※pixivからの転載です
ウォロショウです(二回目)。
気持ちのいい終わり方はしません。
何か大変なことがまた起きるんじゃないか。そんな漠然とした小さな不安をなだめるため、ヒカリは定期的に槍の柱を訪れていた。
猛吹雪と起伏の激しい山岳を越えてたどり着く崩壊した神殿は、いつだって物音ひとつしない。外界の豪雪も嘘のように空気すら静止した空間。そこの空気を吸うことで、ヒカリは胸に生まれた不穏なかけらを取り除いていた。たった一人で。
それを寂しいと思ったこともなければ、残念だと感じたこともない。だって仕方がない。ここに来るだけでも一苦労なのだ。だから、いつだってここには一人しかいない。
だから、本当に驚いたのだ。
「えっ! 人?! シロナさ……んじゃないですよね?」
人がいるだけでも驚いたし、その人が知人にそっくりなことにも驚いた。
相手も、こんな辺鄙なところで人に出会うなんて思っていなかったのだろう。目を見開いたまま数秒静止し、それでも何か喋ろうとしたのか、口を開いたけども言葉にはならずにぱくぱくと動かすこと数回。
「あの、大丈夫ですか?」
再度ヒカリが声をかけると、その人は一度深呼吸をしてにこやかに返事をした。
「いや、スミマセン! まさかこんなところに人がいるとは!」
びっくりして固まってしまったと言って、名乗った。
「ジブンはウォロと申します。こんな場所に来る奇特なアナタは?」
「私はヒカリです。はじめまして」
「はい、はじめまして。ところで、目が合いましたね」
「! いいですよ、受けて立ちます!」
バトルはヒカリが勝った。ウォロは悔しそうな顔も見せず、完敗だと言って笑った。ヒカリは少し違和感を覚えたが、話をするうちにそのことを忘れた。
遺跡巡りが趣味だというウォロは、シンオウの歴史に関する話を幾つもヒカリにしてくれた。人とポケモンが同じだった時代の話、人とポケモンが別れて暮らしていた時代の話。
争い合い、憎み恐れ、怯え震えた。そんな昔話を、まるで見てきたかのように語って聞かせた。
「ヒカリさんは、ポケモンの小さくなる習性をご存知ですか?」
「弱ったら小さくなって隠れるってやつですか?」
「正解です! さすが勤勉ですね。では問題です、一番初めにモンスターボールを作った人は誰でしょう?」
「あー、誰でしたっけ? 確かカントーの博士でしたよね」
「ええ。タマムシ大学のニシノモリ博士……と、言われています」
「言われている?」
「この方はあくまで、現代に流通している機械式のモンスターボールの開発の火付け役です。それより前にこの習性を知っていた人々はいましたし、その名残で、今でもぼんぐりからボールを作り出す技術は残っている」
ウォロはそのまま続けて語った。かつては手書きのポケモン図鑑というものも存在した。その土地に住むポケモンたちを調べ尽くし、記録し、分析しまとめた最初の一冊がある。
原初のポケモン図鑑を作り上げた功労者は主に二人。編纂者で博士でもあるラベン、調査員のショウ。今は現存する一部だけがミオの図書館に残っている。
「それはこのシンオウ地方で──シンオウと呼ばれる前のこの地で作り上げられました」
「昔はなんて呼ばれてたんですか?」
「ヒスイ、と呼んでいました」
伝聞も婉曲も使わない、実体験のような語り口にヒカリは笑顔でそうなんですねと答えた。掘り下げるような無粋な真似はしなかった。
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不思議な夢を見た。光が語りかけてくる夢。全てのポケモンと出会えなんて無茶なことを言ってくる夢。
行ったことがない地方どころか、数えきれないほどの外国もあるのに。そんなの無理に決まってる、と言い返そうとした時にはもう、ヒカリは夢から覚め見知らぬ浜辺にいた。
大丈夫か、変な格好だがこの辺りの人か。三体のポケモンと一人の男性に心配されていることを理解したのも束の間。返事をするより早く足元に並んでいた三体は浜辺から離れるように駆け出し、男性はそれを追いかけて行ってしまった。
