勝浦航平…洋樹の幼馴染で親友。洋樹の行きつけのカフェ、Cafe Ocean Terrace(オーシャンテラス)〈オリジナル設定〉の一人息子。
洋樹の加速する想いに、ローラの中で芽生える感情とは…!?
トロピカる部の恋愛談義から数日が経ち、世間は待ちに待った夏休みに突入した。
長期休暇に入ると、あおぞら市は緑が豊かで海が美しく、そして街中に水路が巡らされたお洒落な景観が人気を呼び、都市型リゾート地として遠方から沢山の人々が訪れる。市内は街もビーチも、どこもかしこも日中から賑わいを見せていた。
洋樹とローラは昼に待ち合わせをして、先日約束していたラーメン屋で昼食を済ませた後、街外れにある海辺のカフェのオープンエアのテラス席で、洋樹はアイスコーヒーフロートを、ローラはクリームソーダを注文してのんびりと午後のひと時を過ごしている。
「こんなところにこんなに素敵なお店があるなんて、知らなかったわ」
ローラは感心したように開放的な店内を覗き込んだ。
店は「Cafe Ocean Terrace(オーシャンテラス)」といって、店内は白い壁と木目の床で、落ち着いた色合いのソファや木製のテーブルや椅子がゆったりと空間を設けられて設置されており、カジュアルで開放的な空間がとても居心地がいい。
所々に雑誌や本が置かれていて、それを手に取ってソファで寛ぐ客もいれば、パソコンを開いている客や、談笑しているグループなど。満席ではないが程よい客入りである。
カウンターでは中年の男性と女性が二人、気さくに訪れる客の対応をしている。どうやら夫婦二人で切り盛りする個人店のようだ。
「いい店だろ?知る人ぞ知るってやつ。ここ、俺の親友の両親がやってる店で、たまに来るんだ」
洋樹とローラが座るテラス席は、店内から聞こえる肩の力が抜けたジャズのようなBGMと穏やかな海風が爽やかで、道路を隔てて椰子の木々の間からきらきらと水光を放つ海を眺められる素晴らしいロケーションである。
「せっかく人間の学校に通えるようになったのに休みなんてつまんないと思ってたけど、こうやってお昼から遊べるのはいいものね」
「えー、俺なんて学校大嫌いだから、ガキの頃からいつも早く休みんなってくんないかなぁ、って思ってたけどね。学校、楽しい?」
「うん。人間になれる前までは隠れてなくちゃいけなくて。まなつ達が楽しそうに色々やってるの見てるだけの時もあったけど……、今は一緒に色んなことできるし、毎日すごく楽しい」
ローラも寛いだ空間で気持ちが開放的になっているのだろう。普段口にしないような素直な気持ちが率直に口をついて出てくる。
「そうか、俺もアイツらみたいな仲間がいたら、楽しめたのかなぁ。皆んなかなり個性的だけど、ほんといいチームだと思うよ」
「探せばいたんじゃない?洋樹に合う仲間だって」
洋樹は両手を頭の後ろに組んで、椅子の背に寄りかかりながらローラの言葉を少し思案してみた。
「まぁ、そうだとは思うんだけど……、やっぱそこまで行く前に、もう学校って場が息苦しくてさ、嫌になったんだよね」
「どうして?」
「だって服一つとったって決められた格好しなきゃなんないし、くだらないホームルームなんてあるし、時間はやたら区切られて面倒くさいし、授業なんて半分はクソみたいにつまんないし。あんなつまんない授業受けてる間ずっと座って聞いてろってさ、ほんと地獄だよ。ちゃんと聞けって注意してくるけど、お前らがもっと授業の腕磨いて来いっつーの」
洋樹は肚に溜まっていたものを一気に吐き出すようにそう言うと、明後日の方角に顰めっ面で悪態をつく。
「ぷっ!洋樹ってほんと変わってるのね」
「そうかな?」
「自由っていうか我が道行くっていうか、よっぽど自分に正直なのね。肌感覚で好き嫌いがはっきりしてるもの」
洋樹は諦めたように溜息をついて、「ガキの頃からそうなんだよ。ほんと困った性分だよ」と肩をすくめてみせた。
「でも、いいんじゃない?私は妥協して周りに合わせるより、そういう生き方の方が、好きだけど」
「ん……。そ、そう?」
