「はぁ〜……」
ローラはベッドに寝転んで溜息をついた。すでにトロピカる部の合宿から帰って、一週間が経過していた。
「最近なーんか、おかしいわ……」
トロピカる部の南之島の夏合宿は毎日がまるで夢の様な時間であった。
まなつの父・大洋の美味しい手料理や新鮮な野菜に果物。トロピカる部での海水浴や洞窟の冒険に人魚の秘宝、南乃祭り……。はっきり言って一度も洋樹の顔すら思い出すことはなかった。
だが、こちらに帰ってきてからというもの、特に夜一人になると洋樹のことを考えてしまう。
南乃島の合宿の話も、早く聞かせたい。まなつの秘密のビーチで泳いだこと。新鮮な野菜や果物がとても美味しかったこと。お祭りの時に小船に乗って見上げた星空がとても綺麗だったこと。バタ足が泳げるようになったこと……は、まぁいいか。洋樹は人間の姿では私が泳げないことは知らないんだから。
でも、洋樹には自分のことはなんでも知っておいてもらいたいような気もする……。
「て、なんなのよ、これ……」
これぞ正真正銘の恋煩いというやつだが、人魚のローラにはそんな言葉もその意味も知る由はない。
もしここにみのりがいて、今の心境を話して聞かせたら一瞬でその回答が得られるだろうが、今いるのは国語(いや、勉強全般だが)に弱いまなつだけだ。
洋樹との関係は、七月に入ったばかりの頃に水族館のプールで人魚の姿を見られたのが始まりだった。
その後下校時に学校の校門で待ち伏せをされ、突然手を引っ張って連れ出されたり。電話番号を教えたら、アルバイトの後に欠かさず電話をしてきて呼び出されたり。アルバイトの後に話していたらぐうぐうとお腹を鳴らすものだから、トロピカルメロンパンやおにぎりを持っていくと、大袈裟にテンションを上げて浮かれ出したり。
その時は怒ったり呆れたりしていたが、後になって思い返すと、どこか楽しくて可笑しい。
それに洋樹と一緒にいると、安心する。ローラにとって布団にくるまって寝ることの心地よさは、人魚の時には体感し得なかったえもいわれぬものである。洋樹といる時の心地よさや安心感はその感覚とよく似ている。
洋樹の何がそう感じさせるのかはよく分からないが、とにかく離れていても一緒にいても自然と気持ちが洋樹に寄せられてしまう。
心にも磁石でいうところのN極とS極のような磁極が存在するのだろうか。しかも、無数の人の中で出会いという奇跡的な偶然を辿り、たった一人に反応するそれが。
「洋樹……」
洋樹の名前が唇からこぼれる。それと同時に、胸の奥で何かが疼く。
アメリカに行くのは一週間くらい、と言っていたが、時間に縛られることを嫌う洋樹のことだ。帰る日程は前もって決めていないのだろう。碧に洋樹の次のアルバイトの予定を聞けばいつ頃帰るか検討は着くが、そこまでするのも馬鹿らしい。
夏合宿で自分が一度も洋樹のことを思い出さなかった様に、洋樹も自分のことを忘れてアメリカでの生活を楽しんでいるのだろうか……。そう思うと、身勝手ではあるが少し苛立ちが込み上げてくる。
「ちょっと……。私の方が待ってる時間が長いって、どう言うことよっ」
ローラはツーリングで洋樹からもらった熊の置物を手に取り、運転席に座っている方をツンツンと指で小突いた。
「はぁ。ほんと、バッカみたい……。こんなの、全然私らしくないじゃない」
そう呟いて、ローラはロフトを降りてリビングへ向かった。
リビングでは、まなつがテレビを見るでもなく歯ブラシを咥えながらぼーっと眺めている。
「まなつ、歯磨きの手が止まってるわよ」
「あ、ほーだった」
テレビに目を向けると、何人かの女性が泣いている一人の女性を励ましている。
『あんな人忘れて、次の人見つけようよ』
『そうだよ、きっと他にも沢山素敵な人いるって!』
『うん、そうだね……。皆んなありがとう……』
どうやら彼氏に振られたか別れたかした女性を、皆で励ましているシーンのようだ。
(次の人を、見つける……?)
