スノーフレークの花束を
*
「――ここに来てもらったのは他でもない、由真のことなんだけど」
寧々に怪しげな喫茶店に呼び出された星音は、その言葉にごくりと唾を呑み込んだ。大事な話があるとメールで呼び出されて、その話は由真のこと。もしかして何か重大な事件でもあったのか――そう思いながら、星音は神妙な顔をした寧々を見つめる。
「これは大事な話よ。くれぐれも内密にね」
「わかってます。それで……」
「四月十六日にね――」
寧々は顔の前で手を組み、口元を隠しながら言う。どんな話なのか。星音は最悪のシナリオすら覚悟しながら寧々の言葉を待った。
「由真の誕生日があるんだけど」
「……誕生日?」
「誕生日っていうのはその人が生まれた日のことなんだけど」
「いや誕生日は知っとるわ! どこの世界に誕生日を知らない高校生がおんねん!」
思わず立ち上がってツッコミを入れてしまった星音は、体の力を抜くようにして座り直した。寧々は腹を抱えて笑っている。どうやらこの怪しい場所も、深刻な話のような口調も、全て寧々のおふざけだったようだ。
「いやぁ、由真とかかなり世間知らずだし、もしかして誕生日という概念を知らない人もいるかもと思って」
「さすがにあの人も誕生日は知っとるやろ……狼に育てられたとか生まれたときから檻の中に入れられたとかじゃないんだから」
「ま、それもそうだね。それで由真の誕生日のことなんだけど……今年はサプライズでパーティーをしたいと思いまして」
「なるほど」
「具体的にはパイ投げとか」
「何でそんな芸人のパーティーみたいな発想やねん!」
「まあそれは冗談だけど。ただアルカイドで準備するのは難しいから、別の場所を借りてまして」
由真がずっと店にいるので、バレないように準備するのは難しいらしい。寧々は鞄から小型のタブレットを出して、机の上に置いた。
「プール付きの一軒家を前日から貸し切ったの。当日のシフトは店にいるのが由真と星音と梨杏で、ここで準備をするのが私と黄乃と或果ってことにしたから」
「なるほど……」
「で、由真をここに連れてくるために、虚偽の事件を起こします。星音は出動とみせかけて由真をここに連れてくるのが仕事」
「そういうことか! それならお安い御用やで」
要するにバレないように事件を装って由真を連れていけばいいということだ。星音は気合を込めて拳を握り締め、それを寧々と軽くぶつけ合った。
*
「もうちょっとしたら連絡来るよね、寧々から」
「せやな……しかし由真さん、誕生日やっちゅうのに全然ソワソワしてへんな」
「……あいつまだ自分の誕生日嫌いなんだろうな」
梨杏が頬杖を突きながら呟く。星音は首を傾げた。
「今日って何かの日でしたっけ? よんいちろくだから……シールの日とか?」
「そういうんじゃなくてね……そういや星音って、いつ能力者だってわかったの?」
「私は両親も祖父母も全員能力者なんで、生まれた段階でほぼ確で能力者やろって思われてて……自分の能力がわかったのは、保育園のとき偶然やったかな」
寧々のような常時発動型の能力でなければ、発動条件が揃わずに能力がいつまでも出現しない人というのも存在する。けれど学校に通っている人なら、小学一年生のときに全員が種の有無を検査することになっているために、そこで能力者だとわかる例もある。
「由真はね、自分の誕生日に自分が能力者だって初めて知ったんだよ」
「じゃあ親御さんとかは……」
「由真の両親は無能力者だし、お兄さんもそう。祖父母の代まで遡っても能力者がいない」
「めちゃくちゃ珍しいパターンやないですか……」
梨杏は頷いた。その目は店内の掃除に精を出す由真に向けられている。憂いを帯びていて、けれど優しい視線だった。
「まあ、今はどう思ってるのか……あの頃とは違うかもしれないけどね」