洋樹は照れながら頭を掻いた。
「これ、なかなかいけるわね」と無邪気にクリームソーダのアイスを頬張るローラを見つめていると、じわじわと胸の奥から暖かいものが溢れてくる。
ローラと一緒にいると、半分空っぽだった自分という存在の器が、どんどん満たされていくような気がする。
好きだ……。頭の奥の方から勝手にそんな言葉が浮かび上がってきたかと思うと、今度は引っ込みがつかなくなって自分の周りを浮遊する。
洋樹は自分から浮かび上がってきた言葉をどうやって回収したらよいかと思い倦ねているうちに、自分の三頭身の小人版のようなキャラクターが頭の中に浮かんできて、空間に浮遊する「好きだ」という文字を必死で回収しようとしているイメージが頭をもたげた。
その幼稚な空想を振り払おうと、目の前のアイスコーヒーフロートに手を伸ばす。ガムシロップを二つ入れた後にかき混ぜるのを忘れていたため、グラスの下に溜まっていたシロップを一気に吸い込み、舌が痺れるような甘ったるさで思わず「おぇっ」とえずく。
その時、店内から聞き馴染みのある声が響いてきた。
「洋樹!」
「航平!なんだいたの?久しぶりだな」
「外出ようと思ったらお前の姿が見えたからさ。それより、珍しいな。お前が誰か連れてくるなんて」とローラを見る。
「こいつ、さっき言ってたここの店の息子。航平って言うんだ」と洋樹がローラに紹介すると、ローラは航平に「はじめまして。私はローラ・ラメール。とっても素敵なお店ね」と、にっこり微笑んだ。
航平は一瞬呆気に取られたようにローラに釘付けになっていたが、「……あ、俺は勝浦航平って言うんだ。ここはあんまり混むこともないし、まぁゆっくりしていってよ」と言って、去り際に洋樹の背中に「このやろー!」とバシンっと一撃、強烈な平手打ちを入れて店の外に出て行った。
「いって〜……。あのやろー……」
洋樹がじんじん痛む背中を摩りながら去っていく航平の背中を見送っていると、「ふふ、洋樹にも友達、いたのね」とローラは笑う。
「ああ、あいつはね。小学校からの、数少ない気の合う親友だよ。最近でもよく、ツーリングとか一緒に行くんだ」
「ツーリング?ツーリング、って何?」
「バイクでちょっと遠出して出かけることだよ。ここら辺は結構気持ちいい場所、沢山あるから」
「バイク?洋樹、バイク乗れるの?」
「うん。最近免許とってようやく一年経ったし、二人乗りも出来るようになったから、もしよかったらローラも行く?」
するとローラは目を輝かせる。
「行ってみたい……!」
「ほんと!じゃあいつ行くか早速決めちゃおうぜ!確か来週、トロピカる部の合宿だったっけ?」
「そうね、五日後から、五日間」
「うげ、俺、すれ違いで親父のいるロサンゼルスに、一週間くらい行くんだよな……」
洋樹は、アルバイトのシフトをローラの予定に合わせれば良かったと激しく後悔したが、夏休みのシフトの希望を出したのはローラに出会う前だったのだから致し方がない。
「うーん、じゃあ、合宿行く前の方がいいな。三日後は何か予定ある?」
「ううん、大丈夫」
「じゃあ決定!長袖と長ズボン、靴は平らなブーツかスニーカーで来てくれる?後の物は俺が準備しておくから」
「オーライ!……やっぱり、夏休みって、楽しいかも!」
ローラは心の底から嬉しそうな笑顔で洋樹に向かってにっこりと微笑んだ。
実はローラが航平に笑顔を向けた時、あれはローラの社交性の現れであることは理解していたが、つんけんはされどもまだあのような笑顔を面と向かって向けられたことのなかった洋樹の胸中では、ほんの少し嫉妬心が湧き上がっていた。
しかし今、ローラに初めて心の底からとびきりの笑顔を向けられた洋樹は言葉を失い、脳内では先程の三頭身の自分が再び現れて、ハートを撃ち抜かれ頭を抱えながら猛烈にジタバタとのたうち回るのであった。
ツーリング当日、洋樹に午前九時頃に家の前まで迎えに行くと言われていたローラは、支度を済ませて玄関に向かった。
靴を履いていると、まなつが玄関まで見送りにやってくる。
