勇作殿の片割れは即断即決裏目ボーイ   作:あん仔

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登場!スチェンカ王子!

 クズリとエノノカの縁により、大泊近郊の樺太アイヌの村で宿泊させて貰えることになった。

 

 クズリによる鯉登の背中の傷に熊の油を塗ってもらったり、アシㇼパとキロランケの行き先について情報を手に入れたり、フレップの塩漬けをご馳走になったりと一晩だけだが世話になった。

 

 キロランケが「北に向かう」と告げていたことから、このまま移動に犬橇を借り北へと向かうことになりそうだ。

 夜が明け、鯉登とエノノカの交渉を遠目に眺める。

 

 ヘンケの引く犬橇に鯉登、月島と続いて乗った。

 谷垣と杉元は重いから、必然的に私はこっちになった。

 月島の頭を見下ろしながら、今のうちに殺しちゃおっかな♪ なんてする気もないことを考える。

 

 道中。アイヌの少女と男3人組が立ち寄ったという農村に寄った。

 その農村には見覚えのある酒場があった。

 

 

「……」

「どうしたぁ? 英作どん、話を聞きに行くぞ」

「……ああ、行く」

 

 

 嫌な予感にそっと距離を取ろうとするも目敏く鯉登に阻まれてしまった。

 いや、だってあの、この村ってもしかしなくてもアレですよね?

 

 

「のどかな農村だと思って気を抜くな」

 

 

 酒場に入る寸前、警戒をしながら月島が警告を発した。

 まあ、正しい。

 

 

「月島軍曹、軍帽を貸せ」

「はい」

「待て、なぜ貴様が月島に命令をする。月島は私の部下だぞ」

 

 

 月島に軍帽を借りて、目深に被った。うむ、ないよりはマシだろう。

 鯉登が噛み付いてきた。眉を吊り上げて睨みつけてくるので殴ってやろうか、と拳を握る。

 

 

「おい、そこで揉めんな。さっさと入るぞ」

 

 

 仲裁してきた杉元には、お前が言うなと言いたい。

 先に酒場へと足を踏み入れていく杉元のあとを追った。

 店内は薄暗く、酒と煙草の臭いが充満していた。それから微かに香ってくる酔っ払いの体臭に鼻を押さえた。

 キロランケの写真を店主に見せ月島が問いかけるも、すげなく対応された。

 それだけならばよかった。

 酔っ払いのロシア人が立ち上がり、よりにもよって杉元へと因縁をつけてしまった。

 

 

 杉元に掴みかかったロシア人の手首を掴み捻りあげる。

 

 

「крик!」

 

 

 ロシア人の悲鳴に手を離した。青くなった手首を押さえながら床に座り込む。

 それを見下ろしてから杉元を振り返る。

 

 

「民間人との衝突は避けろ」

「俺だって自分からやりたくて暴れてるわけじゃねえさ、向こうがかかってくるなら仕方ないだろ? 英作さん」

「無駄な衝突で必要な情報が得られなくなったら困るのは貴様もだろう。とはいえ、ここにもう用はなさそうだがな」

「そうだな、ここには酔っ払いしかいなそうだ。近所へ聞き込みにいくぞ」

 

 

 杉元はすぐさま切り替えて、酒場の外へと出ていった。

 直前の騒ぎに目を丸くしていた店主がワナワナと唇を震わせている。

 気づかないふりで私も杉元のあとを……。

 

 

Не может быть, ты - (まさか……)Стенка принц(スチェンカ王子)!?」

「!?」

 

 

 店主の言葉に月島がギョっとした顔で私を振り返った。

 咄嗟に顔を背けて目を合わさないようにする。

 私も知らない、なにそれ。

 

 

 農村で聞き込みを続けていると、血相を変えたエノノカが走ってくる。

 

 

「イ……イヌ、盗られた!!」

「え〜〜!?」

 

 

 おしゃべりロシア人に意識を割かれた間に犬橇のリーダー犬を繋いでいた紐を切られてしまったらしい。

 よくある手口だ。

 