暫くすると、梨杏の視線に気が付いたらしい由真が布巾を片手に戻ってくる。
「何かあった?」
「いや、むかし由真と幽霊屋敷に忍び込んで遊んだなぁと思って」
「何で急にそんなこと……でもあそこ、取り壊されたんでしょ?」
「うん。由真がいなくなった二ヶ月後くらいに」
星音は二人の話を聞いていないふりをしながらも、耳はしっかりそちらに向いていた。二人の間には、幼馴染だけあって星音にはわからない空気感がある。事件の内容によっては梨杏と由真が対応に出るときもあるが、梨杏は無能力者でありながらも強く、由真との息も合っている。
「幽霊屋敷か、懐かしいな」
「……ビビってたくせに、由真」
「な……っ!? 梨杏だって私にしがみついてたじゃん最初!」
じゃあ何で行ったんだよ、と星音は心の中でツッコんだ。二人の話を聞きながら時計を見る。そろそろ寧々から連絡が来る時間だ。どうしても避難訓練を待っているときのように気持ちが浮ついてしまう。
まだかまだかと待っていると、星音の携帯電話が鳴った。ようやくだ。星音は出来るだけいつもと変わらない調子で電話を取る。
『エリアはE-5で、地図はもう星音の携帯に送ったから。とりあえず能力者たちが乱痴気騒ぎしてることにしてといて』
「了解です。すぐ向かいます」
乱痴気騒ぎって、あまりに適当すぎないかと思いながら星音は電話を切った。由真はまだ梨杏と幽霊屋敷の話で盛り上がっている。けれど星根が視線を向けるとすぐに二人は話を切り上げた。
「じゃあ行こうか、星音」
「詳細はいいんですか?」
「行けばわかるでしょ」
由真はいつも現場の詳細を聞かない。だから嘘の事件を用意する必要があるのかどうかもわからなかった。乱痴気騒ぎなんていう適当すぎる嘘を言わずに済んだことに安堵した星音は、普段通りに店の裏手に停めたバイクに跨った。
「場所は……E-5の端っこあたりやな」
「E-5の端っこ?」
「ここらしいけど、どうかしました?」
「いや……なんでもない」
E地区は治安が良く、そこに出向く機会はあまり多くない。違和感を抱かれてしまっただろうか。不安になりながらも、星音はバイクを走らせ始める。どちらにせよ、目的地にたどり着いてしまえばこっちのものだ。
寧々が指定した場所に到着するまで、由真は何も言わなかった。星音は近くのガレージにバイクを停める。真っ白な、洒落た建物。どうやらどこかの不動産屋がレンタルスペースとして貸し出している場所らしい。先にバイクから降りていた由真は、ぼんやりとその建物を眺めていた。
「由真さん?」
「……ここ、昔来たことある」
「え?」
「そのときはこんな綺麗な建物じゃなくて、幽霊屋敷だったけど」
もしかして梨杏が言っていた幽霊屋敷のことだろうか。どうしてよりによってその場所を選んだのか。星音は由真に気付かれないように、わざとおどけて言った。
「じゃあ幽霊おるかもしれんな」
「えっ、私幽霊とかダメなんだけど」
「なんもして来ない幽霊より現実の人間の方が危ないやろ……行くで」
幽霊がいないことはわかっている。おそらくは建物が取り壊される寸前でとても古かったから幽霊屋敷の噂が出たとか、そういう類だろう。もしくは誰かの能力が残ってしまって、それが悪さをしているか。星音は由真を引き連れて、真っ白な建物の中に入っていった。
「何か人の気配全然ないんだけど……本当にここで合ってる?」
「寧々さんが間違ってなければ」
由真は既に剣を構えている。由真を驚かせて斬られなければいいけれど、と星音は余計な心配をした。
「……やだなぁ、本当に幽霊出てきそう」
「大丈夫やって……」
「梨杏と行ったとき、本当に幽霊いたんだからねここ!」
「え、まじでいたんや……」
「うん。ちょうどこんな感じの火の玉が――ってまだいるじゃん幽霊!」
