Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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生放送での事件があった次の日、アルカイドを訪ねたのは純夏だった。純夏は寧々に、巷で流行っている「アズール」というドラッグを一網打尽にして欲しいと依頼する。『azure』編スタートです。


azure
1.純夏の依頼


「ここは一般人からの依頼ってのも受け付けてるんだろ?」

調停人(トラブルシューター)だからね。ほとんど便利屋みたいなものだけど」

 本宮緋彩が生放送中に襲撃された事件の次の日、冷やかしの客以外は来ないと思っていた店に、思わぬ来客があった。一条(いちじょう)純夏(すみか)――つい先日、噴水を勝手に占拠して踊るという事件を起こした二人の少女のうちの一人だ。

「今日、衣澄ちゃんは?」

「昨日から手術のために入院してるんだ。調子は良さそうだったから手術は予定通りできると思う。それで、衣澄とは別件で折り入って頼みがあるんだけど」

 純夏は黄乃が淹れたハーブティーを一口飲む。髪の毛を金に染め、体には人に幻を見せるという能力を利用し刺青(タトゥー)を入れ、耳にも口元にもピアスをつけている、いかにも不良然とした格好の彼女だが、その所作は思いの外上品だった。ずっとバレエなどの舞踊を習っていた衣澄の幼馴染ということは、もしかしたら純夏もいいところの令嬢なのかもしれない。寧々はそう推測しながら、自分のために淹れた珈琲を飲んだ。

「私は――まあこんなナリをしてるからわかると思うけど、不良っていうか、カラーギャングっていうのか? あの辺の奴らとも付き合いがあるんだけど」

「IWGPの世界ね……」

「あいだぶりゅーじーぴー? 何だそれは?」

 わからないことを聞き返すときに、発音が平仮名になってしまうところは由真にも似ているかもしれない。寧々は「こっちの話だから気にしないで」と言い、珈琲をまた一口飲んだ。ちなみにIWGPとは『池袋ウエストゲートパーク』という作品の略称で、その中にカラーギャングが登場するのだ。ネタが百年単位で古いことは寧々自身も理解している。

「カラーギャングは能力者多いしね。戦ったこともあるけど……ただ騒いでるだけなら私たちはあまり干渉しないかな。どちらかというと警察の仕事になるけど」

「あいつら、やってることは大したことないからな。だけど最近、あいつらの間で良くないものが流行ってるみたいなんだ」

「良くないもの……薬とか?」

「勘がいいな。私が付き合いのある奴らは薬は絶対ダメだっていう鉄の掟があったはずなんだが……それでも広がり始めている」

 話を聞く限り、純夏はどこかのグループに所属しているわけではなく、色々なところに出入りしていたらしい。そして出入りする場所も純夏自身の基準でしっかり選んでいた。その中にはおそらく薬の類が禁じられている、というのもあるのだろう。不良には不良なりの論理と美学がある。純夏はそれをしっかりと持っている人間だ。

「『アズール』って名前の薬らしいんだけど、何か知ってるか?」

「聞いたことはないかな……情報は集めているはずなんだけど」

「その薬がとにかく変なんだ。いきなり出てきて他の薬を駆逐する勢いで広がって……どうやら青色の錠剤らしいんだけど。それを奥歯で噛み砕くと、気分が良くなったり、少々幻覚が見えたりするのは他の薬と大差ないんだが、どうも能力も強くなるらしいんだ」

「……それはなかなか、笑えない効果ね」

 能力が強くなることは良いことばかりではない。むしろ効率的に使えるようになる以外で能力が強くなってしまうことは、暴走状態に近付いていることを意味する。その薬に本当に純夏の言う効果があるのならば、はっきりと危険な薬だと言うことができた。

「実際、それまで大したことはできなかったような能力者でも、チーム内の力関係をひっくり返せるほどの能力を得ているのを見た。それで気が大きくなってこれまで以上に暴力沙汰が増えている。それに何といっても離脱症状が酷い」

