自分なんていなくなればいいんだと思う気持ちは、由真の中で日に日に膨れ上がっていった。能力者というだけで謂れのない差別を受ける日々。そしてそのことを誰にも相談できないまま、心の中に鉛が蓄積していくようだった。相変わらず多くの習い事は続けていたが、徐々にそのどれにも身が入らなくなっていった。
(私なんて生きてても意味がないのに、どうして――)
能力がなかなか発現しないのも気がかりだった。早くどんな能力かわかれば、例えばそれが本当に毒にも薬にもならないものであれば、少しは周りを安心させることができるかもしれないのに。由真は日常的に自分自身を呪うようになり、その表情からは少しずつ、元々あった天真爛漫さが消えていった。暗く翳った表情を見せる由真に対しての陰口も酷くなる一方だった。
「あの子いつも暗いよね」
「能力者なんだからもっと印象良くする努力した方がいいよね」
そんなことを言われているというのは知っていたけれど、笑いたくもないのに笑うことはできなかった。
「由真」
ある日、川沿いのベンチに座ってぼんやりしていると、梨杏が隣に座った。
「由真って川とか海とか好きなの? なんかよくそういうところに行くけど」
「んー……まあ何となくは、好き」
「そっかぁ。私は苔とか好き」
「部屋、すごいことになってるもんね」
梨杏の部屋はテラリウムがたくさん飾られていて、さながら植物園のようになっている。そこにいるのも確かに落ち着くけれど、どちらかと言えば水辺の方が由真は好きだった。
「由真はプールも雨も好きだから、水が好きなんだね」
「うん。できるなら海の中で生活したい」
「魚じゃないんだから、息できないよ?」
「……海じゃなくてもそれは一緒だよ」
思わず漏らしてしまった一言に、梨杏がはっとした顔で由真を見る。由真はわずかに目を逸らした。
「ねえ、由真」
「なに?」
「秘密基地つくろうよ、一緒に」
「秘密基地? なんで?」
「何でって、秘密基地いいじゃん! 私たちだけの秘密の場所」
梨杏の唐突な思いつきに流されて、由真は学校の近くの裏山に二人で秘密基地を作ることにした。ちょうどいい木が四本あるところを見つけて、買ってきた紐でその四本を繋いで、その紐にカーテンを通す。簡単な構造で、しかも屋根がないから雨ざらしだったけれど、そこにいけば誰にも邪魔をされない、由真と梨杏だけの場所が完成した。唯一の不満があるとすれば、そこからは海も見えないし、川が近くにあるわけでもないことだった。けれど木に囲まれた場所でぼんやりとしていると、まるで水の中にいるような気分になれた。だから由真は梨杏がいなくても、その秘密基地に頻繁に足を運んだ。
秘密基地ができてからは、誰にも邪魔されない場所が出来たこともあり、由真は少しずつ以前のような明るさを取り戻していた。
「ねぇ、やっぱり屋根欲しくない?」
「私はこのままでいいけど? 葉っぱが見えていい感じ。緑色好きだし」
「雨の日ここ来れないじゃん」
「私雨の日も来てるけど……」
「えっ濡れるじゃん」
「私、雨に濡れるの好きだから」
傘をささないと変な目で見られるから傘をささないで歩くのはやめなさい、と家族には言われる。けれど出来ることなら傘なんてさしたくはなかった。それでも雨の日に秘密基地でぼんやりしていると全身濡れてしまって、次の日風邪をひいて後悔することもあったが。由真の言葉を、梨杏は「そうなんだ」と軽く受け流した。梨杏はしつこく付き纏ってくるけれど、由真の好きなものや嫌いなものについては何も言わないところが好きだった。本来は互いに干渉を嫌う性格で、だからこそこの距離感が心地よかったし、梨杏もそれを失いたくはなくて躍起になっていたのだろう。
「雨、降らないかなぁ」
「やだよ、私は濡れたくないもん」
「そっか。私そろそろ帰らなきゃ」
「水曜日は何もないんじゃなかった?」
「最近、合気道もやり始めて」
「じゃあ休みの日ほぼないじゃん!」
「うん。でもお兄ちゃんもいっぱいやってるし
……私は、人より頑張らないと」
習い事をやりたいわけではなかったけれど、それについて愚痴をこぼしたら、「あなたのためを思っているのに」と母親に言われた。能力者だから、人より努力しなければ幸せにはなれない。自分にお金をかけてくれている親のためにも頑張らなければならない。由真はそう自分自身に言い聞かせていた。
「頑張りすぎだと思うけど……」