 いざ探そうとしたタイミングで犬を盗んだおしゃべりロシア人がわざわざ姿を見せた。

 ついて来いと言われ、案内されたのは初めに聞き込みをした酒場だった。

 

 

 ※『』=ロシア語

 

 

『犬を返して欲しければスチェンカに出ろ』

「スチェンカ?」

「なんだ? なんと言っている?」

 

 

 酒場の店主の横に手首に仰々しく包帯を巻いた先ほどの酔っ払いが腰掛けていた。

 その酔っ払いがスチェンカの参加者で私のせいで手首が折れたから犬を返して欲しければ代わりに試合に出ろと要求してきている。

 本当かよ。

 

 店主がジッと私を見つめている。

 

 さすがの私も片手で男の手首を折れるまでは出来ない、と思う。

 

 

『アンタ、一年前に賭場を荒らしたスチェンカ王子だろ』

「……一体、なにをされていたんです、英作少尉」

「いや? 俺はなにも知らんが?」

 

 

 店主がついには私を指差して、などと言ってきた。

 呆れ顔の月島にキョトンと知らないフリをする。

 

 

 

「いいからさっさと犬返せ。店ごと潰して宗谷海峡に沈めるぞ、この野郎。伝えろ、月島軍曹」

「あの犬は私が高いエサ代を出して雇っている。すぐに返さんと、そのパヤパヤ頭を三枚おろしにして犬のエサにする、とロシア語で伝えろ、月島軍曹」

「難しい表現の通訳は出来ません」

 

 

 血気盛んで若い二人が一気に不穏な雰囲気を出し始める。

 

 

『アンタたちが探していた男は北海道から来た刺青の男を探していた』

「なに!?」

 

 

 店主の言葉を月島がすぐさま訳す。

 さらにスチェンカには刺青の男もくるかもしれないという情報を付け加え、店主はニヤリと笑った。

 それで私たちが思うように動くと信じ切っているヌルい顔だ。

 腹が立つ。ぶっ殺してやろうか。

 

 

 スチェンカの会場へ案内をされて、男くさい熱気に鼻呼吸を止めた。

 

 

「スチェンカ、やるしかねえのか……俺たちで」

「俺たち?」

 

 

 囚人は生粋のスチェンカ好きであるようで、興味のある男がいないときはスチェンカに出ないこともあるらしい。

 ふ〜〜ん……?

 

 

「とにかく俺たちがスチェンカで勝つからすぐに犬は返さんと頭の毛を全て毟ると伝えろ、月島軍曹」

「なんで俺たち、なんだ?」

「元は英作どんが手首を折ったからだろう。出るのは英作どんだけで充分じゃないか」

「あ? 連帯責任だろ。それに英作さんは肩壊してるし。ね英作さん、スチェンカできる?」

「出来ると思うか」

「無理だよねえ? え〜、肩壊してる人にスチェンカしろとか言える人なの、鯉登少尉ってぇ? え〜、こわ〜。横暴でやだねえ、軍人さんって、な、谷垣」

「……」

「え、い、いや俺は……」

 

 

 ギロリと鯉登に睨まれ、谷垣があわあわと汗をかきだした。

 

 

 

『戦うのはスチェンカ王子だけでいい。スチェンカ王子の強さはよく知ってる』

「一人抜けた穴を埋めればいい、と言っているぞ……おまえら日本人だけではロシア人に勝てない、……だと?」

 

 

 プススと鼻で笑う店主に月島の声が低くなる。

 

 

「この薄らハゲ……」

「もう日露戦争を忘れたか」

 

 

 そして挑発に乗ってしまう血気盛んな若いのがさらに二人。

 ひとまず実力を証明しろと、この場でスチェンカに飛び入り参加することとなってしいまった。

 あ〜あ〜、月島まで一緒になって〜〜……。

 私は肩を壊しているため見学することになった。そういう名目だからね。

 

 

 ギラギラとした四人が半裸となり、ロシア人たちを殴り飛ばしていく。

 歓声をあげる観客たちに紛れ、一人だけやたらとキラキラとした目で四人を見つめる日本人がいた。

 日本人にしては体格がいい。

 スッとこちらを向いてきて、目が合う。ウインクをされた。

 

 

 目を逸らして、杉元たちに集中しておく。

 もしやアレが例の囚人なのでは、という気がしないでもない。

 

 

 

 〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 ──あなたにとってスチェンカとは?