由真が何を思ったのか、目の前の青白い火の玉を剣で切り裂く。火の玉はその剣筋で二つに分かれて、そのまま由真と星音のいる方に向かってきた。動きが遅いので簡単に避けられるけれど、倒し方はまるでわからない。何度か避けているうちに、二つに分かれていた炎がまた一つになった。
「分裂するなんて聞いてないんだけど!?」
「てかこれ何なん!? マジで幽霊?」
「いや……斬った感じは多分誰かの能力なんだけど……その人はいなくなったのに、能力だけ残ってしまったパターンかな……種がないからわりとどうにもできないんだよね……」
「えっ、じゃあどうするんですかこれ……」
もうサプライズパーティーどころではなくなってきた。由真はしばらく思案した末に、星音に尋ねた。
「なんかいらない瓶とか箱とかない?」
「えっと……あ、洗ったばっかりのタンブラーなら!」
「……まあとりあえずそれでいいや」
由真は星音の手からタンブラーを受け取ると、それで宙に浮いたままの火の玉を捕まえて蓋を閉めた。星音は唖然としながらもそのタンブラーを受け取る。
「人のタンブラーでなんてことを……」
「店に帰ったら別の容器に移し替えるから……こういうの、特に害はないけどどうしようもないから持って帰るしかないんだよ」
「最悪店の明かりにも使えるかもしれんしな」
幽霊ではなく能力だとわかった途端にあっさりと対処されてしまった。幽霊よりも襲ってくる現実の人間の方が怖いと思うのだが、という言葉を飲み込み、星音は周囲を見回した。本来の目的は違うはずなのだが、一体ここからどうすればいいのだろう。そう思っていると、頭上から声が聞こえた。
『――ご苦労であった、諸君』
デスゲームの主催のような怪しさを出そうとしているのかもしれないが、声で寧々だとわかってしまう。思わずツッコミを入れてしまいたくなったが、星音はそれをぐっと堪えて寧々の言葉の続きを待った。しかし言葉は発されず、代わりに床に奥の部屋へと続く矢印が表示された。プロジェクションマッピングだ。やたら手が込んでいる。
「とりあえずこれに従って行けばいいのかな?」
「みたいですね」
「ていうか、寧々は何を考えてるんだ……」
自分の誕生日だということには気が付いていないんだろうか。それとも気が付いていて黙っているのだろうか。星音は由真の本心がわからないながらも、一緒に奥の部屋へ向かった。由真が奥の部屋の扉を開ける。その瞬間、部屋が色とりどりの光で満たされた。床や壁を利用して広がる光の花たちを見て、由真が目を見開く。数秒間続いたその映像の最後に、「Happy Birthday!」というメッセージが表示され、クラッカーが鳴らされる。
「――今日って十六日だったっけ?」
「いやそこからかい!」
今日の日付を把握していなければ、もちろん今日が誕生日だということを自覚しているわけがない。星音は反射的に突っ込んでしまってから、由真の大きな目が少し潤んでいるような気がして息を呑んだ。
「びっくりした? ねえびっくりした?」
楽しそうな顔をして、寧々と或果が顔を出す。その後ろにいる黄乃は心なしか安堵の表情を浮かべていた。
「びっくりしたよ……さっきの映像、凄く綺麗だったし」
「あれは或果が映像を作って、機械は黄乃が動かして表示してたの。二人とも、お疲れ様」
「緊張しましたぁ……失敗したらどうしようかと思って……」
緊張の糸が解けてその場に座り込む黄乃に、由真が優しく笑いかける。
「ありがと。凄く綺麗だった」
「あ、でも映像作ったのは或果さんで……」
「でも映してくれたのは黄乃でしょ? 或果も、ありがと」
寧々は三人のやりとりを満足そうに眺めてから、ドアを開けて玄関の方を確認した。
「良かった、間に合ったね梨杏」
「ラストオーダー前にお客さん全員帰っちゃったし、今日」
梨杏はデコレーションケーキの箱を掲げながら部屋に入ってくる。由真がそれを見て更に目を瞠った。
