Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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7.いつかの証明

 

 由真がアルカイドに住み始めたのと同じ頃から、店には常連客と呼ばれる人たちが出てき始めていた。一人は由真の祖母。家に帰らず家族にも会おうとしない由真の様子を見に来るところから始まって、数日後には散歩コースに組み込まれていた。そしてもう一人は飯島美玖という少女だった。寧々や由真と同い年の美玖は、学校に行かずにアルカイドの店内でコーヒー一杯で半日近く粘ることが多かった。店としては迷惑な客と言いたいところだが、そもそも座れなくなるほど店が混むこともないので、誰も何も言わないでいた。由真は何故か美玖のことが気になるらしく、練習で作ったフードメニューをこっそり美玖に食べさせたりしていた。笑顔を見せたり積極的に話しかけたりはしないけれど、何かと彼女のことを気にしているようだった。

(あの子多分、学校でいじめられてんのよね……)

 直接聞いたことはないが、頻繁に学校をサボっていることや、時折持ち物に落書きをされたような形跡が見られることから寧々は何となくそれを察していた。おそらく由真も同じだろう。けれど能力者ゆえに行く場所が見つけられずにここに居座ることになっているのだ。

(私たちは喫茶店の店員と客。介入できる範囲には限度がある)

 できることは美玖が安心して時間を潰せる場所を提供することくらいだ。由真もそれはわかっているのだろう。決められた会話以外はほとんどしないはずなのに静かに繰り広げられる交流を寧々はただ見守っていた。

(優しい子なんだよな、多分……)

 由真が自分自身をほとんど見せないせいで、寧々はまだ柊由真という少女がどんな人間なのか掴みかねていた。けれどぶっきらぼうどころか無言でいるときでも寧々が困っているときにさり気なく手を貸してくれたりする。よく人を見ているし、それでいて押し付けがましいところはない。先日も寧々を庇ってくれたばかりだ。

(私は私が感じたことを信じるだけよ)

 由真が持っている二つの能力のうちのひとつが北斗の家での事件に関わっている可能性は高い。けれど由真自身はあれほどの事件を起こせるような人間には見えない。何かまだ見えていないことがあるのだ。でもそれはおいおいわかっていけばいいことだ。――何せ証拠となりそうなものは何もかも寧々が燃やしてしまったのだから。

(それにしても――)

 カウンターに座っている由真は、テーブルに数学の問題集を広げている美玖を時折気にしているようだ。それ以外やることがないのだろう。寧々のようにゲームをやることも本を読むこともあまりない。強いて言うなら動画を見るのは好きなのかもしれないという程度。寧々が由真の性格を掴みきれずにいる要因のひとつには、彼女の無趣味さもあった。

 寧々が由真を横目で見ながら本のページを繰ったとき、カウンターに置いていた携帯電話が鳴った。悠子からの連絡だ。悠子が雑談をするために連絡するなんてことはありえないから、彼女から電話があるときは大抵仕事だ。寧々が軽く溜息を吐いて電話を取ると、由真が一瞬寧々を見た。

「うん、わかった。じゃあすぐ向かうわ」

 黙秘を続ける容疑者の能力波を見て欲しいという依頼。寧々が受ける依頼の中では簡単な方だ。

「ちょっと仕事が入ったから行ってくるわね」

「うん」

 その間店は由真一人に任せることになるが、一人も客が来ないことも考えられるような店だ。美玖はコーヒー一杯であと数時間は粘るつもりだろう。寧々はBGMのピアノの音だけが小さく流れる店を静かに後にした。

 

 

 それから二週間ほどが過ぎた頃、美玖がぱったりと店に来なくなった。他にいい店を見つけたのかもしれないし、学校に行くようになったのかもしれない。そもそも持っていたノートに名前が書いてあったから名前を知っているだけで、それ以外の情報は何もわからないのだ。制服で店に来ていたから学校もわかる。でも本当にそれだけだ。

「――最近」

 誰もいない店を見ながら、由真が呟いた。寧々は由真の方から話しかけてきたことに驚きながらも読んでいた本から顔を上げる。

「来ないね、あの子」

「美玖ちゃんのこと?」

「うん」

 由真はそれきり何も言わなかった。会話をする気があるのかないのか全くわからない。けれど寧々もその空白を埋めようとは思わなかった。由真との沈黙はそれほど苦痛ではないのだ。

