勇作殿の片割れは即断即決裏目ボーイ   作:あん仔

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サーカスは飛んだ


氷上を駆けよ

 ロシア国境を越えたさい、ウィルタ族の親父さんが国境警備隊の狙撃手に撃たれた。

 かつて戦争した二国間の狙撃手戦。一晩の根比べの末に、勝者となったのは尾形であった。

 

 

 雪を口に含みすぎた結果、尾形の体温は下がり続け憔悴している。

 ウィルタ族の馴鹿橇の元に戻り、尾形は這い上がってくる悪寒に耐える。

 

 

「随分と顔色が悪いな、いつも悪いけど……」

「ひどい熱だぞ」

 

 

 遅れて橇のある場所へ戻ってきた白石とアシㇼパは尾形の憔悴した様子に心配そうに顔を歪める。

 額に当てられたアシㇼパの小さな手のひらを避ける気力も湧かず、尾形は要らない心配だと口を開きかけた。

 

 

「少し、雪を口にしすぎただけだ……こんな熱どうってことな……」

 

 

 伏せていた目を上げる。目の前にいたアシㇼパの像が揺れ、見知った男のものへと見誤る。

 

 穏やかに微笑んでいるのは額から血を流す英作だった。

 アシㇼパと英作は体格も声も何もかも違うのに何だこれは。それまでとは種類の異なる悪寒が背筋に走る。

 

 

【まったくおまえは本当に手のかかるやつだよ。尾形】

 

 

 馴鹿に引かれる橇の上でも声をかけられた。

 朗らかに、穏やかに、親愛の含まれた呆れ声だった。

 

 近くにあったウィルタ族の家で休めることになる。

 アシㇼパに支えられながら、ウィルタ族の家へと入る尾形は朦朧とする意識の端で軍服の端を見ていた。

 

 

「これを頭から被れ! 湯気に蒸されてたくさん汗をかけ。ヤイスマウカレという治療法だ」

 

 

 煮汁の入った熱された鉄鍋を足で囲みながら、外套を頭から被らされる。

 湯気に蒸されて、全身から汗が吹きだし始める。

 外套を被ってなお、()の気配は消えない。

 

 すぐ近くに()()

 

 

【どうして俺を撃ったんだ?】

「………」

 

 

 やはり穏やかに笑みすらたたえて、英作が話しかけてきた。

 決してそちらを見ないように努めて、尾形は言葉を無視する。

 

 

【妾の息子である可哀想なおまえに俺はよくしてやっていたと思うのだがなあ? 親しむ振りをしてずっとこうして俺を殺したかったのか? ん?】

 

 

 英作の唇が耳元に近づいて囁く。吐息の感じないそれはやはりどこまでも幻覚でしかない。

 鉄鍋に浮かぶ木の枝を尾形はじっと見つめる。そちらを見ないよう、声を返さないように。

 

 

 太鼓の音が聞こえる。シャンシャンと何かの振れる音。

 湯気に蒸されてひどく暑い。

 

 

【なあ怖かったんだろう? 自分も母親みたいに気が狂ってしまうのが、ああ、おまえの場合はあんこう鍋でなくて鴨鍋、か? それで俺を殺して満足できたか? 恐怖は消えたか?】

「うるせぇ……」

【消えるはずがないよなあ、今でさえおまえは俺が死んでいないと愚かにも信じ込もうとして現実から逃げているのだから】

 

 

 ケラケラと幻覚が尾形を嘲笑う。英作の手が尾形の頰に添えられる。

 耳元どころか頭の中で声がしている。

 

 

【どこまでも可哀想な奴だよ。ほんの少し優しくされて期待したんだろう、おまえのような欠けた人間を俺が()()するはずもないのになあ……】

 

 

 そんなことは知っている……、と返すことも出来ず、ただ悪寒を享受した。

 笑みをたたえる口の形だけが視界の端にわずかに見える。

 

 

【少しは身の程を知れよ、薄汚い妾腹風情が】

「ああ……頭が痛い」

 

 

 やがては頭痛すらもしてきた。

 指先の震えは体調不良のせいにして、尾形は見ないふりで目を閉じることしか出来ない。

 恐怖など、身の程など、と口だけの否定ならばいくらでも出来たはずだった。

 

 

(早く、早く俺を殺しに来い……)

 

 

 

 ★

 

 

「これ、おいしいな」

 

 

 パリ、と固い感触。口の中に仄かな甘みが広がった。久しぶりの甘味で唾液が溢れてくる。

 

 

