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ハルを店長に据え、寧々は喫茶アルカイドを開店させた。喫茶店は表の顔、裏の顔は能力者関連の事件を解決する調停人がいる場所。はじめはどちらの仕事もろくに来なかったが、ハルがのちに役に立つだろうと交友関係を持った新人刑事の杉山悠子によって、いくつかの事件がもたらされた。その頃寧々や悠子を悩ませていたのは、暴走した能力者への対応だった。軽度であれば何らかの手段で気絶でもさせて鎮静剤を打って数日様子を見れば回復する。しかし進行してしまうと死を待つより他はないような状態になってしまうのだ。
「何とかする方法ないわけ?」
「それがわかっていたらとっくに使っている。……ひとつだけないわけではないが、それはかなり属人的な能力だ」
「あるなら言いなさいよ。使えなくても知りたい」
寧々の能力は、寧々が持つ知識を燃料にして発動される。知っていることはできる限り多い方がいい。ハルはコーヒーを淹れるための道具を拭きながら言う。
「立入禁止区域に落ちた隕石は七つ。最初に人間に宿った能力も七つと言われて、その七つは他と分けて『七星』と呼ばれている」
「それは知ってるわよ。私の右目の能力もそのひとつなんでしょ?」
「そうだ。
「七番目の能力、
「実際に見たことはないが、わかっていることから分析する限り、種を体外に取り出し、破壊することもできるらしい。その人間は能力を失うが、暴走で死ぬよりはその方がいいという相手になら使えるだろう」
「でも、現実的ではないってことね。その能力者がここにいるわけじゃないから」
「そうだ。……いずれ会うことになるかもしれないがな」
コーヒー飲むか、とハルに問われ、寧々は頷いた。手早くコーヒーを淹れる準備を整えながら、ハルは話し続ける。
「『七星』は我々七体の人工知能の中にも様々な理由で狙っているものがいるし、その存在を知る裏世界の人間にも狙われている。特に種に干渉できるということは――全ての能力の上位にあるとも言える」
「その能力者はどこにいるの?」
「さあな。発動条件が複雑であれば本人ですら気付けないこともある。少なくとも私はまだ掴めていない。私は別に『七星』には拘らないし」
「変に誰かに利用されるよりは仲間にしたいところだけどね。その能力が本当に暴走した能力者を助けるのに使えるなら」
「優先順位はそれほど高くはないが、探すだけ探してみよう。――『七星』絡みで他のものが網にかかる可能性もあるしな」
ハルはコーヒーカップにコーヒーを注いで寧々の前に置く。鼻腔をくすぐる芳香と苦味が寧々の頭を覚醒させていった。寧々がしばらくコーヒーを味わっていると、ハルがこめかみのあたりを押さえた。頭が痛いように見えるが、人工知能にそんな人間じみた体調不良は存在しない。外部からの通信を受信しているのだ。
「今日は何もないと思ったんだけどなぁ」
「最近有意に増えているな……悠子も言っていたが、能力者による殺人事件、そして暴走事件が明らかに多い」
「今日はどっち?」
「殺人事件の方だ。悠子が能力が使われているかどうかを知りたいから協力してくれと」
それは時間がそれほど経っていなければ死体を左目で見るだけで、残留能力の有無で判断できる。能力者の犯行に見せかけた無能力者の犯行ということもあるから、その判断のために協力を要請されることは頻繁にあった。比較的危険が少ない仕事だ。
寧々は上着掛けの黒いジャケットを羽織り、ハルに声を掛けた。
「行こうか、ハル姉」
便宜上、戸籍を偽造してハルは寧々の姉兼保護者を務めている親戚ということになっている。最初はふざけて呼び始めた「ハル姉」がいつの間にか定着し、寧々はいつしかハルを本当の姉のように思うようになっていた。
*
「――最近増えているわね」
体のあちこちが捩じ切られた死体を眺めながら寧々は呟いた。犯人が立ち去ってから時間は経っていなかったらしく、能力波が濃く残っていた。おそらくは能力で作り出したものと相手の体の一部を結び付けて攻撃することができる能力だ。人形の足を切れば足を怪我するような呪いと似た類のものだろう。他人を攻撃するのに向いた能力。犯人はおそらくそれを使って誰かの命令で人を殺している。今回の被害者の方は無能力者のようだ。顔が潰されているものも多く、身元が判明するのには時間がかかるかもしれない。
