勇作殿の片割れは即断即決裏目ボーイ   作:あん仔

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 特定の人間に殺されたいというのはどういうことなのだろう。

 込められているのはどういう感情で、どういう感覚が働いた結果なのだろう。

 

 

 私が尾形の母君を死に追い込んだ。幼かったあの日に、大して考えることもなく送った手紙がきっかけとなってしまった。

 

 よりにもよって首吊り。

 単語だけでも背筋が凍る。目の高さでゆらゆらと揺れる白く細い足首が脳裏に浮かぶ。足を滴り落ちていく糞尿の臭い。胃から迫り上がる酸っぱな胃液の味。

 目を閉じてそれを振り払う。

 それは今、関係のないことだ。

 

 

「英作さん、行けるかい」

「……ああ」

 

 

 微かに小便の臭いを体に纏わせた杉元に肩を叩かれた。

 振り返った私の顔を見てか、白石がギョッと目を丸くする。

 もう何もかも見たくない、という気さえするが……ここで立ち止まるわけにはいかない。

 尾形を背負い、立ち上がる。

 

 

「ちょっとちょっと、英作ちゃん平気? ひどい顔色だよ?」

「……平気だ」

 

 

 腹の奥に沈み込んだ内情を表すように喉を通る声は低い。

 ああ、だめだ。これでは余計に心配をかける。放っておいてくれ、誰にも触れられたくない。

 

 

『アンタが引き金をひいて、おれも……アンタからの、手紙が引き金で、首を吊ったおっ母みたい、に』

 

 

 あの言葉はきっと尾形の一番柔らかな部分の表出だった。

 守らなければならない。今の尾形を他の何もかもから。

 

 

「……ここで別れよう。杉元、おまえと奴らの目的はアシㇼパだったはずだ。尾形の生死も所在もおまえらには関係はないはず……」

「だめだ」

「なに?」

 

 

 尾形を背負い、アシㇼパたちと逆方向へ歩き出そうとすれば行く手を杉元が遮ってきた。

 思わず眉間に皺が寄る。

 向かい合った杉元の瞳からハイライトが消えている。

 

 

「この状況でソイツの生死があやふやなんてことにはさせねえ。ソイツに今、そうされちゃあアシㇼパさんが囚われる。ソイツが死ぬのも生きるのもどうでもいいけど……アシㇼパさんが関わるなら話は別だぜ」

 

 

 ギリ。激情に噛み締めた奥歯が軋む。ビキビキとこめかみの血管が浮いているような気がする。

 尾形を背負ったままでは戦えん。ここで殺り合えば容易く杉元に命を手折られるだろう。

 ……ああ、それでもいいか。

 

 

 私が尾形を殺すことになるよりは、なんて思考停止の諦観が胸に広がる。

 杉元としてもアシㇼパに殺しをさせなければ文句はないはず……。

 

 

「やめてくれ、英作……、私も尾形が、ッ……心配なんだ。一緒に、せめて治療を受けるまでは、いてくれ……英作」

 

 

 アシㇼパの小さな手のひらがコートを掴んだ。

 青い瞳が私を必死に懸命に、……真っ直ぐに見上げてきている。

 被るな、重ねるな。やめろやめろ……と思うのにどうしようもなくアシㇼパの姿が片割れのものと重なってしまう。

 ……まだ他人の命を奪ったことのない清いいきもの、だ。

 

 

「ゔ……うゔゔ……」

 

 

 とてつもない寂しさを自覚した。厚いコートやポンチョに阻まれて、背中の尾形から伝わってくるのは重さだけだ。

 呼吸も弱く、今にも途切れてしまいそうなほど。

 

 

 杉元とアシㇼパ、さらには様子を窺っていた白石の顔に驚愕が浮かぶ。

 鼻の奥がツンと痛む。

 なんでここに勇作がいないんだろう。今にも不安と罪悪感で押しつぶされそうだけど、背負う重さがそれを許さない。

 尾形が助かるまでは死ねない。尾形を殺させない。

 

 