「うん。このスーシュカという菓子パン…お茶うけにとても合う! 鶴見中尉殿に教えてあげたい」

 

 

 テーブルの上に置かれたカップに口をつけて、温かくいい香りのするお茶を飲む。

 扉が開き、冷たい空気が入り込んでくる。

 灯台のおかげで雪まみれでボロボロの杉元と谷垣らが呆然と立ち尽くしていた。

 

 

「ふふ…、虫みたい」

「ふふ、やだもうっそういう言い方するなってぇ、音之進ったらぁ」

「うふふ、だってぇ」

 

 

 ペチカの上ですし詰め状態の3人を見上げながら鯉登とキャッキャッと笑い合った。

 スン、とした顔でそんなやり取りをする私と鯉登を月島が見ている。なんだよ。

 

 温かなロシア料理をご馳走になり、脱走兵に攫われたという娘の話を聞いた。

 

 

 

「そうだな、アシㇼパを探すついでに聞いて回るくらいはしてもいいだろう」

「だよね、英作さん」

 

 

 恩返しをせずにサヨナラは出来ないという杉元の考えに頷く。

 してもらった親切には出来る限り報いたいと思うものだ。

 

 

 

「よし行け! トホトホトォーッ!」

 

 

 そして灯台を発ち、樺太先遣隊は再び旅立った。

 

 

 

 ★

 

 

 

 ロシアとの国境まで約140キロ。新問付近の樺太アイヌの集落に滞在している。

 樺太アイヌの老人に煙草を差し出されて、喫煙を行なっていた。

 相も変わらず臭いがきつく、好みはしないが慣れはした。

 

 

「チカパシ聞いて、このあいだこの村、メコオヤシ出たって!」

「なにそれ怖いやつ?」

 

 

 エノノカとチカパシの会話に耳を傾ける。

 怯えを見せるチカパシへ目をランランと輝かせて、エノノカが樺太アイヌに伝わる猫の化け物について話す。

 仲が良くて微笑ましい。

 

 

「毛皮に赤と白のブチがある犬みたいに大きな猫」

「オオヤマネコだな…」

「ふん…尾形百之助じゃないのか? いよいよ奴らに追いついたか」

 

 

 鯉登の言葉にピクリ、と口の端が痙攣した。更なる喫煙を勧めてくる老人に頷きながら微笑みかける。

 

 

「なんで尾形なんだよ」

「………」

「"山猫の子供は山猫…"」

「どういう意味だ?」

「山猫は"芸者"を指す隠語だ。師団の一部の連中が言っていたくだらない軽口だ」

「本当にくだらねえな…」

 

 

 本当に。

 私もそう思うよ、と言葉を飲み込む。

 

 

「あの性格だ。嫌ってる人間も少なくない。私も大嫌いだ」

 

 

 鯉登が断言する。

 ……まあ、性格は確かに褒められたものではないかもしれない、とこれまでを思い返して少し思う。

 尾形が比較的にすぐに嫌味を言ってきたり、いつも能面だったりと、とっつきにくいのは間違いない。

 私も網走監獄までの道のりで、たびたびチクリと言われている。特別に慕われる性格でもないかもしれないな。

 でもそういうところがかわいくない?

 ね、勇作もそう思うよね?

 勇作もそうだそうだと言っている気がする。

 

 

「それに山猫にはいんちきとか、人を化かす意味の隠語もあるだろう? 山猫会社とか…くだらん軽口だがしかし、案の定…ではないか。違うか? 英作どん」

「さあ、どうだろうな……」

「どうだろうなだと? その目の傷を負わせたのは尾形百之助だろう? まさか庇っているのか?」

「テメエには関係ねえよ。私と尾形の問題だ、口を出すな」

「父君を殺されてん、まだ情けをかくっとな?

 えーころ加減にしたもんせ!」

「うるっせえなあ……殺すにしても"何故そうしたのか"を聞かんままじゃあ殺せんだろうが。そこの因果にアイツの生まれは関係ねえんだ、くだらんと思うなら黙っとけ」

「ぐぐぐ」

 

 

 髪を撫でつけ振り向けば、ギリギリと歯軋りをしながら鯉登が睨みつけてきていた。

 何をそんなに怒ることがあるんだ、と少し呆れる。

 月島がジッとハイライトのない目で私を見つめている。感情はない。殺すべきかを考えている。

 出発前に果たして鶴見中尉は月島になんと指示を出したろう。

 そもそもの目的だと申告した通りに私が尾形を殺さなければ、私を殺せ、だとか?