「何で警察の人間の方が目を逸らしてんのよ、悠子」
「ご遺体を見るのは苦手で……寧々が平気な方が恐ろしいわ」
「見知った人間ではないから平気よ」
寧々は父の遺体を見ることはなかったが、母が血を流して倒れている姿は見た。恐らく息はなかっただろう。それを思い出すことに比べれば、見ず知らずの人間の死体はホラー映画でも見ているかのように見ることができた。
「とりあえず、二週間前の事件と犯人は一緒ね。今回は薄荷色」
犯人の姿は知らないが、能力波はわかっている。便宜上、寧々は頻繁に見る能力波の色で呼び分けていた。今回は薄荷色。その他によく見るのは伽羅色と漆黒の能力波。伽羅色は最近あまり見なくなってきたが――寧々は腕組みをして立っているハルを見上げた。ハルは意識して死体を見ないようにしているのに、今日は凝視しているのが気に掛かった。
「ハル姉?」
「……寧々。耳を貸せ」
悠子には気付かれないようにハルは寧々に耳打ちをする。顔の一部が潰されていても、ハルが記憶している人間であれば照合はできる。けれどそのあまりの正確さからハルが人間でないことに気付かれる可能性もあるため、ハルは警察の捜査にはあまり協力していない。けれどその日は違っていた。
「こいつらは、あの日渚家に侵入し、英吾たちを襲ったグループの人間だ」
「――そう」
「あまり驚かないんだな、寧々」
「驚いてはいるけれど……死んでいる人間には残念ながら手が出せない」
彼らの後ろにいるものを叩かなければ復讐は終わらない。実行犯のことなど眼中になかったから本腰を入れて探すこともしていなかった。偶然行き遭ったならと思っていたけれど、死体を蹴っても寧々に何の利益もない。そもそも復讐は虚しい行為だと、大昔から手を替え品を替え言われてきたのだということもわかってはいた。彼らの後ろにいるものを潰そうとしているのは、それが寧々の使命にも関わること、つまり復讐が利益を生むとわかっているからだ。
「――この部屋ではないが、建物内に生命反応がある」
ハルの言葉に、寧々の心が揺れた。生きている人間がいる。襲撃の混乱に乗じてどこかに隠れて息を潜めている者が。そしてそれは高い確率で両親を殺した人間だ。
「ハル姉は、私を人殺しにしたいわけ?」
「私は事実を告げたまでだ」
下っ端の実行犯を殺したところで元凶であるメラクに辿り着くことはできないだろう。けれど普段は鍵をかけてしまっている感情が溢れ出している。
あまりにも理不尽な終わりだった。能力者を滅ぼし、元の世界に戻すだけなら、無能力者の父はなぜ殺されたのか。寧々は目元を軽く拭ってから、ハルに言った。
「生き残りを探すわ」
「わかった」
寧々は他に人がいないかを探している警察に混じって、ハルが感知する生命反応を辿っていった。奥の部屋には誰もいないが、隠し扉があって、それは地下に続いているようだ。隠し扉には気が付かずに部屋を出ていく警察を見送ってから、寧々はカーペットの下の扉を開けた。
階段を降りていくと、そこは倉庫のような場所だった。おそらく武器の隠し場所だ。寧々がわざと足音を立てると、奥からかすかな音がした。寧々とハルはその方向に足を進める。
「……く、来るな……来るなぁ……っ!」
喚き散らす男には見覚えがあった。あの日、主に父と話をしていたリーダー格の人間だ。しかし今は怯えて、かつての冷酷さは見る影もない。彼らを襲撃した能力者によほど恐ろしい目に遭わされたのだろう。
「俺たちが何をしたって言うんだ! 俺たちはただ世界を正しい姿に……!」
「正しい、ね。その正しさで私の両親は殺されたわけだけど」
寧々が誰なのかは気がついていないらしい。暗い場所で、髪の長い女だということくらいしかわからないのだろう。寧々を襲撃者だと勘違いしている。だとしたら薄荷色の能力派を持った襲撃者は髪の長い女――しかし今は関係のない話だ。
「ねぇ、知ってる? 正しいものって簡単に作れるのよ」
寧々は男を冷たく見下ろし、右目を手で覆った。その手を退けてから、寧々はゆっくりと口を開き、謡うように言葉を紡ぐ。
「――『姿なき者よ』」