 

 

「単なる手段だ。軍人たる者は常に冷静であるべきだ。俺自身も暴力は好まん、それを好む者たちも当然嫌悪する。ゆえに自ら進んで暴力を振るう奴らを嬲ることに罪悪感など抱くはずもなかった、ただそれだけの話」

 

 

 ──本当に?

 

 

「もちろん。……軍人は嘘など吐かん」

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 今、何かが挟まった気がする。

 調子に乗って次のスチェンカにも出ろと要求してくる酒場の店主を痛めつけようと意見の一致を見せる鯉登に谷垣と月島を止めたのは他でもない杉元だった。

 

 アシㇼパに繋がる情報の可能性をほんの少しも逃したくない、というのももちろん本音ではあるんだろう。

 なんとなくまだスチェンカをしたいのでは、と思ってしまう。

 

 

『次のスチェンカにはスチェンカ王子も出ると触れ回っている。5人で出ろ』

「だそうですが、英作少尉」

「こうなれば仕方もあるまい。まだ本調子でないが次は俺も出る、か……」

 

 

 それよりそろそろスチェンカ王子とかいうクソダサいあだ名はやめてほしい。

 ダサすぎる。

 月島の通訳に渋々と頷く。

 

 

 これは仕方ない。仕方ない仕方ない。

 翌日もスチェンカの会場となる小屋に私もついて行った。

 

 

「本当に大丈夫、英作さん? 無理しちゃだめだよ?」

「平気だ、杉元」

 

 

 やさしい。

 私の肩の怪我を心配して、何度も杉元が問いかけてくる。

 そんな杉元を鯉登が心底おかしなものを見たかのようにジ、と無言で見つめている。

 なんだその目は文句あるのか。

 

 

 私もともにコートとシャツを脱ぎ捨て、半裸となる。実をいうといまだに両肩の包帯は外せていないのだ。

 向かい合った大柄のロシア人がニヤニヤと私を見下ろして、自らの顎髭を撫でた。

 

 

『スチェンカ王子っていっても大したことなさそうだな、お嬢ちゃん。その包帯はどうしたんだ? お家で待ってて、そこの彼氏を慰めてやる方が得意なんじゃねえか?』

 

 

 詳しい説明は省略するが、割と直球の下ネタである。

 彼氏というのは先ほどまで私を心配していた杉元のことだろう。

 傷つけないように布を巻いた拳をポキポキと握り直した。

 

 

「はあッ☆」

 

 

 そして例の刺青の囚人……昨日見た大柄の日本人がその刺青を露わにさせる。

 杉元のいう妙案ってほんとにあるのかなあ。

 

 

『用意ッ!!』

 

『殴れッ!!!!!』

 

 

 掛け声とともに歯を食いしばり地面を蹴った。勢いのまま目の前の顎髭男の顎を殴りつける。

 視界の端で杉元が吹っ飛んだような気がするがそんなものはあとだ。

 

 派手に背後へ吹っ飛んだ顎髭が口からダラダラと血を流しながら私を見上げている。

 布ごしに伝わってきた歯を折った感触にゾワゾワと興奮が背筋を昇ってくる。

 

 私は暴力を好まない(クソ野郎を痛めつけるのは気持ちがいい)

 

 

「ぶっ殺してやるよ」

 

 

 口の端が自然と持ち上がる。

 そう告げれば、顎髭男の顔色がサッと青ざめていってとても笑えた。

 いい顔するね、もっとやろうぜ。

 

 

「英作どんが怒っちょっ!」

「わざと負ける必要はねえ。全員ぶっ殺してあとであのクソハゲと“お話”をすりゃいい、あのハゲが痛みに強いとも思わん」

「そいでこそ英作どんじゃ!」

「テメエら全力で殺れ。あとのことは私がどうにかしてやる」

 

