Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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喫茶アルカイド
1.甘美な無法


 少し早く家を出過ぎてしまった。瀧口(たきぐち)星音(ほしね)は目的地である喫茶店の手前にある公園で、ベンチに腰掛けて大きく伸びをする。星音は今日から喫茶〈アルカイド〉という店で週四回のアルバイトを始めることになっていた。

(同じくらいの歳の人たちが多いって言ってたけど、どんな人たちなんやろ)

 優しい人だったらいい。店主の蓮行(れんぎょう)(はる)は少しぶっきらぼうなところはあったがきっぱりとした性格で好感が持てた。けれどハルが店にいることはあまりないらしい。要するに今日から初対面のバイトメンバーと仕事をしていかなければならないのだ。

(まあ、ハルさんは「みんないい子だよ」って言ってたし、何とかなるやろ)

 何よりもあの店は、星音にとっての一番の懸念材料はないも同然だ。あとは仕事がきちんとできるかどうか。不安と期待が入り交じったまま、ベンチに座ってぼんやりしていると、目の前で遊んでいた子供が盛大に転んでしまった。大きな泣き声が公園に響き渡る。

 男の子の膝には大きな擦り傷ができていて、今すぐ死ぬような怪我でないのは明らかだったが、痛そうではあった。星音は一瞬逡巡してから、男の子の目の前まで走って行き、泣いている彼と目を合わせるようにしゃがむ。

「大丈夫。おねえさんが今からすぐに治したるで」

 星音は男の子の膝にそっと触れ、目を閉じた。すると星音の手と傷の間に白く光る細長い包帯のようなものが現れる。星音は目を開け、それを男の子の膝に巻いていった。

「あれ……痛くない……」

「こんな怪我なら五秒で治るで? ほら、見てみ?」

「ホントだ! おねえちゃんすごい!」

「こんなん(うち)にとっては朝飯前や」

 巻かれていた包帯は消え、現れた男の子の膝にはもう傷がなかった。笑顔になった男の子の頭を撫でようと星音が手を伸ばした瞬間、頭上から鋭い女性の声が飛んできた。

「うちの子に触らないでください!」

「……あ」

 どうやら男の子の母親らしい。駆けつけてきた髪の長い女性は、男の子を星音から隠すように立ちはだかった。女性は隣に立っていた近くの中学校の制服を着た女の子――おそらく男の子の姉だろう――にも尖った声をぶつける。

「どうしてちゃんと見てないの! ああ、能力者(ブルーム)に触られるなんて……!」

 別に傷つけたわけではない。ただ傷を治しただけだ。そう言い返すこともできたが、星音は何も言わずにその場から離れた。それがこの世界だ。それが人の傷を少し治すことができる能力だろうが、炎を出せる能力だろうが、能力を持たない人から見れば全部同じなのだということはわかっていた。能力者は危険な存在。大切な存在には近付けたくないもの。虐げても問題のないもの。そう思われていることくらい、この世界に生きている人なら誰でも知っている。

(……でも、好きでこんな力あるわけやないねん)

 現状はわかっている。でも、星音は縮こまらずに生きていける場所を探していた。能力者を採用している喫茶店をバイト先に選んだのはそういう理由だ。そして、そこなら自分の能力を活かすこともできるかもしれないと思ったのだ。ただ人の傷を治すだけの力。擦り傷くらいなら少しお腹が空く程度だが、大怪我を治そうとすると、星音自身も数日動けなくなるほど疲れてしまう。そんな、使えるのかどうかもわからないものを、求めている人がいると知ったから。

(せやな。落ち込んでてもどうしようもない)

 星音は公園を出て、足早に喫茶〈アルカイド〉へ向かう。そのとき星音は、公園の入り口近くに立ち、自販機で買ったジュースを飲みながら星音の姿を眺めていた全身黒ずくめの少女の存在には全く気付いていなかった。

 

 

「今日からお世話になります、新人の瀧口星音です!」

 アルカイドの制服はパンツスタイルとワンピーススタイルの二つがあって、その日の気分でどちらを選んでもいいらしい。星音はワンピーススタイルの制服に着替え、緊張の面持ちで先輩店員たちが待つ店内へ向かった。ハルの話では「みんないい子」とのことだったが、店内で繰り広げられているのは、先輩店員同士の盛大な揉め事だった。

「だからお客さんにガン飛ばしちゃいけないって言ったじゃん!」

「お金投げて来たほうが悪いでしょ」

「まあ、それはそうだけど……」

 どうやらパンツスタイルの制服を着た人が、ワンピースの制服を着た人に怒られているらしい。接客態度に問題があったからだというのはすぐにわかった。パンツスタイルの制服を着た先輩は髪が短く、一瞬男性と見間違えるほどにかっこいい。けれどその視線は喫茶店には似つかわしくない鋭さを持っていた。