「離脱症状……薬にはつきものね」

「能力は元通りになるだけなんだが、反動で酷く気分が落ち込んだり、悪夢のようなものを見たり、凶暴性が増したり……薬を使っているときよりも、それが抜けつつあるときの方が事件を起こす確率は高いな。かといって薬を飲み続けるとだんだん心身共に崩壊していく。――昨日も中毒者(ジャンキー)が一人自殺未遂を起こしたらしくてね」

「……警察は基本、能力者の自滅を望んでいるってところか。要するに、その薬を一網打尽にして欲しいってことね?」

 純夏は頷いた。寧々は珈琲に砂糖を一杯追加してから思案する。純夏の依頼を受けられるかどうか。本宮緋彩の関係で割ける人材は限られている。純夏の話ではかなり大がかりな事件になりそうだ。危険も大きい。悠子や松木といった警察の人間の手を借りても解決することができるかどうかはわからなかった。

「正直な話、戦闘に特化した私たちには難しい仕事ではあるのよ。ただただ薬を没収すればいいって話でもないし。そういうのは出処を叩かないと結局いたちごっこになるから。でも、協力はしたいと思う。だから――報酬は成功したら後払いってことでどうかしら?」

「手付金くらいは支払ってもいいけど」

「じゃあ……ご一緒にスイーツはいかがですか?」

「そんなに安くていいのか? それなら遠慮なく――この、新作のルビーチョコレートケーキってやつを」

 寧々は純夏に一礼して、カウンターの奥のキッチンに向かう。ケーキの類は前日の夜から仕込んだものを冷蔵庫で冷やしてある。或果が開発した春の新作メニューであるルビーチョコレートケーキは、由真が淹れる珈琲によく合うと評判だった。

「純夏。依頼はこのケーキで承るけど……条件があるの」

「条件?」

「あなたはこの件から手を引いた方がいい。何かあったら衣澄ちゃんが悲しむから」

「……足を突っ込んでいるつもりはないんだけどな」

 寧々は首を横に振った。本人にそのつもりがないなら重傷だ。そして寧々は純夏の言葉で逆に確信を持ってしまった。

「どうしても気になっちゃうタイプでしょ、あなた」

「それは……否定はできない」

「そういうところ、由真に少し似てる。解決のためにはどうしても数人は見逃して泳がせなきゃいけなくなると思う。それを了承して欲しいの」

 純夏は少し逡巡しているようだった。大きめの十字架のチャームがついたチョーカーを右手の人差し指で引っ張りながら俯いている。寧々は純夏のことをじっと見つめていた。能力波は安定している。人に幻覚を見せる能力だが、それを利用して刺青を入れているように見せかけることができるほどには能力を制御できてるタイプだ。摂取カロリーを使って能力を発動させるところは、アルカイドのメンバーでは星音に近い。常時能力を使うことで体型を維持しているのかもしれないと思わせるほど細身だが、ある程度荒事には慣れていると推測できる程度にはしなやかな筋肉がついている。だからこそ彼女が介入してしまうと寧々の作戦が崩れかねない。

「……わかった。解決するためにそれがどうしても必要だと言うなら」

「よかった。比較的物わかりのいい方で」

「物わかりが悪い奴がいるみたいな言い方だな?」

「一人の犠牲も許せないような奴がいるのよ。そういえばまだ会ったことはないね」

 純夏たちと初めて会ったときは、由真が星音を誘って海に行っていて、結果的に寧々と黄乃が出動することになった。そしてたまたま由真が店にいないときに純夏は店にやってきた。由真とはまだ顔を合わせていないのだ。