「え、てことはみんな知ってたの?」
「そう。依頼があったっていうのは実は本当なんだけど……それならここで由真の誕生日会しようかと思って」
「依頼ってさっきのあれだよね?」
「そう。ここの持ち主の娘さんが、土地買って建物作ったのはいいけど幽霊騒ぎがあってなかなか貸し出せないって言ってたからね。まあその娘さんっていうのが悠子さんなんだけど」
どうやら悠子の父親は不動産業を営んでいるらしい。おそらくかなりのお金持ちなのだろう。悠子がもしかしたら能力がらみかもしれないと寧々に相談して、それからこの計画が持ち上がったようだ。
「そういうことか……いや、これは全然予想できなかった」
「ここで満足してもらっちゃ困るわよ。うちらが腕によりをかけて作ったご飯とケーキがあるんだからね!」
黄乃と或果がキャスター付きの衝立を動かすと、それまで隠されていた長いテーブルが現れる。そこには色鮮やかなパーティー料理が所狭しと並べられていた。
「明日の夕方まで借りてるから、泊まりたければ泊まれるし、今日はみんなで騒ぐわよ!」
寧々が全員にグラスを配り、瓶に入った飲み物を注いでいく。その仕草はスパークリングワインでも注いでいるかのようだが、全員未成年なので、ただの炭酸入りのジュースだ。
「じゃあ由真の十八歳の誕生日を祝して、乾杯!」
グラスを合わせる音が響く。本当はグラスを傷めるから良くないと言われているが、傷んで困るような高いグラスでもない。ジュースを一口飲んだ由真は、早速クラブハウスサンドイッチに手を伸ばし、それを取り皿に置いた。その次に、洋風のメニューの中に何故か紛れ込んだたこ焼きも皿に載せる。
「いただきまーす」
「……由真さん、何やそのたこ焼きの食べ方」
星音は特に大阪出身というわけではないが、大阪弁のキャラクターを愛し続けてきた身として、粉物には一家言ある。
「だってタコ好きなんだもん」
「いや周りの『焼き』の気持ちってもんがあるやろ! せっかくの美味しい部分を最初に身ぐるみ剥がされて……」
「星音ちゃん、たこ焼きにそんな感情移入しなくても……」
たこ焼きの中のタコだけを取り出して先に食べるという、星音からしてみれば衝撃的な食べ方を披露した由真だが、梨杏はどうやらその食べ方を知っていたらしい。たこ焼きの気持ちになって由真に詰め寄る星音を、梨杏が苦笑しながら押さえている。
「星音も食べなよ。美味しいよ」
「食べるけども……その食べ方はやっぱ納得いかんなぁ……」
とりとめもない会話をしながら食べ進めていくと、食べきれないほど用意されていたように見えた食事は、意外とすぐに綺麗に片付いてしまった。あとはケーキくらいなら何とか食べられるだろうというところまで満腹になったところで、寧々が冷蔵庫にしまっていたケーキを出してくる。スタンダードなショートケーキ。寧々がそこにろうそくを立てようとすると、由真が言う。
「年齢の数立てるんじゃないの?」
「十八本も立てたら穴だらけでしょうが……。じゃあ何か、百歳の誕生日のときは百本立てるの?」
「それ、火消せるのかな……」
ろうそくが年齢の数なのは小学校卒業くらいまでではないだろうか。寧々はそれでも九本のろうそくを立てて、由真に言った。
「一本で二歳分でいいでしょ」
「うん」
全てのろうそくに火が点けられると、梨杏が電気を消す。すると寧々が急に音頭を取り始めて、何の打ち合わせもないままハッピーバースデーの合唱が始まった。おかげで思い思いの名前を言うことになってしまい、由真がそれを聞きながら肩を震わせて笑った。
「ほら、消して消して!」
寧々に促されて、由真はろうそくの炎を消す。何故か最後の一本だけがどうしても消えなくて、結局それだけは全員で息を吹きかけて消した。
*