「ちょ、ちょっとちょっと!? 英作ちゃん!?」

「ゔゔゔぅ……! ゔるせえなあっ!! 黙って着いて行きゃいいんだろッ!! ゆゔざくッなんでいま私の隣にいねえんだよ舐めてんのかよ馬鹿がよぉ!!」

「ちょっとおちつこ? ね、ほらほっぺで涙凍っちゃってるからッ! 大丈夫、それ? ほっぺ切れっちゃったりしない? 白石、まだオシッコ出るか?」

「もう出ねえよッ!」

「英作……大丈夫だ、きっと尾形は、助かるから、もう泣くな、な?」

 

 

 ピシピシと頰をつたった端から涙が凍りついていく。

 杉元に顔面を鷲掴まれて、小便くさい手袋でゴシゴシと擦られる。ヤメテ?

 

 

「え……な、なにを、泣かれて……?」

「テメエを殺したくねえからだよッッ!!! このバーカッ!!!」

「………は?」

「うんうん、落ち着け? わかったから、とにかくキロランケニㇱパたちを探そうな?」

 

 

 背中越しから状況についていけていないらしき尾形の困惑に腹が立って怒鳴りつける。

 アシㇼパに手を引かれながら流氷原を歩き出した。

 

 

「バカじゃん、バッカじゃない? どうしてそうなるんだよ、普通逆じゃねえの? なんで私に殺されたいって話になるんだよ、逆だろ。おまえが私を殺したいって話ならまだ理解もできるのに、何をどうしたら逆になるんだよ、そんなのおまえ、むしろ私のこと大好きなんじゃねえの、マジでバカ」

「…………」

 

 

 グスグスと鼻を啜りながら、呟く。タガが外れたように言葉が止まらない。

 涙もまた止まってくれない。

 苦しい。座り込んでしまいそうだけど、自分で自分にそれを許さない。

 

 

「え〜〜〜んッ!! ゆゔざくぅッ!!」

 

 

 大の大人が泣き喚いて恥ずかしくないのかよ、とも思うのに止まってくれない。だって今まで我慢してきた。

 尾形がわからないよ〜〜〜ッ!!!

 

 

「殺しだぐないぃ……!」

「…………ハハ」

「なにわろてんねん。ぶっ飛ばすぞクソ尾形ゴラァ」

「なんでそこだけ流暢なの?」

 

 

 背中で掠れた声が笑う。カチンときた。こっちはおまえの言葉に手玉にとられとるんじゃが?

 白石が呆れ声を出すので睨みつけておく。

 

 

「英作ちゃんの荷物は俺が持ってあげるから貸して?」

「うん……」

 

 

 やさしい。

 前に負っていた背嚢を白石へと渡す。

 

 

「でもおまえを殺すのだけは……本当の、本当に嫌なんだ」

「………」

「ごほん、とりあえず英作さんのことは置いといて……尾形が網走監獄で俺のことを撃ったんだ……ウイルクも」

 

 

 私のことは置いておくことにしたらしい杉元が真面目な話を始めた。

 

 

「そしてその合図を出したのはキロランケだ。インカㇻマッが見ていた」

「尾形も同じことを言っていた。でもキロランケニㇱパから直接聞くまでは……」

 

 

 二人の情報交換を聞くうちに少しずつ冷静さが戻ってきてくれた。

 遠く流氷上に人影がぼんやりと見えた。それから風の音に掻き消されそうなほど小さく銃声。

 

 

「白石、私の眼帯を外してくれ」

「え、う、うん」

 

 

 白石に頼んで右目を覆っていた眼帯を外してもうらう。久しぶりに両目でジッと目を凝らした。

 ぼんやりとしていた像に焦点を合わせる。

 キロランケと、その上に馬乗りになっているのは音之進だ。

 

 

「居たぞ、キロランケだ」

「どっち?」

「あっち」

 

 

 杉元へ居た方向を顎で指し示し、そちらへ向かって進んでいく。

 近づくと、ちょうど血塗れのキロランケへ谷垣がトドメを刺そうというところだった。アシㇼパが制止をかけて駆け寄っていく。

 

 吹雪がやみ、雲の間から光が差し込んでくる。キロランケが息を引き取った。

 

 