「じゃあ何? そんなことされても笑いたくもないのにニコニコ笑ってればいいわけ?」

「うん、ごめん。私が悪かった」

 ワンピース制服を着た、髪の長い先輩が謝る。接客業としては彼女の方が正解なような気がするのだが、と星音は思った。

(そっちが折れるんや……)

 でも金を投げる方が悪いというのは確かにそうだ。しかし投げられて睨み付けることができる人もそうはいない。私なら泣きそうだ、と星音は心の中で思った。

「ほら二人とも、新人が困惑してるよ?」

 茶色く染めた髪を肩の上で切りそろえた少女が、二人の間に割って入る。二人が素直に矛を収めたので、星音はやっと何とか挨拶をすることができた。二人の間に入った茶髪の少女が亘理(わたり)梨杏(りあん)。そして揉めていた二人の髪が長い方が(なぎさ)寧々(ねね)、髪が短い方が(ひいらぎ)由真(ゆま)というらしい。もう一人、月島(つきしま)或果(あるか)という店員もいるらしいが、今日は休みの日らしい。

 寧々が簡単にそれぞれの担当を紹介する。寧々は店主であるハルの妹で、喫茶店の全ての仕事を仕切る、いわゆるバイトリーダー。梨杏は紅茶の担当で、由真は珈琲を担当している。食事メニュー考案と制服のデザインは或果の仕事だという。星音は最初のうちは一つずつ覚えていけばいい、と言われた。

「じゃあ、星音ちゃんの教育係は由真にお願いするね」

「そういうの絶対梨杏の方が向いてると思うんだけど……」

 由真が低い声で答えながら首を横に振る。明らかに嫌そうな態度だ。星音も先程の一件から考えると、明らかに教育係には向いていないと感じていた。客を睨み付ける人に接客の指導をされても困るだろう。

「新人教育も仕事だから。それに接客のいい反面教師だよ?」

(反面なんや……。寧々さんもなかなか酷いこと言うな……)

 由真が渋々といった様子で星音の教育係を引き受けたので、星音は勢いよく彼女に頭を下げた。

「よろしくお願いします」

「そんな固くならなくても大丈夫。まずはメニュー見て、だいたいでいいから頭に入れるところから始めようか。あと簡単なやつだけどマニュアルがあるから」

 あ、何や、普通に優しいやん――星音がそう思いながらメニューを見ていると、隣に座った由真がすかさず色々解説を入れる。それが大体星音がよくわからないと思ったタイミングだったので、星音は密かに驚いた。まるで人の心が読めるようだ。けれど読心系の能力の持ち主はいないとハルが言っていた。つまり由真は星音の表情だけを見て判断しているのだ。

「だいたい覚えたと思います」

「じゃあ、次のお客さんの注文取ってみようか。この時間だと常連のおばあちゃんが来ると思うから」

「え、そんないきなり常連さんで大丈夫なんですか?」

「大丈夫。私のおばあちゃんだし」

「いや、おばあちゃんってそっちのおばあちゃんかい」

「いいツッコミだね。大阪人?」

「あ、いやこれはですね……」

 恥ずかしい話なんですが、と前置きをしてから星音は話し始めた。小学生のときに、漫画で読んだ大阪弁のキャラクターに憧れて練習しているうちに、その口調が抜けなくなってしまったのだ。そして大阪弁の方が人に簡単に話しかけることができると気付いてからは、この似非関西弁と生きていくことに決めた、という話を由真は真剣に聞いていた。

 しばらくすると、ドアベルが軽やかな音を立てて、身綺麗な老婦人がやってきた。言われてみれば由真と少し顔立ちが似ている。特に目元が良く似ていた。

「い、いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

 由真は実の祖母である老婦人と特に目を合わせたりはせずに、静かに食器を片付けている。ただカップとソーサーを棚に戻してるだけなのに、妙に様になっていると星音は思った。しかしいつまでも由真の姿を眺めているわけにはいかない。

「こちらメニューになります。ご注文がお決まりの頃にまたお声がけしますね」

 マニュアル通りの台詞を言い、ぎこちなくなりながらもメニューを渡した。緊張しつつもカウンターに戻ると、由真は星音には何も言わずに珈琲を淹れるサイフォンを準備し始めていた。やがて、由真の祖母が星音に向かって手を上げる。