 

 顎髭の髪を掴んで顔面を潰しながら谷垣たちに言えば、何故かやたらとキラキラと目を輝かせた鯉登が大きく頷いた。

 囚人の男とは杉元がやり合っている。あれは放っておいてもいいだろう。

 顎髭の髪を離して、観客の方へと投げつける。野太い悲鳴を無視して谷垣を殴りつけていたロシア人へ助走をつけて脇腹を殴りつける。

 布越し、拳から伝わってくる肉の潰れる感触に笑みが深まる。

 ロシア人が胃液を吐きながら転がっていく。

 

 

「さあさあ! 刺青の男以外やられたぞ!」

「やれぇ! 日本軍!」

『殺せ!』

 

 

 そうするうちに気がつけば立っているのは我々と囚人の男だけとなっていた。

 歓声がギャアギャアと耳障りだ。

 囚人がキラキラとした目で私を見つめて、指をさしてくる。

 

 

「スチェンカ王子……、私は……君とも戦りたかったッ!!」

「ご指名か。杉元、ちょっと休んでいろ」

「うぅう……!!」

 

 

 ボロボロとなっている杉元へ声をかけて、囚人の方へと進み出た。

 瞬間重くも速い拳が顎へと飛んできた。

 頭に衝撃。微かに脳が揺れ、平衡感覚が損なわれる。

 ぐらぐらと頭が揺れながらも飛んできた腕を左手で掴んで固定、さらに一歩。囚人の男の足を骨を砕くつもりで踏みつけ、空いている右手でその顎を殴りつけた。

 

 囚人がタタラを踏んで、2歩3歩と後ずさる。

 

 

「もっとだ! もっと君を教えてくれッ!! そして私を知ってくれッ!!」

 

 

 お互いに向かい合い、ごく至近距離でお互いに顔面を殴り続ける。

 頑なに眼帯をつけたままの右目側から殴ってこないのは慈悲のつもりか?

 余裕じゃないか。ぶっ殺してやる。

 

 殴られるたび口の中に血の味が広がっていく。

 途中膝をつきそうになったのを無理矢理に力を振り絞って耐えた。

 距離を取られる。

 

 その隙に口の中に溜まっていた血を吐き出す。

 

 

「なんて、なんて悲しい拳なんだ……君の拳は悲しい怒りに満ちている……、なにがあったんだい? もっとわかり合おう、暴力で!」

「ハハッ暴力を随分と美しいもののように仰る。所詮は囚人、人道から外れた社会不適合者ですなあ」

 

 

 ブチブチと血管が千切れるような音がしている。まあ実際に血管が千切れたら危ないので気のせいだろうが。

 私は暴力が嫌いである。同時に自分が暴力的であることも自覚している。

 だからこそ、それを御するために常に思考(感情)を遠くへと切り離して、軍人であろうと努めている。

 

 軍人たる者、常に冷静に、感情的にはなってはならない、私は冷静──。

 

 

「見てすぐに分かった。君も私と同じだ」

 

 

 腹の底を這うものに気を取られた隙に重たい拳が飛んでくる。

 囚人の言葉にカッと頭に血が上っていくのがわかる。これはいけない。

 拳は顎へと当たり、ぐわんぐわんと脳が揺れる。視界が真っ赤に染まった。

 遠くに切り離したはずの感情が燃料となって身体を突き動かし始める。

 

 

 ──どうしようもなく男が嫌いだ。おまえらと私を一緒にするな!