ローラは腑に落ちない気持ちを覚え、呟く。
「次の人を見つけるって、何よ……。人間の世界って、移り気なのね……」
「ほえ?ローラ、今なんか言った?」
「ううん。何でもない。私、先に寝てるわね」
「あ、うん。おやすみ〜」
まなつは部屋に戻るローラの背中を見送ると、再びテレビに視線を移して、シャカシャカと歯を磨き出した。
「はぁ〜……」
ローラはまなつとの共同部屋に入り扉を閉めると、再び深い溜息をついた。
息抜きのためにリビングに行ったのだが、余計に気持ちが重くなってしまった。なんの変哲もないテレビの会話だったが、思いの外ローラの心に深い翳を落としてしまった様だ。
ローラがベッドに入りぼんやりと先ほどのテレビドラマの会話を思い出していると、歯磨きを終えたまなつが部屋に入ってきた。
そしてそのままロフトに上がってくると、ローラが寝ているベッドの脇までやって来て首を傾げる。
「ねぇねぇローラァ?最近ちょ〜っと、元気なくない?もしかして春波君に会えなくて寂しいとか?」
「へ?そ、そんなこと、ないわよ……」
「そーお?さっきテレビ見てる時だって何かおかしかったよ?」
まなつはいつも直感でローラの異常を察知する。
「それは、あの会話に少し納得がいかない気がしただけよ」
「ふぅ〜ん……。テレビで何の話してたか忘れちゃったけどさ。ローラ、素直じゃないとこあるからさぁ。春波君のことそんなに好きなら、素直に好きって言ってみたら?」
そう言うとまなつはコートハンガーにかけてある洋樹のシャツをくいくいと指差した。ツーリングで小雨が降って来た時に、借りたものだ。
「だ、だから、何で私が!?人の話聞いてる!?」
「だって、春波君と会う時のローラ、いつもすっごいトロピカってるもん。南之島の合宿で、お祭りの時にとみ婆も言ってたでしょ?小さな願いを叶えていくことで、自分なりの幸せに辿り着けるって。それって、自分の気持ちに素直にならないと出来ないじゃない?今一番大事なことは何かな?何がしたいのかな?好きなものは何かな?ってさ」
いつも明るく天真爛漫ではっちゃけているまなつだが、ふとした時にハッとさせられる様な台詞を吐く時がある。
「そ、それは、そうだけど……」
「とにかく。私はいつもローラがいっちばんトロピカれるように応援してるから!」
そういうとまなつは、「って事でおやすみ〜」とローラのベッドに潜り込んできて、次の瞬間にはすーぴーと寝息をたてた。
「て、またここで寝るの……?」
朝はなかなか目を覚まさない割には、寝付きは異常にいい。
南之島の合宿前日に楽しみで寝れそうにないから一緒に寝てほしいと言ってからというもの、夜はもともとお化けが出そうで怖いという幼稚な理由でよくローラのベッドに潜り込んでくる。
「まぁ、いっか。一時間後には床に転げ落ちてるし……」
ローラはまなつから投げかけられた言葉を反芻しながら、「正直になるったって……」と呟いた。
洋樹のことを好き、と言うのは、確かにその通りかもしれなかった。しかし、百歩譲ってそれを認めたとしても、その他に何かが心の中に引っかかっている。その正体が、いまいち掴めない。
先ほど違和感を感じたテレビドラマの会話の中に、何かヒントが隠れているのだろうか。何の変哲もない、地上ではよく聞く様なセリフだが……。
考えを巡らせているうちに、ローラはうとうとと眠気を覚える。
その時、「ローラ、人魚の国にはいつ帰るの?」という洋樹の言葉が朧げに脳裏に蘇ってきた。
「それが、どうかしたの……?」ローラは呟いて、そのまますうっと眠りについた。
