Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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4.ひとを呪わば

 夜が明ける頃、由真ははっとして目を開いた。体の中を嵐のように吹き回っていたものはすっかりなくなってしまっている。歩月の解毒が上手くいったのだ。そのまま寝てしまった由真を病室のベッドまで運んでくれたのだろう。ずっと付き添ってくれていたらしい歩月は、ベッドに突っ伏して寝息を立てている。由真は微笑んで、畳んで置かれていた私服のパーカーを歩月の肩にかけた。

 体は問題なく動く。腕の傷も星音が塞いでくれたおかげか、痛みはなかった。由真は歩月を起こさないようにベッドから起き上がり、病室を出る。携帯で電話をかける先は寧々だ。

「寧々。ごめん寝てた?」

『寝れなかったけど目を閉じて横にはなってたわよ。由真は……体はもう平気なの?』

「うん。歩月に迷惑かけちゃったけど……」

『あの人、由真に迷惑かけられたなんて思ってないわよ、きっと。それで――何かあったの?』

「今の状況を聞きたくて。薬の影響かもしれないけど……なんか嫌な予感がした。それに何にもなかったなら、寧々が寝れてなくてこの時間の電話に出ることはありえない」

『確かにそうね。震度三の地震でも起きないからね、普段は。――由真にあまり無理はさせたくなかったんだけど、戻ってきたら早速出てもらうことになるわ』

 寧々はつとめて淡々と事情を説明した。自分たちが戦っている間に或果を奪われたこと。協力を取り付けようとした一条純夏が襲撃されたこと。全てを聞き終えた由真は、深い溜息を吐いた。

「……急いだ方がいいね」

『確かに急ぐに越したことはないけど……出られる状態なの?』

「体調は問題ない」

『体調は、ね……どちらにしろ星音ちゃんの回復もあるし、悠子たちにも協力してもらうことになってるから、決行は今日の夜以降。それまではしっかり休んでて』

「今日の夜?」

 由真は壁にもたれかかって、壁の手すりを強く掴んだ。確かに準備にはそのくらいかかるかもしれない。けれどあと半日以上。その間に何が起こるかわからないのだ。

『焦るのはわかるし私だって焦ってる。でも今突っ込んで行くのは危険』

「待ってる間に、或果が大変なことになるかもしれない。それに――純夏さんを襲ったっていう女のことも気になる」

 実際にそれを見たのは純夏と星音だけだ。寧々が見ていないからその能力について確定的なことは言えないけれど、由真には心当たりがあった。

(まさかとは思うけど……あいつだったら)

 純夏を痛めつけることに執心し、周辺の人払いも怠ったが故に星音に邪魔され目的を完遂できなかったというその性格。そして箱を使うその能力。一人だけ、それに該当する人間を由真は知っていた。

(……あいつのことは理解できない)

 いっぱい人殺せて羨ましい、と言われたのは今でも覚えていた。あまりにも価値観が違いすぎる。人を殺すことに罪悪感がないどころではない。人を傷つけることを、殺すことを楽しむような人間なのだ。だからこそ失敗していることもあったが。

『心当たりあるの?』

「……何かの間違いであって欲しいけど、心当たりはある」

『由真の心当たりって言ったらだいたいあれじゃないのよ……。まだ誰にも言ってないんでしょ?」

 由真は頷いた。おそらく知りたがっている梨杏にも、或果や黄乃や星音にも言っていない。由真は手すりを掴んだままその場にしゃがみ込んだ。

「言ったってどうにもならないし……言いたくない。でも……そろそろ言わなきゃいけないのかな、とは思ってるよ」

『無理に言う必要はないとは思うわよ。……あのときのことは、私もあまり思い出したくない』

 それ以上に、寧々にも言えていないことがあるのだ。由真はゆっくり息を吐き出した。

 

 

「あんの馬鹿……!」

 歩月から連絡を受けた寧々は、思わずそう吐き捨てた。歩月は何度も謝っていたが、こればかりは歩月の責任ではない。歩月に二日連続力を使わせてしまったのは事実だし、それによる疲れから寝てしまったことを責められはしない。今回の場合は全面的に由真が悪いのだ。

