるな。

 

 追いつかれないように何度か撃ちながら、逃げる負傷者鯉登と子供たちを援護していると犬橇が姿を見せた。

 

 

「エノノカ!」

「ヘンケ!」

 

 

 どうやらエノノカの祖父が探しに戻ってきたらしい。

 

 

「花沢少尉殿もお早くッ!」

 

 

 コレはありがたいと犬橇に乗り込んで、どうにかクズリを撒くことができた。

 杉元の背中にしがみついている。

 

 

「パーセ!」

「ヘンケが重いって言ってる! 犬が疲れちゃう」

「谷垣一等卒! 貴様のせいだ、牝牛のように肥えよってからに!」

「えぇ?」

「そうだな…肥えすぎだ」

 

 

 手前で杉元の手が谷垣の胸の前で動いているのが見えた。

 そして谷垣の大きなお尻がプリンと雪原で跳ね、谷垣はソリから降ろされてしまった。

 

 

「走って痩せろ、谷垣一等卒」

 

 

 た、谷垣〜〜〜〜ッ!!

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

「杉元たちまで撃つ必要はあったのか?」

「のっぺら坊が父親だと確認された直後に杉元が何か言葉を交わした。金塊の在処か…アシㇼパしか知らない暗号を解く鍵か…あるいはアンタのことか」

 

 

 樺太へ発つ直前の会話である。二人の裏切り者は心中を隠しながら向かい合っていた。

 

 

「ただ…杉元は撃たれる瞬間…とっさにのっぺら坊を盾にして体の中心を隠した。だから頭の端を引っ掛けるように撃ち抜くしかなかった。

 もう数発撃ち込んでおこうと思ったがマタギの邪魔が入ってな。おまけに弾薬は30年式の"不殺銃弾"だ。

 ひょっとしたら生きているかもしれんぞ、アシㇼパも奪われて今頃、不死身の杉元は怒り狂ってるかもな」

 

 

 ベラベラと珍しく尾形の口の周りが早い。

 途中で背を向けられ、キロランケから尾形がどんな表情をしているかまでは窺えない。

 けれど恐らくは戦闘の最中でよく浮かべていた楽しげな笑みを浮かべているだろうとまでは想像ができた。

 あるいは他の何かを必死に隠そうと、見ないようにしているようなそんな印象もキロランケは受ける。

 

 

「なら英作は?」

「…………」

 

 

 喋り続けていた尾形の口が止まる。

 ゆっくりと振り向く尾形の顔にキロランケはもうこの件について何も触れまいと誓った。

 

 

「ただの私情だ」

 

 

 などと平坦に答える尾形の顔に浮かんでいたのは。




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