 

 

「今すぐ死に腐れッ!!! チンカス野郎がぁッッ」

「あぁいいぞッさあさあ、もっと自分を解放してッ! 私に話してくれッ!! その美しい暴力でッッ!!!」

「知った風な口を聞くな、ジロジロこっち見るな! どいつもこいつも気色が悪いんだよ!」

 

 

 血を吐きながら囚人へと殴りかかった。

 私を見るな、触れるな、声をかけてくるな。

 頼むから放っておいてくれ。

 

 これは私の怒りじゃない。前世のものだ。前世での怒りが嫌悪がいつまでも私の腹の底に渦巻いて、消えてくれない。

 男が嫌いだ。

 とくに暴力的な男が嫌いだ。前世の父がそうであったから。

 それなのに今生で、私は自分が何より嫌った暴力的な男になっている。

 

 だから私は自分も嫌い。

 

 

 囚人の腹を殴る。

 肉の潰れる感触。囚人が口から胃液を吐き出すも、その拳は止まらない。

 狙うなら頭か。

 拳が頰に当たる寸前、わずかに上体を後ろへとずらして衝撃を和らげた。

 それでも痛みはある。

 

 

「もっと! もっとだッ!! まだ君の拳は軽いッ! 軽いぞッッッ!!」

 

 

 殺す。殺す殺す殺す。必ず殺す。囚人を殴る。囚人は腕で頭を防御して、庇っている。

 そうするうちに怒りに煮えていたはずの腹の底が気がつけば冷たく冷え切っている。

 

 人を殴ることにも、殺すことにも何も感じない。

 暴力をもってして、嫌いな人間を黙らせることを良しとする一面がある。

 私は暴力的な人間だ。

 だからこそ──脳裏に浮かぶのは勇作や、母や、……尾形の顔に、こんな私を慕ってくれる部下たちの顔だ。

 

 

『勇作を生かしたいならば、貴様がロシア兵を皆殺しにすればよい。それが出来ぬならばさっさと去れ。英作』

 

 

 父の言葉が蘇った。

 暴力的な人間 (そういう私)こそが矢面に立って戦うべきだ。

 愛した人たちを守りたいなら、絶対にそうしなきゃいけない。

 私が戦わないで、誰があの人たちを守るのだ。

 そうやって嫌いな暴力で大好きなあの人たちを守りきれたとき、私はようやく自分を好きになれるだろう。

 そうだ、私は誰かのためじゃなくて、父上のせいでもなくて他でもない自分のために軍人になった (戦うことを選んだ)んだ。

 

 

「ッッッグ!!!!」

 

 

 腕の隙間を縫って拳がようやく囚人の顎へ当たった。肩がピシリと小さく軋む。

 しかし、いい位置にいいのが入ってくれた。

 囚人が口から血を流して、再度タタラを踏んだ。

 

 

「いいねッ☆」

「ボケカスがぁ……、ん? おい、杉元?」

 

 

 キランと目を輝かせて振り向いた囚人にゆらり、と杉元が近づいていく。

 そしておもむろに囚人の顔面へハイキックをくらわせた。

 一見、ルール無用に見えるスチェンカであるが、ある程度の禁止されていることはある。

 例えば武器の使用であるだとか、一人を大勢で囲んでの多勢に無勢であったりだとか、殴り合いであるために蹴り自体も禁止されていることの一つだ。

 

 ルールに反した杉元へ観客クソ共が怒りの声を張り上げる。

 

 

「俺、俺は……俺ッ!!!」

「おいおい、落ち着け、杉元」

 

 

 なんだか危険な雰囲気を感じる。

 止めようと、これまでの殴り合いでブチ上がっていたテンション……思考を遠く切り離し役割に徹しようと切り替え…られないッ!?

 

 

「ちょ、まっ…ぶへッ」

 

 

 普段当たり前のようにしていたことが出来なくなった困惑の隙に杉元の拳が飛んできた。

 ガアンと頰を殴られ、後ろへと吹っ飛ぶ。

 

 

「英作少尉殿!」

「う、谷垣……、相変わらずいい身体してんな……」

「えぇッ?」

 

 

 谷垣に受け止められて、その胸筋を撫でる。

 ウッ!

