Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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6.新しい生活

 

 由真が退院し、アルカイドの二階にある居住スペースでの生活が始まった。しかし由真があまりにも何も喋らないせいで、これまでの生活とほとんど変わらないのではないかと寧々には思われた。

「サイフォンの方が味は安定するらしいからな。うちはこれにしてるんだ」

 ハルが由真にコーヒーの淹れ方を教えている。由真はコツを掴むまで少し時間がかかるものの、掴めばしっかりとこなせるタイプのようだ。コーヒーに関しては数日で店で出しても問題ないくらいまでできるようになった。

「紅茶はなんでこんなできないのかわからないけど……まあ店で出せない味ではないわね」

「紅茶専門店でもないし、そこは問題ないだろう」

 練習用に入れた紅茶やコーヒーが目の前に広げられている。由真はコーヒーに手を伸ばすものの、一口飲んだあとから全く進んでいない。

「ねえ、もしかしてコーヒー飲めない?」

「……砂糖とミルク入れれば飲めるけど」

「ブラックは飲めないのね……。言ってくれれば砂糖もミルクもあったのに」

 寧々は微笑みながら由真の前にシュガーポットとミルクを置いた。由真は軽く頭を下げてからそれを手に取る。

「どう? 自分で淹れたコーヒーの味は」

「……苦い」

「結構深煎りの豆だしね、うちのやつ。まあとりあえずこれで店の仕事はできるわね。接客は私がやるから」

 適材適所だ。由真は明らかに接客には向いていない。寧々はそもそも由真の笑顔を見たことがないのだ。そんな人に接客用の笑顔を要求することはできない。

「じゃあ、そろそろ開店時間だから」

 ドアの看板をOPENに変えてから、寧々はカウンターの内側の椅子に腰掛ける。あまり客の来る店でもないので、暇な時は本を読んだりしてやり過ごすのだ。

「由真も暇潰せるもの持ってくるといいよ。ここあんまりお客さん来ないから」

「それで大丈夫なの……?」

「まあもう一つの仕事でそこそこお金もらってるからね。悠子とかポケットマネーで支払ってくれるし」

 悠子はなぜ警察で働いているのかわからないくらいの金持ちだ。けれどそれを鼻にかけることはない。純粋に能力者絡みの事件のことを考えて、寧々たちに協力を要請してくるのだ。

「あの人は、信じていい人?」

「ちょっと抜けてるところはあるけど、善良で嘘はつけない人よ。そのうちわかってくると思うけど」

 悠子の取り調べでは、由真は「話したくない」の一点張りだったという。黙秘権というものがあるから話したくないのならそれで問題はない。しかも逮捕されてからの取り調べではなく任意同行だったのだから何も話さなくても罪にはならない。けれどその態度をよく思わない人たちが警察の中に多くいるのも事実だった。悠子とその上司たちがその勢力を押しとどめている状態だ。

「あ、そうだ今日店が終わったら買い物に行こうよ。必要なもの色々あるでしょ?」

「特にないけど」

「いや服とか全然ないからね? 私の服もギリギリ入るけど、似合わないから嫌だっていったの由真じゃん」

 由真の服の趣味と寧々の服の趣味があまりにも違いすぎたのだ。実家にも服はあったが、北斗の家にいる間に由真の身体が成長してしまったせいで、着られる服がほとんどなかったという。今はとりあえずサイズが合う服をファストファッションの店でハルが適当に買ってきて、それを着ている状態だ。ただしハルの趣味はハルの趣味でTシャツにジーンズだけというシンプル極まりないものなので、寧々としては不満だった。当の由真はそれでも問題はなさそうだったが。

「私も買い物があるから、付き合ってよ」

「まあ、それなら」

 約束を取り付けてしまうと会話が途切れる。寧々は持ってきた本を読みながらも由真の様子を窺っていた。アルカイドに由真を連れてくる前に、由真の兄とは少し話をした。幼い頃から習い事ばかりやらされていて、趣味らしい趣味はほとんどないらしい。本も読まなければ漫画も読まないという。そんな人は何もやることがないときはどうするのだろうか。寧々がそう思っていると、由真はぼんやりと窓の外を眺め始めた。何かを見ているわけではないだろう。つまらない授業中に教室の窓から青空を眺めているのと同じだ。どうやら一人が苦手で、沈黙に耐えられないだとか、そういう類の人間ではなさそうだ。