 そうして流れているピアノ曲が一曲終わったあたりで由真が再び口を開いた。

「……何もなければいいんだけど」

「別の店を見つけたのかもよ?」

「それならそれでいいんだけど……なんか気になって」

「まあ私もあの子のことは気になってたけど」

 けれどそれが由真と同じ理由かはわからなかった。寧々の目は他人とは違う。寧々は左目は常に他の人間とは違う視界を生み出していた。美玖には能力者であることを示す赤い光がはっきりと見えていた。そしてそれは切れかけの電球のように時折明滅していたのだ。その上、美玖の能力は発火能力だ。それ自体は珍しい力ではない。マッチよりも小さな火しか出せない人も、大きな火を出せる人もいるし、特殊な炎を出す人もいるが、能力そのものは寧々や由真の持っているものに比べればありふれたものだ。問題は光が明滅していたこと――その頻度は非常に低かったが、近いうちに暴走の危険性があるのは事実だ。

「……この前、少し気になってあの子の種に触ったんだけど、あまりいい状態ではなかったから」

 由真の言葉に寧々は目を瞠った。寧々はその目を使ってその人間に触れることなくその能力を見ることができるが、由真は他人の種を取り出せる唯一の人間だ。その能力を使ったのなら、美玖の状態にも気がつくだろう。けれどいつそんなことをしたのだろうか。記憶を掘り起こしてみれば、それが可能な日が一日だけあった。寧々が悠子に呼び出されて店を開けたときだ。あのとき確かに店には由真と美玖だけが残されていた。

「でも、私たちはそれだけでは動けない」

「わかってるよ、それは」

 客と店員という関係性でしかないのだ。目の前にいるときは注意を配ることはできても、そうでないときは何もできない。いくら調停人だろうと、限度というものはあるのだ。

「由真……」

「あの子の種に触れたとき、なんだかすごく嫌な予感がしただけだから」

 それきり由真はその話をやめてしまった。由真自身もわかってはいるのだろう。客と店員という一線は越えられない。自分たちは彼女に手を差し伸べる立場にないことは理解している。それでもどうしても気にかかるのだろう。けれど寧々はそれ以上追及することはせず、再び本に視線を落とした。

 暫くすると、寧々の携帯が鳴った。ハルからの連絡だ。

ハルの端末は普段は立入禁止区域での調査にあたっている。機械である彼女はそこにある物質の影響を受けない。その上で悠子などから入ってくる依頼を受けて寧々に連絡してくるのだ。

「――わかった。すぐ行くけど……」

 それはある学校で起きた事件についてだった。ある生徒が暴走してしまって、そのクラスの人たちが巻き込まれているのだという。その学校の名前を聞いたときに寧々の胸に嫌な予感がよぎった。それは美玖が通っている学校なのだ。そして話を聞いているだけでもわかる。寧々が行ったところでその暴走した能力者は助けられない。中程度以上まで進行してしまった暴走を止める術を寧々は持たないのだ。――由真なら別であることはハルも寧々も理解している。

「……どうなっても知らないわよ」

 由真が戦闘向きであることはわかっているが、実戦経験はほぼない。制御装置が本当に使えるかどうかも検証しきれていない。それでもハルは由真を現場につれていくようにという判断を下したのだ。それがより多くの人間の命を救う方法だというのはわかる。けれど――寧々は迷いながらも、ゆっくりと頷いた。

 

 現場である学校に到着すると、そこは警察車両も消防車両も待機している騒然とした状態だった。寧々は悠子を見つけるとすぐに状況を確認する。

「現場は三階の教室。どうやら発火能力者のようだけど、消防隊の言うことには炎の種類が特殊で今の装備では近付けないと」

「特殊な炎……その暴走してるこの名前はわかってるの?」

 嫌な予感は確信に近付いていく。悠子の口から告げられた名前を聞いた寧々は思わずこめかみを抑えた。

「知ってるの?」

「知ってるってほどではない……けど、あの子の炎は確かに特殊。酸の炎だから硫酸かけられるようなものね。でも暴走前はそれで人を傷つけられるような威力はなかったのよ」

 暴走状態はその人が発揮できる能力を超えた能力を引き出してしまう。その中に突っ込んで行って中心にいる彼女を助けるには確かにそれなりの装備が求められる。消防隊が今用意しているという装備を借りるか――と寧々が思案していると、隣で話を聞いていた由真が何も言わずに校舎に向かって走り始めた。