「ご注文おうかがいします」

「こちらのワッフルセットで、飲み物はスペシャルブレンドを」

「かしこまりました。ワッフルセットがおひとつ、飲み物はスペシャルブレンドですね?」

「……あなた、新人さん?」

「あ、はい、今日から入った瀧口星音です!」

 老眼鏡から覗く目が鋭くて怖い。何かまずいことをしただろうか。星音は伝票を胸に抱きながら固まった。

「綺麗な名前ね。孫をよろしくね」

 優しい言葉に星音が胸を撫で下ろしていると、カウンターの向こう側から由真の声が飛んできた。

「ちょっと、世話してるの私なんだけど。あと目付き悪いから星音が怖がってるじゃん」

(目付きのことは由真さんには言われたくないなぁ……)

 遺伝なのだろう。目が大きくて、それに対して黒目が少し小さめだから三白眼になる、必然的に睨み付けているように見えるので、目付きが悪いように感じるのだ。

 星音が伝票を持ってカウンターに戻ると、由真が棚からコーヒー豆が入った缶を取り出しながら微笑んだ。

「ちゃんとできたじゃん」

「でも、身内っちゃ身内ですよね……」

「まあ……今は唯一の身内かな。ここでしか会わないけど」

 どういうことだろう、と思ったが、由真が真剣に珈琲を淹れ始めたので、星音はそれ以上聞かないことにした。家の事情はさすがに深く知りすぎない方がいい。踏み込まれたくないことだって沢山あるだろう。

「あ、冷蔵庫からワッフル出してきてくれる? もう盛り付けてるやつが一つあるから」

「めちゃくちゃ準備いいな……」

「おばあちゃん、いっつもそれだから」

「じゃあ何でメニューわざわざ見とったんや……」

 何だか不思議な人たちだ。星音はそう思いながら、由真に言われたとおりに冷蔵庫からワッフルを取り出した。

 

 

 星音がアルバイトを始めてから二週間。その客は突然やってきた。

 その客は、入ってきた瞬間から態度が悪かった。カップルの客はそれなりに見るけれど、そのカップルは男の態度が大きくて、女の子は少し怯えているように見えた。けれど客は客だ。由真が「代わりに行こうか?」と言ったけれど、星音はそれを断ってそのカップルのところに向かった。接客をやると決めたからにはこういう客にも慣れないといけない。少しずつ仕事に慣れてきたのだから、一歩進んでもいいのではないかと星音は思っていた。

 彼氏が指さしたメニューを彼女が読み上げるという形で注文が行われた。おいお前口がきけんのか? その口は飾りか?――という言葉はきちんと飲み込んで、星音は伝票を持っていく。スペシャルブレンドとカモミールティー。彼女が注文したカモミールティーに彼氏が文句をつけていたけれど、店員は言われたものを言われたとおりに持っていくのが仕事なので、カモミールティーとしっかり書いた。ハーブティーを淹れるのはいつもは梨杏だが、今日は休みなので或果の担当だ。

「……泥水でも入れてやろうかな」

 由真の口からとんでもない言葉が聞こえたが、星音は気にしないことにした。

(でも、あのタイプの男には早急にお迎えが来ればええのにな……あの子何であんな奴と付き合ってるんやろ)

 出来上がった飲み物をトレイに乗せて運んでいく。星音はバランス感覚には少々の自信があった。見事に一滴もこぼさずにテーブルに辿り着いた――星音がそう思った瞬間だった。

「え?」

 自分でも何が起こったかわからなかった。気がつけば星音は床に倒れていて、飲み物は男のズボンにぶちまけられていた。

(足を引っ掛けられた?)

 そう思いながらも星音が反射的に頭を下げようとした瞬間、男が罵声を浴びせてきた。

「おい、これどうしてくれんだよ!」

「す、すいま――」

 謝罪の言葉を口にしようとした途端、カウンターから出てきた由真に腕を軽く引かれる。

「謝らなくていい」

「由真さん……」

「こっちが悪いことしてないのに謝る必要はないから」

 毅然とした態度で由真は男を睨みつける。本気で睨んでいると迫力がある。男も由真の目に一瞬怯んだようだった。

(かっこいいけど相手は客なんだよな……)

 冷や冷やしながら事態を見守る星音をよそに、男が由真に対して声を荒げる。

「そいつのせいでズボン駄目になったんだぞ! ちゃんと謝れや!」

「――謝るのはそっちでしょ。人に足引っかけといて被害者面しないで」

(いやいやもう喧嘩やんこれ。これ止めた方がええんちゃうの?)

 けれど星音が口を挟む余地はなかった。代わりに横目で、椅子の上で縮こまっている彼女の方に目をやる。彼女も男にやめるように言いたそうにしていたが、怖いのか何も言えずにいるようだった。星音は痛みを堪えるような顔をしている彼女に気が付き、気付かれないようにその体を観察する。

(どっか怪我しとる……?)