「ローラ、もう行くのー?」
「うん。そろそろ洋樹が迎えにくる時間だから、家の前で待ってるわ」
「いーな〜、バイクなんて、乗ったことないよぉ。私も行きたいけど、流石に一緒には行けないもんねぇ」とまなつはしょんぼりしている。
「まなつは?今日は何するの?」
「明後日から合宿でしょ!だから持っていきたい物の買い出し!見てこれ〜!」
そういうと、まなつは絵巻物のような1メートル弱のメモをピラピラとローラの目の前に広げだした。
「昨日持っていきたい物全部書いたら、こんなに沢山になっちゃった!ほんとはローラにも買い物一緒に来て欲しかったけど、しょうがないもんね」
ローラは内心この量の買い物に付き合わされなくて良かったと胸を撫で下ろしつつ、
「ま、まぁ、メモしておくのはまなつにしてはいい心掛けだけど……。せいぜい鞄に入るくらいにはしておきなさいよ……」と忠告するのであった。
ローラが家の前で待っていると、数分おかずに洋樹がやってきて、ローラの目の前にバイクを付けて、ヘルメットを外した。
ちなみに洋樹が乗っているバイクについて触れておくと、ビンテージ調のストリートバイクであるスズキのST250 Eタイプで、キャンディダークチェリーレッドという色合いがなかなか洒落っ気がある。
「お!パンツスタイルカッコいいね」
普段は大人っぽい綺麗めな雰囲気のスタイルを好んでスカートをよく履いているローラだが、今日はタイトなデニム生地の上着とジーンズに、インナーは白のロングティーシャツ、腰には黄色っぽいスカーフベルトを巻いている。髪はサイドテールで肩の辺りで一つに束ねており、カジュアルだが大人っぽい雰囲気が目を惹く。
「当然でしょ?どんなスタイルでもエレガントに着こなすのが私流よ?」
「はは!まぁ、言うだけのことはあるよ」
そう言うと洋樹はバイクから降りて、肩から斜めがけにしていた布製のショッピングバッグからヘルメットを取り出し、大きさを調整するためにローラに被せた。
「これくらいかな。緩かったりきつかったりしない?」
「うん、大丈夫そう。今日はどこに行くの?」
「夏場は日中乗ってると暑くて死にそうになるからなるべく近場で、現地でゆっくりしようと思って。あっちの山の方に湖があって、その周りが避暑地みたいな感じで遊べるからそこでどうかな」
「任せるわ」
「よしっ、じゃあ行こっか。バイク乗る時だけ、このリュック背負っててくれる?乗る時は俺が乗った後に乗って」
洋樹は小さめの黒いリュックをローラに手渡すとバイクに跨り、その後にローラはタンデムシートに跨った。
「で、どこに掴まればいいの?」
「え?俺」
「ま、まぁ、そうするより仕方なさそうね……」
そう言うとローラは洋樹の腰の辺りに手を回す。
「よし、じゃあ安全運転で行くけど、しっかり掴まってて」
「オーライ!レッツ、ゴ〜♪」
二人はあおぞら市街を抜けて、快晴の中風を全身に受けながら海岸線を走る。
昼近くなると海岸線は交通量が増えるが、午前の早い時間帯なのでまだ車通りもそこまでなく、快適な走行である。
しばらく海岸線の景色を楽しんだ後、洋樹は山間道路へと入った。緩やかな山道は緑が青々と茂っていて木々の間を颯爽と抜けていく感覚が、海岸線とは違ってこれはこれで気持ちがいい。
インカムまでは準備できなかったので後ろで何を言っているかは聞き取れないが、大きなカーブがある度にローラがはしゃいでいるような声だけは伝わってくる。
洋樹にとっても初めてのタンデムツーリングは、少し緊張するものの、朝の清涼な山の空気がきらきらと輝いているような、いつもより樹々が色鮮やかに目に映るような気がした。
しばらく山道を走ると、徐々に道路の両側にログハウス風の店がぽつぽつと現れて、視界が開けて観光街が見えてくる。
洋樹はその手前の広い駐車車に入った。
バイクを止めると、ローラに先に降りる様に合図して、ローラが降りるのを確かめた後に洋樹も降りる。
ローラはヘルメットを洋樹に渡すと、周りを見渡し思い切り伸びをする。