 ポッと頰を染めて困惑の声を出す谷垣に、咄嗟にセクハラしてしまったことで自分に対して嫌悪が芽生える。

 すまねえ…すまねえ…。頭を打ってるので許せ……しかし、いい身体してんねえ…。

 

 

「あ! そうか杉元ッ! これが貴様の妙案なんだな?」

「俺ッ」

「落ち着け杉元」

「俺ッ」

『やっちまえ!』

「俺俺俺俺俺俺ッッ俺俺俺俺俺俺が不死身の杉元だッ!!!」

 

 

 月島と鯉登が杉元へ駆け寄って何とか落ち着かせようと試みた。

 しかし二人も同じように吹っ飛ばされて、ついには怒りの観客たちが杉元へと雪崩のように襲いかかる。

 

 満身創痍の今の私が巻き込まれないようにか谷垣に庇われながら、小屋の隅へと移動した。

 

 とにかく近づく全てをめちゃくちゃに殴りまくり、最終的に壁にかけられていた鎌を手にした杉元にアチャ〜となってしまった。

 シーンと観客たちも静まり返る。

 ドロリ。杉元の額から汁が漏れ伝っていく。

 

 

「第7師団……」

「鯉登少尉殿! これは妙案じゃありません! 殴られすぎです!」

「逃げろぉ」

「英作少尉殿! こちらへっ!」

 

 

 なんだかんだと谷垣に庇われている。小樽での甲斐甲斐しい世話が実を結んだのかな?

 

 そのどさくさに囚人にも刺青目当てであると気付かれて逃げられた。

 

 あーんもうっ!

 

 

「追うぞ! ウッ寒いッ」

「寒い……」

「囚人はあっちです!」

 

 

 殴られすぎで意識のない杉元を放っておいて、とにかく囚人を追う。

 熱気のこもっていた小屋から出れば、そこは冬の樺太だ。

 温まっていた身体は一気に冷え込む。

 

 

 囚人を追って森の中へと入っていく。あぁ、嫌な予感だ。

 

 

「あーーッ!!」

 

 

 悲鳴のした方へと向かえば、囚人がクズリに襲われている。

 

 

「月島軍曹ッ! クズリは危険だ、銃は持ってるのか!?」

「持ってるように見えますか!? 助けないと刺青が喰われてしまう!」

 

 

 クズリに襲われる囚人を助けるために、月島が動く。

 手にした棒でクズリを殴りつけ、その隙に谷垣がクズリを放り投げた。

 しかししつこく追ってくるクズリから逃げ込んだ先で更なる熱気に包まれた。

 

 

「小屋の中が熱いッ!」

「何でこんなに熱いんだッ?」

「ここは……」

「ロシア式蒸し風呂のバーニャですなあ……熱すぎるぅ……」

「いくらなんでも熱すぎるッ! こんなところに長くはいられん!」

 

 

 でも外ではクズリがドアをガリガリと引っ掻いている。

 

 

「どうする? みんな考えろ!!」

 

 

 バーニャ!!!!

 

 

 熱い、から……、服を脱ぐのは合理的……判、断……。

 全裸の男たちに先程の疲労もあって目眩がしてきた。

 

 私も脱いでる。だって、熱いの嫌だから……。

 

 

 ★

 

 

 サウナの熱気に頭が酔う。外に出られない状況で、服を脱ぐのは合理的判断だ。そのはずである。

 囚人が蒸気を発生させたり、ヴェニクを振り回して体感温度を上昇させたりと、負けじとヴェニクを振りまわし始めた全裸の男たちから少し距離を置き、観察をしている。

 あぢぃ……。ダラダラと汗が噴き出る。

 

 

「ブフォっ」

 

 

 そこで谷垣のケツに銃痕を見つけて吹き出してしまった。

 しまった、と思ったときにはすでに手遅れで、囚人を含む全員の視線が私に集まってくる。

 

 

「さあ、君もッ☆ 来て欲しいッ!」

「誰が行くかボケェッ!!」

 

 

 来いッと腕を広げる囚人へ、衝動のまま叫んだ。

 そんな私を月島と谷垣が亜然と見ている。

 自分でも違和感を抱くのだ、軍人の私しか知らない二人には余程の衝撃であろうと想像する。けれど分かっていても感情のまま衝動が止められない。

 どうしてか思考を遠くに切り離せず冷静な判断が出来ていないのだ。

 軍服を着ている間は軍人として努めようと心に決めていたのに不甲斐ない。

 鯉登だけは何故か満足げに頷いているが。

 