 こればっかりは想像がつかない。鶴見中尉ならば、何をしてきてもおかしくないのだ。

 

 

「ハハッ、それでメコオヤシはどうなったんだ、エノノカ」

 

 

 話題逸らしに、エノノカへ続きを促す。

 

 

「あとで荷物、取りに戻ったら足跡いっぱいあって荷物は全部ないの。服も靴も袋もぜ〜んぶ」

 

 

 怯えるチカパシ。メコオヤシはオオヤマネコっていう話にならなかったか?

 大方、見慣れない動物の群れにビビって逃げている間に荷物は泥棒に盗られたとか、そういう話だろう。

 

 

「その変な話に教訓があるとすれば…"泥棒猫は撃ち殺せ"だ」

 

 

 いま話かえようとしたよね?

 鯉登くん?

 どうして蒸し返すの?

 

 

「……尾形を殺すのは私の役目だ。見つけてもおまえらは手を出すなよ?」

「それはそのときによるだろう、断言は出来ん」

「はい。一応、肝には銘じますが。殺しにかかってきた場合は躊躇なく殺しますよ」

「ちぇ〜、コイツら真面目すぎるよなぁ、谷垣」

「えっえぇ…?」

 

 

 釘を刺しても好戦的に笑ってみせる鯉登に、あくまで仕事ですから、という顔の月島。

 黙り込んでいた谷垣を巻き込もうと同意を求めた。

 アワアワとする谷垣。は〜、この小熊ちゃんはホントにかわいいですなあ?

 

 

 

 そして何より不穏なのは返事をせずハイライトをなくした暗い目でいる杉元だった。

 いざとなれば、ああ……でも今の私に、杉元を殺せるだろうか。

 片目は未だに完治せず感情を遠くへ置けぬまま軍人に徹することのできない私だ。

 ……いや、そもそも軍人であることと杉元を殺すことに因果関係はないな?

 尾形に関しては護国にも軍にも関係ない私情であるのだ。

 

 そして相手は杉元だ。殺すことを迷えば私の方が殺される。

 ……あとは私がその瞬間に、冷静に成りきれずとも躊躇せずにいられるかだ。

 

 

 

 ★

 

 

 

「見ろ、英作どん。小さな馴鹿だ」

「ん〜? ああ、本当だ。あはは、かわいねえ」

「月島にも教えてやろう!」

「ははあ……」

 

 

 こっちの気も知らずに無邪気なもんですねえ……と言葉を飲み込む。

 うんざりとした態度を隠せない。それでも鯉登はケラケラと楽しげで気にも留めない。

 そういや昔から、こんなだったなコイツ。

 

 まだ豆粒ほどだった鼻水垂れの鯉登を思い出す。同時に思い出すのはいつもにこやかであった平之丞どんのことであるが、その記憶には僅かな痛みが伴う。

 

 

「鯉登少尉! 英作少尉殿! 戻ってきてください! 天幕で休ませてもらいますよッ!」

 

 

 月島に呼ばれ、天幕の方へと振り返った。亜港監獄まではあと少しだ。

 

 

「キロランケの目的が亜港監獄にいる仲間だとすれば次に起こす行動は脱獄だろうな」

「あ〜、向こうには白石もいるからな。網走監獄のときを思い返せば難度は下がるかも」

「私たちは亜港監獄の事情にゃ精通してねえからな。方法諸々は一旦おいてだ。首尾良く仲間を脱獄させて、さて次はどうするか? どうだ、鯉登」

「ひとまず追手を撒くために隠れ家で身を隠すんじゃないか? あるいは亜港監獄から遠くへ移動する」

 

 

 問いかければ顎を撫でつつ、鯉登が答える。

 天幕で休みながらの一幕である。

 獲物の次の動きを想定することは追跡の上で重要だ。

 

 

「うん私もそう予測する。ただ、それをするには──」

「樺太島は狭い、ですか?」

「ああ、月島。その通りだよ、小さい樺太島で逃げ隠れするよりは、……そもそもパルチザンの本丸も大陸にあるだろうしな」

「囚人共にタタール海峡を渡る手段を用意できるとは思えませんが……」

 

 

 眉を寄せる月島に視線を移す。

 この時期のタタール海峡は流氷に覆われて、大陸と繋がるのだと話す。

 わずかに月島の目が見開かれる。

 

 

「氷上を丸一日歩けば大陸だ」

「そんなことが、本当に可能ですか」

「私がここにいることが証明になるだろうよ」

 