ケーキを食べた後で、家に帰らなければならない黄乃と或果が抜けた。ある程度の片付けまで終えて、残った四人でトランプなどをして過ごしているうちに日付が変わり、リビングに四人分の布団を敷いて星音たちは眠りについた。
星音が喉の渇きを覚えて目を覚ましたのはそれから数時間後の――午前三時のことだった。まだ真夜中と呼べる時間。寝ている三人を起こさないように布団から出た星音は、隣で寝ていたはずの由真の布団が空になっていることに気が付いた。トイレにでも行ったのだろうか。廊下に出て様子を窺ってみるが、トイレには電気が点いていないようだった。星音はそのまま廊下を進んでいく。この建物の一番奥の扉の外には小さなプールがある。その扉の近くまで行ってみると、硝子越しに人影が見えた。髪の長さで由真だとわかる。星音はそっと扉を開けて、プールサイドに腰掛けて足を水に浸している由真に近付いた。
「何してるんですか、由真さん」
「……何となく寝れなくて。星音は?」
「私は目が覚めちゃって」
星音は由真の隣に腰を下ろした。由真はどこか遠くを見る目をしている。笑っているような、けれど寂しそうな目。何を思っているのだろう。星音は思わず由真に手を伸ばそうとして、途中でその手を止めた。
「まさかあの幽霊屋敷がこんな綺麗な家になってるとは思わなかったな」
「昔、梨杏さんと行ったんでしたっけ」
「そう。二人とも幽霊なんて苦手なのにね。……でも、楽しかったよ」
楽しかった、という割にはつらそうなその表情が気に掛かる。でもどうしたら話してくれるだろうか。言いたくもないことを無理に聞き出すのは嫌だ。星音が懊悩していると、由真が小さく笑みを零した。
「誕生日、本当は嫌いなんだよ。梨杏が言ってたでしょ」
「……聞こえてたんですね」
「梨杏、サプライズ下手だよね。急に昔の話するあたり変だなとは思ってたけど、まさか全員グルとは思わなくて」
「グルって言わんといてくださいよ。悪いことしたわけじゃないんやから」
「それもそっか」
由真がプールの中に入れたままの足を軽くばたつかせる。爪先が跳ね上げた飛沫が、月の明かりに照らされて輝いて見えた。
「自分が能力者だって自分でも思ってなくて。学校の検査で初めてわかったんだ。でも、周りの人はだからって急に能力者を殴るような人たちではなくて、そういう差別は良くないってわかっていて――でも、その瞬間を境に私を見る目が変わってしまった気がした」
無能力者だと思って生きていた数年間。検査があるのは小学一年生の春だから、もう物心もついているだろう。そのときに味わう周囲の目の変化。周囲がそれを出そうとしていなくても、ひた隠しにしようとするだけの善意の持ち主であっても、その僅かな変化を感じ取ってしまう。生まれた頃から能力者だと思われていて、周囲も自分もそれに納得していた星音には、完全には理解することができない状況だった。
「検査で能力者だってわかると、親にも連絡が行くんだけど……前日までにケーキも予約して、もしかしたらプレゼントまで買ってくれているかもしれない家には逆に帰れなくて」
それまでに愛されていた記憶が確かにあるからこそ、そこから突き落とされるのが怖くなる。それでも愛してくれるだろうと口では言えても、不安にはなるだろう。ただ能力者だということがわかってしまっただけで、昨日までとは違う人間になったかのように扱われたのだ。それを家族にもやられてしまったときの絶望は計り知れない。
「家に帰りたくなくて、でもそれまでの友達と遊ぶ気にもなれなくて……結局その日それからどうしたのかは覚えてないけど……多分何だかんだ家に帰って、普通にパーティーもしたのかな。自分の子供が能力者だからって、いきなり放り出すような人たちじゃなかったことはわかってるし。……多分、その日以来変わってしまったのは、私の方なんだと思う」
「由真さん……」