 人の怪我を治す力を持っているせいか、星音は昔から人の怪我に敏感だった。隠していてもどこか痛いと思っている人の表情がわかる。その全てを治せるわけではないが、もし少しだけでも痛みを取れたら――そう思うものの、その彼氏と由真が言い争っている中ではどうすることもできず、星音は助けを求めるように由真を見た。由真がそれに気が付いて一瞬星音を見る。

「星音は向こう戻って着替えてきて。制服濡れちゃったでしょ。向こうに或果がいるから」

 或果に言えということなのだろう。言外の意味を読み取った星音は、男に見とがめられないように気を付けながら、カウンターの奥にある従業員用の休憩室に戻った。

 

 

「さっきのお客さん、もう帰ったみたいから大丈夫だよ」

 こっそりと店内の様子を窺っていた或果が星音に言う。ワンピースの制服は濡れてしまったので、今はパンツスタイルの制服に着替えた星音は、ネクタイを鏡で確認しながら或果に尋ねる。

「あ、ありがとうございます。あの……由真さんあの後大丈夫やったんですかね?」

「寧々がすぐに出て行ったから大丈夫だよ。でもあいつが悪いからね……星音は大丈夫だった?」

(うち)は全然。でもあの人追い返せるのってすごいですね、寧々さん」

 由真は火に油を注いでいた気がするけれど、帰ったということはそれを何とか収めることができたのだろう。さすが店主の妹なのか。

「寧々も謝ってはなかったけどね。動かぬ証拠を突きつけて警察に通報するぞって脅してたし」

「強いですね……私はもう思わず謝っちゃいそうになったし」

「私もそんな感じだよ。でもまあ今回は本当にこっちの落ち度じゃなかったからね」

 あんな客はそうそういないから気にしなくていいよ、と或果が笑う。

「ここの喫茶店の仕事は趣味みたいなものだし。そもそもそんなにお客さんも多くないからさ」

「あ、そういえばもうひとつの仕事の話、何も聞いてないんですけど」

「そうなの? まあ最近平和だし、確かに喫茶店の仕事の方先に覚えたほうがいいかなぁ」

 バイトとして雇われたときは人手が足りないと言われたのだが、或果の話を聞く限り充分なような気がする。もしものために、ということなのだろう。それに星音の能力はどちらかといえば後方支援向きだ。

「星音って何系の能力なんだっけ?」

「怪我とか治したり……あとは気力もちょっと回復したり」

「あー確かにそれは必要だわ。治癒系は一人もいないんだよね」

 概要はハルから聞かされている。或果は絵に描いたものを具現化する力で、寧々は人の能力を解析する力。梨杏はこの店の店員の中では唯一の無能力者――いわゆる「ノーマ」だ。

「そういえば、由真さんの力については聞いてないんですけど」

「多分ハルさんも説明できないんじゃないかな……何せ寧々でも解析しきれなかったからさ。とりあえず攻撃系なのはわかるんだけど」

「一番重要な攻撃系の人の力がわかってないのは大丈夫なん……?」

「でも強いよ、由真は」

 喫茶〈アルカイド〉の店員は、梨杏以外の全員が特殊な力を持っている。ある時期から物理法則では説明できない力を持つ子供が多く生まれるようになった。彼らはまとめて能力者(ブルーム)と呼ばれている。けれどその力を悪用したり、上手く扱えずに事件を起こしてしまう能力者は後を絶たなくなった。そのせいで能力者が差別されるようになったのが今の世界だ。〈アルカイド〉の店員たちは、こんな世界で誰に頼まれたわけでもないのにそんな能力絡みの事件を解決している。

「とりあえず、そっちの仕事は呼ばれたら行くって感じかな。基本的には二人以上で行動が鉄則ね。寧々が教育係に由真を指名したってことは、しばらくは由真と一緒かな。由真と一緒なのが一番何やってるかわかるしね」

 この力が何かの役に立てるなら――そう思って星音はここに来たのだ。誰かの怪我を少しだけ治す力が、もし誰かのことを救えるとしたら。そう思ってここに来た。だからこそ気が付いたことはきちんと言わなければならない。星音は意を決して口を開いた。

「あの、さっきのお客さんの彼女さんの方なんやけど――」

「それはこっちがらみの話? それなら寧々と由真にも聞いてもらおっか」

 星音は頷く。もう帰ってしまった客だ。何かできるかどうかはわからない。けれど知らない振りをすることはできないと思った。誰かのために力を使うと決めたのだ。今やらなくていつやるのか。星音は或果の後ろに続いて、寧々と由真が待つ店内に戻った。