「ちょっと待って! 生身で行ける場所じゃないから!」

「待ってたらあの子の状況はもっと悪化する」

「それはそうなんだけど! でも今行ったら由真が怪我するから」

「私は平気」

「あ、ちょっと……!」

 由真はそのまま寧々を振り切って校舎の中に入っていってしまった。昇降口で由真を止めようとする警官の制止も振り払って進んでいく。本当にわかっているのだろうか。確かに由真ならば暴走を止めることは可能だが、このままいけばその前に由真の方が大怪我をしてしまう。それがこうなる前に美玖を助けられなかった罪悪感に基づく行動なら何としても止めなければならない。けれど寧々は何の装備もなしに現場に行くような覚悟を決めることはできなかった。強く唇を噛む。

「寧々! とりあえずこれならまだ……」

 悠子が借りてきた装備は不十分なものだが、生身で行くよりはいい。寧々はそれを奪い取るように受け取ると、校舎に向かって走り出した。

 しかし由真も何の考えもなく突入したわけではなかった。火が広がる三階の廊下を、どこかで拾ったらしい棒を使って道を切り拓きながら進んでいく。棒に纏わせた能力波で炎を消しているのだろう。今のところはその能力を使用しても体に異変は見られないようだった。そして炎が広がる教室の扉を開けて中に入っていく。寧々は扉の陰に身を潜めて様子を窺うことにした。

 中には数人の女生徒が倒れている。放課後に起きた事件だったがために教室にほとんど人が残っていなかったのだろう。倒れている生徒たちも適切な治療をすればおそらく助かると判断し、寧々はそっと息を吐いた。問題は――由真が美玖を止めることが出来るかどうかだ。

 由真はゆっくりと教室の中心に近付いていく。そこに蹲る美玖との距離が縮んでいき、手が触れそうになった瞬間、躑躅(つつじ)色の炎が由真を襲った。黒い服の袖が焼け、その下の皮膚も赤くなっている。けれど由真は表情一つ変えることはなかった。

「――邪魔しないで」

 美玖が蹲りながらも唸るような声で言う。

「このままだと、あなたが死んでしまうから」

「いいのよそれで! 私はこいつらに復讐するために、この日をずっと待ってたの!」

 そういう人は確かにいる。暴走前は小さな力でも、暴走すれば大きな力になる。自分を虐げる人間を攻撃するために自分自身の心に大きな負荷をかけて。暴走を引き起こそうとする人も存在するのだ。

「……このままじゃ、この人たちを殺す前にあなたが死ぬよ」

 由真は静かに、それでも聞き流せない声で事実を告げる。由真の言っていることに何も間違いはなかった。既に由真以外の人間には助けられない状況だ。しかし美玖は絞り出すような声で叫んだ。

「それでもいい! もう私は……。だから、邪魔しないで!」

 炎が由真を襲う。普通なら避けるなり庇うなりするようなものを、由真はそのまま正面から受け止めた。

「何のつもりよ……! どうして避けないの!?」

「私は――私の目の前で誰かが死ぬのを見たくないだけ」

 寧々は自分の腕をきつく掴んだ。目の前で誰かが死ぬのを見たくない。ただそれだけのために、美玖の攻撃を避けもせずに受けたのか。下手をしたら美玖を助ける前に自分が倒れてしまうのに。

「ごめんなさい。あなたが望んでないのはわかってる。でも――私はあなたに死んでほしくない」

 由真は美玖との距離を詰め、その身体を抱きしめるようにした。前から抱きしめて、背中に触れなければ由真の能力は発動できないのだ。相手との距離がなくなる危険を冒さなければ使えない力。由真は一瞬のうちに美玖の身体から種を取り出し、黒い煙を吐き出しているそれを強く握って壊した。その衝撃で美玖は意識を失い、同時に美玖から放たれていた炎が完全に消える。溜息を吐いて床に膝を突いた由真に寧々は慌てて駆け寄る。

「由真……!」

「大丈夫。もう種は壊したから……」

「この子の話じゃないわよ! 由真の話をしてるの!」

 見れば、美玖に負わされたやけどだけではなく、能力の代償である左腕の傷もかなり深かった。けれど由真はその腕を一瞥しただけですぐに立ち上がる。

「私はいいから。寧々はこの子たちを何とかしてあげて」

「……やるわよ、それが仕事だもの。でも由真もちゃんとその傷見てもらって」

「別に平気なのに」

 寧々は由真の言葉を聞かなかったことにして、そのまま外にいる悠子と電話を繋いだ。後の処理は警察に任せてしまった方がいい。今自分たちがやるべきことは全て終わったのだ。

 結果的には一人の犠牲も出ずに収束した事件。けれどこのとき、寧々はまだ由真が心の奥底で何を考えているのかを知らなかったのだ。

 