「どうかしたんですか、寧々さん?」

 今夜の作戦のために喫茶店に集められていた星音が尋ねる。寧々は溜息交じりに言った。

「由真が病院からいなくなったらしい。多分、ていうか十中八九、月島邸に向かってるでしょうね」

「由真さん、何でそんな……」

「月島創一が或果にまでアズールを使ったとしたら……いま或果がかなり危険な状態にあるのは事実。それに、昨日純夏ちゃんを襲った女の件もある。でも準備が整う前に行くのは危険だって言ったのに……!」

 由真は明らかに焦っている。それはおそらくアズールの侵蝕が進むと咲いている状態とほぼ同じになることを知ってしまったからだろう。咲いてしまった人間は、死を待つのみだ。そして咲いてしまった人間に由真が能力を使ってしまうとその死期を早めることになる。由真は或果を失いたくない一心で動いたのだろう。それだけなら寧々たちも同じ気持ちだ。ただ、今の由真は冷静さを著しく欠いている。

「仕方ないわ。悠子にも連絡して予定を早めてもらって。一旦私と星音で月島邸に向かう。黄乃と梨杏はここで待機」

「私ら二人ですか? でも――」

「由真が一人で行ってしまった以上、あの馬鹿の戦闘サポートができる人間が行く方がいい。星音は――必要にならないことを祈るわ」

 寧々は素早く指示を出し、武器を色々と装備し始めた。その中には小さな拳銃もあった。星音は目を見開く。

「銃刀法違反……」

「まあ、実際そうなるわね。でもいざというときは使うわよ」

 いざというとき――それがどういうときは考えたくはない。星音は準備を終えて店を出て行く寧々を追いかけた。

「そういえば星音のバイクに乗るのはじめてね」

「由真さんくらいしか乗せたことなかったですね。昨日は純夏さん乗せましたけど。しっかりつかまっててください」

 寧々が腰に手を回したのを確認し、星音はバイクを走らせた。信号に引っかかる度に焦ってしまう。行ったところで何か役に立つわけではないのかもしれない。能力者同士の戦いに介入することなんてできないのかもしれない。それでもたった一人で行ってしまった由真を許せなかった。

 月島邸の前でバイクを止める。寧々は大きな門を見上げて顔を顰めた。

「変ね。妙に静かだわ。普通見張りとかいそうなものだけど」

「どうします?」

「行かないわけにはいかないでしょう。でも戦闘になるかもしれないから、一応星音もそのつもりで」

 寧々は太腿に装着した特殊警棒を手に持った。アズールに冒された能力者には効きが悪いが、そもそも警棒なのだから打撃武器として使うことはできる。寧々と星音は、巨大な門を勢いよく開けた。

「……静かすぎるわね、やっぱり。人はいるのがわかるし、この見え方をしてるってことは死んではいないとは思うけど」

 慎重に進んでいく。寧々が探しているのは、或果の母親が作ったという、青色の桜だ。それが屋敷の敷地の中央にあることは或果から聞いていた。

 その場所を目指して進んでいくにつれ、妙に静かな理由はわかった。見張りの人間が全員気絶させられているのだ。

「……これ、やっぱり」

「由真でしょうね。そうとう荒っぽくやってるから骨の一本や二本は折れてるかもしれないけど、死にはしないわ」

 おかげで誰にも邪魔されずに目的の場所まで辿り着けた。けれど寧々が言うように、いつもよりも相手を怪我させることを厭わない、荒っぽいやり方をしているのは見てとれた。

「――これね」

 それは嘘のように美しい桜だった。枝は藍色で、花は半透明の青。植物でここまで青いものは天然には存在しない。星音はその美しさに思わず目を奪われた。寧々はその横で、左目を一度手で隠してから、その手をどけた。