ヒカリが一人になったのを見計らったように、ポケットから音がする。見覚えのない、しかし何故か自分のものと思えてならない──到底自ら選ばないようなデザインをしたスマートフォン。
全てのポケモンと出会え。
言いようのない不安と焦りに背中を押され、ヒカリは男性を追いかけた。彼の研究対象だという三体を、見たことのない木製のモンスターボールで捕獲した。喜色満面に溢れた彼はラベンと名乗り、ぜひともポケモン図鑑の完成のために力を貸してほしいと頼んできた。
「そういえば、名前を聞くのを忘れていましたね」
ラベン、ポケモン図鑑、機械ではないモンスターボール。様々な感情がないまぜになって、ヒカリの口をついて出てきたのは自身の名前ではなかった。
ショウと名乗り、ウォロと出会い、ヒカリは毎日のように考えていた。こんなことが、本当にあり得るのだろうかと。
ここはシンオウ地方の過去なのに、自分がいてウォロもいる。もしかして、ウォロも自分と同じように未来からやってきたのだろうか。
しかし、自身の記憶の中よりもテンションが高めな彼にそんなことを聞けるはずもなく、疑問を振り払うように平野を、山地を、湿地を、砂浜を駆け回って、一週間以上村に帰らない。そんなこともザラな毎日は、不覚にも充足感にあふれていた。
ムックルの警戒心の高さも、コリンクやブイゼルの好戦性も、ヒスイに来て初めてヒカリは知った。時代や環境の変化で進化用のアイテムがなくなってしまったのか、見たことのない進化をするポケモンもいた。目に映るものが全て真新しくて、心臓が高鳴らなかった日はない。
けどそんな気持ちも、ウォロと出会った日は萎びてしまう。助言や道具の売買など世話になってはいるものの、まともに目を合わせられる気がしない。
そしてついには、本人からそれを指摘される始末だ。
「ショウさん、もしやジブンは何か気に触るようなことをしてしまったのでしょうか?」
答えはノーだったが、その後に続くであろう疑問が容易に想像できる。ただでさえ自分は胡乱な異邦人なのに。
しかしだからと言って本当のことなど言えるはずもなく、聞けるはずもなく。
あなたは、私と同じなんですか、などと。
ヒカリはなんでもないですと精一杯の虚勢をしぼりだして、笛を鳴らしてウォロから離れた。アヤシシの背にまたがるヒカリの背中を、ウォロは感情の削げ落ちた顔をして見つめていたが、そんなことは知る由もない。
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自分と同じ境遇かもしれない、と紹介された人物のことをヒカリは一方的にではあるが知っていた。
イッシュ地方のバトル施設の管理者、サブウェイマスター。四天王やチャンピオンとはまた違った強さを持つバトルの達人。挑んだことはないが、要するに幼馴染の父と同じ立場の人のはず。
バトルの腕前や外見は、ネットにアップされていた動画で知っている。が、変わり果てたその姿にヒカリは一瞬で言葉を失った。恐ろしさで、とても訊ねる気にはなれなかった。
「わたくしと同じ顔の男がいたような気がいたします」
失った記憶のかけらを朧げに語るノボリは、映像の中よりも随分と老け込んで見えた。背中が丸まり、髭を蓄え、服は繕えないほどにボロボロだ。
そうなんですね、そうなんですね。シンジュ団の皆さまに助けていただけたのは幸運でした。そうなんですね。何一つとして、よかったなどと言えるものか。
記憶を取り戻したくはないのですか、帰りたいと思う日はないのですか。あなたはここで、どれほどの時を過ごしたのですか。
「さて、出口でございます」
明暗差に目が眩みます、ご注意を。
久方ぶりの強く差し込む光に目が眩んだ。反射的に手で目元を覆った時に濡れていることに気がついたが、それが哀愁などではないことはヒカリ自身が一番よくわかっている。
帰れないかもしれない。ずっと胸の奥で抱いていた不安を現実のものとして見せつけられて、ヒカリはすっかり気落ちしていた。
そしてそういう時にこそ、神というものは意地悪をする。
「元気がありませんね」