「あの子だろ。昨日の生放送の」

「音楽番組なんて見るのね、あなた」

「ああ、衣澄の趣味でな。あいつは踊り全般が好きだから、ああいった番組に出ているダンサーも気になるらしい。それで私も見る習慣がついたんだが――」

 衣澄への愛情の深さはさすがだと言える。純夏はフォークで切り分けたルビーチョコレートケーキを一口食べてから続けた。

「ああいうタイプ、私の周りには意外にいるけどな」

「不良って義理堅かったりするものね。あなたもそうだけど」

「私は私が居心地のいい場所を守りたいだけなんだが。でも介入はしないよ。だけど――犠牲はできるだけ少なくしてくれ」

「努力はする、としか言いようがないわね」

 出処を叩くためには何人かは薬の使用を認めながらも泳がせなければならない。その間に泳がせている人間が犠牲になってしまうことには目をつぶる必要がある。冷たいようだが、それが自体を最も早く収束させ、犠牲者を減らす方法になってしまうのだ。けれどこのやり方を由真はあまり好まない。五人を助けるためにポイントを切り替えれば、その先にいる一人のことが気になってしまう。それだけならまだいいけれど、彼女はそのときに自分がトロッコの下敷きになってでもその一人を守ろうとしてしまうのだ。

「ある意味誠実な答えで安心するよ。ここで『任せろ』という輩は信用できない」

「正直であることは心がけてるのよ。じゃないと私は嘘ばかりになってしまうから」

「食えない女だな」

 純夏はルビーチョコレートケーキを全て平らげ、珈琲も飲み干して立ち上がった。机の上に置かれた紙幣を見て、寧々は笑みを浮かべた。

「随分とアナログね。現金主義なんて」

「電子マネーは記録(ログ)が残るだろう? これが不良の流儀だ。釣りはいらないから」

「紙幣にも番号が振ってあるから、突き止めようと思えば突き止められるわよ? まあ電子マネーよりは難しいでしょうけど」

「不良の見得(ポーズ)だからそういう野暮なツッコミはよしてくれ」

 自分で見得だと言ってしまうあたりが純夏らしい、と寧々は思った。人差し指と中指で紙幣を挟み、店を出て行く純夏を見送った。

「さて……」

 寧々はレジに紙幣をしまってから、カウンターの奥で緊張した顔をしている少年――黄乃に向き合った。純夏の話が深刻なものだと察してから、彼には静かに待っているように言っておいたのだ。

「どれくらい聞こえてたかはわからないけど、純夏がここに来たことから全部、由真には黙っていられるかしら?」

「た、多分大丈夫です!」

 黄乃はおそらく寧々の言うことを素直に実行しようとするだろう。けれど由真は由真で洞察力が高い方だ。隠し事や嘘を、僅かな違和感から見抜いてしまうこともある。ましてや黄乃は由真に迫られたら襤褸を出してしまいそうだ。黄乃だけではない。由真に睨まれて、彼女を攻撃する以外でそれを躱せる人間はそれほど多くはない。

「まあ、幸いなことに由真は暫く近信だから――その間にある程度事を進めることになるわね」

「あの……具体的にはどんなことを?」

「まずは取引現場を見つけて、売人に発信機(マーカー)とかつけて泳がせるところからかな……大丈夫。最初のところは黄乃じゃなくて、他に任せるから」

 黄乃もベネトナシュを使用した戦闘には慣れてきたが、戦略的な動きにはまだ難がある。そしてアルカイドでは、由真が関与しない汚れ仕事を積極的に引き受けているメンバーがいる。

「他って……?」

「ハル姉特製の発信機は、その人に近付かなくても遠くから打ち込むことができる。けど、うちにそんな狙撃手みたいなことができる人は一人しかいない」

 

 

「調子はどう?」

「ちゃんと調整してきたから大丈夫。体のどこかに刺さればいいんでしょ?」

 喫茶店の仕事を終えてから現場にやってきた梨杏は、寧々が用意していた狙撃ポイントをひとつひとつ確認してから、床に寝そべるようにしてエアライフルを構えた。撃っても発射されるのは発信機付きの針だ。刺さったところで蚊に刺されたくらいの痛みしかない。

「これ使うの久しぶりだから、どうかなと思って。でも心配いらないみたいね」

「これが一番得意だし。格闘技も色々やったけど、結局適性があったのは的を狙う系のやつだった」

 由真が行方不明になっていた数年間、梨杏は体を鍛えることに精を出していた。その中でも特に弓道とライフル射撃の才能があったらしく、大会に出ればそれなりに上位に食い込めるだろうと言われている。しかし梨杏の目的は大会で勝つことではない。梨杏はかつて由真を守れなかったことをずっと悔いていて、それが彼女の強さに繋がっているのだ。