それは寧々の知識に基づいてあらゆるものを定義する能力だ。定義とはそのものと他のものを分けるための線を引く行為。どこに線を引くかは寧々の自由だ。だからこそ。
「『我が境界は混沌から光を分かち、以って遍くものを照らすものとする』――」
そこに線を引けば、人間が人間でなくなる場所を、寧々は知っている。知識を積み上げることは、何かの構造を詳しく知っていくことは、それの効率的な壊し方まで知ることにつながるのだ。
「な……何を……! やめろ……っ、う、ぐぁああああ……っ!」
「線は閉じた。もう遅いわ」
右目が熱を持つ。本来の定義から外れた定義をすることは、やはり体に負担をかけてしまうらしい。けれど復讐の方法はこれしかなかった。正しさで壊されたもののために、寧々が使うのは全てを「正しいもの」に変えることすら可能な能力だ。嘘の正しさから外れてしまった人間の体は崩壊の一途を辿る。口から血の泡を噴き出して動かなくなった男を見下ろし、寧々は右目を押さえた。
定義とは線を引くこと。寧々はこの瞬間に、人殺しとそうでないものの間に引かれた線を踏み越えた。
(踏み越えたところで、景色が変わるわけではないのね――)
右目を押さえていた手に何かぬめった感触がある。おそるおそる手を見てみると、赤黒い血が掌に線を描いていた。
「――寧々」
ハルが静かに寧々を呼ぶ。何を言うべきか迷っているような声だ。最高の頭脳を持っているのだから、答えなら簡単に見抜けそうなものなのに――つくづく人間らしい存在だと寧々は思った。
「そろそろ戻らないと悠子に勘付かれてしまうわね。死体を隠すのは死体の中。……ハルが言わなければ、私が殺したことを証明できる人はいない」
能力による犯罪はただでさえ立証が難しい。状況証拠や能力解析によりどうにか証拠を見つけ出しているのが現状だ。寧々の左目と同様の解析能力の持ち主は確かに存在する。けれど、その力をもってしても、右目を使った犯行を見破ることはできない。独自に定義されたものを、寧々以外が観測するのは不可能だからだ。
「右目の使い方、いつから気が付いていた?」
「いつからかしらね。でも、この力でも世界を変えるにはまだ足りないのよ」
人を殺すことはできても、破滅へ向かう運命を変える糸口には遠い。寧々は血で汚れた右手を握りしめた。
一線を踏み越えたというのに感慨はまるでなかった。理論上は可能だとわかっていた右目の使い方を実践することができた程度の収穫しかなかった。ハルの方がよほど衝撃を受けているようにも見える。寧々は深く溜息を吐いた。
*
その日の夜も、夢を見た。探し続けている少女にはいまだに出会えていない。夢は鮮明さを増していくけれど、まだそれが誰なのかを知ることはできていなかった。寧々は誰かもわからないその少女に向かって声をかける。
「……あなたは、人を殺したことがある?」
寧々の声が聞こえているのかどうかはわからない。けれど打ち明けずにはいられなかった。きっとそれを隠したまま、欺いたままでは向き合えないと思ったから。
少女は躊躇いながら、視線をわずかに下に落としながら振り返る。少女が寧々の言葉に答えることはなかった。その代わりにゆっくりと寧々に向かって腕を伸ばしてきた。作り物のように真っ白で、透けて消えそうな細い腕。寧々は思わずその腕を強く掴んだ。
その瞬間に、白い光が寧々を包み込んだ。真っ白な花の中にいるような、白い焔に灼かれているような感覚に襲われる。これは罪人を苛む業火なのか、罪を清める浄化の炎なのか。寧々はただその場所に立ち尽くすことしかできなかった。けれどその焔の中にいるのは何故か寧々の心を落ち着かせた。身も心も灼かれているはずなのに、暖かいものに包まれているような心地にもなる。
会ったこともないのに、寧々の中で彼女に対する想いは膨れ上がる一方だった。炎に包まれながら目を閉じると、右手に細身の剣を握る少女の後ろ姿が浮かんだ。寧々の心の奥に潜む、もう一人の寧々がその背中に問いかける。
生きる世界が違っても、同じ存在同士の心は容易に重なり合う。
あなたが傷ついてなお、闘おうとするのはどつして?――
少女は何も答えない。けれど振り返り、少し力の抜けたような、どこか寂しそうな笑みを浮かべて寧々を見た。