「この下ね。いくつか能力波が見えるわ」

「下……ってどうやって行くんや?」

「空間支配能力で作った空間なら、その能力を持ってる人は自由に行き来できる。それ以外の人は入ることができない。ある意味鉄壁の守りよ」

「え、じゃあどうするんですか?」

「――こじ開けんのよ」

 寧々はそう言うと、今度は右目を隠した。作られた空間を定義することができれば、その一部を破壊することもできる。寧々は深呼吸をしてから、右手を覆う手をどけた。

「――『姿なき者よ』」

 定義を開始する合図だ。目の前の青い桜がぼんやりと光り始める。おそらく桜の下であることが重要な空間なのだろう。寧々は右目で目的の場所を探す。本来は存在しえない、能力で作られた空間。その境目を見極めなければならない。

「『我が境界は混沌から光を分かち、以って遍くものを照らすものとする』――」

 右目が熱を持つ。しかし寧々はそれには構わずに、右目で見える境界に向けて、思いっきり警棒を振り下ろした。その瞬間に何もないはずの空間に暗く黒い穴が空いた。

「人ひとりずつくらいなら問題なさそうね。行くわよ、星音」

 星音は頷く。その下に何があるのかを問う暇もなかった。飛び込んでみなければ何が起きているのかを知ることもできない。星音は意を決して、その黒い穴に飛び込んだ。

 

 

「――ごめんね」

 歩月の肩にかけたパーカーはそのままに、由真は病室を出た。もとより荷物はそれほど持っていない。携帯も今からのことを考えると邪魔なだけだ。音を立てずに病院を出て、一瞬星音のバイクを探してしまった。

「そっか、いないんだ……」

 一人で向かうと決めたはずなのに、何故かその姿を探してしまった自分に自嘲的な笑みをこぼす。星音がバイクを手に入れたのはそれほど前のことではないはずなのに、戦いの前と後、その後ろに乗って星音を近くに感じることが普通になっていた。由真は軽く首を振って歩き始める。

 ――待っていて、或果。

 目を覚ましたとき、或果の声が聞こえた気がした。試しに右手に剣を出してみると、それは由真に何かを知らせるように熱を持っていた。この剣は由真に権限を譲渡されてはいるが、或果が作ったものだ。何らかの繋がりが残っていてもおかしくはない。だからこそ、由真は一人で出てきたのだ。夜までなんて待っていられなかった。早くしなければ、或果を失ってしまう。

 ――助けに行くから、だから、諦めないで。

 その意識が完全に飲み込まれないことを、今は祈るしかできない。刻一刻と、時間が過ぎれば過ぎるほど事態は悪化してしまう。

(この手で、仲間を葬り去りたくはない――)

 アルカイドに来たばかりのときは、もう仲間など必要ないと思っていた。いずれ誰かを殺さなければならないのなら、いっそ誰とも繋がりを持たなければいいのだと。けれど日常を生きていくうちに人は増え、また、失いたくないものばかりが近くにある。

(私が、或果を助けなきゃ)

 由真は拳を握り締めて走り出した。付き纏ってくる不安と焦燥感を拭い去るためには、ただそうするしかなかったのだ。

 

 屋敷の門を開けるときは誰にも止められなかった。おそらくは由真が来ることは最初からわかっていて、迎え撃つつもりなのだろう。門番を立てたところで由真の敵にはならないと相手もわかっている。それでも屋敷の中央に進むにつれ、由真に向かってくる敵が何人か現れた。由真はそれを剣で薙ぎ払うようにして壁まで吹っ飛ばす。骨の数本は折れているかもしれないが死にはしないだろう。今はそんなことに拘泥している時間の余裕はない。由真は一気に屋敷の中を駆け抜け、中央にある青い桜まで辿り着いた。

「……これか」

 或果の母親が作ったという青い桜。由真は真正面からそれと向き合った。アズールはこの桜を使って作られている。空間支配能力の範囲を広げるための呪具そのものにされてしまっているのだ。おそらく或果はこの木の近くにいる。寧々のように見えないものを見ることはできないが、直感で由真は思った。

 どこにいるのか――由真がそう思った瞬間、足元が割れ、漆黒の空間が広がった。招き入れられているのか。由真は空中で剣を出し、そのまま真っ黒な地面に着地する。そこは見渡す限りの暗闇だったが、青の桜の根が広がっている部分だけは僅かに発光し、明るく見えた。