「はぁー!気持ちよかった!山って街より随分涼しいのね」
洋樹はローラからリュックを受け取ると、ツーリング用のジャケットを脱ぎ、チェックの薄手のシャツを取り出して、ティーシャツの上から羽織った。
「俺もデニムっぽいシャツ持って来れば良かったなぁ」
「何で?」
「だってローラとお揃いみたいじゃん」
「はぁ?何馴れ馴れしい事言ってんのよ。まだ付き合ってもいないじゃない」
特段ローラが意識して発した言葉ではない様であったが、思いがけずローラから「付き合う」というワードが出てきたことに加えて「まだ」の部分に希望を感じ洋樹は一人舞い上がった。
「何、にやにやしてるのよ」
「いやいや大丈夫!こっちの話♪」
「訳わかんない……」
ローラの冷たい視線を他所に、洋樹はふんふんと鼻歌を歌いながら歩き出す。
「しっずかっなこっはんっのもっりのっかげっから〜♪」
その横にローラもやってくる。普段は比較的冷静だがテンションが上がると途端に浮かれ出す洋樹にローラも慣れてきた様だ。
「あっ!あれが湖ね!なかなか壮観ね」
駐車場を出て少し歩くと、青々とした山々に抱かれた湖が見えてくる。広い湖面に悠々と空と山を映し、ゆらゆらと穏やかに水面を揺らしている。
「ちょっと散策したら、早めに昼食べちゃおうぜ。昼時は店が混むからさぁ。てことで、ボートでぼーっとでも、する?」
ローラは冷ややかな目で駄洒落をスルーしつつも、特に異論ないという様に、ボート乗り場に向かって歩き出した。
湖面に映えて揺蕩う雲を掻き分けながらボートは進んでいく。岸から離れた湖の上は陸の音が届かず、静寂に包まれる様で心が洗われる。と、そこへとんだお邪魔虫の登場である。
「やーい!のろのろしてると、追い越しちゃうぞ!」
のんびり洋樹がオールを漕いでいると、後ろからボートを漕いできた小学生くらいの男の子がけしかけてくる。その目の前に座る母親は、ハンディカメラで少年と景色の様子を撮影するのに忙しいようだ。
「ちっ、クソガキめ……。行くなら早く行けっての」
「ちょっと洋樹、何のろのろしてるの!?このままだと抜かれるじゃない!」
「俺はのんびりボートを楽しみたいの。ガキの戯言なんてほっとけって」
「そういうわけにはいかないわ!グランオーシャンの次期女王候補の名にかけて、売られた勝負、買わないわけにはいかないわ!」
そう言うとローラは洋樹からオールを奪って「みてらっしゃい!」と後ろの少年に向かって担架を切ると、全力でオールを漕ぎ出した。
次の瞬間、ボートは進行方向とは真逆の方向へスィーっと進んでいく。
「な、何よこれ……!」
さらに一漕ぎ。案の定ボートはスィーっと反対方向に流れていく。
「もぉー!何これ!全然あっちに進まないじゃない!」
「いや、だって漕ぎ方反対だし」
その横を例の少年が「あっはははー!だっせー!」とすり抜ける。
「せいぜい出直してこいよ!じゃあなー!」
静かな湖面に生意気な少年の声が響き、遠ざかっていく。
「ぐっ……、こんなところで、負けてなるものですかっ!」
とんだ邪魔者のせいで無駄に火を付けられたローラはなかなかオールを返してくれず、結局レンタル時間を大幅に過ぎて延長料金を支払う羽目になってしまったのであった。
昼食は洋樹が幼い頃によく両親と行っていた店があると言うので、ログハウス風の造りのイタリアンレストランに入る。
「パスタもいいけどピザも美味しそうね」
「じゃあ、両方頼んで分けて食べようぜ。俺もどっちも食べたいし」
「洋樹君じゃない!久しぶりだな〜」
メニューを見ていると、店主の様な初老の男性がカウンターから出てきて声をかけてきた。
「ご無沙汰してます」
「いやー、ちょっと見ない間に男前になって!お父さんは?元気?」
「多分、相変わらずだと思います」
「それにしても、麗しいお嬢さん連れて……。天国のお母さんもきっと喜んでるね」
「いや、まだ、そんなんじゃないんで……」
洋樹が恥ずかしそうに首に手を当てて俯くと、店主はにやっと笑って、「よし、今日はデザートまけとくから!」と言ってぐっと親指を立てた。そしてローラを見ると、「ゆっくりしていってね」と気さくに声をかける。
