勇作と別れ、尾形は煙の広がり続ける工場内を彷徨っていた。
狙撃地点に選ぶだろう場所のあたりをつけながら、脱出経路を探している。
勇作はアレで優秀な男であるので、きっと一人でもなんとかするだろう。便所にハマるような鈍臭い一面もあるにはあるが、ここぞというときにはどうにかする。
英作の命令は、ここであのロシア兵を殺すことだ──もちろんそれは状況によって可能であれば、というものだったろうが──命令を完璧にこなし、かつ命令以上をもこなしてこその右腕だろうな。
などと強気に考えるものの有利を取られている尾形の状況は変わらない。
厄介な狙撃手は殺すに限る。だが現状で尾形に実現可能な選択肢は、この場を離れ有利不利をまっさらにした上で改めて決着をつけるかくらいなものだろう。
あのロシア兵も同じように考えているはずだ。その上でまず第一に獲物が逃げ出してしまうことを何よりも阻止しようと考える。風向きや火の向きなども考慮すれば、自然とどこに張っているかも読めてくる。
「あそこだな……俺だったらあそこを選ぶ」
ただでさえ限られた工場内だ。狙撃するのに適した場所はそう多くない。
ふと煙の中に人影が見えて足が止まる。三十八式の銃口を向けた。
尾形に反応し、同じくナガンを構えているのは菊田特務曹長である。
「オッ、いいところに現れたな、尾形上等兵」
銃口を上にわずかにあげて、声をかけてきた菊田に尾形は眉間に皺を作る。
そもそも菊田と尾形は鶴見中尉を危険視していた第一師団団長である奥田中将からの〝ネズミ〟である。
「お前、いまは英作殿の下にいるらしいな」
「……」
今となってはそれ自体をなかったことにするつもりだが、奥田中将からは共倒れを防ぐために独自で動けといい含められている。
「鶴見中尉んとこにゃ戻れねえからな」
「……」
「弟の尻拭いをしてくれよ、兄貴だろ」
両手をあげる菊田に尾形は無言のまま髪を撫で付ける。
脱走する前にも増して表情の乏しい尾形に菊田は肩をすくめた。
「俺を生かした時点で英作殿もそのつもりだったと思うぜ?」
「まあ……アンタがまだ死んでいないということは、〝そういう〟ことなんでしょうが」
「英作殿の考えは俺にゃわからないがね」
ニヤリと口の端を持ち上げる菊田を尾形はギョロリと睨みつけ舌打ちを飲み込む。
予測していた以上に入り組んだ状況である。とにかく人手がいる。駒は多ければ多いほうがいい。
尾形とてそれはわかる。わかるが。
(よそ見ばかりしやがって……)
「ヤダ……すげー顔するじゃん……」
ギョッとした表情に変わった菊田の呟きを尾形はまるっと無視した。
★
そして菊田特務曹長とともにビール工場を脱出した尾形は、馬を盗んだというわけだそうだ。
教会の場所は菊田特務曹長の離反を知らない兵士に、菊田特務曹長が聞き出したのだとか。
ほ〜ん。
伝達の徹底って大事だよなあ。などと鶴見中尉一派視点の感想を抱いてしまった。
「先ほどはどうも、英作殿」
「元気そうで何よりだ、菊田特務曹長」
「はは、おかげさまで」
別所で待機していた菊田特務曹長と再び顔を合わせた。馬から降りる。
「貴様が鶴見中尉に心酔しているよう振る舞っていたのは動きやすくするためか」
「ええまあ。しかし〝ネズミ〟とバレていたとあっちゃあ、向こうにも戻れねえ。是非ともあなたのお供をさせて頂きたい。どうでしょうか、今後の保身のためだと言えば信用していただけますか?」
「いいよ、崖っぷちはお互いさまだ。乗った船が泥舟でも構わんならな」
「ははっ、沈んだ先の地獄までお供いたしましょう」
遠目に馬に乗る牛山と、例のトンチキビール瓶型の車も見える。土方一派の様子を窺うには都合のいい場所というわけだ。
「手短に向こうでの出来事を話すが、アシㇼパが暗号の鍵を鶴見中尉に伝えてしまった。早晩鶴見中尉は暗号を解き金塊の隠し場所を特定するだろう」
「ほほう……」
話ながら頬にぽつぽつと水滴が落ちてきた。雨が降り出したようだ。
菊田特務曹長が手勢に加わるのは別にいい。中央を利用することは最初から決めていた。
「このままアシㇼパを追えば、自然と鶴見中尉らよりは早くに金塊の在処を知れますな」
「ああ、そうすると問題は土方たちと、日本国に不法入国しているパルチザンになるか」
「パルチザン!? どういうことです、英作殿」