 

 かつて私もそうして大陸から樺太島へ渡り、北海道まで移動したのだ。

 前線を脱走した経験が役に立つとは皮肉なものである。

 

 

「大陸まで逃げられたら、我々だけでアシㇼパを取り戻すのは難しくなるだろう、とそれが言いたかった。要領をえず長くなったな、すまん」

「いや助かるよ、英作さん。亜港監獄まであと少し……アシㇼパさんは近いはずだ、大陸に渡られる前に……急がないとな」

 

 

 杉元の拳にぎゅっと力が込められていた。

 

 

 ★

 

 

 そうして遠くに見え始めた亜港監獄。

 爆発音とともに塀の一箇所から煙がもくもくと空へ昇っていく。

 

 

「急ぐぞ」

 

 

 十中八九、脱獄のものだろう。再び橇に乗り、監獄のそばまで近づいた。

 穴の空いた塀の様子を確認する。

 

 

「キロランケが爆破して囚人を逃したんだ」

「一歩遅かったが、奴らは近いぞ」

 

 

 流氷の上には少数民族の漁師たちが漁をしている。彼らの民族服を用意すれば紛れて姿を隠せるだろう。

 

 硬い氷の上に足跡はつきづらい。マタギの追跡も当てにはならんだろうな。

 

 杉元がアシㇼパのマキリの匂いをリュウに嗅がせている。犬を使うのはいいアイデアだな。うむ。

 

 

 何故か現れた虎に谷垣、月島が発砲する。

 

 

「犬橇の準備をしろ」

 

 

 ヘンケとエノノカに指示を出す。

 今はとにかく時間が惜しい。とにもかくにも杉元や月島らよりも早く尾形を見つけたい。

 

 

 流氷原を犬橇で進んでいくも、天候が荒れ始め少しずつデコボコとしてきてしまう。

 これで犬橇で進むのも困難になった。

 銃の一発でも撃ってくれれば場所がわかるだろうに、看守に追われていると考えていればそんな迂闊なことはしないか。

 

 

「リュウもビンビン反応してるぜ! いまなら追いつける!」

「ちょ、待てよ杉元ッ!」

「私が追う」

「英作どん!?」

 

 

 リュウを繋いでいた紐を切り、走り出した杉元の後ろ姿を追って私も駆け出す。

 ……その背中を負いながら、意識が研ぎ澄まされていくのを感じる。

 肩にかけていた銃をすぐに撃てるよう持ち替えて、息を吐き出した。

 

 大丈夫だ。冷静に努める必要はない。そのあと罪悪感に飲まれても、躊躇さえしなければ私にも杉元は殺せる。

 杉元を殺す。尾形を殺される前に私が殺す。

 

 

 鯉登のように兄を喪うのはごめんであるのだ。

 

 

 流氷原を進んでいくと、不自然に持ち上がった大きな流氷を見つけた。

 なんだ、と注目をする。

 

 

「うわあああ!!」

 

 

 聞き慣れた悲鳴。流氷が今にもひっくり返りそうに傾いていく。

 白石だ。

 流氷へと向かって、杉元が駆けていく。

 

 白石がここにいるならば、もう目と鼻の先にいる。

 杉元と白石を置いて、さらに流氷原を進む足を早めた。

 死ぬことだけは……どうにか死ぬことだけは避けたいのだ。

 合流さえしてしまえば、逃げるよう促せる。

 

 吹雪で視界が白く染まる。

 流氷原を進むのは二度目だ。氷上に積もった雪に埋まりかけの足跡をいくつか見つけて、進む方角を選んだ。

 忘れかけていた記憶まで蘇ってくる。

 

 

 アシリパの矢で右目を射抜かれる尾形の画だ。

 血の気が凍るようだ。

 それからどうなった。前世の記憶はもうほとんど朧げだ。

 その画の前後が重要だろうに、どうしても思い出せない。

 尾形は死ぬのか?

 死ぬはずがない、尾形が死ぬのは列車の上だ。

 そう確信を持ちたいのに、自分の記憶力を信じきることができない。

 ドッドッと嫌な調子で心臓が跳ねていく。

 

 

 どうか命だけは、どうか……!!

 

 

 強く吹雪く景色の向こうに、人影が二つ。大きなのと小さなの……いた!!