いつもと変わらぬ笑顔で現れたウォロは、先日の気まずい別れなどなかったかのようにヒカリに話しかけた。
商会で新しく売り出す予定の甘味の試食を薦め、今後の調査範囲の拡大に向けてより効能の高い傷薬の仕入れを急いでいる話をした。内緒だと言って、そのうちの一つを差し出しながら。
それらはまるで、ヒカリを励ましてくれているかのようだ。
「ノボリさんとお会いしたそうですね。どうでしたか? アナタと同じ境遇だとか」
他人事のように語る内容に、煮え切らない相槌を繰り返す。言葉の端々から感じられるのは、途方もない好奇心と微かな同情だけ。それはヒカリに対しても、ノボリに対しても変化はない。
だからこそ、ヒカリは全くわからないのだ。
同じ顔、同じ声、同じ名前の、ヒカリが知っているウォロ。同一人物としか思えない二人は、しかしヒカリやノボリと同じ立場とは思えない。それなのに。同じではないというなら何故。
「いやはやしかし、ジブンもバトルが普及していてポケモンを普通に連れ歩く世界を見てみたいものです」
絶対にオモシロイ! と高らかに願望を口にしたウォロは、一拍置いて謝罪と訂正をした。
「失礼、さすがに無神経でした」
詫びの品をいくつか置いて、ウォロは一礼して去って行った。ヒカリは信じがたい可能性に、今度こそ目の前が真っ暗になったような気がした。
過去に来てしまう人がいるのなら、未来に行ってしまう人がいてもおかしくない。どうして、神はかくも残酷にしかならないのか。
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どうすればこの最悪な現状から抜け出せるか。考えたところで埒はあかなかったが、ひとまずシンオウ様と崇められていると推測される、ディアルガとパルキアへの接触を試みることにした。
神話の時代に神と呼ばれたポケモンから生み出された、時間と空間を司るポケモンだ。上手くいけば、三人分の問題を解決できる。上手くいくかはわからないが、このまま手をこまねいているわけにもいかない。
そのためにも、ヒカリはポケモンの調査に一層熱心に取り組んだ。昼夜を忘れ、野を駆け海を渡り空を切った。
コンゴウ団とシンジュ団からシンオウ様の伝承を聞き、荒ぶるキングを鎮め、できることはなんでもした。文字通り、命をかけて。
『やはり余所者は──』
その結果は、村からの追放だった。
波風を立てないために、ヒカリはたくさんの人から見放された。ふと、幸運だったと話してくれたノボリの言葉を思い出した。あの時は恐ろしく、虚しく聞こえたセリフが。今となってヒカリの胸に深く突き刺さる。
自分にはない幸運。拾われ、正しく重宝される幸運。何も覚えていないという幸運。絶望に鈍くいられる幸運。こんなことを、考えなくて済む幸運。
羨ましくて、惨めで、薄汚い感傷に涙が出た。
そしてこうして気持ちがうずくまっている時こそ、彼がやってくる。
「とっておきの場所をご紹介しますよ」
涙の跡など見えていないように、ウォロはいつもより落ち着いた笑顔でヒカリを隠れ里にいざなった。
そこで出会った女性──コギトは、またもやシロナに、ひいてはウォロにそっくりな人物で、ヒカリは二人の顔を幾度となく見比べた。
視線を横と前で行ったり来たりするヒカリに、コギトとウォロは不思議そうな顔をしていた。どちらともなく似ているとよく言われる、といった言葉が出てくることを期待したが、当ては外れた。
どうにも、本当にお互い似ている自覚がないようだった。鏡を見たことがないのかもしれない。少しゾッとした。
引き気味のヒカリに構うことなく、コギトは伝承を交え今後の方針を示した。湖の三匹から赤い鎖のもととなるなにかをもらわなくてはならないらしい。それが、シンオウ様に対してのシズメダマのようなものとなる。
操り従えさせることも、鎮め落ち着かせることも根底は同じと言われているような気がしてならないが、事実そうなのだろう。槍の柱での出来事が、随分と昔のことのように感じる。