 

 

 或果と店内に戻ると、客は誰もいなくなっていた。話はしやすいが、経営状態は少し気になる。由真と寧々は暇なのか、カウンターに並んで座り、ケーキを食べていた。

「あ、星音ちゃん大丈夫だった?」

「大丈夫です。どっちかというとお二人の方が……」

「ま、穏便にお帰りいただいたよ。でもちょっと気になることがあるんだよねぇ」

 寧々の言葉を聞きながら、由真はりんごジュースを飲んでいる。ショートケーキにりんごジュース。星音から見ると甘すぎる組み合わせだ。

「気になること?」

 或果が寧々の隣に座って尋ねる。星音がそれを眺めながらぼんやりと立っていると、由真が「暇だし座りなよ」と自分の隣の椅子をすすめた。

「クソ男の方はいいんだけどさ……あの彼女の方が能力者(ブルーム)だったのよ」

 寧々は見ただけで相手が能力者かどうかわかる。ある程度なら、何にもしていなくても力の解析もできるようだ。

(でもあの子……)

 星音には気がかりなことがあった。あの彼女が明らかに体のどこかを痛めているような動きをしていたからだ。もしかして能力者だからと誰かに暴力を受けているのだろうか。そんな不吉な予感が頭をよぎったが、由真がそれを否定するように低い声で言った。

「……でも、多分周りには隠してる。あの男も知らないんだと思う」

「どんな力だったんですか?」

「色を変える能力……だと思う。緑色の紅茶とか作れるかも」

「それはもう緑茶やん」

 役に立つ能力もあればそうでない力もある。彼女の能力は役には立たないけれど、それほど害にもならないものだ。

「普通にしてれば人を殺せるような力ではないんだけど、制御を失うようなことがあるとやばいな、と思って。何せあんなクソ男が近くにいるからさ」

 散々な言われようだ。寧々は可愛らしい顔でわりとはっきりものを言う。由真は半分ほどになったりんごジュースのストローをくわえたままだった。星音がぼんやりとその光景を眺めていたとき、由真の左耳に金属質の煌めきが見えた。イヤーカフだ。

(なんか結構ごっついやつやな……いかしてるやん)

 そう思いながらも黙っていると、由真が星音の視線に気が付いたのか、首を傾げた。

「どうかした?」

「あ……えっと」

「そういえばさっきも何か言いたそうにしてたけど、もしかしてあの彼女のこと?」

 何もかも見抜かれている。星音はゆっくりと三人に向けて話し始めた。

「多分、どっか怪我してる。何となくだけど……治すには時間がかかりそうな」

「ちょっとした擦り傷とかなら一瞬なんだよね? 治すには時間がかかるのって骨折とか?」

「骨折してたらもうちょいわかりやすくギブスとかつけるやろ」

 治すのに時間がかかるのは、そのまま治りにくい傷ということになる。化膿してしまった傷だとか、深い傷だとか――痣だとか。そこまで考えて、星音は俯いた。

「もしかしたら、DVとかそういうやつかも」

 星音の言葉を聞いた由真の表情が曇る。能力者が差別されている世の中では、酷い場合は暴力を振るわれたりもするが、それは本来逆効果だ。暴力を振るわれた能力者は、耐えかねて能力を暴走させてしまうことがあるのだ。

「でも、あの子が望まない限りこっちは手が出せない」

「そうなんだよなぁ……あのクソ男、やっぱり警察に突き出すべきだったか……星音に対する傷害未遂とかなんかいけそうな気がしたんだけど」

 ただ足を引っ掛けられただけだが、怪我をするかもしれなかったのは事実だ。むしろそうした方が、彼女に暴力振るっている可能性がある男を遠ざけることが出来たのかもしれない。星音は唇を噛んだ。

 

 

 バイトを始めて一ヶ月。喫茶店の方は暇だと思うほど人がいないし、もう一つの仕事は特にないまま時間が過ぎていく。これくらいが平和でいいのかもしれんな、と星音が思い始めた頃、その事件は起こった。

 客がいないのをいいことに星音がこっそり学校の宿題を片付けていると、由真の携帯が鳴った。由真は画面を見て真剣な顔になると、通話ボタンを押してスピーカーホンにして話し始める。相手はこの喫茶店の店主であり、寧々の姉でもある蓮行晴だ。