「そんなことないよ。じゃあまたね」
「待って。由真が帰るなら私も帰る」
結局二人で山を下りる。梨杏は由真と並んで歩きながら、軽い調子で言った。
「私もなんか習い事始めようかなぁ。合気道かっこいいよね。空手とか……柔道とか、あ、あと弓道もいいなぁ」
「それ全部やったらめちゃくちゃ強い人みたいになるんじゃない?」
「それいいかも! 今の仮面ライダー見てる? すっごい強いSPの女の人が出てくるの。あんな感じになれるかな」
「見てないけど……てかえすぴー? って何?」
「ボディーガードみたいなやつ。かっこいいんだよ。私が強くなったら由真のSPになってあげる!」
「いや、普通もっと偉い人とか守るんじゃないの? ボディーガードって。よくわかんないけど」
他愛のない会話をしながら裏山を出た由真は、不意に視線を感じた。振り向いて視線の主を探す由真に、梨杏が声をかける。
「どうかしたの?」
「なんか見られてる気がしたけど……気のせいかな」
由真は自分の勘違いだったということにして、そのまま梨杏と二人で家路に着いた。けれど数日後――由真はそれが単なる思い過ごしではなかったことを知ることになった。
その日は塾の前に時間があったから、裏山の秘密基地でのんびりしてから行くつもりだった。けれど山の中に入り、目的地に辿り着く直前で異変に気がついた。
「何これ……」
慌てて駆け寄ると、由真と梨杏の二人だけの場所はめちゃくちゃに壊されていた。元々紐にカーテンを通しただけの簡素な作りだったが、そのカーテンがハサミか何かで切り刻まれていたのだ。
「っ……」
誰がこんなことを。
どうして――その答えは、誰が、という問いよりは簡単だった。近付いて見れば、秘密基地の中にマジックで何かが書かれた紙が何枚もあったからだ。そこには能力者である由真を中傷するような言葉が並んでいた。
(私のせい……)
秘密基地を作るとき、梨杏はとても楽しそうにしていた。カーテンを選ぶのにたくさん時間をかけて、百円均一の店を何軒も回って、ようやく納得できるものを見つけて嬉しそうにしていたのに。
(私じゃなかったら……私がいなかったら、壊されることもなかった……?)
その場で膝を抱える由真に呼応するように、雨が降り始める。次第に強くなっていく雨は、そこにいる由真の微かな泣き声も掻き消すほどの音を立てながら、周りの木々を、そして蹲る由真の体を打った。
(私がそんなに邪魔なら、このまま消してくれればいいのに……)
やり場のない想いが胸の中で渦巻いて、出口を探していた。好きで能力者になったわけでもないのに、どうしてこんな目に遭わされなければならないのか。自分が気に入らないなら自分だけを攻撃すればいいのに、どうして梨杏の大切なものまで壊すのか。強い悲しみと怒りをどうやって表に出せばいいかもわからず、由真はただ、自分の左手首を指の痕が残るほどに強く握りしめた。
(私が……私がいなければよかったんだ……!)
頬を伝って流れているのが雨なのか涙なのかは、由真自身にもわからなかった。ただこのまま雨が自分の存在を消し去ってくれることを望んでいた。土砂降りの雨は誰にでも平等に降り注ぐ。そこに能力者と無能力者の違いはない。
(水の中にいなきゃ、息が出来ない――)
地上がこんなに息苦しいのは、本当はここに生まれてくるべきではなかったからなのか。このままここにこの雨が溜まり続けて、その中で溺れてしまえればいいのに。
(私なんて、このまま――)
由真が再び自分の左手首を強く握ったとき、雨の音でかき消されながらも、微かに誰かの声が聞こえた。でももう誰だって構わなかった。味方なんて誰もいないのだから。由真は体を縮こまらせた。
「由真!」
「梨杏……? どうして……?」
梨杏は今日は用事があるから先に帰ったはずだった。それなのにどうしてここにいるのだろう。梨杏は由真の頭を抱え込むように由真を抱きしめた。
「由真のお母さんが、由真が帰って来ないってうちに電話してきて。ここにいるかもしれないと思って探しにきたの」
「そっか……もうそんな時間……」
「由真……」
梨杏ももう見てしまっただろう。二人だけの大切な場所の惨状を。由真は梨杏に抱きしめられながら嗚咽を漏らした。
「ごめんなさい……っ」
「なんで由真が謝るの」
「私の……私のせいだから……全部、私が……っ」
