「アタシだよッ!」
「なあ……もっと自然と出て来れないのか?」
「うるさいねッ! 英作オラッ! 頼まれてたもんだ、受け取りなッ!」
札幌の街中。
すれ違いざまに手に握らされたメモを頼りに一行から離れればフミエの顔が出迎えた。
集めてもらった情報の報告を終えてから投げ渡された掌サイズの箱を受け止める。中に入っているのは尾形の義眼である。
戦闘になるなら弱点となる欠損を隠せる方がいいだろうという判断でフミエについでに頼んでおいたのだ。
「……それで?」
「勇作少尉は相変わらず鶴見たちと行動しているよ、一応は人づてに状況は伝えておいたけどね」
いついかなるときにも情のある人間を相手取るならば人質は有効だ。
ただ勇作に状況が変わったから安全な場所へ行けと指示を出し大人しく従ってくれるのかと問われたらまあ、否なんですよね……。
「本人に東京へ戻る気はなさそうだったよ」
「だろうねぇ」
勇作は頑固者なのだ。一度こうだと決めたことは必ずやり遂げる……全く誰に似たんだか。
「どうする気だい、鶴見がアンタの離反を知れば勇作少尉を放っておくとは思えない」
「そうだな、だが殺すこともしないだろう」
「英作。アイツはそんな甘い男じゃ……」
「“愛する者”を奪われた者がどういう行動に移るか分からない人でもないさ、あの人は」
「ウラジオストクでの妻子のことかい。あれはただのカバーに過ぎんだろ、ましてや愛なんて。存外に情に厚い男だね、アンタは」
生粋のスパイらしいフミエの言葉に思わず笑う。
集めてもらった情報の中に鶴見中尉のこれまでの経歴もあった。十六年前のロシアのウラジオストクでの間諜履歴。
その日々について詳しい報告がなされることはなかったが、名乗っていた偽名を知れれば自然と樺太で出会った老人の話と重ねられた。
当時の偽名は長谷川幸一。ロシア人の妻の名前はフィーナ、娘の名前はオリガ。
ここで繋がるとはなあ、という心地だ。
あの老人は遠いウラジオストクから日本領となった樺太まで長谷川幸一を探していたというわけで……すごい執念だと感心してしまう。
そしてそれは巡り巡って私まで辿り着いた。
クシャクシャに皺だらけとなった古い写真を広げる。長谷川幸一と妻のフィーナだ。
「因果だな」
「それで中央で花沢閣下に同情的なやつらの八割方にはアンタに関する話は通してあるよ、どうする気だい」
煙草をふかすフミエに笑みを深めた。
「戦争♡」
「この野蛮人が」
「ははッ」
辛辣なフミエの言葉に思わず吹き出す。刻一刻と近づく戦争の気配に心が躍る。
相手はあの鶴見中尉だ。戦争は嫌いだが、どうしても愉しんでしまうのだ。
暴力的で野蛮な悪癖に違いない。でもそれで護れるのなら、一石二鳥というやつだろう。
そうしてフミエと別れ札幌近郊の森へ戻ると木の倒れる轟音が響いた。
慌てて音のした方へ向かえば顔を青くした白石が二人の名前を呼んでいた。
「どうした白石!」
「杉元とアシㇼパちゃんの入っていった森が倒れたんだよ! もしかしたら巻き込まれてるかもしれねえ!」
慌てる白石に辺りを見渡す。一面の木は倒れて、下敷きになっていたらどうしようもないな。
まあ、杉元なら死んでないだろうし、一緒にいたならアシㇼパのことも守っているだろう。
「尾形、木をどかすための人手を集めてこい」
「はい」
「俺も行くぜ」
ひょっこりと姿を現した尾形へ指示を出せば、ともに海賊も離れていく。声がしないかと耳を澄ませながら慎重に移動していく。
微かにシライシの名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。大声を出すのには存外体力を使うものだ。長丁場になりそうなら、こういうとき笛なんかがあると便利なんだよな。
「白石! 向こうだ」
「声が聞こえたの!?」
声の方へ向かっていくと頭巾に葉っぱをつけたヴァシリが立っていた。ああん?