 どうしたらいいのかを考えなくてはいけない。

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 ニヴフの伝統料理だというモスを食べながら、尾形を医者に診せなくてはという話になった。

 本当ならもっと早くに医者へ診せたかったけど、私たちは密入国者だ。

 ニヴフに変装して、手分けをしながら亜港で医者を探す。

 杉元達に連れられて、やって来たロシア人医師がニヴフの家で尾形と月島を診る。

 

 

 ※『』=ロシア語。

 

 

 

『おまえたち日本の兵士か?』

『連れ去られた女の子を取り返しに来た。回復したら大人しく日本へ帰る』

 

 

 診られながら月島が経緯を簡単に話している。

 規則的に整えられた呼吸により上下する胸を見ながら、起きていると察する。

 この潜伏期間。尾形は度々意識を取り戻していた。

 

 

「病院の方が機材が揃っていると言っている」

「駄目だ、ここでやれ」

『彼を助けたいんだろ!』

 

 

 医者の言葉に杉元が頷く。

 

 

「わかった。運ぼう」

「おい杉元、いい加減に……」

「尾形には色々聞くことがある……英作さん。アンタにアイツは殺させないから」

 

 

 杉元はそう私の肩を叩いて、安心させるように笑ってみせた。

 背筋がゾワゾワする。絶対にそれ、違う意味だゾ。

 決して安心の出来ない口約束に逆に不安が煽られて仕方ない。

 

 

「英作さんは月島軍曹と残ってくれ。追手が来たら、頼む」

「……尾形は」

「大丈夫だから、きっと助ける」

 

 

 ニコと笑う杉元。

 嘘だ、それ絶対嘘だゾ。

 犬橇に尾形を乗せて谷垣、白石、鯉登に言い出しっぺの杉元とアシㇼパが連れ立って病院へと向かうのを見送る。

 月島と残されて、ズン、と重い沈黙が降りかかる。月島が多弁な男ではないし、私も今はお喋りに興じられるような気分ではなかった。

 

 

「……意外でした」

「何がだ?」

 

 

 重い空気の中で、月島が口を開く。

 寝台で寝かされたままの月島を振り向いた。月島はただ天井を見上げている。

 

 

「あなたがああも素直に尾形から離れるとは……杉元が尾形を殺すとは思わなかったのですか」

「……その心配はこれまでもずっとあったものだ」

 

 

 月島の指摘は今更のものだった。止めなければ杉元は簡単に尾形を殺す。その前に殺してやろうと、ずっと心に決めて接してきた。

 ため息を吐き出して、重い心情を表現する。

 

 

「ただ生きてほしい、と望んじゃいるが……今の狙撃手の命といえる右目を失くした尾形にとってそれは本当に幸福なのか、とも考える」

「……はい」

「生を望むのは、私のエゴ……勝手な都合なのでは、と……尾形にとっての幸せが、結局なんなのかわからないうちは、そうなってしまうだろ?」

「はい……」

 

 

 再びの沈黙。尾形にとっての幸せはなんだろうと、これまで以上にずっと考えている。

 

 

「……私はあなたの祈りを勝手なものとは思いません」

 

 

 ボソリ。月島が小さな声で呟いてから、天井を見上げていた目を閉じてしまう。

 それを見つめて、(ああ、おまえはそうだろうな)と口の端を吊り上げた。

 

 

 やがて戻ってきた杉元たちに病院から尾形が逃げたと知らされる。

 

 

「本当に?」

「ああ! あいつがあのまま大人しくしてるとは思えねえ! 英作さん! アイツはきっと元気になってまた邪魔しにくる!」

 

 

 ギラギラと目を輝かせる杉元に両肩を掴まれてぐらぐらと揺らされる。

 そうして翌日。装備を整えて馬を用意してもらった。

 

 

「本当に行くのかい? 英作ちゃん」

「ああ。逃げたなら追う。そもそも私が樺太に来た理由はアシㇼパでなく尾形だ。世話になりました」

 

 

 後半はニヴフの方々へ向けた別れの挨拶である。このまま病院から逃げ出した尾形を追うと告げてある。

 

 