「由真のせいじゃない。悪いのはこんな酷いことをするどこかの誰か」
「でも……っ、でも私が……私が能力者じゃなかったら……っ!」
そのとき梨杏が何を言ったのか、由真は覚えていない。気付けば由真は家に帰っていて、雨に打たれ続けたせいで酷い風邪をひいてしまって、三日間ほとんどの時間を布団の中で過ごしたのだった。
秘密基地が壊されてから一ヶ月。今度は梨杏がある噂を持ってきた。
「幽霊屋敷?」
「そう。今は誰も使ってない古い家で、でもお金持ちの家だったらしくてプールとかもあって……でも幽霊が出るからって買い手がつかないらしいよ」
「……で、その幽霊屋敷がどうかしたの?」
「そこなら秘密基地にピッタリじゃない? 私たちで幽霊倒してその家を私たちのものにしようよ」
「幽霊退治……いや無理でしょ」
「でもさ、行ってみたら実は幽霊いないかもしれないし!」
梨杏に押し切られ、行くだけ行ってみることになった。由真はお化け屋敷も苦手で、梨杏も同じくらい苦手だったはずなのだが、その幽霊屋敷に関してはかなり前のめりだった。
フェンスを乗り越え、二人で体を寄せ合いながらその屋敷の中に入る。
「おじゃましまーす……」
誰も住んでいない古い家は幽霊がいなくても不気味だ。それでも梨杏は由真の半歩前ほどを歩いていたが――目の前に現れた青白い炎を見て、二人は同時に悲鳴を上げた。
「まじでいるじゃん幽霊! どうすんの由真!?」
「梨杏がここ来ようって言ったんじゃん! に、逃げようとにかく!」
二人は一目散にその場所から逃げた。幽霊屋敷からだいぶ離れたところまで来て、二人はようやく息を吐き出す。
「幽霊いたじゃん……どうすんの?」
「うん、あそこはやめよう。別の場所探した方がいい」
梨杏は幽霊退治をすると言っていたことをすっかり忘れ、もう別の場所にすることにしたらしい。けれどそんなものを作ってもまた壊されてしまうかもしれない、と思うと、由真は梨杏ほど秘密基地作りに積極的にはなれなかった。
そして、その後はちょうどいい場所が見つからないまま、三ヶ月ほどが過ぎていった。
*
「由真、今日何も予定ないなら今から水族館に行かないか?」
ある日曜日。朝食を食べているとき、兄の浩大が由真に言った。
「予定はないけど……彼女と行ったら?」
兄の浩大には彼女がいた。付き合いたてのときに紹介されたので、由真はその人の顔を知っている。長い髪の、優しそうな人だった。兄から聞いた話によると、その人は能力者で、けれどその能力は触れたものを10グラム程度軽くすることができるという些細なものだった。
「その彼女に断られたから妹を誘ってんの」
「ふぅん。なんで断られたの?」
「普通に風邪だって。学校も一昨日から休んでたしなぁ。昨日見舞いに行ったんだけど、熱は下がったけど咳が残っててしんどいって」
「それなら……行こうかな」
予定はなかったし、水族館は好きだった。兄もデートにしょっちゅう水族館を選ぶくらいには好きだったのかもしれない。朝食を食べ終わった由真は、自分の部屋に戻って出かける準備をした。
「なんか今日の服かっこいいな」
「これお兄ちゃんのお下がりだけど」
「そうだっけ? 全然覚えてない」
自分の服も持っていたが、由真は時折兄のお下がりを着ていた。少し大きめのその服は純粋に楽なのだ。由真は兄のお下がりの服と黒いボストンバッグの組み合わせで水族館へ向かった。
水族館に着くと、真っ先に由真の目に止まったのは売店のイルカのぬいぐるみだった。
「売店ってのは最後に行くとこじゃないか?」
「でもこのぬいぐるみかわいいじゃん!」
「由真ってイルカとかサメとか好きだよなぁ」
由真は兄を待たせたまま、イルカのぬいぐるみを選び始めた。どうせなら誕生日が近い梨杏のものも買おう。由真はぬいぐるみの山の中からイルカのぬいぐるみを二つ選び出して、そのあとで値段を見て固まった。
「由真? そろそろ決まったか?」
浩大がイルカが描かれた弁当箱を手に由真に尋ねる。それは彼女へのお土産にするつもりらしい。
「これを、梨杏と私の分買おうと思ったんだけど……」
「なるほど、お金が足りないんだな? じゃあ由真の分はお兄ちゃんが買おう。梨杏ちゃんの分は由真が買うといい」
そう言って兄は、イルカの片方を由真の手から受け取り、会計に向かった。由真はそのあとで梨杏の分を買った。荷物が増えてしまったので、それをロッカーに預けてから水族館の中に入る。
