取り組み合う牛山と宇佐美の姿を確認した。どうやらさっきの花火は人違いであったようだと察する。
続いて建物を挟んで反対側にある土方組の持ち場の方で花火が打ち上がった。こっちが真だろう。
拳銃のグリップで窓を割り鍵を開ける。
宇佐美と牛山の方へと続々集まる鯉登らに背を向けて、工場内へと忍び込んだ。
建物を回っていくより工場内を真っ直ぐに進んだ方が早い。
勇作のことが心配であることは変わらずだが、尾形がヴァシリを負傷させれば勇作は怪我人を安全な場所へ移動させようとするはずだ。
勇作であれば必ずそうする。
暗い工場内を駆ける。そこかしこから酒の臭いがしてくる。臭いだけでも酔いそうだ。
遠く硝子の割れる音が響いてきた。誰かが同じように工場内へ足を踏み入れたらしい。
一段階、警戒を引き上げて今度は慎重に足を進める。
ふと横切った樽の間に人影。その表情が驚愕に染まる。
「英作!」
「なんでいるっ!!」
腰に軍刀を佩いた勇作である。ついさっきまで表にいただろうが!!
まさかヴァシリもいやしないよな、と周囲に視線を巡らす。
「おまえの姿が見えた気がしたんだ」
「気がした程度で工場内に足を踏み入れるなよ……」
勇作の言い分に呆れてしまう。勇作は両手を広げて肩をすくめるとゆっくり微笑んで私の方へと歩み寄る。
「ここで会えてよかった。樺太で逃げた兄さまを追っていったと聞いていたから、またしばらくは会えないものと思っていた」
ダメだ、勇作を前にすると警戒心が削がれてしまう。
私にとって勇作のそばは落ち着いて息を吐ける場所そのものだからだ。
視線を外して、再び周囲に視線を巡らす。
決して銃剣から手を離さない。
警戒を怠るな。すぐそこの物陰からいつ敵が現れるかもわからない。
勇作に出会えたことは大変喜ばしい。けれど真正面からここを離れろと伝えたところで勇作はきっと聞いちゃくれない。
「英作、兄さまは……」
「尾形は俺とともにいる。すまんが勇作、積もる話はあとにしよう。今はとにかくジャックザリッパーを捕らえたい」
「ジャックザ…というと連続殺人の犯人か。うん、わかった。それじゃあまたあとで落ち合おう。それからこれを」
そう真剣な顔で頷くと勇作は腰に佩いていた軍刀を私へ差し出した。
軍刀を受け取る。手のひらに柄巻がよく馴染んだ。
柄を平均よりもずっと長く誂えてもらった特別性で腕にかかる重さも記憶と寸分違わず、間違いなく私のものである。
奉天で脱走してから、死体を偽装するために手放した。
網走後の病院で渡されることがなかったということは、あのあとわざわざ東京から取り寄せたのか。
勇作〜〜〜〜〜〜〜ッ!!
おまえのそういうところ
「愛してるよ、勇作」
「ああ、うん。僕もだ」
沸き起こる愛に思わず告白してしまう。突然の告白は弟の特権なので、勇作も慣れた様子で頰を緩めた。
どうやら勇作がここにいたのは私に軍刀を届けるため……?