 そして一人も客が来ないまま一時間ほどが過ぎた頃、窓の外を眺めていた由真が微かに身動ぎをした。何か見つけたのだろうかと寧々が思った瞬間に、店の扉が勢いよく開き、ドアベルが激しく鳴った。

 招かれざる客――よりによって由真が初めて店に出た日にそういう手合いが来るなんて運が悪い。しかし寧々はあくまで笑みを崩さずに、入ってきた五人の男たちの前に立った。

「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」

「俺たちはコーヒー飲みに来たんじゃねえんだよ、小娘が」

「ここは喫茶店ですよ? 喫茶店はお茶するところです」

「うるせえ、カマトトぶりやがって。お前のせいで俺たちの仲間が警察に捕まったんだ」

 寧々は記憶を辿る。男たちの顔に覚えはなかったが、男たちが身につけている揃いのネックレスは見たことがあった。数週間前、北斗の家の事件があった数日前に無能力者が能力者に暴力を振るう事件があり、寧々はその事件に悠子の要請で介入した。能力者側が一方的に暴力を振るわれていたわけではなく、途中から能力を使って反撃し始めたために更に混乱を引き起こし、それなりに怪我人も出た事件だった。男たちはその事件の無能力者の人間だ。能力者特有の赤い光も見えない。

「私は警察の要請に従って仕事をしただけ。私の仕事は能力者を止めて事態を収拾することだった。あなたたちを捕まえたのは警察でしょ?」

「お前が来たせいで俺たちの計画はめちゃくちゃになったんだ。あのままあいつらを――」

「暴走させてその危険性を周囲に知らしめるつもりだった? 最低ね。何もしなければ彼らだって反撃すらしなかったでしょうに」

 その中の一人は攻撃に向いている危険な能力を持っていたが、発動条件が厳しく、めったなことでは能力を使っていなかったという。先に手を出されたからやむなく攻撃したのだ。正当防衛の範疇だ。

「それで? 今日はどういったご用件で?」

「俺たちの計画にお前は邪魔なんだ。だからここで潰す」

 短絡的で、馬鹿な考えだ。寧々は溜息を吐いた。五人の男。一人で対処できるだろうか。能力者は能力に依存した戦いをするから攻撃も読みやすいが、無能力者となるとそうはいかない。寧々の能力を攻撃に転じることは不可能ではないが、発動に時間がかかる上に寧々への負担も大きく、現実的ではない。そして由真は――と目を向けた先に彼女の姿はなかった。気付かれないように身を隠したのだろうか。それがいい。あの施設にいたからか、荒事に対する最善手はわかっているようだ。

 荒事には、関わらないのが一番だ。たとえ知り合いが巻き込まれていようと、助けに入るなんて本来は絶対に駄目だ。こっそり逃げて、できるのであれば警察にでも通報してくれればそれが一番いい。

 男たちが武器を手に寧々に襲いかかる。ほとんどが刃物だ。まずは一人目。寧々に向かって突き出されたナイフを持つ腕をひねりあげ、地面に落ちたナイフを蹴って遠ざける。二人目は足を蹴って転ばせてから短刀を奪う。そのあとで鳩尾を殴って地面に倒した。訓練された人間の動きではない。しかし気を抜かずに三人目に向かおうとした瞬間に男の手に特殊警棒が握られているのに気が付き、寧々は目を瞠った。そこから放たれた光線を避けきれず、一瞬動きが止まる。その瞬間に一人目に倒した男が新しいナイフを持って寧々の首元にそれを突きつけた。

 

「やれるもんならやってみなさいよ、この臆病者(チキン)が」

 

