『ここで、私を犯してはくれないか?』
ヨミハラ潜入任務の前日、達郎を実家の道場に呼び出した凜子はそう言い放った。
間違いなく綺麗な体で戻ることはできない。あるいは、生きて帰れない可能性も充分にある。ヨミハラとはそういう街だ。
既にゆきかぜは達郎と結ばれただろう。全てを伝えるよう、自分が背を押してやったのだから。
2人の姉としての義はきちんと通した。
ならば、自分にも達郎と結ばれる資格はあるはずだ。
家族だからなんだ。
姉弟だからなんだ。
私は達郎が好きだ。
ゆきかぜと同じように。いや、ゆきかぜ以上に。
『私とSEXをしてくれ。達郎』
『ゆきかぜとはもう済ませたのだろう?私も、得体の知れない輩ではなく、お前にやりたいんだ――』
だが、達郎とゆきかぜはまだ結ばれていなかった。
お互いに想いを打ち明け、唇を重ねるところまではいったものの、それまでだった。
あたふたと自分を諫める達郎の様子でそれを確信した凜子は、とっさに作り笑いを浮かべて、『冗談だ!』と朗らかに笑った。
『今言ったことは忘れてくれ』
『ふふ……私としたことが、悪ふざけが過ぎてしまったな』
勘弁してくれよ……と脱力する達郎に平謝りし、凜子は道場を後にした。
“天然で人をからかうのが好きな姉の悪戯に、またしても嵌められてしまった”――弟はそう感じ、今日の出来事もすぐに忘れてしまうのだろう。
“天然な姉”を演じて本心を誤魔化すことを覚えたのは、いつからだっただろうか。
作り笑いで顔を、冗談めいた口調で心を覆い隠すたび、胸に小さな針が突き刺さる。
ちくり。 ちくり。 ちくり。
凜子の人生は、常にこの痛みと共にあった。
――――――
――――
――
ピピピ……と、炊飯器のアラームが聞こえて我に返った。
窓の外は既に薄暗くなり始めている。
(まだ任務の疲れが抜けてない、か。今日は寝落ちしてばかりだな)
鍋を覗くと、鮮やかな翠色に変わった豆が水を吸ってパンパンに膨らんでいた。
ひとつ口に含むと、ぷつんと音を立てて皮が破け、こっくりとした味わいが広がる。
「うむ」
ニシンをグリルに入れ、炊飯器から取り出したご飯に豆を落とし、塩をまぶしながら丁寧に混ぜ合わせていく。
しっかり塩味をつけることで米と豆の甘みが引き立つが、しょっぱすぎては台無しになってしまう。
一口味見をしては塩を足し、混ぜることを繰り返していくうち、猛烈に空腹になってきた。
朝、昼と軽い食事しかできなかったが、任務で疲れ果てた胃腸がようやく調子を取り戻してきたらしい。
ベストな塩梅を見つけ、グリルからパチパチと油の爆ぜる音が聞こえてきた時、玄関の戸が開いた。
「ただいま」
疲労を浮かべた達郎の顔が、台所に入るなり輝いた。
「うおっ、豆ごはんじゃん!やった!」
「私なりの出陣祝いだ。家の掃除のお礼もかねてな」
「ありがとう凜子姉!でも、豆ごはんだってわかってたらゆきかぜも連れてきたのに」
ちくり。
また、胸に針が刺さった。
「……今日は、いいじゃないか」
「え?」
「またしばらく会えなくなるんだ。今日ぐらいは家族だけで過ごすのも、いいじゃないか」
「……そうだね。ごめん気が利かなくて」
「いや、いいんだ。ゆきかぜとは明日会うことになってるから、おにぎりにして持っていくよ」
グリルを開けると、自らの脂肪で皮をぱりぱりに焼き上げられたニシンが顔を出す。
「腹が空いてるだろう。すぐに味噌汁を作るから、先に食べててくれ」
「え、それは悪いよ」
「構わん構わん。今日はお前の健闘を祈って料理したんだからな」
じゃあお言葉に甘えて……と、達郎が大盛りにご飯をよそい、ばくりと口に含む。
「うまい!」
その一言で、凜子は胸に刺さった針が溶けて消えていくのを感じるのだった。