「お兄ちゃん、シロイルカいるよ!」
「ふふ、そうだね」
由真はそれからめいいっぱい水族館を楽しんだ。元々水辺は好きで、魚や海洋哺乳類が泳ぐ姿を見ることも好きだった。水槽で作られたトンネルの中にいると、自分も一緒に泳いでいるような気分になれた。
途中で昼食を挟みながらも、由真たちは一日中水族館を満喫した。そして帰ろうとしたとしたときに、先程通った水槽のあたりから叫び声が聞こえた。
「離れてください!」
警備員が規制線を張り、客を避難させようとしている。何が起こったのか。状況を把握したくて覗き込んだ由真に、兄が幾分か硬い声で言った。
「……暴走してるんだ、あの子」
由真がそれを目の当たりにするのは初めてのことだった。おそらく物を凍らせることができる能力者なのだろう。蹲る少女の周辺が氷に覆われてしまっている。
「行こう、由真。野次馬はよくない」
けれど由真は動くことができなかった。少女の悲しげな表情が目に焼き付いてしまって、どうしても気になったのだ。暴走している状態は、本人もとても苦しいのだという。けれど鎮静剤を打つしか対処方法はなく、そのまま死んでしまう人も多いのだ。
「由真?」
助けたいと、何故か由真はそう思った。自分に何かできるわけではないのに、ただその少女の表情がどうしても気になり、由真は思わず駆け出していた。
「あ、君! 危ないよそっちは!」
警備員の制止を振り切り、由真は少女に近付いた。泣いていた少女は、いきなりやってきた由真に驚き顔を上げる。
「来ちゃダメ……みんな凍っちゃうから……! 私は、バケモノだから……」
「……私も、あなたと同じだよ」
由真と同じように、この少女もたくさん傷つけられたのだろうと思った。そして耐えきれなくなって、何かのきっかけで暴走してしまったのだ。そして暴走してしまえば、軽度ならば鎮静剤でおとなしくさせて回復を待つか、重度なら死を待つくらいしか方法はない。誰も、少女に手を差し伸べたりはしないのだ。由真は驚いている少女を抱きしめて、その背中にゆっくりと触れた。
「え……?」
少女の背中に触れたその手の下が白く光る。由真自身が何が起こっているかもわからないうちに、由真の手にはいつの間にか、黒い煙が噴き出している
(これを、壊せば――)
直感的に、どうすべきか理解できた。これを壊せば少女は苦しみから解放される。少なくともこの暴走が原因で死んでしまうことはない。由真は確かめるように少女の顔を見る。少女は穏やかな表情で静かに頷いた。
由真は左手をきつく握る。その瞬間に、由真の手の中で少女の種が砕け、跡形もなく消えた。少女が作り出した氷も消え、少女は気を失って由真の腕の中で力を抜いた。
(よかった――これで、この人は死なずに済む)
由真は安堵の溜息を漏らす。その直後、兄の浩大が慌てて駆け寄ってきた。
「由真……今の」
「わかんない……ただ、助けたいと思って」
「そっか。よくやった。由真は優しい子だ」
頭を撫でられて、由真はむず痒そうに目を細めた。通報を受けて駆けつけてきた救急隊員に少女を引き渡し、由真と浩大は言葉少なに水族館を後にした。
後日、由真は能力確定のための検査を受けることになった。単純な能力であれば受ける必要のない検査だったが、由真の能力に当てはまる能力がこれまで一例もなかったことから、検査を受けるように勧められたのだ。
「結論から言いますと、非常に珍しい――いや、理論上はありえるが、これまで例がなくて、存在しないのかもしれないと言われていた能力でして」
「どんな能力なんですか?」
「簡単に言えば、他人の種に触れることができる能力です。発動条件は、相手を前から抱きしめるようにして背中に手を当て、力を込めること。先日発動したときは、おそらく由真さんの『助けたい』と思う気持ちが強かったから発動に至ったのだと思われます」
種に触れることができるから、それを壊すこともできる。臓器のようなものだと言われているのに、外科手術をしても取り出せない種を、由真は易々と取り出すことができるのだ。
「そして種が大きいので、暴走の危険性は低いでしょう。ですが、本当に例がない能力なので、他にどんな影響があるかは――」
由真の能力がわかっても、家族は何も変わらなかった。発動条件が限定的であり、能力者以外には何の意味もない能力だったこともある。けれど由真が大勢の目の前で能力を使ってしまったことの影響は、その後すぐに現れた。