 

 

 足を早める。

 近づくにつれ、全容がはっきりと見え始める。不穏な雰囲気に気がつく。

 二人は向かい合い、お互いに銃と弓を構えている。

 

 

「やめろ……やめてくれ…アシㇼパ……」

 

 

 内心の漏れ出た声は震えている。アシㇼパを止めようと、銃口をその背中へと構えた。殺される前に、殺さなければ。

 手が震える。だって尾形を殺そうとするのは杉元だとばかり思っていたのだ。

 アシㇼパ……ッ!!

 引き金に指をかけた。躊躇するな。大事なものを守るのなら、躊躇うな。ス、と神経が冷えていく。

 殺す。

 

 尾形の視線がふとアシㇼパから持ち上がった。その目が私を見ると大きく見開かれ、その口が開きかける。

 

 

 

「尾形ぁッ!!!!!!!!!」

 

 

 

 吹雪の中でも大きく響き渡ったのは杉元の怒鳴り声だった。

 アシㇼパが体を大きく震わせて矢尻から手を離してしまう。

 尾形の右目に矢が刺さる。記憶の中にしかなかった画と現実が重なっていく。血の気が引いた。

 ゆっくりと倒れていく尾形。私をじっと見つめて、口の端を緩めている。何を笑う。笑うな、やめろ。

 

 

「あ、あああああッ!! 尾形ぁあッ!!」

 

 

 銃を投げ捨てて、傾いていく尾形の元へと走る。へたり込んだアシㇼパも杉元もどうでもいい。

 尾形の襟首を掴み、ナイフを取り出す。毒矢の刺さった眼球を抉り出していく。

 真っ赤な熱い血がどんどんと溢れる。

 

 

「死ぬなッ、尾形ッ!!」

 

 

 眼孔に口をつけて、毒を吸い上げる。口の中に鉄の味が広がる。すぐ横を杉元が通り過ぎていくがどうでもいい。

 なんでもいいから、死なないでくれ。

 喪失への恐怖が身体を突き動かすのだ。

 

 

「……死ぬな、尾形。頼むから生きてくれ」

 

 

 尾形の虚ろな左目が私を見上げている。

 目に布を押し当て、包帯がわりに巻いた。頭痛がしてきた。

 氷原で横たわる尾形の外套を握りしめたままの手がブルブルと震え出す。

 

 

 結局、あの画の通りになってしまうんだなあ……。

 

 

「……尾形、私を撃ったのも父上を殺したのも、別にどうでもいいんだ。怒ってない、恨んじゃいない。おまえにはそれを行うだけの道理がある。でも自ら孤独になろうとするのだけは、やめてくれ……」

 

 

 網走監獄までの旅で、尾形がアシㇼパへ心を開きかけていたのは知っている。

 でなきゃチタタㇷ゚を言って自ら歩み寄ろうとするものか。

 常にまして、青白い尾形の頰を手袋越しに撫でる。

 

 尾形の目的のために金塊の有無はそう重要ではないはずなのだ。

 中央に鶴見中尉を売れば、出世の道は開かれるだろうに、どうしてパルチザンとなんて手を組んだのだか。

 将校になりたいのだと、言っていたのも今では本当かどうかも怪しい。

 

 

「おまえは本当に手がかかる……、本当のところおまえは何がしたかったんだ?」

「……え、ぃさく、?」

「おまえが本当に欲しいものはなんだ?」

「……、」

「私がやれるものなら、なんだってやるから……だからもう、いいだろ?」

 

 

 どこか遠くで金塊にも戦争にも関わらず平穏に生きてほしい。

 ただ幸せになってほしい。では尾形の幸せとはなんだろう。

 尾形の手が弱々しく動き、頰に当てていた私の手に重ねられた。

 

 

「……殺されたい」

 

 

 一瞬呼吸が止まった。

 頭が真っ白になる。ビュービューと吹雪く風の音と再会した杉元とアシㇼパに白石の笑い声しか聞こえない。

 

 

「……なに?」

「アンタが引き金をひいて、おれも……アンタからの、手紙が引き金で、首を吊ったおっ母みたい、に」

 

 

 うわ言のようだった。トリカブトの毒がわずかに頭に回ったのか、それとも眼孔の痛みのせいか朦朧としている。

 きっと、悪い冗談だろう。

 ああ、そうに決まっている。

 そんなことあるわけ……『手紙が引き金で、首を吊ったおっ母みたい、に』

 

 そうか。

 尾形の母君を殺したのは私なのか。

 そう、ようやく飲み込めて気づけば、荒れ狂っていた心情はなんとも静かになっていた。

 強く吹雪く風の音も、近くで繰り広げられる喧騒も随分と遠くで聞こえてくるようだった。

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