次の日、中学生を対象にした新作コスメの試作品が届くということで、トロピカる部一同はプリティホリックに集まった。
ローラが試作品を一通り試して二階のカフェスペースに行くと、先に二階に行っていたみのりが本を読んでいる。ローラは心のわだかまりについて、なにか糸口が掴めるのではないかと、ソファに座るとみのりに話しかけた。
「ねぇ、みのり。前に恋愛について話した時、付き合って愛情が深まっていく場合もあれば、離れていく場合もあるって言ってたじゃない?」
「確かに、そんな事言った気がするけど」
「じゃあ、愛情が深まっていった場合は、その後どうなるの?」
「えっ?」
「あ、その、参考に聞いておきたいってだけよ」
「そうね……。愛情が深まっていった場合は、大抵の場合、大人になった時に一緒に住んだり、結婚とかに繋がるんだと思うけど」
「そう。結婚、ね……」
ローラの顔が一瞬曇る。それに気づき、みのりは言葉を選びながら続ける。
「でも、今は結婚という形式に拘らないカップルも沢山いるし、それだけが幸せの形じゃないと、思うけど……」
みのりは本を閉じてテーブルに置き、ローラを見つめる。
「……春波君とのことで、悩んでいるの?」
「うーん、悩んでるってほどの事でもないけど、何か引っ掛かってるのよね。それが何かわからなくて、モヤモヤしてるって感じかしら」
「でも、それをはっきりさせないと、春波君との関係もこのままあやふやになってしまう」
「ええ、まぁ、そんなとこね」
みのりは少し間を置いて言葉を続ける。
「春波君が、ローラのことを好きなのは、確実だと思う」
「それは、分かってる」
「ローラも、春波君のことが、好き……?」
「……それも、否定はしないわ」
「じゃあ、引っ掛かっているのは、それ以外のことってことね」
「そうね……」
ローラは少し考えて、昨日のテレビドラマの台詞で感じた違和感を、そのままみのりに伝える。
「昨日、テレビでこんなことを言っていたわ。彼と別れたら、『次の人を見つければいい』って。人間の世界では、それが当たり前なの?」
「殊恋愛になると、確かにそれがセオリーではあるかもしれない。実際はそんなに簡単に割り切れるものではないと思うけど。恋愛の傷は、そうやって乗り越えていくっていうことは、あると思う」
「てことは、友情と恋愛の違いはまさにそこじゃない?友達には替えはいないのに、何で恋愛になると替えが効くわけ?別れたら次、なんて、納得がいかないわ」
「替えということでもないと思うけど……。そっか、そんな風に考えたことなかったけど、ローラの言いたいことも、分かるわ」
みのりは俯き、じっと考えを巡らせ、再び語り出す。
「でも、恋人として付き合うというのは、お互いにたった一人のかけがえのない相手と愛し合うってことで。もし、どちらかの熱が冷めてしまったなら、もう一緒にいることは出来ないんじゃないかな。その場合は別れて、いづれまた新しい相手と結ばれるっていうことだと思うけど」
「……そうね。それは、確かにそうかもしれないわね。人間の場合は……」
みのりは俯くローラの様子を見つめながら、これからローラが向き合わなければならない問題に気後れして言葉をかけられないでいる。でも、ローラならもしくは、乗り越えられるのではないか。それを信じるしかない。
洋樹からローラに帰国を告げる連絡が入ったのは、その夜のことであった。