「そもそもどこにいるかも分からないのに、いくら狭いといっても樺太で一人を探そうなんて無謀がすぎるぞ! 英作どん!」

「……」

 

 

 病院で尾形にしてやられたらしい鯉登がプリプリと唇を尖らせ文句を言う。

 それに対して、ただニッコリと微笑みを返すにとどまる。鯉登と話すのはこれで最後のつもりであるので、それを喧嘩で終わらせたくはない。

 

 谷垣や月島は呆れを見せながらも反対はしないでくれた。

 

 

 出発前、最後にアシㇼパと向かい合う。アシㇼパはいつもと変わらず目を決してそらすことなく、私を見上げる。

 

 

「英作。最後まで、おまえの気が済むように。尾形を見つけたらまた会いに来てくれ」

「……ああ、アシㇼパ。もちろんだ。尾形の首根っこを掴んで、おまえの前に連れてきてやる」

「ははっ……うん!」

 

 

 アシㇼパと目線を合わせるためにしゃがみこみ、手を差し出す。

 小さな手のひらと握手を交わして、アシㇼパだけに聞こえるように囁いた。

 

 

「北海道で会おう。必ずアイツと二人で追いつく」

「……本当に勝算はあるのか?」

「私を誰だと思っているんだ、アシㇼパ」

「ドジっ子飛び降りシサム」

「……あははっそれ、久しぶりに聞いたなあ」

 

 

 思わず吹き出して、アシㇼパの手を離した。

 これは鶴見中尉と繋がる月島と鯉登には秘密の作戦である。

 

 立ち上がって、改めて杉元と向かい合う。力強い目がアシㇼパと同じようにまっすぐに私を見つめる。

 どちらともなく手を差し出して、握手を交わす。

 

 

「あんたは行うと決めたことを必ずやり遂げる男だって俺は知ってる。でも今回ばかりはどうなるか……」

「言ってろ、杉元。……必ず口説き落として見せるさ」

「……応援はしねえよ。アイツへの感情は今でも変わらねえし、今更味方になるとも思ってねえ。でもあんたがそう決めたんなら、そうしたらいいんだ」

 

 

 笑い合い、私はニヴフの集落を出発した。

 集落が見えなくなる程度に離れたところで方向転換をする。亜港を挟んで、少し行ったところにポツンと小屋が建っている。

 馬と繋いで、小屋の戸を開ける。

 

 

「……本当にどこまで物好きなんです、あなたは」

「ははあ、お前こそ。素直に従うとは思いもしてなかったぞ」

 

 

 小屋の奥。物陰に拳銃を構えて身を隠す尾形が潜んでいた。呆れ声に思わず笑う。

 初めから、全てそういう作戦だった。

 

 尾形にいい感情のない鯉登は尾形を殺すことに躊躇しないだろうし。そもそも月島が尾形を殺せなかった私を殺すかもしれない。

 なら、生死不明で二人揃って逃げてしまえばいい。そういう話だ。

 杉元とアシㇼパたちにも話を通してあった。

 

 私が月島の元に残ったのは余計なことをされないように見張るためだ。まだ経験の浅い鯉登だけならどうにか目をくらますことができると判断してのことである。

 

 意識のあった尾形の手に小屋の場所を書いたメモを握らせて、まさか素直に従うとは思いもしていなかった。

 二丁の歩兵銃を机に置き、ボロボロの手術着のままの尾形へ杉元たちが病院から持ってきた痛み止めと軍服を手渡した。

 

 

 そして椅子に腰掛けて、尾形へと語りかける。

 

 

「さあ、おまえの容態が落ち着くまではここで過ごそうか」

「……物好きめが」

 

 

 小さく毒づき、それでも尾形は逃げることをしないのである。今は私に従った方が得であると判断したんだろう。

 時間はたっぷりあるのだから、今度こそ完全に口説き落としてみせる。

 

 ……尾形に生きるための道理をやりたいというのも本心ではあるのだ。

 結局のところ相互理解におはなしは欠かせないってことなんだよな、なっタコピー!

 

 

「これからのことを二人で一緒に考えていこう」

「……ははあ、相変わらずですなあ、英作殿は」

 

 

 

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