「――或果!」

 青色の根に囚われるようにして、或果が目を閉じていた。その首筋には細い根が一本突き刺さっている。由真は唇を噛んだ。やはりアズールを、しかも桜の根から直接――ということは出回っている薬より濃度の濃いものを使われているようだ。由真は或果に向かって走り出した。早く引き剥がさなければ、取り返しのつかないことになる。

「――ざぁんねん。そんな簡単には行かせないわよ」

 甘く、少し高い声が響き、暗闇から出てくる女の手だけが先に見えた。その手に握られているのは薄緑色の半透明の箱――女の白い手がそれを捻ろうとした瞬間に、由真は勢いよく後ろに跳んだ。

「やっぱりすごいねぇ、これ避けられるんだもんねぇ」

 由真は拍手をしながら姿を見せた女――ιUMa(タリタ)を鋭く睨みつけた。しかしタリタはそれをものともせずに嫣然と笑みを浮かべる。

「……やっぱりあんたか、ιUMa(タリタ)

「そうよ。久しぶり、由真ちゃん」

「何でもいいからとりあえずそこをどいて。私は或果を助けに来ただけ」

「残念ながらそれはできないんだよねぇ。私はいっぱい人が殺せればどうでもいいんだけど、創一様にはその子がどうしても必要みたい」

「創一様、ねぇ……あんたそんなキャラだった?」

 一瞬、タリタの笑顔が引き攣る。その瞬間を由真は見逃さなかった。飛ぶように走り、タリタとの距離を一気に詰める。しかしその剣がタリタに届く前に、タリタは小さな箱を出現させ、それを潰した。けれど何も起きなかった。由真は僅かに口元に笑みを浮かべる。

「……その剣、普通の剣じゃないのね」

「どこの世界に出したり消したりできる普通の剣があんのよ」

「そっか……あの子が作ったのね、それ。ということはどこかにある紙の方をどうにかしなきゃダメってことか」

 タリタも或果の能力の攻略法は知っているらしい。けれど由真の剣に限ってはそれは不可能だ。

「それなら剣はいっか。だって剣は悲鳴あげてくれないし」

「……相変わらずだね」

「由真ちゃんこそ、相変わらず仲間想いで素敵。めちゃくちゃにしたくなっちゃう」

「悪いけどあんたに構ってる暇はないの」

「そんなこと言わないでよ。せっかく久しぶりに会えたんだし、あとあのゴミ虫も由真ちゃんのこと邪魔みたいだし。だからね、由真ちゃん」

 タリタは両手を合わせ、胸の前でそれを傾けて笑う。いかにも可愛らしい少女といったその仕草は、彼女の見た目の可愛らしさにはよく似合っている。けれど、その口から発せられる言葉はいつも凶悪だ。

「いっぱい悲鳴をあげて、それから死んでくれる?」

「嫌に決まってるでしょ」

「だよね」

 タリタは笑みを浮かべて五つの箱を同時に出現させる。由真はそれを見て、深く溜息を吐いた。

「――使ってるんだね、あれ」

「そうよ。由真ちゃんも使ってみる?」

「落ちぶれたもんだね。私はそんなものの力を借りてまで強くなりたくなんてない」

「私は強くなりたいんじゃないの。ただたーくさん人を殺したいだけ……!」

 タリタが箱の一つを潰す瞬間を見極め、横へ飛ぶ。その一瞬を逃せば餌食になる。けれどタリタは能力に依存した動きをするから、自分の防御は意外に手薄だ。隙を縫って繰り出した攻撃はタリタの体に確かに傷をつけていたが、タリタはそれを一向に気にしていないようだった。

「うーん、さすがだね。避け方知ってても普通はできないよ? でもそろそろ疲れてくる頃じゃない?」

「全然? 薬でラリってて弱くなったんじゃない?」

「これ見てもそう言うこと言える?」

 タリタは今度は十個の箱を出現させた。けれど由真がタリタのどこを攻撃するかはもう決まっていた。タリタの能力は、箱に触れた瞬間からそれを潰したり捻ったりするまでにほんの少しだけタイムラグがある。その瞬間に箱と繋がっている体の部位を箱の範囲外に移動させれば攻撃は通らない。けれどどこが繋がっているのかわからない以上、全身を移動させることになる。確かに由真の体力は刻一刻と削られていた。