「このライフル、確かに競技用のとは全然違うけど……撃つ感覚は思い出せばいいだけだから」

「頼もしいよ。じゃあタイミングと対象は指示するから。しばらくは待機で」

 狙撃ポイントに梨杏を残し、寧々は取引現場の近くの物陰に移動する。今日は売人の一人に発信機を埋め込むことが目的だ。ハルが掴んだ取引の情報を頼りに、対象が現れるのを息を潜めて待つ。

「そういえば今日、由真は?」

 インカムを通して梨杏に話しかける。最近この仕事にかかりきりだったために、由真のことは梨杏に任せていたのだ。由真が個人的に本宮緋彩を警護していることは把握している。確かにそちらも気に掛かるが、由真にも思うところがあってそんな行動を取っていることはわかっている。由真が気にしているのは、せっかく再会したというのに気まずい関係になってしまった星音と緋彩のことだ。

『今日も緋彩ちゃんのところに行ってるみたいだから、それを星音に教えておいた。ていうか、「星音が緋彩と話したいようなら教えてあげて」とは言われてたんだよね』

「話したくないわけはないわね。てか由真は半分ぐらい自分のせいだって理解してんのかな?」

『ちょっとは反省してるんじゃない? いい加減、無茶をすればそれを心配する人間が沢山いるんだって気付いてほしいものだけど』

 寧々は小さく笑みを零した。その沢山の人間の中には寧々も梨杏も含まれている。由真は周りの人間に漏れなく好かれていて、これまで助けた人間の中にも由真を想う人たちも大勢いる。気が付いていないのは本人だけだ。

「どうにかならないかね、あの自己犠牲野郎」

『そう簡単にはどうにかならないとは思うけどね。でも――星音と黄乃が入ってきてから、少なくとも怪我を隠すことは減ったかなって気はするけど』

「あれ、星音が絶対に気付くからでしょ」

『それでも、それは私たちにはできなかったことだよ』

 隠しても星音に気付かれてしまうからなのか、治療を嫌がることはあっても傷を隠すことは確かに減った。そして軽い仕事ならば黄乃に全てを任せて休むこともするようになった。それがたとえ黄乃を戦闘に慣れさせるためという目的の下の行動であったとしても、由真の中に起きた確かな変化だ。

「まあ悔しいけど、そうなるね。私たちのこの数年の苦労は一体……って気もするけど」

『何言ってんの。最初に由真を助けたのは寧々でしょ?』

「それを言うなら梨杏でしょ。私は――戦いの中に放り込んでしまったし」

 由真が普通に生活できるように手を尽くしたのは事実だが、その中で由真が傷ついてしまうような道を選ばせたのもまた動かしようのない事実だった。そんな自分が今更何を言っても遅いのだということはわかっている。それでも戦いの道から解放されてほしいと願ってしまうのだ。

「――そろそろ来るかも」

 微弱な能力波を感じ、寧々は梨杏との会話を打ち切った。今は目の前のことに集中すべきときだ。由真に気付かれないうちに、敵が誰なのかをはっきりさせておきたい。叩くべきところがわかるまでは泳がせるしかないが、由真はそれを嫌がるだろうから。

 足音が近付いて来る。寧々と同じくらいの年頃の少女だ。売人の方か、それとも購入者の方か。手がかりを掴むために寧々は左目を一旦手で覆い、すぐにそれを外して少女を見た。

(暴走とは違う。けど何かが――)

 更に目を凝らす。普通の能力者であれば種があるあたりに赤い光がうっすらと見えて、それを左目でよく見ることで能力の解析が可能になる。暴走している能力者は赤い光に黒が混じって見え、種に罅が入った状態は赤い光が明滅して見える。けれど少女の場合はそのどれとも違っていた。赤い光の中心に青色に輝く別のものがある。その正体を掴もうと再び左目を覆う。そしてその手をどけた瞬間に、寧々の脳を埋め尽くすように見たことのない光景が広がった。