「はい、ありがとうございます」ローラが応えると、店主は洋樹の肩を叩いてカウンターの中へと消えていった。
「ねぇ、洋樹。今の……、天国のお母さんって……?」
「あぁ、小五の時ね。病気で」
「そう、だったの……。てっきり、ロサンゼルスでお父さんと暮らしてるのかと思ってたわ」
「ここも元気な時よく来てたからさぁ。思い出の店ってわけ」
そう言うと洋樹はメニューに目を落とし、パスタはキノコのクリームパスタ、ピザはマルゲリータでサラダも頼むかと尋ねる。上の空になっていたローラは、二つ返事で同意する。
注文しようと振り返り、ウエイターを呼ぶ洋樹をローラは見つめた。
人魚に親はいないが、まなつや皆を見ていれば、人間にとって親がどれだけ特別な存在かは分かる。
いつも飄々としていて、そんなところを微塵も感じさせない洋樹であるが、人知れず抱えてきたものの大きさにローラは思いを馳せた。
できれば、その孤独や悲しみにさえ触れて共有したい。そこまで明確な言葉となって自覚された訳ではないが、ぼんやりと覚束ないままそんな感情が湧いてくるのだった。
注文を終えた洋樹が座り直してローラを見る。
「そういえば、ローラの親ってその、女王様がそうなの?」
「ううん。人魚は貝から生まれるから、親はいないわ。まぁ、女王様が親みたいなものに当たるのかしら?」
「へ、へぇ〜……、生態も随分ファンタジーなんだな……」
食事を終えて店主がサービスしてくれた食後のティラミスを食べながら、洋樹は次の目的地に着いて告げる。
「この後なんだけど、ここからもう少しバイクで走ったら、ぽっくりした可愛い山があって、そこの天辺が噴火口になってて。リフトで登ってくとすっごい眺めがいいとこあるからさ、そこ行こうかと思って。いい?」
「もちろん。洋樹のオススメに、ハズレは無さそうだもの」とローラが不意ににこっと微笑むと、洋樹は慌てて目を逸らした。
この手の笑顔を面と向かって食らってしまうと数分は脳内で三頭身の洋樹が暴れ出す。洋樹にとってはつんけんしてるくらいのローラが丁度いい様だ。
湖から少しバイクを走らせると、開けた場所に青々と草が茂った丸っこい、お椀をひっくり返した様な山が見えてきて、洋樹はその麓の駐車場にバイクを停めた。
山の上には二人乗りのリフトに乗って向かう。
(いつぶりかな……)
リフトに乗りながら、洋樹は一年前にここに来た時のことを思い返した。
その時はまだ航平も免許を取っておらず、免許取り立てでバイクを買って浮かれて来てみたものの、一人リフトに乗る気にもなれずどこか虚しい気分で山を見上げていた。
そうして思い返してみると、このリフトに乗ったのは小学四年生の時、母親と乗ったのが最後だ。
あの頃から背丈はうんと伸び、自分の身辺は随分と変わってしまったのに、この景色は全く変わらない。前しか見ていないわけではないが、喪失感に襲われるのが怖く、普段はあまり昔を思い返さない様にしている。
しかし、隣にローラがいると思うと、心強い。思い出を掘り返してまじまじと手に取って眺めるのも悪くないと思えた。
頂上に着くと、太平洋、周辺の諸島や山々が一望できる素晴しい景観が360度一面に広がる。
「わぁー!すっごい景色!」
「ほんとだな。久々に来てみたら、やっぱすごいわ……」
この山は直径三百メートル程度の、真ん中が窪んだ形になった噴火口後だ。山頂はその周りをぐるりと一周周回できるように舗装されている。
ローラは周りに人がいない事を確認すると、腰に下げていたポシェットからマーメイドアクアポットを取り出す。そしてポヨンポヨンと周辺の景色のシャボンピクチャーを撮りだした。
「何?そのシャボン玉?」
「これ、シャボンピクチャーって言うの。写真みたいなものよ」
「ほえ〜。人魚のアイテムって面白いな」
洋樹が周りに浮くシャボンを指でポヨンポヨン突いていると、ポットの中から何やら声が聞こえてきた。
「くるるん!」
「ここなら大丈夫かも。くるるん、出てらっしゃい!」