(十個は流石に――早く決定打を放たないと)

 タリタのもう一つの弱点は、手で箱に触れなければならないことだ。最悪腕を切り落とすくらいの覚悟で行かなければ由真の命が危ない。しかしそれができないのは――由真自身にまだ躊躇いがあるからだ。

「本当に甘いよ、由真ちゃん。昔から」

「……あんたこそ、私に一撃も入れられてないじゃない」

 由真がタリタを挑発するような言葉を吐いた瞬間、由真の背後で大きな音が響いた。タリタが一瞬そちらに気を取られた瞬間に、由真はタリタの腕を斬りつけた。宙に浮いていた箱はその時点で消えた。おそらく維持するだけの集中力が切れてしまったのだろう。

「由真!」

 寧々の鋭い声が響く。その横には星音もいた。

「せっかく由真ちゃんと一対一で楽しくやってたのに。邪魔だなぁ」

「あんたの目的は私でしょ? 他に手を出さないで」

「やだなぁ、箱の中に閉じ込めただけだよ。邪魔されたくないもの」

 そう言いながら新しい箱を出現させる。この能力も体力を消費するものだったはずだが、タリタの表情に疲れの色はない。由真はタリタが箱に手をかけるそのときにいつでも動けるように身構える。そのとき由真はタリタの視線が由真から外れたことに気が付いた。考えるよりも早く体が動く。

「……っ!」

「残念だけど、私、由真ちゃんほど正直者じゃないの」

 タリタが狙ったのは由真ではなく、木の根に囚われて動けない或果だった。咄嗟にタリタの攻撃範囲に自分の体を滑り込ませた由真は、胸を押さえながらも立ち上がった。由真は何も言わずにタリタを睨み付ける。その目に射貫かれ、タリタは陶酔しているかのように顔の下で手を組んだ。

 

「ようやく本気の目をしてくれた。――会いたかったよ、ηUMa(アルカイド)

 

 由真は何も答えずにタリタに向かって行った。その剣は躊躇いなくタリタの左肘から下を斬り落とす。タリタの箱の中に閉じ込められた寧々と星音が何かを叫んでいたが、由真には聞こえていなかった。

「うふふ……すっごぉく痛い……生きてるって感じ……」

 タリタは片腕を失ってもまだ笑みを浮かべていた。そして残った右腕で三つの箱を生み出す。そしてそのうち真ん中の一つを握り潰した。

「っ……!」

 疲れと胸の痛みから、回避はできなかった。狙ったのは剣を握る右腕だ。或果の剣は地面に落ちる前に消える。

「こっちの腕やられちゃったから、お返しね。それにしても、本当に叫び声ひとつあげてくれないよね」

 二つ目の箱は右脚。由真の軸足を確実に潰す作戦だ。しかし由真は呻き声すら零さずに、ただ目の前のタリタを見つめた。タリタはそのまま三つ目の箱を潰す。三つ目は左脚――由真はその場に倒れ込んだ。

「うふふ……どうするの? このままだと負けちゃうよ?」

 タリタがゆっくりと由真に近付く。新しく生み出した箱は由真にとどめを刺すためのものだ。余裕の笑みで由真を見下しながらしゃがみ込んだタリタは、次の瞬間の由真の動きに思わず目を瞠った。

「負けるのはそっちの方。私の仲間を攻撃しようとしたこと、死ぬまで後悔すればいい」

 由真は手を使わずに上半身を起こし、左手でタリタの背中に触れた。その手の下が白く光り、タリタの(シード)が引き出される。それを潰せばタリタは能力が使えなくなり、能力依存の戦いしかできないタリタが負ける――そのはずだった。