《エリアA-4で暴走している能力者がいると連絡が入った。先に寧々を向かわせたけど、由真たちも今から向かえる?》

「大丈夫。お客さんいないし。星音も連れてくけどいいよね?」

《星音が回復系だからってくれぐれも無理はしないように》

「いっつも無理なんてしてないけど」

 由真はそれだけ言うと電話を切ってしまった。もうちょっと聞くことあるような気がする――と星音は思った。相手の能力とか、そういう情報は一切聞かず、わかってるのは場所だけだ。

「本当にやばいときは、もうちょっとやばそうに電話してくるから大丈夫だよ」

「やばそうに電話してくるってどんな状態や……」

「そのときは私じゃなくて寧々に連絡してくるね」

 それは由真がろくに話を聞かないからだろうな、と星音は思った。この一ヶ月でそれぞれの人となりはわかってきた。由真は真面目そうに見えてたまに行き当たりばったりで突拍子もない行動に出る。しっかりしているように見えて意外に子供っぽい。

「寧々が先に向かってるらしい。寧々がいるなら能力はわかるから……まあ何とかなるかな」

「いなかったらどうするんですか……」

「そのときにならないとわかんないね」

「行き当たりばったりか! それで怪我したらどうするんや……軽い怪我なら、私の能力ですぐ治せるけど」

「星音の能力って使った後なんか自分に影響はないの? 凄く疲れたりとか」

 軽い怪我なら少しお腹が空く程度だ。しかし大きな怪我を治そうとすると、酷いときは三日くらい動けなくなったことがある。それ以来相手の怪我の程度を見極めて、自分が倒れない程度にだけ治すようになった。そんな話を簡単に説明する。

「……だとしたら、あまり積極的に使わない方がいいかもね。人の怪我を治しすぎて星音が倒れるのは良くない」

「じゃあ由真さん、怪我せんといてくださいね」

 喫茶アルカイドの中で唯一戦闘向きの能力を持つのが由真だ。その分戦闘を必要とする仕事のときは毎回駆り出されてしまうので、生傷が絶えないのだと寧々から聞いていた。けれど完全に治りきってはいないというこれまでの傷を治すことは由真自身にきっぱりと拒否された。おそらく星音の能力の代償を気にしてのことなのだろう。――柊由真とは、そういう人だ。

 

 移動がほぼ徒歩というあたりに地味さを感じながらも、星音たちは問題のエリアA-4にたどり着いた。エリアの中もそれなりに広いので、その暴走している能力者を探さなければならないのだが――おかしい場所はすぐに見つかった。

「空の色が……変わってる?」

「まあ、あんな色の空は見たことないね」

 一部分だけ真っ黒に染まった空。けれど黒の中にときどき赤や緑の色が混じる。一体どんな能力を使えばこんなことができるのか。星音は首を傾げた。

「色変わってるだけならそのままでもいい気もするけど……そうもいかないね」

 その場所に向かって走っていくと、先に寧々が立っていた。寧々は厳しい顔をして色の変わった空間を見ている。空だけではなく、目の前に壁ができているかのように、見えないはずの空気が黒く染まっていた。

「寧々さん!」

「初仕事だね、星音。まあ……必要にならないことを祈るけど」

 黒く染まった空間の中に、時折違う色が見える。一歩先すら見えないはずなのに、その中心には誰かがいるような気がした。星音は目を細めてその向こうを見ようとする。そんな星音を尻目に、由真と寧々が小声で話をしていた。

「……由真」

「聞かないよ。いつも通り」

「うん、わかってる。とりあえず入ったら即死ぬってわけではないから、そこは安心して」

 由真は頷いて、右手を腰の横で広げた。銀色に輝く剣がその掌の上に現れる。それは或果の能力で作られた剣で、由真が闘うためには欠かせない武器だ。その束を握りしめてから、由真は色の変わった空間の中に足を踏み入れる。そこにいる人の能力すらも聞くことはなく、迷いなく歩いていく背中は、すぐに黒い空気に隠されていった。

「寧々さん……大丈夫なんですか」

「由真は聞くと逆に動けなくなる。だから相手の能力がわかっても、由真には言わない。言うときはよっぽど危険なときくらい」

「じゃあ、今回はそこまで……」

「そうだね。基本的には色を変えるだけの力だから、力を食らっても怪我とかはしないよ。……それよりも、今回は」

 寧々がまっすぐ前を見つめる。その空間に由真が入り込んだ影響だろうか、全く見えなかったその中の様子がぼんやりとは見えるようになってきた。

「あの子……」

 黒い空間の中心、つまり能力を暴走させてしまった人――その少女には見覚えがあった。二週間前に喫茶店にやってきて、星音に足を引っ掛けた客の彼女。

「能力の暴走は、強い悲しみや怒りの感情で誘発される。――最悪の展開と言わざるを得ない」

「けど、私らには」

「そう。ただの喫茶店の客と店員である以上、私たちには何もできなかった。でも、そう思わない人もいる」

 寧々はそう言いながら、由真の華奢な背中を見つめていた。気遣うように、祈るように。その視線だけで、「そう思わない」のが誰なのか星音には理解できた。

「……本当はあんまりやらせたくないんだけど……由真にしかできないから」

 由真がしゃがみ込んでいる少女の横に片膝を突く。能力を暴走させているときは理性を失っている場合が多いから近付かないこと。そう教えられてきた。それがこの世界の常識やと言われてきた。しかし由真はその常識を完全に無視して、持っていた剣さえ消して、少女に手を伸ばす。