*
由真のところには、能力を失って無能力者として生きることを望む人たちが大勢訪れるようになった。最初は同級生たち、次に他の学年の生徒たち、数々の習い事を通して、大人にも頼まれるようになった。由真は、その人がそれを望んでいるのなら、と言われるがままに能力を使っていた。能力者として生きることは苦しいから、失いたいという気持ちは由真もわかるのだ。
けれどその皺寄せは確実に由真の体を蝕んでいた。
「ごちそうさま」
「もういいのか? 最近あんまり食べてない気がするけど」
「あんまり食欲なくて」
原因はわからなかったが、徐々に食べ物が喉を通らなくなっていった。兄は心配していたけれど、由真自身は少し体調が悪いのだろうと思って、さほど気にしてはいなかった。
「ちょっと出かけてくる」
「こんな時間に? もう外真っ暗だぞ?」
「クラスの子に頼まれてて。能力使って欲しいって。すぐそこだから大丈夫」
由真はほとんど荷物を持たずに家を出た。歩いて数分の小さな公園で、由真に能力を使って欲しいってクラスメイトが待っていた。
「ごめんね、その……こんな時間に」
「いいよ。でも暗いから、終わったら気をつけて帰るんだよ? 私はすぐそこだけど」
由真はそう言ってから、ブランコに腰掛ける少女を抱きしめ、背中に手を当てた。取り出された種はとても小さなもの。こんな小さいもの全てで、運命が何もかも変わってしまうのだ。由真は引き抜いた種を左手で握って砕き、柔らかく微笑んだ。
「これで終わり。じゃあ気をつけて帰ってね」
「うん! ありがとう柊さん!」
笑顔で去っていく背中を見送ってから、由真も帰ろうと足を踏み出した。しかし、その瞬間に視界が歪んでその場に膝を突く。
(あれ……何か……変な感じ……)
吐き気によく似た、何かが込み上げてくるような気持ち悪さ。由真は地面に蹲りながらも、必死で体を起こそうとした。
(立てない……どうして……?)
携帯電話も置いてきてしまったのだと、今更由真は気がついた。誰か気がついてくれるだろうか……誰も気が付かなければ、朝までこのままだろうか。そんなことを考え始めたところで、由真を呼ぶ声が聞こえた。
「由真! どうしたの!? 大丈夫!?」
「梨杏……? どうしてここに……」
「たまたま通りかかったの。そしたら由真が倒れてるのが見えて……立てそう?」
「無理……気持ち悪い……」
「吐きそう? 待って、確かいらない袋とかあった……これ! これに吐いちゃっていいから! 私、由真の家に電話しとくから!」
由真は梨杏に差し出された袋に、食べたばかりの夕食も含めて全て吐き出してしまった。もう何も出ないくらいまで吐いても、まだ気持ち悪さは消えない。そうしているうちに兄と父が慌ててやってきて、由真はそのまま車に乗せられて病院へ運ばれた。
*
「自家中毒……」
由真の話を聞いていた星音が呟く。由真は淡々と語っているけれど、それが本当はそんな調子で語られるべきものではないことを星音は理解していた。
「そう。あれが初めてで……歩月に出会うまでは、何度かあった」
「ていうか、最初の頃はそんなに能力使ってたんですね」
「うん。それで誰か助けられるなら、って思ってた。でも結局、自家中毒を起こしてからはあまり使わないようにって言われて」
「そりゃ言うやろ……」
「でも、使うことで苦しみがなくなる人があれだけいたのに、自分の都合で『もうできません』とは……なかなか言えなかったよ。やっと……周りに受け入れられたような気がしてたのに」
由真の言葉に星音はハッとした。能力が発現するまで、散々酷い目に遭わされてきたのだ。そんな中で明らかになった能力は、由真に著しい負担をかけるものの、能力を捨てたいと思う人間の役に立っていたのは事実だ。だから由真は、自家中毒で自分が倒れてしまうまで力を使い続けてしまったのだ。
もっと自分勝手で、自分のことばかり考える人なら、ここまで苦しむことはなかったのではないか――星音は、話すぎて喉渇いた、と言いながら冷蔵庫からお茶を出そうとする由真を制し、代わりに冷蔵庫の中のペットボトルを一本取り出した。
「ありがと。じゃあ……続き……こっからは、本当に私がちゃんと話せるかどうかもわからないけど」
「いいです、それで。由真さんが無理になったら、そこで止めてくれて全然構わないので」