それは仕方がないことのような気がした。能力がなかなか発現せず、学校の検査で能力者だとわかった人の中ではよくある話だろう。けれど――以前由真が言った言葉をそのまま借りるなら、よくある話かもしれないけれど、これは由真の話なのだ。
「本当はみんな私とは離れたいと思ってるのに、無理して友達のままでいてくれてるんじゃないかって。友達にも、家族にも、そんな感情しか抱けなくなって――自分から色んな人を遠ざけていった。そしたら梨杏がある日いきなり『幽霊屋敷に探検に行こう』とか言い出して――」
それは梨杏なりに考えて取った行動なのだろう。優しくしたところでそれを疑われて遠ざけられてしまうのなら、普通の友達のように、新しい遊びを持っていけばいい。もしかしたらそんな単純なことが当時の由真にはどうしても必要で、けれど梨杏以外は誰もそれを思いつかなかったのかもしれない。
「でも中入ってすぐにあの火の玉見つけちゃって、二人で叫びながら逃げたんだよ」
「結局、残留能力……でしたっけ。叫びながら逃げるほどのものじゃなかったですね」
「この仕事してなきゃわからないままだったね、それは」
その火の玉は今もまだ星音のタンブラーの中に閉じ込められている。後で寧々が別の容器に入れ替えると言っていた。
「――今日は凄く楽しかった。今までで一番楽しい誕生日だったかも」
「それは寧々さんに言ったらいいと思うんやけど。今回計画立てたの寧々さんやし」
「寧々、褒めると絶対に調子乗るからな……黙ってようかな。いや、ちゃんと言うけどさ」
由真さんは柔らかな微笑みを浮かべている。けれどその目が濡れていることを月の光が暴いてしまう。星音が由真に伸ばした手が触れる直前、由真は急にプールの中に飛び込んだ。プールの水で濡れた手で顔を覆ってから髪を掻き上げれば、伝うものが涙なのか水なのかは判別がつかなくなる。
「着替え持ってきてるんですか、由真さん」
「あ」
「この前の海のときといい、本当に後先考えないんやから……後でいいものあげますよ」
由真へのプレゼントは個別に渡すということになっている。星音が用意していたのは由真が普段あまり着ないようなワンピースだ。由真は短いスカートは苦手だと寧々から聞いたので、組み合わせ次第ではスポーティーな着こなしもできるシャツワンピースを選んだ。
「――いいのかな、本当に」
「何がですか?」
由真はプールに入ったまま、夜を照らす月を仰いだ。
「……幸せを知ってしまったら、それを失うことが怖くなる」
全てのものは移り変わっていく。今日と同じ明日は決してやってこない。命があるものはいつか必ず死んでいくし、人の気持ちはそれよりも早く変わっていく。今が幸福だとして、明日それが全て壊れてしまうようなことが起こらないなんて、誰にも保証することができないのだ。
「私はこれまで、わりと幸せやったんです。うちは一族みんな能力者だし、緋彩のことはあったけど、基本的には周りには理解してくれる人が多くて。昨日と今日で何もかもが変わるなんて経験はしたことがない。だから……そんな私が何言ってんのかって思うかもしれへんけど……でも」
由真が真っ直ぐに星音を見つめる。その言葉を受け入れられるかはわからない。けれど星音が言いたいことを言い終わるまで待っているように見えた。その視線に促されるように、星音は言葉を紡ぐ。
「失うことが怖いのはわかるけど――だからってそれを遠ざけないでください」
由真はその言葉を呑み込むように空を見上げて、けれどゆっくりと首を横に振った。
「私には――そんな権利なんてないんだよ、本当は」
「幸せになっちゃいけない人なんておらんと思います、私は」
どうすれば届くのだろう。たとえ過去に何があったとしても、それを理由に未来の全てを奪われていいとは思えない。罪を償うための時間は必要かもしれないけれど、そしてそれがいつまでなのかはわからないけれど、だからといって、目の前の幸せを拒絶してしまうのはあまりにも寂しすぎる。