翌日朝、飛鳥はあおぞら市運動公園でテニスの自主練習をしていた。昨年他校の生徒との揉め事でテニス部を退部してからというもの、暇を見つけては一人で壁打ち場のあるこの公園にやってくる。夏休み中などはトロピカる部の活動がない時は、ほとんど毎日のように通っている。
午前の練習を終え帰宅していると、運動公園内のスケートボードパークの前でフェニックス学園の制服を着た何人かの女子高校生達が立ち止まって会話をしている。
飛鳥がその横を通り過ぎようとすると、その女子生徒達の話し声が漏れ聞こえてくる。
「ねぇねぇ、あの人、かっこいいよね」
「あ、スケボーの人でしょ?私もたまに見かけるよ」
「あれ、春波君……?やっぱりそうだ!」
飛鳥は聞き覚えのある名前を聞いて立ち止まる。フェンスの中を見ると、帽子を被っていたので気が付かなかったが、確かに洋樹の姿があった。
一瞥して通り過ぎようとするも、その女子生徒達の話し声がどうしても耳につく。
洋樹の名前を口にした女子生徒に、その中の一人が質問する。
「知り合いなの?」
「うん、去年、入学した時一緒のクラスだったの。帰国子女でね、それだけでも凄いと思っちゃうんだけど、制服はちゃんと着ないし、いつもホームルームには来ないし、ふらっと授業に来たかと思うと、途中で帰っちゃうこともあって、とにかくいつもクールでクラスメイトともほとんど会話してなかったなぁ」
「でも、学校で見かけたことないよ?」
「入学して二ヶ月くらいで学校辞めちゃったの。通信制に転入して、水族館でアルバイトしてるって噂で聞いたけど……」
「えー!何か、そういうとこもクールでカッコいい〜!やっぱり私、声かけちゃおっかなぁ」
「じゃあ、呼んでみよっか?いくよ?はるな……」
「おい!春波!!」飛鳥はフェニックス学園の女子生徒達の後ろから、咄嗟に大声を張り上げていた。
洋樹は驚いて飛鳥のいるフェンスの方に近寄ってくる。
「お前は、ローラの……?」
「滝沢だ。滝沢飛鳥」
飛鳥は名乗ると同時に、会話をしていた女子生徒達を掻き分け洋樹の前に歩み出る。
「おい、一つだけ忠告しておく。ローラは大人びて見えるが、ああ見えて純粋だ。適当なことしたら、ただじゃおかないからな……」
フェンス越しに睨みつける飛鳥の目から発せられる覇気は凄まじい迫力であるが、その中に滲む仲間を思う情の厚さに洋樹は感動さえ覚え胸が熱くなった。
「ああ、わかった」飛鳥の目をじっと見つめて洋樹は応える。
しばらく洋樹の目をじっと睨むと、飛鳥は「ふんっ」と言って颯爽と髪を靡かせて去っていった。
「か、カッコいい……」先程まで洋樹の話をしていた女子生徒達は目をきらきらと輝かせて、凛と立ち去る飛鳥の後ろ姿に釘付けになるのであった。
洋樹は時計を見る。もうそろそろ帰ってシャワーを浴びた方が良さそうだ。今日は昼にオーシャンテラスでローラと待ち合わせをしている。
洋樹は朝からそわそわしていた。昨晩帰国したのだから約束の時間までゆっくりしていればいいものを、家でじっとしていられなくてスケートボードの練習場まで来てしまった。
ローラと久しぶりに会えるということにも胸が高鳴るし、それに加えて帰国したら伝えようと思っていたこともある。洋樹は顔見知りの仲間に挨拶をすると、練習場を後にする。
どんなタイミングで、どんな言葉で伝えればいいか。考えたものの、結局答えは出なかった。それならば、その時の感情や溢れる思いに任せて、伝えればいい。
晴天の中光輝く太陽光を真上から浴びながら、洋樹はスケボーを漕いで家路へと急いだ。
次回 エピソード6 告白
洋樹の告白に、ローラは…?しかし、そこへヤラネーダが現れて…笑いあり、涙あり、戦闘あり!