秋山家では暗黙の了解で年長者から順に風呂に入ることになっていたが、任務を控えた者がいる場合はその限りではない。
達郎と2人で夕食の後片付けを終えた凜子は風呂が空くのを待つ間、今朝と同じように縁側に腰かけてローズマリーティーを愉しむことにした。
遠くで蛙がやかましく鳴いている。
春の風物詩だが、その正体は繁殖行動だ。
雄は張り裂けんほどに喉を膨らませて声を出し、雌は声の大きい、強い雄のもとを訪れる。
いくら鳴いても雌に選ばれず、喉に異常をきたして死んでしまう雄も多い。
だが、何物にもとらわれず、気兼ねなく愛を叫ぶことができるというのは凜子にとって羨ましいものだった。
「凜子姉、またそれ飲んでんの?」
風呂上りの達郎がタオルで頭をかきながらやってきた。
「お前もたまにはどうだ。ある日突然、嫌いだった食べ物が好きになることがあるじゃないか。あくわ……なんたらというやつで……」
「アクワイアード・テイストね。まあ、久しぶりに挑戦してみてもいいかな」
達郎が台所から取ってきた茶碗に、一口分より少し多い程度の量を注いでやる。
恐る恐る匂いを嗅いだ達郎の眉間に皺が寄り、舐めるように口に含むとそれがぎゅっと深くなった。
「どうだ?」
「……口ん中がシバシバする」
「ふふっ。まだまだ子供だな」
「別に大人とか子供とか関係ないだろ……単なる味の好みなんだからさ……」
不貞腐れながら凜子の隣に腰かける達郎。
しばらくはお互い話すこともなく、ただふたりで夜の闇を見つめていた。
「なんか、久しぶりだね。凜子姉とこうしてるの」
「そうだな。小さい頃はここでお前を抱っこしてあやしたりしてやったものだが」
「うん……はっきりと覚えてるわけじゃないけど、凜子姉の腕の中は妙に居心地が良かった気がする……」
「だろうな。5歳までは私が抱いてやらないと寝付けなかったのだから。ここで寝てしまったお前を抱えて寝室まで行くのは大変だったんだぞ」
「え、そんなに大きくなるまで凜子姉と一緒に寝てたの?」
「ああ、本当に苦労させられたぞ。いい加減ひとりで寝ろと言ったら大泣きされたしな」
「そりゃどうもすみませんでしたね」
まだ言葉がおぼつかない達郎を腕に抱きながら、とりとめのない話をして過ごした日々を思い出す。
弟の体が日に日に大きくなるのを肌で感じられることが嬉しく、愛おしかった。
思えば、あの頃から既に特別な感情を抱き始めていたのかもしれない。
「……やってみるか。久しぶりに」
「へ?」
凜子は少し体を後ろにずらし、足を開いて人ひとりが腰かけられるスペースを作った。
「さあ、遠慮はいらんぞ」
「……本気?」
「冗談でこんなことをするものか」
「いや……さすがになあ……」
「またしばらく会えなくなるんだ。ひとつくらい姉の言うことを聞いてくれてもいいじゃないか」
「……わかったよ」
達郎が渋々凜子の足の間に座る。
「遠慮はいらんと言っただろう。もっと体を預けろ」
「ちょっ……凜子姉っ……」
凜子は達郎の胴に手を回し、ぐいと自分の方に引き寄せた。
達郎の後頭部が凜子の胸――幼い頃と違い豊満に育った肉の枕に吸い込まれる。
「どうだ?」
「……やわらかい」
「落ち着くか?」
「全然。小っ恥ずかしすぎる」
「そうか?私は懐かしい心地がしてリラックスできているがな」
意識するわけでもなく、自然に“天然な姉”としての言葉が口をついて出た。
本当は、心臓が張り裂けそうなくらい波打っている。
身体を密着させている達郎は気づいているだろうか。
気づかれてはいけない。
いや、気づいてほしい。
私の本当の気持ちに。
「なんか今日の凜子姉、妙にノスタルジックだよね。ローズマリー飲んでるせいかな」
「なにか関係があるのか?」
「花言葉だよ。ローズマリーの花言葉は“追憶”と“思い出”だから」
「ああ……そういうことか」
「あと、“変わらぬ愛”“私を思って”ってのもあるんだったかな……テキトーなもんだよね。ひとつの花に何種類の意味を詰め込むんだか」
「……」
心臓の鼓動がまた早くなった。
追憶。思い出。変わらぬ愛。私を思って――今日1日の凜子の心境そのものだ。
「……達郎」
「なに?」
(愛してる)
溢れそうになった言葉を、必死でこらえた。
「必ず無事で戻って来い。私を……ゆきかぜを、悲しませるんじゃないぞ」
「わかってるよ。前に約束したじゃないか。俺はゆきかぜを守れる、強い男になるって」
「ああ、そうだな……私と、そう約束したんだものな……」
胸が痛い。
吐き出せない想いが針となって突き刺さっている。
たったひとりの弟。
この世で唯一の、血の繋がった家族。
想いを打ち明けてしまえば、そんなかけがえのない関係が壊れてしまう。
しかし、そうならない可能性もあるのではないか?
達郎が自分を受け入れてくれるかもしれないのではないか?
共に過ごした時間は、ゆきかぜよりもずっと長いのだから。
後悔するかもしれない。
だが、後悔することを恐れていては前に進めない。
ならば、いっそ――
(いや、これでいいんだ)
(私は、魔の物から人を守る対魔忍だ。いちばん大切な人を守れなくてどうする)
(このままでいい。このまま、この痛みを抱えて生きることが、達郎にとっての幸せに違いないのだから……)
凜子は、達郎の体を強く抱きしめた。
傷口を押さえるように。
痛みをこらえるように。
「大丈夫だ。お前は私の弟なんだからな」
愛する男の体は、遠い日の記憶よりもずっと熱く、堅く、逞しかった。
凜子といえば所謂「頭対魔忍」の象徴とされることの多いキャラクターですが、あの天然キャラ自体が弟に対する劣情を隠す過程で身につけた演技だったら……と妄想した結果が本作です。
ユキカゼ2の日常パートが好きなんですよね。着実に魔の手が迫る中でしっかり達郎と凜子がイチャコラしてて……。
姉弟の関係を丁寧に描いてくれているからこそ、その後のNTRが映えるのだと思います。
気が付けば2の発売から7年が経過しましたが、私は今でもユキカゼ3を待ち望んでいます。
RPGの世界観も楽しんではいますが、ユキカゼの世界観での完結編をきっちり出して欲しいですね。
冒頭でも軽く触れましたが、RPGではまり・蛇子・舞の関係がなかなか面白いことになっているので、こちらのテーマでもなにか書いてみたいです。