「タリタ……どうして」

「だっていっぱい人を殺せるように、すっごく強くなりたかったんだもの」

 由真がその状態の種を見たのはつい昨日のことだった。アズールを使い続けた者の末路。アズールによる偽りの開花は、その能力者を覚醒者(ブルーム)に近い水準まで引き上げることができるが、その命を著しく縮めてしまう。タリタは昨日の男よりもより多くのアズールを使っていたのだろう。むしろ生きているのが不思議だと言える状態だった。

「――理解できない」

「私も、由真ちゃんのこと全然理解できない。人を殺すのはとっても楽しいことなのに、あなたはどうしていつもそんなにつらそうなの?」

 価値観があまりに違いすぎて、話していたって永遠に平行線だ。けれど互いに全く理解できない相手でも、今は敵同士であっても、かつては――。

「私はね、後悔はしてないわ。だってこれまで沢山色んな人の悲鳴を聞けたし、いっぱい殺せたし――最期にあなたの本気を見ることができた」

「タリタ……あんた」

「それに、急いだ方がいいわよ。時間が経てば経つほどあの子は私と同じ状態に近付くし、この状態でいたらあなたも危ないわ」

「私は……」

「早くして。じゃないと私が先に殺しちゃうよ?」

 由真は躊躇いながらも頷き、アズールに侵され小さくなった種を左手で強く握る。タリタの体から力が抜け、地面に倒れていくのを、由真はそっと支えた。

「うふふ……優しいのね、由真ちゃん……。由真ちゃん優しいから……最後にいいものをあげる……」

 タリタはゆっくりと目を閉じながら、由真の左手に何かを握らせる。それを最後にタリタは動かなくなった。由真は目を閉じ、細く長く息を吐く。

「由真さん!」

 タリタが死んだことで能力が解除され、箱から解放された星音が真っ先に由真に駆け寄った。由真は力なく笑みを浮かべる。

「私は大丈夫だから……」

「大丈夫なわけないやろ! 右腕とかあり得ん方向に曲がっとったで!?」

「私はいいから……或果を」

 折れているはずの右手で剣を杖のように使い、由真は立ち上がる。寧々は先に或果のところに向かい、その首筋に突き刺さった根を慎重に抜いていた。

「寧々……或果は?」

「まだアズールを引き剥がせば何とかなる状態。或果が相当抵抗してくれたみたい」

 由真は安堵の溜息を漏らした。星音がその体を支えてはいるが、本当はまともに立つことも難しい状態だろう。

「由真さん、応急処置だけはするので。ちょっとじっとしててください」

 由真がゆっくりと頷いたそのとき、暗闇から数本の矢が飛んできた。由真は能力を使うために由真の脚に触れていた星音に咄嗟に覆い被さる。

「由真さん!」

「星音……怪我はない?」

「私は大丈夫やけど……!」

 矢のひとつは由真の脇腹を掠め、もうひとつは左肩に突き刺さっていた。由真は躊躇いなくその矢を抜く。そして矢が飛んできた方向を強い眼差しで見つめた。

 

「純度の高いアズールを優先して渡していたはずだが……所詮は『女王』には及ばなかったということか」

 

 月島創一はそう言いながら、地面に横たえられているタリタの屍を蹴った。由真の眉が僅かにつり上がる。

「俺がこの世界を支配するためには或果の力が必要だ。そして、『女王』の力は必要ない。かつての仲間なら殺し方も知っているかと思ったが、所詮『七星』にも入れなかったゴミの実力などこんなものか」

ιUMa(タリタ)はゴミなんかじゃない。私はあの子を理解できなかったけど、決して弱くはなかった。或果だって、絶対あんたの思い通りにはさせない……!」

 由真は剣を両手で持ち、地面を蹴って一気に創一との距離を詰めた。星音が叫び声を上げる。

「由真さん……無茶や……!」

「こいつだけは……私が!」

 由真の能力も、創一の能力も有効範囲が狭いのが特徴だ。近付くことは互いにとって有利であり不利になる。由真は創一の肩を剣に纏わせた能力波で攻撃するが、同時に創一も自らの能力を発動させた。

「由真さん……!」

「っ……う、ぐ……」

 由真は喉を押さえてその場に蹲る。創一は血が流れている肩を押さえながらも、その場に膝をついた由真を蹴り上げた。仰向けに転がる形になった由真の右腕を、創一は笑みさえ浮かべながら踏みつける。

