タァンタァンと、遠くから銃声がずっと聞こえる。
すでに国境線を越えて、日本領へと戻ってきていた。敷香で宿を借りている。
ロシア領で捨てるのも勿体無くて集めていた馴鹿の皮がここぞとばかりに役に立ってくれた。
荷物が増えるから捨てろと何度か尾形に釘も刺されていたけど、豊富な路銀に代わってくれて懐はホクホクだ。
「そろそろ実包の残数が不安だな」
「ははあ、鶴見中尉を警戒していたらろくに買うことも出来ませんからな」
手ぶらで戻ってきた尾形に忠告しておく。半笑いを浮かべながら尾形が肩にかけていた小銃を下ろした。
「ある分は使ってくれて構わん。たくさん練習しろ」
私の分の実包を差し出すも、そっぽを向かれた。でも手は実包へと伸びていくので笑いを飲み込むのが大変である。
「ほんっと、素直じゃねえよなぁ! おまえって」
「分かったような口をきかんでくだされ」
「やだぁ、尾形ちゃん怒ったのぉ? でも事実だからなあ、アッハッハ」
「………チッ」
堪えきれず高笑いをすれば舌打ちをされた。まだしばらくは落ち着いた時間が過ごせるだろう。
日本領に戻ってから、尾形の体調は比較的良くなっている。
軍人は身体の扱いに精通してこそだ。だからこそこのタイミングで尾形も左撃ちの練習を始めたのだろう。
本当はもっと弾をバンバンと消費して打ち込んで欲しいものだが情報将校である鶴見中尉を警戒すれば必然。鉄砲屋で歩兵銃の実弾を買うのは躊躇われた。
鶴見中尉を相手取るならどれだけ警戒してもし足りないくらいだ。
「……すぐに撃てるようになりますよ」
「ああ、期待してる」
「ははあ」
尾形が髪を撫でつける。襖の向こうから可能な限り潜められたような足音が近づいてくるのが聞こえた。
歩兵銃の実包は尾形へ渡したばかりのため拳銃を手に取る。
残弾数を確認して、音の聞こえた方へと襖の横に寄って警戒を向ける。
尾形もす、と私が警戒する方向から距離を取り窓際へと後ずさり歩兵銃を構えた。
視力はほぼ変わらなかったものの、治療期間にやたらと良くなった聴力はそのままだった。
これではいざ戦場に戻ったとき大変だろうに、早く聴力も元に戻って欲しい。
音が近づいてくる。
襖のすぐ向こう。手前で足音が止まった。呼吸を殺す。右手で拳銃。空いた左手で腰の銃剣の柄に触れた。
「ッ!?」
尾形の息を呑む声に意識が一瞬、窓側へと移る。
ヒラヒラと視界に色とりどりの細かく刻まれたちり紙が舞っていく。
どうやら開いたままの窓から投げ込まれたらしいそれ。すぐさま尾形が窓の方へと銃口を向かせるのを見て、意識を再び襖の向こうへ──。
「おらおら英作ッ! 命かかってるってときに気ぃ散らせてんじゃないよッ! だからあんたは甘いんだッ! 死にたいのかいッ!?」
「フミエッ!?」
「誰!?」
「オイラもいます!」
「誰だッ!」
襖が勢いよく開かれ、立っていたのは男物の洋装に身を包む山田フミエ。
思わず名前を叫べば尾形が困惑の声をあげる。続けて窓から現れたのはヤマダ曲馬団の花形曲芸師の長吉である。これまた洋装のワンピースを身につけている。
さらに尾形が困惑の声をあげている。
そうだ、尾形はヤマダ曲馬団の公演時にいなかった……あの特異点での出来事を知らないのだ……。
尾形に簡単にアシㇼパを探すためサーカスに出演したことを話した。
「亜港で会うまで一体何をしとったんです……それは無駄では」
「いや、それは確かにそうなんだけどな。杉元がアシㇼパさんなら気がつくはずだって、自信満々だったから……」
呆れ顔の尾形にへへっと笑って誤魔化す。
そんな私たちの横でフミエ(男装の姿)と長吉(女装の姿)は各々お茶を入れて茶請けに手を伸ばしたり、煙草を吸ったりと自由極まりない。
なんなんだおまえら。
「説明は終わったかい? なら次はアタシらの番だ」
「オイラたちっていうか座長とフミエ先生なんですけど、日本に戻ってすぐに新しい命令が下されたんですね。それで少ない方が動きやすいってことでオイラとフミエ先生だけまた樺太に戻ってきたんです」
「そういうことだよッ! 質問はあるかい!」
「その格好は変装のつもりか」
「え〜い〜さ〜く〜ッ! まず聞くべきはそこじゃないだろッ! アンタの顔は老若男女をスケコマスためだけについてんのかい? 顔だけで上に進めるほど陸軍は甘い場所じゃないよッ! 頭を使いな!」
ヒイン……、ちょっとふざけたら本気で叱られた。肩を丸めて、顔面に力を込める。ぎゅっとしわを作って、叱られて落ち込んでいますと言わんばかりに、そう今の私は可哀想なしわくちゃのピカチュウ……。
「目的は俺だろう」
「そうだよ、アンタが生きてたってことはすでにヤマダが中央に報告してる。鶴見と第7師団のきな臭さも中央が知らんはずがないだろう。鶴見にアンタを絡め取られる前に保護して中央に連れ戻せという命令だよ。花沢英作少尉殿」
「ふむ……」
途中から情報将校らしい目つきとなったフミエ。思案するように顎に手を当て、視線をグルリと周囲に送る。
先ほどから今いち話について行けてなさそうな尾形へニッコリと微笑みかけて、そのまま視線をフミエへ戻した。
「俺にはまだ利用価値があると、中央は判断したようだな」
「当然だよ。不名誉な脱走兵とはいえ、アンタはあの花沢中将閣下の後継なんだからね」
「うん、でもまだ俺は戻る気はないんだな」
ピクリとフミエの眉が動く。
「生憎だが中央に繋がれる気もないのでね。いくつか手回しをお願いしてもいいかな、フミエ先生」
「……アンタに先生と呼ばれる筋合いはないよ、英子……。だが、いいだろう。言ってみな、アタシらをいい目に合わせてくれるってんなら、そのお願いとやらも叶えてやってもいい」
ニイ、と口の端を吊り上げるのはほぼほぼ同時だった。陸軍での情報将校はとても評価が低い。
命がけで情報を集めても、卑怯千万の姑息なネズミ扱いだ。
その扱われ方にフミエもフミエで思うところはあるのだろう。
「あわわ……わっるい笑い方だなあ。フミエ先生と英子さんの方がどうみても悪役って感じですよねぇ」
「…………英子?」
はて?
英子ってなんだろう???