 

 どうにかこうにか一息ついていると、ふと遠くから銃声が聞こえた。

 古い黒色火薬特有の間延びした……谷垣の単発銃が頭をよぎる。

 

 

「もう限界だ……」

 

 

 谷垣に銃の所在を確認しようとしたとき、小窓からクズリの後ろ姿が見えた。

 クズリの向かうさきにちいさな人影が二つと、鎌を持った大きな影が一つ。

 

 

「ッチカパシ!」

「杉元だ!」

「なんと! 今行きますよッ」

 

 

 谷垣には人影の正体まで確認できたらしく、血相を変えてサウナから飛び出す。

 そして、キランとまた歯を輝かせながら囚人もまた外へと飛び出た。

 

 

「な、なんなんだ、一体」

「とにかく追うぞ」

 

 

 月島と鯉登にも声をかけて、二人を追ってサウナの外へ出た。

 さむい。

 

「そうだ、チカパシ。これが勃起だ」

 

 

 # 勃起 とは。

 そしてそこから少し離れたところで囚人と制御不能杉元が殴り合いをしている。

 

 

「平気か、エノノカ」

「う、うん。チカパシが助けてくれたの」

 

 

 雪上に転がったままだったエノノカを助け起こして、ふと気がつく。

 暴れる杉元と囚人の足の下で、何かの軋むようなごくわずかな音がしている。

 ピシピシと、まるでヒビでも入っていっているような……。

 

 

 杉元の拳をもろに喰らい、囚人が膝をつく。

 

 

「そこまでだッもうやめろ!」

 

 

 谷垣と月島が二人を止めようと、近づいていき、ついに音が大きくなった。

 ドボン。

 

 どうやらそこは水上であったらしい。水面に張っていた氷が割れて、四人と、遅れて鯉登も水の中に落ちていった。

 

 

「……さむそう」

「私もあそこにいなくてよかったぁ……!」

 

 

 エノノカが顔を青くしながら、呟き私も心の底から安心を吐き出した。

 エノノカとチカパシに服を持ってきてももらいつつ、小窓から全裸の男たちのバーニャ☆を見守った。

 

 

「クチリ、やっつけたね。かっこよかった」

「いやあ、谷垣ニㇱパが手伝ってくれたから」

「うん、チカパシ。目つぶってた」

 

 

 またいつ別のクズリが来るかも分からないので、私くらいは外にいた方がいいだろうという判断だ。

 ちいさな二人のやりとりを微笑ましく眺めながら、バーニャ内での会話にも耳を澄ませた。

 

 右目を怪我してから、聴力が上がっているのだろうか。

 都丹も視力を失くしてから、反響定位を身に付けたらしいし、もしや失ったものを他の何かで補おうとしているのか。

 まあそれも今だけだろう。

 眼帯が外れれば、元に戻るはずだ。

 樺太の寒空の下、右目を覆ったままの眼帯を撫でた。

 

 囚人からアシㇼパの話を聞くことができた。

 おかげで張り詰めていた杉元の纏う空気がほんの少しだけ柔らかになった。

 それだけで収穫はあったかもな。

 

 

 

 ……耳がよくなっても、私は何故だか軍人にすら成りきれなくなってしまった。

 眼帯が外れたところで、その後どうなるのか、私には全く予想もつかない。

 それでも『役目』らしきものは思い出せたのだ、それに邁進したいものだ。

 

 

 そして辿り着いた豊原で、杉元が置き引きにあった。

 

 

「んもう〜〜〜ッこのドジっ子〜〜〜ッ!!! おまえ谷垣のこと言えねえからな!!」

「ごめんねええ!!」

 

 

 置き引きに持って行かれた背嚢に岩息の刺青の写しも入っているとのことで、必死こいて追いかけることになったのである。

 ばか〜〜ッ!

 

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