ウォロと出会った場所でもあるあの頂に、遠からず行くことになるだろう。ただの予感に過ぎなかったが、確信があった。歴史は繰り返すとはこういう事を言うのかもしれない。
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ムベに殺されかけ、デンボクと向き合い、テルの力を借りて。そうしてようやくヒカリは村に帰ってきたわけだが、生活は良くも悪くも変わらなかった。
むしろ、以前より目に見えてヒカリは村から遠ざかった。元より、望んで住み始めた土地ではない。それでも、せめて勤勉であろうと努力してきた。
その結果があの追放だ。未練も愛着も、残っているわけがなかった。
ヒカリは村に戻ってきたが、それは上辺だけの話だった。そしてそれを誰が咎められるわけでもなく、付け加えるなら殊更気にしている者もほとんどいなかった。
ヒカリは──ショウと呼ばれている調査員は、そういう立ち位置の人間だった。誰もが漠然と、どこかで調査をしているんだろうと考えてその不在を気にしない。
本物のショウがどうであったかはわからないが、ヒカリが役割を果たすショウはそうなった。だから今日も、ヒカリは気兼ねなくヒスイの大地を駆け回っている。
ゴールが近い。そう感じていた。そういう胸騒ぎだ。
嫌な予感というものに限って当たるもので、ヒカリの前に立ち塞がったのは他でもないウォロだった。チャンピオンの風格さえ漂う手強いパーティー、やられてもなお立ち上がり向かってくる破れた世界のあるじ。
それらを全て退けて、彼はヒカリを呪うかのように絶叫した。ヒカリの手元に残ったのは、最後のプレートの一枚だけだ。
せめてもの救いは、ヒカリがかつて出会ったウォロが本人で、不意に送られてしまった異邦人ではない可能性が高いことだろうか。彼は自らの意志で数百年を生き抜き、なんの因果かあの地でヒカリと再会した。
そう思うと、あの表情にも納得がいく。驚きで硬直したくもなるだろう。おぞましく憎たらしい相手に、よりにもよってあんな場所で再会したのだから。
しかし、それにしては彼の態度が終始穏やかだったのは何故だろう。ヒカリがヒスイのことを知らなかったからだろうか。長い時を生きる中で、何かしら考えが変わったからだろうか。
考えたところでわかるはずもなかった。だから、シンオウに帰った時、また会えたら話をしたい。記憶の中のウォロは、それを許してくれる気がした。
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全身傷だらけになりながら、ヒカリは自身をこの地に呼び寄せた神の願いを叶えた。ヒスイに住む全てのポケモンを見つけ、捕まえ、それらを生み出した創造神の写し身さえも手に入れた。
役目は終わった。この地でヒカリがやることはもうない。だからもう、帰してほしい。自分も、ノボリも、帰るべき場所と帰りを待つ人たちがいる。会いたくてたまらない相手がいる。
そう訴えかけると、神は──アルセウスは答えた。
「あなたの言いたいことはわかりました」
少し時間がかかるからと、アルセウスはヒカリに最後の使命を託した。
本人の意思を確認すること。その上で、別れの時間がいるのならば、二日のうちに済ませておくこと。それぞれが心の底から願うのならば、三日目の初めの瞬きの後、そこに導かれるだろう。
「あなたたちの帰りを誰よりも強く待つ相手が、目の前にいるでしょう」
その相手は選べない。そこにヒカリたちの意思は干渉しない。だから記憶がなくても支障はなく、今度こそそれは後戻りできない。
本当に、それでもよろしいですか。何度も念を押すアルセウスに、ヒカリは何度でも頷いた。後悔しないかなんて聞かれたって、そんなものがあるはずもなかった。数えるほどの寂しさは、簡単に置いていける程度のものしかない。
「正しく記憶を持っていてなお、その選択をするのであれば、わたしはそれを尊重します」
宇宙にも届きそうな天空から帰ったその足で、ヒカリはコトブキ村へと駆けた。ギャロップからも逃げおおせるその健脚は村の衆目を集めたが、そんなことは気にならない。
帰れる、帰れるんだ!