「――星音は、私の何を知ってるの」
けれど返ってきたのは、あまりにも強い拒絶の言葉だった。けれどそう言ったきり星音に背を向けた由真の肩は弱々しく震えていた。
「何も教えてくれないのは、由真さんの方じゃないですか」
その心が何に囚われているのか、それを知っている人は誰もいない。由真が姿を消していたという数年間。梨杏はその前を知っていて、寧々はその後を知っている。けれどぽっかりと抜けてしまったその時間のことを知る人はいない。それは由真が誰にもそのことを話していないからだ。その時期に何かがあったことだけは誰が見ても明らかなのに、具体的なことは何もわからないままなのだ。
「……言いたくない」
「何を知ってるの、なんて言うのは、本当はわかってほしいからやろ!? なのにどうして――」
「全部話した後で、それでも――みんなが傍にいてくれる保証はどこにもない」
震える声で、絞り出すように、叫ぶように、由真が言った。きっと言葉で何を言っても信じてはもらえないのだろう。言葉では何とでも言える。真実を知ってもずっと傍にいると嘘を吐くことだってできる。由真は知っているのだ。表面的な言動ではそれまでとは変わらずに接しているつもりでも、ある瞬間を境に変わってしまった人たちのことを。
由真はそうやってずっと、拒絶ばかりして生きてきた人なのかもしれない。幼馴染の梨杏だって、偶然再会することがなければ今のような関係は築けていない。おそらく空白の時間の直前、一番傍にいた人でさえそれなのだ。だとしたら、自ら拒絶してしまった人の数は星音が想像しているよりもずっと多いのかもしれない。友人の手も家族の手も自分から離してしまって、自分自身を孤独に追い込んで――そうやってずっと生きてきたのだとしたら、それはあまりにも苦しくて、寂しいことではないだろうか。
「由真さん」
星音はゆっくりとプールの中に体を滑り込ませた。自ら他人の手を遠ざけてしまう人間を遠くから眺めているだけでは、結局何も変わりはしない。普段、暴走した能力者と相対しているときだってそうだ。悲しみに覆われた心が何もかもを拒絶して、あまつさえ他人に牙を向けてしまっているとき、安全な場所から声をかけられて反応できる人なんていない。溺れる危険性のない岸から伸ばされた手を信じられる人なんていない。答えは、その方法は、由真自身がいつもその身を以て示している。
星音は由真の正面に回り込み、その体を強く抱きしめた。この距離で触れることはとても危険なことだ。これが暴走した能力者ならば自分が死んでしまう可能性だってある。けれど棘や毒があるとわかっている茨の中に伸ばされた手でなければ、届かない場所があるのだ。
「言いたくないんやったらそれでもええ。でも今が幸せだって少しでも思えるなら、それだけは否定しないでください」
危険を冒してまで伝えたいことは、実のところそれほど複雑なことでもない。由真も同じだろう。ただ孤独に苦しんでいる人に手を伸ばすこと。拒絶されて、それによって傷ついてしまうとしても、自分自身には何もできないことを知ってしまうとしても、自分を守っているうちは暗闇に光が届くことはないのだ。
「……っ」
由真は星音に縋り付くようにして、声を押し殺して泣き始めた。これで何かが変わると思えはしない。けれど、今の幸福を恐れないでいて欲しい。たとえ明日にそれが全て失われたとしても、それを恐れて拒んでばかりいたら、知ることができたはずの幸福を知らないままで生きていくことになる。その過去に何があったとしても、大きな罪を犯していたとしても、由真が沢山の人を助けてきたのは事実なのだ。本人がどれだけ否定しようと、由真に救われたと言う人間は多い。だから、時間がかかってしまってもいい。いつの日か、それを受け入れられるようになって欲しい。星音は願うように腕に力を込めた。