 わざと挑発し、男たちを怒らせる。先日の事件でわかっていた。彼らは能力者の危険性を叫び、その排除を謳いながらも、人を殺す度胸はない。寧々がかつて超えた一線を超えたことはないのだ。男が寧々の首に突きつけたナイフに力を込める。しかしその手は微かに震えているようだった。

 隙を見て攻撃を再開しよう。寧々が戦略を組み立て始めたその瞬間に、寧々の左眼に黒い靄のようなものが見えた。

 声を出すような暇さえ与えられなかった。気が付けば五人の男たちは呻きながら床に倒れていて、それによって開けた視界の先にナイフを握り締めた由真が立っていた。手に持ったナイフに能力波を纏わせ、それで攻撃したのだろう。刃物での攻撃ではないので男たちに傷はない。打撃に近いだろうか。

「……ありがとう、由真」

「怪我、してない?」

「大丈夫……だけど、由真」

 それ以上聞くことはできなかった。その漆黒の能力波は――その持ち主は、北斗の家でそこにいたほとんどの人間を殺した人なのだ。寧々の目には今、動かぬ証拠が映し出されている。けれど同時に思う。出会ったばかりの寧々を助けるような人に、人は殺せるのかと。病院で少年を助けたときもそうだ。由真はきっと、目の前で苦しんでいる人を見捨てることができない人だ。

 そんな人が、あれだけたくさんの人を殺すことは、可能なのだろうか。

 寧々が考えを巡らせていると、警棒を持った男が身動ぎをした。寧々は咄嗟に叫ぶ。

「由真……っ!」

 普通の能力者に使えばただ動きを一瞬止めることができるだけの光線。けれど暴走した能力者に使えばそれが致命傷になりかねない。そして由真の場合は――暴走している能力者ほどではないが、照射時間が長くなれば致命傷になりかねない。

 寧々は男の腕を捻り上げ、特殊警棒を手が届かない場所まで投げた。

「……警察に捕まりたくなかったら帰りなさい。今なら見逃してあげる」

 男たちは脱兎の如く逃げ出し、店を出て行った。寧々は慌てて由真に駆け寄る。

「ちょっと眩暈がするけど、大丈夫……」

「とてもそうは見えないわよ」

 呼吸が荒く、能力波も乱れている。ただでさえ能力が不安定な状態なのだ。それなのにどうして寧々を助けようとしたのだろうか。由真がいなければ危なかったのは事実だが、由真に能力を使わせるつもりはなかったのに。

「とりあえず上行って休もう。ほら」

 寧々が由真に肩を貸そうとすると、由真は首を横に振った。

「一人で戻れるから」

「説得力全くないわよ」

「だから大丈夫だって」

「いいから、肩くらい減るもんじゃないんだから使いなさいよ」

 焦れた寧々が由真の腕を掴んだ瞬間、由真はそれを勢いよく振り払った。

「大丈夫だって言ってるじゃん!」

 思いの外大きく響いた声に、由真自身も驚いているようだった。本当に大丈夫な人はそんな風に否定したりはしない。寧々は由真の目を真っ直ぐに見つめた。

「お願い、少し一人にして……!」

 由真は目を逸らしながら言う。寧々が口を開こうとした瞬間に、由真が膝から崩れ落ちた。

「由真……!」

「っ……大丈夫、すぐおさまるから……」

 寧々は左目を軽く押さえてからその手をどける。由真の能力は左目でははっきり捉えることはできないが、それでも状態の変化はわかる。能力波が乱れているのを何かが必死に押さえつけているように見える。どうすればいいのか――寧々が思案していると、店のドアが開いた。

「ハル姉……!」

「遅くなって悪かった」

 ハルは由真に近付いて、ポケットの中から小さな白い箱を取り出した。

「これで由真が押さえ込める程度まで能力を制限する」

 ハルは由真の左耳に触れ、箱から出した銀色のイヤーカフを由真の左耳に装着した。そして小さなリモコンのようなものを寧々に投げる。

「由真の能力は負の感情によって増幅される。いざとなったらそのボタンを押せば六秒間完全に能力を使えなくすることができる」

 由真の右腕あたりに見えていた黒い能力波がイヤーカフをつけた瞬間に薄くなったのが寧々には見えていた。寧々はハルに目線で確認を取ってから渡されたリモコンのボタンを押した。静電気が走ったような音が響き、由真が耳を押さえる。