喜び勇んだ勢いのまま、ヒカリはノボリに伝えた。帰る足がかりを手に入れたこと、三日後にはそれが叶うこと、だからそれまでに身支度を済ませておいてほしいこと。
かつてないほどに興奮したヒカリとは対照的に、ノボリはポカンとしたまま話を聞いていた。相槌さえ返さずに、陰った目元はいつも通りに凪いでいた。
しばらくして、ノボリは小さな声でつぶやいた。
「なんたる僥倖と、侘しさでしょうか」
それはひとえに、ヒスイで過ごした時間の長さによるものだとヒカリは思った。でもそれは、イッシュで名を馳せた時間だって劣るものではない。
クダリさんが待っているんじゃないんですか。
パッと顔を上げたノボリは、うわ言のようにクダリの名前を繰り返し、涙を流した。きっと何故だかわかってはいないのだろう。知らないはずなのに、なんとも懐かしい名前だと言って、目元を隠した。
「ええ、ええ。帰りましょう。わたくし、待ってくれている人がいるのです」
涙を拭ったノボリはヒカリに礼を述べ、そのままギンガ団の本部へと入っていった。そして三十分もしない内に出てきて、シンジュの集落に帰っていった。きっと、別れの挨拶をしてくるのだろう。
ほっと一つ息を吐いて、ヒカリは自分が爪が食い込むほどに強く手を握っていたことに気がついた。そうして、遅れながら自覚した。自分は安心したのだ。帰りたいという願いを肯定された気がした。そんなもの、誰に許しを乞うものでもないのに。
だからこそ、許されたいと思ったのだと、認められたいと縋ったのだと、ヒカリが理解したのはそれから三日後のことだった。
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ヒカリは見覚えのない場所にいた。人気の少ない、膝の高さくらいの石が立ち並ぶところだった。墓地だった。
目の前にいたのは、質素な花束を抱えたウォロだった。
「お久しぶりです、ショウさん。またお会いできると信じていました」
どうして、ウォロさんが。ママは? パパは? ジュンは? 私に一番会いたい人は、ウォロさんなの?
混乱するヒカリをよそに、ウォロは少し待ってくださいと言って足元の墓石に向き合った。吸い寄せられるように足を動かして、そこに刻まれた名前を読む。
ヒカリは、自分の名前が刻まれた墓石の前にへたり込んだ。そうして、目を背けてきたたくさんを違和感を思い出した。
ウォロに初めて会ったのは、お酒も飲めるようになって暫くしてからの頃だった。それなのに、ヒスイで生きた自分は子供に戻っていて、だけどウォロのことを覚えていて。
ネットで見たバトルの動画だってそうだ。子供の時は、まだそんなもの普及していなかった。
スマホだって、一般的になったのは大人になってから。
自分という基盤を構成していたあらゆるものが二十数年がかりだった。けれど意識はずっと十代で、噛み合わないものを見逃して、ひたすら走って、走って、走って。
『正しく記憶を持っていてなお、その選択をするのであれば』
アルセウスの最後の言葉を思い出す。そうだ、私は正しく記憶を持っていた。二十数年分の私を抱えて、十五歳の私と照らし合わせずに、見て見ぬ振りをして、選んだ。
誰も私を、ヒカリを、ヒカリだと信じこんでいたショウを、求めているはずのない時代へ帰ってくることを願った。願ってしまった。
「さて、それじゃあショウさん。積もる話もあるでしょうし、静かなところに行きませんか?」
そうして、ヒカリは──ショウは、ウォロのところへ来た。たった一人、ショウを知り、会いたいと願い、生き続けているひとのもとへ。
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初めてヒカリと出会った時、ウォロは心臓が口から飛び出そうなほどに驚いた。ヒスイで言葉を交わした頃の、大人になり始めようとする子供の姿はなりをひそめ、すっかり大人になっていたショウ──ではない、ヒカリ。
同一人物としか思えなかったが、言葉を重ねるたびに見た目が同じだけの別人であると確信した。ヒカリは、ヒスイに関することを何一つ知らなかった。惚けるふりでもない。
試しにまるで見てきたかのようにヒスイでの記憶を語り、懐かしむように見せてなお、それを見ないふりでかわす落ち着いた大人の女性。それが、ウォロが出会ったヒカリという女性だった。