「……っ!」

 無数の蝶の乱舞のように襲ってくるのは花吹雪だ。けれどその色は薄紅色や白ではない。目が醒めるような青色――寧々は思わず腕で両目を覆った。

『寧々? どうかした?』

「大丈夫。ちょっと深入りしすぎた……ちょっと予想してたよりやばい薬かも」

『厳しそうなら離脱する?』

「いや、この程度ならまだいける。今日は戦闘するわけじゃないし。とりあえず今来た子は売人ではなさそう」

 調べてみないことには確信は持てないが、薬は種を侵蝕する効果を持っているのだろう。青の光が何を意味するかは定義できていないが、それがやがて種を覆うほどに成長していくのだろうということはわかる。

「……また誰か来る」

 寧々は息を潜めて、もう一人が近付いて来るのを待った。けれどその姿を見ることはできない。代わりに、その能力波の光がそこにある人物がいることを寧々に示している。

(手を引けって言ったんだけどなぁ……)

 姿を消しているあたりは、寧々の言うことを守ろうとしているのかもしれない。見えなければそこにいたことにはならないからだ。来てしまったものを追い返すようなことをすればかえって存在に気付かれてしまう。ここは静観するしかないだろう。

 それから数分後。今度は二人の男がやってきた。この男たちが今回の本命だ。けれど実際に取引するところまでは押さえたい。寧々は少女が男たちに話しかける様子をじっと見つめていた。このまま取引が成立したところで――と寧々が思っていると、売人の男と少女が揉め始めた。

「この前はこれでいいって言ったろ!?」

「最近これを求める奴が増えててねぇ。価格が高騰してんだよ。金がねぇって言うなら取引はなしだぜ?」

 男たちはそう言って去っていこうとする。けれど少女は男の一人に追い縋った。

「頼む、それがないともう……!」

「でも金がないやつに売るわけにはいかねぇ。商売ってのは同じ価値を持つものを交換する行為なんだ。まあお前が俺たちに協力して金を稼いでくれるって言うなら考えてやらんこともないが。そこそこキレイな顔してるしそれなりに稼げるだろ」

「稼ぐって……」

「薬でラリってバカになってんのか? ここまで言えばわかるだろ? その体を使えって言ってんだよ」

 寧々は逡巡する。このまま放置すればこの少女は別の犯罪に巻き込まれることになる。多少の犠牲は仕方がないと割り切るつもりだったが、いざとなると迷いが生じてしまう。

「――梨杏。左の、女の子と喋ってない方の男に」

『了解。もう一人はいいの?』

「とりあえず一人確保できれば。――私は先にもう一人をちょっと締めてくる」

『え、ちょっと寧々!? 手は出さないんじゃなかったの?』

「予定変更。顔は見られないようにするから」

 マスクをして、フードを深くかぶる。少女を逃がす程度の時間が稼げればいい。寧々は梨杏に合図を出してから、少女と揉めている男に向かって走り出した。けれど寧々がそこにたどり着く前に男が吹き飛ばされた。男たちには見えていないが、純夏が姿を消したまま男に回し蹴りを決めたのだ。姿を現した純夏に少女が驚きの声を上げる。

「純夏さん……!」

「今のうちに逃げな。話はあとだ」

「でも、私あれがないと……!」

「目を覚ませ。お前自分が何してるのかわかってんのか?」

 純夏は容赦なく少女を殴り飛ばす。聞き分けはいい方だというのは寧々の見込み違いだったかもしれない。ひょっとしたら由真よりも聞き分けが悪いし、なおかつ暴力的だ。

『どうする、寧々? 一応両方撃ったから目的は達成したけど』

 狙撃ポイントから様子をうかがっていた梨杏から通信が入る。寧々は溜息を吐いた。

「閃光弾は持ってきてる?」

『二発分は』

「合図したら撃って。とにかくあの二人をここから遠ざけることを優先する」

 周りの状況そっちのけで喧嘩を始めそうな二人に近づき、寧々は少女の方を担ぎ上げた。

「話はあと。逃げるよ!」

 合図とともに背後で破裂音が響く。梨杏の存在には気付かれていないから、これは完全に不意打ちだろう。その間に寧々は梨杏のいる建物とは違う建物に駆け込んだ。その瞬間にポケットに入れた携帯電話が振動する。