教会で聞いた鶴見中尉の言葉を整理すると、あのソフィアとかいうロシア人女性は他にも部下を連れていそうなんだなあ。その目的も土方らと同じく──いやちょっと違うがアイヌを含む極東アジアの独立よね。
お前らさあ……出て行ってくれませんかねぇ……私の(以下略)
「現況で我々がするべきは二つ。第七師団の暴走を止める、金塊を土方一派にもパルチザンの手にも渡らせない、だ」
「この人数で可能ですか」
「向こうの人数は百か二百か……一応の布石を打ってもはいるが、まあ難しいよな!」
「はは……はっきりおっしゃる」
ロシア軍を相手にしてきたパルチザンと、あの土方だ。まともな戦力があったとしても相手にはしたくないなあ。
冷や汗を流す菊田特務曹長を振り返る。
「いま中央はどうなってる」
「あ、ああ。フミエさんがあちこちに働きかけておりますよ。俺もそれであなたの生存を知らされていたのでね」
「ふーん……こうなりゃ仕方もない、が中央に動いてもらう他なさそうだ」
結局中央の介入かあ。と遠い目になる。
鶴見中尉が鯉登少将という手札を有していることも考えると、うーむなかなか……。
第七師団だけならなんとかなる目算だが、こればかりはなあ。
「鶴見中尉はともかくとして、土方かパルチザンの手に渡るくらいなら金塊なんざなくなってくれてる方が助かるが」
そうしてしばし話し合った結果、二手に分かれることとなった。
比較的向こうにも顔のきく菊田特務曹長と私が中央へと交渉、そして尾形がこのまま離れてアシㇼパたちを追う……!
「菊田特務曹長の言葉だけでは動かないか」
「ええ……あくまで俺は准士官。花沢中将のご子息であり同派閥の〝お偉方〟にも顔のきく英作殿がおられんと相手にゃあされませんよ」
「そうか……あのお歴々ならそうもなる、か」
なんせ血統やら出身やらを一等大事にする方々である。
正直、尾形を一人にしてしまうのも不安なんだよなあ。いや、心配とかじゃなくてだな……尾形は白兵戦が……弱いから……。
金塊の隠し場所については刺青人皮を所有し暗号の鍵をも手に入れた鶴見中尉たちの動向を探る…という選択肢もあるといえばある。
それで隠し場所はわかるだろうが、いかんせん暗号解読にいつまでかかるかわからないのだ。
そして土方とはどこまでも目的が相容れない。アシㇼパがどう望もうとも、どうあれ顔を合わせたら殺し合うしかないのだ。
「…………」
途端に黙り込んだ尾形から視線を逸らし、線路の上で何やら刺青人皮を広げるアシㇼパたちの様子を窺う。ああしてたら暗号が解けるのか?
治療をしていたらしい海賊もシャツを血に染めたままの姿で現れた。
チッ…と舌打ちを飲み込む。結構な量を鶴見中尉に撃たれていたと思ったのに頑丈なやつだ。
尾形から聞いた工場での出来事を思えば、あいつもあいつで目的があるようで。
少なくとも海賊の目的は北海道独立とは異なるだろうし、あいつが土壇場で金塊を持ち逃げしてくれねえかな。
より日本国の被る不利益の少ないようにしたいものである。
「さ〜てと、そろそろ動き始めるかねえ」
「あー……英作殿? 尾形の顔がすげえことになっとりますが?」
菊田特務曹長の言葉におそるおそる尾形の方を振り向けば、尾形がとんでもない形相で私を睨みつけていた。
鼻筋に皺がより、ほぼ白目になるくらい黒目が上にいっている。
どうやら今後の動きに不満ありなご様子で…。いや、なんとなく不満があるのは察していたけども、本当になんて顔をしていやがる。
「わあ…! 尾形くんってばすげー顔……!」
今から動き出したとして、中央の軍が北海道までたどり着くのにどれだけかかることか。鶴見中尉が暗号の解読にいつまでかかるかもわからないし〜〜〜。
「で? 何が不満だ」
悠長する時間はない。
ここにきて尾形にさらに裏切られ…なんてのも洒落にならない。いえいえ、尾形が裏切るとは今さら思っていないけどどれだけ低くとも可能性としての話だ。
菊田特務曹長の前でいつものように頬をつついたり、うっかりだる絡みをしないように腕を組んでから尾形へと問いかける。
「別に……」
「お前よぉ……」
すると尾形は髪を撫で付け、いつもの無表情で視線を逸らしてしまった。
別に…って顔じゃなかったろう。嫌なことがあるならきちんと嫌って言いなさい!