てっきり、自分と別れて暫くのうちに姿を消したのは無事元の時代に帰ったからであり、そのまま成長した姿と出会ったのかと思ったのに。そうであれば、この時代で神の手がかりを奪い取ってやるなり、できることがあったのに。
そう、残念であるような、違ったことに安堵するような、そんな気持ちでヒカリと友人としての時間を過ごした。緩やかな時間だった。
彼女は見た目の変わらないウォロとは違い出会ってから数十年で死んでしまったが、気味が悪いと蔑むこともなく、なんならウォロが穏やかに幸せにあればいいと願って死んでいった。
心の綺麗な人だった。参列しなかったが、葬式では友人に家族、その他多くの知人に見送られ、空に還った。
ヒカリが死に、ウォロは遠い昔のことを思い返した。まるで自分を知っているかのようなそわそわとした態度を取り続けていたショウとは、一体誰だったのだろう。
知人に似ていると言われたときは、決して、決して認めたくはないが、コギトのことを、隠れ里のことを知っているのかと思い警戒した。しかし、それは杞憂だったことは、視線をうろうろと彷徨わせた姿が証明している。
かつてのチャンピオンに重ねたのであれば、元いたところに似た人がいたといえばいいだけの話だ。しかしショウは、頑としてその事実を語らなかった。ともすれば、やはりショウは自分を知っていたのだろう。
そしてその仮定をすれば、ヒカリがショウとなり、年齢や出会った時期に矛盾が生まれ、話は無限にループしていく。重ねて言うが、ヒカリはショウではない。
堂々巡りを打ち切るために、ウォロは自分にとって愉快な仮説を立てることにした。間違えたところで損など生じず、答え合わせを待つだけの時間は無限にある。
神に選ばれた理由を、愛された理由を、生涯理解できないであろうと諦めていた根源を、当然であるとしてすり替えた。
「あなたは、ヒカリさんをモデルに神が自分の尖兵として生み出したいのちに過ぎないと、ワタクシは結論づけることにしました」
まさか正否を本人に確かめられる日が来るなんて。膝に埋められた口元から、どんな返事が飛び出てくるのか、楽しみで仕方がない。
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自分のものだと思っていたものは、一つとして自分のものではなかった。名前も、記憶も、その命でさえ。
ああ、でも、致し方ないのかもしれない。だって、自分で言ったから。私が決めたの。私の名前はショウですって、確かに言ったから。
言ったのに、ショウとして手に入れた僅かなものも捨ててしまって。警告だってされたのに。本当に、救いようのないばかでどうしようもない。笑えなすぎて、笑うしかない。
「あはは、それ、最悪ですね」
膝を抱えたまま、ショウは隣で同じように座るウォロを見上げた。思い返せばこうしてしっかり目を合わせるのは初めてだ。
よく見せていた朗らかな笑顔はかけらも見当たらず、白けたような、呆れたような顔でショウを見下ろしている。
「笑い事ですか?」
「笑うしかないですよ。泣いたってもう何もないんだし」
「喧嘩売ってます? ワタクシの欲しいたった一つを持ってるくせに」
「……ああ」
言われてみて、腰の辺りをまさぐると確かにあった。アルセウスに会うための唯一無二。
今ここで笛を鳴らしたら、神は応えてくれるのだろうか。
「ショウさん」
「なんですか」
「それ、譲ってくれません?」
諦めていなかったのか、という非難じみた言葉はショウの喉を通らなかった。愚かにも全て放棄してしまった自分が、信念のもとにたった一つを持ち続けるウォロに言えることなど何もない。
かと言って、その言葉に頷いてやれるかと聞かれたら、それもまた別の話なのだが。
「いやですよ、私死んじゃうじゃないですか」
「死んでるようなものでしょう」
「生まれたんですよ」
情け容赦のないウォロに、ショウは一切怯むことなく答えた。この世のものが悉く辛辣で苛烈なのは、身をもって知っている。
ヒスイの地で揉まれ育まれたショウは、シンオウで新たな生を受けた。他でもないショウを亡霊のようだと侮蔑するウォロに望まれて。
だから今、ここにいる。
あまりにも愚かな選択の果てだったが、仕方がないと思うことにしよう。ショウは、生まれたての赤ん坊のようなものだ。