「ああもう、何なのよあっちもこっちも!」

 電話の相手は星音だ。寧々は一呼吸で息を整えてから電話に出た。

「もしもし。どうかした?」

 聞こえてきたのは想像よりも悪い状況だった。生放送の襲撃事件以降、由真の行動と主犯が逮捕されたことにより本宮緋彩に対する嫌がらせ等は少し収まっていたように見えていたが、逆にそれが火をつけてしまったのか、大勢の能力者が集まって襲撃するという事態に発展してしまったらしい。由真が一人では対応できないから寧々と悠子に連絡しろと言うからには、それなりに危ない状況だと考えていい。

「わかった。できるだけ急いで向かう」

 電話を切ると、純夏が心配そうな顔をして寧々を見ていた。寧々は息を吐き出す。

「何かあったのか?」

「まあね。そっちこそ、手を引けって言ったよね?」

「悪い。だがそいつは……私の友達なんだ」

「さっき思いっきり殴ってた気がするんだけど……」

 おそらく純夏は衣澄のことは殴ったりはしないだろう。やはり不良同士だからなのだろうか。寧々は床に下ろした少女の腫れた頬を横目で見た。

「とりあえず二人の問題は二人でなんとかしてほしいんだけど、少なくとも薬はもう使わないほうがいい。まだ定義はできてないけど……薬を使い続けていたら元々の種が駄目になる。ストラングラーツリーみたいに、絡みつかれた中のものは死んでしまう」

「……っ、だから薬は駄目だって決まってたろ! どうして……!」

 少女に掴みかかろうとする純夏を、寧々は軽く手で制した。

「もう使っちゃったものを責めたって意味がない。この件は私達が必ず解決する。けれど――この前来てた杉山と松木って刑事がいたでしょ? 彼女たちにはその子を連れて相談しに行った方がいい。今から梨杏っていう、私たちの仲間がここに来るから、彼女の手を借りて」

 純夏は頷く。放っておけば二人がまた喧嘩を始めるかもしれないと思ったが、そこは梨杏に任せておこう。純夏の能力は強力だが攻撃力は低い。梨杏でも十分対応できる。寧々は建物から出て、丁度向かってきていた梨杏に目配せをしてから走り出した。

(何もなければいいけど……由真……)

 由真の能力は一対多数の戦闘には向いていない。能力波を感知する寧々がいればそれでも戦えるが、それができないときは不利な状況に追い込まれることも多い。寧々は間に合うことを祈りながら走り続けた。

 

 

「……遅い」

「しょうがないでしょ? 他の仕事してたのよ……」

 寧々の姿を見るなり、由真が低い声で言った。これでも途中でハルの車を捕まえて可能な限り最速で到着したのだ。梨杏はその間に警察に向かって、悠子がこちらの現場に来ていていなかったために、彼女の部下である松木に話をしたという。ひとまずそちらの仕事はこれで片付いた。問題は目の前の状況だ。

 由真は黙って寧々の腕を引く。その手が僅かに震えていることに気がついて、寧々ははっと目を見開いた。由真がこんな状態になるときは大抵自分自身ではなく、他人に何かがあったときだ。寧々は由真を安心させるようにその手を撫でる。

「……これは」

 由真に無言で促され、寧々は星音に目を向けた。星音は種がかなり大きい能力者だ。その分力は安定している。けれどその強い赤い光が僅かに明滅して見えた。寧々は悠子に状況の説明を求めた。悠子は淡々と先程起きた事態を寧々に告げる。

「この前言ってたやつか……」

 機動隊の使っている特殊光線が普通のものとは違う、と由真から言われたのはつい先日のことだ。星音はそのことを知らないはずだが、特殊光線が由真にとって害のあるものだということは知っている。だから庇ったのだろう。結果だけを見れば、星音でよかったとしか言いようがない状況だ。