ローラが人気がないことを確認してポットに語りかけると、ポットの中から何やらピンク色の物体が飛び出してきて、ローラの腕の中に収まった。
「くるるん〜!」
何やら小型のアザラシのようなピンク色の生物だが、頭にハート型の耳が生えている。
「え?え?何!?ピンクのアザラシ?ポットの魔獣!?」
「くるるんは海の妖精で女王様のペットよ。このポットは人魚の私とくるるんの部屋でもあるの」
そう言うとローラはポットに指を入れて見せた。洋樹も中を覗き込んでみると、確かに中が部屋のようになっている。
「へ、へぇ〜……。人魚の国って、随分科学技術発達してるんだな……」
洋樹とくるるんを腕に抱えたローラは散歩コースを歩き出した。
「くるるん〜!」
「ふふっ、すごい景色でくるるんも喜んでるみたいね」
「それにしても、可愛いやつ〜。俺、アザラシの飼育員の人と仲良いから、結構世話手伝わせてもらってるんだよね」
洋樹はくるるんのほっぺをぷにぷにと突くと、くるるんはローラの腕から洋樹の肩に飛び移ってくる。
「洋樹、海の匂いがするからくるるんも安心するんじゃない?」
「え!家も海に近いし…やっぱ磯臭いかな〜?」
「くるるん、くるる〜ん!」
散歩コースの一番高台になっている頂上は休憩所になっており、甘味や軽食などが販売されている。
くるるんはポットに戻り洋樹とローラは外の展望デッキの椅子に腰掛けた。
「ここが今日の最終目的地!」
「きんもちいーっ!なんだか空も飛べそうな気がしてきたわ」
確かに遮るものが何もない大パノラマの景観は、風が吹くと羽ばたいてどこまでも飛んでいけそうだ。
「水陸制覇したら、いっその事空も制覇しちゃおうかしら」
「それは無理だろ」
「なんで?足も生えたんだし、頑張れば翼も生えるんじゃない?」
「……それは、天上の人に断固抗議しとくわ……。それより、バイクどうだった?」
「陸上を風のなか泳いでるみたいで爽快ね」
「へぇ、人魚ならではの感想で面白いな」
「私も自分で運転してみたいし、免許っていうの?取ってみようかしら」
「ああ、いいんじゃない?でも年齢制限があって。十六歳になったらとれるよ」
「えっ?十六歳?なぁんだ、まだまだ先ね……」
洋樹はふと、自分がローラの年齢を知らないことに気づく。
「えっ……、ちょっと待って……。そういえばローラって、今何年生?」
「一年生だけど?」
「ちゅ、中いち〜っ!?」
洋樹は衝撃の事実に一瞬眩暈を起こしたかのように体をぐらつかせた。
「それがどうかしたの?」
ローラの言動があまりにも大人びており気にも留めたことはなかったが、まさか中学一年生とは想定外だった。
「い、いや……。どうしたもこうも、中一ってまだ、子どもじゃん……」
「はぁ?何よそれ。じゃあ洋樹は何歳な訳?」
「十七だけど……」
「たった四歳しか変わらないじゃない」
「い、いや、大人になったらそうかもしれないけど、この歳で中一と高二って言ったら、相当な差だぞ……」
それを聞くとローラは首を振って肩をすくめた。
「人間の世界って、何かと年齢に拘るわよね。ばかばかしいったらないわ。人魚は小さい頃から一人前として扱われるから、年齢なんて生まれてこの方気にしたことないけど」
「いや、そんな、人魚の論理で語られても……」
「何よ。それとも、私の年齢ってやつに何か不満があるってわけ?」
「不満っていうか、そりゃ、思うところは色々と……」
「ふぅーん……。どんな?」
「そ、それは……、詳しくは、言えないけど……」
動揺してまごつく洋樹に向かって、少し口を尖らせて顔を覗き込んでくる生意気なローラの顔が、憎らしいほど可愛い。
「だあ〜っ!くそっ……!」
洋樹は頭を抱えた。出会ってまだ一ヶ月足らずではあるが、自分としてはもはや告白秒読みくらいの気持ちでいたのだ。
このタイミングでとんでもない事実を突きつけられてしまった。中学生というだけで少し気がひける部分があったのに、まさか最低学年だったとは。