「く……っ、ぁ……っ!」

 由真の顔が痛みに歪む。タリタの攻撃を受けているときすら一切見せなかった苦悶の表情を見下ろし、創一は嗜虐的に唇を歪めた。

「酸素を奪われ、傷を広げられればさすがに痛むか。気分がいいものだな。こうやって『女王』を踏み潰せるというのは」

 耐えきれず星音が叫ぼうとした瞬間、銃声が空間を貫いた。

 

「――いい加減にしろよ、この下衆が」

 

 怒気を孕んだ寧々の声が響く。寧々の放った銃弾は、由真が傷を与えた創一の肩に直撃していた。想定していなかった方向からの攻撃に創一の能力は解除され、ようやく呼吸ができるようになった由真は体を折って咳き込んだ。

「ふん……沢山人を殺したいと言うくらいなら、こいつらも始末してくれれば良かったのにな。つくづく使えない駒だ。やはり自分の意志を持った駒などゴミ以下だな」

「……あんたに何がわかる」

 銃口を向ける寧々に向かって歩いて行く創一に、由真は低い声で吐き捨てた。創一は嘲るような笑みを浮かべて振り返った。

「わかるさ。薬まで使って結局犬死にする人生がどれだけ無駄かってことはな……!」

「じゃあその無駄な人生に、これまでのあんたの全部をめちゃくちゃにされればいい……!」

 由真は上半身だけを起こして叫び、緩く握っていた左手をゆっくり開いた。そこには小さな薄緑色の箱が乗っていた。寧々と星音は目を見開くが、創一はまだ余裕の笑みを浮かべている。

「それで俺の骨でも折る気か? そんなことをしたところで――」

「タリタが一番好きなのは、人間の顔が苦痛に歪む瞬間だよ。――あんたのその顔を、見せてあげられなかったのは残念だけど」

 由真は笑みを浮かべ、左手を強く握り込んだ。その直後に、創一の後ろにあった青色の桜が粉々に砕け散る。

「まさか……!」

 瞠目する創一に、由真は冷たい声で応える。

 

「空間支配能力は一種の呪い。呪いに使った呪具を破壊すれば……呪いは解除されて、術者に全てが跳ね返る」

 

 タリタが最後に渡した箱は、そのための切り札だったのだ。これまでの創一の計画は、全てがこの青い桜を呪具として発動されていた。それだけこの世にひとつしかない青い桜が強力であり、この世にひとつしかないものを作り出せる或果の能力を創一が必要とした理由でもあった。創一が胸を押さえてその場に倒れ込む。

「なぜだ……この木は元の絵が見つかっていないから……誰にも壊せないはずだ……!」

 それは由真が持つ剣を誰も破壊できないのと同じ理屈だ。そこに或果が描いた絵がある限り、何度でも剣を生み出すことができる。だからこそ絵そのものを破り捨てでもしない限り、誰に破壊することもできない。

「絵は、或果が持っていたんだよ。部屋に大事にしまっていたものを……或果の部屋の絵を破壊したときに、タリタが見つけていた」

 そして密かにそれを隠し持ち、その絵と繋がった箱を切り札として作り、ずっと残していたのだ。最初から由真に渡すつもりだったかどうかはわからない。もしかしたら由真を倒した後で、創一の苦しむ顔を見るためだけにそれを使うつもりだったのかもしれない。タリタは昔から、そういう人間だった。

「これで……あんたの計画は全部駄目になった。或果も、今なら……まだ助けられる」

「貴様……!」

「私はこの世界の『女王』になろうとも思わないし、もう一人しか残ってない『七星』なんて何の意味もない。でも――私の仲間を傷つける奴は、絶対に赦さない」

 これまで青い桜を使用した能力が跳ね返り、苦痛にのたうち回る創一に、由真は芯のある声でそう言った。能力の解除により、桜の根元に作られていた空間も徐々に崩壊を始め、由真たちは桜があった庭の上に戻される。

 地上に戻ったそのとき、大勢の警官を連れて駆けつけた悠子の姿を見つけ、由真は安心したようにゆっくりと目を閉じた。

 