「……楽になったよ、ありがとう」

 それでよかった、と言うことはできなかった。寧々の目には見えていない何かがある。後でハルを問い詰めなければ――寧々はそう思いながらも、ゆっくり立ち上がった由真を支えるために彼女に駆け寄った。

 

 

「管理者に黙って勝手なことをして」

「寧々の利益になることではあるだろう? 由真の能力の不安定さは寧々も気にしていたはずだ」

「……で、あれはどういうことなの」

 漆黒の能力波の謎も含め、わからないことはいくつもあった。

「おそらく柊由真は多重能力持ちだ。寧々のように一つの能力の副産物という形ではない。完全に別の二つの能力があって、そのうちの一つが『七星』の能力」

「もう一つは? 私では解析できないのよ」

「今日の話を聞く限り武器などに能力波を纏わせて打撃や斬撃を与えることができるんだろう。能力波とはそもそもエネルギーの塊のようなものだから、それを任意の形でぶつけることができる……比較的原始的な能力だろう」

「制御できてないのはそっちの能力ってことね」

「『七星』の能力の制御装置は現在のところ技術的に作ることはできないからな。あちらは発動条件も厳しいから制御するのはさほど難しくはないのだろう」

 問題は制御できないもう一つの力。けれどその前にいくつか引っかかるところがあった。

「多重能力持ち……理論上存在しうるけどほとんどいないはずじゃない?」

「事例として報告されているのは、解離性同一性障害の患者が別々の能力を持ったケース、他人の能力を盗む能力者が一時的に多重能力持ちになるケース、あとは母親の中で双子の片方を取り込んで生まれてきた子供が二つの種を宿していたケースもあった。確率は非常に低いがあり得ない話ではない」

「まあ言われてみればそうね……非常に珍しいことがふたつ重なってるからあり得ない気もするけど、そういうことだってないわけではないし。問題はそのもう一つの能力が、負の感情を原動力にしてるってところかしらね」

 能力には何らかの原動力がある。体力の人もいれば、寧々のように知識を原動力にする人間もいる。由真の場合は種に干渉する能力は感情全般、もう一つの能力は負の感情を原動力としているらしい。寧々の目では解析できず、由真が歩月に話したことをそのまま鵜呑みにしている形だが、由真の様子を見ていればそこに嘘はなさそうだとわかる。今日寧々を助けたときは、寧々を傷つけられたことに怒っていたのだろう。けれどそれによって強められた能力を抑えられなくなったと考えれば辻褄は合う。

「あの制御装置でどのくらい押さえ込めそうなの?」

「完全に押さえ込むのは逆に良くないから、閾値を超えたら制限がかかるように設定した。そのうちあれを使わなくても制御できるようになった方がいいだろうし」

「そうね」

「それと、私から提案なんだが」

 寧々は続きを促した。

「由真に調停人の仕事を手伝わせるというのはどうだろうか」

「――駄目に決まってるでしょ」

「そう言うと予想していたがね。だが今のところ中程度以上の暴走を、その人間の命を奪うことなく止められるのは彼女だけだ。それに、制限しているとはいえもう一つの能力も寧々の能力より遥かに戦闘に向いている。どちらにしろそろそろ手が足りなくなっているのは寧々もわかっているだろう?」

 ハルの言うことは正しい。そして由真もその仕事をしたいと言っていたのは事実だ。けれど寧々は首を縦に振ることはできなかった。

「能力としては便利よ。でも……使う度に傷を負う力を使えと言うことはできないわ」

「能力を使うことは悪いことではない。使い方を覚えることで制御方法を見つけることもできるし、代償を軽くする方法を編み出すこともできる」

「……それはそうなんだけど」

 寧々は結論を保留することにした。制御装置がどれくらい使い物になるか見極めてからでも遅くはないと思ったのだ。

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