とはいえ、加速して回り出してしまった車輪をもはや止めようもない。そもそも年齢如何に関わらず、水族館のプールで初めて会った時からほとんど恋に落ちていたようなものだ。
それに、こうして一緒にいる分には特段なんの問題もない訳だし……。ローラが了承してくれるかは分からないが、もし念願叶って付き合えたとして、俺さえ節度をわきまえていれば……。うん、大丈夫。
洋樹がとある決意を固めたところで、ローラは「ねぇってば、どうしたの?」と聞いてくる。
「あーいや、何でもないよ。ほんと、ローラの言う通りだなって思って。俺は、俺との闘いに、勝利してみせる!」と言って洋樹はガッツポーズを作った。
「意味わかんないけど……。まぁ、分かったなら、いいけど……」
唇を尖らせて首を傾げるローラは年齢からは大人びて見えるが、やはりあどけなく可愛らしい。洋樹は溜息をつきながら、「まぁ、しょうがないかっ」とこの件はお開きにすることにした。
ローラはまだ少し不満そうにしていたが、洋樹が自分の意見を受け入れた以上、不毛な問答をしても仕方ないと悟ったのだろう。立ち上がって景色を眺めるためデッキの端に向かって歩き出した。
(それにしても、中一かぁ。すげぇな……)
洋樹は実家ではあるが親元を離れて一人暮らしをしており、アルバイトをしながら通信制で勉強していることなど、周りから大人びているとか自立しているとか言われることがよくある。
その洋樹との会話でも対等に、寧ろその予想を上回る返答をしてくる。
考えてみればこの年齢で一人異界にやって来て生活をしているのだ。友人に恵まれたとはいえ、それも彼女自身で見つけ出した気の置けない仲間達である。
それに、どこにいても毅然として、誰と接しても分け隔てない公平な様は、洋樹の目から見てもリーダーとしての素質がある様に思われる。
自身で高らかに自慢文句を並べ立てている時はただの自惚れのように聞こえるが、もしかしたら本当に、いつか女王になるのだろうか。いつかは訪れるであろうその時が、願わくばずっと先のことであって欲しいが……。
「ローラ、人魚の国には、いつ帰るの?」
景色を眺めるローラの横に立つと、頭の中に浮かんだ疑問が思わず口をついて出てくる。
「えっ?そんなの分かんないけど、まずは後回しの魔女の問題を解決しないといけないし……」
「そっか」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、何でもないよ……」
「もう!さっきから、何でもないばっかりじゃないっ!何でもないなら最初から聞かないでよねっ!」
少し感傷的になっている洋樹にローラは痺れを切らして怒り出した。
「あ、ははは……っ!本当に仰る通りで!」
その後もしばらく山頂で天空散歩をのんびりと楽しんだ後、リフトで山を降り麓の土産屋で名物のヨーグルトソフトを食べる。時計を見ると時刻はあっという間に午後四時近くになっていた。
名残惜しくはあるが、明るいうちに山を降りた方が良さそうだ。日中は青空が広がっていたが、少し雲行きも怪しい。
山の麓の土産屋からバイクに向かう道すがら、パラパラと小雨が降り出した。
バイクに乗る準備をしながら洋樹は、散策中に自分が上着に着ていたチェックのシャツをローラに渡す。
「向こう晴れてるからすぐ雨雲抜けると思うけど、服濡れちゃうと風受けて寒いから上からこれ着てるといいよ」
「ありがとう。山の天気は変わりやすいっていうけど、ほんとね」ローラはそれを羽織ると、ぶかぶかのシャツの袖を折って、腰の辺りで軽く裾を結いた。
「じゃあ、帰ろう」
洋樹の言う通り雨雲はすぐに抜けて雨は止んだものの、行きと帰りでは同じ景色なのに見え方が全く違う。朝きらきらと輝いて見えた景色は、夕方の微睡んだ空気の中で少し色褪せて見えた。
山間道路を抜けて海岸線に出ると、海水浴から帰る車で交通量が増えていたが、夕凪の中黄色味を帯びた西陽を浴びて一面に水光を放ち輝く海は美しい。
遠足の帰りは切ないものだが、ローラの心の中ではその感傷とはまた別の感情が芽生えていた。