「普通の特殊光線は種の生命活動を一時的に止めてるけど、これは明らかに違うコンセプトで作られてる」

「違うコンセプト?」

 悠子が尋ねる。彼女も警察の人間のはずだが、おそらく何も知らされてはいないのだろう。

「これは体内で種を割ろうとしてる。壊してしまえば能力を使えなくなるから、どっちにしろ同じだって考えたのかもしれないけど……」

「つまり由真がやってるのと同じってこと?」

 悠子が尋ねると、由真は首を横に振る。種を壊しているのは同じだ。けれど問題はその場所だ。

「私は出してから壊してる。中で壊しちゃダメなの。……寧々、星音の状態は?」

「由真の方が直接見てるんだから正確だと思うけど」

 由真は種を取り出して直接見ることができる。能力の解析や定義ができるわけではないが、種の状態を見るだけなら、由真の方が寧々よりも正確に把握できるはずだ。

「……自信が持てなくて」

 由真はそう言って俯く。その目で、今すぐに命の危険があるわけではないということはわかったのだろう。それでも自分のその判断を信じきることができない。もしものことを考えてしまう。寧々は由真を安心させるために、柔らかな笑みを浮かべた。

「星音は種がかなり大きくて余裕があるタイプだから、表面にちょっと傷がついたくらいね。よっぽど無理をしなければ割れるってことはないと思う」

 由真が安堵の溜息を漏らす。けれどその顔は暗いままだ。悠子が由真の肩にそっと手を添えた。悠子も由真の性格は知っている。自分の身は簡単に投げ出すくせに、自分の周りの人間が傷ついていくことを酷く恐れている。おそらくは「星音が自分を庇わなければ」などと考えているのだろう。

「種が体の中で割れるとどうなるの?」

 悠子が寧々に尋ねる。寧々は由真の手を軽く握ってから答えた。

「大体の人は死ぬわね。種って、中に膨大なエネルギーを閉じ込めてあるものなのよ。それが漏れ出してくるのがいわゆる暴走状態。でも暴走が進行しても大体種が割れる前に人間の体の方が耐えられなくなって死んでしまうんだけど、稀にそれを耐え切って、種が割れるまで進行してしまうことがあって……そうなっても大体そこで死んでしまうけど、それでも生きているほど強靭な人間だった場合は、誰よりも強い能力を持つことになる。でもその段階で理性が残ってるほどの人ってのは私の知る限りではいない」

「えーと……要するに、本当は暴走の果てにそうなる現象を、間をすっ飛ばして起こそうとしてるってこと? 死ぬ確率が高いのに?」

「おそらくは。生き残る人が1%に満たないと考えると、99%の能力者を簡単に殺すことができる武器ってことになる」

「いやいやそんな……いくら能力者だからって警察が市民を殺そうとするなんて……!」

「杉山さんは純粋すぎるんだよ……人間は意外に悪意を持ってるもんだよ」

 寧々が言うと、誰もが黙り込んでしまった。悠子は良くも悪くも善良だ。本当に警察官なのかと思うくらい人の善意を信じてしまうし、嘘も苦手だ。だからこそ信じられる人ではあるが、これから彼女も否応なく人の悪意に晒されていくことになるだろう。

 今、寧々が知っている全てをここで言うことはできない。この状態で言えるはずがない。機動隊が使う特殊光線が無能力者(ノーマ)の悪意ならば、寧々が先程目にしたのは能力者(ブルーム)の悪意だ。

 『アズール』という薬は能力者が作ったものだ。純夏の友人だというあの少女から、僅かに他人の能力の残滓を感じた。それは少女が摂取した薬が何らかの能力を使用して作られたものだということを示している。

(もう少し情報を掴むまで、由真には――)

 由真は他人の悪意には慣れていると言う。けれどそれは慣れていると言い聞かせているだけだ。本当は繊細で透明な心を持っているのに、他人のために易々とそれを擦り減らしていくことを選んでしまう。まるでそうしなければ許されないのだと、自らを罰しているように。

 由真はまだ気を失っている星音のことを心配そうに見つめていた。戦えば戦うほどに、助けられなかった人は増えていく。それなのにその道に由真を進ませてしまった罪を寧々は一人、噛み締めていた。

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