 

 美玖の事件から数日後。由真と寧々は入院している美玖の見舞いに行った。寧々は悠子から様子も聞いていたし見舞いは控えようかと思っていたのだが、由真が美玖のことを気にしているのを感じたので、直接出向くことにしたのだ。

 けれど、寧々たちの来訪は決して歓迎されたとは言えなかった。

「――どうして助けたの」

 冷たい声は真っ直ぐに由真に向けられていた。

「私は私をいじめた奴に復讐したかった……! そのためにずっとあの日を待っていたのに! あなたのせいで全部が台無しになった!」

「ちょっと……由真がいなかったら死ぬところだったのよ?」

 寧々は思わず美玖に食ってかかった。由真でなければ誰も手を打つことは出来なかった。少なくとも恨み節をぶつけるのは間違っている。けれど更に言いつのろうとする寧々を由真が軽く制した。

「私は――あなたを助けたわけじゃない」

「由真、何言って……」

 誰に聞いても由真が助けたと言う状況だった。それ以外、美玖の命を助ける方法はなかったのだから。けれど由真は首を横に振る。

「私は、私の目の前で誰かが死んでほしくはないから力を使った。ただそれだけだから。全部私のエゴで、勝手にやったこと。だからあなたも、私に助けられたなんて思わないで」

 由真はそれだけ言うと、見舞いの品を置いて病室を出て行った。寧々は慌ててその後を追いかける。

「ねぇ、由真。どうしてあんなこと……」

「私は思ってることを言っただけ。私はあの子を助けたとは思ってない。自分のために、力を使っただけ」

「でもあれだけ怪我もしたのに……! それなのにあんな言われ方して腹立たないの?」

「別に。全部事実だし」

「でも由真がいなかったらあの子は……!」

 寧々は由真の腕を掴んだ。由真はそれで歩みを止める。

「生きてれば助かったって言えるの?」

「それは……」

「本当は、あの子が望んだとおりにさせてあげるのがあの子にとっては幸せだったのかもしれない。でも私はそうしなかった。――私はあの子のために、何もしてあげられなかった」

 そんなことはない、という言葉は喉が凍り付いて発することが出来なかった。固まっている寧々をよそに由真は更に言葉を続ける。

「私は……私の力は、誰も助けることなんか出来ない」

 その言葉は棘のように寧々に突き刺さった。その力以外では救えない命もあるのに、誰も助けられないと本気で言ってしまえるのか。その心の奥底に眠っているのは深い絶望なのだろう。寧々は由真の腕を強く引いた。

「私はそうは思わない。あなたの力はきっとこれから沢山の人を助けるから――あなたがそれを信じられないのなら、私がいつかそれを証明してみせる」

 それが何を意味するのか、寧々は理解していた。由真に調停人の仕事をさせることは由真を危険な目に遭わせることに繋がるだろう。もしかしたら助けられない人が現れて、由真の絶望は更に深くなるのかもしれない。けれど由真自身が、自分の力が誰かを救うものになると信じたがっているような気がしたのだ。

 

 

 エリアC-5、かつて渋谷と呼ばれた地区にある高層ビルの一つの地下にある空間で、寧々は深く息を吐き出した。今日に限ってなぜ昔のことを思い出したのだろうか。自分を駆り立てていた使命と、大きな波に翻弄されていく中で出会った運命。月日が流れても、記憶は鮮明なまま寧々の中に残り続けている。

 運命の白き焔は燃え続けている。その火を絶やさずに、そして先に待つ絶望的な未来を変えるために寧々は歩み続けているのだ。

「――で、こんなところにわざわざ呼び出した理由は何なの?」

 寧々の目の前に浮かび上がる黄緑色の燐光を纏う女――の姿をした機械。ここにいるのはハルの本体だ。Eta Urase Majoris――おおぐま座η星、あるいは北斗七星の一つであるAlkaidを示す名を持つ人工知能。管理者は寧々であるはずなのに、まるで神のような不遜さをもってそれは寧々と相対する。

「良いニュースが二つほどある」

「それは普通悪いニュースと良いニュースがあるときの言葉じゃないの?」

「そうか。それなら……一つは由真にとっては悪いニュースかもしれないな」

「もったいぶらないで早く言いなさいよ。あまり遅くなると由真も或果も心配するんだから」

 寧々が言うと、女は微笑を浮かべた。簡単な話ならわざわざここに呼び出す必要もない。何か大きなことが動き出しているのだ。寧々は真っ直ぐ前を見据え、人工知能の次の言葉を待った。

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