胸が締め付けられるような苦しさと、それでいてそっと抱きしめたくなるような、切なく愛おしい感情が胸の奥をぐっと押さえつけている。洋樹と一緒にいればいるほど、気持ちは磁石のように洋樹に吸い寄せられる。
でも……。
距離が縮まれば縮まるほど、これ以上踏み込むことに躊躇いが出てくるのは、一体何故だろう。
西陽を浴びてクリーム色に煌めく海を眺めながら、ローラは洋樹に掴まる手に少しだけ力を込めた。
洋樹の予定通り、渋滞につかまることもなく、暗くなる前に水族館の寮に到着した。
ローラはバイクから降りると、ヘルメットとリュックを洋樹に渡し、着ているシャツの襟を持ち上げる。
「これ、ちょっと濡れちゃったし、ちゃんと洗って返すわ」
「ああ、そんなん別に気にしないでいいけど。まぁ、分かったよ」
「今日はありがとう。すごく楽しかった」
「俺も。涼しくなったらもっと遠出出来るし、またどっか行こう。明後日から合宿だろ?明日はゆっくり休んで楽しんできて」
「洋樹もアメリカ、楽しんで。どんなとこか見てみたいし、写真、撮ってきてね」
「うん。帰ったら連絡するから。……あ、そぉだ!これ、お土産。今日の思い出にぴったりだと思って」
そう言うと洋樹は手の平くらいの小さな紙袋をリュックから取り出してローラに渡す。
「何?これ……」
「お土産屋でこっそり買ったやつ。大したもんじゃないよ」
そう言うと洋樹はヘルメット越しにローラをしばらく見つめる。珍しく沈黙する洋樹に、ローラは「どうしたの?」と尋ねる。
「いや、ここで言うようなことじゃないし、またアメリカから帰ったら話すよ」
そう言うと洋樹は「それじゃあ!」とエンジン音を響かせ西陽に照らされながら颯爽と走り去っていった。
「ただいま」
「ローラァ〜!おかえり〜!」
玄関のドアを開けるとすでに買い物から帰宅していたまなつの明るい声が響き、少し感傷で締め付けられていた胸の糸が弛むのを感じる。
「楽しかった!?あれ?そのシャツどうしたの?」
「途中ちょっと雨降ってたから、濡れないようにって……。借りたの」
「そうなんだぁ。こっちは全然晴れてたけど、山の天気は変わりやすいもんねぇ」
「まなつは?買い物できた?」
するとまなつは目を潤ませる。
「それが…このメモの半分も買えなかったのに、それすら旅行鞄に入れようとしたら全部入りきらないんだよぉ〜っ!」
びぇ〜っと泣き出すまなつにローラは肩をすくめる。
「仕方ないわねぇ。私の鞄の空いてるとこ使って良いけど、あんまりぎゅうぎゅうには入れないでよねっ。洋服が皺になるから」
「ありがとうローラァ〜!」
途端にまなつはパァッと顔を明るくさせて鼻水を啜ると、はみ出ていた荷物をローラの鞄に入れ始める。
「あ、そぉだ。今日お母さん遅いんだって。これから夜ご飯の準備しなきゃ」
「じゃあ、手伝うわ。着替えてくるから、ちょっと待ってて」
部屋に入りパタンッと扉を閉めると、束の間忘れていた感傷がまたふんわりと顔を見せる。着替えようとロフトに上がると、ローラはベッドに座りふぅーっと長い息を吐いた。
そういえば、と先ほど洋樹に渡された紙袋を開ける。
開けてみると、可愛い、とは言えないへちゃむくれた熊がバイクで二人乗りをしている手の平大の小さな置物が入っていた。
「何よ、これ」とローラはくすりと笑いながらつんっと熊を人差し指で突くと、枕の上の出窓に置いた。
次に洋樹に会えるのは、トロピカる部の合宿が終わって、洋樹がアメリカから帰国する約二週間後だ。
ローラは羽織っている洋樹のシャツを脱ごうとボタンに手をかけたが、また少し胸の苦しさを感じ、シャツの上から胸元をギュッと握りしめた。
オレンジ色の夕陽が差し込む部屋は日没を間近に、だんだんと翳ってくる。ローラは立ち上がって着替えると、まなつが待つリビングへとロフトを降りて向かっていった。
次回 エピソード5 ローラの憂鬱
トロピカる部の合宿から一週間ほど経って少し物憂げなローラ。そんなローラにまなつは「もしかして春波君に会えなくて寂しい?」と、素直になるよう話しかけるが…