*
「何で私だけ……」
「私、健康が最大の長所やから……」
由真の誕生日の次の次の日。プールに長時間入っていたのが災いしたのか、由真は風邪をひき、ご丁寧に熱まで出して寝込む羽目になってしまった。額に冷却シートを貼って、真新しいメンダコのぬいぐるみを抱えている姿はまるで子供のようだ。
「てかどうしたんですか、そのメンダコ」
「黄乃からの誕生日プレゼント。かわいいでしょ」
「かわいいけど何でメンダコなんや……」
由真の部屋は思ったよりも生活感があって、ぬいぐるみもいくつか置いてある。意外と年相応の部屋に済んでいることに安堵するよりも、星音はそのぬいぐるみの種類がどうしても気になってしまった。
「海洋生物縛りでもしてるんか?」
「別にそういうわけじゃないけど……まあ動物園よりも水族館が好きかな……」
「水辺好きやしな。前世は魚やったんかな」
「魚よりはイルカとかシャチとかがいいな」
メンダコを撫でながら由真が笑う。それは一昨日の誕生日のときに見せた寂しそうな笑顔とは少し違っていた。
「今度、水族館がリニューアルオープンするらしいんやけど、よかったら一緒に行かへん?」
「え、行きたい! あー……でも私でいいの?」
「あいにく由真さん以外にそんなにメンダコ愛でてる知り合いいないんで……」
「じゃあ一緒に行こうか。いつがいい?」
かなり前のめりな姿勢を見せる由真に、星音は苦笑いを浮かべた。
「水族館は逃げないんで、その前にちゃんと風邪治してください」
「でも薬も飲んだし、ちゃっとご飯食べて寝てるし、あと私にやることなくない?」
「白血球とかが今頑張ってるんやで? 知らんけど。もう余計なこと考えずにちゃんと寝とき」
由真は文句を言いながらも、ベッドに横になった。黄乃からもらったメンダコのぬいぐるみは、尚も大事そうに抱えられている。
「じゃあその日は星音からもらったやつ着てこうかな」
「昨日着替えたとき、『これは似合ってるの?』って散々言っとったやん!」
「だってああいう可愛いやつ普段着ないし……でも中に合わせるの考えればいけるかなって」
それを見越して買ったので、星音が言わずとも気が付いてくれて良かった。星音は顔を綻ばせながら、クローゼットの片隅にきちんとあのワンピースがかかっているのを確認する。
「あのワンピースの花、何だか知ってます?」
「なんか白い花だよね? 名前は知らないけど」
「スノーフレークっていうんです。四月十六日の誕生花のひとつ」
それを知ってから、由真にプレゼントするならあのワンピースしかないと思ったのだ。スズランにも似た、白く可憐な花。その花言葉は――「汚れなき心」。危険を顧みずに他人に手を伸ばすことができる強さと、時折見せる脆さ。かと思えば勝負事になれば負けず嫌いを発揮する子供じみた一面もある。それはその心があまりにも純粋だから現れる表情の移ろいなのではないかと星音は思う。だからこそ、その白い花が由真にとても似合うと思ったのだ。
「誕生花かぁ。あんまり考えたことはなかったな。誕生石は……四月はダイヤモンドだっけ」
「そうやな。でも来年ダイヤモンドとか要求されてもお金的にちょっと……元素的に同じ炭素とかならいけると思うんやけど……」
「いや誰もそんな高いの要求してないし! いいよ、プレゼントなんて。気持ちだけで」
「ちゃんと用意しますって」
来年という言葉を使えることに、そしてそのこと自体は否定されなかったことに、星音は密かに安堵した。プレゼントが重要ではなく、来年もまた由真の誕生日を祝えるということが大事なのだ。つらい記憶を上書きはできなくても、同じくらい幸せな思い出を増やしたい。いつか、由真が心から自分の誕生日を祝福できるその日が来るまで。