 その瞬間に少女が目を見開いて、由真の腕を強く掴んだ。掴まれたところから、由真の皮膚が黒く染まっていく。思わず駆け寄ろうとした星音を寧々が優しく制した。

「寧々さん……っ」

「もう少し待ってあげて」

 心配になりながらも、寧々の言う通りに立ち止まる。由真は掴まれている腕には構わず、虚な目をしている少女を抱きしめた。そしてそのままの姿勢で少女の背中に手を添えると、触れているところが淡く白い光を放ち始めた。由真の口が動いて、少女に何かを言っている。けれどその声は星音のいるところまでは届かなかった。やがて白い光の中から赤い宝石のようなものが現れる。それは能力者(ブルーム)にはあって無能力者(ノーマ)にはないもの。(シード)と呼ばれるそれは、本来はどうやっても体内から取り出せないもののはずなのだ。由真がそれをあっさり取り出してしまったことに星音は驚いて目を見開いた。

 暴走した能力者の種からは、黒い霧のようなものが噴き出していた。由真は一瞬悲しそうな目をしてから、それを強く握りしめた。

 黒い空気が一瞬で、透明な、元の姿を取り戻していく。何が起こったのかわからないほど刹那の出来事。星音が呆然としていると、寧々が由真に向かって走り出す。星音も慌ててその後を追った。

「大丈夫?」

「うん、気を失ってるだけだと思う」

「その子もそうだけど、由真は何ともないの?」

「うん。……そんなに抵抗もされなかったし」

 星音は二人のやりとりを黙って見ていることしかできなかった。さっき由真は何をしたのだろうか。種を強く握って、その瞬間に何が起きたのか。事件は解決しても、何がどうしてこうなったのか星音にはわからなかった。

「種がなくなれば能力も消える。由真はそれを取り出して壊すことができる。暴走してしまった場合は普通に戻すのは難しいから、種を壊してしまうことが多いの」

 寧々が星音のために説明を始める。

「じゃあ、由真さんの力って」

「種に関する何らかの力ってこと以外はわからない。それと普段戦闘で使ってるエネルギー波みたいなものがどこから来てるものなのかもわからないのよ」

「ほぼ何もわかってないんですね……」

「あんなに何もわからないのは由真くらい。だから、この力を使わせるのが正しいのかも私にはわからない」

 種を壊されたということは、彼女はもう能力者ではない。本人の気持ちは本人に確認するしかないけれど、人の能力を消すことができる由真の力を求める人は多いのかもしれないと星音は思った。能力者は差別される世の中だ。もし普通の人間になれるならそうしたいという人は多いだろう。

「とりあえず、あの子は店で休ませようか。あと、星音に聞きたいんだけど」

「何ですか?」

「痣とかそういう傷も治せる?」

「……昔の傷とかだと、ちょっと大変かもしれへんけど」

 由真の腕の中で気を失っている少女の服の隙間から、色の変わった皮膚が見えた。星音は自分の勘が当たっていたことを確信する。そしてそこから暴走の理由も自ずと推測できる。由真が唇をかみしめてから、低い声で言った。

「とりあえず、この子に聞いてみないとだけど……店に戻ろうか」

 

 

「能力者なのがバレちゃって……あの人は、能力者なんていなくなればいいって思ってる人だったから、すごく殴られて……」

 強い負の感情は核を暴走させる最もよくある原因だ。なんてことをしてくれたんだ、と星音は密かに思った。そんなに能力者が嫌いなら、殴るのではなくてなかったことにしてくれればどれだけよかったか。

「ていうか何であんなクズ……じゃなくてクソ野郎と付き合っちゃったの? だって殴られてたのは前からでしょ?」

「寧々さん、言い直してもあんま変わってないです」

 寧々も案外口が悪い。けれど気持ちはわかる。星音は少女の体に能力で作った包帯を巻きながらその話を聞いた。

「ずっと、誰にも能力があるってバレないように息を潜めて暮らしてて……だから友達なんて全然できなかったんです。でもあの人は、そんな私に声をかけてくれた。可愛いって言ってくれた。……でも、あの人が嫌な人なのはすぐにわかって、殴られて……でも、捨てられるのが怖くて」