「生まれたんです。生きなきゃ」
「……誰に望まれるでもなく、その前向きさ。腹立ちますね」
「あはは!」
「何笑ってんですか」
「ウォロさんのせいなのになぁ」
「はぁ?」
食ってかかるウォロを軽く流して、ショウは身一つで下山した。今となっては、険しい山道も背丈より高い岩壁も草むらから飛び出してくる野生のポケモンも、なんの障害にもならない。
洞窟を抜け、視界に飛び込んできた風景はすっかり整備された見覚えのないもので、取り返しのつかない時間の経過をショウに見せつけた。道なりに歩いていくと町に着いたが、ここがどこだか、視覚だけではまるでわからない。
仕方がない、仕方がない。あらゆることにそう言いながら、ショウは生きていく。
仕方がない、世界は理不尽だから。仕方がない、選んだのは私だから。仕方がない、生きるとは、そもそもそういうものだ。
チャンピオンを倒したトレーナーでもなくなって、初めての図鑑を作った調査員でもなくなった。手持ちのポケモンもお金も、今日のご飯も宿もない。
責任も役目もなくなって、ショウは何者でもなくなった。だから何にでもなれるのだと、せめて虚勢を張って生きていこう。
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テンガン山の麓の町で、ショウが死んだら笛を譲ってもらうという約束をしてからいったい何年経っただろうか。それなりの年月が経っているはずだが、自分もショウも全く老け込む様子がない。
「詐欺にかかった気分です」
「文句はあなたの推しにどうぞ。あ、いっしょに笛吹きに行きます?」
「ぶっ殺すぞ」
気落ちなどとはすっかり無縁なショウは、ウォロの殺意などどこ吹く風で自分の顔ほどの大きさのパフェをどんどん胃に収めていく。
溺れても崖から落ちても毒を吸い込んでも破壊光線を受けても死なない人間が、普通の人間の規格内だと信じきっていた自分を呪うしかない。下手をすれば、長く生きている分ウォロのほうが先に死ぬ可能性すらある。それはなんとも、ぞっとしない。
ショウは最後まで取っておいたモモンの飾り切りを飲み込むと、こっちだって被害者だと言って神への不服を並べた。曰く、人の気持ちもわからないし、人の範疇も理解できていない、まさしく人でなし。
ウォロはこめかみが引き攣るのを感じたが、言葉の続きを待った。そしてショウは、幾度となく繰り返してきたこれらのやり取りに、今までと同じような締めの言葉を吐いた。
「まあ、さすがにウォロさんが死ぬより前には差し上げますよ」
まだまだ先になりそうだと笑うショウは、もう一人で生きていく覚悟も決まっているのだろう。そしてウォロに冥土の土産を用意して、そのまま死ぬか、生き永らえるかを待っている。
「面白くないです」
そんな終わりはつまらない。そう思うばかりで、告げる日などは来ないのだろう。永遠に来なくていいとすら願うなど、自分も愚かになったものだ。
不老不死両片想いエンドです。ベースがヒカリ(ザ・主人公)なので根は前向きで明るいですがヒスイカスタマイズにより刹那主義(死なない)になっています。両者何も報われません。
以下読まなくていい蛇足
ショウ Lv.1→Lv.99
特性:頑丈
ヒカリという人格をトレースしてアルセウスに造られた限りなく人間に近いなにか。間違っても善人ではないが、進んで悪行を行うわけでもない極めて一般的な感性を持つ。テルとラベンとシマボシにだけ別れの挨拶を残し、ポケモンたちは最初の相棒含めて全て逃した。脱ぐと(傷だらけで目も当てられないほど)すごい。
ヒカリ Lv.80
特性:不屈の精神(こころ)
主人公。ディアルガパルキアを鎮めギラティナを捕まえチャンピオンを倒した女。圧倒的善属性。ウォロがやっぱり勝てませんね、と言ったことに違和感を覚えたが大人の対応でスルーした。愛し愛され天寿を全う。
ウォロ Lv.99
特性:悪戯心
執着を妖怪にしたような存在。骨の髄まで悪属性、というか世界で自分と神以外に価値を置いていない。ヒスイでの手持ちはとっくにみんな死んでおり、その度に葬っては別のポケモンを連れている。
イチャコラしてるウォロショウよりギッスギスで空気最悪なくせにお互い笑ってるようなウォロショウが一番好きなのでこんなことになりました。もうちょっと上手く書けたらなあ。