私が勇作に対して頑固だと感じるように、勇作も私に対して言っても聞かないと思っているのかもしれないな。
でも助かる。
牛山と宇佐美らが派手に取っ組み合いでもしているのか。硝子の割れた方から銃声が何発か響いていた。
そちらへ顔を向け、勇作が私へと手を──。
「あとで必ずまた」
「ああ、それじゃ──」
──そんな勇作のすぐ後ろに広がる闇からぼんやりと白い顔が浮かび上がった。
浮かび上がった顔にはうっすらと笑みが浮かび、爛々と瞳だけが異様な光を放っている。
「──ああ、やっぱり。鶴見中尉殿を裏切ってるんじゃないですかぁ、勇作殿ぉ」
宇佐美が銃剣を構えて立っている。その剣先には私の方を振り向いたままの勇作が。
考える間もなく身体が動く。宇佐美の構える剣先がゆっくりと勇作へと近づいていく。勇作がようやく宇佐美に気づいて、宇佐美の方を振り向いて。
全ての音が消え去って流れる時間がずっと遅く感じられた。
勇作の肩を掴む。それを背後へ力の限りぶん投げれば、すぐ目の前にうっそりと笑う宇佐美の顔。
「英作ッ!!!」
勇作に名前を呼ばれる。瞬間、音が戻って時間もまた元の通りに流れ出す。
腹に銃剣が突き立てられた。
手にしたままの軍刀の柄で宇佐美の横面を殴りつける。
鼻血を散らしながらも尚、俺のは腹へと突き刺さった銃剣をより深く取り返しのつかない位置まで沈めようと力を込めてくる宇佐美の動きに開いた左手で銃剣の刃を掴んで固定し拮抗させる。
「英作殿ぉ〜、あなたに怪我を負わすなんて、光栄であります〜」
「ッそうかい、ならその栄光を抱えたまま死に腐れ」
「ッ」
せっかく届けてもらった軍刀を床に投げ捨てる。宇佐美の軍服の襟を握り込むように掴んだ。私が何をしようとしているかすぐさま理解したらしい宇佐美もまた銃剣の柄へさらに力を込めてくる。
「選択はそれでいいんだな?」
腕に力を込めたためほんの一瞬だけ疎かになった宇佐美の足を払う。
一歩、宇佐美の間合いへ背中が側から足を踏み込み、宇佐美の身体を床へと叩きつけた。
叩きつけた衝撃はあったはず……宇佐美はそれでも銃剣から手を離さない。しかし背負い投げの勢いで銃剣は腹から抜けてくれた。
片手で血の流れる腹を押さえながら、ゆっくり起き上がる宇佐美から目線を外さない。
「英作…!」
「来るな、勇作。まだまだこんなもので貴様は終わらんだろう、宇佐美上等兵?」
駆け寄ろうとした勇作に喝を飛ばす。銃剣も抜けぬまま、軍刀を拾い上げた。
宇佐美がギラギラと今度こそ闘争心を隠さないまま私を睨みつけ、鼻血を袖で拭った。
「……ふふ、本当におまえってうんざりするなぁ。わかったような口を聞くんじゃないよ、親の七光りのくせに……」
「ハハッ、ようやっと本音を出したな」
「おまえは居るだけで鶴見中尉殿を困らせる! 何が軍神の再来だ! 何が軍人の鑑だ! よくもあのときっ鶴見中尉殿の前で僕を投げ飛ばしてくれたなッッ!!!」
血を滴らせる銃剣の剣先で私を指して、宇佐美が顔を歪めて吠えた。
宇佐美が話しているのは兵営での教練のことだろう。確かに中尉殿の前で宇佐美を投げ飛ばしたこともあったかも、しれないね?
教練で投げ飛ばした兵卒、下士官、将校なんて星の数ほどいるためいちいち覚えているかよっての。
「ははあ、男の嫉妬は醜いなあ。宇佐美時重ぇ〜〜?」
「気安く呼ぶなッ!! おまえに価値があるのなんて血統だけだろッ! だから鶴見中尉殿はおまえに目をかけてたんだ! それを何か勘違いして鶴見中尉殿に色目を使いやがってッッ!!! このアバズレ!!!」
「ッ、う、宇佐美上等兵! 口が過ぎるぞ!」
「アンタは黙っててくださいよッ! 童貞喪失もまだの甘ちゃんがッッ!!」
苦言を呈した勇作にまで宇佐美はギャンと吠える。
「……とにかく、鶴見中尉殿を困らせるやつは殺す」
「はは、貴様程度の駒に俺が殺せると? 俺も随分と安く見られたものだなぁ?」
「ッッッ、ごろず!!!!」
スッと呼吸を変えて、静かな殺意に満ちた表情を浮かべ腰を低く銃剣を構える宇佐美。
これまでの様子から気にしているだろうことを予測して煽れば、再び目の色が憤怒で変わる。
冷静に殺しにかかってくる相手よりも、怒り狂った相手の方が攻撃が単調でやりやすいのだ。
「勇作、おまえは下がってろ。コイツは俺が殺る」
宇佐美から視線を外さないまま鞘を抜き去り、勇作の方へと放る。両手持ちをし、上段に構えた。
後ろに勇作がいて、手には軍刀。
今の私が負けることなど万に一つもあり得ない。