 

 それから三日後、由真が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。病室には見覚えがある。出て行ったときと同じ、歩月の病院にある個室だ。

「由真さん……!」

 由真が目を覚ました気配に気が付き、星音が顔を上げた。由真はリモコンでベッドを操作して上半身を起こす。

「或果は……?」

「起きた瞬間に他人のこと聞かんでもらえますか……。或果さんなら大丈夫です。あのあとすぐにここに運んで、歩月さんに毒を抜いてもらったので。まあめちゃくちゃ痛かったらしくてえらい叫んでましたけど……。昨日まで念のため入院してましたけど、今はもう退院して由真さんの家で休んでます」

「歩月の能力、痛すぎて治されてるのか攻撃されてるのかわからないところはあるよね、確かに。他のみんなは?」

「――由真さん」

 急に低くなった星音の声に、由真は少し驚いたようだった。星音は呆れたように溜息を吐いて、それから由真の頬を思い切り引っ叩いた。

「どう考えても自分が一番酷い状態やんか!? あんたほとんど死にかけとったもんなんやで!? しかも勝手に一人で行くし、それで全員助かったからいいものの、(うち)らがどんだけ心配したか本当にわかってんのか!?」

「星音……」

「いっつもいっつもそうやって無茶ばっかり……! あんた優しいフリして私の気持ちなんて一度も考えたことないやん!」

 由真は包帯が巻かれた右腕に視線を落とした。本来は整形外科に行かなければならない傷だが、星音がある程度治しているのだろう。自分が怪我をすればそれだけ星音に負担をかけることも、勝手な行動を取って自分が死ねば悲しむ人がいることも理解はしていた。それでも、取り返しのつかないことになる前に或果を助けたかった。そして本当は――ιUMa(タリタ)のことも。

「……すいません、仮にも怪我人に言い過ぎました。あと叩いたのも」

 由真が押し黙っていると、星音が先に謝り、項垂れた。由真はゆっくりと首を横に振る。

「星音は、間違ったことは言ってない。悪いのは私。心配かけたのはわかってるし、いっぱい怪我しちゃって、星音に負担をかけたのもわかってる。――でも、或果を助けられて良かったって、どうしてもそう思っちゃう」

「由真さん……」

「ごめんね。それから……ありがとう」

「そういうこと言わんといてください。死亡フラグみたいで嫌です」

「しばらくは動けないでしょ。諦めてゆっくり休むよ」

 そういうことではないのだが、と思いながらも星音はゆっくりと椅子に座り直した。仮にも怪我人で、今さっき目を覚ましたばかりの人にこんなことを聞くのは酷かもしれない。それでも星音はどうしても気になっていたことを由真に尋ねた。

「由真さん。話したくないなら別にそれでもいいです。でももし話せるなら教えてください。――あのιUMa(タリタ)って人と由真さん、どういう関係なんですか?」

「寧々には聞かなかったの?」

「『由真が言いたくないって言うかもしれないから』って」

「別にそのくらいなら言ってもよかったけどな……まあいいや。教えてあげる」

 あっさり教えてもらえることになり、逆に星音は面食らってしまった。星音は「言いたくない」と言われることを想定していたのだ。

「あの……無理してんのやったら……」

「今言える範囲までしか言うつもりはないよ。全部はまだ……まだ、自分の中でも整理がついてない。それに寧々が知ってることは悠子も一応知ってるし」

 由真は息を吐いて、天井を見上げた。それから過去に思いを馳せるように目を閉じる。

「どこから言えばいいだろう……ちゃんと話すのは初めてなんだけど」

「まとまってなくても、凄く長くても、全部聞きます」

「そう。それじゃあ……ιUMa(タリタ)との関係からかな」

 まずは星音の質問に答えることにしたらしい。由真は言葉を選ぶように、悩みながらも真っ直ぐに答える。

 

「私が行方不明扱いになっていたとき……私はある孤児院にいた。ιUMa(タリタ)はそこでの、私の……一応は仲間だった。あいつのことは最後まで理解できなかったけど」

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