「……あの日、ここに来たのは偶然なの?」

 寧々が尋ねると、少女は力なく首を横に振った。確かに、能力者であることを隠していた少女がこの店に近づくのは変な話だ。しかも彼氏の方は能力者嫌いだったというのに。

「ここに、人の能力を奪える能力を持ってる人がいるって噂を聞いて」

「なるほどね。隙を見て相談しようと思ってたってことか。なのにあんな騒ぎになっちゃったと」

 つくづく余計なことをしてくれたものだ。あの男はハルが手を回して傷害罪で逮捕されたらしいが、あの男が星音に足を引っかけるようなことがなければ、その話をすることもできたかもしれないのに。

「でもごめんね。その依頼は、どっちにしろ受けられなかった」

 寧々が言っているのをよそに、由真さんは食器を拭いている。少女と会話をする気はあまりなさそうだった。でもちゃんと、この子を助けたのは由真なのだと言った方がいいのではないかと星音は思った。

「種を壊すのは暴走してどうしようもなくなっちゃった場合の対処なんだ。簡単に使える力じゃないの」

 結果として能力を失うことになったけれど、あのときはどちらにしろ何もできなかったのだ、と寧々は言った。少女はそれで納得したようで、しばらくしてやってきたハルの車に乗せられて家に帰って行った。

 その後は何事もなかったように喫茶店を営業して、閉店時間になったので店じまいをした。けれどその間も星音はずっと気になっていた。だから休憩室で喫茶店の制服を脱ごうとする由真の腕を思いっきり掴んだ。

「……っ、どうしたの?」

「由真さん、どっか怪我してません?」

「してないよ。今日の仕事はそんなに大変じゃなかったし」

「私、こんな力があるので怪我してる人はわかるんですよ」

 由真は星音の言葉を聞くと、深く溜息を吐いた。そして制服のワイシャツのボタンを外し、左腕の内側を星音に見せる。紙で切ったような浅い傷。けれどうっすらと血が滲んでいた。

「……この怪我、もしかして」

「種を壊したあと、どうしてかはわからないけどどっかに傷が付くんだよね。でも今日はあの子が全然抵抗しなかったから凄く浅いけど」

 星音は由真の傷に手を当てた。このくらいの浅い傷なら治すのは一瞬だ。けれど星音が目を閉じた瞬間に、由真は星音の手を振り払った。

「こんなのすぐに治るから。今日は力使いすぎだよ、星音」

「別に家帰ってご飯一杯食べれば大丈夫です」

「……お人好し。いっつもあんな見ず知らずの子供まで助けてるの?」

「え……?」

 由真は星音に触れられないようにするためなのか、私服の黒いパーカーを目にも留まらぬ早さで着た。そして下は細身の黒いズボン。由真の私服姿をこの一ヶ月間あまり見たことがなかった星音だが、その黒ずくめの格好には何故か見覚えがあった。

「私が、ここに来た日のこと……?」

「別に覗き見てたわけじゃないけど……あんな風に言われたりするのに、ほっとけば治るような傷を治してあげる必要はないんじゃない?」

「……目の前に困ってる人がいて、自分にそれをどうにかする力があるのに、何にもしないっていうのは無理です」

 たとえすぐ治るとわかっていても、治りはしないとわかっていても、どうしても手を出してしまう。そのせいで過去に失敗したこともあるけれど、何もしないで後悔することだけは嫌だった。

「それはいいことだと思うけどね。でも、あの子の傷治すのも大変だったでしょ? 結構な痣だったし」

「一週間くらいかけて治すように設定したので、そんなですよ。お腹は空いてるけど」

「それならいいけど。あんまり無理しないでね」

 由真はそう言って、自分のロッカーを閉めた。休憩室に一人残された星音は、誰もいない空間に向かって呟いた。

「どう考えても、一番無理してる人に言われてもな」

 由真は嘘が下手だ。それが今日一日でよくわかった。あの子を助けられなかったことを一番後悔しているのも、能力の代償としての傷があることも、隠そうとしているのだろうがあまり上手く隠せてはいない。本当は星音のことよりも自分のことを気にするべきなのだ。それなのに。

「――どうすればいいんやろうなぁ、緋彩(ひさ)

 星音は、かつての記憶の中に置いてきた友人の名を呼ぶ。今頃何をしているのだろう。今の星音の生き方を決めた、大切な人。けれどもう会うことはできないのだ。

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