てめえ、見ないと思ったらそんなとこにいやがったのか。
顔をしかめたままある方向を指差すヴァシリ。
「ふんふん」
『ヴァシリ、杉元たちを見たのか』
「フン」
「頭巾ちゃんはなんて!?」
「見たらしい」
「ッ、杉元! アシㇼパちゃんッ!」
どうやら倒れる直前の杉元たちを見ていたらしいヴァシリの目撃情報に血相を変えた白石がその方へと駆け出す。
その様子にまた目を剥く。白石も随分と、……まあアイツらと一緒に行動してれば多かれ少なかれ情が湧いてしまったんだろう。
環境で人は変わるという証左であるのか、そういうのも悪くはないだろう。
木の隙間に得意の関節外しで潜り込んでいく白石を見送る。
★
「俺は埋蔵金が見つかってもアシㇼパさんがこの事件に納得できるまで相棒のままでいるから」
暗闇の中、杉元の真っ直ぐな言葉がキラキラと輝いているような気がした。
本当に聞きたかった答えは、それじゃないけれど……それでもだ。
「その前にここから脱出しよう」
「白石と英作さんがきっと助けにくる」
「あいつも下敷きになってるかも……」
「それでもモゾモゾと木の中から出てくるんじゃねえの? アイツらなら一生懸命、俺たちを探してくれるさ」
杉元の言葉に口を閉ざす。
白石はともかく、英作はどうだろう。初めて会ったときは足を滑らせて海に飛び込んでいたからドジな和人だと呆れたものだけど。
アイヌの研究でもしようかと軽口を叩いて、言葉を実践するようにアイヌの集落にすぐに馴染んでいく変な和人だと思っていた。
私の知らない樺太アイヌの話を聞くのが好きだった、絵が上手で描き方を教えてもらったこともあった。
北海道で色んなコタンを巡りながら、私のコタンに訪れた英作に狩りに付き合ってもらうことも何度かあった。
レタㇻにも驚くことなく自然と受け入れたどこまでも変なやつ。
「……英作は、私の味方になってくれるかな」
思わず呟く。
あんなにたくさん一緒にいたのに私は英作が軍人であることを知らなかった。脱走兵であることも、尾形との関係も、軍人として振る舞う英作のことも何一つ。
聞けば教えてくれたろう、けれど自ら必要のないことを教えてくれることはない。英作のそういうところが私の知らなかったアチャの姿と被った。
穏やかで抜けてるところや少し怖い一面もあって、人の輪にすぐに溶け込んでいける英作を、知らず知らずのうちにアチャと重ねていたのだとようやく気がつく。
「英作は私が答えを出すのを待っているんだろうな、……その答えが自分と別の道へ行くものなら、きっとアイツは躊躇わない」
きっとアチャもそういう人だった。
杉元の手が私の手を握り込む。目だけ動かして杉元を見上げる。杉元は真っ直ぐに私を見つめて、頰を緩めた。
「英作さんの目的が金塊ならもっと話は簡単だったろうね」
「うん、白石や杉元の二人みたいに地獄の金の亡者だったらよかった」
「……それは否定しないけど。白石は俺との約束を守って樺太でずっとアシㇼパさんのそばにいてくれた。だから……アイツには俺と同じように教えてもいいんじゃないかな。アシㇼパさんが暗号を解く鍵を思い出したってことまでは……」
「うん……そうだな。本当はもっと早く教えてもよかったけど言いそびれてしまったな」
わずかに砂粒が木の隙間から降ってくる。そして見えた肌色に思わず頰が緩む。
「アッカムイが助けにきた」
木々の隙間から白石が皺くちゃの顔を出した。
★
耳をすませば二人のそんな会話が聞こえていた。
あ〜〜ん、アシㇼパの選択によっては敵対することがとっくにバレてる〜!
隠せてると思っていただけに少し恥ずかしい。
尾形と海賊の連れてきた林業の人たちの手を借りて、下敷きとなった杉元たちを救出した。
「私たちの生活だって樹を切る。和人と一緒に鹿と熊も狼だって殺して毛皮を売った」
伐採された森を見て、アシㇼパが真剣な面持ちで言葉を紡ぐ。
「全部取らずに残しておけば私たちのカムイは消えない…アチャがそう言っていたのを思い出した」
海賊が持っていた支笏湖に沈んでいたという金貨をアシㇼパが受け取る。金貨の紋様がアイヌのものに似ているらしい。
意味は交差とか交互に、だとか。フン。
「大昔に各地のアイヌが互いに持ち寄って集めた埋蔵金の一部を溶かして……“自分達の国”っていう夢を掲げて記念に作ったんじゃないかな?」
どれだけのフォローをされようと子供を戦場へ立たせようとする父親というだけでアシㇼパの父に良感情を抱くことができない。
これは完全に私の問題だ。不満を飲み込みながら一行から顔を背ける。
……戦場へ向かわせるのが私だけならば、きっとここまでの怒りを抱くことはなかった。優しすぎる勇作が軍人に向いてないことくらい親ならば知っていただろうに。
「アシㇼパは答えを出したようですね」
「そうだな」
杉元と並んで伐採のあとをジ、と見つめるアシㇼパの瞳にははっきりと意思が浮かんでいる。
その様子をまた離れたところから見ながら、尾形と並んだ。
アシㇼパたちから目をそらない尾形が肩にかけた銃に手をかける。
「今のうちに殺しますか」
「まだいい」
「ははあ、らしくありませんなあ、まさか悩んでおられるのですか」
「動くのはアシㇼパの選択を確認してからだ。もしもアレが北海道独立へ進むならやるべきことは一つだけだ」
樺太アイヌと北海道アイヌ、二つの血を引くアシㇼパはアイヌ独立の錦の御旗となるだろう。
もしも、そうなるならば旗が掲げられる前にへし折らなければならない。掲げられたあとにへし折っても逆に士気をあげてしまうからだ。
できるのならば、尾形の言う通り今すぐにでも。
「そのときが来れば俺が手を下す、が。そうせずに済むならその方がいい。いざというときの選択肢は増やしておきたいんだ。そのときは俺が決める。だから尾形、おまえは殺すな」
「はい……」
「アシㇼパをやるなら自然、杉元とも殺り合うことになるからな。おまえまた殺されかけるぞ、杉元に」
「尾形は白兵戦が弱いからな」と口の端を持ち上げて戯けるように尾形へ言えば、感情の見えなかった尾形の目に不満が浮かんだ。
それからつい先ほどまで構えようと触れていた銃を肩へかけ直す。
「……俺は狙撃兵です。距離があれば負けやしませんよ」
「ふ〜ん、鴨も獲ってたしなぁ。狙撃兵は完全復活ってわけか?」
「いいえ……狙撃兵は“人を撃ってこそ”です」
尾形が頰を緩めて言い切る。狙撃であれば自分が負けるはずないという絶対の自負があるのだ。あ〜かわいっすねぇ……。