まったくもう!
「ところで……ロシア兵に関して、一つ報告を忘れていたのですが」
髪を撫で付けながら、尾形がようやく私の方を向いた。報告とな?
「続けろ」
ここにきてヴァシリ。腕を組み直して尾形へ続きを促した。
菊田特務曹長を間に挟んで向かい合っている。
「ほう、ヴァシリが俺を狙っていると」
「ええ、アンタを囮にして奴を釣ろうと思っていたんですがビール工場では都合のいいように進みませんでしたな」
「そりゃそうだ。何もかもが都合よくは進まんだろう……ふーん俺が囮か」
そうして尾形からヴァシリの狙いを教えられ、顎の下を撫でる。今まで黙っていたのは動きにわざとらしさが出ないようになんだって〜。ほーん。
呟いた瞬間、なぜか尾形が体を震わせた。
「どうした」
「いえなんでも」
「そう?」
ここに来るまでかなり邪魔をした覚えがある。ヴァシリの野郎が私を先に殺すべしと結論づけるのも理解できる。
私をいの一番に狙ってきてくれるなら、私としても助かるんだよな。私に最初の一発を費やしてくれるなら、そのあと目の前の右腕さんが仕留めてくれるのだろうし……。
というか、今のこのタイミングでそれを報告してくるのって……。
「あいつは俺がアシㇼパの元に姿を見せると考えるか?」
「おそらくはそうでしょうなあ」
「ふーむ……」
ただでさえ入り組んだこの状況で、さらに野良のロシア兵──しかも狙撃手──の相手なんてしていられない。このまま放置してもいいが、肝心なときに横槍を入れられるのも面倒だ。
ヴァシリクソ邪魔。
やはり行動を共にしている間にさっさと殺すべきだったか。こればかりは私の判断ミスだ。
あのときはアシㇼパからの信用が重要だったとはいえ、こうなると即断即決が長所とはもう言えないレベルである。
「そうだな。じゃあ尾形、アシㇼパたちを尾けるついでにヴァシリのことも殺してこい」
「……」
尾形の肩に手を置く。覗き込んだ尾形の目が丸く見開かれる。
ヴァシリの狙いに気づいた上で黙っていたのは、そのほうが効果的だと判断したからに違いない。それを今になって報告したのもまた、状況が変わって最善も変化したということだ……と、納得するぜ。
話さなかった理由も説明してくれたしな。まあ全ての責任を私に集中させるために、そういったこともきちんと報告してくれると非常に助かるんだが……今は時間がないから置いておいて、これからゆっくりと時間をかけて分かってもらおう。
「お前になら出来るだろ?」
「ハハァ…俺を誰だと思っておるんです。当然、殺してみせますよ」
ニィ…、と無表情だった尾形の顔に不敵な笑みが浮かんだ。自信満々で大変よろしおす。
いいぞ尾形〜〜!!
俺の右腕、鬼つええ!! このまま邪魔なヴァシリ、全殺ししてこーぜ!! という気持ちである。
「じゃあ作戦通りにな」
「了解しました」
さてどうやって尾形を説得しよう、と気負ったものの予想よりも早く納得してくれて何よりだ。
ところで尾形くん、それは本心?
ちょっと異母弟に話してみない?
もちろん、そんな猶予はない。次にゆっくりと話が出来るのは、おそらく全てが終わってから…となるだろう。
「じゃ、行きましょうか。英作殿」
「ああ、分かってる」
菊田特務曹長に呼びかけられ、中央と連絡をつけるためにその場をあとに──。
──「あ、英作ちゃんも合流できたのね」
「あ゛ぁ???????」
ふとアシㇼパたちの方から聞こえてきた白石の呑気な声に思わずド低い声が喉から漏れた。